はてなキーワード: 呼吸法とは
10年苦しんだ眼の痛みは実は、遅延型アレルギーによるものでした。
遅延型アレルギーは、特定の食物を食べて数時間後から数日間症状が出るというものです。
私の場合は、サトウキビなので砂糖が含まれているものを摂ってから5時間後くらいから症状が出始めて、その後24時間くらい経たないと症状が回復しないです。(アレルギーだと判明してからわかりました)
・目の痛みが無くなった
・肩こり、首こりが無くなった
・本が読めるようになった
・朝早く起きられるようになった
・歯ぎしりしなくなった
・筋肉痛が翌日くるようになった
・嗅覚がかなり敏感になった
・鼻炎が治った
・視界が広くなった
・疲れにくくなった
・呼吸がしやくなった
・集中できるようになった
逆にいうとこれらが10年間症状としてありました。
なぜもっと早く気が付かなったのかと思いますが、症状がはっきりと現れるわけではなく徐々に蝕んでいきます。しかも、砂糖がアレルゲンだと判別するのは困難でした。
症状として一番キツかった目の痛み(眼球をエグリ取り出したいくらい)を解消するべくいろいろな病院へ行きました。
眼精疲労に詳しい眼科病院や大学病院へ行っても、目に異常がないと診断されるばかりでした。
頭痛外来へ行ってCTスキャンをしてもらった時にはストレートネックと診断され筋弛緩剤を処方してもらったりもしました。
首が凝り固まることによって目の奥が痛むトリガーポイントがあることを発見し、胸鎖乳突筋や板状筋や僧帽筋など鍛えるストレッチを毎日行いました。
眼鏡を買い替えたり、呼吸法や歩き方を気にしたり、食べ物を気にしたり・・・
もう一生治らないと思っていましたが、遅延型アレルギーの存在を知りダメ元で検査することにしてみたのです。
検査後にサトウキビ(他にも3つ)がアレルギーだと知り、砂糖除去の生活を始めました。
コンビニ等では、ほとんど砂糖が含まれているのですべて自炊です。
砂糖除去生活を始めて2ヶ月ほど経ちましたが、すっかり上で並べた症状が回復してしまいました。一体10年は何だったのか。(今わかってよかったと思うべきですが)
先の人生に道が開けたのは確かです。
なんか鏡に向かって『お前は誰だ?』って言い続けると気が狂うって都市伝説を想像してると思うけどそれとは違うんで心配しないでいいw
瞑想とかヨガっていうのは自分の体験だとか自己同一性を変容させることだから、もちろん絶対に危険性がないとか、安全とは言えない。
世の中には様々な瞑想法があって例えば激しい呼吸法とか精神の裏側を覗き込むことを目的にするとかマリファナやりながら音楽聞いて瞑想とかはそのリスクが高いと思う。
ここではないどこかへを求めてたヒッピーと瞑想との親和性を考えるとわかりやすい。トリップにはバッドトリップが付き物。
でも、この瞑想法はそういう激しいやり方じゃなく、メジャーな瞑想法でいわゆる宗教的じゃなくて科学的で安全でそれでいて効果があると実体験として思う。
瞑想にはパーリ語でサマタ(高い次元での集中)とヴィパッサナー(洞察、観察)っていう二つのやり方があるけど、
一人でやると危ないのは前者。もちろん、前者にもちゃんとしたやり方はあるんだけど、後者は「あっち側」に行くのを目的にしていない。
というより、その対極で、妄想に気づけってやり方だから、安全だと99.99%言える。
何か認知療法に近いものがあるのではないかなと個人的に思ったら、こういうのがあった。http://www.wikihouse.com/cognitive/index.php?%C7%A7%C3%CE%CE%C5%CB%A1Tips%204
「瞑想」っていう言葉はほとんどの日本人は知っているけど、禅の影響で空だとか「心を無にする」だとかいう漠然とした理解で
東日本の大地震を契機に、「オピニオン」を売り物にしている人たちがやたらとご乱心をして、見当はずれなドヤ顔を晒してしまっているのをたくさん見てしまった。
裏情報によるとあれはどうだとか、オタク文化が成り立たなくなるだとか、わいわいがやがや。
地震と津波の影響で、原発が壊滅的な被害を受けてしまったのは皆さんご存知の通り。計画停電等で関東全体がしわ寄せを受けていたり、東電が原発処理で醜態を晒しつづけているのも周知の事実だ。
そして、今回の事故を受けて、改めて原発の意義やエネルギー問題が議論として浮上してきた。ぜんぜんクリーンじゃないぞとか、作業員への手当がいい加減すぎるとか、放射線の影響はぜんぜんないorけっこうヤバいだとか。しかし、以下の発言のような方向にいってしまうのはどうなんだろう?
今回の異常事態で20世紀を貫いて絶対的な権威だった「科学」そのものが破綻した瞬間を日本社会は味わったのではないかと感じている。自分もその一人。今科学者や技術者が「問題は想定外だったこと。これから大地震にも耐えられる原子炉を設計すればいいまでのことだ」と言ったら…信じる?
