はてなキーワード: エキストラとは
エキストラには自前させるのはどう?
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普段はバルクスポーツの2kgのやつを買ってるんだけど10%オフ前後だったのでこっちに。
3個限定なのがクソ。
10個くらい買わせろ。
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毎日40gずつくらい取るので2か月分。
ちょっと前にマイプロで2.5kgで4000円くらいのセールやっててそっちの方が安かったかもしれん。
3袋買った。
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俺が体感あったサプリは4つだけ。プロテイン、糖質、クレアチン、マルチビタミンミネラル。
EAAとかBCAAとかアルギニンとかシトルリンとかいろいろあるけど
ああいうのはコンテストで頂点目指す人が97点を99点にするために飲むもんだと思ってる。
お前らは何買いましたか?
ここまで書き溜めてあったので、続きは書けたら書き込む。
連絡をとりあって一週間くらいで「とりあえず会いましょう」と、新宿のカフェで会った。
自分とまったく同じではないものの、広い意味では同じ仕事をしている人。
ちなみに前述のこねずみ師匠も似たような職種なのだが、この時期自分は、そういう人に狙いを定めていいねしていた。
ネットで人に会うなんてはじめてのことだし、変な人が来たら怖いし。一見人当たりがよくても嘘つきかもしれないし。
その点自分は比較的手堅い仕事なので、同じ系統の人であれば、最低限の価値観は同じ感じになるかもしれないと考えていた。(同業者でもヤバい奴はいるけど、それはどこにでもいるし)。
お仕事ネタが話題にできて、あとは趣味がひとつでもかすってれば話題にも困らないだろうと思っていた。
このお嬢様さんもそういう意味で、近い場所にある職種なので話には困らないかな、と思っていたのだが…。
ただ実際に会って話してみると、事前にやりとりしていたのとちょっと違う感じだった。
フェイクの入れ方が難しいのだが、たとえば、「俳優をしています」という人と会ってみたら、実際は事務所に所属しているということもなく、年に数回エキストラをするだけで、後はフリーターだった、みたいな。
それがダメだというつもりはないし、事前にわかっていればそれを踏まえて会話できたと思うのだが、向こうも言いだしにくかったのか、そういう事情が後出しでちょっとずつ出てきた。
自分では楽しく会話できたと思っていたのだが、会話の噛み合わっていない部分が少なからずあったのだと思う。
会って数日後に、「別の人と付き合うことになったので連絡できない」とラインが来た。
当時はピュアだったので「そういうこともあるよなぁ、タイミングだもんなぁ」と思ったが、今振り返ると普通にフられたのだろう。
まぁしょうがない。そんなこともある。次いこ、次。
(ちなみに名前がお嬢様さんなのは、本人の雰囲気がお嬢っぽいのと、フリーター的働き方ができているところも含めて実家は太いんだろな…という気配があったからである。)
結婚して二人で生活するときに、そしてその後に子供ができたときに、自分たちが食事をどうしていくか、決めないと不幸になるよね。自分が食事に対して何を期待しているのか。夫に作って欲しいのか、そうではないのか。一緒に食べ続けたいのか。子供の食事をどうするのか。そのとき夫は何をしているのか。たぶん元増田はフツーの食生活を期待してる。でも彼氏はまったくその期待とは合ってない。そこがスタートだから、元増田が食事について「フツーはこうするものでしょ」って考えてることは全部失敗すると考えてよさそう。考慮しなきゃいけないことが山ほど出てくる、一見エキストラハードモードの人生になる。
「一見」と書いたのは、彼氏はそれを一緒に考えてくれるパートナーとして捉えた場合にまた話が違ってくるから。彼氏自身がその「フツー」とは自分が違うことがわかっていて、しかもそれに対してどうやって対処したらいいか、考え抜いてやってる人間だと思う。「自分はフツーじゃない」ことがわかっていたうえで、「自分はフツーだ」と考えている元増田と付き合うという状況を理解してる。
