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はてなキーワード: 少年時代とは

2012-01-01

私と父との関係について

いまになって思い出すのは、高校合格が決まった日の夜の車中での出来事だ。私は自分が高校に合格したことで脱力して、いわゆる燃え尽きた状態になっていたのだと思う。だから私は、できることなら誰とも話さずに、自分自分への勝利を味わっていたかったのだと思う。当然、父は私を褒めちぎった。父は私に「お前は俺を越えたな」と言った(父は近所の高校の普通科出身で、私は同じ高校の理数科に合格したのだ)。しかし、そういうわけなので、私は満足な反応を返すことができなかったのである。きっと父の目には、私が全然喜んでいないと映ったに違いない。それとも、私が父を無視しているようにも映ったに違いない。いや、じっさい、私は父を無視していたのかもしれない。非は私にあった。父は車中で激高し、その日はそれきり、たがいに口をきかなかった。


父は私と二人きりでいる時間があまりにも長かったために、きっと私を自分の一部にしてしまったのだと思う。だから私が父の意のままに動かなかったとき、父はどうすればよいのか分から困惑し、怒るのではないだろうか。私は手足ではないのだと憤ったこともあったが、今ではそれもしかたのないことだったのだと納得している。けっきょく、父には私しかいなかったのだ。私だけは、つねに父の味方になっていなければならなかったのだ。それも受動的にではなく、能動的に。父と私との関係を損なってしまった非の多くは私にある。


私は父を理解しようと努めてこなかった。そのことが、父と私との関係を決定的に損なってしまった。しかし私と父とのあいだには、いかんともできない照れ臭さが漂っていて、それが私を素直にさせなかった。いまでもそうだ。父は素直ではない私に対して、自分の肉体の一部が言うことをきかないことに対する困惑と、そして自分無視されているのではないか尊敬されていないのではないかという疑心によって、私とのあいだに良好な関係が結べなくなってしまったのだろう。

私は私で、父と二人きりで過ごした時間があまりにも長かったために、この照れ臭さを越えて父とのコミュニケーションを図ることが、あまりにも重荷となってしまっている。ようするに、私たちは親子は、あまりに近すぎたのだ。そのためにうまくいかなくなってしまったのだ。


聞く話によると、父と祖父との間にも、少なからぬ軋轢があったという。私たちとは逆で、父と祖父との関係は、あまりに遠すぎた親子であったらしい。ふたりの間には、物心ついたときから、一切の会話がなかったという。

両方の家庭に共通しているのは、夫婦の不在である。思うに、人間どうしが関係をつくるとき自分と相手、たったふたりだけではうまく行かないのだ。なぜなら、ふたりきりの世界には距離感がないからだ。だから他者がどうしても必要なのだ。親子の場合は母、夫婦場合は子が、それぞれ必要となるのである


ふたりだけの世界というのは危険で、あまりに長くそれがつづくと、一方が一方を自分の一部にしてしまう。親子でもそう、恋人でもそうだ。他者なくして距離感は生まれない。人間関係の神髄は、もしかすると距離感なのかもしれない。


自分の肉体の一部が言うことをきかないことに対する困惑。父はきっと、私がまさしく父の一部であった時代、私の少年時代に縋っているのだろう。なにしろ、私が自立して家を離れれば、父は正真正銘の独りぼっちだ。父が友達と話しているところを、私は見たことがない。父はこの先、途方もない孤独のなかに取り残されてしまう。私は父を救うことができるのだろうか。


私が父について考えるとき、思い出さずにはいられない人物がひとりいる。岡崎智也だ。そうだ、岡崎智也は、はたして彼の父を救えたのだろうか。彼の父、岡崎直幸は、はたしてあれで救われたのだろうか。私には、岡崎智也が他人のようにはどうしても思えないのだ。そう、こんな子供じみた共感幻想に、私は23歳になった今でも、いいように振り回されているのだ。なんて滑稽なんだろう。


私は実家ですごすことに疲れてしまった。私は私でいることに疲れてしまった。できることなら、私は私という人間が初めから生まれてこなかったことにしてしまいたい。でも死にたいとは思わない。私は絶対に死にたくはないのだ。たとえ藁に縋ってでも、私は一日でも長く生きていたいと願っている。しかし、でも、やっぱり、私はすっかり消えてしまいたい。私がいたという痕跡を残さず、綺麗さっぱりなかったことにできたら、どんなによかっただろう。

2011-09-21

親父とワインの好みが合った件

障害を持って生まれ、父母からの愛を得られなかった親父。

ひとり自転車で旅に出るという少年時代をすごした親父。



なんとか嫁を見つけた親父。

嫁に子供を産ませることに成功した親父。

結婚当初は実家に同居していたのだが、嫁いびりの耐えない姑や舅達から逃亡するように安アパートに一家三人で引っ越すことを決断させられた親父。

子供が増え、3人目を産むときに、経済事情実家へ戻らざるを得ないという逃げを打った親父。



親父の元嫁いわく、妊娠中の腹を蹴って流産に至らしめた。

4人目が生まれたのは人生設計<性欲の結果。



結局、実家に帰ってから嫁との折り合いが悪くなり、一ヶ月は家をあけることもしばしばだった親父。

酔うと包丁を振り回していた親父。



当時小学生だった俺と行った旅行先で、若い女をナンパし夜の街に消えていった親父。

中学時代、家事を放棄した嫁のかわりに毎日弁当を作ってくれた親父。

ただし、その弁当は他人に見せれた代物ではなく俺は人前で弁当を食うのが堪らなくトラウマになった。

はいえ、親父の嫁の作る弁当も同じレベルだったため、そのトラウマは親父だけのせいではない。



結局、成人した俺の勧めと後見で離婚成功した親父。

離婚後も、別れた嫁からいやがらせ職場への数分おきの迷惑電話や怒鳴り込みにもめげずに定年まで勤めた親父。



そんな親父がワイン蔵を見学に行き、さんざん試飲した挙句選んだ3本のワイン

一本は俺。白ワイン。あとの赤ワインと濁りワインは妹達の下へ行ったのだろう。



そんなワインが、ほのかに甘くてフルーティで非常に飲みやすい。



さすが、美味しんぼをわけのわからない法則で仕入れてきては、読んでいただけのことはあるのか無関係なのか。



そんな、親父のワインと俺。



2011-09-20 記

2011-08-19

http://anond.hatelabo.jp/20110816220206

こんにちは絶望格差を書いたマスダです

思いのほか、反響が大きくて驚きました。ご質問やご意見に、反応と言うか、意見を書きたいと思います


[上から目線ではないか]