死の影を見ず、コンビニエンスに生き、自然界がディズニー表現されている、いたって都合がいい、幼児的な宇宙に住む権利を捨てなければならなくなった。自然に謝って済むものではない。人格を超えた相手は管理できない。人間の「ごっこ」はあまりにも非力だったことがばれた。
呼吸法や坐禅だけでも相当に有効な洞察が得られるかもしれない。コンビニエンス社会はマスコミに意識を委ねるなど他律的な面が強調されるけど、便利さを捨てて自律的なライフスタイルへと徐々に切り替えていくというソリューションもあるかも。風力、太陽光以外に。
(ミュージシャンで作家、フォロワー1万5000人のモーリー・ロバートソンさんのツイート)
この手の「資本主義社会を見直そう」みたいな動きはあちこちで見かける。計画停電で都市機能が大きな影響を受けたが、そもそもこんなに電気を使う社会のほうがおかしいんだ。今の社会にある便利なものは、多くの犠牲に成り立っている。不便を受け入れて健全で質の高い社会を目指そう。
……みたいな意見。
なんだか「スローライフ」だとか「ロハス」だとかいった単語を思い出してしまう。どちらも自然志向のライフスタイルだ。競争に明け暮れるのはやめて、もっと価値のある食事に時間をかけようだとか、科学の発展で本当に価値のある何かを失ってしまっただとか、そんなような。要するに自然回帰。
そこまでいかなくても「経済を縮小させて云々」なんて言い出している人はごまんといる。
今回の原発事故を受けて、何でこんな発想になってしまうんだろう? おそらく、こういう人は元々ここういう考えを持っているんだろう。今回の事故から自然回帰的な発想に至ったんじゃなくて、「資本主義って何か嫌だな」「大事なものを失っているんじゃないか」って日頃から考えていて、安易に原発事故に繋げてしまっているんだ。
事故で問題だったのは津波対策をきちんとしていなかったことと、東電が隠蔽体質を発揮して泥沼に陥ってしまったことだ。そこで考えるべきことは、もっと確実な地震対策、津波対策はないのか、想定の精度をあげるにはどうすればいいのか、隠蔽体質に陥らないようにするにはどうしたらいいか、だ。
私には資本主義がどうこう言い出すのは、答えのだせない大きな話にして逃げてるようにしか思えない。
こういう人は何でもかんでも資本主義反対に繋げちゃって、貧しいアジアを見て「でも、ここには日本人が失ってしまった何かがある」とか言っちゃうのだろう。きみが感傷に耽っている数秒間に、水不足で死んじゃう人が何人もいて、それは科学の力で救えるんだけど。
もちろん、原発の代替案は探っていかなきゃいけない。でも、「昔に戻る」はとても安易な考え方だと思う。私には思考停止に思える。
まず、今回の東日本大震災でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々のお見舞いを心から申し上げます。
次に、僕のスペックです。都内の大学に通う学生(新二年生—ちなみに一浪—)です。所属学部のカリキュラムによって、ほとんどの授業を英語で行って、レポートも英語でたくさん書きました。といっても、僕の英語の能力はだいたいTOEIC700点前後だと思います(TOEICはうけたことがありませんが、学校で受けさせられたテストなどで換算するとこのくらいです)。700点前後なので、あまり大したことは言えた身ではないのですが、英語については昨年度かなり自分でも悩み、考えたし、また、TOEICなどのスコアだけで英語の実力のすべてが測れるとも思っていないので、僭越ながらも英語についての意見を述べさせてもらいます。(ちなみに未だ日本から出たこと無いです)
最後に、書こうと思った動機について。主に二つ。ひとつは、日本人の英語熱が、去年のユニクロ、楽天の英語公用語方針表明から、加熱の一途を辿っていることを受けて、自分—英語が公用語の学部で学んでいる自分—が何か良い意見を述べることができればいいなと思ったから。あとひとつは、自分の英語に関する考えを今の時点で言語化して整理しておきたいという考えがあるからです。
英語学習者の多くは「英語ができるようになりたい」や「英語上達!」などと言います。が、少し待って下さい。その宣言って少し漠然としすぎではないでしょうか。ここで、試しにあなたが今思っているその「英語」に修飾語を二つ付けてみて下さい。例えば、ある会社員の場合は、practicalと businessを足して、”Practical business English” (実践的ビジネス英語) となります。こうすることで、あなたが必要な英語がもっと鮮明になるでしょう。さらに対策だって立てやすくなると思います。子供が語学を身に着けながら成長するときの様に、日常の様々な場面での遍く英語表現を身に着けることは大人には困難です。しかし、範囲をうまく絞れば、そこに特化して勉強することで仕事で困ることが少なくなると思います。
僕は昨年度、英語を話す日本人を数十人ですが見てきましたが、およそ二つのグループに分けることができます。それは、日本語を話すときと同じ感覚で英語を話している人と、英語を話すときは全く別の口の開け方や筋肉の動かし方、さらには呼吸法までする人たちです(帰国子女の方々は幼いころの海外経験の中でこれを自然に身に着けているように思われます)。タピオカドリンクを飲むときは、コーラを飲む時に使うストローじゃ飲めないように、英語を話すときも日本語用の発声方法を脇に置いて、英語用の発声フォーマットで話さなくてはならないのです。先に示した前者の人々はだいたい、声が小さいぼそぼそとしたしゃべり方をします(もちろん発音は滅茶苦茶チョッピーです)。これは、はっきりいって意識の問題だと思います。発音やアクセントの前に態度(attitude)の問題だと思います。