将来に対する漠然とした不安は、彼氏と徹底的に話し合うことしかないと思う。そのとき「自分が考えているフツーと違う考え方に出会ったときショックを受けがちだ」ということは伝えておいたほうがいい。
昨日深夜テンションで一気に書いて真夜中に公開して、朝おきたら1つしかブコメついてなくて失敗したなーと思ったけど、今みたらなんかホッテントリにあがっててびっくり。ありがとう。
追記ここまで
タイトルに【追記あり】っていれたら元タイトルが省略されちゃうので外して元にもどしました
8/13 RIA Novosti
Золотой век США дал миру куклу Барби и атомную бомб
ドミトリー・コシレフ
香港出身の映画評論家、アリス・ウーは 活字面で大喧嘩 :ここアジアの私たちはハリウッドの傑作「バービー」に会えて喜ぶべきだった――これはスクリーン上のフェミニストの饗宴だ。 むしろ… 韓国はフェミニズムにとってひどい場所で、選挙戦が行われているが、候補者たちは親フェミニストに同情していると疑われるのではないかと疫病のように怯えている。 こんな映画は要らない。
中国はどうですか? そこでバービー人形が注目されなかったわけではないが、ピンクの服を着た人形に命が吹き込まれた映画が公開週末に1億6,200万ドルの興行収入をあげ、大量の記録を打ち立てたアメリカのような状況ではなかった。 中国でのこの人形は、地元の大ヒット作 2 作に大きく遅れをとっていまし た 。 1 つは「嵐の王国」です。これは、私たちの時代よりずっと前に、実際に国家の形成に関与した多くの中国の神々についての物語です。 何千人ものエキストラと技術者、壮大な効果、少なくとも空中に飛ぶ無数の矢の響き。 2番目は「長安」で、唐の時代の偉大な詩人についての物語です。 最高の技術的品質を備えた 2 つの作品、さらには戦争と詩。これは高級です。 そして、ここには子供の頃からなんとなく馴染みのある海外のブロンドが、私たちの世界における女性の役割についていくつかの判断を下しています。
誰かが、「世界平和」とは、アメリカが映画や芸術的責任を軽減したその他の作品で、考えられるすべての文化を押しつぶすことだと恐れていました。 まあ、心配する必要はありませんでした。 中国とアジアの映画市場は少なくともアメリカの映画市場と同じくらい大きいため、今日のハリウッドにとってグローバリズムはほぼ逆に見えます。 そしてハリウッドはそこで何かを売らなければなりません。 そして、問題が発生しました。フレーム内で、バービーは 入れました 北京版で南シナ海の領土の地図を手に が、映画はベトナムとフィリピンで上映禁止になりました。 しかし、これらは細かいことであり、重要なことは、この復活した人形はアジア人にとって興味深いものではないということです。
しかし、米国の住民にとって、それは貴重なものであり、その理由はかなり予期せぬものでした。 アメリカ人の誰もこれが傑作だとは言っていないことに注意してください。 さらに、フェミニズムの観点から言えば、少なくとも西洋人にとっては、ここには特別なことは何もありません。テロや狂信もなく、ボスガールは新しいものではありません。 このような映画に対するアメリカ人の反応という点では、喜びと悲しみが入り混じった別のものが感じられる。
人生が下り坂になっている人々は喜ぶべきです。 そして、映画評論家たちはこのことについて 極めて率直に書いており/*/ 、ロサンゼルスやニューヨークといった民主党の領域ではそもそも生活が悪夢になっていると述べている。 そしてここ - バービー、あなた自身のもの、親愛なるもの、祖母からの贈り物、国の絆と価値、あなたはピンクのドレスを着て映画館に来て、あらゆる方法で日々の恐怖から休憩することに友達と同意することができます。 今はウイルス、そしてトランプは負けた女子スポーツチーム、そしてニジェール、そしてウクライナ、そして言うまでもなく中国に対して失礼だ。 そして地球上の気候は非常に悪いです。 一般的に、人々を追い詰めて、リラックスさせてください。
/*/ https://www.theamericanconservative.com/barbie-and-the-triumph-of-the-feminine/
