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はてなキーワード: 同化政策とは

2021-03-25

はてな自称リベラル勢、理念捨てすぎでは?

選択夫婦別姓や「呉座先生事件」関連のエントリブックマークコメントをみつつ連想したこと

呉座先生個別失言は、まあ擁護は難しいしするつもりもないが、リベラル自称する界隈の先鋭化が気になってしょうがない昨今。

最も気になるのは、保守派の主張を全面的に不合理なものとしてバッサリいく態度。

多様性尊重社会的公正の基礎はどこいったんやと。

一見不合理かもしれんけど、保守思想というのはそもそも現状維持が基本姿勢で、その背景は「経験歴史尊重」「人間理性に対する懐疑」にあると思ってる。

これ自体リベラル根底にある理性の信奉と根っこでは矛盾しないはずで、「歴史に耐えた制度にはなんらかの合理性があるはず」と考える態度は、科学的に見ても「合理的」でしょうに。

まあ政治思想理念的な背景は明るくないのでこれくらいにしとく。

リベラル勢に聞いてみたいのは、

例えば選択夫婦別姓が成った後に、一族天皇制といった概念希薄化し、日本民族性文化愛する人々が少数派になったとき、彼らをどう扱うつもりなのか、ということ。

そこまで来てからマイノリティとして手厚く遇するの?

他者自由を阻害しない範囲思想信条自由尊重されるべしというのが、リベラルの基本理念だと思うんだけど、マイノリティになってから初めて尊重します、っておかしくね?

現状において支配的な思想信条が、女性性的少数者自由侵害しているという主張はわかるし、それを解消すべく制度設計を行いましょうというのもわかる。

でも、「現状の戸籍や姓・婚姻制度にも機能利益があるはずで、性急な改革伝統文化を損なう可能性がある」という反論をバッサリシャットアウトするのはダメだ。

現状の被害者と同レベルとまではいかずとも、理解を示して妥協点を探るべきでしょう。

少なくともその伝統を拠り所にしている人々がいて、あなたがたは、かれらを「少数派」にしうる政策を支持しようとしているんだから

想定問答をあげておくと、

選択的なんだから問題ないだろう」というのがまず返ってくる反応だろうけど、保守派は「文化伝統」を問題にしているのであって、選択肢が発生すること自体に対するデメリット危惧している訳だから

その反論相手文意を読むつもりがないと言わざるを得ない。

「姓が別になった程度で文化は損なわれない」という反論もありえる。ここは保守側の仮定なので一定妥当である。「文化」の定義カバーする範囲が広すぎるので合理的説明が難しい。

でも、自分祖父祖母世代とのコミュニケーションから保守派の心情を勝手に代弁するなら、もう彼らは相当に妥協しているし戦線を後退している。

日本文化米国文化に塗りつぶされ、最後の一点で耐えている」という世界観現代高齢者世代は持っている。

(親父がネトウヨにいつのまにか傾倒していたなんて話がよくあるが、それもこの流れの一旦だと思うし、呉座先生高齢者ではないが歴史学者としてこういう流れに影響を受けていそうな気がしている)

彼らの世界観からすれば、今も米国文化によるマイルド同化政策は続いているし、それは一面では事実でもあるだろう。

かれらの青春時代にはリベラルなんて影も形も無かっただろうし、「家を継ぐことが至高命題」として育てられた彼らが、生きているうちにここまで世界が変わるなんて思いもしなかっただろう。

それは同情すべきこと・尊重すべきことではないのか?

日本文化もできるだけ維持し継承します、そのうえでみんなが活躍できる社会にしていこうとしてるんです」と、言い方だけでも寄り添ってあげようよ、という主張は、トーンポリシングとして糾弾されるべきことなのか?

自分自身は、ムラ社会の嫌な面を経験してきているので、家を継ぐべしというような思想は消えていいと思っている。

一方で、ムラ社会最後世代になるであろうジジババが寂し気に「私は親にそう教育され家を守ってきたしそれを誇りに思ってきた、子に受け継ぎ家を守りたかったがもうあきらめている」と語るのを聞くにつけ、かれらに「わきまえたマイノリティ」の像を重ねることもある。

(まあかれら自身保守政党に投票するだろうが、世代が変わればいずれムラ社会解体されるだろう)

ムラ社会総論として害が大きいと思っているが、それでも私の原風景は「田舎のばーちゃんちでジジババに載せてもらったトラクターからみた風景」であり、自分はそれを享受しながら、自分の子世代にそれを残せないことの寂しさや後ろめたさも感じている。

