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2023-06-25

危機時代にはむしろ都会から離れた場所のほうが有能な人が育つんだよ!

なんでこんなツイッター治安がこんな悪くなってもうたん?

いや、訴訟しないとダメなぐらいな人が多すぎて、

大人しくしてたらこっちがやられた」

と思うよ?

だけどさぁ…そもそもネットって好きなもの技術を発表する場所じゃん?

それを排除訴訟場所に変えないでほしい…

しかも、俺が許せないのは、オタク文化や成人向けっていうのは、15年以上前なら

ネット中にある最後楽園で、純度の高い好きを発表する場所

だったところに踏み込んできたところだよ。

踏み込まれたか

「もうネットを切って、香川うどん食べてるか、秩父の山にこもるしかないのか」

気持ち

ちなみに、日本史ではぼくの考え方ってすごく正しくて、

「動乱が起こるほど時代が変化する時には、四国か、大阪か、山奥(お寺)から英雄が出てくる」

んですよ。

東京(都)にインテリが集うっていうのは実は大嘘

戦国時代最初に都を抑えた三好氏も、幕末活躍した土佐藩四国なんや

お寺で英才教育を受けた人が歴史を変えたパターンで行くと、源義経井伊直政が有名なんだけど…今でも山に行くと文化圏が都会とは大きく変わるから

「都会の病んだトレンドが入ってこないことで、危機時代にはむしろ都会から離れた場所のほうが有能な人が育つんだな」

と…なんか納得できてしま

海や山と違う意味で、

独自文化圏が強すぎて、都会のダメトレンドに飲み込まれない」

のが、大阪

大阪って日本史全般で、常にナンバー2、ナンバー3のいちをキープしてて、変革を象徴する会社人物を生み出すんだ。

ちなみに、武士系で大阪の有名勢力楠木正成公と本願寺ですから…うん

我ながらトンデモ理論っぽいなあ〜と思うんだけど…

今の政変活躍している新党達の中心人物大阪香川から

「都がおかしくなってくると、大阪四国か山から変革者が出て来る」

法則通りなのよね。

N国・参政党・維新の党首が大阪で、国民玉木雄一郎香川出身

居酒屋トークレベルカジュアルすぎるネタだけど、

「言われてみると、そうだからちょっと面白いよね」

という変なネタ

偶然も500年1000年単位で先例があって、なおかつ実際にその場所に行ってみると都と空気が違うのを見たら…余計に「ネタっぽいけど、そうかもしれない」っぽさはある

これ、ぼくは絶対やらないようにしてる。

https://twitter.com/ikegpg/status/1671742757625548802

特に笑いについては、

人間なんて高尚なもんじゃいから、ジャンクであればあるほど面白い(だから小学校低学年まではうんこちんこ連呼してるだけで笑いが取れる)」

というスタンスから、高尚な笑いなんて自分プライドを満たしたいだけのエゴだよ

ぼくの言ってることがわからん人はおると思うけど、「なんでか」

わかった上で、ぼくに改善できることがあるかどうかは確認する。

でも、考えても相手おかしい時は、相手をディスったりするんじゃなくて「合わない」「違う世界を見てる」ぐらいでいいと思うし、そう考えるように努めたい

2022-11-29

古本屋に行った

カレーを食った後、歩いていたら古本屋があったので入った

軽く読めそうなものを買おうと思い、三冊を選んだ

一冊目は『月刊イメージフォーラム1983年2月号』

いたことない雑誌だったが、映画紹介の雑誌らしい

背表紙に「映画監督になる方法」という企画の題が載っていて、気になって買った

監督助監督にどうやってこの業界に入ったかや入ってから今までの印象的な経験インタビューするみたいな企画だった

その中で一番笑ったのは楠田恵子の『”女子大生ポルノ顛末記』

にっかつが監督助監督脚本演出演者、すべてを女子大生から募集する企画に参加した監督愚痴みたいな記事

女子大生ポルノを撮るものから撮影現場取材記者が大量に集まり撮影中にフラッシたくわ、演出中にはなしけてくるわ、邪魔からどいてといっても無視されるわで全然撮影できず、スケジュールが遅れまくったみたいな話

監督本人があいつらマジ邪魔だったという話を素直に書いているのが呼んでいて痛快で面白かった

二冊目は『ハカタ巷談2』

明治日本筑前出身の侍がどう活躍たかを書いた本

筑前出身金子才吉と言う人が長崎で酔って道端で泥酔していた英兵2人をなぜか斬り殺し、逃げて、筑前藩が金子才吉の身柄を確保し、犯人不明のまま匿っていたところ、イギリス公使パークスを含めた英国側が「どうせ土佐藩暗殺やろ!」と激怒し、土佐藩ピンチになるところまで読んだ

