はてなキーワード: 聖教新聞とは
http://anond.hatelabo.jp/20130108203837
分かったよ。
そんなにこのデザイン変更など気になるなら、
はてなの運営がどう思ってしたのかを、はっきりと言ってやるよ。
はてな運営が、前からはてなサヨクに嫌悪感を抱いてきたのは、知ってるよな。
こんな分かりきったことを、わざわざ、言わせるなよ。
前々から、着々と、はてなサヨク除外を、はてなは進めてきたからな。
http://hatena.g.hatena.ne.jp/hatenabookmark/20130108/1357641152
> 滞留や偏りをなくすためにアルゴリズムを変更いたしました。一定時間でコンテンツが入れ替わるよう更新性を高めています。
「偏り」とはっきりとあるな。
はてなで偏りと言えば、今まで何度も言われてきたように、はてなサヨクのこと。
運営側も、何度もはてなサヨクの偏りの異常さを指摘されて、「偏り」と明記したわけだな。
はてなに執拗に貼り付いているはてなサヨクの偏りを、少しでもなくすためのアルゴリズム変更。
http://hatena.g.hatena.ne.jp/hatenabookmark/20130108/1357641152
> 今までのイメージを更新する色彩豊かなページになっています。各カテゴリの人気エントリーや新着エントリーはタイルを並べた様なデザイン
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1301/08/news128.html
http://hatena.g.hatena.ne.jp/hatenabookmark/20130108/1357641152
> 今後のはてなブックマークにご期待ください
> 追って1月30日には、ブックマークのコメントが一覧表示されているページを刷新いたします。
この30日の変更では、さらに、はてなサヨク除外に勢いをかけるんで、よろしく。
この件は、はてなサヨクのコメントが一般に受け入れられないほどに偏っているので、
その偏りを改善するために、変更するわけ。
それを本気で言ってるのか?少しは考えてみろ。
「敵にまわすと恐ろしいが、味方にすると頼りない」とか言うが、
はてなサヨクは、これ以下だよ。
「はてなサヨクは味方にすると頼りなく、敵にまわしてもウザいだけ」
はてなを毀損する印象を与えて、一般ユーザーが会員になることを
さんざん除外してきたのに、はてなで我が物面をしているからな。
前も言われていたが、赤旗機関紙ばっかりをはてブのトップに押し上げてくるのは、
アメブロで二番目の被ブクマ数を誇るのが、偽善サヨクの「すくらむ」だったよな。
芸能ブログのアメブロでさえも、政治色でベッタリ貼りつけるとか。
お前、無党派層がどれだけいるのか、分かってるのか。
はてなサヨクって、twitterでも我が物面してTogetterまとめでも
仮想のウヨク敵に必死になって、はてな外にもゴミを出してきているから
あらゆる有名サイトがやっていること。
はてなだけが、はてなサヨクを我が物面させて、はてなにいつまでも放逐させて
そのままにしておくに違いない!ってアホか。
はてなの自業自得であるが、あまりにはてなサヨクが調子に乗りすぎているから、
はてなが対策しているわけだよ。
ノイズを消すのは当たり前だが、それが何か?
はてなの一番にウザいノイズの存在は、はてなサヨクだが、それが何か?