なんというか、そういう対抗派閥に対する共感配慮なしに、一方的断罪する論調は、先鋭化が行き過ぎているし、リベラル根底に置く理念矛盾していると思う次第。

2021-03-17

ヒトラーは何でユダヤ人相手同化政策を取らなかったのか

アーリア民族第一主義でも全員がアーリア民族なっちゃえば万々歳なんだから大日本帝国現代中国みたいに言語宗教矯正強制して民族融和を図れば歴史的な大悲劇は防げたのでは

2021-03-03

anond:20210303084338

労働時間制限を設けずに、賃金日本語能力技量に応じて日本人並みの待遇してあげればね

どうせ、同じ条件でも日本人がやりたがらない仕事やってくれるのだから

後は双方の文化理解できるように同化政策をきちんと政府がやる。これで、文化の衝突がマシになるはず

奴隷並みの待遇同化政策もしないで楽して安い労働力を確保しようとする政府馬鹿なのかな

2021-02-12

anond:20210212204335

どこにもかけないのでここにかく。

新疆ウイグル自治区に関する問題に触れられない。

なんで新疆ウイグル自治区に関する問題に触れられないのかって、それは実際の不利益があるからだ。

森の発言なんかはバッシングしても全然キャリアに響かない。

しかし、新疆ウイグル自治区に関する問題に触れられない。

左派界の同調圧力に引っかかるし、なにより本が出版されなくなるし、中国問題に口出しすること自体リスクだ。

自分ナチを許せないと思っているし、過去日本は糞だと思っている。

まりネトウヨサイドの人間ではない。左に属する人間である。だから新疆ウイグル自治区同化政策は、非難せねばならないと思っている。

しかし怖くてできない状況になってしまった。

匿名ダイアリーに書くしかできない。

中国に睨まれるということ自体がもうすでにリスクになっているのだ。

報道学者創作、全て中国批判すること自体リスクだ。

一言でも表の名義で中国批判すると、キャリアを棒に振る覚悟必要になってしまった。

リチャード・ギアハリウッド干殺しを見ればわかるだろう。

いまのリベラル市場において、中国に対する批判リスキーすぎるのだ。アレだけリベラル学者中国への批判を恐れているのは、実害があるからだ。

学者も怖いのだ。学者漫画家映像作家に限らず、中国市場わずかでも関わりがある場合批判わずかでもしたらキャリアのものが潰される。

から女性がどれほど強制収容所強姦されようが口を閉ざすしかない。見ざる聞かざる言わざるになるしかない。

日本政府はどれだけ批判しても安全牌だ。

日本批判放送局コメンテーター学者も気兼ねなくできる。どれだけ馬鹿にしても痛くも痒くもない。

しかし、中国政府は違う。

他国学者ジャーナリスト作家であってもお構いなしに全力で圧力をかける。

キャリア作品のもの排除されてしまう。BBCのように、放送のものシャットアウトされる。映画のような市場になれば、中国の言いなりとなっているし、睨まれたらキャリアをすべて失う。

BLMのような運動は実は真の勇気ではない。業界において、キャリアを失うことはないと誰もが思っている。

BLMに賛同してもキャリアを失った俳優はいない。口ではそう言うが、怖くはないのだ。

しかし、中国について批判をするとそれだけでキャリアを失う覚悟必要だ。

リチャード・ギアのような名優ですら、大作からは締め出されてしまった。

学生の頃は「ナチが再び出てきたら、勇気を出して戦う」と思っていた。

しかし、いまはそういうことができない。政府批判安全牌なので、率先してやる。だが、いまは中国が怖くて批判ができない。

レイプ不妊手術強制が行われているということを知っているのにだ。

安倍を叩き、菅を叩き、野党を叩くことは怖くない。与党野党是々非々批判できる。しかし、中国に口を閉ざす。

そんな人間になってしまった。

自分ナチがいた時代ではナチに声を上げない人間だった。

ネトウヨに「ウイグルについてどうなんだ?」と言われても、お前らみたいに失うものがない人間じゃねえんだよって。中国に今後関わりがあるかもしれないってだけで、口を閉ざさないとキャリアがなくなるんだよって、ふてくされるしかできない。

