はてなキーワード: 徹夜とは
10年来の友人が突然無理になりました。
箇条書きにします。
・会っても携帯をずっと触ってラインかツイッターかを見ている。(中学生の時はずっとイヤホンで音楽を聞いていた)
・物の受け渡しで会ってもすぐに帰る(玄関先でやりとりする)し近所に住んでるのに予定が合わない。
・相手から来ると言って、近所に住んでるのに時間通りに来ず、1時間後に「頭痛いから今日は無理」の連絡。
・観て欲しいと私が言って、相手が観たいと言ったDVDやCDを貸しても見ない。聞かない。
・数年前の2人旅行で前日に徹夜。行き帰りはずっと寝てるし旅行中はずっと不機嫌で話しかけても生返事で撒く勢いで歩き自撮りばかりしている。
・察してちゃん
・怒った時に口汚く罵る
・インスタグラムで他の人とのツーショットないしはスリーショットは投稿するけど私は無い
大きい理由はこのくらいでしょうか。
これだけ書きましたが、私にも悪いところはあったと思います。まぁ相手からは何も言われないので(察してちゃんなので)何が嫌だったかもわかりませんが…
直接言わない私も良くないと思います。でも、いつもなにかに怒った時はすごく口汚く罵るから言いにくかった。
あまりプライベートなことは話さないから聞きたくないのかと思って気持ち的なことは言いづらかったし…察してちゃんなので察してあげたら動きづらくなってしまった。
中高と一緒だったのですが、大学で進路が分かれて全然私とタイプの違うひとと遊ぶようになったりして相手も変わったのだと思います。
私といたら嫌なことがあったのかなと思うとすごく悲しい。
上記には書きませんでしたが、相手がすごく美人だったのもすこしコンプレックスでした。
同じバイト先だったので、どうしても比べられることはあったと思います。他人に比べられること自体はそれほど気にならなかったのですが、彼女から見下されてたらどうしようと思うのが嫌でした。
実習や仕事のことで愚痴を言ってしまうことが多かった時期があったので、それも嫌だったのかも。
私が嫌なことがあったらそれで頭がいっぱいになるタイプなのである程度はしょうがなかったと思うけど、毎回愚痴られるのはうんざりしていたと思います。
貸したDVDを見てくれないのも嫌だった。
私は彼女が見てほしいと言った漫画はぜんぶ読みましたぎ私のおすすめは全然みてくれない。
バイトで「普通こうするやろ」ってその時初めて言われたことを本当に常識が無いみたいに注意のがずっと引っかかってます。
私は「普通」なんて無いと思ってるので、彼女にだけは言ってほしくなかった。ていうか最初から言ってないことを「普通」という共通かも分からない認識のもと注意しないでほしかった。クソ上司みたいなこと言わないでほしかった。今おもえば、元々そういう人だったのでしょう。
再就職先に初出勤する前日に「彼氏ができた」と報告されたのも嫌でした。
うるせえと。
すごくナーバスになっていたので衝撃は5倍でした。
今は彼氏がいる彼女(ややこしいな)が気色悪いです。匂わせ投稿が……目にあまる…………
彼女が誰かとご飯を食べた、みたいなツイッター投稿をするたびに「私とは遊ばんのに…」みたいな気持ちになるのが嫌です。
まぁ遊んでも嫌な気持ちになる確率はフィフティー・フィフティーなんですけど……
上記にあったように、私と撮った写真だけインスタに上げられないのも、「私は大学の友人やには見せられへんほど見苦しいのか?オシャレインスタグラムにはふさわしくないほどダサいのか?」と思って嫌でした。わたしは第一級のオシャレをしてるつもりなんですけどね。
無言でやるのが感じ悪いですね。
所詮近くにいてもソーシャルネットワーキングサービスに繋がれた友情だったのかもしれません。
私たちには対話が足りなかった。旅行に行くたびにくれるお土産なんて欲しくなかった。誕生日プレゼントも買いたくないならくれなくても良かった。
ほんとうに、対話が足りなかった。
今からでも話せたら、何か変わるのでしょうか。
決して私が普段から昼夜逆転の生活をしているのではなく、なんなら規則正しく生活してきたし、むしろ徹夜なんてこれまでの人生で初めての経験になる。
自分は試験のストレスにはめっぽう強いタイプだと思い込んでいた。
学部入試の時も、適度に勉強して旧帝大の理系学部に現役合格することができた。
親や友人から、誰々は受験のストレスで病んでいる、とか、浪人して発狂した、という話を話半分に聞いていた。
自分とは縁遠すぎて、へー、そんな奴もいるんだな。としか思わなかったし、浪人したらあと一年のんびりできて最高だなとも思っていた。
そんな私が、世間的には通って当たり前のような風潮がある大学院入試が不安すぎて夜も眠れない。
学部入試の際は、高校の校風もあって、ある種浪人しても当たり前のような風潮があった。
浪人という逃げ道があったからこそ、そこまで追い込まれることなく、伸び伸びと勉強・受験ができたのだろうと今になって気づいた。