一般会員を増やしたいためにしているのであって、
はてなのノイズがデザイン変更が嫌とか言うのなら、他に行けよ。邪魔なんだよ。
ブヒブビ言っても、今まで素直にはてな様の変更に従ってきたから、
はてな運営「はてなサヨクがまた変更でブヒブヒ言ってるが、こいつらって、口先だけで何の抵抗も影響力もないから、結局、素直に従うんだよね(笑)」
http://anond.hatelabo.jp/20120724021819
これ読んで、似たようなケースだなあと思って。
というのも、結婚して10年目くらいで父親が信仰に目覚めてしまったから。
後だしジャンケンだ。だから俺の家族は強制的に泥試合に参加しなくてはいけなかった。
増田が今の彼と結婚した場合の家庭像に少しは近いかと思うんで、参考までに。
(創価学会の信仰の特徴は2ちゃんなどで得た知識なので、違ったらごめん)
"恋人として一緒にいる分には、何も支障がありません"
つまり、世間体だ。日本は(世界知らんけど)見えない空気感と戦わなくちゃいけない。
それが読めないと苛められちゃったりする。
日本で新興宗教に信仰があることは、あまり良い評判にはならないだろうな。
これで何とかやってけるのではないかと思った。
両家の家族間の問題はクローズドに行われるので、まあ頑張り次第(彼氏が宗教観で迷惑をかけない、彼女が宗教観を乗り越えられると説得)
で何とかなるんじゃないか。血のつながった家族だから、そこまで無下にはされないだろう。
友達、職場、ママ友、これに尽きる。バレたら裏でチクチクとバカにされる。
仲間が寄ってくるかもしれないけどw あまり良い事はないはず。
「選挙の時期に創価の友達から電話がくるよね」みたいなエピソードを「あるある〜まじキモいよね〜w」と軽く受け流せれば支障はないはず。
家に遊びに来られたら必ず、聖教新聞は他の部屋にぶち込んで、「旦那はゴルフに行ってて家にいない。」と言いきろう。
俺は父親が信仰をまったく押し付けなかったのが救い。これは父親のスタンスで大きく変わる。
思春期を迎えると父親の部屋に隠されたエロ本よりも、本棚に堂々と置かれた「人間革命」の方が如何わしい存在に思えてくる。
友達を家に呼んだ時に仏壇等見られるのが怖く、家に呼べない最悪なフラストレーション。堂々としたい、世間から認められたい、と強く思うだろうな。
そんな父親を責めた時に、母親が父親に加担するようなことがあろうものなら、グレる可能性もある。
しかし、そういった青春を送った子供は「人からどう見られるか」能力が秀でるので、他人の痛みも痛いほど感じれるようになり、他人に優しくなるという反作用もあったりする。
ここで増田のために、こんな駄文を書くバカ息子が生まれるってわけ。
本文でちょっと気になったところ。
”いざ自分の一番身近な人の信仰について知ったとき、受け入れられなかった自分自身に一番ショックを受けた”
"そんなことよりも一番大切で、悲しいことは、彼の信じてるものを私は一生信じられなくて、彼がそこまでして大事にしている信仰するという気持ちを、
私はこの先も共感できないことです。"
俺は父親の事が理解できません。血のつながっている相手でもわかりあえない。というか、もうあきらめましたわ。
結婚相手には血のつながっている家族以上に、多くをわかりあえる存在でありたいと思うもの。
ただ、聞いた時に受け入れられなかったのは母性本能に近い感覚じゃないかな?
「この人と一緒になった時に、超えなくてはならないハードルがたくさんある」
それをパートナーへの愛が強い弱いの話に置き換えるのは、はき違えもいいとこ。
この部分は間違いなく自分を責めなくて良い。それを増田に伝えたくてこの文章を書いてる。
こっからは、どれくらいのバランスを取るかって話。0か100か真ん中かってこと。
・隠し通す
恐らく「創価学会です」とオープンにして世間の見る目が劇的に良くなる、という日は訪れないだろう。
そんな時代に、リスクを取らずに生きて行くなら上に書いたみたいに隠しながら生きていくということかな。
