はてなキーワード: 初節句とは
単純に、子供は自分の子供たちの学費とか習い事の費用がだせるのか?親にたかってこないのか?と心配になるのかな
お祝いのお金の出費がかさんで(出産、入園、入学、初節句、お正月、おこづかい等)げんなりとか
わたしも自分の子供が4人、5人、子供を作ったら、自分の子供が富裕層だったら「いいねえ嬉しい」と思えるんだけど
庶民なのに子沢山家庭だと「こいつバカなのかな!?」と思ってしまう
子供が子育てで苦労しないかな、孫一人一人のケアを子供がきちんとできるのかなと心配になってしまうし
四つ子とか五つ子で産んだならまあ、子沢山になっても仕方ないかと思う
子供の幼少期は子沢山で子供がかわいくて幸せですってモードになるけど
子供が中学生、高校生になったら家計が苦しくてヒイヒイ言うことになってしまわないか?
前置きの長い愚痴です。
キングダムへの愚痴ではないです。映画キングダムは素晴らしい作品でした。
娘が2歳の秋に鬱病の診断を受けました。その時点で夫は海外への転勤が決まっており、帯同してくれと頼まれました。
鬱っぽくなってきていると気がついたのは、診断を受ける1年ほど前のことです。
日中何度も記憶が飛ぶようになり、抗えない眠気で1歳の子どもと二人きりなのに眠ってしまうという症状から始まりました。
夫は激務で、休日と名のつく日でも昼まで寝て、夕方から出勤。その年の12月には一ヶ月で2日しかまともに家にいる日が無かったとTwitterに記録されています。
夫と地域の子育て支援課に相談し、心理士さんと面接もしましたが、その時点では私の意識を変えれば精神科などに通う必要はないという結論を出しました。
しかし翌年の6月に活字が読めない、料理の段取りができず調理に時間がかかり味も感じないなどの症状が出始め、7月から通院開始。11月に医師から鬱病だと言われました。
途中、ほぼ1日ベッドから起き上がれないほど体調が悪くなった時期もありました。小さな娘には長時間テレビを観せてしまったり、自分の感情がコントロールできずに強く当たってしまったこともありました。虐待をしているのではないかと自分を責め、家事をしたいのに動かない身体が悔しくて、毎日泣いて暮らしていましたが、夫がその様子を見る機会はなく、状況の深刻さは伝わりませんでした。
私は4人兄弟の長女で、実家は愛に溢れた仲の良い家庭でしたが、親に甘えることを遠慮して育ちました。
親への甘え方を知らず、甘えている妹弟を羨みながら生きていた10代の頃の私は、嫉妬から逆恨みのような形で勝手に家族から孤立して、漫画の世界に逃亡しました。友人に恵まれて、成人する前に漫画とは適切な距離を置いて付き合えるようになりましたが、その後も漫画を読む時間は心の支えであり続けました。
職場で出会った夫とは漫画の趣味が一致したことが結婚を考えるきっかけになりました。
自分と漫画との関係を理解してもらうことは、家族になる上でとても重要なことだと考えていました。平たく言えば、オタクの自分を知った上で女性として見てくれる男性と出会うことは簡単ではないけれど、オタクを隠して家族になることはできないと考えていました。
夫の転勤を機に入籍し、実家からも義実家からも離れた関東圏に住むことになりました。夫はオタクと言えるほど漫画やアニメを好きな人ではありませんでしたが、休日にはレンタルショップで漫画やアニメのDVDを借りて、二人で感想を言い合って過ごすこともありました。卑屈な性格の私は、自分がこんなにも幸せな生活を送っていいわけがない、いつかドンデン返しが来るに違いないと不安に思っていました。それほど、毎日は幸せでした。
そんな中で、夫がレンタルショップで借りてきたのが原泰久作の漫画キングダムで、私は夢中になりました。