観察したり批評するという行為自体が、基本的に上から目線です。絶対そういうことを言われるだろうなと思ったのが自分ブログではなくマスダで書いた理由です。「天皇機関説」「産む機械」「暴力装置」等々、社会科学の文脈で語られた言葉でさえ優越感ゲームで処理されてしまう世の中です。こうした負の連鎖について、学校で教えればいいという意見もありましたが、絶対に無理だと思います当事者たちから感情的な反発が来て、社会的リンチにあうのが目に見えているのに誰が火中の栗を拾うでしょうか。お金のこと、キャリアのこと、仕事のこと、本当は中学までに教えておいた方がいいことがたくさんありますが、それがなされていないのにはそれなりの理由があります


[地主のことが書かれていない]

H町は地方であり郊外ではあっても農村ではないということです。一時的な土地バブルがあったとしても、その恩恵を被ることが出来るのは資産家だけです。農民は、フローは少なくてもストックは持っているので、都市郊外の開発初期には、バブル資産家が続出しました。しか郊外に住んでいる人はそうした人ばかりではありません。H町は、一度、農村から工業化の過程を経ているために、住民の大半はプロレタリアート層(あるいは下層ブルーカラー)でした。地方=貧困とじゅっぱひとからげで見るのが間違いであるように、主に都市プロレタリアートの人が言いがちな、地方資産家の構図も全体に敷衍するのは間違いです


[戦後にはそういうところから成り上がった人たちがたくさんいる/別にブルーカラーでも不幸とは言えない]

現在高度経済成長を経て、安定成長の時代も経て、デフレの時代です。そうしたチャンスの時代を経てなおかつ成り上がれなかった人たちが取り残されている問題なのです。「生きがい労働」がどうしたと散々不平不満を言っている今の世代が、ブルーカラーでもそれなりに幸せというのは偽善じゃないでしょうか。選んだ結果ならばともかく、それしか選べなかった、実質的には選ばされている状況で、人それぞれというのは気休めとしか言いようがありません。


[新住民も"上層"下層プロレタリアートに過ぎない]

これはある意味そう思います。元記事は、勉強という切り口から見たのですが、根本知的好奇心が欠けているのは新住民も原住民も大して変わりません。これは精神論の話をしているのではなくて、根本の欲求がない限り、勉強能力として身につかないという側面があるので、これは重要な問題です恐竜博士といわれるような小学生は興味があることについては専門家レベルの知識を持っています。そういう人に、興味もない人が付け焼刃で暗記したところで太刀打ちできません。メリットシステム上層部は、恐竜博士みたいな人ばかりなので、いずれ新住民も挫折を強いられることになります。それでも、下士官まりであっても日常的に殴られる二等兵よりはマシです。新住民はその程度のことは理解しています。彼らは将軍になるためではなく二等兵にならないために走っているのです


[金持ちを引きずり落とす必要がある]

金持ち貧乏にしたからと言って貧乏人が金持ちになるわけではない」と某女性が言いましたがこれは間違いです経済自体はプラスサムですが、経済構造にはゼロサムの部分があるからです。一番わかりやすい例は農地解放です。富の偏在の是正を比較的可能にした戦後日本と、戦後すぐには日本より豊かであったフィリピン現在の姿を比べれば一目瞭然ですメリットシステムの結果発生した富と、アリストクラシーの結果保持された富はまったく性質が異なります。前者はメリットシステムを強化し、後者メリットシステムを弱体化させます。少なくとも新住民に「努力報酬」を与え、原住民努力の動機を与えるためにはメリットシステムの強化は不可欠であり、そのためには既得権益層を弱体化させる必要があります


[アボリジニの盗まれた世代を肯定してしまうのではないか]

そういう極端な例を言うなら、逆のことも言えます。そういうことを言う人たちは家庭内の虐待助長しているのではないでしょうか。

家庭には子供を抑圧し、スポイルしてしまう面もあると指摘することが、アボリジニの盗まれた世代に直結するというならば、家庭の不可侵性をことさら言い募る人たちは、親が子供を所有物のように扱い、虐待することを是としているとも言えるのではないでしょうか。物事を多角的に見ずに、だから進歩主義ダメなんだみたいに言いたがる人には、おぞましいという感情しか持てません。

じゃあ、どうすればいいという具体的な解決案が私にあるわけではありません。あるというなら、あると言う人が提示してくれればいいと思います。分かり易い具体的な解決があるならすでに実行されているでしょう。問題だけ示して解決も出さないのが無責任と言われるなら、そう批判されてもしかたがないと思いますしかし問題があるものをないということは出来ません。


[原住民別に不満に思っていない]

不満に思っていない、と言い聞かせている、と私は思います。仮に宝くじにあたって、以前と同じライフスタイル、以前と同じ消費財で満足できるでしょうか。できるというなら、それはそれぞれの好みだと言えるでしょうが、実際にはそうではないわけです。選択可能性があって、初めて選べるのであって、選択可能性がないところで手に入れた物はあてがわれたものに過ぎません。努力をする人、特に自分子供努力をするのを引きずり落とそうとするのは自己欺瞞を突き付けられるからではないでしょうか。戦後の、教育熱心なお母さん(北野サキさんみたいな人)とそうした原住民の親の違いは自己欺瞞の自覚の有無だと思います

原住民友達の中にはマンガでさえ本というものは読まない子はたくさんいました。そういう子たちも中学の頃には「少女コミック」を熱心に読んでいました。素敵な彼とセックスしてしあわせ、みたいな話です。今にして思えば、小学館貧困ビジネスをしていたんだなと思います


[原住民にも向学心はある]

逆上がりができるようになって嬉しいくらいの向学心はあります小学生の時の「勉強ができない」は本当に簡単なところで理解がつまずいているのですから、少し整理してあげるとパッと分かって、魔法みたい、嬉しいということはありました。ただ、それが続かないのです。それを続かせてサポートする環境がないのです原住民の子でただひとりだけ、有名大学に進学した子(男の子)がいました。彼は頑張ってそうしたのではなくて、もともとの知的好奇心がある子だったので、勉強しないことの方が苦痛、という子でした。彼とは何でも話せる友達になりましたが、彼は少年時代ずっと、家族からさえ変人扱いされました。彼を励ましてサポートしたのは私と私の家族くらいだったと思います。彼の場合は、たとえ変人扱いされたとしても向学心の衝動があったので、どうしてもそうせざるを得ない結果、勉強したのであって、そういう生まれながらの衝動がない子ならば、そうじゃないならとっくに「かわいがられる方向」にシフトチェンジしただろうと思います。ちなみに彼は私の今の夫です

2011-06-26

心に残る歌詞の話

聴く音楽を選ぶとき重要視していることがある。それは曲のストーリー

歌詞のある曲ならその歌詞ストーリーを形作るし、サントラなら映画なりゲームなりのストーリーがある。

ストーリーの善し悪しがその曲をリピートする回数に繋がることに最近気付き、自分の好きな曲について書かずにはいられなくなったので、増田オナニーすることにした。結論もなければ考察もない、ただただ好きな曲の好きなストーリーを書き綴るだけの自己満足。これが書けて、しか不特定多数の人に見てもらえるのが増田のいいところですね。

