はてなキーワード: じゃがりことは
寿司がいい?焼肉がいい?と聞かれて、今朝食ったものが肉類だから魚、、いやビタミンB軍豊富な豚肉もいいな いやまてよ魚はDHAと口に出してごめん、うざいよね。
ももいろクローバーのあーりんが可愛いといえば最近えくぼに惹かれてごめん
ファミレスへ行ってどうも飯が入らないと思ったら便秘でどうしようもなくてウンコほじくり出してもうこんな屈辱的で苦しい思いはあんまりだ便秘体質のが絶対辛いんだからな下痢はだしゃいいと信じて疑わなかったのにひょんなことで下痢になったら腹痛がたまらなくて便座から離れられなくて仕事行けねぇ下痢つれぇダメだ死への恐怖に値するううぅぅと思ってごめん
じゃがりこはチーズだろJKとかほざいててジャガバター味食いまくっててごめん
トイレの洗剤はドメストで決まり!とか言っててスクラビングバブル使い終わったらいいね‼︎って思ってサンポールつかっててごめん
ごめん ごめん ごめんなさい
決められない 一つになんて
でも神様は潔いよね
思い切るよね
ひどいよね 死ねよ
なんて言っても広い。
なんと2kmくらい、視線の先の人が米粒に見えるほどの直線だ。
クラーク像を右手に、古河記念講堂やら工学部やらを眺めながら長い長い並木を歩けば、つきあたりまで30分かかる。
ここで終わりかと思ったら甘い。つきあたったその道の向こう側は獣医学部。そう、まだまだずっと北大の敷地だ。
ぐるっと回ると7km~8kmほどあると思う。
北大にきたらクラーク像やら植物園やらポプラ並木まで見ようって思うだろ?
同じ敷地にあるなら徒歩数分でたどり着けると思ったら大間違いなんだぜ?
さて、疲れても頑張って今度は南に歩いて行こう。
一日目は徒歩で市内な。
時計台と、赤レンガ庁舎、大通公園と、見るものはいくらでもある。
初日、なんだかんだで15kmくらい徒歩な。
疲れても頑張れ。
それは正しい。
1万円でセックスできるという破格の安さ。
合法風俗が低価格高品質すぎるため非合法売春婦がそんざいしないという。
すすきのでいうキャバクラとは、東京で言うところのお触りオッケーなセクキャバだという。
美味い飯も食える。
ミシュランガイド北海道特別編で三ツ星を獲得した「鮨 田なべ」も所在地はすすきのだ。
銀座と歌舞伎町と吉原を混ぜこぜして、クリーンにしたような歓楽街、それがすすきの。
ここで性欲も食欲も満たして一泊な。
南へ南へ。
道中に寄り道出来るなら、藻岩山の夜景がすばらしいので寄るのもいいだろう。。
函館山から臨む海に挟まれた夜景も素晴らしいが、突如として札幌の街が現れる藻岩山の夜景も負けてはいない。
しかし、個人的には昼から温泉、昼から酒、朝までグダグダをオススメする。
でも、定山渓温泉はつい最近わいたお台場大江戸温泉物語みたいなもんじゃない。
歴史があるっていうか、うん、一言で言えば、昭和の温泉街という感じだ。
なんていうか、ザ・昭和。
廃墟となった潰れた旅館と、潰れそうな旅館が交互に並んでいて、やってくるのは社員旅行のバスばかり。
この時代にまだ社員旅行客なんてあてにしてるから廃れるんだと思うんだが(笑
河童押しらしい。
萌えキャラ全盛の今、定山渓の河童がどんなか、グーグル画像検索をしてほしい。
繰り返すぞ。
ここで昼から温泉、昼からビール、そのままグダグダして、ここで一泊な。
広大な敷地で、美術館だけじゃなく、野外ステージ、工房、芸術三昧。
1日遊べるんだが、それをこらえて、そこから東へ。
目指すはクラーク像。
目指すべきはスープカレー。
ほんとにほんとにほんとにほんとにスープカレー。
少しだけ札幌のとなり町にはいったあたりで、野幌森林公園っていう巨大な森林公園があってな、ざっと東京ドーム430個分の広さでな。
そのなかに、開拓の村っていうこれまた広い野外博物館があってさ、開拓当時の建物が移築されててけっこう楽しいわけ。
北海道来たなぁって気持ちになれるわけ。
夕食はサッポロビール園だ。
ちょうどよく帰り道にあるはずだ。
サッポロビール園、キリンビール園、アサヒビール園とあるんだが、雰囲気を味わうならサッポロビール園だ。
