はてなキーワード: みやむーとは
25さいのぼくちんにとってなんかヤバそうなサイトといえば遊撃インターネット。ヤバそうなものを売ってるし、ヤバそうな情報が乗ってる。みやむーっぽい人のビデオも紹介してる。
明らかに有害なサイトなんだけど、スマホ世代の人達はほとんど知らないだろう。アクセス数も少ないだろうし、影響力はとっくにない。ちゆ12歳みたいにみっともない延命もしないし。
ただ、もし仮にネット検閲進んだとしたら
、明らかな有害性ゆえに検閲されてもおかしくない。この世からインターネットが消え去る日まで生き残ることができるのかな。まだ東欧のスナッフビデオとかアルカイダの殺人映像集買えるのかな。
あの、今からショッキングなことを言うので、心して聞いて欲しいんだけど
いや、あの、ほんと、まじでショッキングなこと書くよ?
ちょっともう、まじで、まじで、まじで、まじで、ショッキングで恐ろしいことを書きます。
というわけで、ショッキングなことを書く前に、みんなの気持ちを慣らしながら、徐々にショッキングにしていこうと思います。
凄いってどういうことさ。
だってもう、庵野がゴジラの時点でギャグとして成立してるんだから、そりゃ面白いんだろうけど、
そういう前評判を超える何かがあるわけ?
でもさ、正直「庵野が監督」という要素を伏せても面白いもの、つまり、普通に映画として面白いものなんて、見たくないんだよね。
こっちはあの庵野がゴジラを撮るっていう、内輪ネタで盛り上がりたいだけなんだから
というわけで、どうしたら凄いのか考えてみた。
これが一度に全部起こったら、凄いと思うわ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/274073311/comment/aukusoe
しまじって同人作家のびっちんぽっていうビッチの男の娘の台詞らしい。
ホモかよ。
向日葵「そうですわね」(諦め)
http://b.hatena.ne.jp/entry/274067707/comment/aukusoe
で、このブコメはどうやら、元URLのツイッターの発言者が「さくら子」という名前で、
その「さくら子」(ゆるゆりでは櫻子)の彼女?的なキャラが「向日葵」という。
レズかよ。
榎本温子「そんな過去があるから、私でもプリキュアになれました」
http://b.hatena.ne.jp/entry/274065435/comment/aukusoe
元ネタが夢の中へという井上陽水の曲なんだけど、それをカバーした彼氏彼女の事情というアニメで
そして、その榎本温子はプリキュアスプラッシュスターでプリキュアを演じるまでにいろいろあった、ということが言いたいブコメのようだ。
プリキュアとか見てるのかよ。
女児かよ。
実はアルファ世界線がベータ世界線の17年後の未来で、オカリンを騙すためにみんな演技してる。
http://b.hatena.ne.jp/entry/274053222/comment/aukusoe
元URLがシュタインズゲートというアニメのネタバレの話題で、
さもそれにのっかってシュタインズゲートのネタバレをしている、と思わせて
全然関係ないEver17というギャルゲのネタバレをしている。
ギャルゲとかしてるのかよ。
オタクかよ。
僕がもし親になったら、子供に左右を逆転させて教育しますね。(有名ミステリのネタバレ)
http://b.hatena.ne.jp/entry/274053089/comment/aukusoe
親に異常な教育を受けているという元ネタから真っ先に思いつくのが、全く有名でもないドマイナーなミステリな辺りがキモい。
ミステリーとか読んでるのかよ。
あざなわかよ。
西住「ハッピーエンドを、返してもらいに来た!」芝村「え? 誰?」
http://b.hatena.ne.jp/entry/274003358/comment/aukusoe
元URLがガンパレードマーチとガールズアンドパンツァーを混合してることから、
なのだが、このガンパレの台詞はドラマCDかゲームの没シナリオでしか流れない台詞。
ドラマCDまでわざわざ聞いてるのかよ。
声優オタクかよ。
三条「僕は、人間で、脚本家で、漫画家だ!」稲田「それを言うなら、俺達は、だろ?」(仮面ライダーWの映画運命のガイアメモリの改変)
http://b.hatena.ne.jp/entry/273978879/comment/aukusoe
原作の三条が稲田が休養中に脚本を書いていた仮面ライダーWの台詞をパロるというネタで、
仮面ライダーWが二人で一人の仮面ライダーだから、二人で一人の漫画家の彼らにはしっくりくるというネタのようだ。
女児アニメに飽き足らず仮面ライダー、しかも映画まで見てるのかよ。
男児かよ。
シックスナインが好きなんです! シックスナインが好きなんです! クンニにフェラの例えもある、シックスナインだけが人生なんです!
http://b.hatena.ne.jp/entry/273988076/comment/aukusoe
書いてあることは何も理解できないが、どうやら
井伏鱒二の花に嵐のたとえもあるぞ、さよならだけが人生だとい漢詩の訳をパロっているらしい。
文学とか読んでるのかよ。
あざなわかよ。
望月智充版:みやむーに脚本を書かせるも、リツコがゼーレに全裸で何をされたかを克明に書かれて発禁処分を受ける。
http://b.hatena.ne.jp/entry/273879993/comment/aukusoe
いろいろ調べた結果、どうやら望月智充というアニメ監督は、声優さんに脚本を書かせたことが何度かあるらしい、
そして宮村優子はAV疑惑があるから、そういうシーンを克明に書くだろう、というネタのようだ。
アニメオタクかよ。
にわちゃんと七瀬さんのフタナリ同人誌を読みたいので、青山剛昌先生は早く同人誌マークをコナンにつけてください。(捻りすぎ)
http://b.hatena.ne.jp/entry/273772889/comment/aukusoe
どうやら、ブコメページが「トリコ」という言葉で大喜利状態になっている、
そこから派生して、トリコロという漫画がある(ブコメのにわちゃんと七瀬さんというのは、この漫画の登場人物)
完顔阿骨打は青山剛昌のコナンの灰原アイの同人誌を書いている。
ということから、青山剛昌が同人誌マーク(二次創作許可書みたいなもんらしい)をつけてくれれば、
こ、これが二分間憎悪か。
http://b.hatena.ne.jp/entry/273772819/comment/aukusoe
http://anond.hatelabo.jp/20090707100038 の続き
弐拾六話では全ての人とあっさり和解でき、すんなり受け入れられた。 しかし世の中そんなに甘くないというか、実はそれこそが自己中心的世界 と言える。もっとリアルに描いてみよう、というのが26話ではないかと。 何故なら「本質的に解り合うことのできない他者が存在する」というこ と、他者を認識するとはそもそもそうしたことである筈だったから。庵野 氏の構図で言う幻想世界の内部において、シンジはどうしてもそのことを 容認できず、他者を理解できないまま、自分を理解するよう他者に縋り続 けた。補完計画が完成し、群体から単体に還元され、全てを包含しレイに 抱擁された時点で、彼はやっとそのことに気付いた。 ラストでアスカを殺そうとしたのは、アスカが正に他者であることを、 彼が遂に知ってしまったから。でも結局殺せないし、前のようにエヴァの 胎内に逃げることもできない。そこは既に第弐拾六話の月面と同様に、後 戻りの聞かない場所、補完が導いた現実世界。・・・ なんと、エヴァと融合し全てのヒトを包含した神が、人一人殺せず、孤 独に耐えかねて泣いているんです。 私はここに最高のユーモアとカタルシスを感じました。こんなに見事な ラストは、これまで観たことも読んだことも恐らく無かったです。(^-^)
宮村優子さんのラジオ発言とか最近目にするようになった彼女の雑誌のコメント を見ると、宮村さんは今回の劇場版をお気に召さなかったのかなとも思います。 自分でも「なかなかのモノが出来た、俺の選択って凄いぜ。フフン」と庵野監督 が思ってたのに、いざ、脚本を渡したら宮村嬢からの冷たい反応。それにショッ クを受けてああいったラストにしたのかな(^^;? 無責任な憶測ですけど
あのラストシーンは,シンジが選んだこの世界が決して「気持ちのいい世 界」ではないことを辛辣に描いていました。しかし同時に,そこには絶望だけ でなく,わずかな希望もあることをも示していたと思います。 希望はアスカの手,シンジの涙。 そして,『会いたい』という気持ち。
ラストシーンは絶望的。シンジはほんの少しだけ変わった。もうひとり、ほ んの少しだけ変わったひとがいるみたい。でも、その「ほんの少し」への一歩 のなんて遠いこと。2人は、まだ変わっていないみたいに見える。だけど、絶 望は希望の裏返し。これからどうするか、それは、私たちに委ねられたのかも しれない。
ひとつだけ考えられるのは、シンジが物理世界に戻ろうと決意したのをアスカ も知っていて、そんなシンジとだったら一緒にいても良いかな、って思ったの かも知れない。 でも、砂浜で再び自分の首を絞めてる彼を観て「ああ…やっぱり何も変わって ないんだな…」と思っちゃったとか。
寂しいことを言ってしまえば、アスカにとって、自分のために泣いてくれた人 を身近で感じたのは初めての体験だったのかもしれません。初めてで慣れてない から、「気持ち悪い」のかも。
庵野監督は最後までアスカの扱いに困ってしまったようですね。その苦悩がラス トシーンにも出てしまったのでしょうか。「おまえがいるから滅茶苦茶になっち ゃったんだ~!」ってね。でもその存在を消せない(笑)。
嫌悪も一つのコミュニケーション。心の壁は現実そのもの。 そして、今までと同じ、自我と、人を代表とする非我との戦いがつづく。 何度もそれを確認しながら、幸せにも不幸にもなれるラストだったと思います。
ラストシーンのアスカ。第1話のレイと同じ場所に包帯を巻き、首を絞められな がらもシンジの頬をなでる。 これって、つまりアスカの中の“母性”を表してるのかな、と思いました。綾波 レイは「母」のメタファーそのものと言っていいでしょう。そして、シンジの側に 横たわっているアスカがレイと同じ姿であることは、彼女もやはりシンジを優しく 包み込む“母性”を内に秘めていることを意味しているように思えます。その後の、 シンジの頬に触れる行為も。 しかし、彼女の最後の言葉は「気持ち悪い」。シンジを拒絶する言葉です。これ は“14歳の女の子”として、「私はあんたの母親になる気なんて、今のところ、 さらさら無いわよ」と言ってるんじゃないでしょうか。「あんたが何を求めてるの か分かんないけど、受け止めてあげる気なんてないわよ。余裕もないしね」と。ま あ、あのシンジ-自分を傷つけるかもしれない他人を殺すこともできないで、ただ しゃくりあげている-を受け止めることなど、14歳の少女に過ぎない、もちろん 自身それなりに問題を抱えているアスカに、できるわけないでしょう。たとえ“母 性”を持っているにしても。むしろ、一方的に求める方が酷です。(さらに、相変 わらず求めるだけっていうのも、また問題だ)。 しかし、将来的には彼らがどう成長し、変化するかは分かりません。そういう意 味では、もう多くの方が感想に書いてますが、「これから」を感じさせてくれるラ ストシーンではありました。もう語られることのない物語の続きの中で、彼らは彼 らなりに成長していくのでしょう。
「不快感(=気持ち悪い)」というのは、赤ん坊が最初に感じる感覚だということを聞いた 記憶があります(←記憶あやふや)。そうでなくとも、「気持ちがよくない」という感 覚は、まぁ、「夢」だとか「望んだ世界」ではなく、「現実」を示唆しているのかな、 とも深読みしましたが・・・深読みしすぎかな?
