はてなキーワード: 産まない自由とは
そこに自由などない。
例えばだ、仮に女にとって出産すべきかどうかは全く強制されないとしようか。
このとき、出産する女は4人産まないと、人口は減少し社会が衰退する。
当然だよね、産まない女の分も生まないといけないのだから。
活動家どもが「女には産まない自由があるべき」というとき、彼女らは、自分が「出産するやつには4人の子供を出産させるべきだ」と同時に発言していることに気付いていない。
繁栄というものを、ATMが勝手に持ってきてくれるものと思っているのだろうね。
ご飯は実家のお母さんが作り、お金はお父さんがかせいで来てくれる。
貴方がたは、いや今の日本ではそもそも金が無くて育てられない~、とか言うだろう。
それはその通りだ。
しかし、例えば貴方がたは国から潤沢に補助が与えられたとして(日本は今は1カ所1億円のこども園をしこたま建設しまくっていて、それが終われば次の予定もあるし、今後50年ぐらいのスパンどんどん補助は増える方向だ)その時4人の子供を育てる気があるのか?
そもそも、先進国で子供の数が減るのは「社会が豊かになると他に楽しいこと得なことが出来て、子育ての利益が相対的に減るから」であるとされている。補助を増やすことが子育て対策になるのは、子育てのコストを減らすことが子育てのお得度を増すことに繋がるからのわけ。
でも、子育て以外の活動のお得度も同時に上がっていくんじゃ、どうせだめなのよ。
なので女性にはどうあがいても「結婚して産みなさいよ」という圧力が誘導がかけられないといけない。出産する女としない女が、90:10 ぐらいの割合になるべきで、そのうえで子供は2~3人ということにしないとけいない。
喪女とか喪男というのは、せいぜい申し訳ない気もちになってもらわないといけない。
ベビーカーで満員電車に乗ることの是非を書いた記事がいくつかバズっていてたのですが、「お前が好きで子供を作ったんだから他人に迷惑をかけず勝手に育てろ」という発想をしている人が多いことに衝撃を受けました。
「結婚しない自由」「子供を作らない自由」が個人に与えられているのは事実ですが、「社会の維持のために、一定数以上の子供を産み育てていくことが必要」なことも揺るぎない事実です。
たとえあなたが一生結婚せず子供を作らない生き方としても、あなたの生活の維持のために誰かが子供を産んで育てなければなりません。
誰かの給料や報酬は、消費者が何らかの商品やサービスの対価として払った代金がまわりまわってきたもの。
子供が減れば社会の構成員が減り、消費者が減り、まわりまわってあなたの収入が減ります。
年金も減ります。労働者が減って必要な社会インフラさえも維持できなくなるかもしれません。
「子供を産まない自由」はあっても、「社会の構成員として子供を育てない自由」は無いのです。
こんな当たり前のことを理解できていない「年を取っただけの子供」が一定数存在する社会になってしまったことを慨嘆しています。
百歩譲って(今の子供が大人になるころには存命している可能性が低い)高齢の方がそのような発想になるならばまだわかりますが、これから数十年間は社会で生まれ来る子供たちに支えられて生きていくあろう若い世代にも自己中心的な思想が蔓延してしまったら手遅れです。
私は社会の構成員として、そして子を持つ親として人の温かさに触れることが多いため、まだまだ日本の大人を信じています。いえ、信じたいです。
満員電車でベビーカーを見たときに舌打ちをしそうになったならば、「年をとっただけの子供」になってしまうかどうかの瀬戸際にいると思ってください。
結婚しない子供産まない事が問題として挙がりがちだけど、まずは結婚、子供を産む、育てる事へのしたいけどできない、そこをいかに掬い上げるかに焦点あてるべきなんじゃないのかと思う
経済面での問題は比較的分かりやすい課題(簡単という意味でなく)ではあるけど先進国の少子化傾向を考えて恐らくそれは社会的に産む産まないの選択を個人の権利と認めて(求めて)その権利の幅を支持できる土壌の成熟度って面からだと思っててその権利の部分を社会として保ったままでも育児や産む環境の意識改革で数字が改善出来てたりの例を見ると経済だけじゃない個人の選択以前の環境整備とそこへのものも含めた意識の問題はやっぱり大きいんじゃないかなと思うし、今日本が経済含めそういう状況に満たないとしても今回のやつみたいな産まない自由が人権に則するものだって認識が一般的に(個人の是非は別としても)もうあるなら他の課題と並べて注力し始めるべきものなんじゃないかと思う
特に養子周りは制度自体変わってはいても少子化というよりあくまで子供のための環境改善を目的にしたものに見えるし(そこを優先するのは当然ではあるから+αが必要という意味で)
