はてなキーワード: 技術とは
確かに、リアル寄りのVtuberに興味を持つ人が増えてきていると思うよ。最近は技術の進化もあって、かなりリアルなアバターを使ったVtuberも現れてきているね。
海外でもそういったトレンドは確実に進んでいると思う。特にアバターのレンダリング技術やモーションキャプチャー技術が進化して、より自然な動きや表情を再現できるようになっているし。それに加えて、AIボットを使ったインタラクティブなコンテンツが増えてきているのも興味深いところだね。
具体的な名前を挙げると、海外でもバーチャルYouTuberとして活動しているLil Miquelaという存在がある。彼女はVtuberというよりもバーチャルインフルエンサーと呼ばれることが多いけど、彼女の見た目や動きは非常にリアルで、現実と見分けがつかないほどだよ。
将来的にはもっとリアルなVtuberが増えてくるんじゃないかな。どんどん新しい技術が導入されて、さらにリアリティが増すのが楽しみだね。
お前より技術ができて、ビジネスも出来るやつなんてそこら辺に居るからな。技術しか取り柄がなくて社会が悪いだの、つまらん事やってるから金よこせって言ってる奴よりも、前者の奴の方がそりゃぁ何倍も価値あるだろうよ
ブラックジャックの少しあと、こち亀より少し前、そんな時代に生まれた作品としてオーパーツレベルだろ。
漫画の文脈がいよいよ洗練されていく過程に出来た作品でありながらここまでスッキリとした読み味、演出意図のメリハリや視線誘導の迷いの無さは時代を考えれば異常としか言えん。
同じ時代に生まれた化け物コンテンツとして釣りキチ三平やポーの一族があるけど、これらの作品も今読むとどこかゴチャついた読みにくさがある。
だがガラスの仮面の読み易さはなんだ。
何が恐ろしいって、どのページもどの演出も「これをどういう気持で受け取ればいいのかわからない」と迷子になることが一切ないことだ。
それぞれのシーンの作中における意図がハッキリと伝わるわけだ。
この時代の漫画といえばよくあるのが、コマやページの空白を埋めるように粗雑なギャグが挟まり、迷い箸のような行儀の悪さを感じさせることだが、ガラスの仮面ではそれが極めて少ない。
これから何を描きたいのか、次に何を読ませたいのか、物語をどこに向かわせたいのか、それらが作者の中にシッカリと固まっていて、それを読者に精緻に伝える漫画的なコミュニケーション力を持っている。
何より凄いのが「この物語をただそのまま楽しませることができれば、読者はそれだけで満足するはずだ」という確固たる自信だ。
それが虚勢なのか本心なのかまでは紙面だけでは伝わらないが、ただ一直線に作品を読者にめがけて投げつける渾身のストレートのなんと鋭く重いことか。
漫画が無数の技術と文脈を身に着けた時代を生きる50年先の未来人が読んでなお、「漫画が上手い。漫画力が高い」と思わせるここの普遍的な技量、揺らぎのない精神性はなんだ。
とんでもない作品だな。
50年弱も連載して未だに完結もしないダラダラと間延びした過去の遺物だと思っていた自分が恥ずかしい。
正しく知る誰もがその完成を待ちわびる漫画界のサグラダ・ファミリアだ。
漫画力の高さが本当に狂っとる。
オルゴールって考えてみればDTMの源流って感じがするし誰が演奏したものでもないそれ自体が演奏するものだからやっぱりplayがふさわしいですね。
でも、ネットやSNSがなければ、俺の人生はもっと充実してたはずなんだ!ってのも、単なる幻想だと思うんだよね…😟
何でもそうだけど、ifを考えるのって人生でもっとも無駄な時間でしょ?
