母親が所謂「萌え」系アニメに強い嫌悪感を抱いていることはうすぼんやりと気付いていたが、自分が学生の頃にそれが確信に変わった。
ある冬の事、NHKのニュースで鷲宮神社が取り上げられたことがあった。若者に人気のアニメ「らき☆すた」の舞台の一つとして、大勢のファンが参拝しているという話だった。
オタクの聖地巡礼スポットだっただけに、境内に飾られていた絵馬はイラスト付きで推し(当時の言葉で言えば嫁)への愛を訴えるものが多くあった。
その映像が流れたのはほんの数秒だった。しかしたったそれだけで、お茶の間が凍り付いた。冷気の発信源はまぎれもなく母だった。
その時に、母にも地雷があることを知った。
幼いころからジブリやディズニーを見せられて育ち、食事中のアニメ鑑賞なども割と寛容だった母だっただけに、あの凍り付きっぷりは印象的だった。
その数年後も、初音ミクがライブを成功したというニュースを観て大量の冷気を放っていた。ミクちゃんのライブ成功の報道に内心喜んでいた私には結構ショックだった。
冷気は重い圧の様にのしかかって、初音ミクの話題を出すことを避けさせた。
そのせいか、十数年の月日が経ち、一人暮らしをするようになった今になってもアニメを観ていると母に品定めをされているような気持ちになってしまう。
このアニメは母に受け入れられるアニメなのか、そうでないのか。そんな目でアニメを観てしまう時がある。
今期もメイドラゴンSの作画のクオリティや演出などにテンション爆上がりしながらも、脳内の母に散々言い訳をしている自分がいた。
いや、違うんだお母さん。イルルの体型は精神的な幼さに反してドラゴンとしての実力を十分に持っているというアンバランスさを表した姿であって決して原作者のフェチだからという理由だけでは語れないものがあって……
そんなことを頭で反芻していると、アニメを一話観ただけでもドッと疲れてしまう。
ここまで散々脳内の母に言い訳をしてきた私でも、母に理解を求めているわけではない。理解よりも共生を望んでいたんだと思う。
仮に母の嗜好にそぐわない作品が紹介されても、それが好きな人達もいるよね、と話せる間柄でありたかった。
母の冷気のように噴射する圧は私にはとても居心地が悪く、何よりそれが無性に寂しかった。圧で沈黙させるのではなく、対話で互いの落としどころを見つけたかった。
メイドラSの終盤のシーンを思い返しながら、何故だかそんなことを思った。