シンジとアスカは、それこそお互い誰でもよかったんだと思います。憎む相手も 愛する相手も。でも、自分を互いに真正面からぶつけ合った過去が、二人には出来 てしまった。互いに、相手に対する憎しみも、相手が欲しいという気持ちも、相手 を拒絶する言葉も告げてしまうほど、互いの気持ちを相手にぶつけた。そして、そ の憎しみも欲求も、おそらく今後の彼ら自身の心を強く拘束していくでしょう。 ラストシーンで、くびを絞め、瞳を動かし、頬をなぜ、涙を流し、気持ち悪いと つぶやいた二人は、それこそ、愛よりも深い、憎しみもかなわない、たとえ離れて も、ひととき忘れても、もう互いの心の一部そのものにまで結びついたように見え ました。 One more final: I need you. もう一つの終局もすべてのおしまいではありません。英語のタイトルは『私はあ なたが必要である』でした。 そして、皆に等しく、同じ戦いが、始まり、続きます。 でも生きてさえいれば、幸せになるチャンスはどこにだってあります。だって生 きてるんですから。 愛よりも深く。 夏の映画は誰も他人を受けいれられなかった二人が、とにかくも深く結びついて、 そこから再び、同じ戦いが始まる、終局であっても、何も解決していない、ラスト でした。
シンジの内面に問いかける声も、もはや静かなレイの後ろ姿ではなく、アスカの 赤裸々な罵倒へと変化しました。「お願いですから、もう電話してこないで下さ い。」「よりを戻すつもりは更々ないの。」「その、やっぱり、友達以上に思え ないの。」「ハッキリ云って迷惑なの。」「これ以上付きまとわないで下さい。」 これらのセリフは作品の展開からは伺うことができない以上、庵野監督自身の人 生から引用してきたものと解釈されます(もちろん脚色を加えているでしょうけ れど)。つまり、劇場版におけるアスカは、これまで庵野監督を傷つけてきた 「5人の女性」のような「他者」を象徴する役割を与えられるようになったのだ というのが僕の理解です。 そうすれば、ラストでシンジがアスカの首を絞めかけたり、アスカがその後で 「気持ち悪い」と言ったりする寒々しい展開も、すんなりと納得できるのです。 現実の他者は、お互い決して期待通りの反応をしてくれない存在ですから。
オタクの依存を打破するために作ったアニメが、逆にオタクの依存の代表になっ てしまった苦い皮肉。昨日某アニメショップで見かけた会話。 「これ買えば」(とシンジ君が表紙のアニメディアとニュータイプを指さす少女) 「えーいゃぁー」(と汚いものでも見るかのように嫌悪する少女B) 彼女らの心の中にはカヲル君しかいないらしい。作品全体のテーマを見ようとせ ず、自分のお気に入りのパーツを使って幻想のエヴァを作り上げて固執する。虚 構からも逃げ続けている。自分以外のエヴァはいらないのだ。そして、そのこと を指摘されると過剰に反応し激怒する。「ぱふ」の一部読者はひどいものだ。無 論、綾波やアスカの一部ファンにも言える。 そういう意味で、庵野さんが「気持ち悪い」と言わざるを得なかったのは良く分 かる。だから実写を入れてこれでもかこれでもかというぐらいに観客に語りかけ た。でもそれは届かない。最も病んでいる人間、庵野さんが最も一言言いたい人 間は嫌悪する現実をファンタジーに変えて消し去ってしまうのだ。
シンジくんの首締めはちょっと??な気もしましたが アスカのシンジの頬を撫でて「気持ち悪い」は、 頬を撫でるシーン拒否、否定の感情からではなかったと思ったので 集合体としての生命の海から浮上して「こ」の世界の「ここ」にいる 「こ」の自分を認識し他の存在シンジを認識し 「気持ち悪い」ことも沢山あるけど「ここ」に自分と他人が存在 することを知覚し認識して噛みしめていると感じました。 いやぁすっかりアスカが主役でしたね。 ここまでアスカの映画になってくれるとは 嬉しい誤算でしたってのはアスカ者の偏見でしょうが。 とでも思わなきゃやってらんないよなぁ。
かくして、シンちゃんはアスカちゃんのドレイとなり、 一生、幸せに暮らしましたとさ。めでたし、めでたし。 <終劇>
自分は性的嫌悪感からくる言葉だと思ってるんですけどネ。 DEATHの新作カットの「ミサトやバカシンジの使ったお 湯なんて~」の頃には、もうシンジ君が自分の事を性的対象 して見てる事に気づいていたのでは?このぐらいのお年頃の と女性ってそういうのたまらなく嫌だと思うのですがどうで しょう?
