はてなキーワード: 自己評価とは
恋柱は確かに入隊の動機は「????」だけれども、鬼殺隊に居場所を見出した心理はそこまで異常でもないと思う。
見合いで人格否定を受け続け、自分自身を殺してまで結婚しようとしていたときに鬼殺隊を知り、お館様に全肯定してもらったことで
彼女は自分の特殊体質ごと「自分」を受け入れられ、認められる世界を知った。そこで自分が頑張って役に立てるようにまでなった。
柱になるには「血を吐くぐらい厳しい鍛錬に耐える必要がある」わけで、おまけに彼女が師事した炎柱は後継者である継子に課す試練が厳しすぎることで有名…という設定がある。
それを乗り越えたのだから、彼女はそれだけ深く自分に加えられた人格攻撃に傷ついていたのだし、乗り越えられるぐらい居場所を見出していたということ。
だいたい鬼殺隊のメンバーは自己犠牲精神がやたらと高いうえに自己評価が低すぎるキャラが多い。
さらに妄想を飛躍させるならば、キャラ設定からすると心の許容量が広い炎柱・煉獄さんからもお館様と同じように肯定される反応を得たのじゃないかなとも思う。
おまけに伊黒さんもいるしね。いつの時点で知り合ったのかは定かではないけれども(逆算すると恋柱は柱になるまでの期間が極めて短い)、
・女性のコンプレックスを気にせず、逆に励まし、応援するように何度も食事に誘う(おそらく柱の財力にものいわせて奢っていたと思われる)
・そのたびに特別優しい目で見つめる
・相手が困っていることを察知し、適切な贈り物を贈る(その贈り物は仲が良くなければ拒絶されかねない肌に身に着けるものである)
女性は結婚以外に道がない大正時代だからこそ、婚活は彼女にとって生死を左右する問題だったはずで、
だからこそあれほどまで打ち込んだのかもしれない。
あーなんか分かる。人生で何度となく経験したもののような気がする。
で、自分は友人付き合いというものに過度の思い入れするのをやめた。絶望して諦めた。
誰かが傷付いたとか人の悪意を見てしまうとしんどくなるから、全員幸せになってくれればいいのに。みんな幸せになればエブリワンハッピーじゃん。エブリワンハッピーセット。
以下私がしんどい話。
私は痛みに人一倍弱くて、「これ以上痛いなら死んでやる」と自殺を考えるくらいには耐性ゼロだ。だけど現実はどこも刺々しい。
まず考えてみてほしいのだが、自分以外も苦しんでいる世界が自分にだけ優しいはずがない。なぜなら自分は特別ではないから。当たり前なんだけど。
せめて凡人と言い張れたらよかったけど、ぼっちが並の人間を名乗るのは自己評価が高すぎる。しかも、自分から孤高してるタイプじゃないのでマイナス補正に余念がない。
そんな底辺が人の痛がっているところを見ると、どう思うか。生きるの怖い。何をしても苦痛が伴うことを、自分よりも出来ているだろう人達が証明してくるのは正論の暴力だ。
「面接落ちた」と嘆く人が自分よりスペックが上だったら「それより下の自分はもっと無理」だし、人の悪口を聞けば自分がその対象になることに怯える。
自意識過剰かもしれないが、防御してないところに攻撃されたら痛い。なのでワクチンも兼ねて人の話を聞くけど、実際はその何倍も痛いので死にたくなる。
しかも「痛み」は感染するし、その恐怖だけで人を殺してしまうと思う。だってわざわざ痛い思いから絶望して死ぬより、余力のある内に死んだ方が総合的に幸福度は高いと思いませんか?