キリスト教圏との宗教的罪悪感の差異を抜きにしても産んで手放すって部分の選択肢としてのそもそもの挙がりにくさというか、そこが更に産まない、産めないって状況の人たちの選択肢にも関わって来てるように思えて、それは制度への理解と周知、意識的なところへの環境整備の薄さからに見えて、先進国における少子化対策に必要なのは焼け石にどう水かけるかって事じゃなくて焼け石をどうカチ割っていくかって話だと思うんだけど、他のよく聞く少子化課題に比べてのまず聞かなさこそまさにそこに焼け石があるって証なんじゃないのかって思う
焼け石っていうのは制度の問題として解決が可能な社会的な、また結婚子供に関する現代の事情に添わない観念で、その中には子供を産み育てる状況、環境へのものも多くてそれは一概に偏見てだけじゃなくもちろん現実に即した懸念からのものでもあるのは分かってるんだけど、産む自身も含めた転ばぬ先の杖的にそれをやり過ぎて杖を用意するのはいいんだけどその事で杖がなくても転ばない、転んでしまってもケガを負わない様なところへ話が行かないというか、たまに軽く炎上するような男性と結婚する気ないけど同性婚が可能になったら女同士気の合う相手と結婚して養子取ったりして余生過ごしたい的なものもそれで、見てたら炎上と同程度同意する人もいてじゃあその人たちは一人でも養子とる(現実無理だし海外でも難しいらしいけど)って発想になるかって言ったらざっくりの夢物語でもきっとそうでなく、それは経済というより子供を育てる環境(自体ではなく)への意識、制度の問題が大きくて、その同性婚へのものは制度に便乗するって言ってるわけだから反発くらうのは当然だし実際そうなったとして本当に子供育てるかというとどうなんだろうという感じだけど、でもそれは意識改革に必要な糸口でもあると思って、養子を受け入れるグループが増える事は産みたいけど育てられない、育てたくないって選択の受け皿が増える事で、受け皿が増える、選択が増えるという事は社会的許容度が増す事でもあると思うし、子供が出来てからの結婚が賛否両論あるとしても少し前より確実に社会的に受け入れられて来てるのを考えると今の少子化に向けた結婚、出産における問題提起、改善、解決のための前提としての環境モデルを恋愛関係にある男女が結婚後自分達の子供を産み育てるって事にほとんど限定してるそれこそが問題のひとつになっているようにも思うし、是とするモデルが限定的な事で現実として有用、必要でもそこから外れるパターンが相対的に倫理性の是非が問われる事になって、そうなるとそこへの制度は助長を招くというような理由で実質的な議論になりにくいって問題にも繋がってるように見えるし、転んでケガしないなら杖の有無を気にする必要もないわけで、少子化対策における女性の社会進出に関しては保育所問題だとかシッターを利用する事への意識がそれなんだけど(それは養子の受け入れグループへの意識へも関係してる)
同性婚自体もそうで、少子化においてデメリット(元々の志向を無視した異性との可能性を想定してのものは問題外だけど)を叫ばれる事多いけどメリットであるとも思っていて、それはその結婚を望む人達の中にもその養子の受け入れグループ先としての可能性、また当然自身の子供を産みたい育てたいって層が含まれるからで、でもやっぱり婚姻関係という環境や制度が整わないと現状それは埋もれたままだし、それも環境以前の転ばぬ先の杖の一旦で、子供に最適な環境という答えのひとつの杖がある事でその他の最適になり得る可能性を持った方法論を探る、それ自体端から頭にないようなところがあって、そしてそういう環境による懸念は同性婚を求める人たちの中にでもあるように見えるし、男女のものがそうであるようにそれは社会的環境的制度的なものからの意識の問題でもあって養子の問題も含めて社会的許容度に選択が影響されるものは簡単に変わるものではないからこそさっさとやり始めないといけないんじゃないのかって思う
少なくとも恋愛感情の有無や性別に関わらないパートナー制は養子含め色んなパイを増やす意味でもハードルを下げる意味でも少子化対策としてはやるべきには見える
正直結婚する気産む気のない人へのどうこうなんて結婚したい、産みたい、育てたいけどできない人をやって更に結婚、出産、子育ての選択の幅を広げての万策尽きた最終的な話だと思う
そこ置き去りにしてちゃ本末転倒じゃないのかなと思う
少子化とか子供とか女に産めとかいう前に、男が結婚しろよって強く思う。
女に逆プロポーズさせといて断ったり、交際中の彼女のことセフレ扱いしたり、けっこんするつもりないんですとか言う男、なんなの?