シンジはアスカを殺そうとするが思い止まる。アスカに優しい言葉を期待する "ファン=シンジ"だが"虚構=アスカ"は"気持ち悪い"と突き放す。 そういうことか?ヒゲメガネよ。
それと映画でアスカがシンジを否定したのは (自分の勝手な解釈ですが・・) 「シンジがアスカの事を、好きで求めているのではないのを、 アスカは気付いていた。なので、コーヒーメーカーに激突させ、 最後に’気持ち悪い’とまで言った」 好きで求めていない、というのは、恋愛感情のみ、でなく、 シンジは弱い自分を何とか持ちこたえさせる拠り所に「強く 見えるアスカ」にすがっていたふうに見えたからです。 アスカにしてみればそんなおかんのような役、あまり嬉しく ない気が・・・。
また、最後の台詞「気持チワルイ・・・」ですが、ラストシーンでのアスカ の様子を見てみると、腕と頭部と目に包帯およびガーゼが当てられており、 これは第壱話においてストレッチャーに乗せられてシンジ君の前に初登場 した綾波レイそっくりの状態で、加えてあの目線から察するに、アスカの 中には、彼女自身の魂や人格に加えて、レイの魂が入り込んでいるのだと 私は感じました。 いわば、アスカとしてはトラウマを刺激するモノとして忌み嫌っていた レイの魂が自分の内面において(シンジへの想い故に)融合しつつある ことについて現在のところ「ケンカカレー」(歳バレ?)の状態にある、 ということで「気持チワルイ・・・」という言葉に繋がったのだと私は考えた のですが、みなさんはどう思いますか。
あのラストシーンは実はハッピーエンドである。 あの砂浜のシーンは補完直後のシーンではない。 実はその前にシンジがアスカを見つけ、傷の手当をし、ミサトの墓を作ると いう一連のシーンがあったのである。 しかしアスカは何も話さない、何も反応しない病室アスカの状態に戻ってし まっていた。(偽りの復活) そんなアスカを不憫におもったシンジは思い余った挙げ句、彼女の首に手を のばす。 しかしその時、今まで何も反応しなかったアスカの腕が動き、シンジの頬を 撫ぜる。 嬉しさのあまり、涙を落とすシンジ。 更にアスカは言う。 「(あんたバカー、何泣いているのよ)気持ち悪い(わねえ)」 そうあのシーンは「クララが歩いた」パターンの感動的なラストシーンなの である。 しかし観客の期待を裏切る事ばかりを要求された監督は素直に感動的なシー ンを作る事ができずにあのような解りにくい形にしてしまったのである。 だが安心したまえ、ビデオ・LD収録時には完全版として失われたカット・ 台詞が収録され、誰の目にもハッピーエンドである事が解るに違いない。 (笑)
シンジ・監督、アスカ・観客に置き換えると、あのラストシーンは また違った見方が出来ますね。 現実から遊離してしまっている観客を不憫に思った監督の真心。 アスカが無反応だったら悲惨ですね。 それより、もし「気持ちいい」と言われたらどーする(笑)
シンジ・観客、 アスカ・監督ではどうでしょうか? シンジ「わーん。こんなEVAはいらないよぉ~。 謎もあまり解明されてないし~ そこで気絶してないで、もう一回EVA作り直してよ~」 アスカ「(まだやれっての?)気持ち悪い....」
1:呼吸困難になった為の気持ち悪い えー、シンちゃんに首をギュッとね!(爆)された惣流ちゃんですけど意識 の無い状態で首を思いっきり絞められては血のめぐりも悪くなり気分が悪く なったという、低血圧で良く立ち眩みしてる女の子の意見がありました(苦笑) 2:あのセリフはみやむーちゃんのアドリブ説 庵野監督に捧げるアドリブ説(黒い説ですわねぇ(苦笑))という人若干名 3:怪我のために気分が悪い説 右手の謎の治療跡で判ると思いますが怪我してる場合気分が悪くなるもんです (経験者談) 4:2日目説 ・・・・・・(^^;)・・・・・・ 5:観劇してる人へのメッセージ説 ・・・・・・
「きもちわるい」。 他人の体温が気持ち悪いことって、ないですか? でも、その嫌悪感を、人は「愛情」で中和させる。 けれどそれは「無理をしている」のかもしれない。 本当は、人なんて、生まれてこない方が良かったのかもしれない。 だけれど、生きている。 それでも、生きている。 生きていなければならない。 決して理解できない「他人」の隣で、それでも「一人ではなく」生きている。
エヴァみたいな「黙示録もの」のラストって、和解・融合、善悪何れかによ る統一、純粋な荒廃、・・・みたいな一元的な世界の出現で終わるのが相場じゃ ないですか。これは魅力的だけど、弱点があります。つまり、解り難いんです。 具体的にどんな世界になるのかが想像できない。私達の周りにあるのは、一 元的把握が通用しない、それこそ「他者」が存在する世界です。争いの無い平 和な世界、とあっさり書くことはできるけれども、そこがどんなところなのか、 人或いは人々が何を考えて生きるのか、よく考えると理解できない。 放映版の受け入れ難さって、ラストのそういう典型的ユートピアが、観る側 の想像力を麻痺させたせいがあると思うんですよね。 映画版は、そうした典型から脱したところが凄いと思います。シンジとゼー レの意思に従って、一元的な新世界を一度は成就しておきながら、シンジの成 長というモチーフを重ねて「その先」を開いてしまった。この点に限れば、黙 示録を越えちゃってますよね。そうして出来上がった「他者の居る新世界」に は、シンジがその成長の代償として手に入れた、純粋で人間的な憎悪や悩みや 悲しみがあり、観る側として非常に素直に感応できる。これがユーモアやカタ ルシスでなくて何であろうかと。そしてまたそうした世界を、アスカの最後の 台詞一つで完成したところがまた見事なんですよね。
インパクトのある、出来るだけ短い、どうとでもとれる演出、ということで ああなったんではないでしょうか。鏡のように、見たいものが見える、見た くないものが見える、うがった人にはうがった見方が見えるラストシーンだ と感じてます。
最後にアスカが包帯をしている意味は、 「アスカ自身が女になった」 「シンジにとってアスカが女になった」 という二つの意味を同時に持っていると思います。 「気持ちわる」という言葉には、リアリティを持たす効果と、 触れあいによって「産むことが可能な存在となった」=妊娠のイメージを出す効果、 それに、存在が個に分かれていることの実感(喜びも悲しみも)が 表現されていたように捉えられました。
最後のシーンについてはアダムとイブというよりアジア系の神話 洪水で生き残った 兄妹の話(日本のイザナギ、イザナミの話でもこういう始まりのものもあります) の方を連想しました。 アスカの気持ち悪いのセリフですが考えによっては色々とれるセリフですね。 私はシンジと一線を引くセリフと取りました。 (ここから他人としてスタートとして2人の関係はどうなるかという・・・) この最後はFANが自分たちで考える宿題だと思えました
最後のアスカも女っぷりがよかった!きっと、あれがアスカのやさしさじゃないの かな?と思った。急にわかったようなアスカになったら余計かなしいもん。 とっても、ハッピーエンドだったと思います。映画みたあと結構すがすがしかった。
気持ち悪い,はよかった。絶望とそれでも幻想を構築しなくてはならないという 意志が感じられ・・・るか? 絶望だけか? 慰めてもらいたいのか?
立派に完結していたと私は感じましたし、救いもあったと思います。 ラストのセリフは、生々しい接触も含めてアスカがシンジを受け入れ始める、 という言葉ではないのか、と思うのですが。 少なくとも、突き放されて終わったとは感じませんでした。
私、あのシーンは本編に絡まないと思ってます。 庵野のファンに対する愚痴だと思ってます。 ファンによって傷つき首を絞められた「エヴァ」から、 おおよそ倒錯しているファンの一番多いアスカの声で、 ファンに対して文句を言ったんだと思います。
創世記によればエデンの園では人も含めてすべての生き物は裸で(つまり自分自身 をすべて晒して)いても恥ずかしいとは考えなかった。ところがアダムとエヴァが 禁断の知恵の木の実を食べた途端に裸でいることに気づいて恥ずかしくなり、身体 を覆って隠した。このことが神の怒りに触れ、2人はエデンを追放された。 ・・・ラストシーンの2人はやはり楽園を追われたアダムとエヴァなのですね。 自分の殻(ATフィールド?)を壊すことができなかった(あるいは自分の殻に閉じ こもって出ることができなかった)シンジとアスカだけは結局補完されることなく、 荒廃した世界に取り残された・・。それでもアスカはシンジを拒絶するかもしれな い・・と。
この映画を、人間の内面の描写をメインとして考えると、まさしく、私の好きな ジャンルに入るんですよね。いっかい、救っておいて、最後にもう一回、落とし ちゃうっていう。(笑)でも、最後は、あれでよかったと思います。だって、簡 単にシンジが、他人を認め、世界も、そんなシンジを喜んで、迎え入れるで終わ ってたら(テレビの終わり方かな?これは。)、面白さ半減だと思います。そこ で、アスカに気持ち悪いといわれて、自分の選んだ世界の厳しさというものを示 して、終わった方が、なんか、心に重ーくのこるじゃないですか!(だから、 ONE MORE FINAL なんだとおもいます。)
