はてなキーワード: ブルジョワジーとは
以下の様な条件で思考実験をするとする。
こういう前提条件で、
という決議がなされたとしたら、それは9:1の賛成多数で可決されるだろ。
これを繰り返せばこの村のほぼ全員を奴隷にして財産を接収することが可能になる。村人個人個人は、その多数決のたびに、利益を最大化した合理的判断をしているにもかかわらずひどい目にあう。
http://anond.hatelabo.jp/20151229131412
増田の信奉する「多数決」なんてものはこの程度のガバガバなシステムにすぎないんだよ。
コミュにおいて、誰が多数派なのか? なんてのは統計の切り取り方のようなもので、条件によってたやすくどうとでもなる。上記の連続実験では、例えば月収12万円とか低所得であった村民ナンバー12番さんでさえ、どこかのタイミングでブルジョワジーとして断罪を受ける可能性があるわけだ。
収入だけではない。背の高さ。出身地。名前の文字数。今年見た映画の本数。テトリスの点数。どんなものでも、コミュニティを多数派と少数派に切り分けてみせることは可能だ。
だから、コミュニティの運営(=政治)において、多数派は少数派にたいして最大限の配慮をしなければならない。「いつどのような狂熱に巻き込まれて自分が少数派になるかわからない」という謙虚さと真摯さを持って、少数派の声に耳を傾けて話し合うべきだ。
政治決定の少なくない割合が「時間をかければかけるだけ事態が悪化する」という特性を持っているから、どこかで結論を出すためのストッパーは必要だ。多数決は上の実験でも示したように欠陥だらけだけど、現状、日本の意思決定システムではこれよりマシな結論決定のためのストッパーがないので採用されている。でも、それは、必要悪なんだよ。もし可能であれば、少数派の意見を聞き納得を得たうえで、全員合意のほうがずっと良いに決まっている。
もちろん、その種の話し合いは面倒くさいし、時に苦痛を伴う。徒労に思えるし、さっさと多数決で決めちまえよ。たかが数%の参加者の言うことで全員の時間を無駄にするなんてかったるいし最悪だぜ、って思うかもしれない。でも、それでも、面倒でも毎回時間をかけて、できるかぎりは話し合って互いに納得できる落とし所を探るべきなんだよ。
人件費、わかる。わかるけど、カット5k~8k、カラーは単色なら5kくらいだけど色抜けば+3k、ローライトやハイライトは1ホイル(要するにひと塗り)で+1kが加算される…………
それでパーマでまた5k~、トリートメントガン推しされて1k~5k(これは断ればいいけど)、挙句アミノ酸由来の洗浄成分のシャンプーはたった150ml程度で3k、ヘアオイル、ヘアスプレー、ワックス等々大体3kから。
さらにさらに最近はトリートメント効果のあるドライヤーなんか売り出しちゃったり。
様になる髪型にするだけで最低二万円、て厳しくないですか。ブルジョワジーかっつの。
上位四分の一くらい可愛い子ならカットモデル(安くなりますよって声掛けられる実験台のやつじゃなくて本当のカットモデル)でただになるけど、普通の髪型を維持するだけでこれって厳しいよなぁ……実際どうなんですかね美容師さん。
共産趣味者ってのはさあ、なんつーかさ、思想的に非常に悪い意味でステイブルでニュートラルだよな。
すげえ自分は安全なところから、左翼的な部分に言及する。思想的に安全なところからさ!
「私はノンポリでぇ~す!!左翼的なものとは元来は関係ありまっせーーんッ!」って。臆面なく言えちゃう。だから共産趣味者を標榜できる。
そんなものを一切考えなくてもいい。21世紀の現代はな。そんなものを考えなくても生きていける。
もちろん、貧困や格差はある。だがそれをブルジョア的、プロレタリアート的、あるいは階級闘争と引きつけて考えなくなっている。
だからこそ、ふわりと共産趣味者が現れる。ブルかプロか? の埒外からの「観察者」が現れる。
共産趣味者でも、こうした構造に自覚的な者はまだわかる。というか趣味者を生産的にこなせている。
しかしこうした構造にあまりに無頓着に共産趣味者を標榜する人間、すなわに勉強全然してない表面的な語彙的面白さで趣味者をやっている人間が多すぎる。
「崩せば良いだけ」って、絵に描いたモチは食えませんよー
無理に決まってんじゃないですか
出来たら苦労ないってお話ですよね
仮にものすごい奇跡が起きて、それが出来たとしても更に悲惨な未来しか待ってないしねー
妄想って簡単だよねー
金持ちの金持ちによる金持ちのための資本主義はそうそう崩れないっすよ
大体その、ブルジョワジー憎しの思想だって一世代前のバカどもの劣化コピーじゃないですか
マルクスすら読んでないだけ、もうあの時代のバカどもより更にゴミじゃないですか
そんなんでなにをしようっていうのかねー
まぁ、資本主義が崩れることを祈って一生を終えるってのも良いと思いますよ
カネの稼ぎ方を考えてもどうせ無駄なんだし、どうせそれくらいしか出来ないしね!