私の視界に入る人間が何も不安なく生きていれば、それでもセーフティーネットになるんだろう。でも数少ない社会との接触点が痛そうなので、しんどさ8割増しのダイレクトアタックだ。惰性で生きれる環境にあるだけ平和だと感じているが、それだっていつ終わるかわからない。明日絶望するほど痛い目に合うかもしれないし。
極論、いい人や普通の人だけじゃなくて悪い人も全部ひっくるめて幸せになれるやさしい世界じゃないと私は嫌だった。何があっても自分が取りこぼされる心配のない場所で生きたかった。傷付かないように過ごしたいだけなのに、それが難しすぎる。
よく現実と理想のギャップが大きいほど苦しむというが、みんなどこで現実と折り合いをつけられるようになったんだ。そんな方法習わなかったし、誰も教えてくれなかった。
見てたとして、嫌なことはすぐ忘れたいタイプなので見なかったことにしてるかもしれない。こういうの認知の歪みっていうんだっけ。よく「話噛み合わないね」とか言われるし。
できることなら現実逃避して、痛みを避けて生きていたいな。別に今のところは死ぬほどじゃない。
だけど一生逃げ続けられるほど、自分は強くない。
人の目を見て話せないし、自分に仕事を任せられると「私なんかに任せて正気?」ってまじで思うし新しい仕事を頼まれると出来ないのがわかってるから本当に嫌になる。
自分が評価されるのもすごい嫌で自己評価は多分めちゃくちゃ低い。
意識の根底に相手にいつ嫌われるかドキドキしている自分がいるし、そろそろ怒られるんじゃないかって不安になってる。
けど自己評価チェックしたら大体「意見を尊重してもらえたか」「親に愛してもらえたか」とかでそれはyesに当てはまる。
好き嫌いもはっきり言えるし(言いすぎる時もある)意見も伝える方だ。
あ、でも意見通って自分が幹事的なのになってしまうと「何かやらかすんじゃないか」ってビビり倒すし、不手際があると「私以外の人の方が上手く出来た」って思っちゃう。
もしかしたら「自分の意見なんて通るわけない」って思って発言してるかも。
これも自己評価低いに入るの?
どうやったら「仕事任せられて嬉しい!頑張る!」になるの?
中学の頃から腐女子でずっと二次創作をしており、pixivやらTwitterやらでアカウントを転々としつつ、オンライン上のみで活動をしてきた。
描く絵は一枚絵ばかりであり、漫画は簡単な4コマくらいしか描かなかった。
イベントでは買い専に徹し、自分が同人誌を作れるという発想も無く、「漫画や本を作る=とても大変なこと」だと考えていた。
しかし、3年ほど前に某ジャンルに強くハマり、初めて私は「推しカプの本を作りたい」と感じた。
そのジャンルは知名度は高いが、女性向けとしてはマイナー寄りであった。
だが、活動している人はそこそこいた。というより想像よりたくさんいて喜んだ覚えがある。
最初は今まで通りオン専で活動するつもりだったが、自分の作品が今までより良い反応をもらいやすいとだんだん感じるようになった。
今思えば、手前味噌だが私の画力が当時のジャンルの中でも中の上くらいだったことと、貴重なカプ者としてありがたく思ってくれる人達がいたことが理由だと思う。
その時の私は良い評価をたくさん頂けたことで自己評価が高まっていた。
今の自分なら漫画も描けるのではと思って制作した推しカプ漫画も、無事多くのブクマやいいねが頂けた。
丁度ジャンルに来て1年くらいだったと思う。
同人誌の作り方を調べ、とあるイベントを目標に計画を立てて制作を始めた。
しかし、本の執筆は自分が想像していたように大変なことだった。
ネットにあげていた漫画は所詮1〜2pほどであったが、こちらは一気に10倍のボリュームを描くことになる。
上手くまとめないとページが足らなくなったりグダグタになったりする。話の流れで苦手なアングルも描くことになる。などなど…
描いている最中で何度も「本当に面白いのか」「この絵おかしいけど直せない」と虚無に陥りながらなんとか描き続けていた。
自分の絵が嫌いになりそうにもなった。
一方、私が本を作ろうと思い立った半年ほど前に新規の人がジャンルに来ていた。
その人は私と同じオン専であった。しかもTwitterのみでしか活動していない様であった。(以下Aとする)