それに対し、院試、ましてや内部進学の者にとっては通って当たり前の試験である。落ちるなんて考えられない。
という世間的な評価に対し、私の志望する大学院は倍率1.5倍の完全一発試験勝負である。
さらに、学部も合格最低点ギリギリで通った私は、優秀な同期たちと競い合わねばならない。
決して同期たちに勉強時間で遅れをとっているとは思わないが、あまり勉強してない彼らが、私よりもはるかに簡潔で明瞭な解答を作っているのをみると地力の差に打ちのめされそうになる。
それでV-SYSだのなんだののクソシステムの入力サボりやがってとか怒ってるけどそっちは多重入力必要で、打ち手は最低賃金。
『霞が関のリアル』という本を佐藤優氏(以下敬称略)が書評している。辛い評価を付けているが、少し前に読んだ身として、このレビューにはかなり問題を感じた。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/book/291751
なお、佐藤が取り上げている部分の内容は、https://www3.nhk.or.jp/news/special/kasumigaseki/article/article_190408.htmlにあたる(ウェブ連載を本にしているので、違いはあるのだろうが大筋は同じと思われる)。
佐藤は、東大法学部卒、国家試験に首位合格しながら官僚にならなかった、以下の青年の発言を引いている。
「官僚は最初の数年間は下積み時代っていうのがありますし、実際のいい仕事、意思決定に関われるのは8年目とか10年目の課長補佐以降だと聞いています。それまでの期間がもったいないですね。上の世代の人が下積みの重要性を言いたがるのは正直理解できません。むだに思える雑用に時間を費やしたくない。新卒という、ある意味社会の変化にいちばん敏感な時期の力を最初から最大限発揮していきたいし、そういう力を積極的に使っていこうという企業の中で成長したいんです。年功序列であったり、政治家の意見も聞きつつ空気を読んで判断しないといけないという霞が関の風土にも染まりたくない」
これに対して、
「国際的にも高度な専門知識、あるいはキャリア官僚として必要な知見と能力を身に付けるには、最低、10年くらいの下積み期間は必要」
とし、10年下積みもできないやつは官僚になるな、と主張する。こんな志の低いやつばかりで、日本の若いエリートは質が下がっている……というのが、佐藤のレビューの趣旨だ。
だがこの青年は、はじめから第一線の専門家として活躍したいとは書いていない。形式的で無駄な雑用をしたくないし、若い時期の感性をきちんと使いたいし、意味のある仕事をして成長したい、という主張であり、まっとうと思える。ある意味ではそれも「下積み」であり、この青年が嫌がっているのは、もっと無意味で非合理的な「下積み」だろう。若手官僚が能力を活かして働ける環境になっていないのは確かだ(そのことは、この本でも繰り返し言われている)。だいたい、こういう状況が続いたために官僚の志望者が減っているという現状を、佐藤はどう考えているのだろうか。
佐藤は言及していないが、この後で青年には親類に官僚がいて仕事ぶりもある程度知っており、官僚を目指したと書かれている。だが、近年の霞が関の不祥事をみて、組織全体が振り回されることにげんなりして止めた、とある。分量の制約があるといわればそれまでだが、佐藤が取り出した部分だけ見ると、優秀だが志の低い学生が語っているようにみえる。
国家公務員試験は一定の準備と対策を必要とする試験で、どれほど優秀であっても、勉強せずに合格できるものではない。トップ合格であればなおさらだ。この学生に対して、佐藤は
「この青年は人事院から国家公務員総合職試験1位合格という通知書を用いて、コンサルタント会社か投資銀行のような年収の高い企業に入る道具にしようと考えているのだと思う。こういう志の低い者は、霞が関に来ない方がいい」
と評している。コンサルや外資に就職しようとするやつが、国家公務員試験合格をアピールポイントに使うようなコスパの極めて悪いやりかたをするとは思えない。邪推や侮辱の類だと思うし、そう思わせるような切り出し方をしているとも感じる。
この連載や本で取り上げられている事例の大半は、朝から夜中まで働かされ、しかも前時代的な慣習に絡め取られている霞が関の現状についてだ。政治家に小間使のごとく使われ、昔に比べてやりがいもない、そういう話ばかりだ。上の東大生の話も、それが知れ渡ってきたので優秀な人材が官僚を目指さなくなった、という文脈に置かれている。
そうした労働問題に全く触れず、「志の低いやつは官僚になるな」という主張に合致する例をなんとか引っ張り出してきた(上記の通り、合致しているとは思えないが)という事自体が、佐藤の考えを明確に示しているといえる。官僚の志に比べたら、深夜労働も、政治家の官僚への横暴も、意味不明な慣習もさほど問題ではないということだ。