正統派リベラルを含む平均的な西洋人が自分自身をどのように感じているかというこのテーマは、どういうわけか私たちには理解されていないままです。そうです、それは単に不気味です。 そして私たちはどう感じているか。 控えめに言っても違いはあります。 さらに、それは適切で有能な比較によってのみ明らかになります。しかし、私たちだけがこの比較社会学に達していないのです。
そして、彼らは他のいくつかの理由で米国で動揺しています。 ここで面白い偶然が起こりました。同じ日にそこで2本の新作映画が公開されました。「バービー」と、アメリカ原爆の父の伝記映画「オッペンハイマー」です。 そしてそれらは今日のアメリカ人の心の中に溶け込んでいて、誰かが冗談を言っているのではないかと思えるほどになっているようだ――これがひとつの映画だ、バービンハイマー。
冗談は面白くありませんが。 私たちアメリカは、世界に爆弾とバービー人形を与えてアメリカの世紀に入りました。 今は何ですか? つまり中国人は大太鼓に乗っているのだ。 彼らは恐れもせず、幸せも感じません。
ここで、オッペンハイマーと彼のチームが 1945 年 7 月 16 日に爆弾を爆発させ、化学王デュポンのチームがプルトニウムの生産に従事していたことを思い出さなければなりません。 そして 1959 年の春に、同じデュポン社の関心によって作成されたプラスチックからプラスチック人形が作られ始めました。 それ以来、世界中で平均して毎分 100 個が販売されています (ちなみに、そのうちの何個が中国で製造されているかは興味深い問題です)。 しかし一般的には、それは私たちの黄金時代の夜明けでした。
そう、 。 この事実に反応しているのは映画評論家ではなく、アメリカの環境活動家タイラー・ハーパーです。「加速する軍国主義と無制限の消費」がプラスチックと微量のプルトニウムで地球を汚染したとき、こうして新しい時代が始まったのです そして、これらの痕跡は、人類が自ら墓場に追い込まれるときでも残る可能性があります。
一般に、地球上で跡形もなく過ぎ去るものは何もありません。私たちがどれほど若かったか、爆弾が爆発し、世界中でバービー人形が大量に売れました。 そして今、中国人や他のアジア人は気にせず、そこで生活を送り、自分たちの神や詩人についての映画を見ています。
憎まれもしなければ愛されもせず、辛くもなければ楽しくもない。
「あなたが必要だ」と言われたところで、社会の歯車として、という略された枕詞が見えてしまう。
自分の遺伝子を引き継いだところで、こんな遺伝子欲しくないだろうという悲惨なスペックである。おそらくいじめられるか見向きもされない、そんな子供が生まれる気がする。とか考えるとその子がかわいそうだから子供が欲しいとも、結婚したいとも思わない。
一見集団の輪の中にいても、「ああ、自分はここにいないな」というのが皆の視線や口元から伝わる。興味の矢印が自分に向くことはない。居ても居なくても変わらない。それならいる必要もないよな。
そんなときに帰ろうとすると「え、帰っちゃうんですか?」と思ってもいないだろう言葉を聞く。余計に足早になる。
なんのために生きているのか。自分に問いかけても時を経るごとに靄がかかる。もっとも10代や20代そこそこの頃は根拠のない全能感に包まれ、無邪気に生きていた。夢現で過ごすうちに、まわりの人間は一人、また一人と何者かになっていた。ヒーローやらヒロインやら。自分は気づけばエキストラ。役名なんかありゃしない。
あるいはせいぜい味変用の調味料。そこにあったら誰かが喜んでくれるかもしれないが、無くて困ることはないんだよな。
母さんごめんよ。
完全自殺マニュアルを買ったものの私には死ぬ勇気なんてなくて、でも生きつづけたいとも思ってない。臓器提供の意思表示だってしてない、中途半端なクソダサ人間。
頭のめでたい系の精神疾患にでもなって、フワフワ生きれたらいいが、どうやらそんな気配もない。無駄なとこだけタフでさあ。親の精神病は遺伝しなかったくせに、クソみたいなヴィジュアルだけ遺伝しやがった。俺が何したっていうんだよ。バカが。
外国ルーツのキャラを描いても描かなくても別にどっちでもいいと思うけれど、少なくともこの漫画家さんに限った場合、
「『配慮しすぎ』と言われる」←単なる想定の話。
「『配慮が足りない』と難癖」←この人自身がエキストラに対してやっている。
https://anond.hatelabo.jp/20230508221407
対抗手段としては、社会人向けのオーケストラか社会人吹奏楽団に入ってみることをお勧めする。
