はてなキーワード: 喫茶店とは
喫茶店でコーヒー2杯飲んだら、会計では3杯飲んだことになってた。
店に電話して、明日余計に払った分を受け取りにいくことになったわけだが。
そのとき、もし詫び料としてコーヒー無料券とかを店に差し出されたとしたら、
それをうまく断りたいのよ。
差分だけもらえりゃいい。
これからも、よく使うだろう店だし。お詫びとかもらうの気まずいじゃん。
店から差し出された時に、スマートな断り文句があったら教えてください。
★追記(というか結果)
愚かな俺の杞憂だった。
先方からは寸志のすの字も出ず、サラッと差額243円(コーヒー2杯目以降半額)だけ返してもらった。
指点字。
君の 条件を 全て 満たして いるよ。
最初わ 無理だと 思いました。 ところが 1週間、 3か月、 半年、 1年後……
0円です。 ルールわ ウェブに 載って います。 「指点字」と 検索 して みましょー。
家、 美容院、 レストラン、 手洗い、 馬乗り所、 居酒屋、 社寺 仏閣、 山、 会議室、 病院、 コンビニ
電車、 美術館、 飛行機、 バス、 タクシー、 学校、 バー、 結婚 式場、 鍼灸院、 役所、 喫茶店、
日本国で 暮らす 99%の 人わ 指点字を 知らないし、これを 認識 できないからです。
透明な 指と いえば いいのでしょーか。
追記の最後の一文で彼女がバイトであることがはっきりするが、追記無しでも読み取ることは可能ではある。
エンベロープというのはおそらく、いわゆるカップスリーブのことだと思われる。スターバックスコーヒーのような業態のショップではコーヒーは紙コップに入れて出される。熱いコーヒーが入った紙コップは素手でもてないのでボール紙などが巻かれる。これがカップスリーブだ。「コーヒーを買いに行って、つまらん冗談を言ってから職場に戻って来る」という表現から、さほど時間がかかっていないことが読み取れるので、つまり飲んできたのではなく淹れてもらったものを買ってきたのだと判る。あまり知られていないことだが、コーヒーショップではテイクアウトでコーヒーを買う場合、紙・プラカップ以外にも、持参したタンブラー ーー 水筒のこと、に入れて貰うこともできる。タンブラーの可能性は排除できないが、その場合エンベロープが何を指すのかがわからない。コーヒー屋で封筒を貰うことはないし、元増田が例えば革製のドキュメントケースを持って行ったとしたらこれをエンベロープと称するのは妥当ではあるが、この種のケースは構造が封筒そのものなので、フラップが邪魔をして内側にメモを入れるのは難しい。ただそれが成されたとしても、「メモを挟む」という表現は似つかわしくないだろう。エンベロープという言葉を説明なしに使っていることから、それは解説を要する程には特殊なものではなく、その状況では自然に在るものだと思われる。「美少女ではないから」などと予想される読者の反応にあらかじめ対応できるほど慎重な筆者が、その点をおろそかにするとは考えにくい。
加えて、最初の一文も読解の重要な手がかりだ。「常連なので顔が覚えられているどころか、数分程度なら会話もする位には仲良くなってる店員さんも何人もいる。」高校生が客の一人なら、この一文には意味がないが、店員なら、仲良くなっている店員のそのうち一人が… というように話の背景を説明するよい導入になる。後に出てくる「日々の雑談」という表現は、日本には他人たるお客同士でフランクに会話するような文化が根付いてないので、もし突然出てきたら面食らうが、最初の文に対応していると考えると、これも引っかかりなく読める。
以上の理由により、高校生は店員、という仮説がもっとも妥当な解釈だと思う。喫茶店の利用シーンに明るい読者はその筋を読み取れるだろうが、多くの人には無理だろう。別に読めなくともアホではない。
追記・偉そうに長々書いてしまったが、俺の読解力では「初々しい」のがどちらなのか自信を持って言えない。ところで今日はコーヒーに関する話がよく出てきますね。高校生、コーヒー・ウスメターノ、馬の小便… どういう星の巡りだ
漫画なら女子高生が部活で延々ダベっているだけ、のような作品は盛りだくさんなのだが、昨今の俺は活字を読みたい気分なのである。
それでいわゆる「日常の謎」系ミステリを読んでいたんだけど、これがどうにも平穏でない。どうやってホットココア作ったんだみたいなほのぼの展開はごく一部だ。やれ同級生に軟禁されるだの、やれ放火されるだの、喫茶店では不倫騒動に巻きまれるだの、学校の壁に死体が塗り込まれてるだの、動物園に勤めてたら違法ペット販売業者が出てくるだの、古本売って階段から突き落とされるだの、楽器吹いてたら麻薬取引見つけちゃうだのといった血なまぐさい作品のなんと多いことか。
今こそ全ての増田民に問います。登場人物が危機に晒されない、恋愛で関係性がガラッと変わったりもしない、ただただ起伏なくフワフワと楽しくて読んでいると気分が良くなってくような、日常系の小説って存在しないの?
