はてなキーワード: ウルトラマンとは
シン・ウルトラマンでどうしても気になって気になって
こんなこといったら、あれだと思うんだけど ほんとに気になって気になって
メイン女優さん二人の顎が気になって気になって
なんでそんな撮り方するの?顎がホラ!顎が!
最後まで気になりました。
お尻パーン!とかどうでもいい、ただ顎が気になりました。
ほんとすいません。
面白かったんですけど、顎が気になって・・・。
なんで綺麗に撮影しなかったんだろうって。
そんだけ。
そこがいまいち。
で、何故か★3を付ける人がいるからでは?
トップレビューが★1 で 114人のお客様がこれが役に立ったと考えています が答えだと思うわ
とりあえずシン・ウルトラマンは2次創作ではないと思いますけど、そこは突っ込まないです
けど、2次創作と同じく情報を食べているみたいなところってありますよね?
ずっと○○のファンでしたっていうだけで補正効果が付いたりします
が、敢えて、わざわざファンではないとか未読・未視聴・未プレイをわざわざ公言する意味ってなんです?
炎上商法目的以外でどんな目的があってやってることなのですか?
それが元増田の問い(疑問)です
「星5つ中の4.5」じゃん。つまりおまえみたいなネチネチ文句垂れ流し太郎が一部で低評価してるだけで全体では高評価ってことだろ。
たとえば直近ではウルトラマンを知らなかった(子供の頃に観ていたらしいが覚えてなかった)米津玄師が作ったシン・ウルトラマン主題歌はウルトラマンファンからも絶賛されてるけど。
○ご飯
朝:納豆たまごかけご飯。昼:おかし。夜:クルクル寿司。(たまご、納豆、オクラ、ネギトロ、いか、シン・イカ、えび、漬マグロ、カンパチ、シマアジ)
○調子
○シン・ウルトラマン
けれど、だからこそ、人の生死は理屈で決めちゃいけない、そう感じさせられた映画でした。
ザラブ、メフィラス、ゾーフィらリピア以外の外星人は地球人類を尊重しておらず宇宙規模や多次元規模のマクロな視点、カトクタイの滝君の言葉を借りると神の如き視点から地球人を攻撃をする理屈を付けていたのが、この作品を読み解くキーワドだと感じた。
ゾーフィはベータボックスにより兵器に転換できるから、人類を抹殺すべきだ。
メフィラスは自分が上位の存在になって独占したいから、人類にベータボックスを授けて兵器化を進めるべきだ。
リピアと同じく現生人類を好きだ、と語るメフィラスも、その気持ちにこそ嘘は見受けられないものの、やっていることは侵略行為であり、彼の好きなある程度マクロな人類は守られるが、ミクロな視点で見たとき傷つく弱い人たちが生まれるのは明白で、作中でも言及されていた通り。
この理屈付けの有無こそが、リピアとそれ以外の外星人たちを切り分ける大きな違いなのかなあ。
理屈が付けれないリピアに対する、そうでなかったザラブであり、メフィラスであり、ゾーフィである、そう感じた。
結局、理屈なんてどんなふうにも付けれて、例えばゾーフィの言う地球人類の兵器化の危惧だって、だからこそ光の国で手厚く保護する必要があると言う結論でもいい。
メフィラスの現生人類が好きだからこそ自分が管理するという考えも、今の人類が好きなら尚更余計な神の介入は避けた方が現状維持になる、という考えでもいいわけで。
とどのつまり、神の視点から見れば人類を抹殺する理屈も人類を守る理屈もどうとでもなるんですよ。
そういう神の如き視点を持つ外星人たちと比べると、リピアの理屈は心もとない。
人類が愚かで幼いことも認めているし、神永が子供を守った理由も理解できていない、メフィラスと違ってゾーフィに指摘されるまで人が好きになったこともわかっていない。