野弧禅

公園のベンチでうとうとしていたら 母ちゃんに首を絞められる夢を見た 母ちゃんはいつも「いい加減大人になりなさい」と僕に言うけど 安心して下さい 僕はもう彼らの輝きを直視できない ださい大人になれましたよ

今はもう解散してしまった野弧禅という二人組の「少年花火」という曲。野弧禅の曲(のストーリー)の基本プロットは「ろくでもねえ俺だけど頑張ろうと思う、でも頑張れなかったりする。でも頑張るから、、、頑張るから、、、」という感じ。決意表明して、終わり。みたいなダメな野郎の話。「彼ら」とは少年時代自分たちであったり、暴走族だったりする。「彼ら」のまぶしさを語り、「彼ら」のまぶしさを直視できない自分を語り、

何よりも激しい光で 何よりも激しい爆発音で 何よりも激しいスピードで 何よりも激しく刻み込まれるその一瞬に 少年花火 夏の夜に咲く 少年花火 夏の夜に散る

と続き、曲は終わる。

松本人志が「認められていない才能」として自身の映画に抜擢したのは野弧禅のボーカル。こんな歌詞をかける人間が認められていないのが不思議でもあり、こんな歌詞を書いてしま人間が認められないのも当たり前か、とも思う。

cosMo(暴走P)

ここはきっとゴミ箱かな

素人の、あるいは、素人みたいなプロの作った歌詞は一様に陳腐で、よく使われる言葉並べ替えているものばかりのように思う。母親感謝しまくりのジャパニーズラップや何かを探しすぎなジャパニーズポップス(洋楽は知らないのでジャパニーズと限定しておく)などが素人みたいなプロ歌詞の代表例。ニコ動であげられている楽曲ほとんどはこれと似た水準で、はいはいよかったね、としか思えないことが多い。よく「歌詞号泣した」とかの評判のボカロ曲を聴くが、泣いたことはなかった。この泣き虫な俺でも、一度も泣いたことはなかった。

初音ミクの消失も同様で、相当ハードルがあがった状態で聞くことになった。そしていつもの通り陳腐歌詞が続く。早口で歌わせるのは結構面白いなと思いつつ、まぁいつもの誰でも書ける歌詞だな、と思っていた。

謝らなければなりません。ここはきっとゴミ箱かなという歌詞が、この曲を陳腐でありふれた曲とは明らかに別次元に連れて行っている。不幸にも(?)人格を持ったデータが捨てられていく悲哀をこれほどうまく表現できるのは、作詞者に無二の才能がある証拠だと思う。

スガシカオ

僕は夢を描いて 破り捨てては描いて

スガシカオが好きなんだ、というと「歌詞がいいよね」と言われる。もうこれはテンプレみたいにそう言われる。多くの人は「夜空の向こう」を頭に浮かべて、そう言うのだと思う。確かに夜空の向こうは素晴らしい歌詞(ストーリー)を持った名曲だと思う。ただ、スガシカオの紡ぐ優れたストーリーはそれだけではない。彼の楽曲の多くにおいて、優れたストーリー存在している。

聞いていい? 僕は今 うまくやれていますか?

スガシカオの曲は野弧禅の曲と似たストーリーではあるが、もう少し前向き。後悔もなければ、決意表明もない、ただただ自分が頑張る理由を見つけた、と。夢を描き、それに向かって走っている最中は常に不安と共にある。夢破れても、それでも頑張る理由がある。だから頑張る。そんな曲。

鬼束ちひろ

優しいものは とても怖いから 泣いてしまう あなたは優しいか

古くから彼女のファンには残念な現状はさておき、鬼束ちひろも心に残る歌詞を書くことで(僕の中では)定評がある。中でも、わたしとワルツを、は絶対に彼女以外にでは紡げないストーリーではないかと思うくらい、暗く、悲しく、優しい歌だ。

誰にも傷がつかないようにと 一人でなんて踊らないで どうか私とワルツを・・・

この(おそらく)男性は優しいのではないのは明らかだ。少なくとも僕の中で映像化されている「あなた」は優しくない。人に迷惑をかけてしまうかもしれない、という思考から抜け出せない、自信がなく、臆病なだけの男。「わたし」は「あなた」の臆病なところをわかっていて、その弱さに気を遣いつつ、二人でワルツを踊ろうと提案する女性。「わたし」が「あなた」のことを異性として好きなのかどうかはわからないが、好意の有無にかかわらず、「あなた」の弱さに気を遣いつつ、「あなた」の希望を叶えてあげようとする「わたし」の優しさに感動する曲が、「わたしとワルツを」なんだと思う。

書けないよね、この歌詞

スピッツ

殺してしまえばいいとも思ったけれど 君に似た夏の魔物に会いたかった 会いたかった 会いたかった

スピッツ歌詞と言えば抽象的なモノが多く、聞き手が勝手ストーリーをこさえる余地を残してくれている。それは嬉しいことでもあり、悲しいことでもある。

この「夏の魔物」が何なのかは諸説あるが、「子供を養うことができない未成年の男女が子供を作ってしまい、中絶しようかとも思ったが、結局生むことにした。でも、流産してしまった」というストーリーにおける「流産してしまった子供」説が最有力。僕もこの説を支持していて、そんなストーリーを想いながら聞くと、泣けてしまう。

会いたかった、が3連呼されている曲は他にもあるが、その奥にある感情の起伏や辛すぎる現実を想起させるこの歌詞は、間違いなく心に残る。



他にも優れた歌詞(ストーリー)をもつ曲はたくさんある。だが今まで聞いてきた曲の数を考えると、やはり希少であることは間違いない。とりあえず、満足したので投稿する。こんな糞文章を読んでくれてありがとうございました。

2011-06-20

性癖の話

 自分性癖が特殊で理解されないことに一定の優越を覚えるのは青春時代普遍的な志向の一つだが、24になっても未だ同志を得ない自分性癖は恐らく変わっているのだと思う。私はスカンクが好きだ。臭い液をぶっかけられて悶え苦しみ、吐き散らして尚臭味の取れない強烈な奴を想像し、一人でマスを掻くのが好きだ。

 おならフェチだのスカトロだのには息子がなかなか反応しない。屁だ、臭いものだと思い込めばやってやれなくもないが、どうもしっくりこない。スカンク娘というジャンルには若干反応するものもあれど、それもやはりスカンクの模倣として捉えて初めて自分の裡に興奮を引き起こす。気づいたのは小学生の頃だったが、未だ人に打ち明けられずにいる。到底理解され得ぬ性癖であることは承知で、周りのギラギラした男達のAV談義に水をさす気にもなれなかったから。