北海道において、ビール園で食べるものといったらジンギスカンなんだ。
「ビール園に行こう!」を翻訳すると、「ジンギスカンでビールを飲もう!」だ。
で、三泊目の宿。
俺ならJRタワーに泊まるね。
ワイングラス傾けながら叫んでやるね。
「見ろ!ユリア。視界に映る全てが俺のものだ!俺の街サザンクロス!」
一日目の女の子の味が忘れられないなら、すすきのに泊まるのもいいぜ。
すすきのに泊まるなら、サッポロビール園じゃなくキリンビール園なら歩いて行けるよ。
札幌にいてもまだまだ見どころはあると思うけど。
帰りの空港も新千歳空港にするなら、富良野美瑛コースか、小樽余市コースだな。
それ以上離れると、移動時間がきつい。
それより遠くに行くと、東京を拠点に箱根観光に行くようなもんだ。
知名度でいうなら富良野美瑛だが、風景以外とくになにもないから、ある意味人を選ぶ。
小樽余市コースなら、おすすめはニッカウイスキー工場見学かな。
旅の疲れピークでも運転が平気ってなら、神威岬までは行ってもいい。
4日目にもなると、美味いものもくいあきたろうから、運転しながら、月寒あんぱんとかわかさいもとかをガラナで胃袋に流し込むくらいでいいだろ。
ジンギスカンキャラメルとか、ネタでもやめろ。
石屋製菓の白い恋人は不味くはないが大半の人間は食べ飽きてると思う。
壺屋のき花は白い恋人の上位互換だが、旭川空港ならとにかく千歳空港には売ってないだろう。
一昔前なら生チョコ、ポテトチップスチョコレートが喜ばれたが、一周した感じがする。
六花亭の菓子は意外性があるわりにハズレも少なく、しかも包装が洒落ていて女性にウケる。
お気に入りの女の子には、職場用の詰め合わせとは別になにか買ってってあげるといいだろう。
重たくていいなら、北海道限定のサッポロクラシックが喜ばれる。(土産物屋じゃなくてそのへんのスーパーで買うと安い)
まあ、全部妄想ですけど。
「食べ物で遊ぶな」という反論に対して「金払ってるからいいだろ」という意見がある。
いわば「殺された動物、作り手の手間」に対する感謝と誠意は既にその食物の価格に含まれている、という考え。
それを既に払っているのに、その後も感謝と誠意を持ち続けなければいけないというのは、あまりにも酷ではないか、という…
こういう考えを持ってる俺としては、食べ残しもトマト投げ祭りもじゃがりこにお湯も全部同じ「粗末にするな派閥」に感じる。
そんな俺の結論としては「じゃがりこにお湯はダメ」タイプに従ったほうがいいと思う。
メガネかけてるだけで知識人扱いされて処刑された某国みたいな拡大解釈だと思うが、
厳格な線引をしたほうが平等だと思う。
ここでの”こじらせ”というのは、自分の中の女性性をうまく消化できずに生きづらさを感じている女性を指します。
サンプルはアラサー独身です。もう見てて面白いので書いてしまいます。ひどいな私。
■年下とばかり絡んでいるしそれがたぶん頼られてるアタシ感がでてるため誇らしげ。
■年齢の近い女子がどんどん結婚していく寂しさを紛らわせるため「わいわいやりたい!」とか言う。FB等でよく言う。
■立ち位置が本人的には「頼れるお姉さん」なのだろうがどうみても「うざいオカン」。「挨拶もできなかった太郎がこんなに成長しておねえちゃん嬉しいよ」とか言う。さりげなくディスってくるのが特徴。
■年下のイケメン君と遊んだーってよく書いてる。イケメン君の語感から感じる年上女性特有の気持ち悪さ。
■親戚の子供を可愛がることで自分も子供とか好きなんだよアピール。いきなり赤子の写真と「あたし椛。今日で6ヶ月なんだ。あー眠いよう」とか書いてて白目。
■だいたい彼氏は年上で結婚願望なさそう。目標に向かって頑張る男()が好きらしくそれをサポートする私に充実するっぽい。
■なので彼氏には尽くすというか重い重すぎる。でも立ち位置はオカン「あの人とつきあえるの私くらいだわww」←
■口ぐせは「燃え尽きたい」「ふんがー!頑張れあたし!」など。その無駄な熱を何とかクリーンエネルギーに使えないものか。
■女を意識してないぜ!的な発言をわざとするのでうざい。今日もスッピンで外出!ってそれ恥じるとこじゃね?