・オープンにする
恥ずかしい事と一切思わず、オープンにする。そして世間の目から鈍感になる、ということ。
裏で何言われたって良いでしょう。死にはしません。
後ろめたいと思っている彼は、そんな増田のがんばりを見てキュンキュンしちゃうはず。
・ちょっとはみ出す
母親は「もうあの人はしょうがない」と腹をくくって、「旦那の趣味は宗教」みたいな形で仲間内では言ってるらしい。すげえ。
可哀想な奥さんを演じることで、周りを味方につける。
ただ、父親の前では彼をバカにしない。よくわかんないめんどくさい話も聞いてあげる。
世間体を少し変わった角度から保ちつつ、旦那のプライドも保つ。
これは、皆があまり傷つかない。
パートナーが盲目の場合は、もう1人がバランスを取ってあげる、ということ。
その覚悟をしてまで、相手を想う気持ちがあるのであれば、ちょっとはみ出す人生も良いんではないだろうか。
宗教観は今回の彼のように長い時間をかけて創られている場合、動きません。
それは増田が言っても、上戸彩が懇願しても、成瀬心美がキス我慢選手権を開催しても、絶対動きません。
俺も無宗教だけど、信仰を持つ人の異常さに気持ち悪さを感じる一方、自分が正常だと信じれるものだって何も無いとつくづく思う。
何となく働いて結婚して子供育てて幸せに人生終える、そんなことを目指してる。
でも、それだってマスコミが作り上げた資本主義が円滑に回るための、家庭像なだけだ。
だからそんな(普通の)奴らが目を覚ましなさい!って言っても、お前ら本当に目を覚ました状態なのか?って向こうの(信仰心がある)奴らは思ってる訳だ。
見ている世界が違うんだよな。
今回の増田の文章を読んでいると動揺もあるようだけど、好きな人と楽しく暮らしたいっていうような「普通志向」があるかと思う。
その考え方だと、あまりオススメできないかな。厳しいようだけど。
彼自身が「少しでも宗教観を分かち合いたい」と考えてるようなら、増田も人間革命をブックオフで100円で買って読まなきゃいけない。
それがきっと、彼にとっても幸せなことだと思う。
彼がどう考えてるか聞いてみたらどうだろうか。
どんな生き方をしたいか(その人生に創価がどう関わってくるのか)具体的なケースを聞いてみたらどうだろう。
今は感覚値だから、増田が嫌だなあ、と思う具体的な事例を想像してみよう。
昔の友達に話すのは、いける?
婦人会とかのイベントに参加するのは嫌だとか(主催者側の彼が嫁を参加させなくても平気なのか)。
仏壇は隠れた所に置かせてもらう(来客時は布かけるとか。できんのかw?)とか。
それで、増田が乗り越えられそうなら、考える。彼が求めるレベルとすり合せる。
無理なら、マスコミが作り上げた「クレヨンしんちゃん一家」みたいな普通の家庭を築けそうな人を、探せば良い。
どっちかが無理していることって、辛いからね。
俺はどんな宗教でも信じてる人は、基本的にピュアでいい人なんだろうなと思ってる。(金儲けとかに使う側以外の人ね)
前述の通り、今の日本ではそんな人達は、みんな肩身が狭いのかなと思ってる。
だからこそ、増田には無理して欲しくないし、増田の彼にも幸せになって欲しい。
何となく生きてる我々が、宗教を小バカにするのは良い。俺もキモいと思ってるし。
だけど、自分の信じてるモノの崇高さを語れるのか?って話。
この文章を読んだ人は、相変わらず宗教キモいな、って思っててもらっていいんだけど。
ちょっとでも視点を変えて、優しい目で信仰している人々を見てくれることを祈る。(決して信仰しろとは言ってない)
人に害を与えなくて、小さなコミュニティでやってる分には宗教って精神的には良さそうなもんだと思うんだけどね。(でもやっぱすげー気持ち悪いとも思うんだけど。)
でも今回のとこは政治とか企業まで関与してたりするから、ちょっと別問題か。話でかすぎてもうわかんないや。
おっと俺が怪しい宗教家みたいになってきちゃったぜ。
寄り道しないで、家帰ってここみんのDVDでも見よう!