子育てをする中で鬱になってしまったのは、恵まれた家族の中ですら孤立してしまった自分が親になる自信が全く無かったのが原因だと思います。自信がないから頼りたい、相談したいと思っていても夫は激務、実家も義実家も遠く、実母はダブルワーカーになっていて電話のタイミングを合わせるのも難しい、義母は癌と闘っていてそれどころではないという状況でした。
何故産んだのかと思う方もいると思いますが、子どものいる生活を夫が希望しており、その時は産まれたら仕事をセーブすると言っていました。しかし、妊娠中に義母が癌を患っていることが発覚。夫は新幹線で片道2時間かけて義実家へ通い、義母の闘病のサポートをしました。義母の病状が落ち着くと、通勤距離片道2時間半の職場へ異動。彼も想像できなかったことでしょう。娘が1歳を迎えるまでは、彼の方が「自分が思うほど育児に協力できない」というフラストレーションで鬱っぽくなっていたように思います。そしてそれは私を余計に追い詰めました。
娘2歳の2月、夫は海外転勤の辞令を受けて一足先に引っ越しました。私と娘は実家に二ヶ月ほど居候させてもらって、渡航の日を待っていました。バタバタと引っ越しの準備を進める中で、映画キングダムの告知を見ました。私は所謂「原作厨」というやつで、アニメ化ですら自分のイメージと違って不満を持つことがあるので、実写化はとても不安でした。中国の歴史ものなのに、どうして日本で映画化されるのかという疑問もありましたし、原作のスケールを日本映画が表現できるのかという不安もありました。しかし、その不安はメインキャストを知ると共に期待に変わりました。それが自分の中のイメージにぴったりハマっていたからです。勿論、なんで日本人が演じるんだという疑問は残りましたが、日本の漫画のキャラクターの顔は日本人の顔なんだなと、メイクをした俳優さんたちを見ながら思いました。
キングダムの公開日は渡航の日程ギリギリでした。私は夫に、渡航日を少し後ろ倒しにして観に行かせて欲しいと頼みました。夫は早く家族と住みたいと言っていましたが、私の願いを聞くと「今まで映画を観に行かせてあげられる機会を作れなかったね、楽しんでおいで」と手続きをしてくれました。
実家で過ごした二ヶ月半の間、ほとんど母に娘を預けることはありませんでした。私よりも先に、実家の近くに住んでいる妹が子どもを預けに来るからでした。
映画公開日翌日、映画館のあるショッピングセンターまでバスで向かおうとしていた私に、両親が「車で送っていくからついでにお昼ご飯も食べよう」と誘ってくれました。(今、この一文を打ちながら涙ぐんでしまうほど、私は両親への甘えに飢えていたんですよね)
子どもの頃は仲の良かった両親も、子どもが独立するとお互いどう接していいのかわからなくなってしまったらしく、少しギクシャクしていました。二人で連携して支度を進め、おしゃれをして車に乗り込む両親を見ることですら、私には感慨深いものがありました。
私が選んだ定食屋で、両親と娘が順番を待つ間に一人、チケットを買いに行きました。何年かぶりの映画で、有人カウンターが無いことに大きな衝撃を受けつつ、自動券売機で席を選んで発券しました。「キングダム」と印字されたチケットを手に取った時、私の心は幸せな気持ちで満たされました。大好きな作品が納得のいく形で実写化されて、それを今から観られるという幸福だけではありません。今自分がこの場に立つために、今まで甘えられなかった夫が、両親が協力してくれたことが嬉しくて熱いものが込み上げました。
定食屋に戻ると、父が娘にお子様ランチを注文していました。まだ2歳の娘は食べきれないと言うと、「おじいちゃんが孫を甘やかしたいんだよ」というような事を言った気がします。実は、娘の初節句の時ですら、私は自己主張ができずに両親にも参加して欲しいと言えませんでした。妹の子を預ける予定を聞いて、それを優先してくれと言ってしまったのです。娘がおじいちゃんおばあちゃんに甘える機会すら奪ってしまった自分を責めていた私は、父から孫への愛情にすら感動してしまいました。お子様ランチの残りを食べきるのは大変でした。
