はてなキーワード: A型とは
「お前の鬱ツイートうざいわ」と以前言われたけどやっぱりうっぷんがたまってるので
吐き出したくなる。まあわかるかもれないけど文章にすると冷静になるもので、
書こうと思いたった時点で悲しみは70%くらいに減っている。
夜中に眠れずに日々を振り返る。発端は自分が負けず嫌いだということに辟易したくらいかな。
ちょっとした練習でうまくいかず、イライラして、それでかなり不機嫌になって顔に出てた。
思考もまわらず、愛想笑いもできず、仏頂面になり、あまり話しかけられなくなっているんだと感じる。
でも治らずに感情的なままでいてしまう。そんなこんなで寝る前に考えてしまって昔のことを思い出し、
昔からおとなしく、照れ屋で、いい子だった。
怒られるのが嫌いで、混ぜてと言えず、一人でも遊んでいて、体を動かすのもインドアな趣味も好きだった。
小1の頃トイレに行きたいと言えず我慢する、上級生にネタっぽいことを言って笑われたのが予想よりもずっと恥ずかしかった
とくに親は普通だが、割と放任主義で口数もあまり多くないのかもしれない。
本当に子供のころには旅行に行ったりしたのだが中学のころには旅行などしなくなっていた。
親は自分の無口っぷりに理解があったのか、学校での出来事をあまり聞かなかったのかもしれない
そのせいか今でも自分の気持ちを聞いてほしいときに聞いてほしいということができない。
さびしいという気持ちは強かったのかもしれないが、他人に干渉はされたくなかった、
習い事も好きなアニメが見れないからと一度やめたが、さびしくなったのでまた入った。
無口だったのでとても仲いい友達はできなかったが、嫌われない程度には練習を頑張った。
モチベーションが少ないのでガチでやる人には話題が足りなかった。今でもその気はある。
小学校以来ずっと、夏休みに予定がないのが普通だ。いや、予定はあるが、遊ぼうという約束がない。
キャンプや合宿の予定はあっても人の家ではあまりあそばなかった。
いじめはあったのかもしれない。怨むほどのことではないが、プロレスゴッコをやったり、
給食のデザートはやんわりと取られることはあった。
しかし、泣いたりせずいやだと言えば案外それ以降変な絡まれ方はしないのかと思う。
もちろん相手側が「遊んでるだけ」ならばだが。
無口だったころなので、全然話さなかったが、手をつないで帰った。
いや、多分手首をつかまれて家まで送らされただけなんだがすごくうれしかった。
このころからきっと無邪気でぐいぐい来る女子に弱いんだと思う。
もうだいぶゲーム以外の会話ができなくなっていたかもしれない。
1年の頃はみんな積極的に仲良くしようとしてくれていたので、変には浮いたりはしなった。
小学校の頃の友達とは合わなくなった。まあこっちから連絡しなかっただけなのだが。
ああ、疎遠だな。でも特に会いたいと思う人もいない。
今は地元に友達と呼ぶ人はいないかもしれない。「かもしれない」のである。
多分呼べばあって遊んでくれる人もいるだろうけど、まあこれでいいかとか考えてしまう。
近年にも親にもある程度心配されたが苦笑いしたらそれ以上聞かれなくなった。
やっぱり2年生になったら1年生の知り合いにはあまり合わなくなった。
2年生の人たちが一番印象が少ない。昼休みには図書館に行ったり
自分はどのグループとかに入らないぼっちで、みんなただ優しかっただけだ。
遠足でぼっちになり、修学旅行で好きな人と組んでといわれるのがつらかった
今でもその言葉に苦しむ。人を選べない。
小学生ならプールに遊びに行ったら友達がいた。だが中学ではたまり場などない。
あの頃にはすごく学校に行きたくないということがあり、ときどき仮病を使った。
周りがとってもなかよくなっているのことにうらやましいと思っていたが、
スマブラの話をしていた。一緒に遊びたかった。ただ見つめていた。
今思うと、同じ趣味なら友達になる素養があるのだからもっと勇気を出すべきだった。
今でも思っているが、まだ仲好くないと思って躊躇してしまう。どうにかしたい。
