はてなキーワード: 円谷英二とは
ゾーフィー「そんなに好きになったのか」
ウルトラン「ジュワワ(はい」
庵野「という話でどうっすか?」
樋口「泣ける……」
米津玄師「わかる」
多分、違うと思うんだよな。
円谷が言いたかったのって多分そうじゃないんだよな。
ただ円谷が言いたかった言葉の半分ぐらいが、「ドラえもん未来へ帰る」の方がもっと伝わりやすくかつ知れ渡っちゃってて今更もう日本人はそっちを語らなくてよくなっちゃってるっていうか。
それもあってか絶対的な存在を失ったことの悲しみと裏切られたような気持ちの解消を求める方向に走っちゃったというのがあるんだろうな。
でもそうじゃなくて、裏切られたような気持ちを1人ぼっちで抱え続ける覚悟を持てみたいな所があって、米津玄師はそれをちゃんと歌ったんだけど、庵野と樋口はそこから逃げちゃったんだよね。
そこがあの映画における最大のウィークポイントなんじゃないかと思うわけ。
意思を持つものに送り込まれた意思を持たない暴力によって信念を持って戦うはずのヒーローが負ける物語に対して、柔らかくて心地よい終わりを求めちゃ駄目だと思うんだよな。
弱い老人の姿を強い若者が浮き彫りにした映画って印象になっちゃってる。
まあ考えようによっちゃ、日本の老人達が乗り越えられなかったものを日本の若者は乗り越えたみたいに……言えないんだよね。
リアルタイムで体験した人間じゃないと分からない絶望をさも分かったように米津が歌ってるだけみたいな所もあるから。
結局さ、あのときゼットンに敗北したのを見ていた子どもたちの代表が出した答は「悲しみから逃げることの選択」だったわけで、円谷英二は天国でこれに何を思うんだろうな。
当然ながら末端の別部署にいる人間は無関係なんだから罪に問われることはなく
にも関わらず元増田が逮捕者が出ればKADOKAWA即終了と短絡してるのは
でもな
それとは別個に才能はきちんと評価すべき人間はたくさんいる(いた)
ところが元増田はオタク系産業の世界は世間からケガレのレッテルを貼られないで欲しいらしい
俺だってな1989年に宮崎勤が逮捕されたときは悲しかったよ!!!!
でもな宮崎勤は俺たちの仲間じゃないと言って切り捨てたり無視したり
漫画やアニメやゲームやラノベが好きな奴にだったクソみたいな奴はいる
ほかならぬ自分が聖人君子でないことがわかってる俺は渋々それを認める
でもそれが認められない元増田はよほど汚れない綺麗な善人様なんでしょうね
そんな綺麗な心しかない陳腐で凡庸な善人だけが作る作品が本当に面白いのやら
元増田の頭の中にあるような聖人君子しかいないオタク系クリエイター業界で
元エロゲー脚本家で変態シナリオばかり書いてた虚淵玄人みたいな鬼才の持ち主が
出てくるのだろうか
元来は反ポリコレな性分で、はてサやらツイフェミやら蛇蝎の如く嫌ってたんだけど
コケにする為に頻繁に見てた彼ら彼女らの発言が深層心理に影響を与えたようで、
信じられないことだが、知らぬ間にポリコレが自分の中に根付いてしまったようだ。
ここ最近は反ポリコレ的な冗談に全く笑えなくなってきてしまって自分でも非常に驚いている。
ネットやらバラエティの「ブス・ヤらせろ・ババア」みたいな暴言も笑えなくなったし、
「やっぱ韓国人どうしようもねえな」「こいつらホモかよ」みたいなのも全く受け付けなくなった。
3年くらい前まで自分が発言する側だったのにな。実社会でそういう発言する奴に出くわすと
「うーわ、こいつ真性のアホだな。」とドン引き、必要最低限の接触にとどめ、距離を置くようになった。
「好きの反対は無関心・アンチは実質ファン」とよく言うけど元々そういう素質あったのかもしれんな。
キズナアイ騒動も普通にあちら側に賛同してた。個人的に最も考えが近かったのはイスラム研究者の池内恵。
彼がオタク連中から親の敵のように表現の自由棒で猛烈に叩かれてるのを見て、暗澹たる気持ちになった。