ナチ蛮行や、日本軍の蛮行批判するときはノーリスクだ。しかし、中国はそうではない。

真の勇気自分は持っていなかった。

これからさき、自分に嘘をついて生きていく。

人権侵害に怒るときも心底怒ることはできないだろう。

男女平等とか差別反対とか、そういう当たり前のことを、自分キャリアがかかったときには当たり前に言う勇気がないのだ。リチャード・ギアのように真の勇気を持っていなかった。

消されそうだから、全文引用しておく

2020-12-16

羅小黒戦記見てきた

キャラは魅力的だし映像も美しいし良い作品ではあったんだけど

人間との共存を望む妖精対それに反対する妖精対立に、人間だけど妖精に近い存在が一人関わるって話で

最後まで純粋人間側の視点殆どなくて、共存反対派の妖精一方的に諦めさせられて終わる的なオチになってたのが気になった

普通この手の環境問題を扱っただと、人間側で反省して環境大事にしようとするキャラも出てくるものなんだけど…

中国舞台なだけに、つい少数民族への同化政策連想してしまった

まあ人間側の視点がないという点では平成たぬき合戦ぽんぽこも割とそうだったか

Webアニメ版もあるらしいからそっちだと違うのかな

2020-11-30

anond:20201129234122

まず、文豪作品政治家は常に大きな影響力をもつ文豪が直接人を害する数とは比べ物にならない。ここが近代文豪を取り扱ったものとこの企画の違いだと思う。

そして、FGO織田信長始皇帝かわいいキャラ化されても、現代政治へのプロパガンダにはならない。その点がFGOは薄皮一枚違う。

お前みたいな論理でいいなら始皇帝だって当然プロパガンダ素材になるだろうが。

漢民族の偉大な歴史―とか言って常に歴史を今の支配体制に都合よく改変や利用し続ける大国が隣にあるぞー?

ここなw ナイーヴすぎて笑っちゃうわ。

黄帝の子である中華民族がうんたらかんたら、っていう理屈少数民族への同化政策を進める国が横にあるのに始皇帝現代政治へのプロパガンダにならないとかちゃんちゃらおかしい。

たとえばちょっと前にコロコロコミックチンギス・ハーン落書きしたらモンゴル政府が出てきて抗議したことがあったけど、あれも現代モンゴルでは政府主導でチンギス・ハーン神格化を進めててその歴史認識を日本にも押し付けようとしてきたっていう側面があるわけでな。

てゆーかこの理屈だと豊臣秀吉は許されたのかな?w

2020-11-13

失われる言語(方言)についてそこまで悲観的になるのが分からない

https://note.com/lingfieldwork/n/nefd96c0b8e71

この記事ブコメ見てたけど、なんかピンと来ない。

いや、物事がなくなるのは悲しいことだ。言葉が失われることはその文化人種が消えてしまうともいえるだろう。

これは植民地支配同化政策とも同じで民族多様性を失わせることにもなるだろう。

が、だ。

なんか、ピンと来ない。関西弁だってなくなるって言う。テレビの影響かしらないけど。みんな東京弁になる。

しかし、アマゾンの奥地の少数民族チベット少数民族だっていなくなる。自分たちが気づかないうちにいなくなる。

これは猿人時代からずっと続いている。

しろ、そうやって文字も残さず消えていった民族だって多かったはずだ。

なくなることははかない。だが、それをすべて押しとどめるには私たちに力はない。歴史に血を通すのは言葉だろう。しかし、なくなることに情緒を見出さなきゃならんのだろうか?

私は私の世界しかしらない

2020-10-27

ジャンプ漫画主人公のやってることは同化政策なんだろうか

我々はジャンプ漫画主人公側だ。

シールドを下ろし降伏せよ。

お前達の生物的特徴及び科学技術を我々と同化する。

お前達の文明は我々の一部となる。

抵抗無意味だ。

2020-08-15

OGNZ

自分知識ベースで書く。この辺日本だと混同されてるというかそんな感じがするので。あと、間違いは結構あると思う。

NZマオリについて

マオリNZ原住民だ。当初ニュージーランドオランダ人が見つけた。オランダジーランドという場所がある。そこにちなんでつけられた。

ただ、上陸するなりマオリの襲撃を受けて犠牲者を出しつつにげ帰った。

その後に来たのはイギリス人入植者。今のウェリントンのあたりから上陸したらしい。

マオリイギリス人入植者の間でいざこざがあり、マオリ戦争という全面戦争的なことをしてイギリス人入植者勝利、ワイタン条約を締結して、イギリス支配下に入った。

当時南島は寒すぎてマオリがいなかったので、イギリス南島はかんたんに占領できたらしい。

ワイタン条約では、英語マオリ語の翻訳がきちんとできてなくて、確か統治管理誤訳からマオリは、統治権はマオリに残されたと思って条約に納得したことマオリ部族が多すぎて全部族との合意が取れる前に条約が締結されてしまったという問題があり、未だに解決していない。というかNZがこの辺の問題対応し始めたのが割と最近のことだ。

