はてなキーワード: アスリートとは
アスリート個人を追い込むのは善悪は置いておくと有効なアプローチだと思う。だけど個人が相手じゃオーバーキルやいじめの構造になってしまうので、やっぱり先に攻め入るべきはスポンサーだよ。すべての広告に200件くらい「五輪のスポンサーを降りない理由は何ですか」ってリプがつけばさすがに企業の広報からトップに上げられるよ。
一介の社員に過ぎなくても、花形社員なわけだし、所属企業の労組とか直属上司とか監査とかに実情を訴えることくらいはできると思う。お客様からクレーム届いてます的な。それって十分組織の意思決定の素材になると思うんだけどな。
スターを気取っちゃいるが、「感動()」とかいうメディアがでっち上げたイメージしか売り物がない虚業に過ぎんのさ。
冷静に考えてみてくれよ。
9回裏2死満塁でホームランを打ったとして、それで誰かの飢えがなくなるか?社会は便利になるか?病人は救えるのか?街に落ちてるゴミの数一つ減らないだろ?
いじめられっ子が勇気を貰ってどうこうなんてお決まりの大嘘があるが、生まれつき才能がある筋肉ムキムキの連中がチヤホヤされるのを通して与えられるのなんて虐める側に都合がいい優生思想の方じゃねえのか?
スポーツを通して世に振りまかされる試合で負けたやつは何をされても文句は言えないって価値観が、世の中にいる弱者に対して与えられるはずだった優しさをむしろ奪っちまってるようには思えないか?
負けた奴には何をやってもいい。
勝てなきゃ意味がない。
そういった考えがパワハラを産み、モラハラとなり、そして皆で苦しめあって、弱い人間同士ですら更に弱い相手を攻撃する原始時代のようなものを世界に広げているのがスポーツの実態じゃないのか?
結局スポーツマンってのは、一瞬の快楽を提供した対価として金をもらっている大道芸人、河原乞食の一種に過ぎないのさ。
結局はスポーツメーカーやテレビが宣伝に使うためのピエロだな。
そういや「e-sportsはスポーツかどうか」っていうウンコに含まれるコーンやイカの骨はウンコの重さとして数えていいのかみたいなクソ議論がたまにあるが、何が違うのか俺には全く分からんね。
どっちも金の稼ぎ方は一緒だろ?
インストラクター、大会賞金、器具の宣伝費、広告塔としての直接契約、投げ銭乞食、まあどれもこれも見事に社会を直接豊かにする実用性の面ではイマイチピンと来ないものばかりだねえ。
そんな連中が大手を振って我らこそ最も優れた人類なりって面をするのを許してきたのが、オリンピックという大間違いがここまで拗れちまった原因だよ。
池江選手にオリンピック辞退を強要してるリベラルの世論がキショい
オリンピック目指して頑張って来た選手にとっては一生を左右する舞台だし出来るものならやりたいに決まってる
しかも現在もプロ野球やサッカーはやってるし大リーグだって観客入れて試合してるだろ
毎日電車に乗って出勤して、同僚と昼飯くいつつ昨日は勝った負けたで監督批判を楽しんで
ビール片手に大好きな巨人や阪神が勝った負けたで一喜一憂しながら
五輪に反対してる奴がいたらアホすぎるし早く死んで
dogdogfactory 演劇人やミュージシャンには自粛(という名のほぼ強制)させてスポーツ選手だけ「みんなに夢を与えるからOK」はさすがに通らないだろう。アスリートだって自分の意思で予選参加を決めたんだから当然責任はある。
shufuo それは選手個人の倫理観も問われるだろう。自由な国に生きているのだから愛国無罪とはならないよ。人生を賭けているものを諦めているのはみんな同じだから。
PikaCycling 池江璃花子はワクチンを打ってもらえるが、代表選考で敗れた選手は打ってもらえない。これが「命の選別」でなくてなんだというのか。
はてなブックマーカー、ほんとゴミすぎw
hate_flag なにも意見を表明せず黙ってたら「そうか、君らアスリートは国民がどんだけ死んでも自分たちの競技と勝利と栄達だけが大事なんだな」って言われるよ。当然だろう。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.jprime.jp/articles/-/20776
普段あれだけ平等だ平和だ人権だと叫びまくってるアスリート連中がワクチン特権を貰って黙ってるのが最高に偽善って感じだ。
hate_flag なにも意見を表明せず黙ってたら「そうか、君らアスリートは国民がどんだけ死んでも自分たちの競技と勝利と栄達だけが大事なんだな」って言われるよ。当然だろう。
ヤバすぎるだろこの思想
オリンピック開催してアスリート並びに関係者がコロナ広めた脳みそ筋肉の大罪人としてリストアップされるのを待ち望んでるからアスリートに辞退を求める人達の気持ちがわからない
いつも五輪の前になると「日の丸を背負って」とか「感動を届ける」みたいな綺麗事言ってる
アスリートたちの感動ドキュメンタリーが毎日のように放送されてたと思うけど。
今回の東京五輪について全然アスリートの声が聞こえてこないんだけどどうなってるの?