■逆に女っぽいところが直球でえぐい。「生理2日目女祭り真っ最中なう。いらいらいらー」とか書くのやめてください。
■実家に帰らない。(田舎の出身なので、家に帰ると結婚しろとうるさいから。)
■なんでもある程度できちゃって可愛げがないからモテないと嘆く。えっ、車運転できないし料理できな・・・
■自分が、自分がになりがち。話が「でも私は・・・だよ」で終わるから疲れる。知らんがな。
■できる女になる!っていつも言ってる。仕事して自分らしく生きる女子。男に媚びない女子を目指すみたい。
■今の仕事は今までやってきた仕事の中で一番つまらないらしい。やりがいがないんだって。早く辞めた方がいいよ!職場に迷惑だから!
■占いで前世がラオス人だったと言われ、アジアの風が懐かしいのは、そうだったんだ・・・と遠い目で言ってたwww草不可避www
■今年こそ痩せたいからエステに行く!とじゃがりこ食べながら言ってた。まず走れや!!(じゃがりこをバーン!ってしながら)
■メールで「たすけてー」だけ送ってくるのやめてください。これで助けてくれる人が友達らしい。
■「結婚した女子はみんな冷たい。独女で団結しようね!」と言う。なんで団結すんだよw
■困ってる時は助けあおうね!っていう。たぶん私が困ってる時にあなたに助けは求めない。
■自分の都合で退会したFB。再入会したらしく「友だち申請してねー!」じゃねえ!お前からしろや!(スマホをバーンってしながら)
自室。真っ暗。間接照明をつけた。部屋が淡いオレンジ色に染まるが、照明は一個だけなので薄暗い。
いつものブログを巡回。どれも更新ナシ。Twitter、特にこれといったつぶやきもなく。
今日の夕飯はファミチキとカレーパン。じゃがりこを肴に泡盛をロックで。
テレビはもう何ヶ月もつけていない。部屋にはクーラーの音と、時折通り過ぎる車の音だけ。
ちょっと前までは、自分と人生を変えたくて必死に戦ってたっけな。
毎日が緊張の連続な分、酒を飲むと自分でも不思議なくらい涙が出てきたもんだった。
なんだかよくわからない、自分じゃ手に負えない得体の知れないモノと戦っていた。
勝てば輝かしい未来がまっているんだと。
大人になれば、立派になれば、周りから認められれば、こんな得体の知れない惨めな気分とははオサラバできるもんだと。
違った。
去年からバーに通いはじめた。
一人で酒を飲みにバーに行ってカウンターに座ると、同じカウンターには俺の親と大して年の違わない大人達が寂しさを抱えて酒を飲んでいた。
俺には偉そうに説教こそするが、その説教の裏には、うだつのあがらない自分自身へのやりきれなさが隠れているのがわかった。
あぁ、大人もこの、わけのわからないもんを背負ってるんだ。
快楽で忘れるか、若者に説教を垂れるか、仕事に没頭するか、政治家や社会のせいにするか、、、若い奴とは違って対処方法はいろいろ持ってるにしろ。
大人も皆、難儀していた。
どんなに立派な肩書きを得ようが、周りから認められようが、このわけのわからない心の隙間は埋まらないんだ。
泡盛も、氷でいい感じに冷やされて美味しく飲めた。じゃがりこは泡盛にあわなかったけど。
生きるってこういうことなのかなと思う。
自分の世界を作って、好きな人と繋がって、自分の幸せを知り、その一瞬、一瞬の幸せを感じることが。
偉くなるだとか、立派になるだとか、そういうのは、もうどうでもいいと思った。
僕自身はとなりのちょんまげの方から教えてもらった課題にチャレンジしていたため、
