はてなキーワード: ケリーとは
http://anond.hatelabo.jp/20140421200127
たぶんC女史あたりの論調を指してるんだと思うんだけど、その辺の元ネタはロバート・ケリーとういう経営学者が唱えた「ゴールドカラー」という概念。社会学の方面からは実証研究もあって
http://ocw.dmc.keio.ac.jp/j/meikougi/Prof_Sano_ppt.pdf
あたりが簡潔にまとまっている。
気をつけてほしいのは「ゴールドカラー=起業家」ではないこと。主に専門を生かして転職キャリアアップしてる人や二世実業家などの高収入層のことを指してるから、元増田氏が例示しているような起業家は普通ゴールドカラーには入らない。
ゴールドカラー=起業家としてるブロガーがいたら、元の概念や研究を歪めて解釈しているし、ゴールドカラーの概念に依拠せず、起業家スーパーエリートの台頭を唱えているブロガーがいたら、それは裏付けの無い単なる感覚論(もしくは妄想)。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4062575744
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50990818.html
「hospital」は「ハスペロウ」。
「How are you?」は「ハオユ」。
「You are welcome」は「ユオウエウクム」。
そんな感じの本です。
法則1:「最後のLはウ」 例:beautiful:ビューレフォウ
法則2:「Aはエア」 例:animal:エアネモウ
法則3:「IONはシュン」 例:station:ステイシュン
法則4:「最後のTはッ」 例:difficult:デフェカウッ
法則5:「Oはア」 例:coffee:カーフィ
法則7:「Tはラ行」 例:capital:ケアペロウ
法則10:「最後のアーはオ」 例:paper:ペイポ
法則11:「NTのTは消える」 例:twenty:トゥウェニ
法則13:「痰(タン)は鼻づまり」 例:important:エンポーッン
http://allabout.co.jp/children/kidsenglish/closeup/CU20020620a/
続き http://anond.hatelabo.jp/20100716134521
一年に100ドルを自分に費やしてくれるファンが1000人いれば
http://sourceforge.jp/magazine/09/11/02/0319245
こうした議論において、Wired誌の創立者、ケヴィン・ケリーが昨年出した文章「1,000 True Fans」はある意味当たり前の話とは言えなかなか示唆的だった。彼の結論を先に言えば、1000人のハードコアなファンがいればアーティストは食っていけるとしたのである。こうした忠実なファンは、もちろんいわゆる「一見さん」ではないが、そのアーティストが出すものは食べ残しのパンの耳から便器のふたに至るまで買うというほどの狂的なファンでもない。ケリーの言に従えば、自分のために年に100ドル、1万円ほど使ってくれる程度のファンである。ライヴ・チケットなら3回分、CDなら4枚分。本なら5冊分といったところか。平均的なファンの支出額よりは相当多いだろうけれども、しかしべらぼうというほど大きな額ではない。
1000人から1万円をもらえば当然年収は1000万円だ。もちろんこれだけでスタジアム・ロックをやるのは無理だろうが、多くのソロ・アーティストにとっては、諸経費を出しても生活費くらいは残る程度の額ではなかろうか。そして、そのようなハードコアなファンは平均的なファンを外から引っ張ってきてくれる可能性が高い。才能があって運が良ければそうした平均的なファンがハードコアなファンになってくれるかもしれないし、そううまくは運ばなかったとしても一回の収入としてはプラスアルファにはなるわけだ。
おっぱい大好きなんですよ。
ふわふわしたあのマシュマロみたいなのを眺めていると、猪木に張り手くらったみたいにぽ~っとなって幸せな気分になるんですよ。大体「おっぱいが好き」なんて言うと「でかい方がいいのか!」と女の人からなじられたりして、まぁそれはそれで興奮するんですけど、私は「おっぱいがスキ」と明言しているだけであって、「デカイ方がスキ」なんて一言も言ってないのにこの心のモヤモヤは一体どうやって晴らしたらいいのかと思うともう、なじられるしかないと思うんですよ。もっと強くなじってください。「ギブミーチョコレート」って叫ぶ私のほっぺたを、思い切り強く張り飛ばしてください。
嫌でも、女の人の魅力はやっぱりおっぱいだと思うんですよ。おっぱいの柔らかさを表現するためにさっきからずっとひらがなで表記してますけど、そんな事はどうでもいい事で、やっぱりおっぱいの善し悪しが一番だと思うんですよ。
こんなことを公の場で全身タイツを着ながら叫んだりすると、通りがかりのフェミニストに鼻骨がねじ曲がるぐらい殴られると思うんですけど、まぁ興奮するんですけど、じゃあ女の人の魅力は「優しさ」だとか「包容力」だとかだとしましょうよ。「可愛い」とか、もっと大雑把に「性格が良い」とかでもいいですよ。でもそれらは人間的魅力であって、女としての魅力じゃないと思うんですよ。優しい男だって可愛い男だって魅力的じゃないですか?男女平等をうたうのであれば、むしろ男の魅力を語るときにも「可愛い」という言葉をどんどん使うべきなんですよ。私は自分の事を腐ったチワワみたいに可愛いと思ってるんですけど、残念ながら女性からそう言われたことはなく、似ている有名人はケリー・キングぐらいしか出てこないんですけど、もちろん女性を評価するのにだって「かっこいい」とか言ったっていいわけですよ。「いぶし銀!」とかもオッケーなんですよ。「渡哲也みたいでカッコいい!」とか女の人に言ってみれば、即座に惚れられると思うんですけど、この前知り合いの女性にそのように声をかけたら、歯を5本ぐらい抜かれたんですけど、何故なんでしょうかね?
