はてなキーワード: 生物とは
その村は、実に奇妙な村だった。
おおよそ布と呼べぬようなボロきれを最低限、身にまとう格好で生活し、浅黒な肌は古来の原住民を思わせ、ぱちりとした大きな目と背の高い鼻は相手を威嚇するようであった。
こうした彼らアングロサクソン系に属さぬ種族の暮らす集落は、全体の人数はおおよそで百人前後。
森林に囲まれた場所に集落を築き、たいして大きな村とも言えず、互いの顔を知り合い、共存して暮らしている。
まさに一個の家族、巨大な集合体のようなもので、かれらは時計的時間に暮らさず、出来事時間によって生活をする。
つまり村のF氏と午前11時に会う約束をするならば、「11時に会おう」と言うのではなく「子牛を散歩に連れ出す時間に会おう」という必要があった。
尤も、11時ならば彼は散歩に行くので会えないことにはなるだろう。
然しこうした出来事時間を持つ社会的集団は少なくなく、それはむしろ、急激に進歩を遂げた我々とて同じ。
以前、といっても数百年ほども前だが、とにかくそのころは我々先進国であろうと正確な時計は持たず、正確な時刻を知らずに暮らしていた。
故に、時間、というものは絶対的なものに成り得ず相対的であり、さらには個人的。
各町、各村によって時間は異なり、時計がずれている事さえも常識であった。
だからこの町が奇妙だと、
そう評するのは何も、こうした出来事時間に添って暮らすためではない。
彼らは我々との認識が、著しく異なっていたのだ。
そう、”死”に対する認識が。
彼らは”死”を恐れない。
いいや、そうではなく、むしろ彼らは”死”を喜んで受け入れるのだ。
まるでそれが大層めでたい事のように。
その事に気付いたのは、滞在三日目の朝だった。
日の高さが頂点付近にまで登り詰めた頃に起床すると、いつもと違う雰囲気に戸惑い、太鼓の音などが聞こえ、辺りには明るい民謡のような、陽気な歌声が響いて回った。
それからテントのような簡易的な宿を出ると、村の人々はみな笑顔で、子供などは小躍りしている。
「なにごとかね?」
するとその男は「ああ、あの家あるだろ」といって軒先の一軒を指差し、あそこの爺さんが、雄鶏の鳴く頃に死んだんだ、と私に言った。
満面の笑みでだ!
私は奇妙に思い、「どうしてみな笑い、騒いでいるのだ?」と訊ねた。
すると男は不審者を見るような視線を私に向け、「めでたいからに決まってるだろう!」と言った。
私はますます分からなくなって困惑したが、同時に彼らの習慣にえらく興味が沸いては、滞在予定の一週間を変更し、長期に渡って居続けよう、という気になった。
彼らが何故 ”死” を祝福し、そして恐れないのか。
そもそも、私が間違っていたのだ。
”死”は恐れるものではなかった。
私は彼らに訊いた。
「どうして”死”がめでたいのか?」と。
すると彼らの一人は笑顔でこう言った。
私は人間だ。
そして、私は既に死んでいたのだ。
それだけに過ぎない。
片割れの私は既に死んでいて。その死んだ片割れこそが ”死” だったのだ。
もしこれまでの私と今の私とに違いがあるのだとすれば、それはその事に気付いているかどうかの違いに過ぎない。
私は教わった。
誰もが、いや、どの生物も、不完全で生きてるのだということを。
それは半身が欠けているからであり、人間なる生き物は、そうしてかけた半身に
”死”
という名前をつけたのだ。
誰もが死を恐れながら、死に惹かれ、死に関して興味を示すのは無理もないこと。
理由が分ければ明白で、それは自分を求めていての行動だったのだ。
誰もが自分のかけらを求める。
それはそうだ。
すべてのことを。
私の半身、それが持つ、きおくのかけらは、いのちのかけらなのだ。
今の私は好意的に ”死” を向い入れよう。
いいや、これでは言い方が適切でない。
”自分”
を受け入れる。
ただそれだけのことだ。
私は枝木のように細まった腕を床で十分に見つめた後、ゆっくり目を閉じる。
やあ、こんにちわ。
そんなふうに声をかけて、
そんなふうに思いながら、
私は安らかな表情をして、意識を失った。
フェミがよく言ってるの見るんだけど、それってあんまり罰にならない可能性ない?って思うの俺だけ?
