はてなキーワード: アジア人とは
だからオタクの敵になりたいとかそういうつもりで書いてないし、自分の問題提起が正しいかもあやふやだ。そこも含めて聞きたいと思っている。
言いたいことは題名の通りで、漫画やアニメの異常な表現は見直されるべきだと思う。
これはお気持ちの問題もあるが、実際に女性がコンプレックスを持つ原因になるのではと危惧している。
それは、アジア人ではまずいないレベルの巨眼女性が普通であるかのように表現されて、
特に若い世代が現実ではあり得ないくらいの巨眼を理想としてしまっていることだ。
少年漫画平均くらいの目の大きさならともかく、少女漫画は顔の四分の一くらいが目に支配されていることも多い。
さらには女児漫画だと顔のパーツの7割くらいが目で構成されているキャラクターが度々登場する。
で、これの何が問題なのかと言うと、現実の女性がその漫画アニメ表現に合わせようとしていることだ。
例として学生時代に彼女とプリクラを撮った際のことなのだが、出力された写真の目がデカ過ぎて宇宙人みたいになっていた。
キモいから40秒くらいの加工タイムで補正を切るコマンドをさり気なく探していたが、
そういうボタンは無かったし、彼女は「かわいい〜♥」とテンションが上がっていたので何も言わなかった。
「まぁプリクラってそういうもんか…」とスルーしたのもつかの間、俺の世代では「SNOW」という写真アプリが大流行した。
これは写真を撮る前から人顔を認識し、自動で肌補正や巨眼加工などをやってくれるアプリだ。
その結果、学内の奴等がSNSに挙げる写真は目が異様にデカく、肌も筆で塗ったみたいにボヤっとしていて、鼻の部分に猫の鼻みたいなバカなエフェクトが乗っているのがデフォルトになってしまった。
加工が一切ない写真を撮っていたのは俺だけで、共に旅行した友人は皆SNOWで撮っていた。
おかげでLINEに共有したアルバムの8割に変な鼻エフェクトが乗って宇宙人みたいな顔になっている。
時が経つにつれて最早SNOWでなくても加工撮影アプリを平然と使う世になってきた。
大学の友人は「かわいい彼女いるんだぜ」と顔が巨眼に加工された女性の写真を見せてきた。
サークルの先輩は「これが合コンのメンバーなんだが行くか?」と顔が巨眼に加工された女性の写真を見せてきた。
ルームメイトの後輩は「いやぁ〜マッチングアプリの写真に騙されましたよ〜」と顔が巨眼に加工された女性の写真を見せてきた。
百歩譲って見栄を貼りたい女性の立場を受け入れたとしても、ほぼ絵みたいになっている加工写真を男性側が受け入れて品定めするようになってきた。
完全に俺はついていけなくなり、頭がおかしくなりそうになった。
そんな折、俺は加工写真に理解を示すべく、相変わらず写真補正アプリをデフォで使ってくる彼女に対して、「これ使ってると人の顔が絵みたいになるよね〜」とアプローチをかけてみた。
すると「だよねだよね!少女漫画の主人公みたいでカワイイ〜」と返してきた
………な…なるほど〜……と思った。
確かに異様にデカい目、ツルッとした肌、点みたいにちっちゃい鼻
彼女の家には大量の少女漫画があったし、昔からプリキュアを見続けているとも言っていた。そういったモノへの憧れなのか…それとも目が小さいというコンプレックスが刺激されてしまったのか…
今や補正撮影アプリも使用したところで何か言われるような世ではすっかりなくなった。
人々がこのアプリを使う理由は必ずしも俺の彼女と同じとは限らないだろう。
しかし現日本は公共にアニメ絵が溢れ、日本人は幼い頃から目が大きなアニメキャラを自然と見てきている。
そういったモノに対して、最早意識して憧れを抱くまでもなく、大きい目が自然で理想的だという無意識が若い世代に芽生えているのではないのだろうか。
………と、ここまで書いたが
どこかしら変な所があるとは思う。
それとぶっちゃけこれを書いた主目的は学生時代に体験したSNOW大流行という恐怖体験の本質は何だったのかを知りたいだけなんで
いやそりゃそうでしょっていう
その欲求に即したコンテンツの普及、又は萎縮の阻害を目指しているわけで
それ以外の表現の自由への活動とか普通にしませんけども 何か?
