はてなキーワード: ゲーム理論とは
そう。特定のプレーヤーの最適戦略を考えるなら、日々の職場が独立した、日雇いで毎日違う職場で働くような環境をイメージする。
ただ、
については特定の職場の、複数の社員がどうふるまえば、仕事の単価を押し下げずに済むか、という問題だろ?
なら例えば3割の人数が労力をタダ売りして、7割がタダ売りしない、というような比率が最適解になることもありそうだ、という話。
うん、だから元増田のケースで言えば、プレイヤーとしての最適戦略は「日によって仕事への態度を変えること」になるはず。
これって存在してないよね。(「労働者階級という集合を1プレイヤーとみなす」なら別だけど)
・・・ただ結局この場合も、上司等の評価が混乱して勝ちにならん気がするw 勤務評価なんかは実質勤務日全て合計した1回勝負みたいなもんだから、
ゲーム理論自体が複数(無限)回の試行をするときの最適解を求める問題。
複数の似たような職場、同じ職場での年365日の複数の時間、同じ職場内の複数の個人、という意味で複数回の試行をイメージしてた。
2011年の東北大震災直後に、能天気な経済学者は、福島の農作物にしたって放射能の検査をしっかり受けていれば風評被害なんて気にしなくていいのさってことを言ってたりするんだよね。(尾山・澤田・安田・柳川、日本評論社、2011)。検査自体については福島県は他県よりかはかなり厳しい水準、かつこまめな頻度で情報を出している。栃木や埼玉よりはこまめに。放射能検査の結果を踏まえて福島県産、たとえば会津産の農産物を子供に食べさせてるのかなあ。
ちなみに、「能天気な」っていうのは限定詞として受け取ってほしい。本来は経済理論、特に彼らが専門であるゲーム理論をきちんと誠実に応用すれば、そんな軽々しい楽観的なことを言えないのは明らかだったんだから。
世の中には計画倒れを繰り返している人と計画が頻繁にうまくいっている人がいる。その違いは何なのか?
とかく人間は上の人任せにする傾向があり、自分自身の計画は他人が敷いたレールを歩いて行けば良いと思いがちだ。
しかし、自分が人を導く立場になったときそれでいいのか?ならないとしても、自分自身を自分の思い描くとおりにコントロールしたいという欲望はないのか?
将棋というのはゲーム理論では二人零和有限確定完全情報ゲームに位置づけられる。
棋士は過去の経験に裏付けられた感覚で将棋を指す。最初にひらめいた手、次に候補となる手などいろんな手を読み、それぞれの手がもたらす未来の局面や形勢を評価する。
経験に裏付けられた感覚なんてあまりに主観的なんじゃないかと思うかもしれない。しかしこんな例もある。
手書き文字の認識。なぜこの字は「あ」なのか?論理的に説明できるだろうか?画像認識の分野では手書き文字を認識するプログラムが開発されている。
3DSの漢字ソフトをやったことある人なら分かるだろうが、漢字すらかなりの精度で読み取ることが可能だ。しかし、そのアルゴリズムは機械学習に基づくものであって、
「なぜ」を明快に説明するものではない。つまり、「あ」という手書き文字が「あ」である理由は未だに誰にも分からないし、おそらく明快な説明など不可能なのだ。
つまり、ヒトは何故か「あ」が「あ」だと分かる。その力をパターン認識と言う。コンピューターにもパターン認識は可能であるが、ヒトのほうが優れたタスクは数多い。
例えば、人の顔がなぜその人であると分かるのか?なぜ表情やしぐさから気持ちが読み取れるのか?それらはヒトの卓越したパターン認識によるシロモノだ。
先見性もパターン認識によって支えられている。
将棋ではまず直感でいくつかの有望そうな手が浮かぶのだった。それと同様で、ありえそうな未来をいくつか想像する。
そしてそれらを詳しく読んでいく。すなわち、それぞれの未来を具体的にどのようであるかを論理的に導き、それぞれの未来になる確率を評価する。
例えば、君が10年後までに肺気腫で苦しむ確率はいくらなのか?
日本人はそういったことを考えるのが大の苦手である。日本人特有のことなかれ主義は、1つには言霊信仰(言葉にすると本当にそうなってしまうという信仰)、もう1つには和を重んじる風潮から来ている。
だからこそ、そういう発想を持ち込んで、こんな未来になるよりこっちの未来のほうがいいでしょと力強く発言できる人間は頼もしいのだ。
それはそうと、未来の確率なんてどうやって計算するのか?医学の世界では死亡率や手術の成功率といったデータがあるが、そんなデータのない所でどうやって確率を評価するのか?