これは上とだいぶ関連があるのですが、英語を真剣に話そうとすると多かれ少なかれ「欧米人っぽさ」や、悪く言えば「ネイティブかぶれ」が現れてしまいます。だが、これらに対して嘲笑したり、からかったりしてはいけないと思うのです。日本人の間で「かぶれ」に見えてしまうことも、英語話者同士では普通の事なのです。だから、間違っても日本人によるつまらない価値観から、その人の外国語に向かおうとする態度を軽蔑してはならないと思います。お互いにとってマイナスにしかなりません。
英語がわからないから話が理解できない、と思ったことがある方。それは本当に英語が問題でしょうか?例えば、去年流行った「ハーバード白熱教室」。この番組はiTunesやYouTubeで無料で見ることができます。僕も、視聴していて三周目も終わろうとしている頃ですが、まだよく理解できているとは思えないです。『これからの「正義」の話をしよう』も、その原著である”Justice-what’s the right thing to do-”も持っていて一通り読みましたが、未だ理解できたという確信がありません。なるほど、「テメエがアホなんだよm9(^Д^)プギャ―」という意見もあるでしょう。しかし、サンデルの授業内容がそれなりに高度なことも事実ではないでしょうか。日本語で聞いたとしてもそれなりに高度なことには変わりません。それをさらに外国語でとなると余計に理解が難しくなってしまいます。自分の英語読解/聴解能力を疑う前に、言語に拘わらずそれを理解できる知的基盤が備わっているか。それをただ「英語が分からない」と悲観する前に、確認する必要があると思います。
某経済評論家などを「達人」と見做している英語学習者は、いつまでたっても英語ができるようにならないと思います、失礼ながら(インタビューもそんなにあてにしちゃいけない)。そもそも、本当に英語できる人間は、日常のほぼ全てのタスクを英語でこなしているような人たちではないでしょうか。論文であれ、企画書であれ、会議であれ、学術発表会であれ。そういう本当の「達人」らは、われわれ一般人に指南するような立場を超越していらっしゃいます。さらに、そういう人たちはあまり表に出ない人たちです。なぜなら、一流のビジネスパーソンは週刊誌の英語特集に顔だすくらい給料安くないし、言語学など学問分野の一流たちもそんなところに出て自分の株をさげるようなことをしないでしょうから。
では誰をロールモデルにするのか。はっきりいってツールである英語にロールモデルが必要であるとは思わないのですが。強いて言うなら、『英語達人列伝』の中から探すといいと思います。これを読めば、「日本人は英語ができない」といった言説が神話であると思え、すこし勇気が湧いてくると思います。
英語学習において、発音を磨くことは何かと批判の対象になります。恐らく、それは英語学習における贅沢品と受け取られるからでしょう。目玉焼きも焼けない人間が高級イタリア料理「カルパッチョソースのデミグラス和え 地中海の新鮮な貝の奏でるムースとともに」(※こんな料理はありません)を作ろうとするように捉えられてしまうのかもしれません。
しかし、僕は発音も大切だと思います。磨けるなら磨いた方がいい。じゃあ、どのくらいまで磨くか。もちろんネイティブレベルとは言いません(発音向上批判がネイティブ信仰批判と結びつけられることも多い)。が、強いて言うなら「自分の発音に自分で酔えるくらいまで」としておきます。英語を話している時の自分がいつもと少し雰囲気違うな、とか仕事できそうだな、くらいに思えるくらいです。語学学習は基本的に孤独な作業であると思います。周囲に誰も人がいない部屋で黙々と音読…そんな状況で心を支えるものが、わずかながらのナルシシズムだと思うのです。ここで注意しておきたいのは、自分の発言を瞬時に考えて話す「スピーキング」と音読教材を見ながら話す「スプリクト読み」の際の発音能力は個人の中でも違いがあるということです(ここでは詳述しません)。
昔NHKで「英語会話」の講師をしていた東後勝明氏はこう言っています。
「発音が大切だ」と言えば、すぐに、「本国人のような発音の必要はない。日本人なのだから日本人の発音で十分」と反論が返ってくる。「単語を覚えたほうがいい」と言えば、「単語だけを覚えても何もならない。その使い方を覚えなければ駄目」と言われてしまう。うっかり「会話ができなければ」などと言おうものならたちどころに「ただペラペラしゃべれるようになるだけではかえって人間が軽薄に見えて困る」と一蹴され、「それより、内容のあるものが読めることだ」とか「話す内容が大切」ということで会話の重要性は影をひそめてしまう。
「文法をしっかりやりなさい」と言えば、「文法に頼る英語力には限界がある」とか「文法を教えすぎるから、英語が使えなくなっている」と、これにもまた反論が出る。それでは「実際にありそうな自然な対話をそのまま暗記してみれば」と言えば、「会話はそんなに準備されたせりふ通りにはいかない。そんなものをいくら暗記しても役には立たない」と誰かが言う。… ( 東後勝明 「聞き、覚え、使う」 現代新書編集部 『外国語をどう学んだか』 講談社 1992)
要するに、唯一絶対の方法なんてありませんよ、ということであり、たとえ少し間違った勉強法をしてしまっても、それほど差はないですよ、ということ。やりかたで戸惑って学習不安なんて愚かだと思いませんか。ネットで情報収集だけに一生懸命になっている方、とりあえずブクマして満足している方。
世界に飛び出ていく為のツールである英語を、日本の企業や学校の基準に合わせてどうするのでしょうか。会社や学校の要求に応えることが重要であることは言うまでもないですが、これから英語を勉強して身に着けるということは必要不可欠であるということ。すなわち、グローバル化によってかつては「あった方が有利」だった英語から「ないとダメ」というように変化してしまったのです。だから、これから英語学習する人――特にビジネス面の方々――は、外国、とくに韓国、中国にライバル意識を持って外国語を学ばなければならないのではないでしょうか。