 想像であることが大きな価値を生んでいる。別段、アメリカに渡って本物のスカンクの悪臭を味わいたい訳ではない。体験してみればか細い妄想が瓦解しかねないし、もしかしたら妄想に色を添える事象になるかもしれないけれど、思考の対岸の、触れ得ぬ聖域から臭ってきてほしいと思うのだ。妄撮も、本番なしの風俗も、パンチラも、いずれも巧妙に向こう岸を見遣って悦に至るものだろう。そのくらいは分かる。本物との邂逅など野暮なものだ。

 人並みの恋愛をしてみても、当然至る性行為に当たってみても、スカンクの幻影が消えない。正面切って女性と、あるいは男性と向かい合ってみれば忽ちコンプレックスも氷解し、真っ当な人間になれるものだと信じたこともあった。しか現実は、後背位で動く女や男の尻の穴からスカンクの臭腺を想起し、そこから殆ど擬似的に放たれるメチルメルカプタンに悶絶する自分を以て性的興奮を起こらしめるばかりで、事が終わって彼女や彼の頭を撫でていても恐らく人と自分の思うことは違うのだという乾いた絶望感に襲われるほかなかった。

 最近暇が出来たので、図書館を巡ってスカンクに関する文献を蒐集するようになった。コピーを取り、スキャンをし、ネットでは得られないスカンクの臭液に関する情報を集め、タグ付けをし、一日の終わりにそれらを眺めてマスを掻くようになった。少年時代に何度もお世話になった動物のひみつ新訂版の擬人化されたスカンクや、シートン動物記スカンクの社交術に記載されたメリアム氏の少年時代経験(臭液をまともに顔にかけられた話)やコンウェー氏の元に来た少年が臭液を嗅いで失神した話や、学研知育ずかんのなぜなぜどうぶつととり(つづき)にある、「スカンクおならはほんとうにくさいの」というページにあった親向けの解説など、忘れもしない文字列イラストが起こす興奮は得も言われぬものだった。

 17の頃から、臭いということそのものへの興奮を見出すことで、一般的な性指向に自信を帰依させたいと願うように成り、その試みは半分成功し、人にはにおいフェチなのだと言い張ることが出来、それは自尊心を保つのにたいそう役立った。しか現実はそのまま放っておいてはくれず、においフェチとしての自分が確たるものとして存在するに従って、呼応するようにスカンクの臭液への憧れはいっそう激しさを増していった。

 ネットで自由に情報を収集出来るようになったことは、自分性癖を満たす有用な道具を自身に与えると同時に、自分の肩身狭さを客観的な指標として与える恐怖そのものでもあった。例えば英語にある程度堪能になったことでJustin CourterのSKUNKに出会えたし、勿論YouTube海外テレビ番組からスカンクの動く姿を、臭液の噴射する様を、噴射された人間が悶え苦しむ姿も現実の物として与えてくれた。ここに至っても自分の求めるものは仮想的なスカンクの臭液であり、現実の臭いという具体的な形を伴った物として自身が体感したいとは思えず、ある日はそれを矛盾として捉え自身を苛み、またある日はそれを合理として捉え自身を確固足らしめた。

 そんな中、どうやら匂いを体感出来るスピーカープリンターのような機器がその内出るかもしれないという情報を目にし、ひどく困惑することとなった。紛れもなく現実の臭いでありながら、メディアを通して体感する擬似的な臭いに対し、自身の立つべポジションが、自身を納得させる論法が分からなくなったのだ。体験してみて判断すればいい、行動してみて思考すればいいという言葉は的を射ていない。ひどく感覚的な、あるいは妄想的な、仮想の情熱にその端を発する私の性癖は、いつの間にか、体験したときに終わり、触れてしまえば崩れ落ち、嗅いでみれば全滅的な嘔吐感を催す、ある種自身の終焉として認識されるようになっていたから、そのような装置があってはならない、あっても普及してはならない、嗅いでやるものかと、先の見えぬ義務感を私の中に植え付けた。

 スカンクは臭い。おならと呼ばれる物はガスではなく液体。臭いの主成分たるメチルメルカプタン都市ガスの匂いづけに用いられる物質。臭腺から噴射される液体はたんぱく質と結合しやすく、目に入ると一時的な失明を引き起こし、その臭いは風向きによっては1km四方前後に届く。マダラスカンク逆立ちをし、そのディスプレイが成功しなければ両足を下ろし、臭液を敵の顔目掛け、機関銃の掃射のように左右へ少しブレさせながら噴射する。

 これらのいずれもが、私の息子をいきり立たせ、射精に至らせ、日常生活人格形成に支障をきたす。自分子どもが出来ても、あらゆる方法を以てこの性癖が受け継がれることを防ぎたい。自身のように、そういった話を完全にシャットアウトされ、無菌室のような環境で育てられるようにするでもなく、潤沢にそういった図書を部屋に据えるでもなく、極めて自然に。自分子どもには普通であってほしいと願う親の気持ちを、こうした角度からも汲み取れるのだなとふと思い至った。

2011-06-14

ガンダムシリーズ最新作 「機動戦士ガンダム LEVEL5」

ガンダム新作が発表されて、「ガンダムじゃない」感をひしひしと感じた。

今後の発表や本放送で感想が大いに変わることはありえるが、ひとまず現時点では、ガンダムである必要性を全く感じられない。

なぜか。



まりにも「レベルファイブ」すぎるからだ。



等身の低い丸っこいキャラデザ、三世代に渡るストーリー展開、オモチャしか見えないガンダムデザイン

全てレベルファイブの作品で見たことがある、というかもうぶっちゃけこれ、イナズマイレブンベースダンボール戦機メカ要素取り込んだだけだろ!としか思えない。

全てにおいて突っ込みどころ満載だが、個人的には、三世代ネタを出してきたところが最も気になった。



そもそもガンダムの主人公は、親子、というか家族概念希薄な人が多い。

アムロカミーユは親が仕事優先で放置されがちな少年時代だし、ロランやヒイロは出自不明。

ガロードとシンは戦災孤児、親を殺して自発的に孤児になった刹那というガンダム

キラには親がいるが、全くストーリーには絡んでこない、かなりの透明度。ウッソのところは…他が濃すぎて……

とりあえず、ガンダムの主人公はそのほとんどが、帰るべき家・家族を持たない「孤独少年である



ただ、自分の知る限り唯一、孤独少年じゃない主人公のガンダムがある。

Gガンダム」だ。

ガンダムファンの高年齢化問題」と「小学生層の取り込み」を実現させるために、設定を大きく変え、「機動戦士ですらなくなったガンダム

ガンダムAGEは、Gガンで挑戦し、一定の効果を得たこの課題に、再挑戦する意思が見える。



そして今のタイミングでこの課題に挑戦するにあたって、こども向けのゲームタイトルで躍進するレベルファイブが関わるのは、ある意味当然のことのようにも思える。

そこまではよかった。



問題は、日野社長が自らシナリオを手がけること。

日野社長経営者として優秀であることは間違いない。

そして、脚本家としてもダメなわけではない。

(王道設定の再構築で成り立ってるから地雷を踏みにくい)

だが、彼はあくまで、レベルファイブ社長

ガンダムに関わっている間、それを捨てて「ガンダムの」ストーリー作家になれるか?