タバコエリアの盛り上がりには参加することができなかったものの、
モヒカンと呼ばれる方々の情熱や心意気を身近で感じることができて、とても参考になりました。
自分も次回参加するまでにレベルアップをしてもっと話についていけるよう頑張ろうと思います。
最後に。ひとつだけ気になったのが、参加者のお一人の方(お名前を聞きそびれました…)が
一日中ツイッター TL を荒らしていて、せっかくのイベントがじゃがりこイベントと勘違いされてしまいそうなのが気になりました。
元ネタ:http://anond.hatelabo.jp/20110807233051
(本人です)
僕は夜はさっさと寝て朝は早く起きたため夜中の大盛り上がりしたディスカッションに参加できず、
しかも夜中起きていなかったために多数の方にあわれみの視線を投げかけられましたが、
みなさんが豚のゲームやじゃがりこに夢中で熱く盛り上がっているのを見てかなり刺激になりました。
自分も次回参加するまでに昼夜逆転の生活に変えてもっと話に参加できるよう努力しようと思います。
最後に。ひとつだけ気になったのが、参加者のお一人の方(お名前を聞きそびれました…)が
ずっと周りの人にあきすてあきすてと言っていじられていたのが気になりました。
セカコミさんには Sphinx 拡張の開発で色々アドバイスをいただき、すごく助かりました。
主催のV様をはじめ、皆様本当にありがとうございました。
元ネタ: http://anond.hatelabo.jp/20110807233051
(別人です)
今週に入って三度目の雨に俺の心もびしょぬれになっていた。さっきから車は泥をはねまくりで俺の一張羅のコートはどろどろのぐったぐたで正直吐きたい。道路にぶちまけたいという思いにかられた俺はひょこひょこと国道に顔を出した。そのとき、F1みたいな音が駆け抜けたかとおもうと俺の首が飛んでいた。そして、青い屋根のないスポーツカーの助手席に鎮座していた。
「どう? 楽になった?」
前を向いたまま俺を気遣う女はピンクのコートと赤いサングラスと黒いマフラーという意味不明のファッションに身を包み、片手でハンドルを握り、もう片方の手でまっ黄色に染めた髪をいじっている。俺は生首のまま言った。
「うん。少しましになった」
おいおいおいおいおい。俺は何を言っているんだ。生首になって、喋っているのは何でかとか、この異常な状況を自然に受け止めているお前は何者だとか、そもそも俺は何で生きてて、お前はそれを知ってて、ううう、頭が痛い。頭しかないからか。
「君の知りたいことをたぶん、私は答えられない」
「そうか」
俺は体を失って数分で、体に対する興味をなくしていた。先ほどまでぐるぐると頭にまとわりついていたアレコレは既に消えうせて、今はこの位置では外が見えないことだけが不満だった。
それから、じゃがりこで一番美味い味は何かについて話し合い、見ず知らずの女と本気で喧嘩した後、二人で病院に行った。お医者さんが言うことには、俺は生首なのでいつか死ぬらしい。女は、俺を抱きしめて泣いた。俺も悲しくなった。やっとじゃがりこの味について真剣に話し合える女とめぐり合えたのに俺は死ぬのか。
「死ぬ前に」
うんうん、とうなずく女と医者。
そして、すかさず俺は死んだ。舌がだらしなく飛び出て、白目をむいて。首の下からは忘れてたように血が流れ出した。診察室のベッドのシーツを俺の血が真っ赤に染めていく。
何で、俺がその様子を克明に記述しているかって?
