発話の内容が「過去」に起きて固定された出来事である「完了」した出来事でまだ流動的に持続していることなのか。それは結構重要な情報です。よってそれは文の頭に近い場所にある方が望ましい。
英語で、動詞にその情報を載せるのは、一般に英語の文において動詞が文頭に近い場所にあるからですね。一方日本語で、動詞にその情報を載せる慣習がないのは、日本語において述語動詞は文末に置かれることが多いからです。
よって日本語では、時制を表す副詞句などによってその機能を代行させてきました。
「I lost my key.」 については「3年前ここで鍵を失くしたのよ」
「I've lost my key.」については「今鍵失くしたの。」
持続を強調したい場合は、さらに補助動詞を補ったりする。「今、鍵を失くしててさあ。」
そんな感じです。だから
「日本人にその『感覚』がない」ということはないのではないでしょうか。古文における過去形と完了形にハッキリした違いがあったのかなかったのかと問われれば、それが英語の過去形・完了形とはまた全然違った意味合いで、ハッキリした違いがあった、ということは申し上げておきます。完了形にも、有意志と無意志、また生物に使う完了と無生物に使う完了も分かれてましたしね。それが消えたのは、最初に述べたとおり、重要な情報だけに文末に置かれると困るケースが増えたからでしょう。おそらく、貴族の時代から武士を中心とする時代に移り変わった頃にそうなっていったのではないでしょうか。
ついでながら、「楽しい5日間だったねえ」「や、まだ終わってないから」というツッコミは、現代日本語の動詞に完了と過去の区別がないことを利用した一種のジョークだと思っていたのですが、あれは真面目にツッコんでいるんだったんですか?
4泊5日の旅行、最終日昼過ぎになると、 「いやぁーそれにしても楽しい5日間だったね。まだ終わってないけど」 みたいなシーンがあるじゃないですか。 英語勉強してて思いつい...
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元増田です。なるほど、勉強になります。 確かに言われてみると、文頭の情報次第で、現在完了的な雰囲気を嗅ぎ取ってる気はします。 現在完了の『感覚』がないというよりも、現在完...
ドイツ語だと「過去形っぽい」表現は一律haben+過去分詞で表すんだっけな