はてなキーワード: 行政活動とは
こういう変な人格論とかイメージ論とか雰囲気で適当に選挙に投票する非論理的な感情論おじさんが多いのって残念だよね
単純な政治の具体的内容、実際の行政活動、物理的内容、実績、答弁、に基づいて論理的に投票するまともな知能がある人間が少なすぎて頭悪すぎてほんと可哀想
北欧だと普通に政策の具体的内容で投票するし、プロパガンダを警戒してメディアを鵜呑みにしないし、普通に不正や裏金議員を落とすので不正や裏金をするデメリットがメリットを上回ってて不正が全然流行らない
政治家がきちんと答弁に答えてて、しかも至極真っ当なことばかり言ってるっていう
(真っ当なことを言わないような奴はすぐ落とされるんだから当たり前だよな)
切り抜きが流行ってプロパガンダに騙されるアホばっかでほんと笑っちゃった
幼稚園児でも政治は偏った情報が流れてきます、プロパガンダに気をつけましょうって教わるのに国民の大半に幼稚園児以下の知能しかないんだね
福井県池田町の移住者に対する七か条「都会風ふかすな」「品定めされてる自覚を」に批判が集まってるけど、
今回は都会に住んでる人間が「される側」だから反発してるだけで、
都会に住んでる連中だって自分らがよそ者・異質な者を受け入れる側になれば同じ反応してるでしょ。
よく話題にあがる「不審者情報」だって、別に違法行為をした犯罪者じゃない。(それなら捕まってる)
「我々が普通ならしない異質な行動をする怪しい奴がいる!不安だからみなに知らせるぞ」
ていうシステムじゃん。
池田町へのブコメで「プライバシー侵害は人権侵害だ」がスター集めてトップブコメになってるけど、不審者情報で「怪しい奴」とレッテル貼って、公共機関(警察)が行政活動としてマスコミやネット使ってその行動や性別推定年齢や外見特徴を広く知らしめるって、住民同士の口伝以上のプライバシー侵害・人権侵害じゃん。
でもあれが批判されず許されてるのは、「日々の暮らし(これまでの繰り返し)を守りたい、安心感を得たい」という防衛反応で、それ村人が移住者に対する村八分の反応となにが違うの?
ブクマカもつい昨日に不審者情報という名の村八分に喜々としてのっかって「我々の常識に沿わない怪しい奴への不安」を煽り立てて排除を進めよとしてたじゃん。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.uhb.jp/news/single.html?id=33459
「我々の常識に沿わない都会者への不安感、異物感」で排除しようとする田舎の村八分となにが違う?
「赤の他人にダジャレをいうおじさん」と「集落機能維持するための側溝掃除に参加しない都会者」への異物感、排除したがる気持、まったく同じに見えるよ。
なんなら後者のほうが実生活かかってるだけまだ拒絶感が理解できる。
この問題は何度も世に出てきていると思うが、法治国家のことを勘違いしている人がけっこういる。
表現の自由界隈からも「法律を超えたら表現の自由はない」ってのが無邪気に言われまくってるけどさ、じゃあ、「本日から漫画を描いてはいけない」って法律ができた瞬間、漫画を描く表現の自由はなくなるの?逆なんだよ。表現の自由が先にあって、それを侵さない範囲で規制が許されるだけ。
これに対して
自由を侵害する法律が作られたら法の手続きに基づいて侵害されないように法改正をするのが法治国家の自由の行使なのだ。
法治国家原理は、法律の法規創造力の原則(国民の権利を新たに制限し、義務を課す法規範は国民代表議会のみが作ることができ、行政が立法してはならない※)、法律の優位の原則(行政活動は議会制定法に反してはならない)、法律の留保の原則(国民の権利を新たに制限し、義務を課す行政活動は、法律によって授権されていなければならない)から成り立つ。これらのどこにも、自由を侵害する法律が作られたら、法改正を待つべきであり、あえて規制に逆らうべきではない、という議論は含まれない。
※これは行政に関する原理であるというのがミソで、私人同士で新たな義務を課すのは、原則として自由である。たとえば、100万円を借りるという金銭消費貸借契約を結べば、あなたはカネを返す義務を課されることになる。それに先だって国民代表議会の授権規範が必要であるというのは馬鹿げている。しかし、原則が自由だからこそ、社会における事実上の力関係によって一方的に立場が弱い契約を結ばされるということが起きる。そこで、契約の自由を制限する法律が制定されたり(例えば借地借家法を思い浮かべよ)、裁判所の判例法理によって調整が図られることがある。
二番目のツイートは、法治国家を(古代中国の法治国家の伝統もあって)遵法義務の問題と取り違えているだけで、些末な揚げ足取りではないかと思われるかもしれない。しかし、遵法義務の問題として考えてもおかしい。もちろん、国法は自らに従わない者に対して制裁の仕組みを用意することが多い。刑法にせよ、行政上の何らかの義務履行確保の手法にしても。刑罰という結果を避けるために従った方がベターであるというプラクティカルな議論としては意味があるだろう(事実としての強制秩序の問題)。しかし、それと服従義務とを混同するべきではない。たいていの法学者は、不正な法に対して服従する義務はないと考えているのではないか(例:ラートブルフ「法律による不法と法律を超える法」)。ラズなんかは、それを超えて、一般論としては国法への服従義務などない、と言っているようだ。