英語に関することで今問題だな、(というか、もったいないな)と思うのが巷の「英語学習」と、学問としての「英語教育」との乖離です。この春休みに入ったころに、集中して現在刊行中の「英語教育学大系」シリーズ(大修館)を読んだのだが、個人的に得るところが結構あった。そういった学問分野での研究成果をうまく巷の「英語学習」に反映させればいいと思うのだけれど、実際「英語学習」者たちの間でウケてしまうのはTOEIC900点をとった人たちのアドバイス記事。もったいない。
これ500B!超えたらblog再開させようかな…なんてw
訂正
帰国子女の方々は生まれつき後者の姿勢が備わっているきがします→帰国子女の方々は幼いころの海外経験の中でこれを自然に身に着けているように思われます
親も、親戚も、これまた私も吃音もちで、私自身は、もう50年近く「吃音がかなり引っ込んだ小康状態」だ。
そんな私が、お役に立てることがあるとは思えないんだが、ついーー克服法を指南するところにはお金がかかるところもあるだろうから、
病院で相談するのはいい方法だと思う。予め、ネットで調べていくのはわかっているよね。「その場で急に説明しなければならなくなった」って
きついときはきつい。私自身は自己流の呼吸法みたいなことでどうにかこうにかしている。こういう自己流じゃ、どうにもなときはどうにもなん
で、時間があったらじっくりグループワークにでも参加したらいいのかもしれないが、どうも気が進まなくて。吃音には引っ込み思案もひっつい
てくるのかもしれない。気力があるときは、意識して自分から人に声をかけようとしたりした。今は、若いときのように「まずい、喋れない」と
は思わなくなっているが(どうしてだろう)、しかし未だに、吃音が軽くても誰かと喋ったあと、どっとくたびれたり。うつっぽくなるときもーー。
おしゃべりが上手な人よりも、無口でも人の話がしっかり理解できる人のほうがずっと頼られるってことも多いんじゃないか。
私は中味がどうにもなので駄目だけど(苦笑)
失礼ながら、文章も素直でしっかりしているし、今の仕事をしながらでは大変だと思うが「個人でこなす時間がもっと長い仕事」を目指してみたらどうだろうか。
力仕事が多い職場は「あたり」だと長く勤められるんだが(気のいい人が多い)、「はずれ」だと本当にきつい(ただ、荒くて雑なだけ。人の入れ替わりも激しい)と思うし。
最近昼寝をしないと本当ダメ。昼間寝ておかないと午後からの仕事が本当に眠くて眠くて。まあ昼寝しなくても午後は眠いんだけど。基本仕事をやる気がないんだな。昔は日曜日の朝とか寝てるのがもったいなくて早起きとかしてたけど、最近は昨日の酒が残ってて気持ち悪くて早起き。仕方ないから洗濯とか掃除とか家事をやる。本当はゆっくり寝ていたいのに。
何の話だっけ。そうだ最近眠いって話。特に土日の昼寝はヤバいね。職場なら1時になったら起きなければいけないけど家の昼寝は目覚ましとかかけないからまず1時間くらいじゃ起きられない。職場だと机に突っ伏してるスタイルだから深く眠れないし。このスタイルだとすごい胃が圧迫されてやたらゲップが出る。昼寝しながらゲップ。多分カラダにはすごく悪いんだろうな。その点家だと昼寝するにも普通に布団を使うから完全に熟睡。もはや昼寝じゃない。起きて暗くなっているといったい何が起こったのかすぐには理解できない。普通寝て起きたら朝じゃん。それなのに夜だなんて理不尽すぎる。
職場で寝てると困るのが朝立ち。昼休み中だけど。ゲップ出てボッキ。いや元気の無さには定評のあるオレだけど、何ていうかたまに、興が乗ると起きたとき朝立ちしている場合がある。昼休み時間は節電のために蛍光灯を消しているんだけど、1時になったら点けなくちゃいけない。そしてオレは蛍光灯のスイッチから一番近い所に座っているわけ。当然みんなオレが電気を点けてくれるのを期待しているんだけど、オレには矢吹丈ばりに立ち上がれない事情があるわけで。オレもWiiFitで鍛えた呼吸法を用いればノット朝立ち状態まで最短時間で到達できるんだけど、もう始業のチャイムは鳴っているんだよね。んで結局違うヒトが電気点けちゃう。オレの中の電気もたった今消えたっていうのに。またオレの評価ダウンだよ。違う所をアップさせてる場合じゃないっての。
でも本当に恐いのは電車の中だよな。今は車通勤だけど、去年までは電車通勤だった。1時間くらい乗ってるから当然熟睡。東京着いて起きたら朝立ち。いやたまになんだけどね。夢の内容的に興が乗ったとき。そうなってるとヤバい。さすがに朝の満員電車でのんびりしてる時間はないし。終点で折り返しだからモタモタしてたらまた家にUターンだよ。さすがに通報されることはないと思うけど、毎日同じ時間に乗ってるから知ってる顔もたくさんいるし。女子高生に変なアダ名付けられたくないじゃん。テントマンみたいな。冬はコート着てるから、むしろギンギンのまま歩くっていう快感を享受できるんだけど、夏はそんなわけにはいかない。そんなとき、やっぱり役に立つのはやっぱり肩掛けカバンだね。あれを前に回す。ギターをかなり下で持つアベさんのように。これで隠せる。ガンダムは大地に立って、カバンは役に立つ、みたいな。役に立つのがカバンで、立つことができないのがオレみたいな。ここで立つっていうのは立ち上がるって意味ね。まあ違う立つでも最近のオレだと割と間違ってないのがちょっと寂しいけどね。まあ昔から元気は無かったんだけどね。いざとなると緊張するしね。
自分で見返してみてもヒドイ駄文だと思うよ。でもこれは、今の社会情勢に対するオレなりのアンサーソングなんだよね。そう、立ち上がれってこと。あ、ちょっと待って、その前にあかひげ薬局寄っていい?