おかげで一部部族は今もニュージーランドマオリの国であって外国人は出ていくべき、車、家、財産はお前らが勝手に持ち込んだんだから我らが黙ってもらってもモンクは言えない、と言う人らもいるとかいないとか。

ニュージーランドではマオリ語は公用語であり、ニュースでは必ずキアオラ、というし、公的記者会見ではマオリ語でなにかいう。学校入学式のようなイベントではその土地マオリ族長が来て歓迎の儀式をする、ということもやる。国歌の一番はマオリ語、2番は英語だ。

ただ、マオリ話者絶滅しかけている。

オーストラリアアボリジニについて

オーストラリアアボリジニ黒人風貌でありながら金髪という特徴がある不思議民族だ。中部オーストラリアに行くと今も血の濃いアボリジニがいる。

大陸北西部には彼らの聖域のような領域があり、地図には立ち入らないようにとか、相当偉い族長許可がないと入れないとかそんなような警告が書かれている。多分なんの装備もなくそのへんに行ったら途中で遭難してしまうと思う。

オーストラリアはもとはイギリス流刑地であり、アボリジニは、イギリス人入植者たちの奴隷ハンティング対象にされてしまった。タスマニア島アボリジニがいないのは、入植者たちがひとり残らず殺してしまたからだそうだ。

都市部アボリジニたちは混血が進んでおり、どうやら純血のアボリジニはもういないらしい。中部オーストラリアで薮の向こうからひょこっとアボリジニ一家が出てくるのを見たことがある。

アボリジニたちはひたすら迫害を受けたあと、今度は同化政策対象になった。生まれたばかりのアボリジニを両親から取り上げて白人家庭に育てさせる、ということをした。

白人家庭で育てて白人価値観を身に着けさせて名誉白人にしてあげよう、ナイスアイデア!ということかな。余計なお世話だったのは言うまでもないが、政府がそれをやってしまった。

確か2010年くらいの当時のオーストラリア首相がこのことについて謝罪をしたが、マスコミから非難轟々だった。あの腰抜けふざけんな、頭下げるとかねーよ、という論調だった。

オーストラリアではアボリジニに対する生活保護がかなり手厚いらしく、学校いかなくても、仕事しなくても食うに困らないそうだ。

その結果、酒とドラッグに溺れるアボリジニも多いらしく、治安を悪くしている、という皮肉状態にもなっている。

アボリジニ語という言い方かは知らないが、カンガルーというのがアボリジニ言葉で「お前の言ってることの意味がわからない」というのは有名な話だ。

オーストラリアアボリジニ伝統文化に敬意を示し始めたのが2000年以降くらいで、エアーズロックウルルと呼ぶようになったのもその一つだ。最近やっとウルルに登るのが完全に禁止された。

オーストラリアは今でも白豪主義があるので、一部白人白人以外いなくなれと思っているが、良識的な大多数の人たちからは厄介で困ったやつだなあと言う目で見られている。

10年くらい前のエディトリアルかなんかで、こっちの大学にいる某国女性たちは、永住権のためにオーストラリア人との間で妊娠狙いのどうしようもない奴ら、とかひどい書かれ方してたのをみたし、そういう記事が発行されてるので、まぁ、そういう人はそこかしこにいると思っていいかもしれない。

景気がいいときと悪いとき特に白豪主義が強く出る印象がある。

アボリジニマオリ共通しているのは彼らの言葉発音がなんだか日本語によく似ていることだと感じている。

両国に行くと、アボリジニ語の地名マオリ語の地名がそこかしこにある。

ニュージーランド最北端にあるケープレインガは、マオリ族の死者の魂が旅立つ場所などと言われているし、ウルルには女性出産するための洞窟があったりする。

これらの民族のことを意識しながら両国を見てみても面白いかもしれない。

両国国旗は恐ろしく似ていて、オーストラリアに気を使ったニュージーランド国旗を変えようとして候補をいくつか選定、国民投票の直前でキャンセルするというおちゃめなことをしたが、国旗の成立は実はニュージーランドが先ということはあまり語られなかった。