中3の頃にはきっと学校外では1回遊んだきりだったと思う。さびしい奴だ。
このころは心が躍動していたと感じる。
仮病もあるが、学校に行ってから、すごくだるくなった時があった。きっと鬱だろうけど。
そんな時友達が音楽室行こう、と誘ってくれた。嬉しかった。気遣ってくれてうれしかった。
きっと聞かれたらいろいろ愚痴をはいていたと思う。つらかったんだよって聞いてほしかった。
でも彼はただ何も話すことなく一緒の部屋でいたと思う。
話したくないなら聞かない、そういうスタンスだったのかもしれない。
やさしさってわからないよね。自分ももっと気遣ってるアピールしなきゃな。
体育祭がすごく嫌いで厨二病ですれた自分がいたが、3年生で、もう終りか…と思うと熱くなった。
中学卒業する時、告白しようとしたが、ものすっごくどきどきした。あきらめた。
のちにデートすることになるのだが、その話は置いておこう。
携帯の連絡先を交換したのは同じ高校へ行く人数人とその仲間問う感じだった。
2人とも同じ部活だったのだが、「高校行ってもがんばれよ~」としか言われなかった。
高校へ行ったが同じ高校へ行った人以外へは連絡は何もなかった。
友人との距離感に戸惑う時期。ちょっと仲良くなり始めたころにグループ通話をしていた。
夜にどうでもいい話をするのに戸惑った。話のネタがない。このころはまだ話をしたいとは思っていなかった。
面倒くさかったのとともに、何の用もないのに通話をかけてくることに理解ができなかった。
夏休みになっても別の友人だが電話がかかってきた、「いや~なにしてるかな~と思って」
僕は特に何もと答えて、後はふんふんと相槌を打ち、質問を返すだけだった。
電話なんてそのときくらいで、友人との理由なき電話はその後6年ほどはしなかったかもしれない。
質問はすごく苦手だ。会話がはかどるには話題の数じゃなくて相手への興味とはよく言ったものだ。
彼のことはよくしてくれるし好きだが、別に興味があるとかではなかった。
でも結局疎遠になっている。Twitterではつながっているが。まあ地元では合うタイミングが0だからだ。
うっとうしくて時間をずらして、一緒に帰らないようにしたのに、ときどきは一緒にはいた。
その子に言われたことがある。とある映画を見に行った話を聞かされたとき
「いいなーボクも見たかったなー」と言ったら「え、行きたくないとおもってた」と言われた。
確かに行きたいと言ってなかった。このころやっと人にああしたいというようにするようになった。
ケンカもしなかったなあ。ただいっしょに遊んでいて楽しかった。
まあなんやかんやこのころまではすごい悩んだりせずに、
就職できればいいや、友達いらないからゲームして、アニメ見て生きられればいいやと思っていた。
勉強はいいから遊べ、コミュ力が大事、熱意があればいい、いろいろあるだろうが
何社か落ちて 、自分の存在価値を見失ってしまった。もうだめだ、人生経験がない、
そんなことをいろいろ考えてしまっていた。結果夢のキャンパスライフだ!ということになった。
当然勉強対策もあまりしていなかったので苦労した。もともとよく考えるタイプで勉強は嫌いだが、
そこそこできる人間だと思っていたので2流、3流大学にははいることができた。
地元を離れ、人も少ない地域の大学へ行った。同じ高校からは一人もいない。
大学デビューをしようと思いチャラい系サークルに入るがノリが違いすぎて2カ月ももたず
5月病で鬱がちょっとひどいことになった。あの頃は週5くらいで夜泣いていた気がする。
歓迎会でも仲良くできず、帰り道みんなから離れ、後ろでうつむきながら岐路についていた。
家で泣いた。
先輩に話を聞いてもらったこともあったが、何のためにもならなかった。
ふだんから自分の子と話す練習をしないとちょっと信頼できる人でも
30%も言いたいことを話せないと思う。
過去問は手に入る程度には浅い付き合いがある。
よく狭く深くのほうがいいというが、本当に強く感じる。
「5人いれば十分だよ」といわれるが一人でもいれば十分だろう!?