この記事は、
「自慰中の死亡」について
http://anond.hatelabo.jp/20090606092243
の補足記事です。
コメントを見て、うちの法医学は伝説的にひどかった(褒め言葉)のだなあと再認識。
では、補足説明。
id:rna いやいや、そこじゃなくてもう一本のほうのロープの使い方が気になるんだ。
id:nasunori ドアノブはなんとなーく分かるが、"押し入れに釘を打ちつけ、自ら宙吊りになりつつ(首も絞まりつつ)"ってのが全く想像できない…。
つhttp://plaza.img.jugem.jp/20090606_660602.jpg (グロ注意)
法医学の期末試験に「異常性行為による死亡の例を挙げよ」という問があったので、
上の写真みたいな図を一生懸命描いたのをおぼえている。...ふう。
自らそれを試し、ガムテープで顔をぐるぐる巻きにしてダッシュして
窒息死した事例
これは彼の講義でも出色の内容だった。本文にも書いたが、彼の講義はすべて現場の写真つき。
まず、講義スライドは、顔をガムテープでぐるぐる巻きにされた若い男性が
道端に倒れて死んでいるところからはじまる。当初は殺人の線で捜査されていたのが
自室で妙なマシーンが見つかり、本棚にはジョジョの単行本、そしてガムテープの切れ端が
彼を死に至らしめたものと一致した。本人の指紋も検出。
これがサスペンスタッチのスライドショーで流れるのだから、いかにも不謹慎だ。
いきなりトラックに自ら突っ込んで死亡した事例が2例あったそうで、
法医学会では「jojoの奇妙な冒険」は危険という話が(半分冗談で)
あってるんですよ~と教授は言っていた。
id:anigoka 鹿肉うんぬんは聞いたことないなぁ そもそも他人の家の鍋でも抵抗あるのに人ンちの風呂いっぱいのわけわからんスープ飲んじゃったりするかなぁ??
id:Meat_eating_orchid いや、首吊りオナニーはホントだけど、さりげなく都市伝説混ぜるな。なんで人ん家の風呂の中の正体不明の有機物に口つけるんだよ。
id:memoclip 風呂の中で煮込まれた云々は本当にあるのか。。?
id:atcgouch 鹿の肉と間違えられてどうなったの・・・
書ける範囲で書きます。
東北の寒村。鹿撃ちが盛ん。村祭り近し。毎年村祭りには鹿料理登場。
村祭りの役員が訪問→干上がった風呂でグズグズのものを発見→鹿と誤認
→飼い犬にあげた(本人は食べてないと主張)→死体遺棄罪で捜査→教授登場
鹿を煮るか?とか疑問はもっとも。うろ覚えだけど、鹿だったのはまちがいない。
(6/6 21:05追記) 要望がありましたので、補足記事を書きました。jojoと鹿。
http://anond.hatelabo.jp/20090606210553
http://www.afpbb.com/article/entertainment/news-entertainment/2608961/4231903
えーっみたいな反応が多いが(当然か)、自慰中の首吊り死亡って実はかなりありふれているらしい。
自分が医学部の学生だったとき、法医学の教授の専門が「異常性行為中の急死例」だった。
緊縛プレイ撮影中に死亡したAV女優は自然死なのか監督による過失致死なのかとか、
PTA会長のおばさんと不倫中に腹上死した教頭の死因は心不全かガス漏れのCO中毒かとか、
そういうのを解明する専門家。かなりインパクトのある講義だった(すべてスライド付き)。
(余談だが、医学部の学生の受けはそこそこだったが、法学部の学生が授業見学に来たときは
不謹慎な内容だと怒り出す人がいた。この「正義感」の違いは興味ぶかいと思った。)
教授の講義でもっとも興味ぶかく、そして就職後もっとも役に立たなかった事例が、
まさに自慰行為中の急死、特に自絞行為をともなう死亡例だった。
その死亡例たるや実に多彩であり、ドアノブにタオルを引っかけて、、という基本編から
押し入れに釘を打ちつけ、自ら宙吊りになりつつ(首も絞まりつつ)オナって事故死という
アドバンストモードまでいろんなスライドが出てきた(それだけ事例が多いのだろう)。
1990年代後半、あるロックグループのメンバーがドアノブにタオルをかけて急死した事件でも
教授は後に事故死と公表される以前から「あれは自慰行為中の死亡です。99%間違いない!」と
きわどく断言していた。(公式発表は別の理由になっているので。念のため。)
ほかにも彼の講義では、ジョジョのファンだった○北大学の大学院生が
自らそれを試し、ガムテープで顔をぐるぐる巻きにしてダッシュして
窒息死した事例とか(1秒間に10回呼吸しろッだったっけ?)、
入浴中に死亡した人がそのまま3日間煮られてスープになってしまい、
隣人に「鹿の肉」とまちがえられて××られた話とか
いろいろあったが本題ではないので措く。
とりあえず、自慰行為中の急死は結構ありふれているっぽいですということで。
これ読んで真似しようとか思わないでね。このプレイは致命率が高そうなので。
第一発見者になることが多い家族が、本人の名誉のために現場を「荒らす」し
この場を借りてお礼:
前に書いた、
高収入と平等の罠
http://anond.hatelabo.jp/20090520020718
では、たくさんのぶくまとコメントをいただきありがとうございました。
みなさんの意見を参考にして、現状ではあたらしい解決策を試し中です。
メラネシアのクラ交換もヒントにしました。続きを書いたときにはまたお願いします。
元増田です。
すみません、ちょっと当時を思い出して感情がこもってしまったのと、
それを乗り越えた自信が入り混ざった書き方になってしまったと思います。
さてお返事です。
それって、普段だったらスルーできるのに、その時の状態によっては怒りが生じるって事?