シュナムルの意見も「そら、それくらいの子を持つ親なら当然の意見だろうよ。」と思ったし、
直近のグリッドマンも「天下の円谷も落ちたもんだな。円谷英二が草葉の陰で泣いてるぞ。」と思った。
これは洗脳されてるのだろうか、それとも単純に人生経験と共に考えが変遷したのだろうか。
昭和の怪獣映画の頃だって、ジオラマ特撮は安かったわけではないみたいだよ。ただ当時は代替技術がなかった、という事情だと思う。
円谷英二は良くも悪くも職人で、金に糸目をつけず作り続けたから、円谷プロの台所はいつも火の車だったそうだ。
CGの方がジオラマより安いとしても、出来栄えのクオリティで確かにCGの方が高いのは認めざるを得ない。それに修正が容易だし。
やっとシン・ゴジラを見たのだけど、VFXがすべてCGなんだな。
最初のゴジラは特技監督円谷英二の映画だった。ミニチュアのセットを着ぐるみの怪獣が破壊して回るのを如何にも巨大怪獣がいるかのようなアングルと映像合成で見せる映画だった。ゴジラの爆発的ヒットを受けて、東宝は怪獣映画のシリーズ化を決め、それは同時に円谷の職人芸を見せる為のシリーズとなった。円谷は特撮専門の制作プロダクションを設立、予算に糸目をつけずに職人芸のこだわりを突き詰める場となった。
シン・ゴジラには大量のクレジットロールが流れるが、円谷の文字はない(はずだ)。
東宝はゴジラを再創造する仕事を庵野に託した。その目論見は当たったようだ。円谷晩年の作品「帰ってきたウルトラマン」へのオマージュでクリエイターとして知られるようになった庵野が何を考えてこの仕事を請けたのか、知るところではない。結果がすべてだ。
一方の円谷プロは、今もウルトラシリーズの新作を作り続けているが、基本的に過去のウルトラマン作品の知的財産権管理で食べているようなものだ。円谷の特撮が日本のお家芸と言われた時代は完全に終わったな、というのがシン・ゴジラの最初の感想だった。
そこにゴジラのたまごというモニュメントがあったことを知っているだろうか。
それが出来たのは1988年で僕が生まれるよりも前のことだ。
幼い頃ほとんどの子供がそうであるように僕もゴジラに夢中だった。
正確に言うと平成モスラの1作目がきっかけだったし、ウルトラマンも大好きだったので厳密には特撮モノなのだが。
ともかく、そんな僕のことを父親はゴジラのたまごのところまで連れて行ってくれた。
当時の僕は子供だったので、劇場で観たモスラのことを引きずっていたのか、そのモニュメントは「モスラのたまご」だと勘違いしていた。
観に行った記憶、観て思ったこと、そのどれも正確に覚えていないが、僕の中では「父親とモスラのたまごをみにいった」という記憶として定着していた。
そして時は過ぎて、大学生になった僕は東京の大学に進学し、映画のサークルに入った。
ある夏休み、サークルの同期(年齢的には先輩)が僕の地元に遊びに来ることになった。
僕の実家に2泊ほど、映画をみたり議論をしたり、色々したのだが、結局暇を持て余してしまったので僕はモスラのたまごを観に行こうと言った。まぁその時まで間違いに気づいていなかったのだけど。
しかしながら僕の言うところのモスラのたまご、つまりゴジラのたまごは1997年、放火によって撤去されている。それが決定的だっただけで、それ以前にも落書きなどあったようだが。
僕は勿論そのことを知っていたので、わざわざ観に行ってもそこにたまご自体は無い。それは同期にも伝えたのだが、それにも関わらず僕は同期と二人でそれを観に行くことになった。
実際たまごがあった場所につくと、案の定始めて来たような感覚だった。川沿いあるたまごがあった場所には当然だが観光客などはおらず閑散としていたのを覚えている。
車で入れるぎりぎりにつけて、進んでいくと、そこには断層がむき出しになった土の壁で囲まれていた。
入口にはかつてここにゴジラのたまごがあったけど撤去されたよという恨み節にもとれる文言が書かれた看板が置いてある。