これ言うと 「何が表現の自由戦士だよ」とか言いだしそうだけど
そもそもこの呼称って揶揄された結果 勝手に付けられた蔑称なんだから
なんか勝手に「表現の自由を守ろうとしているオタク達」みたいな感じにされてるけど
「表現の自由の名の下 オタク絵を街から消さないでくれ」っていう狭い範囲をワンセンテンスの思想として持ってるオタクも当然大量にいるわけで
彼らと「広く表現の自由を守ろうとするオタッキーな人」を混ぜて「表現の自由戦士」と揶揄した結果
オタク絵を守りたいだけのオタクまで他の表現の自由問題へ首を突っ込むよう謎の要求をされてしまっているのが現状なワケよ
そうなると今度は「表現の自由を理由にオタク絵を守ろうとするなら他の表自問題にも行動を起こすべき」って意見が来そうだけど
前にブラック・ライブズ・マターってあったじゃん
アレは黒人が警官に殺されてから波及した人種差別の撤廃を求めた運動だけど
極一部のアジア人は「黒人もアジア人差別するじゃん」とか言いつつデモを冷笑し
極一部の白人は「黒人だけじゃなくて全員が平等になるべきなんだからオール・ライブズ・マターだろ」とか言い出す始末だった
結局これらの意見は「今黒人が声を上げているトコロでしょうが!論点をブラして活動を妨害するな!」っていう反論で封殺されレイシスト扱いされるオチへ至った訳だが(まぁ大分雑な説明だが)
これってオタクコミュニティに属してオタク絵を守ろうとしてるだけの人間に他の表自問題へ首をツッコませようとしている奴等と同じなんだよね
これで何の問題もない
それでも「表現の自由戦士にはあいちトリエンナーレ問題を始め表現の自由についてダブスタなオタクが沢山いる」って言ってくる奴等はいると思うよ?
実際そうだろうけど そうじゃないオタクも沢山いるよねって話
これが鉄オタとかアイドルオタとかなら「自浄作用持てよ」って話になるけど
自然発生した物好きの集団と違って「表現の自由戦士」は揶揄前提の呼称だからね
「何で敵勢力に勝手にカテゴライズされてレッテル貼りされて自浄作用求められるんだよ応じるわけねぇだろバーカ」としか言い様がない
ツイッターとかで大暴れしてる論客を煽る目的なら全然いいんだけど
普通にオタ活してるだけの奴等巻き込んで
とか聞いても いや知らねぇよ!ってなる人とならない人がいるクソ質問になっちゃってる
別にいいじゃないですか
私はアニメが好きでオタク絵が公共に溢れれば楽しいと思ってるだけなんですよ
科学読み物やTVで取り上げられた有名なのはこれ。イェール大学のヤツ
下記はイェール大学の乳児認知センターで公開している実験の動画
[Yale University] The Infant Cognition Center: Research in Action
他に科学読み物で取り上げられてたのはワシントン大学のこんなのとか
- 赤ちゃんは公平さを好むが、自分たちがより利益を得る場合には、公平さはそれほど重要視しない
- 白人乳幼児40名に研究者2名がおもちゃを配った。1名はおもちゃを公平に、もう1名は不公平に分配した。
その結果、70%の乳幼児はおもちゃを公平に分けた研究者をより好んだ- 実験対象にアジア人と白人の乳幼児を混ぜ、その中の何人かの白人乳幼児に、より多くおもちゃを配るという実験をした。
その結果、前の実験結果とは異なり、白人の乳幼児は「自分たち」をひいきする「不公平な」研究者をより好んだ[Frontiers in Psychology] I“I pick you”: the impact of fairness and race on infants’ selection of social partners
https://www.frontiersin.org/articles/10.3389/fpsyg.2014.00093/full
こういうのは頭がTO図で止まってるキリスト教徒が善意の啓蒙のつもりでやるんだよ。西欧はアフリカとはそれなりの交流があり、「うちら西欧」と「アフリカ」の間には区別がある。そして「西欧」でも「アフリカ」でもない世界がイスタンブールの向こうに広がっており、その前人未到領域をすべて「アジア」と称している。そこには「アジア人」が住んでいることは分かっているが、それ以上の知識はない。彼らの頭の中ではアジアの中でトルコの砂漠やジャングル(?)を越えた先に、東京在住者が考える「北海道」のようなぼんやりしたイメージで捉えられる一つの「東アジア大陸」とでも称すべき地域が存在して、その同じ「東アジア大陸」の中で民族のいがみ合いが発生しているという理解になってる。だから国境の外に民族主義がとかどうでもいいことを言う。
「仮にも『同じ東アジアという人種』なのに(本当に仮だな…)、つまらない言語の詳細(???)でいがみ合っているのは不幸だ、だから修正してやる、仲良くしなさい」という中世じみた発想が学術論文の被り物をしているのだ。論文の一通を形式的な理由で取り下げさせたところで、この発想の方を修正しない限り根本的な解決にはならない。