祈って祈って祈りまくれば金の鎖と女の子が降ってくるかもね!
民俗学の先輩が言うには魔術や呪術の類いは人の願望の産物なのだという。どうしても欲しいけど手に入れられないものがある時、
人は魔法でも使えたらと独り言ちる。中には本当に禁断の書物を繙いて(ひもといて)しまう人もいるのだから驚きである。
日本では言霊という概念があるね。これは西洋には全く見られない独自の思想というふうに言われるけど、根っこは一緒なの。
どうしても呪いたい人がいる時オンソワカ~フンヌラバ~と呪いの言葉を繰り返していると相手にダメージが与えられないかなと願うわけ。
そういう血なまぐさい思想や技法体系は何も陰陽師さんに限ったことではなくどこの国にもある。シャーマンだってそうだ。
ただまあ現代ではそういうのは流行らない。原初的な人間文化の形態ではあるが、成熟した文化は魔術性を封印していく傾向にある。
いわゆる土俗的な文化であれその例外ではないのだよ。原住民というといつまでも魔術とかまじないとか信じてると思ったら大間違い。
なぜ流行らなくなるかという時に科学が進歩するから胡散臭い文化は排除されるというふうに説明する人がいるね。これも矛盾した説明なんですわ。
最初に言ったでしょう。人の願望の産物だと。願望がある限り魔術は生き続ける余地がある。けれどもその願望というもの自体が流行らなくなったら?
そういうことを考えてみたことはあるかね?文化が成熟して利便性が向上することで泥臭い願望というもの自体が流行らなくなる。そういう話なんですわ。
魔術と混同されがちなのがスピリチュアリズムである。これは似て非なる代物と言って良い。魔術は欲望モロ出しのおっぴろげなのに対して
スピリチュアリズムは着衣エロティシズム略して着エロでね。着メロじゃないぞ。表向きは隠すの。つまり魔術が人の願望が生み出したモンスターだとすれば、
スピリチュアリズムというのは願望をうまく手なずけ善い生き方をしようという思想(これもまた願望ともいえるのだが)が生み出したモンスターといえる。
しばしば現代スピリチュアリズムの元ネタとして言及されるのが19C前後の西洋神秘思想(occultism)であるが、なるほどそこまで遡ると
確かに多分に中世からの魔術思想に源流が認められるところはある。まあ似てるんだけど、そもそもの発想が違う。
魔術は願望の成就を目指すのに対してスピリチュアリズムと来たらどうだ、願望のコントロールを目指すのだ。スピリチュアルやね。
で、権威的な話をすると魔術とスピリチュアリズムの関係は、支配者と奴隷の関係に似ている。魔術のほうが支配者ね。魔術を使って支配するのではない。
魔術っぽさがここでは肝心なのね。何も魔術なんか実在しなくたっていい。それっぽさに一部の人々はカリスマ性を感じるわけ。ここに芸術の魔術性がある。
一時代の音楽家たちに影響を与えた書物、ピーター・バスティアンの『音楽の霊性』に書かれていたことも結局はそういうことだった。
支配と芸術の関係性を理解しているかどうかは重要よ。支配者は魔術師でありながら奴隷たちには魔術ではなくスピリチュアリズムを勧めるの。
結局これって権力というものを普遍的に語る1つのフレームワークだと思うんだけど。プロレタリアートとブルジョワジーの関係だってそう。
安い鶏肉→臭みがなくサッパリしてて美味しい。一番登板頻度が高い。でも傷むのは早い。小分けして冷凍がオススメ。(追記だけど増田が買ってるのは全部国産鶏肉だよ。国産でも胸肉50円もも肉90円くらいで売ってるし。)
高い鶏肉→食べたことない。どこに売ってるの?牛肉ぐらい値段で味変わるのかな?それなら肉の中で一番美味しくなるのでは。
安い豚肉→普通。脂身の多い肉は多少臭みが気になるけど、下味付ければいける。ただ少しでも厚いと硬さが気になる。
高い豚肉→かつくらの高い方のヒレカツ美味しい。これ本当に同じ豚肉なの?って思う。ロースも美味しいけど肉っていうより脂の美味しさかなと思う。
安い牛肉→硬くて獣くさくて不味い。よく安いステーキ肉を高級ステーキにする裏技!とかあるけど成功したことない。
高い牛肉→お肉屋さんのすき焼き用の国産牛肉(100g500円とか)美味しい。なんであんなに柔らかいの?って思う。肉の中で高いものと安いもので一番差が大きい気がする。だが高級ステーキは残念ながら食べたことない。
安いハム→まあ普通に美味しい。不味いハムを知らないし安定の美味しさ。ジャンキーなハムカツも好き。
高いハム→あまり記憶にないがそれほど美味しいものでもなかった気が。あと高いハムをハムカツにするのは許せない。
安い生ハム→しょっぱいけど、まあ美味しいような気が。普通のハムの方が好きだけど、なんかお洒落感あるし人来たらこっち出すかも。人来ないけど。
安いマグロ→美味しいけどなんかプラスチックっぽい。プラスチックの刺身ってもしあったらこんな感じ?