デートムービーはクソ映画の方がその後喫茶店とかで盛り上がれるからええんやぞ。
サン・チャイルドという放射能防護服に見える服を着た子どもがヘルメットを脱いで前を向いている作品が
JRの福島駅前(駅の喫茶店からもしっかり見える位置)に置かれる事で批判を受けているようだ。
この件について現代アートに限らず作品の解釈には多様性があるし、
必ずしもあの作品は福島の人達を傷付ける物では無いと自分は思っていた。
だから作者の主張を読んでみようと思った。作者自身の作品に関する説明は作者も否定出来ない物だと自分は思う。
http://yanobe.hatenablog.com/entry/2018/07/04/213853
黄色い放射能防護服を着ていますが、ヘルメットを脱いで左手に抱え、顔に傷を負い、絆創膏を貼りながらも、空を見上げて逞しく立っています。胸のガイガー・カウンターは、ゼロを表示しています(註)。
子供は未来を表しており、それらは放射能の心配のない世界を迎えた未来の姿の象徴でもあります。そして、右手に持つ「小さな太陽」は、次世代にエネルギー問題や放射能汚染が解決される「未来の希望」を象徴しています。
(註)この度の福島市での設置にあたり、衣装と胸のカウンターがゼロであることが、誤解を招くとのご意見が出ております。作者は、(略)空間線量がゼロになるという理解はしておりません。
http://www.yanobe.com/20180810_KenjiYanobe_Statement.pdf
そして、どんな困難にも負けず、凛々しく逞しく立ち上がる子ども像を制作することで、
2011年当時、社会に漂っていた暗雲を振り払えるように願いを込めました。しっかり空を
また、大気が奇麗になったことを表すようにヘルメットを脱いで深く息をし、胸のカウン
ターは安全を示すゼロになっています。もちろん、自然放射線があるので、空間線量がゼ
ロになることはありませんが、「原子力災害がない世界」という象徴的な意味を込めました。
そして、右手の小さな太陽は、新たなエネルギーや未来の希望を表しています。
また、衣装は「防護服」のようではありますが、巨大な問題に立ち向かう甲冑であり、宇
それでも、今まで簡単には受け入れられないなーバスな作品であると率直な意見をいただ
くこともありました。また、作品解説の際、「防護服」や「ガイガー・カウンター」と簡略
化して説明してしまったことも誤解を受けてしまった点だと反省しています。「放射能」に
対する知識の正確さが、震災前と比較にならないくらい求められていることに配慮すべき
でした。
ここら辺の文章を読む限りはサン・チャイルドが「放射能の心配のない世界を迎えた未来の姿」として作られている事は
しっかり作者自身が認めているように思う。でもそれは「今の福島」は「放射能の心配のない世界」じゃないというメッセージにしかならないのでは?
「今の姿」と言えばいいのをわざわざ「未来の姿」と言ってしまうと「今の姿」が「未来の姿」とは違うのだと
暗に示している事になってしまう。像の設置に反発する人達が一番嫌がるのはそのメッセージであり、福島の風評被害を助長するのもそれだと思う。
今の福島が放射能の心配が無いと科学的に厳密に厳密に言いきれる訳では無いが
一方で今の福島の人達や作物に放射能の影響があると言いきれる訳でも無いだろう。
結局作者はその2つの主張の中で前者を取ってしまっている訳だ。
差別を理由に今まで世間で取り下げられてきた作品の作者達だってちゃんと「差別対象となる人達を否定していません」と言ってる例が
多いんだからサン・チャイルドの作者だって口では「今の福島も放射能の健康的被害はありませんよ」って言っておけばよかったのに。
「未来の世界」が「自然放射線があるので、空間線量がゼロになることはありません」だとなると
科学的に今の空間線量が「自然でない放射線によって」問題だと言ってるように読めてしまうのだけど…
はてブで「線量計を実際の線量計にすればいい」という意見を見かけたが
それを作者がやらないのも「今の姿」ではない「未来の姿」を描きたいからなのかもしれない。
個人的にはこういう今の福島に風評被害を撒く作品を作るのを法で取り締まれとまでは言わない。
作者の文章を読む限りはどうも「防護服」が格好いいと思ってるかもしれないし実際にその動機を持ってたとして
自分はそれを否定したくはない。ただそれは福島とあまり関係ない場所でやって欲しい。
駄目だな。会社終わって子ども寝かしつけてお風呂入って洗濯してようやく落ち着いても、もうブログ(的なもの)を書く気が起きないわ。午前中、会社のデスクでパソコンと向かい合っている時は色々と書きたいことが湧き上がってきて思考が飛びまくる(?)感じなのに。これはもう、あと10年くらいは自分の雑感記録(ブログ)なんて書けないのかも。
ていうか、そもそも疑問なんだけど平日の日中になぜブログ及びはてなブックマークに動きがあるんだ?皆、仕事中に堂々とデスクでブログやはてなブックマークやってんの?周囲の目線は気にならないの?あれか。営業さんみたいに外に出られる人か。喫茶店に入って仕事もせずにブログ書いたりブックマークしたりしてんの?羨ましすぎる。