今のところ、筑前出身の侍が迷惑をかけている印象しかない

三冊目はE・S・ガードナーの『最後法廷

弁護士ミステリ小説家ガードナー最後法廷と言う民間機関組織し、間違った裁判の結果、投獄された事件真相究明を行うノンフィクション

ミステリ作家の語り口×現実の突拍子もない展開×1930年代殺人事件みたいな感じ

1930年代事件の話だから科学的な捜査ほとんどない

古着屋でオーバーを売りに来たが断られた人を見かけ、直接1ドルで買って着ていたら、そのオーバーは殺された父さんのだと娘さんに証言されて捕まった男の話とか、小説だとクソ過ぎてそうはならんやろという読めない展開がページをめくるごとにつづいて面白

たまに古本屋に行くと探してもいないし存在も全く知らなかった本と出合えて楽しい

2021-09-20

anond:20210920144056

イキってた人らは東京に出てきて東京の人になっちゃったから

うちも、もとを辿れば土佐藩のさるやんごとなき筋って設定らしいけど(真偽不明)、

今となっては全然高知県なんかに縁もゆかりも無いからなあ。

anond:20210920142517

なるほど

土佐藩 高知県 長宗我部改め山内一豊 

山内さんは静岡の人

から高知リョーマ薩長につかず幕府側との取り持ちしたのか?

anond:20210920141943

長宗我部戦国時代に豊臣方についた負け組だよ

徳川に取り入った山内土佐藩を治めた

長宗我部派は郷士山内派は上士として身分構造にきっぱりと差があった

(と、おーい竜馬で読んだ)

2021-05-17

anond:20210516174729

製造業全部が全部そうじゃないんだから勝手メンタルやられてんじゃねえ、みたいなことマジで言う人結構いて驚く。

土佐藩では郷士人間扱い方されてないかもしれないけど、長州藩はそんな酷い扱いされてないんだから身分制度に疑問を呈するのは安易」みたいな?