ただ、これは難しい問題で、誰が不正かどうかを判断するのかという問題がある。万人が自らに都合の悪い法を不正であると判断すれば、アナーキーとなり、宗教戦争の再来である※。しかし、実定法にただただ服従するべしと言えば、ナチスの法にも服従する義務があるのか(事実として強制されるからやむなく従うのではなく)と言われてしまう。結局、個々の法規範に則して個別的に判断する他あるまい。上記のツイートでいえば、一般論として漫画という出版様式の禁止を無視したからといってアナーキーに陥ると考えるのは馬鹿げているであろう。
現代の違憲審査制は、こういった正義と実定法のジレンマをなるべく起こさないようにするためにある。憲法に人権という形で示された一般的正義の原則に照らして裁判官が実定法を審査し、不正な法と認定した法規範の適用を拒否するという仕組みが我々の社会には導入されている。ただ、裁判官の目をすり抜けてどうしようもない実定法が作られることがないとは言えない。立法者と裁判官にさしあたって頼らずに正邪を判断する視点を持つことは、自由な民主的社会の市民であり続けるために必要なことである。・・・自分の頭で考えた結果、おかしな結論に到達する人もいるかもしれないのが頭の痛いところだが、それが自由であるということである。
悪法といえども国法に従う義務があり、悪法をただすには法改正に賭けるべきという態度は、肉屋を支持する豚と言われてもやむを得ない※。
※ひょっとすると熱烈なホッブズ主義者なのかもしれないが、ホッブズ主義者なら、本当に当該禁止によってアナーキーが避けられるのかをもうちょっと真面目に検討するのではないか。
参考文献
長谷部恭男『法とは何か[増補新版]』河出書房新社、2015年
おまけ:
それに反する法律は作れません。
こうした見解に対する批判は本文中にも書いた通りだが、この人の中では、薬事法(古い名前だ)の薬局距離制限規定が作られたことはなかったのだろう。薬事法は、自分に関連する分野ではないのか(薬剤師ではないから、違うかな・・・)。
というのも、公務員は自分の所属する母体をよくするために働きますが、元電通マンの方は、自治体が抱える問題にコミットしておらず、「自分にとって都合の悪い部分」を「自治体の短所」と混同して、嘆いていたからです。自治体のために提言されているものは、なに一つ見えませんでした。
この記事を、真庭市の人々や、真庭市長が見たらどういう気持ちになるんだろうと思いました。
採用面接で、何と言ったら、この人は受かったんだろうと疑問でなりませんでした。
私は今まで3県での業務を経験し、市町村を指導する立場にある時もあったため、首長とご挨拶させていただく機会を多く頂きました。そこで感じたことは、各市町村において、首長によって、行政の重心が様々ということです。国家公務員の我々と地方公務員のレーゾンデートルの在り方を比べることはできないと思いました。なので、同じ公務員だからといって、もっともらしいことはいえないと思います。
とはいえ、共通していることは「市民(国民)が何を求めていて、それをより多くの人が享受できる喜びに変えていくか、悲しみを取り去るか」ということだと考えます。
上記のように考えていた私にとって、彼の意見はおおよそ理解できるものではありませんでした。
彼にとって現時点で問題であることが、行政に何ひとつ結びついていなかったからです。
確かに公務員は民間企業からすれば、物事の進み具合の歯痒さったらありません。まあ、全て法令、先例に根拠がなければ行政活動を行えないからです。国民の皆様から預かった税金を使う以上、明確な根拠のない行政活動はできないのです。
私も当庁に長らく続く悪き風習を変えようとしたときの、柔らかな逆風は今でも忘れられません。
しかし、確実に仕事をこなして信用を得て、コンセンサスを得ていけば、本当に必要な改革なら、通すことができます。
この摂理は官民問わないのではないでしょうか。
まあ、「女性であれば誰でもいいわけではない!」みたいなのはちょい言葉足らずだとは思うけどね。(具体的に誰がそれを言っていたのか知らないけど。)
女性議員数を増やすという目標自体は、基本的には「女性であれば誰でもいい」んだよな。
ただそれは「女性でさえあれば何を言っても批判しない」という意味ではないし、増田の言う通り「何を言っても支持する」という意味でもない。
「支持する人・支持しない人、合わせて多様な女性議員が議席を獲得すること」を求めることと、単純に「支持する人が議席を獲得すること」を求めることは両立するわな。
でも戸定梨香が行政活動から排除されたことには怒りを覚えます。アバターによってジェンダー・身体表現を行う人々に対する明確なヘイトであり、差別です。