それは死の瞬間に俺の意識は目の前の医者に移ったからだった。女はそのことに気づいていたみたいで、俺の首にかじりついて泣いた。
俺は泣く女の頭をなでながら慰めてやる。女は俺に聞く。
「どうやったの?」
俺はにやりと笑って答える。
「しらねえよ」
おいらも昔、派遣やってたからテキトーに書く。それなりに苦労はしたが、いまは上場企業の社員なので、こうなることは懐かしくもある。
たぶん10年前くらいか。大学を卒業したけど、就職はなかった。超氷河期だったと思う。とりあえずで、就職した会社は 技術者派遣業で最初から定年まで働くつもりはなかった。
月給制で18万位だったと思う。寮とかなんやかんや引かれると、10万もなかったかな。
入社して即、客先へ。あんまし興味ない分野のプログラマだった。詳しくは言えないが、ロケット、ミサイル、宇宙ステーションとかそんな関係だったと思う。
プログラムは組んだことがあったので、それ自体は問題ではなかったのだが、余り興味がないことをやるのが苦痛。あと、プログラムを作るのは まぁ、楽しいんだけど、テストとかがめちゃ面倒。動きゃええやん、くらいに。
あ、会社の教育は皆無だったし、有給も少なかったし、ボーナスも少なかった。
派遣先との契約は、時給4000円くらいだったと思う。時給換算で1000円くらいかな。
売上は、4000円/時間だから、32000円/日で、20日/月だとして、64万/月か。給与は、20万だとして、諸経費を引くと、、こんなんか。売上が720万/年で、年収は280万/年くらいだったから、かなり搾取されていたとは思うが、会社は儲かってないね。
手取りが少なかったこともあって、生活は苦しかったな。じゃがりこ1個で3日くらい生きてたときもあったしね。
その頃、思ったのが、30とか40過ぎてこういう派遣仕事をやっているおじさん連中に、明るい未来がぜんぜん見えなかったというのが感じていたことで、こんなんやってたらあかんわ、と、ま、どうやったら現状がよくなるか考えてやってきたつもりだ。
ま、人と同じ事をやらない、というのもあるが、自分で考えて、自分で行動することだ。
その後、その会社は、まだあるのかな。しりません。
ポテチでは、カルビーの「ア・ラ・ポテト じゃがバター味」がうまかった。はまるおいしさ。
しかし、最近コンビニでは見なくなった。スーパーではまだ在庫あるかな。
たぶん出荷はもう止まってしまったのだろう。期間限定らしい。
期間限定の商品では、「じゃがりこ」の「グラタン味」もおいしかった。これも、もう終わってしまったようだ。
たまに食べるとおいしいのが「ビスコ」。正直、いい大人が買うのは勇気がいるのだが、甘さ、食感、手頃さが良い。
アイスは、どうしても「ハーゲンダッツ」を手に取ってしまう。新商品の「ドルチェ ガトーショコラ」とか「メープルクッキー」、「カシス&オレンジ」と、いろいろ試したが、「バニラ」「ストロベリー」「抹茶」の安定したおいしさを再認識した。
反響が思ったよりあって(無視されるか、せいぜいブクマが3つくらいつく程度かと思っていた。無駄に長いし)今日は驚いた。
私はあんな事を書いたけれども、そこまで悲観的になっているわけでもない。今は。あくまで今は、だが。
高校生のときは一番酷くて、小中はほぼ皆勤だったにも関わらず、高校生時は積もり積もった何かがあったのか、突然鬱状態になり学校を休んでしまったことがあった。2ヶ月ほど。電車に乗り、学校が近づくにつれ逃げたしたい思いでいっぱいになり、途中下車して科学館などへ足を運び宇宙のでかさを目の当たりにすることにより「現実なんてこまっしゃくれたもんだぜ」「私の存在なんてちっぽけもいいとこだぜ。皆宇宙から見ればとるにたらないものよ」と現実逃避を決め込みまくったりした後、ついに学校へ行けなくなった。親は心配し、私を精神科へ連れて行った。鬱じゃないかと医者には診断されたものの個人的にはしっくりこなかった。ぶっちゃけ今でも鬱じゃなかったと思う。「何もできない」わけじゃなかったし。実際ネットとかやったり図書館行ったりしてたので、自分では単なる思春期によくある登校拒否、ぶっちゃけいうと甘え、現実逃避、だと思っていた。しかし親は「本とかネットで調べたけど、鬱の人ほどそう思うらしいよ。とりあえず医者へ通いなさい。