はてなキーワード: 湧き水とは
WWFをはじめとする自然保護団体が、野生の生物を採取、売買しないように注意喚起しており、
多くの市民が啓蒙されている現状だが、それに対する天野尚氏(ADA創始者 2015年没)の見解が以下。
ADAは自社のギャラリーや雑誌等のメディアで数多くの水草レイアウト水槽を発表しているが、
天野氏はワイルドものに強いこだわりがあり、ネオンテトラやブラックネオンテトラ、小型バルブのような、
ほぼ安価なブリードものしか市場に出ないような魚種についても、わざわざワイルドものを使っていた。
―――熱帯魚を飼う楽しみの一つに繁殖というものがありますが、
天野 私も以前、ディスカスの繁殖をやっていたのですが、そうするとホルマリンなどの薬を水槽に入れるので、
なにか不自然な感じになるんですよ。しばらくして魚が全滅してしまって、やめてしまいました。
手を加え過ぎて、本来の野生の魅力が失われてしまったんですね。
生まれてくる個体が野生の個体と同じであればいいのですが、人工的に繁殖した魚は体色もどんどん
悪くなっているじゃないですか。繁殖はいけないということではなく、熱帯魚の楽しみとして殖やすというのも
非常に大切なことで、水槽で種を継続させるのも重要なことなんだけれど、それだけを続けていると
また、野生の魚を捕るのは自然破壊につながるからダメだという考え方もありますが、
野生の魚を捕らないと現地人は食べていけないんですよ。
皆さん、これを頭に入れてもらいたいのですが、魚を採取することが絶対に悪いことじゃないんです。
彼らは野生の魚を採取し、それで得た収入で生活しているんです。魚を捕らないと、彼らはジャングルを焼いて
作物をつくらなければならない。ジャングルが焼かれたら、今度は川が汚染されて魚が生きていけなくなるんです。
本当にジャングルを守ろうと思ったら、ただ魚を獲るなとか、植物を獲るなとか、人間を入れるなとか言うだけじゃ駄目なんです。
一番いい方法は、現地人が最低限の量の魚を採取して高い値段で売ることですよ。
また、ジャングルの自然そのものを観光資源として、観光客にお金を落とさせるようにすることで、
アマゾンの森では、樹木や低地のシダ類によって多くの雨水が保持され、その雨水が腐葉土に浸透して濾過され、
安心してちょうだい元増田ちゃん。あなたは死ななくていいわ。誤解なのよ。
あなたがどういう道筋でその“正しいヴィーガン”にたどり着いたのかはわからないけれど、私の知る範囲で(倫理的)ヴィーガンの主張のなかにその結論を肯定するものは無いわ。早まらないで。
功利主義に基づく倫理的ヴィーガンの観点から、あなたの誤解についてお答えするわ。
功利主義的には「苦痛の総量を減らす、または苦痛と快楽の収支がプラス(快楽が苦痛を上回る)になる」のが倫理的に良いことなのね。最大多数の最大幸福。
細かく言えば「苦痛と快楽」とは別の指標を用いた功利主義もあるけれど、動物倫理の場合はもっぱらこれ。
したがって、畜産において“飼育、屠殺による動物の苦痛”が、人類の得る利益(快楽または苦痛の低減)を上回る場合、“畜肉を食すべきではない”と判断できるわ。
逆に、動物の苦痛が人類の利益に比して十分に小さい場合、それは倫理的に許容されうるわ。
同上
ただし、たまごや乳製品はそれ自身が苦痛を感じる能力を持たないため、畜肉と比べると倫理的ハードルは低いわ。
例えばジャイナ教は非暴力が重要な教義の一つなので必然的に菜食主義だけれど、苦痛を与えずに絞った乳は飲むわ(ラクト・ベジタリアン)。
同上
衣料品の場合、動物を苦しめずに済む代替品が豊富にあるならば、あえて動物性の衣服を着るのは倫理的に肯定しがたいわね。
医薬品の場合、主に動物実験に関する問題ね。この領域は動物倫理的にかなりホットよ。
功利主義的な動物倫理においては、動物実験は必ずしも否定されないのよね。まあ論者にもよるけど。
動物実験における動物の苦痛と、完成した医薬品による人間の苦痛の低減。これの比較で後者が十分に大きければ正当化され得るってわけ。
もたらされる苦痛や死が“意思に反して”いるかどうかは、功利主義的には必ずしも重要ではないわ。
“意思に反”することで、苦痛がより増えるのであれば考慮に値するといった程度かしら。
例えば、糧を得る唯一の方法が狩猟であり、それをしなければ(人が)死んでしまう場合、狩猟による動物の殺害は倫理的に正当化され得るわ。
植物は(少なくとも痛みが神経系によって発生するという生物学的知見を踏まえれば)苦痛を感じないため、功利主義的には道徳的考慮の対象ではないのよ。