それが直感である。はっきりしたことは分からないけど分からないなりに出来る限り判断しようとする。
将棋の局面や形勢の判断も同じ。普段から判断しようとしているから、だんだんとその精度があがっていく。
たしかにプロ棋士どうしでも形勢判断の見解はさまざまであるが、それでも素人よりはずっと正確に判断できるのである。
よりたしかなパターン認識が成立するには2つのものが必要で、1つ目が今言った常日頃からこれはどういうパターンなのかと判断しようとすること、そしてもう1つが答え合わせをすること。
先見性に関しては、意識さえしていれば簡単に答え合わせが可能なところが素晴らしい。
例えば、明日は晴れと予測したとする。ほんとに晴れかどうかは、明日になれば分かることだ。必要なのは、明日になっても予測したことを覚えていることだけ。
このように先見というのは、先見したことをその時まで覚えていれば、その時になれば答え合わせができる。
しかし1年後や10年後の未来となると答え合わせまで長い年月を待つ必要がある。そういうのは歴史や過去のデータからも学んだほうが効率的である。
歴史は繰り返すという言葉があるが、『ローマ帝国衰亡史』を読めば古代ローマと今で何も変わるところがなく、われわれ人類は同じことを繰り返しているのだと言っても過言ではないことがよくわかる。
激動の時代とよく言われるが、昔と共通する点も多いことに気付けば、そこから細部の予測へと推論を進めることもできる。
そういう意味では経営者や政治家といったリーダーにとって歴史学は必須科目だ。高い視点から未来を予測できない人間にリーダーは務まらない。
歴史書を読み解くときも、頻繁な予測は欠かしてはならない。こまめなパターン判断とこまめな答え合わせこそが、パターン認識力=ものごとの判断力を高める唯一の方法である。
ちなみに小説や漫画ならば、予測をしながら読み進める人は多いだろう。しかし、リアル世界となると予測をしない人が多い。
フィクションは現実のパーツを切り取って再構成したものであるから、現実のパーツを学ぶのには一定の有効性があるけれども、パーツの繋がりから現実を学ぶことはできない。
作品の構成上そのようなストーリーになっているのであって、現実に小説や漫画のような展開が起きることは少ない。現実の予測力を高めるには小説や漫画ではダメなのだ。現実に対して予測しないと。
株式投資にしても前兆に敏感な人とそうでない人がいる。業界に新たな局面が訪れる前ぶれ、世界が動き出す兆候、そういったものに敏感であらねばならない。
そのためには当然ながら鋭い観察力が不可欠である。自分の欲やメディアの情報に振り回される人間には鋭い観察はできない。些事に流されるような人間は、フラットな視点に立つことができない。濁った目なのだ。
濁った目のまま予測を重ねても予測力は身につかない。例えば、「ソースは2ch」な人間はそのままでは結局2chの情報からしか予測を立てる力がつかない。
現実のさまざまな一次情報から予測する力はつかない上に、そもそも2chの情報から予測なんてムリな話である。つまり、観察力の低いままでは予測力なんてまるでつかない。このことはしっかり押さえておきたい。
観察力に関連して要約力や記憶力も重要である。観察したものを要約して整理しないとしかるべき時に情報を取り出せない。また、記憶力がなくても必要な情報を取り出せなくなってしまう。
情報を取り出せないと比較したり総合したりして結論を導くことはできまい。
記憶力については、超人的な記憶力は不要だが、普段から覚えようとすること思い出そうとすることは不可欠である。記銘と想起ともいう。
とはいえ、常日頃から先見しようとしていれば、記銘と想起は日々フルに酷使され鍛えられるからさほど心配は要らない。私は世の中の一部の人々のすごい記憶力の大半が先見の習慣によって身についたものだと思っているほどだ。
最後に、世の中の人(特に日本人)の圧倒的大多数は高い視点から人生や世の中を見る時間をほとんど持たない。また、見たとしたもそれを答え合わせしようという意識がない。
玄関に投げ出した二百七十冊の書籍の山。多いとは言えないが、読むには時間がかかりすぎるその山を俺はいま捨てようとしている。ジャンルはさまざま。モンテ・クリスト伯、虚栄の市、戦争と平和、城、怒りの葡萄、ユリシーズ、地下室の手記、潮騒、企業評価と戦略経営、パターン認識と機会学習、ラング数学を語る、ドグラマグラ、プログラマのための文字コード技術入門、やさしい人物画、ソドムの百二十日、数学ガール乱択アルゴリズム、死者の奢り・飼育、法令用語の常識、新しい交流分析、もっとも美しい数学ゲーム理論。
読めば、新しい知見を発見するにちがいないが、もはや体力が尽きてしまった。どれもすばらしい本だと思いながらも、どれも読む価値がなく感じる。少なくとも、俺にとってはいまさらどうでもいいことだ。
本を捨てるには、まず段ボールに詰めることだ。つぎに、電話をし、そのまま引き取ってもらうことだ。必要になったら買えばいい。もう絶版で手に入らないって?ならもっとけ。回収の車が車での残り3時間、本当に読みたいものが見えてくる、というのは嘘だけど、慰めに1、2冊読んであげるつもりだ。
東京では、本を置くスペースもない。本を読むことが許されるのは、お金持ちの息子と古本屋の娘だけだ。
無人島に本一冊問題なんていうが、本が回収されるまでの三時間一冊問題の方があり得るし、現実的なのだ。
いま、僕はドグラマグラを読んでいる。(青空文庫で読めるって本当?!)
