2012-08-17

私は産まれ持って運が良い。いや、良かった。

父親は建築家母親音楽家の家で、世田谷にある比較的大きな一軒家に産まれ、私立の幼稚園に行かされ、小学校は両親が「ずっと私立では現実が見れないから」と公立に行かされたのだが、中学高校はエスカレート式の某有名私立進学校へ。大学アメリカの某校。母親の影響で小さい頃は音楽の道を目指しはしたが、大学コンピュータサイエンスの分野に触れ、魅了され、その手の博士号も取得した。

正直、そこまではほとんど何の苦労もしなかった。ぶっちゃけた話、少なくとも中学受験はおそらく裏口だったんだと思う。勉強をせずに遊んでばかりいたので試験問題の半分も分からなかったから。来てくれていた家庭教師先生、ごめん。

お金にも困ったことはない。幼稚園小学校の頃は1日1000円持たされていたけれど、お金の使い道も特にないし、駄菓子屋的なところで使ってもお金は無くならないし、何に使ったら良いかからなかった。中高では銀行口座を作ってもらい、必要な分だけ自分で引き出して使うように言われていた。その口座の預金額が7桁を切ったことは今まで一度も無い。渡米し大学に入り、初めて持たされたクレジットカード数字が15桁の黒色だったし、大学の寮に入ることもなく、大学から少し遠くはなるが郊外にある丘の中腹に、プール付きの一軒家(これは流石に中古だったが)と、新車を買いそろえて貰った。友達と飲む時はいつもオゴっていた。自宅で派手な乱交パーティをしたとき警察が来たが、いくらかお金を払って見逃してもらった。というかその警察官も参加したかったようだった(お金を渡したあと、しばらく居座り、ニヤニヤしていた)。

そして昨年の頭に帰国した。父親の具合が悪くなり、3ヶ月に1度ぐらい日本実家に帰ってきていたので久しぶりの日本という訳ではなかったが、親の体調の事も考え、日本に戻ってきたのだ。母親もあまり日本に居ることが少ないので私が父親の面倒を見ることにした。特に余命宣告されているとか、そこまで悪い訳ではないのでのんびりしたかったというのもあるが。

日本で何もしない訳にはいかないので、コンピュータサイエンスに秀でたいくつかの大学研究室に問い合わせ、研究員を探していないか、という旨を伝えるも全て空振り。どこも「足りている」らしいのだ。

仕方ないので外資系IT企業にいくつか在籍などしてみたが、どうにも上手くコミュニケーションがとれず、どこも1ヶ月ほどで転々する生活を送っていた。

固定のお付き合いしている女性はいなかったが、寄ってくるのはいわゆる玉の輿を狙っているアラサー女性ばかり。パーティなどを開いてもつまらなかった。

結局、日本に帰ってきてもう一年半が経つが何も生産的な事が行えていない。自宅でアメリカ教授Skypeでやりとりをしつつ研究開発を行ったりはしているが、無報酬だ。一度だけ出版社から書籍執筆しないかと依頼が来たが断った。マネービジネス本を書けるほどの経済への知識も無い。

そしてこの半年ほど、母親日本に帰ってこない。ネットの某掲示板ではヨーロッパで素敵な男性とよろしくやってるなどという噂もあるようだが、真相は分からない。

私の運はここで途切れてしまったのだろうか。使い切ってしまったのだろうか。運に頼りすぎたのだろうか。

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