まぁとにかく。
そのように内面の性格とかを「女性の魅力」だとか「男の魅力」だとかに定義してしまうと、やっぱり無理が生じてくると思うんですよね。やっぱり「女性の魅力」を語るのであれば、女性にしかないモノで論じるべきであり、それすなわちおっぱいだと思うんですよ。「フェロモン」みたいなものもありだとは思うんですけど、それは男にもありますしね。よく言うじゃないですか「男のフェロモン!」みたいなの。私の場合はどっちかというとホルモンですけど。テヘッ!
そんな訳で、やっぱり女性の魅力を計るのに最も適したのはおっぱいだと思うんですよ。「だったらボディー全体の出来不出来で見ればいいのでは?」という言葉も聞こえてきそうですけど、そこはやっぱり、おっぱいって出っぱってるじゃないですか?まぁ出っぱってないおっぱいも私は大好物なんですけど、一番目を引きますよね?出ているのであればお尻でも良さそうなものなんですけど、あれは後ろに付いてるし、ちょっと下すぎますからね。私は常に女性のお尻に敷かれたいと思ってるんですけど。そして「股間の出来は?」との問いは、これは出っ張ってないし、そもそも外見からは判断が付かないので、「判りにくい」という理由で却下します。
以上の理由から私はおっぱいこそが、女性の魅力を語るのに一番適したポイントであると思うんですけど、だったら男の場合はどうかというと、ここはやっぱり息子を魅惑ポイントに置くのが筋じゃないかと思うんです。
でも男は損ですね。息子の大きさや具合なんかは、パッと見じゃわかりませんからね。パッと見で大きさが判っても少々問題があるような気がするんですけど、とにかくやっぱり男の魅力を語るのに一番適しているのは息子だと思うんです。僕の息子は生後一か月のように可愛らしいのですが、そういうのが良いという女性がいるかもしれないし、いないならいないで二次元に逃避するだけなんですけど。
ここで「ではどんなおっぱいが素晴らしいのか」に入るべきなんでしょうが、それは人それぞれ個人差があるでしょうし、私一人の少ない女性経験というかまぁゼロなんですけど、そんなもので計ってはいけないと思うんですよね。みんなちがって、みんないいんです。皆がそれぞれの幸せを、マシュマロを語り合えばいいだけの話なのです。みんな、幸せになりたんですよね。なろう!幸せになろう!幸せですか!幸せですか!
まあ、どのくらいの数の格闘技オタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らない格闘技の世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、格闘技のことを紹介するために
見せるべき10試合を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女に格闘技を布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴う時間無制限の試合は避けたい。
できれば5分、長くても90分にとどめたい。
あと、いくら格闘技的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
ブラジリアン柔術好きが『ヴァリッジ・イズマイウ』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
格闘技知識はいわゆる「亀田」的なものを除けば、魔裟斗やタラコくちびる程度は知っている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「PRIDE以前」を濃縮しきっていて、「PRIDE以後」を決定づけたという点では
外せないんだよなあ。長さも5分弱だし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に
伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「総合格闘技オタが考える一般人に受け入れられそうな試合(そうオタが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「オタとしてはこの二つは“格闘技”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種のプロレスオタが持っている宇宙への憧憬と、高田延彦のプロレス的な考証へのこだわりを彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにもニューフェイスな
の二人をはじめとして、プロレス好きのする試合展開を世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「イケメン来たよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の試合がその後組まれていないこと、これがアンチKID界隈では大人気になったこと、
アメリカならディーン・リスターとマウリシオ・ショーグンになって、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、
日本国内でこういうのがつくられないこと、なんかを非総合格闘技オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱり総合格闘技はマニアのためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは『青木真也 vs 菊地昭 2回目(修斗)』
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、試合にかける桜庭の思いが好きだから。
断腸の思いで削りに削ってそれでも1時間30分、っていう尺が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにも総合格闘技オタ的だなあと思えてしまうから。
『桜庭vsホイス』の長さを俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれが
桜庭がジェラルド・ゴルドーや曙だったら5分以内に一本負けしてしまうだろうとも思う。
なのに、グレイシー一族が各所に迷惑かけて1時間30分を作ってしまう、というあたり、どうしても
「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないオタ」としては、たとえホイスがそういうキャラでなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。試合自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層でナジーム・ハメド見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
『マルコ・アントニオ・バレラ戦』よりも前の段階で、スウェーバックとかノーガード戦法とかはこの試合で頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティの試合が現実にこの時代にあったんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなく格闘技好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆるファイナルファンジータクティクスでしか"ハメドる"を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
ブラジリアン柔術の「関節技」あるいは「ポジショニング」の芸術性をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「仲間を背負って試合をする」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそ、この試合の寝技展開は彼ら以外ではあり得なかったとも思う。
「仲間を背負って試合をする」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の
源はこの試合にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
コマンドサンボvs柔術でこういう試合を組んで、それが非寝技オタに受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9試合まではあっさり決まったんだけど10試合目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にホイスvsシャムロックを選んだ。
ヒクソンから始まってホイスで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、UFC以降の総合格闘技時代の先駆けと
なった選手でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい選手がいそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10試合目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。