はてなキーワード: 天皇とは
天皇にBUKKAKEしようぜ
俺はリベラルだけど、流石にあれはないと思う
天皇に火をつけていやこれは美術館に燃やされたことを表現したアートなんですは通らない
逆に、百田あたりが慰安婦の写真燃やしてこれは戦争が終わった時に焼き殺された慰安婦の怒りを表現してますとか言っても通らないでしょ
ましてやそこに税金使われてんだよ?あり得ないよ
あいちトリエンナーレの件。いろいろ論点はあるがとりあえずこれについての違和感を書く。
フィフィなどが言っているこの意見。多くの共感を集めているが、コーランとの類比には無理がある。
この発言は戦前の国家神道を彷彿とさせるカルト的な考えの表出に見える。
天皇を現人神とする国家神道を前提しなければ、こんなことは言えないはずではないか。
天皇制は、少なくとも表向きは、宗教ではないということになっている。
それなのになぜ、昭和天皇の写真がコーランになぞらえられるのか?
それは天皇を人ではなく神のようなものだと考えているからではないか?
Piss Christの例もある。
https://freespeechdebate.com/ja/case/小便キリスト/
少なくとも宗教的権威を例に出しても議論は終わらせられないということは言える。
現代アートについてろくに調べもしていない、感情的な反応の域を出ないだろう。
しかも、(1−1)で確認したとおり、天皇は宗教的権威ですらないのだ。
天皇も一人の人である。その写真を燃やすことは関係者を悲しませる。
これは(1)とは真逆だ。(1)は、天皇を宗教的権威として扱っていた。
これに対してここでは天皇は人として扱われている。
この意見を真に受けるなら、すべての人の写真を燃やす表現はNGだということになりそうだ。
本当にみんなそう言えるか? たとえば元彼の写真を燃やすようなドラマの表現はNGか?
しかもそれはすべての死者にまで拡張して適用されるべき基準なのか?
まして、天皇は人ではあるが、ただの人ではない。
建前上は政治的・宗教的な力を持たない象徴ということになっているが、
実際にはどう考えても権力を持っている。
(今回こんなに大きな問題になっていることがそれを証明している。)
非常に特殊な立場の人であり、しかもその特殊さは権威に結びついているのだ。
天皇制の廃止は主張しないが、通常の人と同じロジックが適用できるかは怪しい。
また、なぜあなたが勝手に家族の代わりに傷ついているのかもわからない。
現上皇や天皇が悲しみを口にするなら、ある意味では理解できる。
(ただし、その場合はその権威の大きさがゆえに別の問題が生じるだろう。)
それに合わない人を抑圧・排斥しようとする人が多数派になりつつある現状には、
それを排斥することは多数派の福祉、あなたの福祉ではあっても、公共の福祉ではない。
こういうときに「国益」という言葉が使われるのも恐ろしい。何が国益かなぜあなたに分かるのか。
「非国民」が投獄されるような社会まであと一歩、いや、半歩の距離しかないだろう。
税金使って天皇の写真を燃やす展示をしていいわけないだろ。馬鹿が。
「表現の自由」がどうとか「憲法違反」がどうとか、「ヘイトスピーチ」の定義がどうとか、
賢しらに理屈こねくり回して物分かりのいい大人ぶってる奴らとか大嫌いだわ。
子供でもこれが悪いことだってわかるのに、なんでこんなに擁護している大人がいるの?
政治的中立性を求められる場(テレビ放送など)では「政治的偏り」はたしかに問題だが、それ以外の場ではいくら偏ろうが問題にはならない。個人的な好悪とは別にしてね。
「政治的偏り」が問題になるというのは、「多数派の政治的主張」以外は犯罪になるということであって、そんな世界は自由であるとは到底言えない。
構図としては「ヘイト」が「政治的偏り」を隠れ蓑にしている場面の方が多い。「政治的偏り」には当然「表現の自由」が適用されるからね。
ちなみに愛知のアレは…「ヘイト」ともまた違うと思う。津田個人に関しては「悪ふざけ」の域を出ないだろうし、まあ彼の主張が「ヘイト」と断じられようがどうでもいいんだけど。主催者と作品の製作者の主張はまた分けて考える必要があるので。
まず慰安婦像に関しては、普通に「政治的偏り」であって「ヘイト」ではないでしょう。同意をするかどうかは別として。
それから天皇の写真については、これは富山県立近代美術館絡みで色々背景があるらしいので、「過激」ではあっても「ヘイト」とは違うと思う。その過激さに悪感情を持つのは人間として当然だとしても。また故人に名誉毀損が適用されるかというと微妙だし、さらに天皇には人権がない(これは日本国憲法のシステム上の仕様)のでさらに微妙。
あれ、多分、写真から推測される年齢的にいって、「大日本帝国憲法における大元帥陛下」の写真であって、「日本国憲法における日本国の象徴」であるお方の写真じゃないんじゃないかな?