もしかしたら今の自分にも一人はいるかもしれないが信頼しきれていないのかもしれない。
もう先輩になる年齢だというのに、いい加減子供っぽくて困る。
一緒にご飯食べに行きたいと思っているが、だれかがあまり思いつかない。
好意がある人にこっそり誘ったりしても断られる。
誰かのついででは嫌だいう気持ちがあるが、君も行く?と言われて断れない
次に誘われないかもしれないからだ。ときどきおれなんかが一緒でいいのかな?と思って断る
なぜ行かないといっても「なんでだよ~いくぞ」といわれる人がいて、うらやましくて、
自分は誘ってほしそうにチラチラ見てるのに誘ってくれなんだろう。
先輩は先輩同士で仲良く飲みに行ったりしているのに、なぜ自分はぼっちなんだろう。
友達は友達でご飯よく食べに行ったり、休日遊んだりしている。自分はなんでないんだろう。
そういえば1対1で休日にあそんだことないな。みんなのついでにあるだけで。
家に帰ってからLINEしたりもないな。個人LINEどうのこうの言ってるけどうらやましい、おれもまぜて
なんでおれが飲みに行こうっていってもまた今度なの?
誰かに聞いてほしいけどいま話を途切れさせるひともいない中ずっと語ったわけで、
自分がこんなことを聞いてほしいって思っているって自覚する以上、
話を聞いてもらう人に負担が大きそうだなって思って遠慮してしまう。
普段は普通に楽しいし、へこんだ時もプライドとかいうものが邪魔をして、頼れない
かまってくれるという甘えなら無意識でずっとしてしまっている。
話せる状態では話したいと思えないし、話したいと思うようなときは精神が不安定でうまく話せない、逃げたい
そんなこんなでいまさら昔の友人や親にも話すのがおっくうです。正しいのは分かっているんだけど。
昔特に好かれないような性格してるね、っていい年をしたお兄さんに言われたことがある。
活動的な人で憧れる。学外活動で学生以外と遊びに行ったり飲みに行った経験で多少同年代の人と話が合わなかったりする。
くだらない話より、面白い話を聞きたいと思う。
好きな人もいるが、その子がよく自分の友達とすっごい長く話している、仲よくしているのでほほえましいのだが
あまりに見かけるたびに一緒に話しているので嫉妬する。客観的にみて話をよく遮られるので嫌いになってもおかしくないのだが、
自分と話が合う友達なのでしかたないなとおもう。最近好きなタイプに「自分を好きになってくれる人」とかいう人にも共感できる。
やっぱり自分を見てくれる人が好きなのである。もっと人を信頼して、もっと興味を持ちたいのです。
こんな自分をどうすればもっとまともな人間になれるかを日々考えている。
実行に移すのがいいっていうのがとっても分かっている。だけど・・・
本当どうするのがいいんでしょうか
"態度を好きになる"というのにはある程度同意するが
"態度が似通った人を捜すことが、一緒になるための近道だとおもいます。"
には反論する。
顔や体型の造形がすぐれている、経済的余裕があるというのは"動物"として生存本能で好きになるわけだが
"人間として好きになる"のは態度というか、"心のかたち"が自分の"心のかたち"とぴったり当てはまると
そこで好きになると私は考えるが
その心の形は、たとえば○と○の人が好き合うのとは、そういう場合も多々あるが
自分に無いものをパートナーに求めるのがほとんどで、凹と凸みたいなパターンの方がはるかに多いでしょ。
そういうと思っていってみましたA型でしたってそれA型っぽいね
ほとんど面識のない女性と会話をするとき間繋ぎで直接褒めて勘違いされないように
間接的にでも褒める言葉を言って気を良くさせるために間になにかたとえを
はさんでくるとこ経験してないわけじゃないでしょ
熊ってなんだよ人喰うんだぞ体重200キロだぞどんぐりで落ち着いたりしないぞとか
そんなことじゃないってことくらいはわかってていってるんだよね
例にだしてるものとかまったく適当でどうでもいい話でむしろ反射材に
つかってるだけであわよくばそっちに話題がいってくれたほうが楽なんだけどみたいな