ちなみに、倫理的な考慮の対象となる立場を「道徳的地位(Moral standing)」と言うわ。
「何が道徳的地位を持つのか」というテーマは分野や論者によって異なっているわ。功利主義の場合、「苦痛を感じる能力を持つ」ことが道徳的地位を持つ条件ね。
厳密に言えば動物でも苦痛を感じない、例えば海綿動物(きわめて原始的な動物群。神経を持たない)、も功利主義的には道徳的地位を持たないと言えるのね。
また、道徳的地位は持つ/持たないの2択ではなく、強弱も存在しているわ。功利主義なら苦痛を感じる能力の程度ね。
例えばエビ1匹を殺すより、ヒト1人を殺した方が倫理的に悪いと判断できるわけ。
これは個々の人間にも適用でき、健常な成人を殺すより新生児や重度の知的障碍者を殺す方が倫理的に悪くない(もちろん両方悪いが、比較すればそうなる)。
功利主義者がリベラリスト(の一部)、特に障碍者支援者などから嫌われるのことが多いはこれが理由ね。
同上
命を奪うかどうかにこだわってるようだけれど、功利主義的に重要なのは苦痛よ。死は苦痛の一形態たり得る資格を持つというだけ。
自然破壊につながる水道水やミネラルウォーターを飲むべきではない わかる
んー?ここら辺は倫理的ヴィーガンよりも環境主義的ヴィーガンの主張に似てるかしら。
でも環境主義的ヴィーガンの場合、畜産や養殖(の一部)による環境負荷を語ることが多いから、ヴィーガンの主張としてはあまり見ないわねこれ。
水資源の利用による環境破壊はあるにせよ、この書き方だと曖昧過ぎるのよねえ。元増田ちゃんもうちょっと具体的にお願い。
なお、功利主義的に答えるなら、その営為で発生する苦痛が人間の快楽(または苦痛の低減)を上回らない限りOKってことになるわ。
地球温暖化に寄与している二酸化炭素は化石燃料などの地下資源由来で、地上で吸って吐いてした分はほぼ無関係よ。
陸上の炭素循環は(長期的に見れば)収支が釣り合っていたのだけれど、地下に封印されていた(炭素循環の外側にいた)分の炭素が放出されたことで、プラスに傾いちゃったわけ。
家計で言うなら年収200万円(手取り)で年間支出が200万のご家庭に、月々1万円の副収入が加わって年12万円の余裕ができましたって話よ。呼吸は年収に含まれ、支出は炭素固定(主として光合成による)で、化石燃料が副収入。
ちなみに、畜産による温室効果ガス放出(主としてメタン)への寄与はけっこうな割合(確かCO2換算で全体の約14~18%くらい)。あなたが牛ならゲップをやめるのは倫理的かもしれない。
全部わかる
あら?もしかして徳倫理学の方だった?功利主義は結果主義の一分野なので“気持ち”なんてほとんど関係ないもの。
徳倫理主義は、雑に言うと「動機が善ならば善」というもので、良かれと思ってやれば善であるっていう素朴な倫理なのよね。
最近は見直しが進んでるって話だけど、あまり勉強してないから詳しくないのよ。この分野。
呼吸し、水を飲み、命ある動植物を自然から奪い、貪る者は悪魔だ
みんな死のう
死なない者は悪魔だ
功利主義からはまず導かれない結論なので、やっぱり徳倫理主義なのかしら。
でも、良かれと思って“呼吸し、水を飲み、命ある動植物を自然から奪い、貪る”なら、徳倫理主義的には善なのよね。
ここまでは功利主義の観点から答えてきたけれど、やっぱり本人の倫理的観点も考慮しなきゃ片手落ちよね。
でも困った。元増田ちゃんがどんな倫理的基盤でヴィーガンになったのか、わからないわ。
最初の方の考えは倫理的ヴィーガンに対するよくある誤解またはジャイナ教当たりの非暴力主義とPlant thoを混ぜこぜにした感じ。中盤は環境主義っぽいけど問題視する部分がズレてるし不明瞭、後半はさっきも言ったけど徳倫理学っぽいけどなんか違う。
うーん、ネットからいろんな主張(誤解や曲解を含む)を集めてきてパッチワークした感じなのかしら。
ヴィーガンへのバッシング目的で書かれたなら「藁人形乙」で済むけれど、真剣に悩んでいるなら誠意ある回答が必要よねえ。
けっきょく“正しいヴィーガン”が何なのかはわからなかったけど、変な結論から脱却するための私的おすすめ方法を3つほど挙げてみたわ。
良ければ死ぬ前に試してみてちょうだい。チャオ!
辛いならヴィーガンなんてやめちゃっていいと思うの。割に合わないわ。もし心苦しいなら減肉食主義(Reducetarian)くらいから始めてみたら?
私も環境主義的観点(スパイスとして功利主義も一振り)からSemi-vegetarianやってるけど、あまり縛り無いから楽よ?