あと、ネットやSNSがなかったとしても、その時代のネットやSNSみたいな安易に飛びつけるものに飛びついてただけだと思うんだよね
自分はネットがなかったら、コンピュータプログラミングを仕事にしてなかったと思うし、
他人のソースコードを読んだり、ネットの向こう側の誰かをライバルにして技術を向上させようと思ったり、そのためにひたすらコードを書いたり、
ギターを買っても、元となる楽曲の音源をレコードやCDでしか手に入れられないとしたら、財力に比例してしまうし、バンドスコア、タブ譜もそう、教則本もそう
演奏技術はどれだけ普段音を聴いているか、インプットしているかにも比例するから、ネットがなかったら、それが財力に比例したままだったと思う
それがサブスクやYouTubeや、厳密には違法だけど自分が採譜した譜面を公開してくれてる人がいれば、それを無償のTuxGuitarで再生できるわけだし、
ネットがなかったら、自分のプログラミング能力とか画力とか演奏力とか、上達しなかったと思うんだよね
あと、今なら生成AIを壁打ちの相手にすれば英語勉強したり、あらゆる勉強の壁打ちになってくれるし、
ネットやSNSがなければ、俺の青春は充実してたはずだ!みたいな発想に、自分はそもそもならないんだよね
だって、俺、子供の頃からスクールカースト最下位側の人間だから、ネットやSNSでpoweredされてなかったら、人生は今よりショボくてつまんなくなってたと思うんだよね
今の状況にまったく満足はしていないし、そうは言っても、こうやって生きていられることに感謝はしてるわけだけど、
本人がつまらなくなってしまった事を「〇〇つまらなくなった」と喚いているケースの好例。
デブサミ(Developer Summit)ってのは翔泳社が主催している「今流行ってる・流行りそうな技術」と「大企業のキラキラしたIT事例」が話される場所なの。
増田の年齢ならどっちかのテーマで登壇する立場になってないとダメなの。
あと単なる出版社のスポンサー付きイベントだから日本のIT業界を代表したイベントですら無い。
あと「粗製濫造」ね
あなたがAIや技術に対して感じている退屈さを理解します。AI https://kubet6886.com/ は強力ですが、創造的に使わないと単調に感じられます。ただし、AIはツールに過ぎず、本当の創造性は人間に依存しています。この繰り返しのループから抜け出すためには、視点を変えたり、技術の新しい方向性を探求することが必要かもしれません。技術的な知識と個人的な創造性を組み合わせることで、新鮮な感覚を取り戻せるかもしれません。
それこそ別枝でキレてる経営者クンが言うように、例えば広告収入と無関係な建前バックエンドDBが自動で支出スケールして何の顧客価値があるんだという話でしょ
顧客価値つまり四半期純益が伸びるのは支出が減った時か売上が増えた時だから技術は本質じゃない じゃあITって何なんだよという巨大なインド像がここにいるわけ
k8sやらAWS初めて触ったときは感動した。TypeScriptでクソアプリ作るのが好きだった。
こういう、「最強フレームワーク爆誕!!!最新の技術スタック!!!うおお!!!!」みたいなノリにマジで興味ないのでやっと静かになってくれるのか〜よかった〜と思ってる。
だって、偏差値最下位底辺の私立の医学部とか、それこそ歯科医なんか偏差値以上に低いバカばっか行く大学がいっぱいあるけどさ、
偏差値最下位底辺の私立大医学部に入って、学費6000万とかポンッと積んで、国試通れば医師なんだからさ
まあ、金があるだけじゃ駄目で、自分は医療従事者じゃないから詳しくは知らんけど、激務に耐えたり、努力すれば底辺医学部だろうが人生挽回できるからな
いずれにせよ、ブラックジャックによろしくみたいな漫画にも描かれてるけど、医師は金でなる面があるよな、人生にカネは重要
でも、偏差値が低いバカ大学の歯科医師と、偏差値まともな国立大の歯科医師だったら、俺は後者を選ぶんだよね
なんか手術するとかでも同じで、偏差値が余りにも低いバカ大学の医学部とかは避けてしまう
もちろん、バカ大学出身だろうが、日頃技術を研磨してるのかとか、誰を師事していてどういう研究グループに所属しているのかとか、そういうのは見るし評価する
偏差値が高い大学だろうが、竹田くんみたいな外科医がいる可能性もある
それ言い始めたら理系大学の現在では使わない古典技術を学ぶことに意味ってあるのってとこまで行きそう。
(追記)
コメント見ていて「やっぱドイツ語はオワコンだったよな〜〜」「中国語か韓国語できてたら仕事に役だったのにな〜〜」とかいう気持ちになったんだけど、でもやっぱり、「別の言語をやったとて、必修二外程度でAI翻訳を超えるレベルに到達できるのか?」という疑問が残るのよね。
というのもここ最近のAIの進展は凄まじく、「機械翻訳に騙されないレベル」に到達するのに必要な労力が数年前と比べても爆上がりしている。ChatGPTはすでに東大英語で8割取れちゃうのよね。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC2103E0R20C24A3000000/