からビームを出すキウイと言う国旗案がなにげに支持を集めていたので、そういうのりの国でもある。

オーストラリアニュージーランドの間では結構緊密な仲になっており、軍隊ANZACというオーストラリアニュージーランド連合軍という形をとっていて、第一次世界大戦でのガリポリの戦いで活躍した。おかげでトルコ人からはすこぶる評判が悪い。

オーストラリアはたまにだけどニュージーランドオーストラリアの州にしてはどうかという人が現れる。

ニューサウスウェールズビクトリアクイーンズランド、南オーストラリア、西オーストラリアノーザンテリトリータスマニアにつぐ第8の州にしたいらしいがいつもいうだけで終わる。

あと、ごく最近ニュージーランド定義大陸ということがわかった。大陸棚が凄まじく広く、その面積がグリーンランドを超えるらしい。これによって大陸というのは、グリーンランドより大きな島、という定義を学んだ人は多いと思う。でも大陸棚を含んでいい、というのはなんかインチキ臭いなと思っている。

2020-08-10

東京いか既得権益で守られているか知らないのか

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20200809224836

トップコメとか

なんで東京だけに経済が集中しているのかまるでわかっていない。(どうせ地方人が土人からとか思ってるんだろうが)

簡単に言うと金融庁が東京にあるせいで企業がどんどん本社東京に移していってしまったんだよ。

ついでいうと、キー局などというおぞましい同化政策機関があるのも日本だけだ。

何もかも東京が悪いんだからまれて当然だわ。

2020-07-18

https://anond.hatelabo.jp/20200717152440

差別なんてしてないよ。

しろ同じ日本人ということで同質化させようとしているのが気持ち悪いんでしょ。

日本人地方なんて捨てて全員東京に住めば良い

とか言って同化政策を進めているのが都民じゃん。

2020-03-24

anond:20200324170227

そりゃ差別が皆無ってわけじゃあないけれども、他の地域歴史比較して、かなり理想的に近い範囲同化政策成功したアイヌ琉球民族を指して「差別のものです」と表現するのはいかがなものか。

お前それチベットウイグル民の前で言えるの? 的な話にはなるだろう。

 

個別のケースから離れたこういう場では、グラデーション意識したほうがいいと俺は思うな。

2020-03-18

ローソン朝鮮学校おにぎり無償で配布したニュースで思ったこ

ローソン朝鮮学校おにぎり無償で配布した、というニュースがあった。

朝鮮学校にもおにぎり届く ローソン、川崎に60個無償

ブクマコメントでも絶賛されているが、いやいやいやいやこれヤバくない?

だっておにぎりですよ?おにぎりと言えば日本の伝統的な料理

それをマイノリティの子供たちに配布するってまるで同化政策じゃん?

植民地支配していた側の料理をされていた側の子供たちに配布している、と言えばヤバさが伝わるでしょうか。

ニュース記事に書いてある通り依頼したのは学校の方だけど、それでもローソン側はおにぎりではなくパンなどにしておくべきだったと思う。

2020-02-08

差別無くす為に同化政策すればいいのにな

もちろんすべて無くすことは出来ないけど、全員同じ人種同じ宗教みたいにすれば差別少なくなるだろうに

差別少なくなる方法があるのにそれに反対するってよっぽど差別無くなったら困る真正差別主義者なんだろうな

2019-11-17

吉良上野介の話

最初

吉良姓を受け継いだ吉良上野介の子はいない。(後に別家が吉良の名を継いだ形で、子孫の方は上杉家や畠山家等におられる)

三河地方に吉良の領地があったのは元禄16年(1703年)までで、それ以降は吉良と三河地方との関係は無い。

 

 

吉良上野介は名君?

忠臣蔵で悪役として扱われている吉良上野介

近年「実は吉良上野介地元では名君」っていう話をよく聞くようになった。

歴史秘話みたいな感じでテレビでも取り上げられるので、

吉良上野介は名君」って言う説を知っている人も多いだろう。

 

 

で、その「吉良の地元ってどこだ?」って話になると

案外、知ってる人が少なかったり誤解している人が多かったりすると思う。

 

 

恥ずかしながら私もそうで、

三河地方っていうのは知っていたのだけれど

漠然と、今の西尾市だろうと思っていると、

年配の西尾市出身の人から変な顔をされた。

 