「A型の人は几帳面だよね」は確かにアホっぽい。「A型で几帳面って本当なのかもね」だと少しアホっぽさが弱まる。「やっぱり昔から"A型だから几帳面"とか言われてたの?それで本当に几帳面になったのかな」くらいだとまあアホではないだろうという感じになる。
って言われたんだけど、何なの。君は神なの。
話してて本当によくこういう「馬鹿に見えるからやめた方がいい」とか「頭悪いと思われるからやめた方がいい」とか言われることが多いんだけど、どういうつもりで言っているのか教えてほしい。
話題はなんてことはない血液型の話とか(A型の人はやっぱ几帳面だね、とか)。ありすぎて忘れたけど、科学的根拠もないのに都市伝説的な話しをするなってことかしら。
自分の隣にいるので自分も馬鹿に見えるので嫌なのか、はたまた私のためを思ってなのか、でも「軽く見られるよ」と言われたのだけど一体誰にどんな場面で軽んじられて、それで私がどういう被害を被るのかを聞いたけど全然答えてくれなかった。納得の出来る理由があればいいけど、ただ自分が優位に立ちたいが為にそんな言葉を浴びせられた気がしていつも怪訝な顔をしてしまう。
前から気になってたんだけど、もしも仮に統計的にA型の人間は殺人を犯しやすいという研究結果が出た時に、なるべくA型の人間は増やさないようにしようというのは間違っているんだろうか。増やさないとまで言わなくとも、監視を厳しくしようとするのは間違ってるだろうか。間違ってる気がする。
まず、「統計的に」十分優位な意味をもたせるほどの事はここ数百年の全ての人間を調べても非常に難しいだろう。
その辺理解できないなら「統計的」とかふざけた言葉を二度と使うな。
でも、これが統計的に中国人は窃盗を犯しやすいから監視を厳しくしようっていう話になると受け入れやすい気がするんだけど、これは差別なんだろうか。
日常会話で、「やっぱり三月はあったかいね」と言って、主語がデカいと返されるケースはまずない。
主語のデカさを指摘される状況は、議論誘発率が高い話題において、定義を慎重にしなければ議論にならない言語であることが聞き手の知識経験に基づいているときだ。
上司にはやめといたほうがいい。
じゃあ、上司にはどうするか。
「宇宙人の慎重さはなんなんでしょうね」
「地球人も慎重ですしね」
とにかく合とけばいい。
「A型にもいろいろいるでしょ」
「いねえよ。全員ハワイ好きだよ。だって、鈴木さんもハワイよく行くし、田中さんだって行きたいって」
「いいや、違う。B型はみんなASEANに行っている。もう一人の鈴木さんも、もう一人の田中さんだってタイとフィリピンだぜ?」
「部長は?」
「分かんない。急に言いだしたからびっくりしたよ」
まあ、だいたいこんな感じでいいと思う。
http://b.hatena.ne.jp/entry/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140719-00050087-yom-sci
能見のアンケートは10万人規模なので、今回の1万人規模の調査はレベルが低いと言いたいのだろうか。
しかし、母集団が偏りまくりの10万人と、ランダムな1万人では、後者の方が質の高い調査ができるのは確定的に明らか。
id:tsubo1 tsubo1
知ってるけど…けどさぁ、かたくなに否定する人はシャレが通じないんだろうなと感じる。
「いじめているつもりはなかった。遊びの延長だった。(なので遊びに付き合うべき)」という主張の皆様。
「lottalovebizってゲイでしょ!?」「(何がしかの反論・抗議)」「あ、うん…(いや、ただの話のタネなんだけどなぁ…)」
「関連なし」は言い切れないよね。「関連があると認められない」とするのが科学アプローチとしては妥当ではないだろうか。今後、何らかの観点からは性格の差異が認められる可能性がゼロではないし。
どうしても、血液型占いに科学のお墨付きが欲しい(少なくとも否定されたくない)らしい。
しかし、そこまで厳密に調べなければ見つからないような微小な性格の差異をもって「●型は▲▲な性格」と決めつけることに、科学的な妥当性は全くない。
追加するかも