食事を終えて、娘は眠くてグズリながら両親の車に乗りました。「すぐに寝るから大丈夫、気にしないでゆっくり楽しんでね」と母は言って去って行きました。
今まで抱えていたマイナスの感情から解放された私は映画館に向かって踵を返しました。
「今から観るよ」と、定食を背景に撮ったチケットの写真を貼ったツイートには、いいねが数件付いていました。私のアカウントのフォロワーにはキングダムファンはいないので、「よかったね」「いつも頑張ってるから楽しんで」という意味でつけてくれたのだと勝手に感じました。
着席してから、泣く事と、好きなキャラクターが出てきた時に声を上げてしまう事を想定して、ハンカチを握りしめました。
左隣には50代くらいのご夫婦が座っていました。旦那様が原作のファンなのかな?同世代の女性のファンをあまり知らないけど、それくらいの世代の男性に人気があるのかな?などと考え、どう見てもオタクではない一般人のご夫婦が不快にならないように、オタクっぽい反応を出さないように鑑賞しようと思いました。
映画は素晴らしかったです。俳優さんたちは、キャラクターそのものでした。
特に、吉沢亮さんの演じられたキャラクターの演じ分けには感動しました。私が漫画を読んだ時には読み取ることが出来なかった部分まで演じられているように感じました。
私の好きなキャラクターも、あのキャラクターの歩き方だ!あのキャラクターの戦闘の動きだ!といちいち納得し、感動しました。
俳優さんたちの身体の作り込みにも驚き、感動しました。キャラクターの背景を描く体格を、生身の肉体に再現されていたからです。血の滲むようなトレーニングの成果なのだと思います。
作品全体に、俳優さんをはじめスタッフの方々がそれこそ命懸けくらいの愛情を注いでくださっているのだなと感じ取ることが出来る作品でした。
私の好きな漫画作品を素晴らしい映画にしてくださったスタッフの方々に心から感謝します。そして、映画化されなかったらキングダムに触れることがなかったであろう、俳優さんのファンの方や映画好きの方の元に、キングダムを届けてくださってありがとうございます。
観賞後、細かい部分の感想と共に、「こんなに幸せなオタクはなかなかいない」とTweetしていました。
さて、ここまでが長い長い前置きです。
映画観賞中のこと。
ここまで書いてきた背景の中で幸せな気持ちで胸を膨らませて、私はその席に座っていました。
CMが一通り終わり、本編が始まりました。キングダムの世界観を説明するナレーションは重厚感があり、期待が膨らみました。
冒頭の映画オリジナルのシーンには戸惑いながらも日本映画とは思えない画面の良さに不安が和らぎ、主人公たちの生活を描くシーンに変わった頃には集中して映画の世界に入り込んでいました。
その時
ピカっ
左の席が眩く発光しました。
隣の奥様がスマホの画面をチェックする光でした。
すんっと高鳴っていた胸の音が消えたのを感じました。
私は映画の世界から弾きだされ、現実世界の、スマホを見る女の隣に座っていました。
その後も何度もスマホチェックをする女性に声を掛けようかなと思いました。しかし、私には映画館でこの作品を観賞する機会がもうありません。少しも見逃したくないし、聞き逃したくありませんでした。
注意をする間の数十秒、彼女の方を向き、口を開く。その間もスクリーンの中の時間は流れ続けます。なんと注意するか、棘のない言葉を考えることに脳を使う時間も必要だし、声を掛けて素直に謝罪してやめるとは限らない。後の鑑賞に支障が出るような反応が返ってくる可能性もあります。出来れば声を掛けたくありませんでした。