そういう意味では、「この単位を取る頃には、DeepLに騙されないレベルに到達できます!」とか「ChatGPTでできないこんなことができるようになります!」って明確な学習基準があったら学生もやる気出すんじゃないだろうか。まあ技術はどんどん進展するから難しいかもしれないけれど…大学教員の先生方、ご検討くださると幸いです。
あと、「必修で取っただけだけどまだうっすら読める」という人がそこそこいるのに驚いた。やっぱ丸ごと忘れた自分がアホだったのかもしれない。人によって適性がばらつくよな〜というのをあらためて思ったのでした。
↓本文
//////
文系はともかく理系の必修第二外国語ってほんま意義がわからんくないですか?選択科目ならわかるんですよ。
なんか「英語以外の言語を通じて英語を相対視することが大事」みたいな高尚なこと言ってる教員いるけど、理系必修だけでそのレベルに到達できるもんなんですかね?というか、具体的に何ができると「言語を相対化する」ことになるのだろうか?そしてそれは、具体的にどういう意義(実用でなくとも、大きな意味での学生の人生において)があるのだろうか?多様な学びが云々というのであれば、他の文系科目に比べて語学だけが特権的な位置にあるのがよくわからない。自分は結構文芸理論とか映画論とか好きで履修してたけど、語学が必修コマとして多くを占めるとその余裕も無くなってしまう。
ちなみに自分は
・大学理系学部で必修ドイツ語履修、1年次に8単位分授業を受けていた。ちなみに英語は10単位。結構当時負担大きかったな。簡単な文章はときどき辞書引けば読めて、自己紹介くらいの超短い文章を書けるレベルまでやった?ような覚えがある。
・そこからおよそ10年後にドイツに数年滞在。なお雇用主のご指名なので別に自分で国を選んだわけではない。ドイツ語の活用とか単語とかほとんど忘れてるからほぼゼロから現地の語学コースで再学習。
…という背景がある。
学生時代より遥かに今の方が勉強してるけど、ドイツ語と英語の単語とか文法を比べたところで別になんか大した感慨はない。そりゃ国が違えば規則も違うんじゃないですか、くらいの。一体なんですかね、言語が相対化されるとは??
文化が相対化されるのは結構わかるんですよ。今やってる授業だと、ドイツの日常生活とか文化を教材にして、そこを発端に自国の文化を説明させられるので。他の生徒もみんな違う国から来てて話面白いし。でも結局、理系必修ぐらいではそこまでは無理でしょう。それに、言語の相対化、というのはこういう話とはちょっと違う気もする。
個人的な主張としては、英語帝国主義と言われようが、大学時代の必修くらいはもうちょっとばかし英語に集中すべきではなかろうか? こっちで「日本人ってエリートでも英語下手なやつ結構おるよな」って思われがちなので余計そう思う。二外が本当に必要になったらどうせもっとintensiveに学びなおさなきゃならないし。それとも10年でほぼほぼ忘れた自分がアホすぎるだけか?(ちなみに言語的に英語と日本語は差異が大きいので全国民が英語できる必要はないと思ってるけど、他のアジア圏のエリートっぽい層は大概もっと流暢なのでそこそこの有名大卒くらいはもうちょっと…と思ってしまう。どうすかね、最近の若い人はみんなもっとできるのかな?)
あと二外をやると英語学習に役にたつみたいなのもよくわからん。言語によるのかもしれないけど、自分はドイツ語学習後に英語のIELTSのスコアに特に良い影響はなかった。というかコロケーションの前置詞とかごちゃ混ぜになって余計苦労している。役に立つとは一体?どういう状況でそうなるんだろう?
英語とドイツ語が両方わかると朧げながら見えてきたんです、オランダ語の意味が、という瞬間はある。とはいえ全く使えるレベルではない。意味はない。
いや、第二外国語で書かれた内容が理解できて外国の文化がわかると面白いみたいなのはわかるよ。でも粗く読むだけならDeepLが圧倒的にすごい。当然誤訳もあるけど、理系必修二外で到達できるレベルよりははるかに上等ではないでしょうか。ドイツ人も翻訳の質には誇らしげなご様子(DeepLはドイツ発の会社なので)。
まあこんなふうに思うのはドイツ語というチョイスが悪かったのかもしれないな。英語に近すぎるし。どうせあいつら英語喋ってくれるし。そんなんだから、ドイツ語なんてもんを喋らなきゃいけない環境ってマジョリティとしてのドイツ人にマイノリティとして溶け込む場合になるんで、オルタナティブの言語やってる感もないし。同じアジア圏の中国語とか韓国語とかやってたら違う感想だったかもなあ。
あとは海外に滞在すると道具としての言語を必死に学ばざるを得ないので、「学びは心を豊かにする」みたいな言説に、余計にケッっとなってるところがあるかもしれない。ジョブ型雇用の世界でもあるし。まあ別に大学時代の学びが楽しかったかと言われたらそれもどうですかね…どうでしたかね…
ということで、極めて個人の感想ですが、結局大学で(特に理系が)、英語なり他の文系科目なりのコマ数を犠牲にしてでも第二外国語を全員やる意義がまだいまいちわかってません。繰り返しますが選択科目で選べる環境があるのは極めて大事だと思うよ!!日本語でドイツ語を学べるって超貴重なので。
せっかくここにぐだぐだ文をしたためたので、うっかり野生の有識者の意見が聞けちゃったりすると嬉しいな。なんで理系が必修二外、やる必要あるんでしょうか?