ま、同じ人ですけど。
あ、あと竹田某とかいう明治天皇の女系のやしゃごにあたる生まれながらの平民の人が「御真影ガー」とか言ってたけど、あれは論外。
明確なプロパガンダ
「政治的に一番ヤバいことをやる」「天皇に火をつけてるけど二世代前なら問題ない」など言っている。
特に前者の発言が重要。「政治的に一番ヤバいこと」という目的意識がそこには表れてる。
さらに、当初学芸員が選んだアートを津田が却下して選びなおした(その際、盟友である東の関係者も多く含んだ)こともある。
津田による、津田とお友達のためだけのプロパガンダ。それが表現の不自由展。
さらに言うなら、「表現の自由が侵害された年表」にも左側が侵害した例は全然掲載されてないことが有志の調査で明らかになっている。
https://twitter.com/sPOBXWeNVX4wvlC/status/1158333013446418432
津田「ただー、これの炎上はね、男女平等(あいちトリエンナーレのアファーマティブアクション)とかじゃないくらいの炎上がおそらく起きるとおもうので、大変なことになるだろうなーと思ってます。ま、今から・・どーしようかな?みたいな。今だから僕、アマゾンにいって、防弾チョッキとか(笑)あのー、ナイフでブスッと刺されても大丈夫なように、いちおそういうの、やっとくかなーみたいな」
聞き手の女「備えあれば憂いなしみたいな」
https://twitter.com/sPOBXWeNVX4wvlC/status/1158323058651758592
津田「まあ現物を、公立美術館で撤去されたものを、表現の不自由展っていう展覧会を持ってくる体にして全部展示してやろうっていう(笑)そういう企画で。おそらくこれみんな全然気づいてないんだけどこれが一番ヤバい企画になるんすよ。政治的に」
東浩紀「・・やっぱりー、・・天皇が燃えたりしてるんですかぁ?」
津田「まー天皇というのが一つタブーになって撤去されるという事例がある。それは広く知られているので、それはこの展覧会のモチーフになる可能性は、(小声で)あります」
東「ええええっ!こんな令和でめでたい時に!?」
(中略)
津田「(ニヤニヤしながら)二代前じゃん!」
「俺は芸術監督として指名されただけで決めるのはあくまで実行委員会だ」という責任逃れとも取れるふやけた弁明を先週末ラジオに電話出演して話していた津田だが
この動画を見て記者会見の時の憔悴した津田とだいぶイメージ違って浮ついてるなあと思った。この展示をぶっこむことのリスクを本当に正しく把握はしてなかったんだね。
ネトウヨを挑発できておもろいやんくらいには考えてたことは上の動画から明白
電話対応に追われてメンタルがやられつつある職員を見てこれは無理だなと津田は思ったそうだが、正直これくらいの抗議が来ることは当然予想しておくべきだし、そのつもりでやってたのだと思ってた 3日で引っ込めたというのもそのへんの腹のくくり方の甘さから来てたのだと苦言を呈されてもしかたないんじゃない?