この本はどうだろう、援交から革命へ。宮台は専門家が読めばいいと思ってる。
スワン家の方へは?
あなたなら?
を養ってる男は山ほどいるでしょ。
現状で逆をやると変な目で見られたり「頭おかしい」と言われるってだけ。
居るし、主夫が珍しくなくなれば自覚的に家事技能を磨く男が増える。
現状それと真逆の方向に自発的対称性の破れが起こって落ち着いてしまっているわけだから、ゲーム理論的にそれが反転することは困難、ということを言っている。
頭悪いの丸出しになるから(君の期待とは正反対に)、もっと平易な言葉で書こう。
それは当然ある。現状、強い女はさらに強い男を求めるだけ。
であれば、女に仕事や収入を与えるのは全体的に幸福を減じてるだけだね。
俺は別にどっちでもいいんだけど、女の皆さんはどうなのかね。
とりあえずソーシャルゲームの分析として正しいかは分からないけどゲーム理論について間違いまくってるので指摘すると
「相手が自白するとしても黙秘するとしても、自分は"必ず"自白した方がよい」という点からであって
そこには相手が自白してしまうかもなどと心配する必要は全くない、ということが重要です
このゲームを端的にまとめると「相手がかっぱぐなら、自分はかっぱぐ方が良く」、「相手が自制するなら、自分も自制した方が良い」
ここが、お互いに黙秘している状況でも、(相手の戦略に関わらず)自分は自白した方が得であるから
「お互いに黙秘する状況」が成立し得ない囚人のジレンマとは違います
そして、「お互いにかっぱぐ状況」や「お互いに自制する状況」から自分の行動を変える理由はないので(行動を変えると自分が損をしてしまうので)
基本無料のゲームなのだが、レアカードを有料課金の仮想ガチャガチャで獲得できるというえげつないシステムで大人気。
http://d.hatena.ne.jp/kikori2660/20120209/p1
を読むとずいぶん酷いらしい。
モバイルSNSゲームが儲かる本当の理由。かーずSPはなぜ15万もつぎ込んだのか?
こういうことを続けてたら早晩社会問題化し、課金システム自体が法規制されちゃうじゃん?という気がするのは当然だろう。
社会問題にならない程度のほどほどの稼ぎでずっと長期間やってったほうが最終的に収益は大きい。
一年二年でドバっと稼いでも、法による規制がかかっちゃったら意味ないじゃん?なんでそうしないの?と思っていたが、謎が解けた。
ソーシャルゲーを作っている彼らは、そもそもこの大量課金時代が長続きするとは思っていないのだ。
ユーザーに途方もない課金を課す(馬から落馬だけどいい言い回しが思いつかないから許して)システムは、ユーザーの射幸心を煽る仕組みで成り立っている。
ソーシャルゲームのメーカーはたくさんある。サードパーティである彼らがこのゲーム市場の先行きをどう見ているかがこの問題の鍵になる。
ちょっとだけ寄り道して「囚人のジレンマ」という命題を見てみよう。
二人が逮捕された罪は微罪で、黙秘していれば二人とも懲役1年にしかならない。
「もしお前が自白して、相棒が黙秘していたらお前は司法取引で無罪放免にしてやる。
しかしお前が黙秘して、相棒が自白した場合はお前は懲役5年だ。
二人とも自白した場合は、まあ情状酌量の余地があるから懲役3年だな」
アリス黙秘 | アリス自白 | |
---|---|---|
ボブ黙秘 | アリス懲役1年,ボブ懲役1年 | アリス釈放,ボブ懲役5年 |
ボブ自白 | アリス懲役5年,ボブ釈放 | アリス懲役3年,ボブ懲役3年 |
アリスもボブも黙秘を貫いたほうが明らかに総体としての利益は大きい。
二人で合計2年の懲役で済むのだから。しかし、自分が黙秘していても、相手が自白したら?