Aとは私のアカウントをフォローしてくれたことをきっかけに相互となり、絵をいいねしあってたまにリプを送るくらいの仲となった。
彼女の描いた絵は私と同じくらいの評価をされていた…と最初は思っていた。
彼女の絵は、私における「今回は特に反応が貰えたな!」と感じる量のいいねやRTをコンスタントに稼いでいた。
さらにフォロワーもじわじわ増えていき、いつの間にか私の何倍にもなっていた。
私が思う以上にAは絵が上手かった。
私が苦戦しながら原稿を描いている間もAは絵の投稿を続けていた。
最初は私もAの絵をありがたくいいねしていたが、そのうち彼女の存在が私の自信に影を落とすようになっていった。
話は戻るが、なんだかんだで原稿は完成し、サークルとしてイベント参加することを達成した。
私の本を買いに来てくれる人がいたこと、今までネット上でしか知らなかった人達と実際にお会いできたこと、差し入れをいただけたことなど、嬉しいことがいくつもあった。
本の感想をくださる方もおり、喜びのあまり何度も読み返した。本をきっかけにフォローしてくれる方もいた。
何もかもが初めての体験であり、イベント後も1人ずっと感動していた。
また、同人誌の執筆など自分にはできないと考えていたため、自分やれば出来るじゃん!と自信がもりもり湧き出ていた。
そんな時にふとAのTwitterアカウントが目についた。そのフォロワーやいいねRTの数の多さに、途端に自尊心が急降下した。
自分はpixivやTwitterをまめに更新し、本を作ってイベント参加もした。
なのに彼女はTwitterでしか活動せず絵を上げるくらいで呟きも少ないのに私よりずっとずっと多くの評価をされている。
そこが私には許せなかった。
私は必死で漫画を描いてたのに。特に締め切りのない絵を描き散らしてるだけで。調子に乗ってるんじゃねーぞ。とも感じた。
Aは絵を描いているだけで調子もクソも無いのにそう感じていた。
そのうち、この感情はAだけでなくオンライン上の狭い範囲でしか活動していない人全てに向かうようになった。
今まで仲良くしていた人達の活動履歴を探り、オフライン活動のある人としか仲良くしないようになった。
評価の量は自分の技量の問題であるし、本を作ろうと思ったのは自分で決めたことで、それで苦労をしたのも自分の技量のせいである。
Aを含めた「オンライン上でのみ活動する人々」には何も関係のないことである。
なのに私は彼らのことを「オフライン活動をする度胸のない奴ら」だと感じている。
2か月に一度くらいはあるので定義としてセックスレスではないのだろう。
こちらが毎日いつなんどきでもセックスがしたいと思ってることは、相手には伝えてるし把握してるはず。
なまじ一緒に寝てるので自慰がしずらく、またむらむらしやすいので尚更きつい。
付き合って六年、彼女は元は淡白なひとで、僕と出会って「初めてセックスがしたくなった」と言われたほどなので行為の相性は悪い筈もない。彼女が友達に「アレがびっくりするくらい合う!」と言った、と聞いた。
なのに。なのに。
週二、本音は日三、譲っても隔週くらいでは応じてくれるのが優しさであり愛じゃないのかなーと思うわけです。
誘って断られると自己評価落ちて地味につらいため誘うのも控えてる。これが隔週くらい。
好きじゃないのかなあ、と悩むことが多い。
これだけ長い文章なのに読みやすい。元ネタの主さんは文章力がある人ではなかろうか。
あくせく働いてやっと日々生活してる人間から見ると、無職なのにレンタル彼女とか呼べるのは勝ち組と言える。いい身分の人なんだろうか。
1点気になったのはここ。
>>増田「動く歩道で自分だけが立ち止まっている。他の人はみんな歩いている。お年寄りさえ自分を追い抜いていく。自分はお年寄りより体力がない」<<
追い抜いて行く人とは、当然みんな歩いている人である。体力がない人は追い抜いていかないので存在に気付かないだけのこと。私自身動く歩道では立ち止まる派である。体力の問題というよりは単に面倒くさいだけのことだが。
そしてもう1つ。これだけ反応があるのはある意味素晴らしい。主さんは自己評価低そうだがこれもある種才能。
主さんの望む若い綺麗な女性とみられる反応はほぼ無くてKKO(という用語は今回始めて知った)ばかりに見えるが。まあ単純に利用者の人口比に比例してるのだろうけど。