きっと連れの方が観たくて、あまり興味がないのに入ったんでしょう。スマホで何をチェックされているのかはわかりません。お仕事のことかもしれないし、緊急性のある連絡が来るかもしれない状況なのかもしれません。優しい気持ちで察してあげることはできなくはないのですが、私の中の幸せな気持ちは、スマホが光る度に萎んでいきました。
「私の好きなキャラクターが出てくるシーンが近づいてきている。出てきた後に光ったら声を掛けよう」そう思って、なるべく横を気にしないように心掛けました。幸い、その後彼女がスマホを出すことはありませんでした。
たかがスマホが光るだけ。目くじらを立てるほどこだわる人は気持ち悪い、そう思う人もいるかもしれません。
私もキレ散らかすほど怒った訳ではないです。その後、Twitterにも残念だった。運が悪かったくらいのテンションでTweetしただけだったと思います。
そんな事に執着して作品の素晴らしさへの感動が占める心の面積を縮小するのは勿体無い事ですしね。
でも、やりがちな人が知らないなら知ってもらいたいな。一緒に鑑賞している人の中にはその上映が特別な意味を持っている人がいるかもしれないこと。
知っててもやっちゃう人のことはもうどうでもいいです。
前々から自分のワンオペ育児からの鬱について、自己消化のためにどこかに吐き出したい欲求があった中、Twitterで映画観賞時のスマホについての話題をいくつか見かけたので。親にも甘えられない赤ちゃんが、インターネットユーザーに甘え散らかす愚行なのは承知の上です。
私の心の状態は随分良くなってきましたが、この話に対する反応を見る勇気はないので、書き逃げします。
クリスマスはつくられた文化だ、バレンタインデーはお菓子メーカーの陰謀だ、
結婚式は本来あんなにお金がかかるものじゃない、年賀状は郵便局の陰謀うんぬん、
葬式は寺が儲かるために作られた仕組みだなどという友人がいる。
今度、子供の初節句に五月人形を買うと言ったら、そんなものは人形メーカーが仕掛けた文化だと言う。
うん、まぁ事実そうなのかもしれないけど、子供の成長を祈願して五月人形を買うのはそんなに非難されることなんだろうか?
そんなことを言ったら、多くの経済活動や文化、趣味がなくなりはしないか?
妻が片付けて、その間私は子供をずっと抱っこしていました。
最近、子供が日中ずっとグスグスしているという問題意識が妻と私の間で共有されており、愛情っぽい何かを与えると回復するのではないかという仮説のもと、いつもよりもスキンシップを多めにしています。そしたら子供も楽しそうで、良かったなと思いました。日中のグスグスがなおるかは全然わかりません。
まぁ、これからも愛情っぽいものを与えていきたいなと思いました。愛情っぽいものを与えていない時はどうせスマートフォンを見ているだけで生産性はない。
このエントリでずっと "愛情っぽいもの" と表記しているのは、私が愛情を感じていようがいまいが、子供が "自分に愛情が注がれてる" と感じなくては意味がないので、私主体の愛情ではなく、子供が愛情を感じるもの、という意味で使っています。私は愛情感じてるとは思っているけど他の人と比較できないしなんともかんとも。
初節句に人形などを買い与える習慣は今もあるよなぁと思ってちょっと気になった。
買って、毎年飾れるのはそれなりに余裕がある人だけなんだろうけれど。
結納式は自分の親が席を用意して(15,6万ぐらいか?)、彼の親が結納金50万をうちの親に渡して、それをそのまま私たちにくれた。気前の良さにびっくりした。結婚式は両家の親が折半して150万円ずつで、300万円の式。これも自分たちだけで食事パーティー的なもので済まそうとしていたのに、親が用意していてくれたことにびっくりした。ご祝儀は350万ぐらいになった。新婚旅行や車を買ったり新居の家具をそろえたりすることに使った。3LDKの新居の頭金を両方の親から500万と1500万の合計2000万出してしてもらった。自分たちは彼のアパートにしばらく住んでお金を貯めてから引っ越そうとしていたが、彼の親に、少し金は出すからちゃんと家を買えと言われ、家を購入できた。このとき、うちの親からも500万もらえるとは思わなかった。(500万でも返済額がかなり変わる)