付き合って5か月、なかなか部屋に呼んでくれないな、と思っていたら、カミングアウトされました。
その時はリベラル気取って、差別しないし気にしないと伝えたけど、やっぱり難しいです。
私はどうしたらいいのでしょう。
仕事で知り合った彼は4歳年上で、とても優しい人です。
温厚で、めったに声を荒げないし、落ち着いていて考え方もスマート。
興味も幅広く、いつもいろいろな話をして私を楽しませてくれます。
ドキドキする感じはそんなにないけど、一緒にいると落ち着くし、私のことを理解してくれる、まさに将来の旦那さんにするには最適な人です。
彼から告白されて、とてもゆっくりだけど距離が近づいて、だんだん好きになっているのを感じていました。
出身地、家族、仕事や友達の話、趣味、興味、それから少し将来の話をすることもあります。
でも、大学のことについては詳しく聞いていませんでした。
それでも私は彼氏の学歴とかは気にしないし、あえて大学名を聞くのもおかしいと思っていたんです。
彼の家は、おばあちゃん、お母さんも創価学会員で彼は立派な3世。創価大学卒の“エリート”でした。
毎週とか、月に一回とか地域で集まりがあって、詳しくはわからないけど彼はその集まりの中で、どちらかといえば主催者側の立場にいるようです。
5か月も黙っていた理由として、彼は本当のことを言って、私が離れていくのが怖かったと言っていました。
きっと小さいときからずっと創価学会で、もちろん大人になってからも、いやな思いをしたことがたくさんあったんだろうと思います。
それでも、はじめて彼から伝えられたときは、「私はだまされていたのか」と思い、とても悲しかったです。
もちろん彼は、絶対勧誘はしてきません。
それどころか普段は一切そういう信仰や、考え方について話をしません。
あらゆる考え方について尊重してくれるし、私の考え方にも理解を示してくれます。
私自身はといえば、自称国際人として、国、人種、そして宗教などで人を差別することはもっとも愚かだと考えて生きてきました。
それぞれの違いを尊重して共存できると信じていたのに、いざ自分の一番身近な人の信仰について知ったとき、受け入れられなかった自分自身に一番ショックを受けたのかもしれません。
恋人として一緒にいる分には、何も支障がありません。
集まりの予定より先に入っているデートの約束は、優先してくれるし、観光地としての神社やお寺にも、一緒にお参りに行くことができます。
でも、彼は私と家族になることを望んでくれていて、私は創価学会の人と家族になる自信がありません。
たとえそうじゃなくても、創価の人と結婚したら、私も創価だと思われるんじゃないか。子供が生まれたらどうなるのか。子供が大きくなったら、彼の信仰についてどう伝えればいいのか…。
そんなことよりも一番大切で、悲しいことは、彼の信じてるものを私は一生信じられなくて、彼がそこまでして大事にしている信仰するという気持ちを、私はこの先も共感できないことです。
気持ちを正直に伝えれば、彼は私といることを選択するために、創価をやめてくれるんじゃないかと思っていました。
それくらい愛されていると感じていたのです。
でもそんなのは甘い考えだということも、私は知りませんでした。
私はどうすればいいでしょうか。
偶然にも俺はその日起きていてリアルタイムで見ていた。
あの時「これはなにがやばい」とは思っていた。だけど情報が多すぎた。
だから「まぁそれなりの報道をまとめてしてくれるだろう」、そう思って次の日を待っていた。
…何のことかって?聖教新聞だよ。
これはあまり有名ではないかもしれないが、聖教新聞は世界四位の発行部数を誇る新聞である。
だからこんなことを幻想していたんだ、「こんな状況ならさすがに一面トップで報道するだろう」…って。
他の新聞は御存知の通り報道された。たしか一面トップどころかほとんどの紙面をさいたはずだ。
まともにまとまった紙面で俯瞰して見られそうなのが聖教新聞だけだった。
一面は、いつものとおりの―そう、いつものとおりの、創価学会についての記事だった。
たしかに少しは書かれていたが、それだけであった。
社会面にはそれなりに書いてはあったがそれだけ。
それだけだった。
題のとおりの、すべての状況で同じような感じであった。
イラク戦争では反対するかと思ったら消極的賛成。
3・11も独自取材では会員のことしか書かない。
物心ついた時から「勤行」「御本尊様」「座談会(俺の地域では学会員が10人程度集まって、信心して良かった事を言い合ったり、お菓子を食べて世間話をしていた)」「勝利(「目標の達成」の意味らしい)」というような言葉が溢れていた。