多分無理、絶対無理。



いくら「これまでのファンも大事にします」と言ったところで、既にゲーム発売も予定されている。

そんな状況で、ゲームの都合でストーリーを変えることができる立ち位置社長自らが腰を据えるわけだ。

信用するのは難しい。



何せ日野社長って、会社経営方針的に、ドラクエ二ノ国、そして今回のガンダムと、ブランド力への執着心が半端ない。

そこにきてガンダムAGEは、イナズマイレブンでやり尽くした感が否めない「三世代」ネタを主軸に置くときた。



まり、このガンダムが成功すれば、日野社長は「家族ネタに定評のある構成作家」の地位を確立し、それはそのままレベルファイブブランド力になるのだろう、ということ。



それを前提とすると、先日の発表会は、

「新作ガンダムは、2011年秋までのレベルファイブ作品紹介プレゼン動画です!1年かけて放映するからよろしく!」

…と言っているようにしか見えなくなってくるので、今非常に困っている。

最近ガンダムは文句言いながらもそれ自体も結構楽しめてたけど、今回ばかりは不安100%で楽しめる自信が全くない。






誰か一番いい論破を頼む。切実に。

こんなくだらないことでガンダムを嫌いになりたくない。

2011-02-08

CLANNADは人生」なら「まどか☆マギカ」は・・・?

CLANNADは人生       狼と香辛料経済

Air芸術            .なのは燃えアニメ

Fateは文学           .こじか葛藤

リトバス筋肉         .極上生徒会モラトリアム

鳥の詩は国歌         .ハルヒ感性

SchoolDays神話       ARIA現実

君が望む永遠哲学    すももは楽園

攻殻政治.           Myself;Yourself月9

うたわれるもの日本史A アイマスはわが娘

ひぐらし論理学        初音ミク真実の光

EVA聖典            00教科書

神霊狩音楽          true tears真実

Kanon奇跡           H2O格差社会

ゼロの使い魔国旗      D.C.ダ・カーポ~は純愛

ムリョウは日常          efは旋律

まなびストレート青春     みなみけは食事

砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない社会派ミステリ

東方宗教.          電脳コイルデジタルデバイド

らき☆すた地域振興     けよりな八百屋

sola幻想            グリーングリーン若さ

キノの旅絵本         コードギアス国家

rewriteは嘘           バンブーブレード竹刀

瀬戸嫁は仁義なきたたかい  かんなぎ中古

ストパンノーベル賞     スケッチブック昭和

とらドラリアル         ヨスガノソラシステム

アキカンリサイクル     ムントはファンタジー

5の2は少年時代への回帰  まどか☆マギカは ←New

今のところ自分が推したいのは2つ

  • まどか☆マギカは理由
  • まどか☆マギカは二択

2010-09-06

http://anond.hatelabo.jp/20100905200138

スパルタ人も30過ぎぐらいから嫁もらう仕来たりだった

それはもう義務的な繁殖とか社会維持であって

ほんとうの性愛のドキドキや快楽少年時代経験するアッー!の方なんだろうな

2010-08-13

男性諸君には痛い話だが

四五年前の少年時代に片方の精巣の形が崩れたのだけど、これは危ないのかな。

物理的な刺激で崩れてしまった。かなりの鈍痛が長引いた。

だけど親に恥ずかしくて言えなくて放置した。それからもたまにあの鈍痛がある。

軽くひょうたん型になってる。精子は出るのだけど…。

泌尿器科行くべきか…。

2010-08-06

http://anond.hatelabo.jp/20100806005916

少年時代理不尽な苦労をさせられると心身症神経症になってメンヘラになりますよ。

他人には優しさよりも不信感と憎悪しか抱けなくなります。

苦労した人間が優しくなれるというのは苦労知らずの人が抱きがちな幻想です。

2010-03-16

がんばれ抵抗軍

スカイネットが「ジョン・コナー」という指揮官がいなければ戦争に勝てそうだから、タイムマシン過去に行ってカレを産む母親ターミネーターで殺してしまおうと考える

その情報をどうやって掴んだか知らんが、ジョンは自分母親を守るために志願した部下を同じ時代に送り、なんとか保護することに成功する

最初の作戦に失敗したスカイネットは、再度最新型のターミネーター少年時代のカレを殺しに過去へ送る

その作戦にもなぜか気付いたジョンが、自分を守るために敵のターミネーターを改造して同じ時代に送り自分を無事保護する



スカイネットてバカ?

フツーの女の子だったサラはT2の時点でスカイネットターミネーター、「審判の日」の予備知識があり、格闘手段や銃器火薬の取り扱いも慣れている

ジョンも母からの指導を受け、銃器PCの扱いに慣れたフツーではない少年に成長している

抵抗軍の重要人物であるジョンやサラを確実に始末したいのなら、スカイネットは前回と同じサラが銃など触ったこともない、ウブな時代か、さらに前のサラの少女時代、または出産前か直後に最新型を送るべきだろう



抵抗軍もバカ?

タイムマシン技術を持っているなら自軍の重要人物を守りに行くのではなく、スカイネット誕生した歴史や考案した人間を徹底的に調べ上げてそいつを全力で始末しに行くべきだ



これでスカイネットターミネーターという存在自体がなくなり2018年の世界平和

めでたしめでたし

2010-02-07

駅の柱にもたれて虚空を睨んでいるおじさんを見ると、その人の心中やこの先のこと、彼の母や父や友人や少年時代を、想像して辛くなる。

寒空の下にかがみ木箱を一つ置き、「くつみがきます」という立て看板を置いて商売をしているおじさんの、下手な字を勉強した時のことや、今の彼の楽しみや、昔の彼の趣味想像して辛くなる。

立て看板を持って雑誌を売っているおじさんの傍を通り過ぎる時、もし財布の中の小銭を彼に渡したら彼の声を聞いてしまうだろう、声を聞いたらきっとすごく後悔するだろうと想像してそっぽを向く。

この時期は毎日辛い。凍死するホームレスニュースを聞くと辛い。自己責任論を聞くと辛い。どうしようもないことが辛い。ささやか幸せという言葉が辛い。不平等が辛い。

できないんじゃなくてしないんだよ、しないからこうなるんだよ、そんな言葉を聞くと辛い。しないことは辛い。努力できない人は辛い。努力しない人は辛い。努力しても報われなかった人は辛い。

生きるって辛い。かわいそうだ。かわいそうだ。かわいそうだ。

憐れで仕方がないんです。悲しいんです。けれど私は悲しむ以上のことをしません。正確に言うとできません。人に同情している私が何か慈善活動的なことをしたら、悲しい気持ちが取り返しのつかないレベルの変化を起こしそうでできないです。