後者です。ストレスのレベル・情緒の安定度が日によって大きく変わるということは無いです。
(夢中に何かに取り組んでる時は一切イライラしないですが、帰宅中・帰宅後・休日などは気がゆるんでいるのかイライラしやすいです)
すみません、普通以上に健康な人だと思いこみたい見栄が働いて、ストレスがないと強がったような書き方をしてしまったんだと思います。
実際には仕事中はストレス感じないだけでストレスが何らかの形で蓄積してるのかもしれませんね。
ストレス対策は、かなりしっかりやっているほうだと思います。
大学時代に健康をよく勉強しその頃に健康な生活習慣を身につけたんです。
だから、ストレスレベルを下げるには、瞑想・呼吸法する時間がとれるような仕事に転職する、
仕事の時間を減らしてもらう、くらいしか思い浮かびませんが、これは現実的に難しいです。
誰かが教えてくださったようにストレスマネジメントをやる方法も考えられますね。
メンタル・タフネス、ストレス・マネジメント、ストレス・コーピングといった本はすでに沢山持っているので、
読み直して何か対策を立てて実践してみたいと思います。
他の方にもお願いしたいんですが、何か時間をとらずに心の落ち着きや精神力を強化できる良い方法ご存じでしたら教えてください。
机を叩くこともないですか?
俺の接したことのある尊敬できるような大人で、目下の人を注意する時に机をバンと叩く人は結構いましたよ。
もしかしたら、周りの人のせいで、怒ったらすぐ殴っていいと学習してしまったのかもしれませんね。
暗い話になってすみませんが、10代20代前半の頃(高校・大学時代)は親や視力を失ったり様々な病気を持っているなど、けっこう激しかったです。
鬱病は大学時代に瞑想・呼吸法・健康管理により乗り越えました。大学当時は生きていくのが辛く休学を重ねたりもしていましたが、
今は普通に周りと打ち解けたり楽しく仕事したりしてますし人並みにはモテます。
弱視や内臓の病気は残ってますが、自分では大して気にしていないつもりです。
それでも、精神の脆さは依然として残っているようで、だいたい一ヶ月に二回くらいは家具を殴りたくなるレベルの怒りが発生します。
大きな悲しみや落ち込みや不安はここ数年全くなく、周りからはプラス思考だと言われています。
(ストレスが悲しみや落ち込みや不安に現れない代わりに怒りに現れるのは、意欲や自信があるからだと思います)
仕事や趣味については何でも意欲的に楽しく取り組んでいて、よくそんなに頑張れるねと言われますが、
つらさや焦りはなくて、むしろ夢中に取り組むことで心が落ちつくのを感じます。
だから、生活が過酷でストレスが激しいということは自分の場合ありません。
自分で言うのもおこがましいですが、俺は他人を傷つけたり攻撃する言い方はあまりしないほうで、
一応周りからは温厚な人と思われています。しかし、実際にはイライラしやすいです。
(夢中に何かに取り組んでる時は一切イライラしないですが、帰宅中・帰宅後・休日などは気がゆるんでいるのかイライラしやすいです)
自分では苦しみを乗り越えて「普通の人」になることに成功したと思っていましたが、
物を殴るのが普通じゃないと言われて、ひょっとすると完治してないのかなと思いました。
元増田です。確かに未熟なので治したいです。
しかし、一人前の大人だと家具を殴ったりしないものなんですか?
人や状況によるという気がするんです。
精神力の強そうなBNF神だって、過酷な毎日に耐えかねて時々殴るらしいですし。
一人前の大人でも辛い状況になるとやむを得ないので、家具を殴るのも一つの選択肢だと思っていました。
禅寺には実は興味あり、座らせてもらったことがあります。
自分で瞑想のたぐいをやって未熟な自分を克服しようとしたこともありました。
元増田です。怒りが湧いてきたらボクシングの練習といって自分の部屋で殴るということですか?
それも問題ある気がします。週一でボクシング習うとしてその時だけしかストレス解消できないのでは意味なくないですか?
彼女に言うのはさすがにまずいと思います。
うーん。
そもそも怒りを生じさせないほうが良い気がしてきました。
呼吸法で怒りにくくなったことはあるんですが、忙しいので平日も毎日30分となると難しいです。
他の方にも聞きたいですが、何か時間をとらずに落ちついた心を養う方法ないですか?
もしくは、俺は偉そうにされたりスルーされたりして怒りを感じることが多いんですが、
そんなふうにされても平気でいる方法ご存じないですか?