補完中にシンジはアスカと、ものすごい勢いで傷つけあいます。 彼は最後には彼女の首に、手をかけるのです。 そこまで他人というのは自分にとって厄介なものなんです。 理解不能ですからね。 それでも、シンジは「融合」ではなく「他者との並存」を選びました。 「共生」だとか「相互理解」とか美辞麗句に彩られた根拠なんて、 これっぽっちも示されないのに。 根拠があるのだとしたら、寂しさゆえの「I need you」くらいなものです。 単体になってしまったら永遠に孤独ですからね。 (この辺、あまり自信無いな。二回目を見たほうがいいかな?) 目の覚めた彼は、隣で寝ているアスカの首を、再び絞めにかかります。 そりゃ、あたりまえです。 自らの選択とはいえ、自分を苦しめる元凶が、 現実に厳然と、そこにいるわけですから。 ほっとくと、こっちが殺されるかもしれませんし。 「他人がいる」─────本当に深刻です。この問題は。 なぜか生きていたアスカが、そんなシンジの頬に手をやって、 彼に「他者のいいところ」をちょっち認識させます。 苦しみとともに、ヨロコビもまた確実にあるのです。 シンジの手から、力が抜けて、その後のアスカの一言で 「終わらない夏の物語」の幕が引けます。
アスカの「キモチワルイ」発言は、相当ショックだったのですが、 彼女らしい発言だなとも思います。少なくとも、病院のベッドで 息だけしてる状態で生きている彼女より、ずっといいです。 「詩編 The End of Evangelion」では、アスカの言葉は、 「あんたなんかに殺されてやるもんですか」が入っていますが・・。 現実は、そうそう、都合のいいようにはならないんだという事に 通じている気もします。
私が思ったのは、アスカはショックで植物人間状態がある程度つづいており、 (目がサカナだった)シンジはいっそ楽にしてあげようとしたと見えたのです が。包帯をきれいに巻いてあるところを見るとシンジが悩むに十分な時間はあ ったのでしょう。(だからエントリープラグから気が付いたらあの場面、てい う訳ではない。)そしたらもう動かないはずのアスカの手が動いたので、嬉し くて涙が出た。ついでに「気持ち悪い」という正常なアスカがはくセリフが出 て、アスカが完全復活したという、無条件ハッピーエンドだと迷いもなく思っ たのですが。
あの最後のアスカ首しめられシ-ンですが、そのあと のアスカのセリフが最後の最後に観客を現実に引き戻すオチ みたいにかんじました。首しめ、まえふり?みたいな(笑)
TVシリーズを見る限り、アスカはシンジに対して14歳の少女らしい「嫌いだ けど好き」という心理を抱いているようです(まぁ25話で助けられなかったこと がしばらくもめる原因にはなるでしょうが)。それゆえに、シンジの腑抜けさに我 慢がならないのでしょうか。ただ、その心理とは別にエヴァのパイロットとしての ライバル意識も強烈ですから、非常に言動もわかりづらくなるのでしょう。 シンジの方は、ミサトさんもレイもアスカもいいという宙ぶらりん状態ですが、 考えてみれば男ならたいていは心理的二股、三股は当たり前です。しかし、この中 で本当に可能性があるのはアスカだけなのですから(ミサトは年上過ぎ、レイは・ ・・実の所は母、ユイですから)、将来的になんとか努力するでしょう。そのため に現世に戻ったのですから。 で、最初のコミュニケーションが首締めと「気持ちわるい」。一種ダークな感じ もしますが、「他人とのコミュニケーションが最初からうまくいってたまるか」と いうことであれば、先がどうなるかは・・・
しかし、あのラストは必然とはいえ悲しい物がありましたね。 アダムにとってイブとは所詮他人であり、殺意を抱く対象であ り、自分を傷つける存在なわけですから。
しかし、やはり最後はきついです。安易な現実礼賛はもっと嫌ですけれども あそこにはやはり意地の悪さは感ぜずにはいられません。 少数派なのかもしれませんが、肯定否定はともかく「私の趣味としては嫌だ」 というのだけは間違いないです。こんな人もいるということで、一応、存在 を認めていただけるとありがたいです。
やはり、あれは監督からのメッセージと取るべきではないかと。 月に斜線が入っているように、もうこの「エヴァ」は終ったんだ、 もう人の作品に自分の考えに目くじら立てて攻めるのはやめてくれ、 見る側と自分は「他人」なんだ、そこまで立ち入らないでくれ、攻めないでくれ、 こっちにしたら「気持ち悪い」んだ、 エヴァ=庵野の首を絞めるのはもうやめてくれ・・・ そういう事だと私は感じました。いつまでも他人に依存されると気持ち悪いって 事だと・・・そういう意味の、監督の「エヴァは終ったんだ!」という宣言 ではないだろうか。
私はあのラストシーンは 「自分に棘があることも、相手が針を持つことも、 全てを承知した上で敢えて一歩前に進む事が出来るようになった シンジ君」に成長した、と言う風に考えています。 「気持ち悪う。」の台詞に関しては、あそこから人類の新しい 時代が始まる的な雰囲気(オーケストラが聞こえてきそうな、 とでも申しましょうか。)の中で、劇の中の世界ではこれは 現実なんだ、と言う目的で入れたのではないでしょうか。 (日常性を出したと言った方がいいかもしれません。) まあ、いわゆるハリウッド的な大円団では無いよ。ってとこですか。 私はいい出来だったと思ってます。
アスカは「気持ち悪い」よりもその前に差し出した手の方が重要だと思います。 敗北の象徴である同じ右手だというのがヒントでしょう。
シンジが心象世界とラストシーンでアスカを求めて首を締める シーンはレイプのメタファーじゃないかという意見がありました。 確かにそう解釈するとあのラストも非常に理解しやすくなるんで すよね。
そしてラストの台詞ですが、私はシンジだけでなく、世界の全て(自分も) に対して感じたメッセージだと感じました。生きていくには気持ち悪い世 界だけど、やっぱり死ぬのは嫌だ、と。そもそもアスカがシンジを好きだ とは思ってなかったのでショックではありませんでしたが、手も触れず、 目も動かさなくてあの台詞だったら、やっぱつらかったかな(^^;)。ともかく、 我が儘を貫き通した監督に拍手!
やっぱシンジがアスカの首を絞めたのは、ATフィールドの象徴で しょうな。人は生まれながらにして、他人を拒絶すると
上のエントリは,「EOEが公開された頃は今ほどインターネットが普及しておらず,情報が欲しい人や感想を言いたい人はNIFTY-Serveなどのパソコン通信で細々と交流していた」という話。この話を読んで「そういえば当時パソコン通信上でさかんに議論されてた『ラストシーンの解釈』をまとめたものがあったはず」と思ってディスクをサルベージしてみた。分量が多いので二回に分けて投下してみる。
当時から「観ると語りたくなる映画」だったんだなあとか,昔も今もみんな同じようなことしてるなあとか,いろいろ懐かしい。
首を絞められながらシンジの頬に手を添えたアスカ。 このまま終わったら、アスカはただの聖人になってしまいます。(^^; アスカだって、問題のあるリアルな人間なのです。(アニメの中だけど。) それ描く為に製作者は、イメージ的には顔を「殺してやる」の時のまんまにして、 アスカ側からのシンジとの不一致を出すための行為として、「気持ち悪い」の悪口 を言わせたのでは無いでしょうか。 ここで「バカシンジ」だったら悪口に聞こえないし。
またこれは観客に向かって庵野監督が言ってるのかなとも思いました。 庵野氏はかつてEVAファンに失望しているようなことを言ってましたし、 アニメから現実に戻れということも言ってたと思います。それが実写で 観客をうつしたり、「現実は夢の終わり」などと言っていることに表れている ように思います。ラストのセリフが駄目押しかなと・・・。
シンジが“男のくせに泣いている”ことに対する非難
あるいは、監督自身の制作後感を語っているようにも思いました。 大きな期待をかけられ、やりたいことは膨らみ、当初の完成予定は遅れ、 賞賛と非難が入り交じる中、ファンの期待を(たぶん)裏切らない形で作品を 完結させた・・・。それは「疲れた」を通り越して「気持ち悪い」こと だったのかもしれない。
「きもちわるい」アスカにとっては、感覚的なものじゃなく、生理的にただ気持ち 悪かっただけかもしんないしんですよね。
シンジや綾波はあれでいいかもしれないけど、彼女の性格から して、今までの数々の屈辱を背負ってこれからまだ生きていく ってことは「気持ち悪い」そのものじゃないかなぁ…。
えっと、アスカがシンジに「加持さんはもういないんだよー(うろおぼえ)」と 言われてあ然とした後で風呂のシーンになって、湯船の水面を見つめながら 「ミサトやばかシンジの使ったお湯なんかに誰が入るもんか… ミサトやばかシンジの使った洗濯機なんか誰が使うもんか… ミサトやばかシンジの……・・・」 で、 『気持ち悪い』 で、「ミサトもいや!シンジもいや!ファーストはもっといや!!…」と 爆発したように思います、あぁ、うろおぼえなんすけど、すいません。 あと、ここのシーンって「DEATH編」の中でもテレビにはない 新作のとこだったような気もしてます、あぁ、 なんせうろおぼえなんで許して下さい、あぁ。 んで、そういうとこに、この『気持ち悪い』というセリフが使われていたことに、 そのなんだあれです、あたくし的には興味あるです。 最後のセリフのフックとして使ってるのかしら、とかとか。
つまり、あれだけ首を絞められても死ねない、という アスカの、自分自身に対する言葉かな、と思っています。 「生命の実」も取り込んだ、って事なのかな?