具体的にどんな変化なのかというのは分かりませんが、ただ、私はずっと悲しんで、憐れんで、辛いと思っていなければいけない気がするんです。そしていつか世の中のために死んで、初めて、私の色んな償いが済む気がするんです。

前段階である同情などで手を差し伸べたら、人を見たときの心がちぎれるような感覚がなくなってしまいそうで怖いです。

もうずっと悲しい。悲しい。悲しい。

2009-12-29

ロリコン分類

ロリコンにもいろいろな種類がある。

そのパターンを思いつく限り列挙してみた。

エセ型

 自分に誇るアイデンティティがないので、何らかの個性を身につけようとした挙句ロリコンを選んだタイプ。別に大人でも構わなかったりする。

女性恐怖症型

 大人の女性に何らかの恐怖心やコンプレックスを抱いているが、女性との関わりは欲しいので幼女に興味を示すタイプ

幼稚型

 精神的に大人になれず、少年時代感覚を捨てきれない。恋愛対象が年齢についていかなかったタイプ

げーじゅつ型

 幼女少女の未発達の体つきが美しいとするタイプ。それに芸術的な美を見いだすものも、性欲を見いだすものもいる。女性にも多い(気がする)。

征服欲型

 自身の持つ力があまりに弱く、征服欲と実際の行動が釣り合わないストレス幼女に向けるタイプモラルが足りないと犯罪に走りそう。

ペット

 子供のあどけなさ、無垢さを犬や猫のように愛でるタイプ。大抵の人はそうだが、この場合特にその感情が強い。

庇護欲型

 子供の弱さ、無防備さに惹かれるタイプ。守ってあげたいという気持ちを一方的に持つ。

才能型

 何でか知らんが子供にしか興味がわかない。理由は自分でもわからない。というタイプ先天的

漫画アニメ

 漫画アニメキャラに多く触れることでロリコンになるタイプ三次元ロリは無理、という人も多い。

偶然型

 大人が嫌なわけじゃないが、好きな人がたまたま幼女だったというタイプハンバートハンバート。大半は言い訳である。





足りないのも、被ってるのもあるし、乱雑な感じになってしまった。こういうのもあるよ! という人がいれば指摘して欲しい。

2009-12-15

奴隷の鎖自慢


わたしは小学校読本の中に二宮尊徳少年時代の大書してあったのを覚えている。貧家に人となった尊徳は昼は農作の手伝いをしたり、夜は草鞋を造ったり、おとなのように働きながら、けなげにも独学をつづけて行ったらしい。これはあらゆる立志譚のように---というのはあらゆる通俗小説のように、感激を与えやすい物語である。実際また十五さい足らぬわたしは尊徳の意志に感激すると同時に、尊徳ほど貧家に生まれなかったことを不仕合わせの一つにさえ考えていた。・・・・・・


けれどもこの立志譚は尊徳に名誉を与える代わりに、当然尊徳の両親には不名誉を与える物語である。彼らは尊徳の教育に寸毫の便宜をも与えなかった。いや、むしろ与えたものは障碍ばかりだったくらいである。これは両親たる責任上、明らかに恥辱と言わなければならぬ。しかしわれわれの両親や教師は無邪気にもこの事実を忘れている。尊徳の両親は酒飲みでもあるいはまた博奕打ちでもよい。問題はただ尊徳である。どういう艱難辛苦をしても独学を廃さなかった尊徳である。われわれ少年は尊徳のように勇猛の志を養わなければならぬ。


わたしは彼らの利己主義に驚嘆に近いものを感じている。なるほど彼らには尊徳のように下男をも兼ねる少年は都合のいい息子に違いない。のみならず後年声誉を博し、大いに父母の名を顕わしたりするのは好都合の上にも好都合である。しかし十五歳に足らぬわたしは尊徳の意気に感激すると同時に、尊徳ほど貧家に生まれなかったことを不仕合わせの一つにさえ考えていた。ちょうど鎖につながれた奴隷のもっと太い鎖をほしがるように。




芥川龍之介 「侏儒の言葉二宮尊徳の項目より

2009-12-12

http://anond.hatelabo.jp/20091212005245

少年時代が悲惨だっただけじゃなく、大人になってもそれを克服できてなくてルサンチマン(笑)を溜め込んでるってことだぜ。

哀れみを通り越してどうしていいかわからなくなるよ。

30人30一脚が気にくわねえってだけのことに無理やり理由をこじつけた糞くだらないエントリーが大量の賛同ブクマを集めるあたり

はてなーがどういう少年時代をすごしてたかが垣間見えて目頭が熱くなる。

2009-11-22

増田で書くのもなんだが非もてってまじきめえよな

子供たちをなんで性欲の対象として見れるのかがわからん

頭おかしいんじゃね?

いや、むしろ少年時代もてなかった恨みだろうなとか、逆にかわいそうに思えてくるな

長々とすまんが、結局何が言いたいのかっつーと

デリヘルで当たり引いた日は賢者モードになれるってことです

2009-11-15

http://anond.hatelabo.jp/20091115093011

原文

Some of you may be aware that when I was a young boy, my mother brought me to Kamakura, where I looked up at that centuries-old symbol of peace and tranquility -- the great bronze Amida Buddha.  And as a child, I was more focused on the matcha ice cream. (Laughter.) 

毎日

子供のころ、母親鎌倉へ連れていってくれた。何世紀もの間、平和静寂の象徴であり続けた大仏を そのとき見上げたのだが、子供だった私は抹茶アイスクリームへの関心の方が強かった。

朝日

知っている人もいるかもしれないが、少年時代、母に連れられて鎌倉を訪れ、平和や静けさをたたえた大仏 を見上げた。子供の私は抹茶アイスクリームにより魅せられた。

読売

ご存じの方もいるだろうが、幼い頃、母が私を鎌倉に連れてきたことがある。何世紀にもわたり平和静寂の象徴だった巨大な青銅大仏を見上げたものだ。ただ、子どもだった私は、抹茶アイスの方に夢中だったのだが(笑い)。

毎日翻訳下手・・・

2009-09-21

http://anond.hatelabo.jp/20090921201400

まあその桑田の一意見だが読んでみてくれ。

http://kuwata-masumi.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-ea9b.html

日本中、何百というチームを見てきたけど、

子供達を怒鳴り散らしている指導者ばかり。

怒鳴らないと理解してもらえないほど、私には指導力がないんですと、

周りに言っているようなもんだよね。

そんなことも、わからないのかね?

恥ずかしいというか、あまりにもひどすぎるよね。

そりゃぁ、叱らなければいけない時もあるよ。

でも、試合中、練習中、最初から最後まで、怒鳴ることないよね。

その情熱は、素晴らしいと思うんだけど、方向が間違っているよね。

それだけ情熱があるのなら、もっと勉強して知識を身につけるべきだよね。

もっと怖いのが、知識はあるけど、その知識を間違って使っている指導者だよね。

投げ込み、打ち込み、走り込み。

すべて迷信です。

「気が付いてください」

昔を思い出してください。

投げ込みして、何が溜まりましたか?

