はてなキーワード: 河合奈保子とは
アイドルといえば、私(25歳女性)が小学生の頃にAKBが流行っていた。
学校で嵐とAKBの話題を挙げない日はなかった気がする。私もFCに入っていたとかではなかったけど、あっちゃんが好きでCD買ったり絶対にMステをチェックしていた。小学校の卒業式では、AKB衣装風のブレザーとスカートを着た。
今考えると謎だけど、ハレの日にそういう格好をした小学生女子は多かった。体感で6-7割の女子は、近所のデパートで買ったよくわからんチェーンが腰に付いてるチェックのスカートと胸元の謎ネクタイという組み合わせだった。(セット売りだった)
今は大学生と同じく、はいからさんスタイルが主流らしい。絶対そっちの方がいいと思う。
大人になって、テレビが必需品ではなくなった。テレビ番組を観ることが少なくなった。逆にYouTubeなどの動画サイトを暇さえあれば開くようになって、ある日動画のおすすめ欄に昭和の大アイドル松田聖子の動画が流れてきた。ふーんって感じで動画を開いた。親がよく「赤いスイートピー」をカラオケで歌ってたから名前は知っていた。
で……気づいたら聖子ちゃんのほとんどのシングル曲を聴いていた。歌っている動画を観あさっていた。(昔のオタクの皆さま映像を残してくれてありがとう)
それでふと、昭和のアイドルって凄いなーとしみじみ思った。備忘録として、私が思う昭和アイドルのすごポイントをゆるく3つ挙げる。
なのでこれは私の好みだが……なぜ歌が上手いと感じたのか少し解説したい。
けれど、昭和アイドルの歌声は「ミュージカルの声」のような印象がある。音に芯があってお腹から出してる感じがする。対して、今アイドルの歌声は「ライブハウスで聞く声」な印象がある。声の芯を残しつつ、喉で息をコントロールしている。(違ってたらすみません)
昭和のアイドル動画を観ると、マイクが歌手の声を拾ってくれない場面がたまに見られる。きちんと音を届けるために、舞台に似た歌唱をする→その歌唱法が当時のトレンドとなったと思われる。
平成以降では、テレビやコンサートで使うマイクは非常に高性能になった。生放送で観客に音が届くかを心配しなくなり、曲に合わせてさまざまに歌唱法を変えることが出来る→今の歌唱トレンド、となったのかな。
昭和的な歌い方は、それこそ某番組の歌のお姉さんが使っている歌い方で聴いていて気持ちがいい。歌声が伸びやかに聞こえる。
同時に、昭和的な歌い方で今の曲を歌うのはすこし難しいかな?とも感じる。感情の細かい機微などを早いテンポで表現するには向いてない歌い方かも知れない。
「昭和 アイドル 衣装」と検索すると、パステルカラーの姫みたいなドレスを着たアイドルの画像が沢山見つかる。もちろん他にも色々な衣装を着用していたのだが、私の中では昭和アイドル=お姫様ドレスの印象が強い。
ドレスを着用するアイドルは今もいるけど、昭和ドレスはまるでリカちゃん人形の衣装のような夢夢しいデザインで、はちゃめちゃ可愛い(例: 『センチメンタルジャーニー』の赤ドレス、『風は秋色』の白ドレスなど)
すこし表現を変えると、デザインがめちゃくちゃブリブリしている。フリルと大きなリボン・ハートが付いていたりして、いかにも母親世代が好きそうなデザインなのかも?
しかし、そのブリブリデザインが「夢の中にいる女の子」「手の届かないアイドル」のような雰囲気をうまく演出していると思う。
こういった衣装が好きかどうかも個人の好みによるけど、ブリブリドレスは世代に関わらず全女児の夢だったと私は思う。大人になった今見ても、ときめいてしまう。
余談だが、80年代の後半になるとテンプレ的なブリブリドレスはほぼ消える。その後のバブル期のギンギラファッションも現在レトロブームとして再評価されている。
令和の音楽番組と聞いてパッと思いつくのが「Mステ」だろう。昭和には「夜ヒット」「レッツゴーヤング」「ベスト10」など、さまざまな音楽番組があった。
また、今の「FNS歌謡祭」のような歌謡祭系の番組も豊富で新人歌手の登竜門だったり、その年の流行歌手などが多く出演していたらしい。
こうした番組では生演奏をバックに歌っていたのだが、このバックバンドの技術が凄いと思った。
音楽は好きだけどいうて詳しくないので、何がどう凄いかと聞かれると説明に困る。
レコードに収録されていないおしゃれアレンジ(即興なのかはわからない)を後ろでブンブン演奏していたりすると生演奏っていいな〜と思った。
加えて当時(80sごろまで?)のバンドが使っていた楽器はピアノ、トランペット、クラリネット、サックスフォーンやウッド・エレキベース……etc、クラシックな楽器が多い。
なんだかディズニーシーにあるジャズバンドのアトラクションみたいで、とてもオシャレだと思った。
アイドル業界は激しい人気レースの繰り返しだと思うが、今も昔もアイドルは「選ばれし者」なわけで、貴重な若い時間を使って観客に夢を見せてくれた(くれている)アイドルは本当にすごい。
おニャン子クラブ以降のアイドルはグループデビューが多いけれど
今日さ、48歳おっさんがパパ活で24歳丸の内にゃんにゃんギャルと会ったと思いねぇ。
すっごいタイプで、背が僕より高くて175cmくらい、目鼻立ちくっきりで、若い頃の河合奈保子にそっくり。
ちなみにスタイルもそっくりで、細すぎないほっそりした体型で巨乳。
https://www.youtube.com/watch?v=9ZQygKlXN8U
あたまもよくって、青山学院出てんのね。賢い。
で、家に帰って、酒飲んで妻が酔いつぶれた顔を見ると、えーっと、これ、昼見た彼女とそっくりじゃん。妻も身長173cm。
でも40代半ばで昼見た彼女とそっくりってことは、若い頃はもっときれいだったってことだよね。
不倫相手は、結局、妻の劣化コピーだっていう通説判例は正しいってことを実感しました。
ん?