けれど、わかっていないからこそ、理屈が付かないからこそ、そこに生きている市井の人々の、普通の人々の多種多様な生き様を見守ることの尊さをリピアは知っていたのかな。
コーヒーも服も、一人では作れない群れないといけない弱い生き物である人を、ただ守る。
ゼットンが空に透ける最中でも当たり前の人生を送っていた普通の人々、あのカットが僕はすごい印象的だった。
そして、ゼットンを倒すために群れの力で導き出した計算式で二段変身じみた殴り方をするウルトラマン。
光の国のウルトラマン達は、地球人から見ると神の如き強さなんだけど、それでも1人の知恵じゃ足りないことがある、群れることでウルトラマン1人じゃできないことができるようになる。
リピアはそれを身をもって知って、自信が神ではないとタキくんに教える。
ウルトラマンが、これからも作中で名前の出てこない普通の人類を見守りながらも、一緒に暮らして見守り続けてほしい、そうはならなかったのが少し心苦しいのですけど……
それでも、マルチバース的には人類と共存するウルトラマンもいるだろうし、シン・ウルトラマンの世界もこれからも続いていくのだと思う。
なんかクタクタダラダラととるに足らないことを書いてしまったけど、
「痛みを知る(のは俺だけでいいから)一人であれ」的な自己犠牲スピリッツではなく
「痛みを知るただ一人(の神ではない普通の人)であれ」という、意味なんだなあとスタッフロールで聞きながら感じたことを言語化したつもりでした。
ネタバレは、控えめに頑張るが。
嫌な人は、ご容赦下さい。
3
2
1
まず、
という前提を飲み込んで欲しい。
根拠としては、
・光の国からやって来ている。
・デザインの一部に アルカイック・スマイルが参照されている。
んで、
シン・ウルトラマン は、何を描いているのか?
現代でこそ、仏教は日本に需要されているが、仏教が伝来した飛鳥時代では〈蕃神〉、つまり異物だった訳だ。
作中では、
原理的には超科学によって地球人もウルトラマンと同等の存在になれると示唆されているが
これって、原理的には万人が悟れる(≒阿羅漢)とする仏教よね。
脅威でもある海外(外星人)の仏教(ウルトラマン)を含めた当時の最新知識を
んで、
自国と外交情勢が落ち着いて、自国のアイデンティティーを確認したくなったので
シン・ウルトラマンは、仏教が伝来し、日本神話が成立した飛鳥時代を引用しつつ
現代日本の外交情勢をモチーフにしているから物語構造が強い。≒面白い。
だが、
『シン・ウルトラマン』の問いかけ そのもの が不愉快な層が居ると。
オリジナル ウルトラマンが表現したかったモノまで分解再構成し、
ここまで長文を読んでくれて thx 。
となったとき人類はそのまま怪獣とウルトラマン両方からボコられて滅ぶんだよね。
あーわかるよ。
その話はとっくの昔にゼットンを人類だけで倒した時に乗り越えてるんだってことでしょ。
わーってるわーってるって。
でもそのあとも結局「助けてくれ―ウルトラマーン!ウルトマンがーほーしいー」でウルトマンに頼り切る地球人を何度も描いてきのは何でなんだろ。
いやまあソレも分かるよ。
結局「最終的に人類でも勝てるなら途中まで全部ウルトマンに丸投げだったのはなんなんだよ……」っていうツッコミが存在しちゃうからでしょ。
最初に言うが、Aの話はしてないぞ。
俺が言いたいのは「宇宙人と地球人がお互いに助け合って戦う形が本格化したのっていつから?」ってことね。
初代のときは「主人公はウルトラマンから力を与えられて戦うけど、最初に命を与えられてからはウルトラマンの意志はほぼ介入しない」でしょ?
でもふと気づくとZみたいな「ウルトラマンと変身前の人間がお互いに共闘関係を築いていく」が物語の核になるパターンも出てきてるっしょ?