走り込みして、何が溜まりましたか?

打ち込みをして、どうでしたか?

溜まったのは、疲労だけではないですか?

少年時代、練習に行って殴られなかった日は無いくらい、怒られ殴られた。

朝から晩まで練習するのが当たり前の時代、

真夏でも水を飲めなかった時代だ。

耐え切れず、トイレの水や雨上がりにできた水溜りの水を飲んだ経験もある。

甲子園でプレーさせて頂き、ジャイアンツで、そしてメジャーでも投げさせて頂き、

野球というものを、ある程度は、熟知していると思う。

そんな経験をしてきた僕が、今の日本野球指導者にお願いしたいことです。

厳しい言い方かもしれないけど、

「気が付いてください」「気付いてください」よ。

自分に甘くそして、優しく、子供達に厳しい指導者は要らないですよ。

たばこを吸いながら、ミーティングをするのは止めて下さいよ。

練習中に、煙草すら我慢できない弱い人に、何が指導できるんですか?

昼食に、ビールなど、アルコールを飲んで練習するのはよくないですよ。

夜まで、アルコールを我慢できない自分に甘い人が、子供達に何を指導するんですか?

不思議ですよね?

子供達を指導する前に、誰かに指導してもらってください。

http://anond.hatelabo.jp/20090920224646

やたら増田に肯定的な人が多いな、気持ち悪い。イチローだって小学生時代は何度も度突かれて度突かれて大きくなってんだが?

少年時代にこういう野球クラブに属してたから言えるけど、少年が泣いてる内容って割と単純だぞ、「素振りが辛い」とか「練習試合中だけど帰りたい」とか平気で言う奴がたまに居るんだよ。まさにお前ら。

2009-06-16

NOAHだけはガチ」の発祥は、いつ、どこだったのだろう。

少年時代ヒーローの一人だった三沢光晴の死がまだ心に圧し掛かっているなかで、ふとタイトルの疑問を覚えた。


2000年6月にノアが旗揚げした後であることは確実なのだが(それ以前に「全日だけはガチ」を見たような気もするけれど)、

ミスター高橋が『流血の魔術 最強の演技』を書いた2003年より早い段階で、もう使われていたような気がする。


ニコニコ大百科には

元々は新日ファンが「まさかノアだけはガチだとでも思っている訳?(笑)」見たいな文脈で使ったのが最初

http://dic.nicovideo.jp/a/noah

とあるけれど、結局いつごろのことかはわからなかった。

2009-06-07

部屋にポスターを貼ればよかった

28歳。サラリーマン。僕の住む家の近くに、こんな家がある。

クリーム色の外壁は雨風で薄汚れていて、玄関のドアは新しくペンキで塗りつけられたのか、光沢ある深緑色。家の前に止めているのは鍵の壊れた「チャリ」と、よくわからないシールが貼られたヤマハジョグ

夏になればその家の2階の窓は開け放たれていて、日本パンクバンドの歌声が聞こえてくる。多分ipodとかではなくCDラジカセとかから鳴っているに違いない。会社からの帰り道中学生高校生男の子が、その家の前でうんこ座りをしているのをよく見る。前を通る度、ちょっと緊張する。

今夜、その家の前を通りがかったとき、中の様子が望めた。漫画が中心の本棚の上に地球儀が乗っていて、その横には有名らしい海外サッカー選手ポスターが貼ってあった。


それを見て、友達の家には必ずポスターが貼ってあったことを思い出した。やはり有名なサッカー選手だったり、ヴィジュアル系バンドであったり、グラビアアイドルであったりした。


子供の頃、友達の家に行くのが楽しみで、他人の家のニオイが好きだった。学校で会う友人とは違う一面を見ているような気がしていた。そして、自分実家の部屋には何も貼っていなかったことも思い出した。


なぜ僕は自分の部屋にポスターを貼らなかったのだろう?


それなりに少年時代は好きなバンドマンガ小説なんかがあって、それを幼稚なパーソナリティの源泉にしていた。むしろ、マイナー海外バンドインタビュー記事から、自分人生訓を見出していた典型的中学二年生だったと思う。


なのに、僕はそれらのポスターを貼らなかった。別に小奇麗な部屋でもなかったし、画鋲の穴を気にするような性質でもなかったのに。


さっきの家を通り過ぎて、オリジン弁当を買いにいく道すがら、ずっと考えていた。店について、紅鮭弁当を注文して、弁当が出来上がるまでにひとつの答えを出してみた。



どんなポスターだって、親の目には触れるし、家に呼んだ友達も見るかもしれない。何より毎日、自分がそのポスターを眺めることで、「自分はこれが好きなのだ」と言い聞かせることになる。好きなものを好きだと表明することは覚悟がいるのだ。


何者かになると言うことは、その覚悟をするということだったんじゃないか?その覚悟とのギャップを埋めるために、努力することだったんじゃないか?