地元歴史的経緯 

この辺には歴史的な経緯があるそうで、

そもそも三河に持っていた吉良上野介領地というのは

幡豆郡吉良庄の中のうち、八か村が飛び地の形であった。

いっても吉良は旗本なんで、そんなに領地は大きくない。

吉良は赤穂事件の後、三河領地没収されて

その後、これら土地は、あちこちの藩やら寺社旗本領地なんかに吸収されて

明治からは村の統廃合が続く。

(こういう状態で「吉良の地元」という意識が受け継がれてきたというのには少し無理があるような) 

 

 

その後、昭和三十年に 横須賀村と吉田町合併して吉良町生まれる。

(余談だが吉良には雲母の意があったという)

吉良町の中に、かつての吉良上野介領地も含まれてた感じ。

  

そして平成23年にこの吉良町西尾市編入合併される。

  

もともと西尾市には西尾藩というのがあったわけで、

歴史を知っている人でも、吉良上野介は大昔の隣の殿様という扱いで

古くから西尾市の人に「吉良上野介地元」と言われると変な顔をされたわけだ。

 

 

もう少し西尾市の人に話を聞いてみると、

んで、もう少し突っ込んで話を聞いてみると、

吉良上野介時代に、西尾藩には土井利意という名君がいて

西尾藩領民が、吉良が作った堤防により水害が発生して苦しんでいたので

大二重堤防を作って、これを防いだという逸話があるという。

 

 

こういう歴史上の逸話は、どこまで本当かどうかはワカランが

こういう逸話があるぐらいなんで旧西尾藩地域の人にとっては、

吉良上野介地元では名君とされている」と言われるのに抵抗があるみたい。

 

 

名君の作り方

ただ近年、西尾市教育委員会とかが、

積極的に「黄金堤」などを吉良上野介の治績として

吉良上野介地域の名君として賞賛する教育西尾市の全域で行っているとのこと。

 

それで地元とは言えない所の子供達にまで「地元の名君」と教えられているそうな。 

(吉良の堤防による洪水で、エライ目に遭ってた所だったりしたら洒落にならんな)

 

調べてみると、

吉良上野介黄金堤を作って地域の開発に役立ったのかからして怪しいという。

そもそも吉良上野介の治績を裏付ける文献や史料は無く、

どうも大正時代に作られた怪しい逸話が元になっているらしい。

 

 

残された絵図面なんかをみると、この地域にあった鎧が淵の新田開発で

しろ周辺とトラブルを起こしていたりしてる。

 

 

どうも旧吉良町との同化政策の一環として、

近年になって「吉良つながり」で、吉良上野介が担ぎ出されてきたっぽい。

 

 

実際に吉良上野介が名君であったかどうかはともかく、

消えてしまった「吉良町」という名前を、

なんとか別の形で残そうという人の思いかも知れないね

 

でも、そういう都合で「新しい歴史」をつくっちゃて

教育を利用して子供達に広げるのはどうなのかなぁと。

 

 

また吉良上野介と同時代に、その地域

地震被害の救済に尽力したり色々と善政をおこなった土井利意や

堤防などの治水等で名代官と言われる鳥山牛之助(さきほどでた新田開発のトラブル調停もしている)

なんかの話が、わりとしっかり記録や文献をたどれるのに殆ど注目されなくて、

「らしい」という話しかない吉良上野介けが地元の名君」って言われて教育現場で広められている状況は、

なんだかなぁって思ったりする。

 

 

吉良の赤馬

吉良上野介が名君であったという話に「吉良の赤馬」という郷土玩具をセットにする人が多い。

愛知県ホームページにも、

吉良上野介義央は治水事業に心を寄せ、領内の水害を防ぐため、黄金堤を築き、自ら愛馬赤馬に乗り巡視にあたりました。その姿は威風堂々とし、愛馬も大変立派であったので、領民はこれを称えいつしか赤馬と呼ぶようになりました。領内の村に住んでいた村人が江戸天保年間に子ども玩具として作ったのが始まりです」

とある

しかしこの記述は、よく読むとあやしい

天保年間というのは、1831年から1845年までの間だ。

いわゆる赤穂浪士の討ち入りが元禄15年末(1703年の1月)。

三河領地を取り上げられる裁定が下ったのが元禄16年(1703年)になる。

 

 

まり天保年間というのは、130年ぐらい後の話になるわけで

「領内の村に住んでいた村人」と言っても、

その時には吉良領は跡形もなくなっている。

昔、吉良の領民だった人も既に死に絶えた後のはず。

 

 