2019-06-20

高知県人口減と脱藩マインド

高知県人口が70万人を切ったニュースで思い出した話がある。

少子高齢化人口減と都市地方格差が進んだ結果、進学への情熱が薄れてきているという話。

昔は「良いところに就職するために、いい大学に入る。

そのためには私立進学校に行く。」というのがエリートセオリーみたいなものだった。

だが今は、そんなセオリーが崩れている。

いや正確には「無理してまで良い大学に入らせようとは思わない」「そのために私立進学校に行く必要はない」

という認識小学生中学生の親世代にあるのではないか

高知県高校大学

その前に、高知県大学高校(及び中高一貫校)の事情説明しておく。

まずは高校

進学実績の点で私立公立かで言えば、私立2校が秀でる。

土佐と学芸のことだが、但し中学受験クリアした者に限る。

1990年代当時の感覚では、

  土佐>=学芸>土佐塾(ここまで私立中高一貫)>追手前(県立)>その他県立高校とか明徳とか

であった。

それが今はどうだろう。

県立西高校と県立南高校が統合され、南西高校になるかと思いきや公立中高一貫高知国際中学高校になった。

老舗の中高一貫校である土佐や学芸にとっては脅威である

しか母体西高校の色もあり、英語教育に力を入れているスーパーなんとかハイスクール指定されている。

昔ながらのThe私立進学校は、特色ある公立校に押されつつあるとみられる。

次に大学

高知県にある4年制大学国立大学法人高知大学と、高知県大学、そして高知工科大学の3つしかない。

かつては高知医科大学があったが、高知大学合併して高知大学医学部になっている。

たった3校しかない高知県内の大学で、理工系に限ると、

もはや高知大学高知工科大学の2択だ。

更に機械電気情報といった工学系となると高知工科大学しかない。

理系の進学先

受験難易度の点で見れば偏差値46程度の高知工科大学であればわざわざ難関私立進学校に入らなくても良い。

しろ公立学校の方が家計財政的に助かる。

筆者は土佐高校卒業だが、当時人気だった進学先のひとつ岡山大学であった。

遠すぎず、近すぎない大都会岡山である

あるいは首都圏関西の様々な大学であった。

同級生や年の近い先輩後輩の進学先ら帯広畜産大学から琉球大まであったし、海外留学していったのもいた。

ほぼ100%が進学志望なのは今も昔も変わらないと思うが、志望大学バラエティに富んでいた。しかし今や地元志向が強すぎる。

もちろん地元高知大学の人気も高かったが、今はそれ以上に高知大学志望が増えているという。

「もうちょっと頑張れば、もっと良い大学に行けるのに」と先生が勧めても、

生徒や親が浪人を嫌がり、より確実性の高いところで落ち着こうとするのだ。

あるいは、「もうちょっと頑張れば」というなら理学部から医学部進路変更する。

でも本当に医者になりたいのか?安定した職業を求めているのではないか

まり冒険しなくなった。脱藩マインドが薄れているのだ。

言っておくが国立高知大学高知工科大学も、決してチンケなFラン大学ではない。

だが、やれハーバードMITスタンフォードだ、東大京大だ、早慶阪大だ、

MARCH関関同立だと比べると田舎大学感は否めない。

そして環境。圧倒的に人が少な過ぎて、異なる価値観に触れる機会が都会とは雲泥の差なのだ

月とトイレの方のスッポン。多感な学生時代を、世田谷区人口にも満たない県人口田舎で、刺激の少ない学生時代を送ることになる。

高知から出るだけで消耗する

どこかのうん○こトマトブロガーのせいではない。

たとえば高知から東京大学に進学するとなると、それだけで大変だ。

平均世帯収入の低い高知から物価の高い東京一人暮らしとなれば、不景気ないまおいそれと出せない。

筆者なんか6年も通ってしまったのだ、どれほど親に金を使わせたか

まり金が無い

余裕がないのだ。

一年浪人させて県外の良い大学にいくよりは、現役で高知大か工科大に行き、

県庁市役所に勤めることこそが、堅実な将来であることに疑いはない。

でもそれで新しい時代が切り開けるか?

消耗しないように高知に残り、消化試合人生は「負け」ではないが

そもそも勝負をしていないのではないか

高知県私立進学校に告ぐ

少子高齢化と取り返しのつかない人口減に対応するため、私立進学校も変革の時を迎えている。

ちなみに、土佐高校昭和半ばからずっと1クラス50人×6クラスである

どう考えても多すぎる。

学費を上げてでも人数を減らし、きめ細かい教育ができるようにすべきだ。

脱藩マインドが低い者は公立校に任せ、県外や海外へ送り込める少数精鋭の人材育成校に転換した方がいい。

脱藩マインドを持つ者に磨きをかけろ。世界は広い。

冠する土佐藩の名に叶って欲しい。

でもそうすると、優秀な人材はどんどん高知から離れ、高知県ますます衰退の一途を辿ることになるジレンマがある。

2017-05-14

[] 梅不し

(うめぼし)

高知県高知市創業元禄初年(1688年)である西川屋老舗が製造販売する銘菓。梅餡を求肥で包み団子状にしたもの

土佐藩初代藩主である山内一豊」もこの梅不しを好んで食べたとされる。

https://kotobank.jp/word/%E6%A2%85%E4%B8%8D%E3%81%97-696516

http://korekao.com/archives/1658

2015-02-22

一番良かったのは明治初期だよ

大審院歴代院長

歴代院長[編集]代 氏名 就任日 出身校及び備考

1 玉乃世履 1875年明治8年)5月12日 岩国藩代理

2 玉乃世履 1878年明治11年)9月13日

3 岸良兼養 1879年明治12年)10月25日 薩摩藩

4 玉乃世履 1881年明治14年)7月27日

5 尾崎忠治 1886年明治19年)8月12日 土佐藩

6 西成1890年明治23年)8月21日 府中藩

7 南部甕男 1891年明治24年)4月8日 土佐藩、院長心得

8 児島惟謙 1891年明治24年)5月6日 宇和島藩

9 名村泰蔵 1892年明治25年)8月24日 長崎出身、院長心得

10 三好退蔵 1893年明治26年)3月3日 慶應義塾

11 南部甕男 1896年明治29年)10月7日

12 横田国臣 1906年明治39年)7月3日 慶應義塾

13 富谷太郎 1921年大正10年)6月13日 司法省法学

14 平沼騏一郎 1921年大正10年)10月5日 帝国大学法科大学

15 横田秀雄 1923年大正12年)9月6日 帝国大学法科大学

16 牧野菊之助 1927年昭和2年)8月19日 帝国大学法科大学

17 和仁貞吉 1931年昭和6年)12月21日 帝国大学法科大学

18 林頼三郎 1935年昭和10年)5月13日 東京法学

19 池田二郎 1936年昭和11年)3月13日 東京帝国大学

20 泉二新熊 1939年昭和14年)2月15日 東京帝国大学

21 長島1941年昭和16年)1月31日 東京帝国大学

22 霜山精一 1944年昭和19年)9月15日 東京帝国大学

23 細野長良 1946年昭和21年2月8日 京都帝国大学

2010-05-30

土佐藩身分制度

ちょっと、聞いてください。

ときどきNHK大河ドラマの『龍馬伝』をみていて、よくわからないことがあったんです。

それは、土佐藩サムライ身分制度で、上士(じょうし)、とか、下士(かし)、とかいうものでした。

単なる身分制度でなく、まるでカースト制度のように、見えました。

今日の放送で、それがどういうことか、やっとわかったんです!!

土佐藩主の山内容堂(やまうち・ようどう)が、土佐勤王党のトップの武市半平太(たけち・はんぺいた)のことを見下して、

「どうして、山内一豊公は、この地にやってくるときに、長宗我部の残党を追い出さなかったのであろう」

というようなことを言ったのです。それでわかったんです。

つまり、山内系のサムライと、長宗我部系のサムライの違いであると。

一緒に見ていた母は、このせりふを聞いて、

「まるで、昔の会社合併の話みたいねぇぇ」

と、言いました。

 
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