北海道新聞に加えて聖教新聞、公明新聞もとっていたし、それが普通だと思っていた。
母親は学会員、父親は無宗教。俺は「創価2世」だった。
小学校ぐらいで創価学会というものを理解し、宗教団体であること、池田先生がトップであること、戸田先生、牧口先生という人物がいたことも理解した。
俺は純粋だったので……というか「こういう環境」で育ったせいもあるが、創価学会というものに何の疑いも持たなかった。
周囲の婦人部(おばさんの学会員を総じてこう呼ぶ)の人達、青年部(青年男女の学会員を総じてこう呼ぶ)のお兄さんたちはとっても親切で優しくて、母親にくっついて座談会に来ている俺を可愛がってくれた。
ある時、俺が「俺は学会に入らなきゃだめなの?」と座談会で発言したことがあった。
みんなは「それは〇〇ちゃんが決める事だよ、お母さんが学会員だからって無理して入らなくてもいい」と言い、また、
「入っても入らなくても、みんな〇〇ちゃんの事が大好きだよ」とも言った。
俺は創価学会の人が大好きだった。
中学の頃、ネットで創価学会の悪い噂を知った。それは多分、噂じゃなくて真実で、実際創価学会は悪い。
被害者の書き込みを目にする度に、申し訳ない気分になったし、創価学会の親を持った事、創価学会の知り合いがいる事が恥ずかしくなった。
思春期だったことも手伝って、座談会にも行かなくなったし、仏壇の前で手を合わせることも無くなった。もともと創価学会に入信してはいなかったので、フェードアウトは簡単だった。
近所で学会員の知り合いにあっても無視をしたし、母親に創価学会はダメだ、ネットにこう書いてあった、と力説し、「もう創価学会には関わりたくない」と告げた。母親は、〇〇が決めたことなら、とだけ言った。
今俺はフリーターをしている。専門を出た後会社に勤めたが、劣悪な労働環境で精神を病んで退職した。
バイト先と実家の往復で、だらだらと日々を浪費していると死にたくなる。妹は東京に行き、それなりの大学で勉強している。引け目はあるし、定職に就きたくないわけではない。ちょっと人生を休んでいるだけだ(と思いたい)。
最近外に出て散歩をする事が多い。近所を歩くと馴染みの婦人部の人に会うことがある。
「今日はお休みなの?」とか「仕事はどうしたの?」とか、そんなことは訊いてこない。世間話をするだけだ。それと、昔の話。
俺は今まで、ただの一度も、創価学会の勧誘を受けたことはない。嫌がらせも受けたことはないし(学会員の息子だからかも知れないが)、周囲の学会員はいい人ばかりだ。
青年部のお兄さんは飲みに連れて行ってくれて、病気の俺を「大丈夫だ、なんとかなる」と励ましてくれる。婦人部のおばさんは会うたびに手作りのお菓子をくれたりする。
「学会員じゃないのに」と俺が言うと、みんな「学会員じゃなくても〇〇くんが大切なんだよ」と言う。
「創価学会」ってなんだ? 一部の学会員が迷惑な事をして、創価学会は叩かれる。
俺は創価学会が嫌いだ。調べれば調べるほど最悪だし、正直自分がそんな目にあったらと思うとぞっとする。だけど、少なくとも俺の周りの創価学会員はそんな事をする人たちじゃない。
気を配りあって、助けあって生きているし、彼らはそれを信じている。俺が環境に恵まれていたのかも知れない。もしくは、俺が洗脳されているのかも。
創価学会を一纏めにして叩かれると哀しい気持ちになる。仕方ない事なのだと思うし彼らは実際迷惑なんだと思う。
だけど俺は、小さい頃頭を撫でて遊んでくれたおばさんに、たとえネット越しでも「草加市ね」とは言えない。
別に、おいお前ら、創価学会員にはいい人もいるんだから叩くのはやめようぜ、とか言いたいわけでもないんだけど。うーん。なんだかなー。モヤモヤ。
数年越しのレスですが、本人です。
現在は、聖教新聞を読んだり、ネットで池田名誉会長の詩を読んだりしています。格調高く、人を鼓舞し暖かくする言葉は、素直に耳を傾けるといいと思います。
ただし、宗教にはこだわらないので、キリスト教イスラム教その他宗教でないものにも、素直に耳を傾けていることが、高校までと決定的に違うことかと思います。
1.学歴は?専攻は?面白かった?
転職を繰り返し、つい最近退職しました。小売店で、仕入れや陳列などを任されていました。月収20万。仕事の内容は面白かったです。
ただ、人間関係や社のブラックな考え方についていけず辞めました。
これからはもっと自分に合う仕事をやりたいとこんな時代にも関わらずの決断です。
格調高いものが好きです。
ファッションも好きです。
休みは、自宅で映画みたり家計簿つけたり、だらだらすごしたり。
美術館やバラ園散策、半日本屋やCDショップに入り浸ることも。
4.本は読む?映画とか?どんなの?