実際の記録では吉良上野介三河領地を訪れたのは生涯一回だけだったらしい。

直に吉良上野介を見た村人が、後に玩具を作り出したとかいう話なら、

まだなんとなくわかる気がするのだけれど、

百年以上前に一回だけ訪れた殿様の馬を、

わざわざ玩具にしようというのいうのは変だよなぁ。

天保年間には別の殿様が治めている状況なのに。

  

  

調べると、さらに興味深い話が出てきて、

吉良の赤馬は近年になって愛好家から要望で、

商品に「白馬」と「殿様」というのが加わったという。

この時点では「白馬」なのね。

もし本当に赤馬と吉良上野介の話が元になっていたのなら、

突然、殿様に白馬ってのは出てこないよなぁ

  

まりそもそも赤馬と吉良上野介関係なく、

「自ら愛馬赤馬に乗り巡視にあたった」という話自体が後から出た感じがする。

 

 

もちろん、こういうのは商品を開発したり売る人が、

色々面白おかしく「いわれ」を主張するのは別に良いと思うのだが、

愛知県をはじめとした自治体がそういうのに乗っかって、

曖昧根拠のまま紹介するのはどうなんだろうね。

実際、どうなんだろう?

このエントリーは「吉良上野介地元では名君」という説が「ちょっと変」っていう話で、

からといって、これだけでは「名君ではない」とまで言えない。

(西尾藩領民洪水被害を出した伝承とかは、ちょっとふれたが)

 

  

んで、赤穂浪士研究している団体の中には、

「名君だと言うならもその根拠資料を出せ」と言っている所もあるそうな。

 

吉良上野介が名君だった」という人は、きちんとした資料を出してやれば良いと思うよ。

 

 

それを元にして、地域教育とかを書き直していく必要があるんじゃないのかな。

少なくとも教育委員会とか自治体が、根拠に疑問が持たれる話を持ち出して

へんな形で「地元の名君」を作り出そうとするような状態は良くないなぁと。 

 

 

たぶんメディアとかでは広がらない話。

もっとも「実は、吉良が名君という話は怪しい」というのは、

中々メディアとかでは取り上げにくい話だと思う。

 

 

実は「正義の味方だった」と言うのは受けるだろうが

例えば「イメージ通りの悪い人でした」と言っても、

そこには話題性も何も無いわけだ。

 

 

この点は、なかなか興味深くて、  

「誤った情報」と「正しい情報」っていうのを比べてみても

必ずしも同じように拡散するわけでは無くて、

広がりやすさには非対称性が生まれてる。

 

たぶん「地元では吉良上野介は名君」って話は

このまま誰も異議を唱えないまま残ってしまうんじゃ無かろうか。

 

とか思ってたら、wikiかにもわりと詳しく書いてあったわ。

 

2019-06-25

anond:20190625233044

日本は狭いか同化政策が早くに終わっただけでは?

前九年の役とか後三年の役なんて酷いものだったと聞くけど?

anond:20190625233044

中国異民族へ行ってる同化政策苛烈さは、どれほど異民族に怯えてきたかという歴史を映してるな。

2018-12-08

中国、カショギ氏どころじゃないやん

夕方ニュースで、中国人権派弁護士がどんどん逮捕され、裁判すら受けられず生死不明、妻も自宅軟禁、妻を応援しようと自宅近くに駆けつけた住民警察邪魔するみたいな特集やってた。