アスカの「キモチわるい」は、シリアスすぎる雰囲気になるのがイヤさの、テレ かくし半分だと思います(^^)。
ラストのアスカの台詞ですが、案外、怪我のショック症状で本当に気持ちが 悪かったんじゃないかなぐらいに思っています。アスカがまともな性格なら ともかく、シンジと同じくらい壊れているアスカにいわれても、オタクのオ タク批判のようなもので、まともに受け取る必要はないと思っていますから
これから二人が“アダムとイブ”として生きていかなければならないことに対する 嫌悪感
この映画が凄いところは、(中略)その後の砂浜のシーンでシンジが、 結局アスカに投げつけられる言葉「気持ち悪い。」が、 がんばったからと言ってそんなにほいほいうまく行くものじゃない、 現実は甘くない、という点を突きつけていた点にあるとおもいます。
最後のシーンについて僕は、シンジに叩き付けられた現実の世界 ではないかと思います。 倒れているアスカの光を失った目、シンジの頬に触れた手とちぐ はぐな「気持ち悪い」という言葉。アスカがシンジに対し「気持ち 悪い」って言うのは結構普通だけど、ちょっとおかしいなと思いま した。以前にキス騒動で似たようなことがあったけど、今回は首を 絞められてる最中だし........。 ここで僕は自分と他人の境界がわからないLCLの世界(原始 地球の海に酷似した世界。海に象徴される)から、他人との境界が はっきりし互いに気持ちを理解し合うのができない世界(海に対し陸、 すなわち二人がいた浜)に戻ったら、アスカはあの戦闘で気がふれて しまっていたのではないかと思いました。(心を失ってしまった?) シンジは共に歩いて行こうと思っていた女性が以前の姿を失っていて、 人形の様になっていた。彼女のことを考えいっそのこと殺そうと考える シンジ。しかしできない。 アスカが包帯をしているのを見ると、あれはあの出来事の直後では ないですよね。(戦闘以前、戦闘中は頭に包帯をしてなかった。) となると、あれは後日、もしくは後に起こってくることの提示だと 思うんですがどうでしょうか。 もしこうなると、アスカは最も嫌っていた心のない人形に自分が なってしまったというかなり皮肉な結果になってしまいますが.......。 まごころを君に..... シンジのアスカへ対するものだったのだろうか。
結局ある意味でテレビと同じ。 つまり、自分じゃ最後を書けない、だからそれなりのを書いて 皆さんそれなりに満足(または不満) というところですかね。
22話で精神的に侵食されたアスカは、25話で今度は肉体的に侵食 されてしまったわけですね。 こう考えると、なんとなくラストシーンのアスカの言葉も納得がいく。 「気持ち悪い」というのは、世に存在する「男」に対する嫌悪感が発せさせ た、ごく自然な言葉だったのでしょう。
あれは(監督の考えている)アニメファンに対する痛烈な嘲りだと感じました。 世界の全てを破壊し飲み込んだ初号機とシンジには、同時にその世界に 対する全能の力も与えられました。世界をどうするかは、全てシンジに まかされました。全てを虚無へと帰すことも、虚構の世界を構築して再び そこへ逃げ込むことも、つらい現実の世界へと歩き出していくことも、 すべて、彼が心を決めるだけで可能となるのです。 そして同時にそれは、観客一人一人に突きつけられた選択でもありました。 これはシンジの選択であるだけでなく、あなたたち自身の選択でもあるのだと。 画面に現れた、実写シーンや春の映画の観客たち、パソ通上での繰り返される 監督の悪口などは、そのメッセージじゃないかと思いました。 当然、答えは観客の数だけあります。 その中の一つの可能性をえがいてみせたのが、#26のBパートだったん じゃないでしょうか。あれは「それでもエヴァに依存しようとする人々」を 象徴しているのではないかと。 あれはある意味、多くのファンが予想し望んでいた結末でした。 世界が変化し、その中に二人だけ生き残ったアダムとイブ。 しかも、ご丁寧にもアスカにはレイの象徴である包帯と眼帯まで まいてあります。 しかし、そこにあるのは、おぞましいレイの死体。血の色の海。 シンジの殺意。アスカの蔑みの表情。と、監督は甘い幻想を徹底的に 打ち砕いていきます。 そして、とどめにアスカがあの台詞をいうのです。
他者が存在する世界に戻ってきたシンジは、自分の選択に絶対の自信が持てなかっ たんでしょう。 あそこでアスカの首を絞めきれたら、シンジは自分の世界も終わらせていたと思う。 でも、できなかった。甘い希望にすがりついたんだよね。で、自分の弱さに泣く。オ イオイ泣く。 なにかわけのわかんないことで泣かれたら、きもちわるいよね。絶対、きもちわる い。 あそこでシンジを無条件に受け入れるアスカだったら、他者として成立しないと思 う。
帰ってきたシンジは、体を再構成したアスカを弐号機のエントリープラグか ら引っ張り出し手当てをしたが、彼女は植物人間状態のままであった。 シンジは、毎日みんなの十字架を作りながらアスカが意識を取り戻すのを 待っていた。 いっこうに意識の戻らないアスカを横に、途方に暮れるシンジは、ふと水面 を見ると綾波の姿が、衝動的にアスカの首を締めるが、彼女の手が彼の頬に触 れた。彼は、意識を取り戻した喜びと彼女を殺そうとした自分に涙した。 意識を取り戻したアスカは、生理的な不快感と、自分を見殺しにしたシンジ が目の前にいることに対し「気持ち悪い」といった。 物語としてはこんな感じかなと思います。
多数の人間を犠牲にすることによって現実を取り戻した。 自分の為した罪を背負い生きることを選んだ。 飛び立つことは美しく、気持ちのいいこと。 醜いかもしれないが「気持ち悪い」かもしれないが、 本当の快楽とは、地に足を付け 他人の首を締め続けることによってしか得られないのか?
この言葉はもっと前向きに捉えて良いのでは? アスカと言えば「唯我独尊」な状態だったわけですが、彼女がシンジを見て 「気持ち悪い」と言うのは、それは彼女が本気で他人を受け入れようとし始め たからこそだと思います。 他人を自分の心の領域に踏み込ませることは勇気のいることでしょうし、気持 ちの悪いことでしょうが、それを彼女が始めたからこそ、「気持ち悪い」とい う言葉も出てきたのでしょう。 ある意味で彼女はシンジ以上にATフィールドの強い人間であったかもしれな い、その彼女が(サードインパクトによって強制的に取り払われるのではなく て)自らの意志で心の壁を開放しようとしていることが重要なことのように思 えます。
シンジはアスカを求め続け アスカはシンジを拒み続けた。 最後にシンジはアスカを殺そうとした。 なぜだ? でも出来なかった。殺せなかった そして、やはり最後までアスカはシンジを拒んだ。 それが現実なのだ。
けど、首絞められて、そいつがいきなり泣き出したら 「気持ち悪い」 というか、そういう似た様なことを思うだろうね、やっぱり。
私はこのI need youのテーマをアンビバレンツと理解した。 人間の行動は大半がこのアンビバレンツの要素をおおかれすくなかれ含んでいる。 合いと憎しみ,冷たさと優しさ,強さと弱さ。恐怖と怒り。悲しみと喜び,希望 と絶望,これらはみな表裏一体で切り離す事は出来ない。 シンジとアスカの行動と言葉はこのアンビバレンツを象徴しているのではなかろう か。私にはそう思えた。 シンジの嗚咽はこのアンビバレンツの悲しみを,そしてアスカの言葉はこのアン ビバレッンツに対する嫌悪をそれぞれ象徴していたのではないだろうか。 アンビバレンツに苦しみながらシンジもアスカも生きてゆくのだ。
さて、シンジが他人との共存を選んで現実の世界に帰ってきてアスカと砂浜 に寝てる訳ですが、ミサトの墓標があった事からいくらか時間の経過があった 様です。 アスカが怪我をして包帯を巻いているのはアスカはATフィールドを失わなか ったからLCLにならなかった様です。(レイの迎えが来てない)プラグスー ツを着ている事からも説明出来ると思います。きっとあんな状態でも弐号機が 守ってくれたんでしょう。(ここは希望的観測) そして戻ってきたシンジが弐号機のエントリープラグを探し出しアスカを助 け出します。包帯等はきっとエントリープラグに備え付けてあるはずです。 そして砂浜、、、。 しかしアスカは自我崩壊状態。「生きる意志」を無くしてます。半ば絶望気 味のシンジ。 そこにレイが現れ、そして消える。シンジは何かを悟りそして 危険な賭に出ます。ここからが僕の新解釈なんですが、、、 アスカの「生きる意志」を試すために彼女の首に手をかけます。そしてシン ジの願いは叶い、アスカはシンジの頬にふれ、シンジに「生きる意志」を示し ます。 喜びに泣き崩れるシンジ。そして最後のセリフ。アスカが元に戻った事を表 してると考えたいです。
なんか、ラストの泣き虫シンジとアスカのセリフにマイナスなショックを受けている ファンが多いようですが、ボクにはそれが良く理解できない。どう見てもラストのシ ンジはうれし(はずかし)泣きだと思うし、アスカのセリフも前向きなモノだったと 解釈しました。