お母さんもついていくから」といい、仕方なく薬を飲んだり「最近気分はどうかな」と医者と軽く話したりしていた。しかし精神科の病院はやはり考えられているのか、内科や外科と違って部屋の中がしゃれた喫茶店のようになっているのには驚いた。クラシックなど流れたり、いかにも病院の椅子ですよ!といった感じの椅子ではなく木で出来た椅子が並べてあり、診察ルームではまた、アメリカの考古学者の部屋的な(意味不明だが)感じで後ろには木の本棚が並んでいた。少し話して薬をもらったり血液採取したりして終わるのだが、正直、たいした話もしていないし効果なんてあるのかどうか期待はしていなかった。何より自分が「てーか鬱じゃなくないか。医者も気使って鬱ってことにしてくれてるだけじゃね」と思っていた。その中年の優しげな女医さんと話していると気分は晴れたため病院へ行くのはそれなりに楽しみだったものの、親に無駄に労力をかけさせているようで悪い気もした。薬屋の人も「鬱は脳の風邪ですからね。薬を飲めばちゃんと治りますから大丈夫ですよ」とやけに医者と薬屋の人たちが優しかったのは幸いだと今では思う。
その成果かやはりもともと鬱ではなかったのか分からないが、2ヶ月ほどした時先生から「そろそろこないと、出席日数的に厳しくなってくる」と告げられ、「……じゃあ行くか」とあっさり復帰した。後に医者の先生が言うところによると「登校拒否の子が2ヶ月ほどでしかもあっさり復帰というのは珍しいパターン」だそうだがやはりそれは私が鬱ではなかったからであるように思う。
で、そんなこともあったが今では案外平気だ。
恋愛・結婚に関しては、ハナから期待も自分がそうするという想像すらもしてこなかった(諦めているとかいうより、本当に考えた事が自然となかった、という感じである。ほとんどの人が「石油王になる」ということを考えもしないような感じに)ため今でも考えていない。ほとんどの女性が仮に結婚することを当然のように考えているとするなら、私はその逆で、当然のように一人で生きるだろうと予測していたため、そのように動いている(つもりである)。大学もだから医学部にした。食いっぱぐれないためである(まあ医者だからといって食いっぱぐれないとは限らないのだけども)。最悪世界が崩壊しても、医者という技術を持っていたらその技術を売りにし生き延びれるのではないか…と人からすれば大げさな事を考えこうした。何の映画だったか忘れたが、強盗の親分が瀕死で、主人公か何かが医者で、「おい、そこのお前医者なんだろ。じゃあ親分を助けろ。親分を助けたらお前だけは逃がしてやる」的な事を言い、主人公は治した後も殺されない為「まだ様子を見ないと危ない。俺がいないとヤバい」的なことをいいなんとか切り抜けるという図が記憶にこびりついている。何故か。あの影響もあるかもしれない。「暴力を知的技術で回避する」というところに私は大きな憧れを抱いたのだ。まぁ現実はそううまくいかないだろうが(ていうかそんな状況があまり無いだろうが)。
近頃は将来美容整形外科医になりたい気持ちもある。技術を磨き、私のような人をうまく変えられてあげたらばと思う。何か新しい技術が入ってきたとき自分で試すこともできる(実際それをしている医者はいるらしい)。元が酷いからこれ以上酷くなることはないので大丈夫だ。
私のこれからの希望としては、一人でもなんとかなる仕事につき、なんとか一人で暮らしていける生活を確立させ、時々ニ次元に浸り、そのままひっそりと死ぬといった感じである。一人で生きていけるよう、とりあえず今は家事を身に付けている。一人暮らしではないが、家族の料理は大学入ってから全て担当するようにしている。もう二年ほど経ったのでそろそろ脱初心者ができたと、料理は一通り自炊できるようになったと思う。甘いか。最近は「いかに早く・栄養バランスのよい料理をするか」を研究中である。