言論規制少数民族同化政策、そしてこれ。でも中国自国経済に欠かせないか国際社会は見て見ぬふり……

悲しいな……

2018-11-15

でも中国のおかげでトランプ気持ちがわかったよな

全ての製造業中国に乗っ取られようとしている今

トランプがなぜ日本自動車を憎むのかわかってきた。

アメ車はたんなる移動手段ではなく、アメリカ文化の誇りだったんだ。

アメ車世界中でもユニーク存在だし、それが走っているアメリカ社会こそアメリカ固有の文化だ。

それを日本自動車破壊つくした。

そのことを日本人は悪いと思うどころか、アメリカ人に良いことをしてやったと思っている。

畳が土足で不便だから全部ぶっ潰してやるから感謝しろとか言われるようなもんだ。

アメリカ愛国者からすれば日本人などサイコパスしか見えないだろう。

その安くて便利ものを与えれば感謝されるという日本人の勘違いさらに極端にしたのが中国人だ。

世界中製造業中国に乗っ取られ

固有の製造業は滅び、全ての人間中国人の作ったものを使うようになりつつある。

日本人はネトウヨですら全然危機感もってないけど、

youtubeコメントredditなどみれば、世界中の人々が中国におびえているのがわかる。

中国世界からまれ滅びるだろうが

その後に生まれるのは自国で作ったモノを他国で売ることをやめた優しい世界のはずだ。

中国同化政策をはねのけた世界は一つ一つの国がユニークで混ざらないことを目指した、本当の人類統一がはじまるのだ。

2018-11-11

安藤百福の件ではてサがだんまりを決め込む辺りが衰退を物語っているよな

フィクションです、という表現の自由

公共放送が皆様の税金を使い、公共電波

安藤百福ルーツである台湾を切り落とし、名誉日本人として描写する

笑えるほどの同化政策NHKである以上、当然バックに政府筋がある)であるわけだけど、はてサがここまでだんまりを決め込むばかりか、一部は擁護に走り出すなど

ここまで落ちぶれたかはてサ!と言わざるを得ない衰退ぶり

君らの仕事は黙ってることでもフィクションからと許容することでもないだろ!真面目にやれ!かーーーーーーーつっ!

2018-09-08

大正ロマン燃える理屈はわかる

この件とか> https://togetter.com/li/1264601

はじめに言っておくと私は大正ロマン大好きだし、イギリス紅茶文化とか素晴らしいと思うし、漫画アニメでそういうの見るのは大好きなんだけど、簡単に一蹴できるような話じゃないと思うんだよな。

上の棘まとめでは、「イギリス植民地支配謝罪したけど、紅茶文化謝罪してませんよね?」という主張があった。

でも、イギリス紅茶文化ってのは、カリブ海黒人奴隷を牛馬のごとく酷使して得た砂糖と、植民地で現地の民族構成を大幅に変えながら栽培した茶葉で成り立っていて、植民地支配がなければそれらが安価かつ大量に流入して普及するなんてありえなかった(cf. 川北稔『砂糖世界史岩波ジュニア新書)。イギリス紅茶文化植民地支配と不可分のものだ。植民地支配なくして紅茶文化なし、なのだ

同様に、帝国日本で栄えた豊かな文化は、たとえそれがいかに「平和的」で「銃後」のものであったとしても、植民地から収奪の上に成り立ったものだ。朝鮮日本本土と同じくらいの豊かさを享受していたか、といえばそんなことはなく、農地が奪われ同化政策が行われ、つまり典型的植民地としての収奪が行われていた。その収奪の上に花開いたのが大正期の文化なのだ

なるほど確かにはいからさんなどの文化一見して軍国主義と無縁に見えるかもしれない。しかしその文化は、植民地支配から養分を得ていた。

ブラック企業社長の子ども、というものを思い浮かべればいいのかもしれない。別に子どもパート店員ハラスメントをしたわけでも派遣社員酷使したわけでもないが、その子もの豊かな生活は彼らの膏血を搾り取ることによって成り立っている。そのような環境でのびのび創造性を育んだ子ども自分クリエイティブさを誇るのが当然だとすれば、ブラックな働き方で過労死した社員の子どもがそれに怨嗟を向けるのもまた自然なことだろう。

とはいえ、そこまでの責任は取れない、と思うのも人情だろう。正直私は、上に書いたようなことを理屈ではわかっているが、だからといって大正ロマン紅茶文化糾弾に値する悪しきものだとは思わないし、作品に出てくれば普通に嬉しい。

しかし、まったく倫理的問題がない、と力説する気にもなれない。

それに私たち日本人は、いやこれに関しては韓国人も同じだが、先進国に生きる民として途上国の人たちの生き血を啜って暮らしている。安価に手に入る服、とか、そういった表面上の話だけでなく、近代世界ひとつシステムで、途上国は発展の途上にあるのではなく先進国の都合によって低開発状態に留め置かれた国々であり、そのシステム私たちは間違いなく搾取者の側にいる。

私たちはその構造から逃れることはできないし、いくら文化糾弾しても私たちが負った原罪が消えることはない。それは個々人には到底負いきれぬ責任かもしれないが、せめてそこに責任があることを認めるべきではないかと思う。紅茶文化大英帝国の暴虐を切り離すことはできない。大正ロマンから日本軍国主義切断処理することはできない。そして日本韓国といった先進国の発展を、途上国の窮乏から独立したものだと見做すことはできない。だから罪人として生きるべきだ、とは微塵も思わないが、このような構造に絡め取られていること自体は、認めるべきだとも思うのだ。

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