やる楽器を選んでその楽器を購入するのが最初のステップだ。なぜなら社会人向けの楽団は、「楽器を自分で持っている事」が入団の前提になるからだ。
打楽器に限ってはその前提はないが、社会人向けの楽団で打楽器メンバー募集しているところは案外少ない。オーケストラは正規団員が1人か0人で演奏会はエキストラを呼ぶ運営をしているところが多いからそもそも枠がほとんどないし、吹奏楽団でも常時募集しているところは多くない。また重い楽器運搬を確実にやらされるので体力的にも推奨しない。
また、弦楽器だと入れる団体がオーケストラに限定されてしまう。楽団数は吹奏楽団>>>越えられない壁>オーケストラなので、選択肢を広めるという観点で管楽器の方が良いだろう。
なので、「やる管楽器を選んで購入する」のが第一ステップだ。トランペット辺りが無難だが、人数が不足しやすいパートであるフレンチホルンや、頭数が必要になるが故に募集が多いフルート、クラリネット辺りも良いだろう。
特にフルートはほぼ女性パートなのでお勧めだ。男がやっているというだけで重宝される。
一方、チューバなどの大型楽器は高価かつ運搬が大変な上、せっかく楽団入団にこぎつけても「仲間がほとんど男」になるパートなのでお勧めしない。
社会人楽団は「未経験者お断り」のところがほとんどだ。練習がほぼ週末に限られる上、予算も団員からの団費だけで賄う必要があるので、初心者を教えている時間もお金もないからだ。
だから、「経験者」になるよう、音楽教室に行って演奏スキルを上げる必要がある。
通う期間は長ければ長いほどよいのは当然だが、長すぎても出会い目的から離れてしまうので、半年~1年くらいが良いであろう。
吹奏楽コンクールの課題曲レベルの曲が吹けるようになれば経験者としてみなしてもらえるだろうから、レベル的にはこのあたりを目標とすべし。
ここまで来たら手あたり次第募集中の楽団を探して見学希望を出す。
だいたいの楽団はホームページで今の在籍人数を記載しているので、そういう楽団に対してアプローチするのが良い。在籍人数が書いてない楽団は実際の人数が極端に少なかったりコンサートやコンクールでエキストラを呼びまくって体裁を整えてるなど運営に難がある団体が多いので避けた方が良い。
見学希望を出した後で楽器経歴を聞かれるが、その楽団から離れた土地にある学校で2年くらい吹いていたとかのレベルで適当に捏造するのが良い。
「離れた土地」というのがポイントで、社会人楽団は所在地域にある中学・高校のOBOG率が高いところが多いので、離れてない土地の話を捏造してもすぐに嘘がバレてしまうからだ。
また、見学と言いつつ、実態は「合奏練習にお試し参加する」だったりするので、その点は要注意だ。
いくつかの楽団を見学して、これはと思った団体に仮入団し、何度か練習に出ていけば正式入団だ。
正式入団までに狙いをターゲティングしておけば後はやりたい放題だ。
ただ、あまりに露骨だと通報されて退団の憂き目にあったりするからやりすぎ注意な。増田の観測範囲で実例が2つあってな・・・。
自分は三重県鈴鹿市出身で現在も鈴鹿市在住、幼い頃から鈴鹿という言葉に囲まれて育ってきた。
私の地元には鈴鹿と名のつく施設がたくさんある。遊園地、学校、山脈、企業、デパート等、様々な場所で鈴鹿という言葉が使われているが、それらはもちろん鈴鹿に縁を持つから鈴鹿を名乗っているわけだ。
そんな自分が同じく鈴鹿を名乗る、新進気鋭の俳優「鈴鹿央士」を見ると、どうしても「鈴鹿央士って誰に許可得て鈴鹿を名乗ってるのか?」と感じてしまう。
そもそも鈴鹿という言葉の出自は非常に古く、地名の成立から定かではない。
最も古いところでは日本書紀(西暦720年完成)にも鈴鹿の名は登場し、それでいうと我々鈴鹿市民は1300年以上鈴鹿という地名を守ってきたことになる。由来も鈴をつけた鹿がいたとか、鹿に鈴をつけて川を渡ったとか、古い地名によくあるように色んなふうに言われている。
だいたい鈴鹿をスズシカでなくスズカと読むのもその成立が古いことを表す証左だ。古代の日本では鹿のことを単にカとか、カノシシなどといった。もし令和の時代に鈴と鹿を使った地名を作るならスズシカだろう。でも鈴鹿市は1300年代々住民がその名を守ってきたからスズカと呼ぶのだ。
日本には他に鈴鹿という地名や鈴鹿と呼ばれる事物はない。正真正銘鈴鹿の民がずっと守ってきたからこそ、鈴鹿という日本語が存在するわけである。
