誰かが傷付いたとか人の悪意を見てしまうとしんどくなるから、全員幸せになってくれればいいのに。みんな幸せになればエブリワンハッピーじゃん。エブリワンハッピーセット。
以下私がしんどい話。
私は痛みに人一倍弱くて、「これ以上痛いなら死んでやる」と自殺を考えるくらいには耐性ゼロだ。だけど現実はどこも刺々しい。
まず考えてみてほしいのだが、自分以外も苦しんでいる世界が自分にだけ優しいはずがない。なぜなら自分は特別ではないから。当たり前なんだけど。
せめて凡人と言い張れたらよかったけど、ぼっちが並の人間を名乗るのは自己評価が高すぎる。しかも、自分から孤高してるタイプじゃないのでマイナス補正に余念がない。
そんな底辺が人の痛がっているところを見ると、どう思うか。生きるの怖い。何をしても苦痛が伴うことを、自分よりも出来ているだろう人達が証明してくるのは正論の暴力だ。
「面接落ちた」と嘆く人が自分よりスペックが上だったら「それより下の自分はもっと無理」だし、人の悪口を聞けば自分がその対象になることに怯える。
自意識過剰かもしれないが、防御してないところに攻撃されたら痛い。なのでワクチンも兼ねて人の話を聞くけど、実際はその何倍も痛いので死にたくなる。
しかも「痛み」は感染するし、その恐怖だけで人を殺してしまうと思う。だってわざわざ痛い思いから絶望して死ぬより、余力のある内に死んだ方が総合的に幸福度は高いと思いませんか?
私の視界に入る人間が何も不安なく生きていれば、それでもセーフティーネットになるんだろう。でも数少ない社会との接触点が痛そうなので、しんどさ8割増しのダイレクトアタックだ。惰性で生きれる環境にあるだけ平和だと感じているが、それだっていつ終わるかわからない。明日絶望するほど痛い目に合うかもしれないし。
極論、いい人や普通の人だけじゃなくて悪い人も全部ひっくるめて幸せになれるやさしい世界じゃないと私は嫌だった。何があっても自分が取りこぼされる心配のない場所で生きたかった。傷付かないように過ごしたいだけなのに、それが難しすぎる。
よく現実と理想のギャップが大きいほど苦しむというが、みんなどこで現実と折り合いをつけられるようになったんだ。そんな方法習わなかったし、誰も教えてくれなかった。
見てたとして、嫌なことはすぐ忘れたいタイプなので見なかったことにしてるかもしれない。こういうの認知の歪みっていうんだっけ。よく「話噛み合わないね」とか言われるし。
できることなら現実逃避して、痛みを避けて生きていたいな。別に今のところは死ぬほどじゃない。
だけど一生逃げ続けられるほど、自分は強くない。