その疑念がアリスとボブに自白に走らせ、結果として二人で合計6年の懲役を食らうことになる。
なんてこった。二人ともが「合理的」な判断をした結果、最悪の結末に達してしまうとは。
アリス社とボブ社というソーシャルゲームメーカーがあったとして、各社には二つの選択肢がある。
自制してほどほどの課金で我慢する。この場合10年間毎年1億円の利益が得られる。
ユーザーからかっぱぎまくる。この場合、年間3億円の収益が得られるが、社会問題化して2年後から法規制が入る。以後は収支トントン程度にしか稼げない。
アリス自制 | アリスかっぱぐ | |
---|---|---|
ボブ自制 | アリス10億円,ボブ10億円 | アリス6億円,ボブ2億円 |
ボブかっぱぐ | アリス2億円,ボブ6億円 | アリス6億円,ボブ6億円 |
アリス社・ボブ社ともに自制して稼いだほうが収益総額は多いのだが、自社だけ自制して他社にかっぱぐ戦略を取られたら最悪の結果になってしまう。となると、結局はかっぱぐ戦略を採ったほうが得…というよりも利益は期待できる。
実際はアリス社・ボブ社以外にもチャーリー社やデボラ社といった複数のゲームメーカーが参入してるので単純化はできないけど、一社でも「かっぱぐ戦略」を採ったら法規制は必至。
なんてこった。各社が「合理的」な判断をした結果、最悪の結末に達してしまうとは。
それはソーシャルゲームのプラットフォーマーであるところのモバゲー社が自主規制をすることだ。
プラットフォームを提供しているモバゲー社がゲームメーカーに「自制する」戦略を強制することによって最悪の法規制は回避できるだろう。
「自制」戦略と「かっぱぐ」戦略の収益はそれぞれの100倍だとして
モバゲー自制 | モバゲーかっぱぐ | |
---|---|---|
グリー自制 | モバゲー1000億円,グリー1000億円 | モバゲー600億円,グリー200億円 |
グリーかっぱぐ | モバゲー200億円,グリー600億円 | モバゲー600億円,グリー600億円 |
なんてこった!モバゲー社とグリー社が「合理的」な判断をした結果、ソーシャルゲーム市場が衰退してしまうなんて!
コレも参考にしました
w
本当に喋れば喋るほど
「ゲーム理論」が君にとって得意げになるに値するものだったらしいのがよくわかるけれども
何かに気づくヒントは得たはずだよ今日
増田で「ツラ」とか言われてもなあ。
へえ。
で、何の意味があってこれを書いてるの?
ゲーム理論という単語を出した程度で「得意げ」判定してくるから、そんなことないよと示すためだよ。
ちなみに本はこれだな。軽くて分かりやすいからおすすめ。http://www.amazon.co.jp/dp/4532108292/
ゲーム理論の本()を得意げに読む奴が
別に予言者の予言の投資家に与える影響が極限的に0に近ければ、予言を当てられることはあるし
仮に予言者と投資家の行動が、相互に依存するゲーム理論的な状況であっても
「80パーセントの確率で80円に、20パーセントの確率で70円に」のように確率を導入すれば
投資家はリスクヘッジするから均衡して当たる予言が存在することもある
あと別に非合理的な投資家がいたとしても合理的に予測できないとはいえないよ
非合理的なプレイヤーであっても別に行動が完全にランダムってわけではなく
本人にとって利得最大化という合理的な行動をしていないだけで
観察者から見れば非合理的な行動もある程度はパターン化できる部分も存在するから
まぁ理論的には、だけれども
俺いまいち経済の仕組のキモのところが理解しきれないんだけど、
経済がいい感じに回ってハッピーになるためには、皆貯金はそこそこにして強気に借入れしたりもしながらジャブジャブ消費する必要があるじゃん?
それって結局、本質的には、未来から借金して消費するってことなわけじゃん。いや借金ってそういうもんだけど。
そんでその消費のお陰で将来の所得がうpして問題無く借金返せればハッピー。
で、このループが永遠に回ってれば永遠にみんなハッピーでいられるのか?
今より未来のが所得がうpしてるなら、所得は永遠に増え続けることが可能なのか?
それは少なくともゲーム理論的に囚人のジレンマ状態に陥ることがないという前提条件だけで可能になるもんなのか?
人為的な「裏切り」以外でこのループを止める要因ってなんなんだ?
直観的には熱機関のようなサイクルになっていて、エントロピーが最大になったところでどうにもならなくなりそうだけど、
だとすると熱機関の「低温熱源」と「高温熱源」に対応するものは経済学的には何だ?
あ、ちなみに横です。
例えば具体的には、アメリカがdebt ceilingを永遠に上げ続けることは可能なのか?
誰かが「アメリカやべー」とか言い出さないという前提で。