鈴鹿央士に関して特段の説明は不要かと思う。それでも知らない人のために説明すると、彼は映画やドラマで広く活躍している俳優だ。最近だと2022年に大ヒットした木曜劇場のドラマ「silent」にも出演していた。要は期待の若手俳優である。
この鈴鹿央士なる人物がテレビに出てきた頃、自分はてっきり鈴鹿という名字は本名なのだろうと思っていた。しかし、名字は芸名で後からつけたものらしい。そうなると鈴鹿という芸名はやはり鈴鹿市に由来するような名前なんじゃないか?とちょっと期待してしまう。鈴鹿央士の芸名命名についてのエピソードがあるので紹介する。
央士が高校2年生だった2016年、ある映画のロケが通学していた高校で行われ、エキストラとして参加。その際、出演者の広瀬すずの目に留まり、広瀬がマネジャーにスカウトするよう進言した。
2018年、スカウトをきっかけに、東京の大学へ進学すると同時に芸能事務所に所属。広瀬すずの「すず」にちなんだ芸名として「鈴鹿央士」とした。
驚いたことにこの俳優は鈴鹿を名乗りながら鈴鹿市とは何ら関係がないらしい。ただ広瀬すずになぞらえて鈴がつく名前なら何でも良かったようだ。
鈴鹿の民が1300年守ってきた鈴鹿という地名、なんら鈴鹿との関係も持たない俳優が、ただ鈴が付く言葉なら何でもよかったという理由で自分の芸名として使っているのはなんだか釈然としない。
それに加えて情報汚染である。最近ニュースサイトでも鈴鹿が踊る題目をたびたび目にするようになった。しかし中身を開いてみると鈴鹿央士の話題である。テレビを見ていても「鈴鹿が〜」という話を聞くことがあった(日テレ系だったと思う)。なんだなんだとテレビを見るとこれまた鈴鹿央士の話題。鈴鹿と言うのに鈴鹿市関係なくガックリくる。
鈴鹿という言葉はこれまで我々鈴鹿市民が使い、我々鈴鹿市民のためにある言葉だったはず。どうして鈴鹿の地に関係のない人間の話題に吸い込まれないとならないのか。
鈴鹿市民だからといって鈴鹿央士の名にケチをつけるな、鈴鹿を名乗ることぐらいいいじゃないかというご意見ももちろんあることと思う。おそらく鈴鹿央士に対するこの憤りは、幼い頃から当たり前に鈴鹿という地名に囲まれてきた人間でないと通じない。なので1つ思考実験をしてみたい。以下はあくまでフィクションの話だ。
最近ハリウッドで新進気鋭のイケメン俳優がデビューした。身長190cm、ふわりとした金髪に青い目、スーツのよく似合う長い足は白人の特徴をよく表している。彼は芸名Mr. Japanを名乗り、現在もドラマに映画に大活躍している。
Japanを名乗った理由は意外だ。彼は学生時代、Justin Bieberに声をかけられそれをきっかけに俳優の道を歩むことになった。この道を進むきっかけになったJustinに感謝の気持ちを込めて、芸名はJで始まるものにしたいと考えた。別に日本に思い入れはなかったがJから始まる適当な単語でMr. Japanを名乗っている。
彼の活躍はニュースサイトでもよく見かける。「Japan映画が大人気!」「いま大注目のJapanに密着」。日本で生まれ育った私達が密かな期待を込めて記事を開くと、その中身はMr. Japanのニュースだった。テレビでもJapanの声を聞く。「Japanの演技は最高ね」「会ってみたいセレブはやっぱりJapanだよ」。メディアではもうすっかりJapan=日本のイメージではなくJapan=イケメン映画俳優になった状況に、日本で生まれ育ったあなたは深く溜息をつくのだった。
もしあなたが上記の思考実験でため息を付いた人物であったら、Mr. Japanに「誰に許可得てJapanを名乗ってるの?」と文句の一つでもつけたい気持ちになったりしないだろうか。そうであればその気持ちは今自分が鈴鹿央士に感じているものと同じものだ。
私は鈴鹿央士に特に攻撃的な感情があるわけではない。ましてバッシングしようとか活動止めさせようだなんてことは微塵も思っていない。ただそれでもやはり、鈴鹿市になんのルーツも思い入れもないのに勝手に鈴鹿を名乗っていることに、深い憤りを覚えてしまうのだ。
最後に、どうして携帯電話でスズカと入力して一発で鈴鹿と変換できるのか、それは鈴鹿市民がこの地名を大切にし守ってきたからこそなのだ。鈴鹿央士さんが鈴鹿市で1300年守られてきた鈴鹿という地名になんの思いも持たないのであれば、さっさと改名してもらいたいものである。