いつから始まったんだコレ
※ネタバレあり
先日シン・ウルトラマンを観てきた。
賛否両論あるという話だったので楽しめるか不安ではあったが、自分は楽しめた。
予告動画でも出ていたメフィラスは最高にいいキャラしていたし、米津玄師のエンディング曲もよかった。
それなのにネットでは「開始20分で席を立った」みたいな批判もあるようなので、そういう人が何に対して憤っているかを言語化してあげたいと思う。
確かに自分も開始20分で「これつまらないかもな・・・」と不安になった。
なぜなら、シン・ウルトラマンはシン・ゴジラをウルトラマンでやった映画だと思っていたからだ。
シン・ウルトラマンをつまらないと思った人達も、同じような観方でこの映画を観たんじゃないかな。
とにかく人が死なない。
死んでいるのかもしれないが、その描写はない。
ウルトラマンが大気圏外から飛来して着地する初登場シーン、本当に死んだの神永だけなの?
ウルトラマンは神永の死にだけに責任を感じていたようだから、他には死人はいないのだろうが、都合良すぎるだろ。
ザラブ星人との格闘が始まる前、浅見を足元に置いてから格闘するけど、常識的に考えて浅見死ぬだろ。
ウルトラマンが一歩踏み出しただけで起きる地揺れでコケて頭うっただけで死ぬ。
ザラブ星人を投げ飛ばした先の明かりのついたオフィスビル、何百人という人が残業中だったんだろう。
百人単位で人死んでる。
でも、その描写はない。
シン・ゴジラではあったのに。
巨大化した浅見が倒れ込むシーン、野次馬何人下敷きになるよ?
こういった、リアルな災害としてのウルトラマンを期待して見に行くと、期待はずれだと思うだろうなと思った。
シン・ウルトラマンは、ウルトラマンであってシン・ゴジラをウルトラマンでやった映画ではない。
おそらく批判している人は、ここに引っかかってるんだろうと思うな。
シン・ウルトラマンで盛り上がっているが、かつて同じようにそれまで全くウルトラマンが存在しなかった世界でのリブート作品が作られた事がある。それが2004年に公開された映画「ULTRAMAN」。
残念ながら興行的には全く振わなかったのだけど、とても良い映画なので語りたい。
ストーリーなどの概要についてはWikipedia の記事参照。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ULTRAMAN_(映画)
初代ウルトラマン第一話のプロットをもとにした「始まりの物語」である。オリジナルから借りてきたのはプロットの部分とウルトラマンと敵の姿だけで旧作と繋がる部分はほとんどない。目配せ程度の小ネタは入ってはいるけれど、分からなくても問題ない。
主人公の真木は巨人の力を宿しても意識は人間のままであり、ずっとヒーローとしてではなく、怪異に巻き込まれてしまった妻子を持つ普通の男性として描かれている。そんな彼が子供の言葉をきっかけにして、自ら災厄に立ち向かう決心をし、そして目の前で危険にさらされている人を巨人の力を使って身を呈して助ける。この映画は宇宙よりやってきた異形の巨人が、地球人にとってのヒーロー、ウルトラマンになるまでを時間をかけて描いているのだ。
この後のウルトラマンが初めて空を飛ぶシーンも素晴らしい。ウルトラマンは空を飛べる、なんてのは観客にとっては常識だけど、真木は知らない。だから初めはすんなり飛ばないんだ。攻撃をよける→あれっ飛んだ?→飛べるのか?→飛んでる!!という感じで空に上がって行く。「ウルトラマンが空を飛ぶ」ってシーンは今までいくつも見てきているが私はこれが一番好きだ。その後の空中戦のシーンもいい。真木が戦闘機パイロットだったという事がこのシーンの説得力を生んでいる。
じっくり描写を積み上げて行く映画なので、シン・ウルトラマンみたいなお祭り感は無いし、人によっては前半は退屈に感じることもあるかもしれない。でも、コドモオトナ向けではなく、ちゃんと大人向けに作られた今のところ唯一の作品だと思っている。
ただ、今見ようとするとDVDを買うか借りるかしないといけないのがもどかしい。円谷さん、ネクサス共々配信始めてくれませんか?