本は人生の肥やしだと思っています。
月に3~4冊程度、拾い読みで7~8冊。
100年スパン、数世紀スパンを読みつがれる名著に触れたいですが、
実際はそういう本はこれから増やす段階です。
ヘッセ、宮本輝、7つの習慣、ダ・ヴィンチ・コード、BLコミックなどいろいろ。
5.交際範囲は?恋人は?友達は?何系とかある?
大学までの友人、つまり宗教がらみの交友関係は日常生活ではまったくありません。
今となっては大事な友人たちですが、宗教活動をやっていない、また仕事や人間的成長の面で後ろめたく思う気持ちがあります。
日常でつきあいのある関係は、地元で知り合った友達1人とその彼女、恋人・セフレが入れかわり立ちかわり(笑)で1~2人、
1回カラオケに行った元同僚、買い物つきあいのある実の姉とその子どもたちくらいです。
知り合いとしては、芸術家肌の普段スーツ着ないでどうやって食べてるのっていう人と近しくなる傾向があります。
品性のある人、根のやさしい人と付き合うことにしています。
6.増田にとっての世界はどう見えてるの?自然科学的なもの?超自然的な真理の法則があると思う?そういうのはどうでもよくて、地表百メートルの人間の生活圏内の人間関係が全てとか?どこに重きを置いているのかある?
自然科学的なことは、世間一般なみにそのとおりだ思います。超自然的な真理の法則はあると思います。科学で証明できないことはこの世にたくさんあり、そのうちいずれ科学が進歩すれば証明される類のこともあれば、主にその人の精神のために信じたほうがよりよいだろうこともあるという見方です。後者は、例えば「神を信じ感謝する」そのことによって明日を生きていけると本人が思えば、そうすればいいというだけのことだと思います。だから、誰かに少なくとも強くは押し付けることがありません。本人の主観と信念の問題です。神がいて、あるいは仏の不思議が働き、運命や宿命を腑に落ちるようにとらえることのできる物語が、本人の中で社会生活と折り合いがついていれば、それは大いにありだと思います。
7.これからなにをどうしたいの?
幸福に生きていきたい。
死ぬときに、心から愛し信頼する人がいて、心から愛され信頼してくれる人がいるような人生にしたい。
お金も仕事も老いも病もすべてのことの大前提に、ただ人生を楽しく力強く生きていく生命力をつけたい。
人の一生をものさしにすると、その間に起こることをすべてひっくるめて、心を強く美しくすることがいちばん重要だと思うんです。
そのために信仰が僕にとっては必要だと、年を重ねるほどに確認します。
かかるお金は、御本尊をもらうときの入会金(?)3000円也。月々の聖教新聞が1880円?だったかな。あとは年に1回の財務というのがあるらしい。
朝晩、御本尊に向かって法華経の方便品と寿量品を読み、「南無妙法蓮華経」という題目を唱える。
いろいろな世代の男女の地域の学会員が集まる座談会という月1の会合に出席する。
あと平和会館とか文化会館という名前の建物で「幹部会」などのテレビ中継(録画)を見る。
ほかにも役職があがってくると活動が広がってくるらしいが、今のところ、そんな感じ。
男女の分かれた部活というのがあるらしいが、それには出席していない。
入会から数ヶ月たったが、なんかよくわからんなぁーっていうのが実感。
ほかの宗教のことは知らないけど、教祖様がなにかしてくれるってわけでもなさそう。
基本的に、自分の力で未来を切り開いていきなさいという、ある意味、突き放された教えみたいだな。
あとはすごく現世利益追求型に感じる。
ことあるごとに「先生が~おっしゃられた」という。
日々、勲章をもらったという報道が一面を飾られる聖教新聞が届けられる。リーダーとはかくあれという言葉が羅列された新聞。
正直、なにがそんなに彼らをひきつけるのかさっぱりわからん。
http://anond.hatelabo.jp/20091024124822
「普段はどんな新聞を読んでいるのですか?」
「聖教新聞です キリッ」
ずっこけた
まさかとは思ったが、
クックックッ 腹が痛い。
人事部長「どうして関心を持ったのですか」
さすが突っ込む
「日本の首相よりも池田名誉会長の方がえらいということがわかったからです」
「どうしてえらいのですか」
A君 急に黙り込む「・・・」
少し考えて、「わかりません」
「ではどうして首相よりも池田さんですか?その人が優先される理由はなぜですか」
「すいません」
「謝ることはないです。」
「すいません」
「別に謝ってもらうための面接ではないです」
「では次の質問にいきましょう」
・・・・
たしかこんな感じ。
もちろん不採用
ちょっと変なやつかどうか調べるには、どんな新聞を普段愛読するか聞いてみるといいよ
一面は創価大学の話。
選挙は社会面(という呼び方で良いのかな?)