こんな感じで親たちは自分たちを送り出してくれた。その後も子供が生まれたり、初節句だったりと何かと10万単位で金をもらい続けている。
金の面だけじゃない。日中の子供の面倒はほぼうちの親にまかせっきりだ。平日は8時過ぎにうちの親に子供を預けに行って、親には9時に幼稚園に連れて行って14時に迎えに行ってもらう。その後水泳、ピアノ、公文に連れて行ってもらって、それらが終わるころ、自分とバトンタッチの生活だ。
なんだかんだ言って、結婚して以来、親の存在のすごさをヒシヒシと感じている。もし、両親が健在でなく、これらの援助がないまま結婚していたら、結婚式もなく、新婚旅行もいかずに、狭いアパート(自分たちの給料ではマンションは無理)と保育園に給料のほとんどを吸い上げられ、時間の余裕もなく貧乏とストレスとプレッシャーで発狂していたはずだ(こういう人たちが多く存在していて、なおかつ、みんな頑張って生活しているのが驚きだ)。もしくは、結婚せず子供を作らず同棲だけしてそのまま年だけ取って最後は孤独死していた可能性も高い。
世代格差とかいって「年寄ずるい」みたいな意見もあるが、それは結婚していないからだと思う。自分がもし結婚していなければ、親は死ぬまで金を自分たちにくれることはなかっただろう。親は単純に自分の子供に金をやりたいのではなくて、一人前になった自分の子供に金を渡すことによって、家族の繁栄のためにつかってもらいたいと思っている。結婚すれば、金を持っているにも関わらず子世代に金を放出しない親は少ないだろう。
そんなこんなんで、今の生活には、余裕がある。余裕があるといっても、高級外車に乗ったりブランド物の服を子供に着せたり、有機食材にこだわった生活をしてるわけではない。普通の生活(西友やユニクロの生活)を、余裕をもってしているという感じだ。貯蓄もしている。この貯蓄は子供世代に渡す予定の貯蓄だ。
まだ30前半なのに、次の世代のことを考えて生活をすることになるとは、結婚前は想像だにしていなかったが、家族を持つということはそうことなのかもしれない。
もらったらもらいっぱなし。こういう人が多くなったんかなあ。
私は未婚(もちろん子なし)で、既婚で子持ちの兄弟がいるけど、
お祝いあげてもお年玉あげてもなーんにも返さなかった。
お祝いは相場くらいの金額にしてるし、お年玉だってそれなりに渡してるし、
決して「お返しが必要ない金額しか出さない」ほどケチってるわけじゃなかった。
こっちからお祝いをあげるようなときって、たいてい内祝とか返すでしょ。それもない。
だんだん「『相手に常識が通用しない』ことで機嫌が悪くなる自分」に腹が立ってきて、
どうにかならないかと知恵を絞って、
「最初から『お返しなしでね!』ってそれなりに渡せばいいんだ!」
って気がついてからは気が楽になった。
初節句は3000円を包んで「お返しなしでね!」
誕生日は絵本を買ってと図書カード1000円分。「お返しなしでね!」
親から遠まわしに「ケチるなよ」(←意訳)って言われたけれど、
「お返しが調達できないほど長いこと忙しいみたいなんだよね。だから手間を省いてあげているのー」
と天然を装って返している。
次にどう出てくるか楽しみだわw
この幸せを書きたくなった。
DQNだと言えばそうなんだけど、まあ幸せなんだから仕方ない。
妹と完全に関係が切れた。
2人姉妹。同じ年に就職し、同じ年に実家を出てそれぞれ一人暮らし。
業界が違って休みの予定が重ならないので、年に一度程度も会わず。
疎遠にしていた妹から連絡があり、遊びにきたいと。