ざわついてたわね。
私はよくわからないけど、
まさにビッグウェーブさんなのかしら。
世界が一斉に0になった感じの
トムクルーズの地球の回転が止まった映画のようにゾッとしたわ。
それとか、
モーゼが湖を割って
その間の道は一体何の空間?
アンセキュアなのか、セキュアなのか。
世界の分断が収まるといいわ。
喧嘩両成敗!
泣きっ面に蜂とはこのことだわ。
仲良くして欲しい、それが世界の願い。
でもさ、
一体これは誰得なのかしら?
HTTPS化屋さんなのかしら?
世の中の不思議でもあるわ。
うふふ。
やめられないわ~。
ジャスミンティー茶葉ちょい少な目がちょうどいい?
うーん、これ結構少なくない?大丈夫?ってぐらいに少なくても大丈夫みたい。
しっかり風味がつくわ。
茶葉は量シビアね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.mu/kagamihiroyuki/n/nea42d0f58c16
大橋巨泉が朝丘雪路をボインちゃんって言った頃には日本もマスメディア的には巨乳信仰だったと思うけどなー。かとうれいこ&松坂季実子以降ってのはいくらなんでも…。
だがそこから巨乳を探してタレントにしまくろうという動きには繋がっていない。
松坂季実子の登場の何が画期的だったのかというのはいろいろ背景を説明しなければいけないだろう。
松坂季実子以前にも巨乳タレントというのはいろいろいた。榊原郁恵、アグネス・ラム、河合奈保子、柏原芳恵、堀江しのぶなどなど。
当時はとにかくアイドル、女優というのはくびれてなければいけなかった。ウェスト60cmを越える女優やアイドルなどあってはいけなかったのである。
あの榊原郁恵もアイドル当時はウェストは60cmを公称としていた。どう見てもそんなわけはなかったがそれで通していた。
若くして亡くなった堀江しのぶも人気がある程度でてくると「もう少し細くなりたい」といって痩せてしまった。
あの山口百恵ですらアンチからは「大根足」と言われたのである。
1989年、バスト110cm(公称)をひっさげて松坂季実子が登場した。公称スリーサイズ110.7cm、60cm、90cm。ウェスト60cmは露骨なウソだったがそれを気にさせないぐらい公称110cmバストの存在感は圧倒的であった。
デブじゃんという声もそれなりにあったが、公称110cmの乳はそれに勝って人気を博したのである。
そしてほぼ同時期にイエローキャブがかとうれいこ、細川ふみえを発掘する。
もはやある程度バストサイズがあればデブという声を怖れる必要はなくなっていた。
本来アイドルって偶像性が売り物だったはずだ。う○こもお○らもしない。そう思わせて何ぼのはず。ところが、最近のアイドルと来たらぽこぽこ妊娠しやがる。それもどこの馬の骨とも知れないような男の子種で。
これで偶像性云々を見ろというのが無理。アイドルじゃなく、小娘。しかも近所の小娘より素行が悪い。はてなのトップを見ると、ハロプロの一押しのアイドルたち、それも15歳にも満たないような子の写真が踊っている。「ああ、この子達も3年もしたら出産だ」と身も蓋もないことを考えるのは、きっと俺が悪いのではなく彼女達の先達の行いに負うところ大だ。アイドルの偶像性をじわじわと奪っていったのは週刊誌の暴露記事だが、一方で「等身大」とよばれる小娘達が大量に出回ったために、アイドル自身が偶像性を捨てることになった。悪貨は良貨を駆逐する。
偶像性からすると、アイドル全盛期は多分80年代前半だろう。早見優とか、河合奈保子とか、石川秀美とか中森明菜とか、小泉今日子とか、松田聖子とか、そりゃもう華やかだった。
中森明菜に関しては、10年位前に同じ職場に居た女の子が「自殺未遂ってだけで、偶像性が0になった」と厳しいことを言っていた。が、う○こもお○らもしないはずの彼女が、恋に命を絶とうとした、その一点だけでも、今となっては神話的ですらある。