「衆院選 公明党各地で検討光る」
献身的な支援に感謝
比例区 各ブロックで議席
第45回衆院選は30日に投票が行われ、即日開票された。
公明党は連立政権10年間にわたる多彩な実績を示すとともに、
「公明党にはブレない政策、やり抜く力がある。
社会保障の舵取り役、景気回復のエンジン役となり、生活を、雇用を守り抜く」
と訴え、各地で激闘を繰り広げてきた。
各地での開票作業が進むにつれ、党員・支持者の献身的な支援が実を結び、当選を果たす公明党候補が相次ぎ、
午後11時45分までに比例区12人の当選が確実となった。
開票状況を受け、太田昭宏代表らは、東京・新宿区の公明党本部に特設された開票センターで、党員・支持者の献身的な支援に深く感謝。
今後も生活者の目線に立った政策を着実に実現していく決意を語った。
さすが、ポジティブだな。
太田、冬柴が負けたのは、記事本文最後に「健闘及ばず惜敗した。」と書いてある。
半分狂信的な母は当然、わたしが小さいころから活動を強制していた。わたしは小学5,6年からどうにもがまんできなくなり何度かぶつかりながらとうとう中学卒業と同時にきっぱり活動終了を宣言した。
しかしそれは一方的なものなので、学会の名簿には名前が残ってる。一人暮らしをはじめても、その地域の学会員が、仲間が来たと連絡を取ってくる。その人たちは丁重にお断りすればあと一切連絡は来ないが、引っ越すたびに必ず一回はやってくる。もしかしたら母が裏で手を回していたときもあったのかもしれない。
一番古い友達は、子供のころいっしょに活動していた創価学会員だ。友達はわたしがやめた経緯を知っているので、誘ってはこないが、生活の基盤が創価なのでちょいちょい話題には上がってくる。冗談半分で「今度の選挙よろしくね」くらいは言う。
母の妹も学会員で、わたしが抜けたばかりのころ一度説得されかかったが、聞き入れなかったらキレられてそれっきり会っていない。
母はあきらめてはいない。はっきり「あきらめてない」と言われたし、たまの仕送りには聖教新聞もしっかり入っている。
だが別々に暮らす年月も長くなって、もう言い争うのも疲れたし、年に2,3度会うときくらい穏やかに過ごしたいという思いはいっしょで、お互いこの問題には触れないようになった。
なったから、いいんだけど、わたしはもうこの宗教に対して激しい嫌悪感を抱いている。この宗教のせいでいらん苦労をさせられたと思っているのでもう金輪際、アリの子一匹、かかわりたくない。
友達や叔母は、会わなければいいのだけど、母は創価学会が持つ墓地に墓を買っている。母が生きているかぎり、死んでもお葬式や、墓参りするかぎり、あの三色旗を目にする機会があると思うと、少しだけ、ほんとうに少しだけ、絶望するときがあるのだ。
--ほんとうはhttp://anond.hatelabo.jp/20090809234058にトラバ送りたかったんだけどやり方がわかりませんでした。
自分が住んでいる地域は、近くにデカイ会館があるのもあってかはわからないが、創価学会の信者が結構いる。
自分はカラオケ店で働いていて外で誘致宣伝をしていた事もあり、聖教新聞を持ってプラプラ歩いている70後半ぐらいのおばあさんを見かける事が何度かあった。
ネット上に溢れてるひどい勧誘方法では勧誘を受けた事はないが、高校生と大学生の時にそのおばあさんに話しかけられたことがある。
高校生の時は、年齢を聞かれて池田大作の素晴らしさやすごさを延々と説かれた。
入れ歯をはめていないように口をモゴモゴさせ、はっきり何を言っているかわからなかったが、池田大作の名前と聖教新聞を指さしている時点で何を言ってるかくらいは流石に理解出来た。
その時はバイト中だったので、無碍に無視しても騒がれたら店の評判に関わる!と本気で思ったので、話を真剣に聞いているフリをして適当に頷いていた。