性格変えたいです。
人間をやめるぞやめるぞと周囲に吹聴しながら、かれこれ2年近くやめずにいる友人(間違っても兄弟ではない)が居る。石仮面見つけたときには、骨針に注意しなければならないから自分では敢えてしなかったと言い、メキシコで柱の男発見と発表された時は、いずれ石仮面にもエイジャの赤石が追加されると言い、つい最近までは、スタンドが発現するからそれまで待つと言い、最近はどこで仕入れた情報か、もうすぐ弓矢が来るからそれまで待つと言い、そして現在に至っている。ちなみにボインゴの予言は全てハズれてる。
んでもって、俺が昨年波紋法を身につけた事を最近知ったらしく(上記のような人物だからツェペリさんに子供がいることを隠していた)、使い勝手とか性能とかをしつこく聞いてくるのが非常に鬱陶しい上に、呼吸法や山吹き色の波紋疾走の長所のみならず短所についてまで「○○○って××なんだろ?実際やってみてどうなん?」などと言い出す始末。その場には波紋戦士のみならず、スタンドを持ってる人も居るというのに…。
流石に相手をするのも疲れたので、今朝「ああ、波紋法ならまとめスレにあったよ。」と何気なくでまかせを言ってみたら「ちょ、ど、どこのまとめサイト!?はてぶからたどれる!?ホッテントリ!?」と気色ばんできやがんの。「え、別にぐぐりゃいいじゃん?」と返すと「知らないだろうけど、波紋法は今チベットでしか学べなくて、ヴェネツィアでもかなりの命の危険があるんだよ?アップするなら事前に俺に相談してくれれば、釣りエントリよりもずっと多くブックマークついたのに…」と恨めしげにつぶやき始めた。「いやまあ俺のは一部型だったしさ、いつ血管凍結されるかかも分からんようなのを教えるのも忍びなかったし…ねえ?」と言うと、それ以降彼が話しかけてくる事はなくなった。そして午後には彼は姿を消していた。
その後、午後からの講義で合流してきた友人が「学校来る前にあいつをウィンドナイツ・ロットで見かけたけど、とうとう人間やめる決心でもしたんかね」という報告を聞いてその場の全員が爆笑の渦に。
しかし本当に人間やめてたらどうしよう。「なじむ 実に! なじむぞ」とか本気で言い出しそうで困る。
まあ、どのくらいの数の高岡信者がそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「達人ではまったくないんだが、しかし自分の極意趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らない極意の世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、信者の都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、極意のことを紹介するために
見せるべき10本を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女に極意を布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、金銭的に過大な負担を伴う高岡英夫直接指導の講座は避けたい。
できれば専門指導員の講座にとどめたい。
あと、いくら極意的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
映画好きが『カリガリ博士』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
極意知識はいわゆる「ラジオ体操」的なものを除けば、フィットネスでピラティス程度は体験している
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「スティフルクラムの解体」を濃縮しきっていて、「フリーフルクラムの世界」を決定づけたという点では
外せないんだよなあ。長さも自由だし。
ただ、ここで極意トーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に
伝えられるかということは、信者側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「信者が考える一般人に受け入れられそうな極意(そう信者が思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「高岡信者としてはこの二つは普遍的な極意だと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種の武術系極意の達人が持ってる体捌きへの憧憬と、高岡英夫のバイオメカニクス的な考証へのこだわりを
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも高岡英夫な
の二つをはじめとして、信者好きのするネタをメソッドにちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「中国武術のタントウ功だよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の鍛錬がその後続いていないこと、これが日本では大人気になったこと、
日本なら太気拳になって、それが中国に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、
日本国内でこういうのがつくられないこと、なんかを非達人彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱり極意は武術のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「ベスト」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、このメソッドにかける高岡の思いが好きだから。
断腸の思いで削りに削って裏側だけにして、それでも天地の果てに達する、っていうストラクチャーのスケールが、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにも極意的だなあと思えてしまうから。
ウォールの大きさを俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれが
ベストや丹田だったらきっちり身体内に収まってしまうだろうとも思う。
なのに、意識操作で脳疲労を起こしながら巨大な身体意識を作ってしまう、というあたり、どうしても
「自分の身体意識を形作ってきたものが捨てられない達人」としては、たとえ高岡英夫がそういうキャラでなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。メソッド自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層で呼吸法をやったことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
ゆるよりも前の段階で、高岡のカリキュラムとか身体操作技法とかはこのメソッドで頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティのメソッドが高岡英夫直接指導でこの時代にかかっていたんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなく極意好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆるゆる体操でしか高岡英夫を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
身体の「ゆるみ」あるいは「重みづくり」を達人として教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「意識操作が他人の感覚を巻き込む」的な感覚が達人には共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそ極意第一教程最終講座は質重量体操法以外ではあり得なかったとも思う。
「巻き込まれた」という達人の感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「達人の気分」の
源は質重量体操法にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういう戦前の携行術をこういうかたちで講座化して、それが非達人に受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にゆる体操を選んだ。
基礎ゆるから始まってゆる体操で終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、ゆる教会以降のゆるゆる棒時代の先駆けと
なったメソッドでもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいいメソッドがありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
いぇい
簡単に言えばプライドを持つってことじゃないかな。
自分でネタにするのはアリだけど、他人にはバカにさせないプライドを。
って、簡単すぎるので補足。
・見た目を向上する努力をする(美人やイケメンだって服装や髪型に気を使っている。せめて同じくらいの努力はすべき。元がブサだからって手を抜かない)
・見た目にコンプレックスがあっても、相手にそれを感じさせない(いかにもオドオドしてるとバカにされるよ!)