せっかくここまで盛り上がったんだし、お馬鹿な表現の自由戦士(笑)のネトウヨに致命的一撃加えるためにも、更に天皇の肖像画でも燃やしたり国旗でも燃やしたりNONOJAPANのポスターでも飾って表現の自由聖戦士(真)の力ではびこるネトウヨを燃やし尽くしてほしいなあ
そうなんだけど、でもガソリン持っていくっていっちゃったのたぶんパヨ側さんなんで一枚岩じゃないし自滅して馬脚を表してる
これもサヨっぽいものはひっかかるからプロパガンダというだけで自分に近い側のは普通に芸術としてひっかかりなくみられる
そしておそらくどちらも実物を見た上での判断ではない
実物を見た人の1人は慰安婦は多少同情的、それより天皇からかってるほうが不愉快な表現だったといってる
慰安婦も天皇もどっちにもやるのはウヨサヨ両方にひっかかるようなデリケートな表現になる。
よほど無責任で共感能力のない人でないと不愉快になる事態は避けようがないのかもしれない。
だからこそ表現が不自由(規制された)経験をもってるんだろう。
そういう芸術家をあつめて敗者復活戦をやるにも時期が悪かった(ホワイトリストや徴用工)し
それでもやるなら内容がデリケートなりの表現方法の工夫や覚悟をしないといけなかった(後付だけど)。
とか。
あいちトリエンナーレの「表現の不自由展」の存在をはじめて認識したのはとあるツイートがきっかけだった。
「芸術展を称して昭和天皇や安倍首相を侮辱している!こんなの許されない!」というような論調のものだったように思う。
公金が投入されていることを知った。
『うわー大丈夫なのこれ、よくないんじゃないの』と思った。
その一方で、炎上が大きくなっていくことについては少し白けた目で見ていた。
語気の強い発言を見掛けるたび、『極右の人はよくこんな怒れるな』『ほんと宗教みたいだな』と思った。
作品群がそれぞれ既に展示中止になった経緯のあるものであることを知った
『そういうコンセプトの作品展なら、まあわからなくもないな』と思った。
『ツイートでは反日作品ばっかり取り沙汰されてるから気付かなかったな…ツイートが恣意的なものである予感はしてたけどこういうことか』と思った
『極右の人ってよく市民の反発感情煽るためにこういうデマ流すよなぁ、だから嫌いなんだよな』と思った。
『でも天皇の写真を使った作品を燃やす様子を撮影した作品、はあるみたいだ。メッセージ性はわかるけどなんか嫌な作品だし肯定したくはないな』
『とりあえずこの件について騒いでる人、左右どっちとも関わりたくないな』と思った。
「表現の自由があるからって好き勝手するのは許されない!」みたいな論調の発言を見掛けた。
『そうだよなぁ』、と思いかけて、ふと気になった
『表現の自由戦士を名乗っていたオタク、今どんな反応を示しているんだろう?』
「表現の自由の元ではエログロも韓国へのヘイトスピーチも今回の作品展も等しく自由であるべき」というようなことを言っていた。
『おお、この人は主張が一貫してるんだな』と思った。
「アニメや漫画の素晴らしい表現とこんなクソみたいな表現を一緒にするな」みたいなことを言っている人もいた
『これはダブスタだなぁ』と思った。
『極右の人ってほんと気持ち悪いな』『これって政治家が直接働きかけなくとも、自分の支持者に運営者を脅迫するよう仕向ければ気に入らない表現を規制できてしまうんじゃないの』と思った。
名古屋市長が展示中止に向けて動いていることを知った。
『これで本当に中止になったら、"国民の要望を受けて"と言う形で行政側が表現を規制することを容認した、ということになるよな』と思った。
『同じ論法でエログロやコミケが規制することもできちゃうよな』『オタク達こそ表現の不自由展を擁護すべきなのでは』
『そもそも"行政が支援すべき良いアートと支援しない悪いアートを区別する"ということ自体、なんか変なんじゃないか。それと"自分達に親しい身内や仲間と、そうではない大多数の国民を区別する"という事とで、何が違うんだろうか』
『今更か、でも割と真っ当なコメントだ。"ただし"以下は自民支持層の方への配慮が見られるが、立場上仕方ないだろう』
『"クローズドな場所"、確かにそうだ。自分から足を運ばなければ目にしなくても済む今回の作品群と、やはり町に出かけるだけで聞こえてくるヘイトスピーチは並列して語るべき物ではないよな』
そんなことを考えている間に、国民達による脅迫の甲斐あって作品展が中止になることを知った。
『あーあ』と思った。
その上でもう一度開催すればよい。私は今回の作品群を好ましく思わないし、作者を軽蔑さえするが、脅迫によって表現が規制に追い込まれるのは大変危険な傾向だと思う。
今後逮捕されなければ、脅迫は極右政治家の差し金であったと判断せざるを得ないのではないか。流石にそれはないと信じたいが…。