そして更に贅沢を言うなら、最期は長野の山奥で天気のよい日に川の近くで寝そべりながら眠るように逝きたい。これが出来れば最高だ。そしてそのまま山、ひいては地球と同化していきたい。なぜ長野の山奥かというと小さいころそこへ遠足だったか何だったかで行った際、陳腐だがその自然の素晴らしさに感動したからである。あれはキレイだった。昼ご飯を川沿いで食べたのだが、あまりに自然が美しく、寝そべっていると地面と山とどんどん一体になっていくような気がして感動して泣きそうになったものだった。川が本当に「光っている」。まあ単に太陽の光を反射しているといえばそうなのであるが、それにしても美しすぎるのではないか。こんなところで屍になれたらば、それはどんなに幸せな事かと思った。私の屍は鳥等の栄養分となり、残った分は雨が降ったときなんかに川に飲み込まれて細分化していき、土に流れ着いたり、川底へ沈み川底の土と同化したり、そうして山と一体化していくのだと考えると初めて「死んでもいいな」と思えた。それまでは死が怖かったのだが。まあ……実際には、燃やされ、葬式を開かれてしまうのかもしれないが……いや、待て。一人身だと葬式はどうなるのだろう?この辺もその内調べておかないとな。宇宙葬なんかもあこがれるところではあるが…宇宙にばらまかれた私の灰がどこかの星に着陸したらと思うとワクワクしてしまうな。私を構成していた原子から、他の星で何かが生まれたらと思うとゾクゾクする。というかそれはまるで「生まれ変わり」のようだ。
出来れば最期には井上陽水の氷の世界などを聞いて死にたい。音楽をあまり知らない私が唯一好きな歌手だ。傘がない、帰れない二人、紙飛行機など何度中学生時に聞いたか知れない(といっても、詳しいわけでは全くない。陽水オタからすれば失笑ものレベルである)。高校生のとき、一人で陽水のライブにも行った。陽水と席が近かった。嬉しかった。「ああ井上陽水って人は幻想ではないんだ。本当にいるんだ。今触れようとしたら、係員に止められるだろうけどもしかしたら触れられるかもしれないんだ。実体があるんだ。陽水もこの後何かを飲んだり食べたり、排泄したり、眠ったりするんだ。陽水って概念上の存在じゃなくて、実体が存在してたんだ。タンパク質や脂肪やカルシウムその他もろもろで出来た有機物という実体があったんだ」と当たり前の事をしみじみとかみ締めた。と同時に、その単なる一有機物であるはずのものが、井上陽水という名前を初めとした色々な概念がまとわりつき、下手をするとひょっとしてニ次元のものなのではないかと思わせるほどにイメージ化というか、偶像化したという事のギャップになぜかゾクゾクした。これだけ有名でファンも多く名曲も多い陽水だが、しかし同時に睡眠や排泄等を他の哺乳類と同様に行う、単なる人間、単なる有機物なのだ。その同時に成り立たないようでいて成り立ってしまっている、その二つを含めた「井上陽水」というものの(陽水に限った話ではないのだが)不思議さ、面白さに頭がクラクラした。それはCDなどを聞いているときには余り気がつかないけれど、ライブに行くと「実体」がそこに存在しているのに、観客は皆どちらかというと概念の「陽水」をそこに見ている、という不可思議さを目の当たりにできてしまう。実体のはずなのに、あの実体はあくまで概念の陽水を伝える媒介物でしかない、主体のはずなのに、サブで終わってしまっているという本末転倒さというのか……自分でも何を言っているのかよく分からなくなってきた。いまだ私の中で整理しきれていない感覚なのだ。
そういえば、女子の友達はいなかったのか、とかいてあった気がしたが、友達と知り合いの間のような子ならいた。しかし、私とつるんでいると可愛い子であっても一緒くたに「ブサイク死ねwwww」と罵られてしまうので、妙な距離は常にあいていた。それで女子を恨む気は全く無い。私が逆の立場であれば、私もそうしていたように思う。なかなか学生のレベルで、「でも敢えて友達になるよ!」という勇気を出せる子は少ないだろう。しかもそれだけのリスクを介して得られるものは何かといえば、私という友達である。んな、リスクとリターンが全然つりあってないよって話だわな。寧ろ女子からのイジメは特になかっただけでありがたいことだ。まあ、「ブス視ねw」といってくる男子の彼女とか、その周辺の子は、一緒にクスクス笑ったりはしていたが、その程度ならば中学時代でも既に「その程度の重力……」のベジータ感覚でいられた。それに如何せん下手にそんな男子と私なんぞのために対立して、殴られたりなどしたら洒落にならんし、まあクラスの女子が私を放っておいたのは本当仕方ないことだと思う。気の毒そうに見てくれる子もいたしそれで十分だ。