いっそのこと「一般国民の命とかどうなっても良いんで五輪出たいっす」とか「チッ、うっせーよ」くらいテレビで言ってほしい。
そういうの表明してる選手いる?私が知らないだけ?
オリンピックの開催は悲惨されているけど、出場するアスリートは批判されないの?
アスリートにも当然に脳みそがあって、出場するか否かを考えていると思うんだよね。
そして、考えた結果、「医療リソースを消費して、助かるはずだった命を犠牲にしてまで出場する」ことを決意しているわけでしょ?
辞退しないの?
嬉しくてたまらない。
私は匿名ダイアリーで人の悪口を書いたり読んだりするのが大好きな暗い暗い人間だ。
こういう性格になった原因の一端は、私が「体育」が苦手だったことに間違いなく起因している。
そもそも体育=いわゆる「体錬」なんていう、本来近代日本の強兵政策に基づく「国民を使い勝手の
いい兵隊にするため」の科目を戦後にきちんと潰しておかなかったGHQが悪い。
日本の多くの子供たち(おそらくはどこの国もそう大差あるまいが)が「体育の授業」と「体育会系の部活」で
植えつけられるのは、「集団の利益が第一義であり、〈和を乱す者〉〈足を引っ張る者〉は散々叩かれパージ
されねばならないし、保身のためにはそういう者になってはいけない」という同調圧力と自己責任論、
そして、「絶対的な上下関係のもと、〈下は上に逆らってはならない〉というシステム」だ。
すなわち、汚職・癒着・不正の隠蔽・内部告発への圧力・ブラック労働・やりがい搾取・パワハラ・セクハラ……
この社会の「生きづらさ」の原因となる諸問題の根には「体育」がある。
(「諸問題」と私が呼ぶのは私が一市民であるからで、為政者にとっては素晴らしい「美徳」なのだろう)
オリンピックなどというのは、「体育」的価値観に諸国民が疑問を抱かないようにするためのプロパガンダ装置だ。
アスリートへの礼賛と神聖視。彼らの人生を感動ポルノとして消費する報道。「オールジャパン」なんて
空虚な言葉で飾り立てた同調圧力の奨励。「コーチや監督、団体から言われたことを唯々諾々と受け入れ、
疑問を抱かない思考停止」は「ストイックなプロ意識」となり、「体を壊してでも試合に参加する無計画と
自傷行為」を「尊い自己犠牲」と呼ぶ『1984』ばりの欺瞞に満ちたレトリックが何をもたらしたか?
無数のアスリートの死体と、自浄作用に欠いたクソみたいな社会だ。
私は体育が嫌いだ。体育会系が嫌いだ。体育会系的価値観に染まった、自分の脳みそでものを考えられない
馬鹿が嫌いだ。私を見下し、自分が何か特別な「許された」人間のようにふるまってきたあいつらが嫌いだ。
そしてそれを許してきた社会が嫌いだ。
私は嬉しくて仕方ない。ツイッターを開けば。ヤフーコメントを開けば。オリンピックへの罵詈雑言が読み放題だ。
テレビではオリンピック内定選手が、もはや自分たちがパブリックエネミーとなったことにも気づかずに、
「自分たちが頑張る姿を見て感動と希望を与えられれば」なんて上から目線のどうしようもないコメントをしている。
燃えろ燃えろ。アスリートたちよ自身の特権意識と、偉い人がやる気なら逆らえない風通しの悪さを晒して炎上しろ。
「ピンチをチャンスに」なんてクソくだらない不謹慎な言葉を使うつもりはない。
だが、夢見てしまう。
「なんで、たかだか『体を動かすのが他人より上手い』ってだけの連中があんな偉そうな顔できてるんだ?」
「上の顔色と周りの視線を慮って誰も何も言えないような、体育会系的価値観が蔓延した社会って危険なんじゃないか?」