砂浜でアスカは無表情で寝ている訳ですがあれは再び精神崩壊にあった状態 だと思います。やはり弐号機のなかでの復活はサントラのタイトルにもある「 偽りの、再生」です。弐号機(母親)を失ったので元の状態に戻ったのと、エ ヴァシリーズによる陵辱によるところも大きいでしょう。 そんなアスカをシンジは見つけます。シンジを受け入れないアスカ。 ここにシンジの成長があります。ここでアスカに「目を覚ましてよ」とか「僕 を一人にしないで」とか声をかけたら303号病室の時と一緒です。成長の跡 が感じられ無かったでしょう。彼は首を絞めるという行為でアスカ自身に存在 の是非を問いました。 しかし、何故首を絞めたのか? 首を絞めるという行為はアスカにとって特 別な意味があります。母親との事のトラウマであり、それが頭にあった為にシ ンジとの抗論の時、彼に首を絞められたとき抵抗できませんでした。(そう見 えた) 首を絞められた事に抵抗する行為は母親のトラウマを乗り越えた事も表しま す。シンジがここまで考えたとは思えないのでこっちは結果論ですが。 シンジがアスカの首を絞めた真意は確信には到りませんが、結果としてシン ジの成長と同時にアスカの生きるという意志表示、トラウマの克服、などアス カの補完も表したシーンに思えます。あらためて考えるとこのシーンはすごく 前向きなシーンです。
アスカが「気持ち悪い」と言ったときの目は、心底嫌いなものを見る ときの目に見えるんですがどう思いますか。
だがそれは、おぞましい虚偽に統合=補完されない真実へ至るユイ一の可能性 でもある。互いをさらにバラバラにしようと「噛み合う」者同士の断面が、なぜ か一致し「噛み合う」という皮肉な意図せざる結果こそが、コミニュケーション の「奇跡的」な本質なのである。(だからG.バタイユのような思想家はそのよう なコミュニケーションを「聖なる」ものと形容する。) これは「コミュニケーション=癒し」、あるいは「他者を傷つけるな(あるい は、他人を傷つけない限り何をしてもよい)」という価値観に対する、やはり根 底的な批判である。――「希望」に向けてシンジは言う。「それでもいいんだ」 ラストシーン「I need you.」はその明確な寓意である。 ――補完という「夢 は現実の中に」意図せざる形である。互いをさらにバラバラに引き裂こうとして いる二人(アスカを絞殺しようとするシンジとシンジを「気持ち悪い」と拒絶す るアスカ)の間には明確なコミュニケーションが成り立っていた。 それは、「自分の横にいる人と普通につき合う」ことができている者なら、も っと上手にしているのとまったく同じことだ。われわれが自他を分断するべく振 るうに決まっている暴力を、相手(あるいは自分)が死なない程度に、和らげて振 るうこと。逆に言えば、もうすでに暴力が和らげられてしまっているからこそ、 われわれは今ここで生きているとも言える。 われわれは日常の中では分断の暴力を、「人の気持ちを些細に傷つける」ような 隠微な形で振るい、致命傷への短絡が「結果的に」「意図に反して」回避されてい たりもする。些末な暴力の遍在状態の中で、われわれはなぜか、「まだ生きてる」 のである。
監督「君たち…、気持ちいいの?」 監督「おれは見てて、気持ち悪いと思うゾ。」 終劇
「気持ち悪い?つわりじゃないの? ちゃんと病院行って検査してもらった方がいいよ。 サードインパクト・ベビー誕生!」 ・・・・・・・なーんてね。
結局エヴァ劇場版って、エヴァという永遠に終わりそうもない物語を、 完璧に終わらせることだけが目的だったような気がします。その意味で ラストの気持ち悪いというのもエヴァを完璧に終わらせる為の台詞とし ては最高の決め台詞だったかもしれません。
あれは劇中の「気持ちいいの?」に呼応するものだと思います。 そうでないと「気持ちいいの?」という言葉の出現が唐突すぎると思います。
なぜアスカの首を絞めなければならないかはわからなかったが最後一緒にいたの がアスカで最後の台詞があの台詞だったのも現実の厳しさをあらわしていて非常 にリアリティがあって良かった。あれが綾波でもミサトさんでも母さんでもシン ジを受け入れてしまうだろうから、あの台詞にはならなかっただろうし、やっぱ り最後はアスカしかなかったんだろうな
あれほど激しく、直接ぶつかりあった2人って、あの話の中にいるかな。 そんな風に思います。 これからが、大変なんだよ、と。 あらためてひとに触れるわけで、それが初めてなんだから、 「…気持ち悪い…」というのは、仕方ないんじゃないかな、と。 まずはそれでいい、それからどうするかなんだっていうこと、かな。 シンジの髪に、頬に触れたアスカの手が、痛々しいけど、やさしかった。
ヒゲメガネが,ふられたみやむーに嫌がらせしてるだけ。
で、アスカの最後の言葉が「ありがとう。」でもなく、 「バカシンジ」でもなく、 ましてや、「あんたなんかに殺されてやるもんか」でもなかった。 「気持ち悪い」。誰に言った言葉?自分に?シンジに?それとも観ている 俺にか? 最後までアスカとシンジはわかりあえなかったんだね。 そして、唐突におわる物語。何だったんだ?気持ち悪いよ、ほんとに。 「現実を見ろ。」言いたかったことはこれか。 やっぱり大きなお世話だと思うよ。映画ぐらい現実をわすれていい気分で いたかったよ。その証拠に明日は休日出勤だ。とほほ。
最後のセリフ「気持ち悪い」は「けして〔アダム&イブ〕は、みんなが 思っている程に仲むつまじいモノではない」と言う意味かと(^^;)
「とってもきもちいいこと」。身体の、心の境界線がなくなること、とけあう こと…から、もどることをえらんだ、そして生きることを選んだシンジ。 「…気持ち悪い…」は、アスカのシンジへの嫌悪の言葉、としてではなく、シ ンジが、「とってもきもちいい」世界から、とけあう世界からもどってきたのだ、 ということをしめす、そこが、「生きる世界」なんだということをしめす、サイ ンのセリフではないでしょうか。
他人に触れる。それはわからない存在、「気持ち悪い」。でも、アスカのあの 手は、シンジを拒んではいないから。 進んでいけると思う。もっといっぱいお互いをさわっていくとおもう。ずっと 「気持ち悪い」かもしれないけれど。それでも手をのばしつづけることをやめな いだろう。生きていくから、シンジはアスカを殺さなかったのだから。
拒絶も離別で辛い思いをしても人として生きたかった。 だから、人として戻ってきた、アスカを連れて。 人として生きるのに、1番いっしょにいてほしかった(1番好きだった) のが、アスカだったのでしょう。 しかし、アスカの魂は戻ってこなかった。 人としていっしょに生きることすら拒絶された。 だから、シンジはアスカの首を絞めた。 だけど、アスカは戻ってきてくれてた。 最後の「気持ち悪い」というセリフも 「心の壁を作ってくれた = 人として生きてくれた」 という意味があったと考えます。
あの、ラストのアスカの台詞が「よかった」と言えるのは、 そこにどんな意味が込められているからなのでしょう。 僕は、何という救いのないエンディングだ・・・と思ってしまった。 教えてくださーい。
ただ、ラスト。アスカの首を絞めようとしたシンジの頬をアスカがなでる。アスカ が生きていることが判りシンジは涙を流す。何故かは判らない。独りでない、という ことかもしれない。最後の「気持ち悪い」の一言が「アスカがアスカである」ことを 物語っているのことに救われた気はする。
私はシンジはアスカの中に入ろうとしたのだと思います。 しかしアスカのATフィールドはそれを拒む。されどアスカはシンジの頬を 撫でることで、わずかながらの意志表示を示す。それにシンジは涙するも、 アスカはそれに対して一言。「気持ち悪い」と。
アスカが、シンジを罵倒し、拒絶し、否定する、その言動の端々から、アスカ のシンジに対する強烈なまでの「想い(愛・・・はやめとこ(^^;)」がにじみ出 ているような気がして、なんだかジーンと来るのです(←ヤバイかも(笑))。 そう思えば、物議を醸しだしているあのラストにも、一筋の光明が射し込んで見 えるから不思議なものですね~(←確実にヤバイかも(T-T))。
なんだか、見終わった後で妙にさめている自分を感じてます。 アスカの最後のシーン、最後の言葉、それがそのまま感想のひと、 結構いたりして……
あれが二人の愛情表現だったらすっごく恐い・・・。アスカは「一緒に死んで ちょうだい」ってことで母親に首を絞められた事があるみたいだから、自分を愛 してくれる者が首絞めてくれるのは気持ち良いことなのかとか、思ったりもして。 まさに命懸けのSMだな。 って、ことは初号機が3号機(バルディエル)の首絞めたのも愛情表現(シンジ ×トウジ)な訳で、首が落ちたカヲルなんかはもう、最高に愛されてたのかな。 で、ラストでアスカの首を絞めるシンジが鳴咽し、アスカが「気持ち悪い」の は、そういう歪んだ愛情表現を憂いての事なのかなぁと。
ラストの「気持ち悪い」は、私の場合は 「アンタなんかに触られて汚らわしくて気持ち悪い」と「首締められて気持ち 悪い」程度しか思い付きませんでした。
深手を負った状態で気絶していたのに首まで締められたら当然、気持ち悪くなる
アスカの最後のセリフは、自分自身に対してなのかと思うの ですが...アスカが嫌いなシンジの頬を優しくなでている行為(矛盾し た行為)がそう思わせたのですが...