佐藤がこのような評価をすることも、なんとなくわかる。佐藤の著作を読む限り、官僚時代は昼夜を問わず働いて活躍してきたようだし、政治家に尽くしてこそ官僚、という信念もあるのだろう。何の著作か忘れたが、「忙しいし徹夜したいところだが、なにかあったときにちゃんと頭が働くように毎日5時間は寝るようにした」という、一周回った社畜自慢に苦笑したことがある。
そういう彼にとって、「官僚が長時間労働で体調を壊す」「妊婦の官僚が夜中まで働かざるを得ない」「政治家の支持者の子どもの宿題を官僚がやらされる」というのは、べつに驚くことでもないし、問題にするようなことでもないのだろう。だが、そうした実情も知れ渡り、政治支配が強まって官僚の権限も減り、官僚を目指す若者は減っている。そうしたことを問題にしたこの本を読んで、「10年下積みできないやつは官僚を目指すな」と臆面もなく書けるというのは、どういうことなのだろうか。それによって状況は悪くなるとしか思えないが、後輩たちにたいしてそれでいいのだろうか。
一応書いておくが、私は別に佐藤が嫌いというわけではない。著書もなんだかんだで10冊近く読んできたし、官僚としては有能だったのだろうとは思う。『国家の罠』と『自壊する帝国』の2つは今でもおすすめできるし、
外交官時代のエピソードはなかなかおもしろい(「盛ってる」と思われる部分は多いが)。それを離れたビジネスや教養主義的な本は、薄っぺらくあまり見るべきところはないと感じるが、かといってひどい本というわけでもない(宗教系の本は未読)。
これまで佐藤の書く文章で、そこまで大きな違和感を覚えたことはなかったのだが、このレビューには佐藤のもつ官僚観が剥き出しで現れたのだろうし、それゆえに強く引っかかったのだと思う。こうした佐藤の官僚観は、とても認められるものではないし、一般的には「老害」と呼ぶのではないかと思う。
非正規公務員の賃金が安すぎるみたいなニュースを見て、本当に非正規公務員の賃金が安すぎるのか考えている。
自分は新卒で役所の非正規職員になって、その後正規職員になり、最近民間に転職した。
非正規時代は時給980円くらい、月の手取りは12万円くらいだった。正規時代は24〜30歳まで働いたので、手取り17〜25万くらいだったと思う。
非正規時代は窓口と電話番、入力作業が主な仕事だった。厚労省管轄の何らかをやっていた。受付マニュアルは20ページ、システム入力マニュアルが30ページ、制度改正は毎年みたいな感じで、覚えることは多いわやることがやたらに細かいわでげんなりしていた。おまけに、窓口では怒鳴られる恫喝される精神的にヤバめな人に二時間絡まれるみたいなのが日常茶飯事だった。そうなってくると、「こんな大変な思いで月12万でボーナスも出ないの、ブラックでは?」と思っていた。正職員は電話には出ないわ窓口には出ないわで、「サボってお金もらえていいご身分ですね!」といつも思っていたし、非正規のベテランのおばちゃんが正職員に怒鳴り散らしてるの見て、いい気味だくらいに思っていた。
翌年に正規職員の登用試験に受かって、内部事務系の部署に配属になった。入社して早々にやったのはシステムの入れ替えで、システム構築自体が初めてだったので、半べそかきながら夜遅くまで仕様書やら設計書やらを書いた覚えがある。なお、特に引き継ぎはなかったし、先輩は別の仕事をしていたので頼れなかった。ハンコを押す角度まで書いてあった、窓口の分厚いマニュアルが恋しかった。正規公務員はジェネラリストであるべき、みたいな雰囲気がある役所だったので、これ以外にもお茶出しからイベントの企画運営、議会対応、結構何でもやった。その他にも、地震や台風が来れば徹夜で避難所に立ったし、選挙も国勢調査の集計もやった。大きな台風の日、家族が心細がってるのに一人で避難所に行くのは心苦しかった。そういうのに非正規公務員は当たらないのが羨ましかった。胃をキリキリさせながらも、自分が非正規時代に「正規公務員はいい身分」と思っていたのが後ろめたくて、すごく生真面目に仕事をしていたと思う。そうなると、これだけしんどい思いをするのが正規職員なら、やっぱり非正規職員は980円で妥当では?と思うようになった。
非正規→正規の公務員を経験して、今はさらに民間から見ると、確かに非正規公務員の賃金は安い。例えばどこかの契約社員になるとか、派遣をするとか、そういう方がよっぽど儲かると思う。ただ、それでも非正規公務員でいたいのは、休みが取りやすいとか、残業がないとか、自分のようにいつか正規公務員になりたいとか、いろんな思惑があるからだと思う。身分が不安定だー、とか、賃金が安すぎるーと嘆くなら、民間に行くなり死ぬ気で勉強して正規職員の登用試験を受けるなりしてもいいんじゃないの?と思う。小さい市町村なんか定員割れが続いてて、採用年齢を大きく引き上げているところも多いわけだし。