まあ断る理由もないのでOKした。
そしたらケチをつけまくるつけまくる。
東向きは夕方が暗いからダメだとか(午前中明るいのを気にいった)
最上階は夏暑く冬寒いからダメだとか(以前の家は西日で40度だったので超改善された)
幹線道路に面していて環境が悪いとか(近くに大きな公園があって緑いっぱい)
とにかく狭すぎるとか(1人には十分広いし、立地を考えると上出来)
ありとあらゆることに文句をつけ、こきおろした。
妹が帰ったあと、お茶のおともに出したケーキの残骸を片付けながら、
そういえば手土産もお祝いもなにもなかったなーと思った。
数年後、妹が結婚した。
式は海外で2人きりであげるというので、参加しなかった。
両家の顔合わせの食事会とかもなかった。
さらに数年後、妹ご懐妊、ご出産。
配達が待ちきれないと言われたらなんとか持ち帰った。
お年玉、初節句、お食い初めにお宮参りに誕生日にクリスマスに……
お祝いすると言われたらやはり多少の出費には目をつぶった。
まあ性格的なものもあるし、独り身が苦にならないし、これはこれで。
先日、近いうちに家を買うと連絡があった。
「お姉からお祝いもらったら、車の頭金にするから!」と言われた。
「家を買ってもお祝いはしないよ」と伝えると大激怒。
今まで世話になっておいてなんだ、冠婚葬祭は大人の義務なのに、お祝いくらい気持ちよく払え。
うちが一戸建てを買うから妬ましいんでしょ、たまには遊びに来させてやるのに!
まとめるとそんな感じ。
「家を買ってもお祝いしないのは、あなたに合わせてるだけだから」と伝えると、
あのころはお金がなかったの、お姉ちゃんだから甘えていたの、いい家だったからお金あるんでしょう?
そうなの、と聞くだけ聞いてから伝えた。「じゃあ今回のお祝いと相殺にしようね!」
いやぁ、まいった。日本人なのに日本語じゃなかったよ(笑) 聞いてても理解できないんだもん。
いつまで経っても言い訳らしき音声が流れてくるので、受話器をそのままにごはんを作って食べた。
食べ終わって片付けまですると通話が切れていた。
その後、留守番電話に毎日のように「お願い、お祝いちょうだい」と入っていたが、
もう伝えたいことはぜんぶ伝えてあるので、コールバックはしなかった。
2週間ほどそれが続いたが、最後は「もういい! この守銭奴! もう縁を切る!」と怒鳴っていた。
両親からは、仲直りしろと連絡があったが、こちらの説明と留守番電話の内容を聞いて、
それなりに納得したらしい。
甥に会えないのだけは少々寂しいが、この開放感にはかえられないかもしれん。
http://anond.hatelabo.jp/20080805093842
子供を生んで育ててる間は働けないわけだから、
その間の金銭的な問題と、それからその後の職場復帰のサポートをどれだけやるかが重要であって、
出産にかかる費用なんてのは正直トータルで見れば無視していいレベル。
そういう人が育児休暇をとって2年間収入なしになり、
そのトータルの収入減は2000万はあっさり超えると思う。
女性が働くのは勝手だからそんなの当然だろ、とかいう反論もよく聞くけど、
そういうこと言ってるから少子化になるのであって、
むしろそういう反論をするくらいなら昔に戻って「女性は働くな」といってるほうがマダまし。
子育てしてる家庭への補助は出すべきだと思う。
儀式が必要なんだ。結納とか、披露宴とか。これにまずゲンナマはもちろん、時間的にもかなり使わされることになる。精神的にも切迫する。くだらないことで相方とケンカしちゃったりもする。
これにはあまり納得できないな。
子供が生まれてからは、
初宮参り・お食い初め・初節句・七五三・入園卒園式・お受験その他という、
(暇なジーサンバーサンたちの期待にこたえる必要があるので手を抜けない)イベントたちが
次々と襲ってくるんだから。