うまく言えないけれど,とても嬉しかった。あのラストでシンジもアスカ も,そしておそらく庵野監督も「こっちの世界」(ってどこ?(^^;))に還っ てきたと思いました。それが無性に嬉しかった。
最後のアスカのセリフで、シンジとアスカは人間として認めあえるんじゃない かな?という気になりました。少なくともこれまでとは一つ違ったステージに 進めたのでは?と思います。すごく暗ーい感じで終わったけど、大団円ではあ ると思います。
もっと救いのある,後味のいいエンディングを作ろうと思えば作れたと思い ます。それでもああいう終わり方を選んだところに,わたしは庵野監督なり の「誠実さ」と「正直さ」を感じました。わたしの「よかった」はそういう意 味です。(でも「好き」にはなれません(笑))
ラストで描かれた少しの「前進」、その程度の変化ならば、 ちょっと心の持ち方を変えるだけで十分な気がするのです。 あんな経験をした後で、普通なら生きていてくれてよかったって、レイが 生きてた時のように泣いてるところだと思うのですが、どうしてほんとに 首を絞めたんでしょうね。 僕は、ニーチェが言ったように、この世はただ繰り返す、楽しいことも苦しいことも 含めて。でもそれを勇気を持って受け入れることが、人間の生きる道なんだっていう ことを言いたかったのかなって思いました。
旧作のエピソードを引用しつつ全く違う話をしている、という感じ。例えが極めてアレですがファントム・メナスみたいだ。
とりあえずみやむー壮健でよかったというのと、式波エロいよ式波
あとイラストリアスさんはどうも何某ぽいですね、と思ったらこれみんなまとめて大化けするという寸法か?それはそれで凄い
んで思ったこと、98年当時俺は二十代前半ですからモロに影響されてしまい、その後の人生棒に振りかかったりで、今からすればバカだなあと思いますが正直申しまして二十代前半というのは比較的バカだよねと思う。俺ほどではないにせよ。それはまあしょうがないし、今は本題ではないのだが
それで今回見てみて、総じて新旧世代に対するダブルミーニング的な作りですが(偉業です)、これ旧世代に対する嫌がらせもしくはギャグなんでは、という場面もいくつか。つうかあの歌が始まったときは笑った。しかも二度までも。しかもなんだか赤木博士の長台詞始まってるし、うわこれひでー(苦笑)と思ったんだが
とはいえ、またぞろあすこでクラシックを持ってくるのも変だし、というか旧世紀版過ぎるし、尺延びちゃうよね、というのはわかる。旧版のあの痛い感じをさくっと後世に伝えようとしたのかわかりませんが、当時を知る者としては、お前らが鬱々としていたものは結局こんなもんだ、と言われているような気がしてむしろ救われた。ありがとう。そうなると、次は客席の大部分を埋めていた若者がどう思ったかが興味深いところ。
それで今後もだらだらと痛いのだろうかと考えると、小顔メガネの動向がわからない。
http://anond.hatelabo.jp/20080313111254←この続きです
0.30.50 黒髪、朝帰り。それを待つヒロインが一言、「不良!」この監督にとって朝帰ってくると不良なのです。
0.31.10 「血!どうしたの?」「やめろぉ」とか言ってるうちにヒロインがベッドに押し倒されます。
0.21.25 ラブシーン開始。言わなくてもいいと思うけど黒髪は延々と棒読みです。
0.31.30 「ミキちゃん俺のことどう思う?」→「好きよ」→「俺はもっと好きだ。(棒読み)」→キス
0.31.55 近未来っぽいものもう一個発見。ショッピングモールの巨大な街灯がテレビになってニュースを放映。ボブサップがニュースを読んでます、英語で。画面に字幕が付いてません。人々はじーっと見てるけど、英語が分かるのか。人々って言ってもエキストラの人数はほんのちょっとしかいません。あちこちで大量殺人が発生したらしいです。
0.32.05 ショッピングモールに郵便職員登場。「・・てぇ。くいてぇ。」
0.32.36 デーモンに取り付かれている(と思う、変身してないので今ひとつ不明)。亀を食う。このおっさんマジで食う。
0.32.37 それを見た小学生がマジでびっくりしている。そりゃそうだ。この映画の中でかなりハイレベルな叫び声。(映画のレベルが低すぎるだけなんだけど)。小学生がひっくり返ると、かけていたメガネがおでこにずれる。(監督の遊びごころ)
0.32.45 郵便職員、亀を咀嚼しながらワニっぽい顔に変身。それを見ていた回覧板が腰を抜かす。
0.32.50 いきなり夜になる。黒髪がバイクに載っている。たすけてぇと言う回覧板の声を聞く。
0.33.04 海岸に行く。
0.33.10 バイクから降りて、海岸を探し回る。
0.33.35 たすけてぇと言う声が更に聞こえる。海に入る。
0.33.45 海に顔をつける。1秒で顔を上げる。どこだーって、探してるらしいです。
0.33.50 デビルマンに変身。飛ぶ。
0.33.55 森に着陸。ノブオモードになる。デビルポーズ。デビルポーズをキープして動かない。
0.34.25 デビルポーズ解除。回覧板からねちょねちょ音がします。
0.34.35 回覧板が一言「おれ、こいつに食われちゃったよぉ」
0.34.55 ジンメンですね。原作を見てない人たちはわかんないだろうけど。「俺死んじゃったよ」ってさ。
0.35.00 ノブオメイクの黒髪(以下ノブオ)、顔を近づけすぎです、「”こいつ”に食われた」って言ってるのに。
0.35.10 ジンメンの顔が伸びて「グワー、俺はジンメン、おまえは誰だー」。ノブオ驚く。
0.35.45 ジンメンの質問を無視してノブオと回覧板が会話。「滅びろジンメン」って言いながらデビルマンに変身。
0.35.50 ジンメン一撃でやられる。
0.36.05 「おまえ、デーモンのくせにデーモンを殺しやがって、デーモン同士は殺しあわねぇはずじゃねぇかぁぁ」とジンメン。まあ三つほど突っ込んどく。<1>殺しやがってって言えるうちはまだ殺してない。<2>コロシアワネェハズジャネェって聞き取りづらいです。発音もしづらいと思います。<3>デーモン、殺しあってたでしょ?原作の設定でも殺しあってたし、ほんの数分前にもトミナガがデビルマンを殺そうとしてたし。
0.36.20 ノブオとジンメンが雑談。野生動物は自分が食べる分しか他の生き物を殺さないが、人間は無駄な殺生をしすぎる。という説教が始まる。ノブオは無視。
0.36.55 サタンが人間を皆殺しにしようとしている。サタンって誰だ?という演技をするノブオ。サタンはさっき見たじゃん。
0.37.05 バイクから降りる黒髪。場所はショッピングモール。ボブサップがニュースを読んでる。
0.37.25 せっかく頑張って演技をしていたのに「怪物と化した人間が・・・」というくだりではネクタイの結び目に手をかけるボブサップ。クサイ演技はナスの陰謀だろう。
0.37.35 教室。教師が回覧板の遺影を誰も座っていない机に置く。テスト中。
0.37.55 黒髪は、「銀髪は悪魔だと自称していた」、という回覧板の台詞を思い出す。
0.38.05 黒髪銀髪見つめあう。なんか距離感がおかしい。
0.38.10 川本さん(みんな、覚えているかな?いじめられっこの川本さんだよ!)が私服のまま校門から入ってくる。
0.38.20 パソコンの授業。その教室の横を川本さんが通り過ぎる。
0.38.35 授業終了。
0.38.45 川本さんが教室の中にいるヒロインに接近。自分から呼びかけたくせに「どうしたの?」と言われると遠ざかる。
0.39.20 川本さん(以下ミーコちゃん)に対し、いじめっ子達が一人づつ絡んでいく。要約すると「おまえはデーモンじゃないのか、服を脱げ」
0.39.35 別室に連れ込む。見せてみろと迫る。
0.39.45 取っ組み合いにヒロインも参加。ミーコの服の袖だけが破ける。腕にデーモンっぽい模様ができている。
0.40.05 違う違うと言いながらおびえるミーコ。「デーモン!」と叫びながらミーコに物を投げつけるいじめっ子。
0.40.10 ミーコの腕から緑色の光線発射。
0.40.15 地球儀に命中、地球儀が粉になる。けど、金属部分は残る。ミーコは一瞬だけ薄目。演技が細かいぞ、ミーコ。
0.40.30 逃出す生徒を見て静かに涙をこぼすミーコ。
0.40.35 ヒロインだけはミーコに接近する。
0.40.55 ミーコは自分から離れようとする。ヒロインはミーコに背中を向ける。ってさっきは接近しようとしてただろ。
0.41.30 黒髪がキープアウトを乗り越えて教室の中に乱入。
0.41.55 地球儀の部屋にいたヒロインが黒髪を見て部屋から出てくる。「川本さんは人間だ。なぜなら泣いたからだ。」とヒロイン。もういいや、棒読みの台詞はもういい。それよりも泣いたからデーモンじゃないって何ですか?それよりもナス夫妻がデーモンをどのように定義づけているのかをしりたい。
0.42.05 ショッピングモール。ボブニュース。海外からの映像をお届けします。
0.42.20 外人さんのデーモンが銃を乱射。こいつは光線を出さないのか。テレビカメラはなぜあんなに近づくのか。
0.42.35 ミーコ接近。「隣、いい?」