人間含むオスの生物が去勢されると、キンタマがなくなって生殖行為をしたいという欲が無くなると聞いた事がある。だから、食欲がないときに飯抜きにされてもダメージがないように、そもそもの欲自体が無くなるなら去勢された事を悔やむ気持ちって湧くもんなのかなという疑問がある。
同じように、フェミが去勢しろ論を唱えるとき、性被害で妊娠させられる被害女性が出ないようにというのは理解できるんだが「去勢されて機能失って苦しめばいい」って言い方についても「欲がないから苦しまないんじゃないの?」という疑問を持たされる。
どっちかというと溜まってるのに何日も発散できない状況の方が身をもってつらい事が想像できるから、出来るのかは知らんがそんなに罰として苦しませたいのであればチンコだけを除去してキンタマは残ってる(生殖行為をしたくなるホルモンを出す機能は残す)状態にされる方がきついんじゃないんか?と思うんだがどうなんだろう。
親がいて、惚れた男やら女がいて、友人がいて、好きな食べ物や趣味があって、誰かを助けたり助けられたり、つらいことがありながら日々仕事をがんばっていたり、夢を叶える為に挑戦していたり
お前らが豚って呼んでるのは、そう言う奴らやぞ
人間やぞ
これがただ記号としての「人間」って意味やないことくらいは想像しろよ
どの立場でモノ言ってんのかしらねぇけど、豚扱いなんてそう簡単にしていい奴らじゃねぇんだよ
なんでお前がこの言葉好きかっていうとな、本当に世の中の為に言ってるわけじゃないんだよ
お前は、お前が「気にいらねぇなぁ」って見下してる奴らに、豚って言いたいから、コレを言うんだよ
で、自分の立場やら相手の立場やらなんやら、そう言うのひっくるめて、ちょうどよく相手をイラつかせられそうな言葉だから使ってんの
ナイフで刺すか鈍器で殴るかの違いでしかなくて、ともかくお前は相手を傷つけてぇんだよ
お前が言いたいのは「肉屋を支持する」の部分じゃなくて、他人を「豚」と呼ぶことなんだよ
コレはぜってーーー当たってると思うぜ
豚は本来綺麗好きで頭が良い生物で〜とか言い出す馬鹿テメェはなんもわかってねぇ黙ってろ
んでもって、そんなお前はああしろこうしろ世の中はこう変えた方がいいって言ってるわけだけど、そんな下卑た輩が喜ぶ世界なんて、そっちの方がよっぽど地獄なんだよ
お前らみたいのは1番口を開いちゃいけねぇ人種だわ
ゆうて、『頭が悪くても日本の日常生活で何も困らない、なんなら日本の平均以上貰うの余裕で可能』、
たとえ頭が悪いが障害のニュアンス(知的障害等)も含むものだったとしても、
『作業所ではなくフツーに正規雇用で働いて暮らしてる。なんなら障害に無自覚なこともある』って言っても、増田は納得せんじゃん?
根本的な原因は、増田が親から無条件でありのままを肯定してもらえなかった、親から条件付きの愛情しか与えられられなかったことだと思うけど、
そもそも自我や自由意志なんてものは科学的根拠がないもの*1だから、自分で自己肯定しちゃっていいって言っても、それも出来ないっていうじゃん?
多くの神経科学者や哲学者は、生物学や神経学の進歩を踏まえつつ、
自由意志が完全に自律的で絶対的に存在するという考えは非常に疑わしいと一般的には考えてる
これは、脳の活動や遺伝子などの要因が個体の行動や意思決定に影響を与えるという科学的な研究結果に基づくものなんだね
つか、古典物理的な視点でも唯物論的視点でも自由意志は存在できない
あと、Natureにも発表されてたけど、
食用として解体された豚に特定の処理することで脳や内臓の反応が戻るので(OrganEx:2022年の実験、BrainEx:2019年の実験)、
必要であれば自由意志、なんなら生命の定義自体をかえるべきだと思うよ
つか、生命と非生命には本質的な違いは無いしね。日本生物物理学会の見解でもこうやで?