高いマグロ→デパートの閉店セールの大トロ。美味しけど脂臭い気がする?まあ見切り品だから仕方ないかな。
安いウニ→回転寿しで食ってオエッてなった。もう二度と食わない。蟹味噌も同様。
高いウニ→未知の世界。「えー本物のウニは美味しいよー(お前の食ったのはウニじゃなくて黄色いウンコだ貧民め)」って言う時の勝ち誇った顔、ウザいのでやめてもらえませんか?
余談
鳥刺しタタキ→魚含め刺身系で一番好き。臭みがなくてネットリしてて、でもサクッと噛み切れる感じが最高。しかし次の日は高確率で腹壊す。苦しいけど忘れた頃にまた食べてしまう。
鯨ベーコン→今まで食べた肉の中で一番臭くてまずかった。何のために存在するのかわからないものナンバーワン
*増田は基本的に肉のブヨブヨした脂が嫌いです。脂身は全部取り分けて捨てるぐらい。だから鶏肉もスーパーに売ってるレベルなら胸肉の方が好きです。でも高い肉なら脂も美味しいのかも…
俺は有名私立中高一貫校出身で、周りのブルジョワジーたちに揉まれつつエリート街道らしきものをここまで登ってきて、
なんとなくで文系にして、そのまま文科一類に入って、今一年生なんだけど、
将来のヴィジョンが全く見えない。
考えてみれば自分には21世紀前半を生きるための付加価値(具体的に言えば英語、IT、その他資格?)が全くない。
もちろん学歴と、そのバックグラウンドと、大したことをしなくても得られる人脈がある、っていうのはそれなりに長所なんだろうけど、
で不安なら何か努力してるかって言われると何もしてなくて、ひたすらダラダラしてる。
周りには官庁志望の奴とか、弁護士になる!とか決めてる奴もそれなりにいて、
そいつらはヴィジョンがはっきり見えてるから、やるべきこと分かって努力も出来るんだろうけど、
少なくとも「お前何やった?具体的に」って問いに全く答えられない。
もちろん周りには学生団体とか頑張ってる奴らもいるんだけど、
一回片足突っ込んでみて「あ、自分には合ってないな」って思った(はてなにはそういう人多いかもしれない)。
それで、結局何もしてない。
なんちゃって自己分析しちゃうと、下手に高学歴歩んできたから無根拠に全能感抱いちゃってんじゃねーの、俺、って思う。
不安で不安で仕方ないので、夏休みに何個かインターンとか入れてみたけど、迷走してる気しかしない。
ていうかとりあえず留学みたいな、とりあえずインターン感がハンパじゃない。
いろいろやってる内に将来の夢とか、人生を賭す価値とか見つかるだろうと大学入る前は思ってたけど、本当に見つかるんだろうか。
p.s.どうでもいいけど「ディスチミア親和型うつ病」ってニュースかなんかで見て「あ、俺じゃん」って思った。思っただけ
うっせぼけ。
アホがアホなまま楽しく生きてる時に
俺が食うに困ってることが気に入らないっていう
単なる哀れな貧乏人のヒガミじゃぼけー。
言わせろぼけー。んなこたわかってんだ。
ひがみは貧乏人の特権だろうが。それくらい許してくーれーよー。
まー、アホな金持ちがいるおかげでメシ食えてるわけで。
ありがたいんですけどね。でも、やっぱたまに存在自体が憎らしくもなるわけですよ。
んなこたー、百も承知。アホの撒いたパン屑で生きてる鳩ポッポが俺だってことくらい自覚してるよー。
増田でくらい愚痴らせろよー。んなことわかってるにきまってるじゃんよー。なんだよー。
匿名ブログでまで正論吐けってーのかよー。増田でまで正論吐きたくねーよー。
そういうの踏まえたエントリじゃんよー。読めばわかるじゃんよー。
ネット黎明期は短文書くと「一行野郎」とか言われて、「駄レスすんなヴォケ」とか言われることが多かった。
いまは、そういう光景は稀で、短文のほうが好まれる。いつからそうなったのか分からないが、短文馬鹿が台頭しだしたのである。
時代のニーズがそうさせるとも言えるのかもしれない。ともかく、長文がやたら叩かれるようになった。
間違いなくその時代の変化の一つの中心にあるのが、ニュー速板と、その派生であるVIP板である。
両者は相容れない気風を持つかのように捉えられるが、実際のところ似たり寄ったりである。
この両者から流れてきた人が、学問板などの長文が好ましい場でも長文を叩く気風をもたらしたのだと思う。
2chの過去ログで「名スレッド」と呼ばれるものを堀り起こしたことがあるだろうか?
