例えば障害者は電車代を割引くとか、障害者支援は一見良い事のように思えるが
障害者の存在を肯定する=能力による階層社会を肯定する=能力の高いエリートが得をする社会を肯定することになる。
すると、人々が生産に寄与しない学力競争で消耗することになり社会全体のリソースが空費されてしまう。
障害者でも家の田んぼを耕したり、親戚の伝手で職人になれたりしてお見合いで半自動的に結婚が出来る社会が「障害者が区別されない」理想の社会だったんじゃないだろうか。
マッチングアプリで人間のランクが可視化され、障害者どころか平均値の男でも生殖出来ない現代人は個体としては努力で強くなってるつもりかもしれないが種族としては弱くなっている。
逆なんだよなぁ
障害者でもハンバーガー店のマネージャーになれて 高齢者でもきちんと叱ってもらえる社会のほうがよっぽど健全よな
障害のある方が健常者顔負けの知力と術数で人心を回していたり 泣く子も黙らせるフルパワーで支配してる現場が好き。