『生命システムは複雑ではありますが、非生命の物質と同じ、通常の物質系(原子・分子・イオンなど)からできています。したがって材料的には生命と非生命の物質び本質的違いはありません』そもそも、無機物にも自己組織化という概念がありますし、巨大ウイルスには“免疫”の仕組みがあり、自己と非自己の認識があることが分かってるやんけ
最近話題になってるAIのやつ、「トコジラミ」だと特に何も出なかったけど、「トコジラミ マクロ」だと出てきた。
マクロとは接写の意らしい。多分生物系の人がよく使うワードなんだろう。
@utu_nightfever
意味わかんない
https://twitter.com/utu_nightfever/status/1730874649318465749
これ、
鼻の穴が大きくて三角じゃないと、「可愛い子」の枠内には絶対に入れてもらえないらしい
今までそんなの気にした事もなかったよ…
外から見た鼻の高さや形ならまだしも、下から見た鼻の形にまで正解と不正解があるだなんて。
自分の鼻の穴の形なんて気にした事がなかったけれど、鏡で見たら確かに穴は丸くて小さいし先端中央に肉壁があったわ死にたい
ていうかみんなそうだと思ってたよ
いちいち謎肉と呼ばれるような異常なものだなんて知りたくなかった
やっぱりコロナ関係なく一生マスクは外さないし絶対に子供は産まない…
つくづく思うんだけど、政府は「少子化」を問題視するならば小手先だけの子育て支援なんぞより、国民の間に蔓延するこの厳しすぎるルッキズムに警鐘を鳴らした方がいいと思うんだけどなあ
何周遅れてんだよ。
生物は遺伝子に乗り物として寄生されていて、遺伝子くんが子供を作るように人間の脳をコントロールした結果が「遺伝子を残せてうれしい」という価値観で、脳が発達した人間だけがそのコントロールを客観視できてるの。他の動物や植物は完全にコントロールされていて遺伝子を残すために生きる遺伝子の奴隷として一生を終えていく。
とは言え人間の脳にも個体差があってチンパンジーに近い側から進化の最先端走ってる側まで幅広い。あえて遺伝子の言いなりになっている者もいるが、客観視できずに遺伝子のコントロールを認識できていない増田は前者に近い。遺伝子を残すことが嬉しいという価値観が普遍的なものなのか、普遍的なものだとすれば何故なのかを考えずに、盲目的にそう信じ込んでいる増田は水を求めて入水自殺するハリガネムシに寄生されたハラビロカマキリと同じ。遺伝子くんとしては増田のような原始的な脳みそをしてる人間のほうが都合がいいだろな。
いろんな本を読んで教養を磨こうな
手段の目的化、なんてなんか悪いことみたいに言いますけど、あれですよ、食なんて完全にそうですからね。俺なんて生きるために食べてるなんて感覚ほとんどなくって、食べるために生きてる感じですよ、毎日。服なんかもそうなんちゃいますのん、特にデザインに凝って機能弱まってるやつなんかの手段と目的の本末転倒感たるや、ねえ。でも文化ってそういうもんでしょ、暇つぶしのための無駄創造が文明であり、本能的手段の目的化が文化ですよ。そもそも人間が生きるための手段に対する「目的」って何なん、って話ですよ。個体の少しでも永い生存?少しでも多く子孫を残すための繁殖?だとしたらその「目的」のためにはモラルが邪魔になってくるんちゃいます? 一生治らん傷を負った同種の生物を、寿命迎えるまで群れで守ってやっていた先史時代にはすでに、人間は個体が生きよ産めよ増えよだけを目的化する生物ではなくなってた思うんです。本能なんて呼び起こそうとしてできるもんでもなく、人間は健康を自ら損なう真似をするし、下手したら自分で死ぬし。もうだからええんですよ、生存への手段を目的化して生きてくのが人間、ってことで。「手段が目的化してるぞ!」って偉そうに責められた時にもちょっと考えてみましょや、あれ?でもこれ楽しくない?って。楽しみがそこに見出せてたんなら、全然オッケーでしょ。