・話術を身に付ける(見た目7割、中身3割が一般説。7割は損してても、中身で挽回)
・魅力的な声(呼吸法や話すスピードの調整、感情の乗せ方である程度変えられる。声質までは無理だけど、落ち着いた話し方をするだけで相手に与える印象はかなり変わるっぽい)
・電話やメールなど、顔が影響しないところは力を入れる(見た目7割のマイナスがない分がんばりどころ)
あとは基本だけど、もう自分がブサなのはしょーがないから、せめて笑顔、明るく。
暗いブサ、不潔なブサ、ふてくされたブサは最悪と自分に言い聞かせつつ。
http://anond.hatelabo.jp/20080605021431
単純に病気のせいにするのもなあ。あんまり解決するとは思えないです。
おそらくあなたの場合だといわゆる「情動」のコントロールがうまくないんだと思います。
旦那さんのなにげない行動にいちいち振り回されている気がします。
情動というのは案外コントロールできます。一番簡単な方法は、感情を逆なでした事象をよく見つめることです。
あとでゆっくり時間をかけて思い出し、出来事のひとつひとつをできるだけ細分化し冷静に且つ客観的に分析することです。
突然ヘビが出てきたときの驚きや恐怖心(身体的には心拍数の上昇など)が情動です。
ヘビをじっくり時間をかけて観察するとじきにそれほど驚くこともなくなり、愛着心すら湧いてくることもあります。
ほかにヨガなどの呼吸法を身に付けるという方法があります。複式呼吸が良いようなので歌を唄うのも良いかもしれません。
身体の細かい制御ができるようになることで心も上手に制御できるようになるそうです。
それからよくできた旦那さんの件ですが、客観的にはよくできたあなたに対抗心を燃やしてるようにも思いました。
たまには旦那さんに弱みを見せたり、認めてあげてもいいんじゃないでしょうか。
ハードルは高いでしょうが、「勉強がよくできてうらやましい」と真正面から声に出して言ってみるのもいいかもしれません。
個人的には、勉強ができたりマリオカートが巧いことよりも子供を産んで育てている
あなたのほうが比べ物にならないくらい強いし偉いと思います。
普通に暮らしていくのに胸式呼吸で不都合なことなんて何も無いよ。息を吸ってお腹がへこむのは自然。だって肺に空気が入ってる訳だから。
何にも気にせず呼吸するのが一番だよ。
といってる私は胸式呼吸から腹式呼吸へ訓練で変えた口だけれど、それがどんなトレーニングだったかと言えば、ものすごく走り込み動き回り息が切れた状態で床に寝転がされ、息があがって上下してる腹を拳で押さえられて「息が吸いたかったら腹で押し返せ!」っていうのを2セット×2日間やったよ。
つまり無意識のうちに呼吸法を叩き込むのが良いんじゃないかな・・・みたいな結論を書こうと思ったけれど、書いてるうちに気づいちゃった。このトレーニングどっちかっていうと軍隊式人格改造の意図が多めに混じってるな。何で今の今まで気づかなかったんだろう。
どうも誤解してる人が多い気がするのだが(元増田がそうだとか言ってるんじゃないよ)、「息を吸ったときおなかが膨らむ」と「息を吸ったときおなかがへこむ」の、どっちかが正しくてどっちかが間違ってるなんてことはないよ。どっちでも呼吸はできるし、どっちが腹式でどっちが胸式、っていうのも厳密には間違い。声楽なんか習うと教わる呼吸法だって、「そういう感覚で覚えると大抵の人にとって近道」ってだけで、全員が全員に万能じゃない。
何でもそうだけど中途半端にやると何もやってなかったときに自然にできてたことが却ってできなくなることってあるよね。そういうのを「考えすぎ」とか言ったりするわけだが、考えるなって言われても、考えないでやることがそう簡単に成し遂げられるはずもないんで、そういうときには、新しい方法が無意識に出てくるようになるまで意識して徹底的に「素振り」をやり込むのが早道だろうね。呼吸の場合は常に「真剣実践振り」になるけど。
そうそう。さらに関係ない話を補足すると、浮力を維持しつつうまくブレスするには、顔を上げる直前ギリギリに、一気に息を吐くこと。いかにまとめて一瞬でどばっと吐けるかどうかが水泳の呼気のコツですね。
でも元増田の症状って、水泳とは全く関係ないんだよね。当然水泳の呼吸法も何の役にも立たないし、それ(つまり運動時呼吸)を元に解決しようとしても無理。
私も若い頃の一時期、なったことがある。何というか、呼吸の仕方がわからなくなるというような感覚。私は寝る前、横になっているときによくなった。このまま呼吸ができなくなって死ぬんじゃないかなんて思いに駆られたこともあった。私の場合は数年後にふと気付くと「そういえば…」という感じでいつの間にかならなくなっていた。そんなものじゃないかと思う。敢えて何とかしようということなら、やばいと思ったら一旦思いっきり吸えるだけ吸って、その後10秒くらい止めて、あとはできるだけ長ーく時間をかけて(最低40秒以上)吐いてごらん。死ぬほどゆっくり深呼吸5回でもいいや。
呼吸がうまくできない時が時たま訪れる。
吸ってはいても、なんか、苦しい。吸いが足りないのか吐きが足りないのかもよくわからない
意識してやらないと呼吸ができなくて、
難しい。
それも意識して呼吸しても、なんだかうまくいかなくて、結果息をとめてしまう。それが一番楽なんだけどやっぱり止めたらよくないよね。
息を吸ったら腹が膨らむ、でいいんだよな??
息を吸って腹を膨らませようとすると逆に苦しくて、あべこべな感じになって、しまう。
腹をへこませると寧ろ吸いやすいけどその呼吸法は間違ってるんだよな??
数年前に、何かで腹式呼吸を知って以来、ずっとこうな気がする。気のせいかな。
腹式呼吸を知って、今までの呼吸法と腹式呼吸は真逆だった事に気がついて、これじゃだめだと腹式呼吸になるようにしようとして、息を吸ったら腹が膨らむ感じに練習してたんだけど、それがそうすると寧ろ息が入らなくて気持ち悪くて、呼吸があべこべになっちゃう感じで、うまく呼吸ができない。ハフ、ハヘッ……って感じで。それ以来、「あれっ??無意識に呼吸ってどうやるんだっけ??」ってわかんなくなっちゃった。無意識にしてると息を止めちゃってる。大抵。ていうか無意識な状態がそもそもあんまりなくて。
それが月一度くらい、ひどくなって、意識しても全く呼吸があべこべになっちゃって常に酸素がたりなくて息苦しい、でも吐いたほうが気持ちいい、っていうよくわからない状態になって、ハー、ヘー、ハーってなってて、でその内治るんだけど
ふと今書いてて、もしかしてこれって自分の癖レベルじゃなくて病気なんじゃなかろうなと思ったんだけど、でもやっぱりそんな事はないだろうと感じる自分の方が強くて、そして呼吸が今もしづらい。呼吸ってどうするんだっけ??なんか、呼吸に限らず、「歩くってそういえばどうしてるんだっけ?」って、今まで出来たことを考え出すと途端にできなくなってしまう。それが一時的じゃなくて結構ずっと。なんか俺どんどん生き辛くなってるなあ。