満足とも不満足とも言えない今のサラリーマン生活から、ふと出した答えだった。


僕はポスターを貼らなかった。剥がしたくなるようなポスターもない。紅鮭の皮を剥がしながら、この事は忘れないでおこうと思った。

2009-05-03

ピアノが僕らを引き裂いた話

http://anond.hatelabo.jp/20090501205227

先日、高校同窓会があったようだ。

密かに見ている当時のクラスメイトmixiで知った。

イタリアにいる僕は参加できないし、おそらく日本にいたとしても参加していないだろう。

今の地位を築くために失ってきたもの、それが僕の少年時代だった。




両親が音楽家だったせいもあり、当然のようにクラシックかかる家で、幼稚園に入る頃にはピアノを習わされた。

幼稚園の頃は、音が出るだけで楽しかった。

うまく弾ければ先生がほめてくれたし、発表会でステージにあがるのは、「大人」になった気分で、

ものすごく緊張したけど、そこで弾くピアノは最高に気持ちが良かった。

真っ暗なステージ

スポットライトを浴びて、ステージ中央のピアノへ向かう。

いつもよりもいいピアノで、当時の僕でも分かるくらい音が違った。

僕の原点はたぶん幼稚園時代の発表会だ。

あの時の快感が忘れられなくて、今でもピアノを弾いている。




ただ、小学校に入ってからはそうもいかなかった。

友達が遊んでいる中、僕はひたすらピアノの練習をしていた。

ファミコンなんてしたことがない。

ドラゴンクエスト、というのが流行っているというのは知っていた。

親に今度の発表会で金賞を取ったらドラクエ3を買ってとおねだりしたら、思いっきりぶたれたのを覚えている。

テレビゲームで遊んでるヒマがあったら、ピアノを弾きなさい。

頭の中が真っ白になった。

でも、ピアノを弾いて見返すしかないと、ひたすら練習に励んだ。

ピアノピアノピアノ

クラスメイトの話題について行けず、ピアノをやっていると言ったら、「男なのにピアノやってるの?」と思い切り笑われた。

それ以来、僕は人にピアノのことを話すのはやめた。

たぶん、僕はピアノを最も愛しながら、ピアノを最も憎んでいた。




今でも忘れられないのが、高校3年の時の文化祭だ。

出し物の都合でピアノを弾ける人が必要になった。

「誰かピアノを弾いてくれませんか?」

文化祭実行委員が立候補をを募る中、僕は手を挙げようか挙げまいか迷っていた。

当然のように、僕はピアノをやっていることを誰にも話していなかった。

相変わらずゲームのひとつもせずに、ピアノ一色の生活だった。

マンガドラマゲーム、みんなの会話に何一つついて行けず、かといって勉強運動が出来るわけでもなく、

いてもいなくてもわからないような存在

ピアノがなければ、僕は何も出来ない男だった。




ピアノさえなければ。

ずっとそう恨んできたが、その時、初めてピアノが役に立つと思った。

最後の文化祭

言い方は悪いが、普段の練習からすれば、たいした曲ではないだろう。

それでも僕がみんなの役に立てる唯一の機会。

ピアノが僕をクラスメイトから遠ざけてきたけど、今、初めてピアノが僕とクラスメイトを結びつけようとしている。



手を挙げかけた瞬間、小さな声がした。

もう名前も覚えていない、僕と同じように地味な女子だった。

意外な立候補に周囲がざわめいた。

「○○ってピアノやってたっけ?」

「あいつにできるの?」

それでも彼女は、震える手を下げようとしなかった。

僕の居場所は、なかった。




文化祭は大成功だった。

受験も控えた文化祭で、はじめはあまり乗る気ではなかった人も多かったが、ピアノをろくに弾いたことのない彼女のために、クラスが初めて一丸となった。

元々器用ではない彼女が、いきなりピアノを初めて、うまく弾けるわけがない。

練習中に彼女があまりに弾けなくて「ごめんなさい」と泣き出したこともある。

それでも演奏が出来るパートのみにうまく再編成して、文化祭を成功させた。

僕がピアノを弾かないことで、クラスはまとまったのだ。




その後、僕はとあるコンクールをきっかけに、欧州の楽団からスカウトを受け、

受かっていた大学を蹴って留学することになった。

当然、僕を見送ってくれる人はいなかった。



パソコンを閉じた後、

密かに練習していたものの、

結局一度もみんなの前で弾くことのなかった高校の校歌を、

一人、奏でた。



:::追記:::

当然だが、創作だからね。

題名もつけてみた。

元増田(とそのクラスメイト)があんまりにも一方的な怒りを感じていたので、勝手妄想して書いた。

だから、元増田の怒りを踏みにじるつもりはあるw

ピアニスト君は、本当はみんなと一緒にやりたかったかもしれないよ?ってのを、

ラストの練習はしたけど、一度もひかなかった校歌のくだりに託してみたw

当然ピアニスト君の事情はわからないけど、

彼への肯定的な想像力があってもいいんじゃないかと思う。

したことにせよ、しなかったことにせよ、相手の決断を尊重できる人でありたいもんだね。

2009-04-24

親に愛されなかった(かもしれない)イエス・キリスト

先日見た舞台パンフレットで

キリストの処刑を見守りながらただ涙を流すだけだったマリアは冷たい。

母親なら自分で身代わりになっても止めようとするのではないか」という趣旨記述があった。

無茶を言うなぁと思いながらも、どこか説得力を感じたのは

イエス子供の時、神殿神童ぶりを発揮しているのを見て

マリア違和感を覚えた(大意)』といったエピソードを思い出したからだ。

(詳しくは各自がどっかで確認するように;ルカ記2章41節あたりから)

ヨセフにしてみれば、自分子供ではないことがはっきりしているし、

血を分けた子は他にも沢山いるとなれば、そちらに感情移入もしてしまうだろう。

そして唯一つながりを持つマリアまで、こんな状態だとしたら

イエス・キリスト少年時代は、親の愛情に満たされていたとは

とても言えない状態だったのかもしれない。

だとしたら、真綿にくるまれて育った幸福王子釈迦とは

実に対照的なのだが、

どうして二人とも、同じようなルートを歩むことになったのやら。

2009-03-26

そろそろ WBC について一言いっとくか

全試合観てないから、一部だけだけど。

気になった点だけ書くよ。

 

(1)キム・グァンヒョンのスライダーリリースで分かる

5試合あった日韓戦の第1戦の韓国の先発は、

若手の左腕キム・グァンヒョンだったわけだけど、

スライダーを狙い打ちされた」みたいな話になっていた。

これは、確かにそうなんだけど、付け加えると、

神宮の投球練習をテレビで見て思ったのだけど、

彼はリリーススライダーだとわかってしまう部分があった。

 

(2)イチロー小笠原は速球が打てなくなっている

小笠原の方がはっきりしてたけど、速球についていけてない。

たぶん目の問題。筋力的な問題はないと思う。

イチロー小笠原も同じ1973年生まれの35歳。

シーズン序盤のピッチャーが調子のいい時期に打てるかどうか不安

 

(3)日本野球の強さはアマ野球の強さ

キューバ戦(第1戦)で、松坂がわざと逆球を投げたみたいな報道があったけど、

ああいう細かい芸は、日本プロになるような選手

少年野球時代から仕込まれている。

気付いている人もいると思うけど、

三振した打者がネクストバッターサークルにいる打者に

球種や球のキレの報告をしているが、

野球をやっていない人には分からないと思うけど、

アレもクセみたいなもので、少年時代から仕込まれている。

打者がテンポを崩すのにタイムを要求するのも、仕込みである。

 

こういった細かい芸が日本の強さになっており、

前にサッカー界隈でマリーシアの話が出たけども、

そういう意味では日本野球マリーシア権化である。

 

そりゃ新渡戸稲造先生も「野球は賤技なり。剛勇の気なし。」と言っちゃいますよ。

野球という遊戯は悪く言えば巾着きりの遊戯、対手を常にペテンに掛けよう、計略に陥れようベースを盗もうなどと眼を四方八方に配り、神経を鋭くしてやる遊びである。ゆえに米人には適するが英人や独人には決してできない。野球は賤技なり。剛勇の気なし。

http://www.kusamado.com/contents/1911.html

ちなみに、野球害毒論というのは今の朝日新聞が行ったアンチ野球キャンペーンで、

今となっては“どの口がそれを言う”なんだけども、

ちょうど甲子園やっているけど、試合前に整列して礼をしたり、

過剰に美談を作り出したりするのも、

野球害毒論キャンペーンをやった手前、

教育的意義を盛り込まざるを得なかった朝日新聞アレなんだよね。

あまり書くと・・・あ、あれ、お昼なのに誰かきt(ry

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