ヴィーガンからは偽善だなんだ言われるかもしれないけど、まあいいじゃない。自分が納得すればいいのよ。
(2) 勉強する
ヴィーガンやるなとは言わないけれど、何かしらの倫理的または論理的支柱がないと厳しいと思うの。
元増田ちゃんの考えを見るに、あまり一貫した基盤を持っていなさそうだし、環境問題についても詳しくなさそう。体系立てて学ばないと混乱して変な結論にたどり着いちゃうものよ。
いろんな視点、論者ごとに調べてみて、自分に合う立場のものを探してみるといいわ。まずは模倣からよ。
おすすめはピーター・シンガー。「すごいなあ。ぼくにはとてもできない」ってなるわ。
(3) 食生活的ヴィーガン(Dietary vegan)になっちゃう
食事だけヴィーガン。健康目的が多い。一番気楽なタイプのヴィーガン。動物倫理とかうっちゃってる(またはつまみ食い)。毛皮のコートも着ちゃうかも。時たまニセ科学に両足突っ込んでるから注意。
やめたいときにやめられるし、始めたいときに始められる。亜種として一時的ヴィーガン(Part-time vegan)なんかもあるわ。
「ちょっと一週間くらいヴィーガンになるかー」とかできちゃう。「それヴィーガンなの?」という気持ちに蓋ができるならおすすめ。
飼育、屠殺は動物を苦しめるから畜肉を食すべきではない わかる
同様の理由で動物を利用する衣料品や医薬品を使用するべきではない わかる
意思に反して命を奪ってはいけないので狩猟された肉や魚も食すべきではない わかる
同様の理由で採集することによって植物の命を奪う野菜も食すべきではない わかる
落ちた果実を採集することによって本来その栄養を得るはずだった生物の命を奪うことになるので食すべきではない わかる
自然破壊につながる水道水やミネラルウォーターを飲むべきではない わかる
地下水の利用は自然破壊につながるので湧き水は飲むべきではない わかる
川の水や雨水を利用するのは生態系に影響を与えるので飲むべきではない わかる
酸素を吸収し二酸化炭素を排出するのは生態系に影響を与えるので呼吸すべきではない わかる
全部わかる
呼吸し、水を飲み、命ある動植物を自然から奪い、貪る者は悪魔だ
みんな死のう
死なない者は悪魔だ
人生とは、誰かが当たり前のように価値を与えてくれていると信じ込んでいるほぼ大半の人間には絶対にこの映画の良さが伝わらないということ。
一度でも絶対に逃げられない瞬間に、奇跡みたいな偶然で救われた経験がある人間は、この作品をみたら共感が止まらないはず。
逆を返せば、世の中は、プロが絶対に失敗せずに当たり前のように高いクオリティを提供してくれると信じているバカが多すぎるということ。
プロは失敗をしないんじゃない。
失敗が絶対に表面に現れてしまわないように大半の人間が気づかないところでものすごい用意と努力をしている人間のことをプロという。覚えておけ。
与えられるものをひたすらに消化し続けて消費のプロになった糞市民には絶対に良さがわからない。本当に残念。
残念ながら、圧倒的大人数に期待されている中で絶対に先送りにできない本番一発勝負をしたことがない人間に、この映画の価値はわからない。
口では説明できないけど、あの瞬間のプレッシャーは味わった人間以外には絶対わからないと断言できる。
ただ、残念なのは広め方がクソ。まじで糞。万人が共感できる映画ではないのに、みんな絶対に面白い!とか、まじでクソ。
なによりも作品にすぐに価値を求めなきゃいけないこの時代本当にクソ。
アングラで、湧き水が岩を割るような浸透の仕方をしてほしかった。
お金にならないから仕方ないけど、でも、目先のお金のために歴史的価値を犠牲にしてしまったかと思うと本当に残念でならない。
この作品の歴史的価値は計り知れない。それを目先のマネーのためにテレビ局に魂を売ったのかと思うと本当に残念。むしろ悔しいまである。
でもこの映画最高。原案から脚本から撮影から、参加している全員の魂が一時の猶予も与えずそこかしこから滲み出し続けてて最高。
まじで涙が止まらない。報われる苦労があってよかった。それに尽きる。
いい映画ありがとう。それを安っぽいショービジネスにしてしまったTVうんこ。
発案者はあとの時代に絶対に名前を発掘されるから安心したらいいと思う。
そもそも金で売れる価値を持った作品ではない。金で売ろうとした連中だけが、ただただこの作品の価値を貶めているに過ぎないのだから。
JR東海:リニア中央新幹線 静岡県の同意なく着工を検討 - 毎日新聞
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新しく掘ったトンネルから水が湧いているのなら同じ分だけ地下水が減っている。それを川に戻さずに下水道か何かで海に流せばトータルで利用可能な水資源の量は減る。こんな簡単な算数もできない連中がドヤ顔で静岡県を叩いていてイヤになる。
b:id:keisuker まー減った分はポンプで戻してもらわないとね、静岡がんばれ、と思ったら違った。「今より川の水を増やせ!」と言ってる。相変わらず静岡は意味わからん。