僕はそこに来てようやく「あぁこれはモスラのたまごじゃなかったんだな」と気がついた。
まぁそれなりにはショックではあった。覚えていないとはいえ、僕の中では一応思い出として成立していたことだ。
僕の中にあったたまごはその時、物理的にも精神的にも無くなってしまった。
僕がこんな何もない場所にわざわざ連れてきてしまった同期に対して申し訳ないと考えながら彼の方を見ると、彼は持ってきたビデオカメラでなにやら撮影していた。僕は彼に近付き、「モスラじゃなくてゴジラだったみたいです。」と伝えた。
彼はただ、あぁそうなんだと答えた後でこう言った。
僕がなぜ、と聞き返すと、彼は大体こんな感じのことを言った。
ゴジラは海のイメージがあるけど、ここには海から繋がる道がない。そんなところにわざわざたまごは産まない、だからモスラ。
彼が何を思ってそんなこと言ったのかわからないが、今思うと僕にとっては嬉しい言葉だったのかもしれない。
僕はそれならラドンでもアンギラスでも一緒だろうと言いつつ、自分たちが今いる場所から顔をのぞかせるモスラの幼虫は正直かわいくて、悪くないと思っていた。
帰りの車中で彼ともしゴジラをつくるとなったらどういう話にしたいか尋ねると、彼は1作目みたいなものにしたいと答えてくれた。僕の方は多分モスラを出すとだけ言っておいた。
ゴジラのたまごが心ない人の放火で破損してしまった。それ故に展示しておくのは不可能だと判断した。
今現在のゴジラシリーズの置かれた状況を考えるとそれはなるべくしてなったことなのだろうと思う。
過ぎたことをどうこう言うつもりはないが、壊れる時は存外あっさりしていて、過ぎてからその重要さに気づくことなんて生きてればザラにあるだろう。
例えゴジラが子供たちに夢を与え続けていたとしても、たまごは多分壊れてしまう。事故だとかなんだとか壊れないでと望むことがそもそも贅沢なのかもしれない。
でも、今の僕はあそこにあったのはひょっとしたらモスラのたまごなのかもしれないと思っている。僕の思い出の中には父と観に行ったモスラのたまごというねつ造された記憶がはばをきかせている。
多分嘘なんだろうけど、どこかにホントがあるかもしれない。僕が物語ることから離れられない理由はその辺りにあるのだろうか。
おまけ
正直期待値は超えなかったのだが、そのことに少しばかりの安心も覚えている。
やはり最高のゴジラ映画は日本がつくるのだと、その余地が残っていることは下衆なようだが、正直嬉しい。
それほどまで話題になっておらず、日本でまたゴジラが観れるかというと、期待薄ではあるが、もしその時がくるならば僕に本を書かせてもらいたい。
こんなこと公に言えることではないので、匿名で、しかもおまけという形で言わせてもらった。
ともかく、「僕とゴジラ」っていうテーマだったら日本には腐るほど面白いエピソードがありそうなので、そういうものがあればみたいものである。
そして、僕の世代がどうあがいても手に入らない当時の思い出から新しいゴジラが生まれる日を僕は一ファンとしても楽しみにしている。
以上。
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トラックバックとブックマークコメントで言及されたもの、自分で言及したものをまとめました
情報を提供してくださった皆さんと、場所を提供してくださった株式会社はてなさんに感謝します
ありがとうございました
あああああああああああああああああああああ面倒くさかったああああああああああああああああああ
誰かに面倒くさいこと軽い気持ちで押し付けて平気な顔してるやつが大嫌いなんじゃあああああああああああああああ
感謝なんかしてねえくせに軽い言葉で済ませようとする奴が大嫌いなんじゃあああああああああああああああああああああああ
そこのお前じゃお前えええええええええええええええええええええええええええええええ
二度とこんなことやりたくないです