0.43.00 家に帰らなくていいの?ママ、怖いんだ。って名シーンじゃないですか。ママがデーモンってやつですね。
0.43.30 ママ、来る。「ススム?遅いから心配しちゃった。帰りましょ」ススム君後ずさり。
0.43.50 「パパも帰ってて、ススムのこと待ってるのよ?」「ほんと!?」
【このシーンだけは、役者がみんなまともです。最初はママの表情が良く見えず、まず、優しい声、次に優しい顔、ただ、「パパも・・・」の台詞だけ口調を変えて、ブランコに腰掛けるという女優さんの演技。ススム君が自分の母親の形をしたデーモンに対して、探りを入れつつそれでも母親を信じたいという演技。まともだ・・・】
0.44.00 ママの優しい笑顔。緊張しつつも笑顔を見せるススム君。「じゃあ、帰る」(はっきりと意志のこもった口調、カツゼツは黒髪銀髪の三万倍良いです。)
0.44.30 今度はミーコがブランコに乗ってスローモーション。まともだ。まともに演技をしている。ミーコの寂しさが伝わってくるぞ。
0.44.49 ススムが家に帰ると、恐怖体験が・・・
0.45.00 ススム君、ちゃんと叫んでます。単調じゃない叫び声。久し振りに聞いた。
0.45.25 エレベーターから降りるミーコ(だからどこのエレベーターに乗ってるんだよ!糞みたいな設定を出すなナス!)。ミーコがススム君の叫びを聞く。
0.45.35 いいところでボブニュース。マンハッタンがデーモンに襲われてる。日本のデーモン対策本部は対応が遅れてるらしい。
0.46.00 町の中では化粧をしている男性や、スキンヘッドの男性が武器を持って暴れてる。(室内)
0.46.15 顔が変形するので彼らがデーモンだということがわかる。でも、デーモンの能力を顔面整形意外にしか使わない。(室外で虐殺)スポーツカーに乗って黒銀コンビが到着。
0.46.40 虐殺され行く人々を静観しながら討論。争点は「助けに行くべきか否か」。
0.46.55 黒髪が離せ!と言って助けに行く。銀髪は「勝手にしろよぁ。ばかぁ」とヤンキー風の巻き舌で罵る。ばかぁ?みやむーのAVを思い出しちゃうんだよ。こんちくしょう。
0.47.00 室内で虐殺してることになって、日本語のラップがBGM。壁が崩れてノブオ登場。デビルポーズ(約15秒間)。
0.47.15 腕が変形。バトル開始。
0.47.20 スキンヘッドに顔面パンチ。
0.47.41 滅びろ、デーモンと言って化粧男も倒す。
0.47.50 助けたくせに走って逃走。そこにいた若者達が「フドウ?」とか言って黒髪に気づくんだけど、この複線はもちろん回収されません。
0.48.05 手についた血のりを池(のようなところ)で洗い流すミーコ。ススム君はうつむいてます。
0.48.30 観覧車の下で(テレポートです。)寄り添いあうミーコとススム君。
0.48.35 ボブニュース。日本ではデーモン狩りが開始。って複線になるような大事件は何も無いですし、デーモンの疑いがある人間を刈っても良いと言う根拠は何も示されない。【原作ではちゃんと示されます。少なくとも永井豪自身は納得できる根拠で人間社会が徐々に徐々に崩れていきます。原作バンザイってわけではなく、ただ私が言いたいことは、「何の根拠もなく人間狩りが行われる」なんてことをナスは信じていないにもかかわらずそれを垂れ流したということです。そりゃぁ説得力もないでしょう。客を馬鹿にしたと言われるでしょう。】
0.48.50 夜、牧村家、スーツのヒゲが帰宅。ヒゲ妻は料理中。
0.49.00 ヒゲ:飲まなきゃやってられねぇよ。ヒゲ妻:なんか会ったんですか?以下ヒゲの回想。
0.49.15 白いトラックの前面にマーク。ダビデの星の中に十字架。(アホかナス)
0.49.20 ヒゲ「同僚が・・・デーモン特捜隊に、逮捕された。」のナレーションにあわせて、鳥肌実が田んぼの中をダッシュしてる。稲刈りが終わった時期らしい。稲刈りが終わると田んぼに水が張るものなの?
0.49.30 叫ぶぞ実。頑張れ実。泥の中でコケながら叫ぶ。トレードマークの髪型が濡れて頬まで落ちる。特捜隊が実の周りを囲む。
0.49.45 実が射殺されそうになる。ヒゲは助けたいけど、かばう人間もデーモンにされるぞと言われて我慢する。
0.49.50 実、叫ぶけど捕まる。墜落したUFOから発見されたグレイみたいな様子で連行される。
0.50.05 実を密告したのは実を嫌っていた同僚でした、と回想終わり。アホか、ナス。人間はバカである、という前提を取らない限り絶対にこんなストーリーを作れないぞ。
0.50.35 その話にいつの間にか参加しているヒロインと黒髪も憤慨する。ヒゲ:恐ろしい社会になったものだ。
0.50.45 物々しい音楽とともにもったいぶって登場する建物。多分、デーモン特捜隊の基地なんだろうけど6階建て。低っ。
0.51.00 その建物の中にいるミーコとススム。「何で僕らが捕まるの?」と呆然とした表情のススム君。ギンクロコンビ、このススム君の表情を見とけよ。役者が口を開けたままでいて良いのはこういうときなんだよ。
0.51.15 学校の前にバイクで来る黒髪とヒロイン。門には「休校」の張り紙とデーモン特捜隊の例のマーク。
0.51.20 川本さんの家も特捜隊のマークがべたべた貼られ、家の壁は落書きだらけ。
0.51.40 黒塗りの車が黒髪のバイクにクラクションを鳴らす。運転手が「おい、なんちゅうとこにとめとんじゃぁ」
0.51.45 車の中から小林幸子登場。普通の赤いスーツ。割と胸がある。トミナガよりあるぜ。おなかはトミナガのほうがぽこっとしてたけど。
0.52.00 幸子、熱演。というかマジで演技上手。表情がころころ変わる。ここはデーモンの家だ、あんたらもでーもんか?
0.52.05 幸子、退場。
0.52.35 神父とシスターが玄関の掃除をしてる。教会の中に入ってゆく二人の後姿を思わせぶりに見つめる神父。やっぱ、神に仕えてると何か気付くものがあるのか。もちろんこの複線も回収されません。
0.53.10 祭壇の前でひざまづき祈るヒロイン。その横で、座り、ポケットから緑色のグロい悪魔の形の携帯ストラップを取り出す。
0.53.30 黒髪:このストラップをおまえの携帯につけてくれ。 ヒロイン:やだ。きしょい。 黒髪:そっか。(ショボーン) ヒロイン笑顔。
0.54.00 黒髪:何を祈ったんだい? ヒロイン:アキラ君(黒髪)と結婚できますように。子宝に恵まれますように。って祈ったの。
0.54.25 黒髪はあんまり良い反応をしてくれず、そのまま教会の中から出る。その後姿を見るヒロイン。
0.55.00 夜。ヒロイン宅にスポーツカー。黒髪は玄関で銀髪をまっている。(この時期の撮影になると色が抜けてきたらしく、銀髪って言うか金髪のプリン頭。)。 ついてこい、というプリン頭のブリーチ野郎。
0.55.05 銀髪「ひしょぐんだ。時間がない。」って言ってますが「急ぐんだ」と言いたいはずです。
0.55.10 スポーツカー発信。
0.55.15 目的地らしき白い建物の周りにはマスコミが詰め掛けています。
0.55.35 デーモン特捜隊が一斉捜査をします。デーモンはみんな射殺です。とアナウンサーのおばさんが笑顔を見せると、スケキヨみたいなマスクを被った人がいきなり現れて射殺される。
0.56.00 一つの扉から人々が出てくるので、マシンガンで片っ端から撃ち殺す。デーモンたちは、もちろん能力を使いません。それを見つめる黒髪と銀髪。
0.56.15 いぐぞ。人間を皆殺しだ、と意気込む銀髪。手にはマシンガン。
0.56.25 やめろ、と言う黒髪に対し、「おまえはこんな人間が許せるのか」と言う銀髪。許せるも何も人間から何も直接危害を加えられたことのないようなきがする。
0.56.35 黒髪は、無言で自分が持っていたライフル(マシンガンかも)を銀髪に渡す。銀髪は「そうか」って納得してます。おまえとナスだけだよ、納得できたのは。
0.57.00 二丁の銃を持ってよたよたと進む銀髪に、小太りのスキンヘッドの男(背中に蝶の羽みたいなのが付いてる)が、「助けてくれ、サタン、サタン」と羽をパタパタさせながら四つんばいで手を差し伸べる。
0.57.05 「サタン!?」とここで初めてびっくりする白々しい黒髪。そんな黒髪を見つめる銀髪。
0.57.35 前転をしながら特捜隊の前に飛び出す銀髪。階段を駆け上りながら銃を乱射する銀髪。銃がとっても重そうだ。白い建物の中に入るときもアヒル走り健在。
0.58.00 KONISHIKIの出番終了。やったことは;建物の中からよたよた出てくる;両手を広げて「デーモンバンザーイ」と言う;蜂の巣にされる;最後に「デモンバンザイ」と呟いて前のめりに倒れる。以上でした。彼の吐く息だけが白かったんですけど、やっぱ体温が高いのかな。
0.58.05 それを見つめる黒髪。
0.58.45 神父が新聞を読む。世の中が荒んできてる。街頭でマシンガンの大安売り。売人は黒人なんだけど、黒人の売人を見せてナスはどんなメッセージを私達に送っているのでしょうか。
0.59.15 「人々は気に食わない奴らを片っ端からデーモンに仕立て上げて襲い始めた。」という黒髪のナレーション。スクリーンには著しく太った人が三人組で他人を襲っている。なぜデブ?