それに気分をよくしたのか定かではないが、おばあさんは自分に今度集会(?)に来ないか勧誘してきた。
これが、勧誘か…!と思いながら、今考えたら意味不明だが「未成年なんで無理です!」と言って小走りで走って逃げた。
そしたら、見知らぬおじさんが、「ばあさんくあwせdrftgyふじこlp;@:」とわけのわからない言葉を発して追っかけてきて本気で逃げた。
この事件がきっかけで俺の頭の中では、創価信者は頭おかしいと刷り込まれた。
それから何年か経って大学生になったが、またバイト中に話しかけられた。最初道を聞いてきたので答えたら、何故か大作のすごさに話が摩り替わっていた。
勧誘の仕方がうまくなったみたいだ。
その頃は酔っ払いのオッサンに話しかけられる事もあり、多少慣れていたのでまたお前か!と思いつつもめんどくさいから無視をして違う場所に本気で逃げた。
それにもうバイトをやめる予定だったので、バイト先の評判なんてどうでも良かった。
相変わらず、高校生らしき子を勧誘していたが、高校生は逃げるように電車を降りた。
その後、何もなかったかのようにイスに座り聖教新聞を読んでいるのを見て、まだ元気にしてるんだね!早く死ね!と思いつつ僕は電車を降りた。
創価学会三世です。祖父母の代からの会員です。
両親は一応両方とも学会員だったけど、父と母の学会に対する温度差が大きく、
というよりむしろ父はほとんどノン学会員みたいなもので、
それが原因でうちの家庭はずっと機能不全だった。
そういう環境で長年育ってきたことから受けた心の傷やゆがみみたいのはかなりあるなーっていうのは
自覚してる。
でも、いい歳して「トラウマ背負ってるんだー」とか「不幸な生い立ちでー」とか言うだけ言って
自分の人生をよりよい方向に向けていこうという心構えのないやつは馬鹿だと思ってるので
時折自問自答したり、近しい人と話をしたりして、そういうディスアドバンテージを乗り越えようと努力している。
信仰、というより、学会に盲従するような人だから、基本的には朴訥としたいい人、
疑うことを知らない人、優しくてかわいい人なんだと思う。
何より、世界でただ一人のお母さん。
最近は歳をとったせいか若干脳内お花畑はいってきているのも涙をさそうんだけど、
一生大事にしたいと思っている。
でも、会話をしているとしょっちゅう学会のこと、聖教新聞のこと、会合のことを言われるのが苦痛。
ほんとに苦痛。
読みたくもない聖教新聞を豊かではないポケットマネーで購読していることで親孝行と思ってくれよ。
それ以上はまじ無理だから。
まあでも今は別の家に住んでることもあり、なんとかのらりくらりとかわしている。
最近思うんだ。もう遠くない、近い将来、創価学会はかなりの変質を迫られるよね。
ほらだってあのプレジデントもご老体だし、人間には寿命があるから。
外から学会を覗いていると「うーん、来るべき時にそなえてプレジデントのさらなる神格化と内部引き締めに躍起になってるな」
と感じるわけなんだけど、実際あのプレジデントがみまかられたらどういう風になるのかは未知数。
求心力は必然的に低下するんじゃないかと思ってる…ていうか、低下してほしいと願ってる。
何も根拠はない…ただただ主観的に願ってるだけ…。
もしそうなったら、学会の雰囲気が変わったら、末端信者がもっと生きやすいようになったら、
そうしたらもっとお母さんと話をするんだ。
もっともっとお話しするんだ。
もっと近くに寄ってお母さんを大事にするんだ。
「聖教新聞読んだ?」「池田先生のご指導から離れちゃだめよ」なんていう言葉を聞かずに
たくさんお母さんとお話するんだ。
お母さんも「この子は学会から離れて…心配だわ…」とか思わずに
にこにことした老後をすごしてくれたらいい。
孫に信心を受け継がせなくては!とか躍起にならずに家族団らんを楽しんでくれたらいい。
あの組織が早く弱体化しますように。