綺麗な女性を妬ましく思った事はあまりない。嘘だろといわれるかもしれないが、羨ましくも特にない(モテるという観点では、の話だが)。自分に持っていないものを持っている、という観点で「羨み」や「妬み」が生ずるとするならば、美人だけでなく私は際限なく誰かを妬まなければならない。何もその対象は美人だけではない。金持ちや、運動神経のいい人、頭のいい人。キリがない。というかほとんど全ての人は私より何かは秀でているわけで、少しでも自分より上回ってるなら妬むという理屈だと、もうこっちの身体がもたない。妬むのも面倒になるのだ。
私は、恋愛をしたいけどできないというよりも(奥底ではそうなのかもしれないが、無意識レベルの事など意識では判断不可能なのでとりあえず意識レベルの話をする)、恋愛心などが生まれる前に、既に恋愛・結婚なるものを「私の人生には関係の無いことだ」と学習してしまったため、美人な女性がモテたりしていても、関係があまりに無さ過ぎて、ピンとこないのである。妬むも何もないといった感じ。大食い選手権に出るような人を見て、その凄さに感心はしても、でも別にほとんどの人がああなりたいとか羨ましいとか思わないのとおそらく似ていると思う(思う人がいたら申し訳ないが)。「ブスとか言われないで済む」という点では、「美人」が羨ましいというよりも「そう言われないで済む人たち」が羨ましいので、その中には勿論美人は入っているが、かといって特別美人だけが羨ましいわけではない。
寧ろ私が一番羨ましいのは金持ち(の強いて言えば子供)である。金があれば何もせず暮らせるのだから。嫌な事を言ってくる男と会うこともなく環境の(自然的な意味で)いいところで本を読みふけって暮らす、そんなことが可能になるのだから。
私の今までの人生では男、というと前述した彼らしかいないので、美人になったとしても男にモテたところでしょうがない、嬉しくない、という気持ちにしかなれないのである。悪口等を言われない、という点では嬉しいが、モテても嬉しくはない。ま、ブスがこんな事を言ってるのだからお笑いだが。美人が変な男と付き合って、DV被害にあったなどと聞くと心が痛む。あんなに美しい人であるのに、せっかく歩いていても何の悪口も言われず、平穏に過ごせる人なのに、何故自ら火の中へ飛び込むようなマネをするのか……と勿体無く思ってしまう。まあ、しかし、他人の事。向こうには向こうの考えがあるのだろうし余計なお世話というものだろう。
そんなわけでモテない事に特に苦悩はしていないので(多分)、心配してくれた方には大丈夫ですと言っておきたい。
ただ罵倒等されなければそれでいい。何か辛い事があっても宇宙図鑑があるとどこかすっきりする。ま最初言ったとおり現実逃避なんだが。銀河だのなんだのの話をしていると、自分の悩みなどあまりにちっぽけで笑えてくるというもの。地球の歴史などもいい。所詮ぽっと生まれたちいとばかり頭のいい哺乳類の、その中のほんの一部の時代の、更にその中のほんの一部の地域の人間たちがあれこれ騒いでるなど、地球にとってはカスに等しいものだ。地球がちょいとばかりプレートを動かしたりちょいとばかり温まってみたりするだけで人間など瞬殺なのだ。大体人間の歴史という地球に比べたら大分コンパクトなそれであってもまだ私の苦悩などに比べるとでかい。なんだかんだいって、ブスというだけで殺されないだけでまだおそらくマシな時代なのだ。今の世の中不満足な事ばかりだけれども、それは理想の、あるべき世界を想定し、それに比べ不満足な部分ばかりを見ているからで、やはり過去に比べれば、現代というのはそこそこマシな部類に入るのであろう。ブスや未婚の女が冷たい視線を投げかけられるといっても、殺されたりはしない。殴られれば警察がある。私にも人権が与えられているし、こうして自由にネットで発言できる。だからといって「これで満足」ってわけじゃ全くないが、まだマシな方ではあるはずなのだ。ちょっと時代や国を間違えて生まれていたら、そもそも嬰児殺しにあっていたかもしれない。今その気になれば、車を走らせ、コンビニへ行って、じゃがりこサラダ味を買ってきて食べることができる。それだけでも全然マシではないか。車など庶民の乗るものではなかった時代も、そもそも発明されていない時代もあった。車は好きだからそれは嬉しい。最近ガソリン高いけど。
全くだらだらとした独り言で申し訳ない。こうして書いてみると、色々私にも思うところがあったのだなあと気付かされる。