学問板の名スレなどでは、非常に長文が多いことに驚かされる。当時のネットがライトなノリというより硬派なノリだったことも伺える。
そういう時代も、ちょうど2001年~2003年ごろに終わり、VIPなどの隆盛によりネットとりわけ2chの文化が一転した嫌いがある。
短文馬鹿の台頭により最もダメージを受けたのは、長文を書きたい人間だろう。
ホリエモンは著書において「長文書く奴は仕事できない」とハッキリ書いてる。ちょうどそれが2004年頃。
ホリエモンもまた時代に影響されていたのだろう。言うまでもないが、当時のホリエモンは短文、今のホリエモンは長文をたくさん書いている。
結局、本質的な根拠があって長文叩きをしているわけではなくて、単なる文化の違い、時代の違いなのである証左である。
ネットが一般化してライト層が増えたことと、情報のスピードが高速になったことにより、明らかにライトなコミュニケーションスタイルが好ましい場面が増えた
ことは確かであるが、だからといって、長文を否定していいかには疑問が残る。
日本人に多い「空気を読む」思想の履き違えとして、「みんなが自分と同じこと思ってる」という思い込みがある。
互いに付和雷同して、空気を読むことで、誰も望んでいない形で妥協しないといけない悲しみがそこにある。
長文叩きもこれに似た思想であり、「和を乱すな」という思想のもとに、短文馬鹿の単純な思考スタイルに全ネット人口を一律化させ、多様性を排除しようとする。
これとはまた別によく言われることとして、「簡潔に書けない人は頭が悪い」というものもある。
これは簡潔に書かれないと困る人達のプロパガンダでしかない言葉だということを忘れてはならない。
例えば、支配者階級、ブルジョワジー、周囲より飛び抜けた知性を持った人物などは、多数の人間のグダグダした物言いはゴミでしかない。
よって、「簡潔に書けない人は頭が悪い」と言うのである。しかるに、当の書いている本人には簡潔に書く必要性は全く無いことが少なくない。
こういった言葉の背景を忘れ去って、字義通りに受け止める人が氾濫することで、言葉が文化を一律統制している時代に差し掛かっている。
インパクトある言葉を使いこなせる、センスのいい短文馬鹿が台頭しだしたことで、このような一律統制がまかり通っていることに私は危機感を抱いている。
「ありむー」
「ありむー」
はてなブックマークのお庭に集う有村信者たちが、今日も天使のような無垢な
汚さないように、高尚な青土社の歴史を尊重するように、ゆっくり読むのがここでのたしなみ。
もちろん、有村悠は高学歴ブルジョアだからユリイカに連載が持てるなどといった、はしたない発言など存在していようはずもない。
平成十六年創立のこのブックマークは、もとは高学歴ブルジョワジーの政治力増強の為につくられたという、
はてな下。駒場の面影を未だに残している高学歴の多いこのサーバで、東京大学に見守られ、
新入市民から古参市民までの一貫教育が受けられる高学歴ブルジョワジーの園。
時代は移り変わり、元号が平成から改まっていない平成の今日でさえ、
三年ブクマし続ければ高学歴の純粋培養有村信者が箱入りで出荷される、
という仕組みが未だに残っている貴重なブックマークである。
「ありむー」
「ありむー」
はてなブックマークのお庭に集う有村信者たちが、今日も天使のような無垢な
汚さないように、高尚な青土社の歴史を尊重するように、ゆっくり読むのがここでのたしなみ。
もちろん、有村悠は高学歴ブルジョアだからユリイカに連載が持てるなどといった、はしたない発言など存在していようはずもない。
平成十六年創立のこのブックマークは、もとは高学歴ブルジョワジーの政治力増強の為につくられたという、
はてな下。駒場の面影を未だに残している高学歴の多いこのサーバで、東京大学に見守られ、
新入市民から古参市民までの一貫教育が受けられる高学歴ブルジョワジーの園。
時代は移り変わり、元号が平成から改まっていない平成の今日でさえ、
三年ブクマし続ければ高学歴の純粋培養有村信者が箱入りで出荷される、
という仕組みが未だに残っている貴重なブックマークである。