罪深すぎるしお前らが少子化の全てだと思う。
男の結婚しない自由を棚上げして少子化って言ってることが良く分かった。
そんな考えじゃそりゃ女も結婚できたとしても子供産みたくなくなる子供産まないのも当然自由だ。
少子化の話が出たら結婚しなくてもいいし結婚を強制されることと同じくらい子供を産めと言われるのは酷なことだと返そう。
いわば趣味みたいなもん。
そういう「趣味」を助けてもらえるって、まさしく女の特権じゃん。
現代の女は、子供を産まない自由があるし、そもそも結婚を強制されていない。
それにも関わらず、わざわざ結婚・妊娠を選んで、「家事の分担が不公平だ」とか「妊娠したら出世できない」というのは何様のつもりだ?
キモくて金のないオッサンは、そういうものを何も得られなくても、つらいのを我慢している。
家事の負担が不公平なら、さいしょから結婚するなorさっさと離婚しろ。
とてもシンプルな話だよね?
「このご時世、子供を産み育てる事にメリットがない」っていうのは「子供を産まない自由」というのとは次元が違う話だと思うわ。
例えば同性婚の話に喩えてみれば分かる。
「こんな同性愛差別の酷い社会で同性婚する事にメリットが感じられないから自分はしたいと思わない」……この理屈、変ですよ。
『子供を産まない自由』の根底にあるべき発想は「そもそも子供を産みたいと思わない」であって、
後者は「産み育てやすい社会にしてくれ」という、リベラルぶったその実保守的道徳丸出しの意見と同義だよね。
まず先に子供を産んでいない女性が一人の人間として尊重され当たり前に生活できる前提があって、その後の話だと思う。
だから現状では私は「子供を産み育てやすい社会」思想には全力で反対する。
日本はもうちょっとポジティブに寄付させてくれないかな。んでもって、寄付した額の半分とか七割を、損金として認めて欲しい。
たとえば「母子手当に寄付」とかやったら、政府のその箇所の予算に直接お金をinしたい。そうしたら国民の意思表示にもなるしね。
んでなんでこんな事を書いたかというと、目下ツリー成長中の例の話なんだが。
「子どもを産まない自由」ってのはあるべきだ。個人の自由として。男女ともに。結婚しててもしてなくとも。その一方で子どもが生まれなくなった国は困るというコンセンサスはほぼ取れていると思われる。個人の自由と社会維持のための要請を、どこかで一致させるべきだというのはみんな合意できそうな気がする。
ここではごく単純に子どもがいない人から子どもがいる人へと所得移転をしてみる。たとえば子ども1人育ててる間(妊娠開始から20歳まで)は毎月5万円入金とか。当然お金はないところから沸いてこないから、子どものいない人から転移するとする。これで数年回した結果、もちろん出生率は上がったけれど、毎月5万では目標の出生率(15~20とか?)に達しなかったとする。その場合、+1万づつしていって、出生率が目標に達したとことでやめるとする。たとえば月に10万入金とか。5人も育てれば仕事やめて暮らしていけるよ。
俺はおそらく今後結婚しないし、子どもも育てない。そこでおおざっぱにこんな仕組みを思考実験としては考えている訳なんだけど、「子どもなんて育てる気はない」ひとってのは、こういうシステムを前置して意思を表示してるんだろうか? それとももっと別の何らかの持続可能で問題にアプローチ出来る仕組みを想定しているんだろうか? そこのところがよくわからないんだよな。
産まない自由がそんなに安く手に入るってのがおかしいんだよね。
産みたい奴が好きなだけ産む自由がそんなに安く手に入るってのがおかしいんだよね。
ということも言えるような気がする。
つうか別に産みたくない奴は生まなくていいよ。
その代り産みたい奴が産みたいだけ産めるようにきちんと金払えよってこと。
産まない自由がそんなに安く手に入るってのがおかしいんだよね。