はてなキーワード: 教養とは
世間的に人生のモチベーションとなるとされてることが全然モチベーションにならねえ
目の前にニンジンを吊るされた馬が食おうと頑張って走る、って言うじゃん 俺はニンジンがたいして好きじゃない馬ですよ
いくらバカにされてもダメージが入らないの 説教されても心が動かんし 例えば切手収集が趣味の人に集めた切手の数でマウント取られても別にどうでもいいじゃん へー以上の情動はない そんな感じ
地位も名誉も愛も見た目も金も学歴も教養もファッションもどうでもいい 何も得られなくていい ただ寝てたい
さっきパック98円のエリンギを素焼きにして塩かけて食ったらまあうまかった そういうことだけやって生きていきてえよ 正確に言うと、基本的には生きていきたくねえが強いて言うならそういうことだけやって生きたい
冤罪だとする鑑定があるって話だけどさ
何も知らないだろ
そしてなんで冤罪だとする鑑定は無条件で受け入れるのに
結局、自分たちの思想を後押しするような事実が欲しいから冤罪であって欲しいってだけだろ
自分の周りにはこんな知性の欠片もないような判断する人間いないから、どんだけ学歴低く教養のない人間が集まってるのかマジで疑問
追記で言及されたが、ブコメでは不可能なのでこちらで答えておこう。
だがその前に、謝っておかなければならないことがある。
引用してもらって恐縮だが、そのことを知らない段階だったときにブコメの誤字等を修正してしまった。
さて、追記での指摘と、自分が当ブコメを書いた理由を説明しよう。
当記事を、増田は対象(アルテイシア)への理解度の低さが問題だとして書いている、と自分は解釈していた。
またアルテイシアへの問題点について、サブカルチャー等を見下しているからだという指摘を増田がしていたのも理由としてある。
見下していることも問題にするのならば、そこで自身がつまらないと感じる作品を「唾棄するぐらい」だと書くのはマズくないかと思ったのだ。
それでは、「増田も自分の気に入らないものを見下しているのでは?」となりかねない。
増田としては、あくまでアルテイシアの無教養さを指摘したかっただけだとは思うのだが、個人的な感情が文章から漏れ出すぎていると感じたため、そういったことを踏まえてブコメさせていただいた。
自分は、増田のアルテイシアに対する指摘には概ね同意している。
がゆえに、そういう箇所が引っかかった。
「そんなところ、どうでもいいだろう」と思うのなら、揚げ足取りと思ってもらっても構わないが。
ああ、あと増田の当作品に対する理解度ないし関心度を指して「ロクに読んでいない」という幅のある表現を使ってしまったのはこちらの落ち度だ。
例えば「私、夜は早く寝る人だから」とか言う人。
「人」という単語は、誰かと話しているときに「あの人は確か山形出身だよ」みたいに三人称に使うものだし、
だから「人」という単語を一人称として使うことにものすごい違和感を感じる。
こういう場合の一人称としては「人間」という単語が適当ではなかろうか。
10年くらい前にはこんな使い方をする人は殆どいなかったように思うが、
ここ最近急に増えてきて、私の周りにも5,6人いる。
そんで身内にもいるものだから聞くたびに気になって気になって仕方がない。
あまりにも気になるものだから一度身内に「その使い方はおかしいと思う。」と指摘したことがある。
その時は、「言っている意味がわからない。」と返されてしまった。
ネットを調べてみても、この使い方のおかしさを指摘する人はいない模様である(単に私の探し方が悪いだけかもしれないが)。
日本国中でこの使い方に違和感を覚えるのは私だけなのだろうか。
そう思うとなんだか寂しい。
【備考】町田康の小説「くっすん大黒」にこの使い方をする女(主人公の彼女)が登場するが、
文脈から察するにあえて正しくない使い方の例(言葉は悪いが、あまり教養のない人間が使う語法の例)
として用いているような気がする(少なくとも主人公はこの使い方をしていない。)。
元増田様 ブクマの世界からお節介にやってきた増田ですが(ややこしいなw)お返事ありがとう。
ブコメの方々が指摘するように私が大学にいたのは恐竜がいた時代ですから現状の参考になるかはわかりません。とはいえ、私も大学の学び舎で、教鞭をとる身となってしまったので、どういう学生が欲しいか、また美術界、デザイン界として、どういう人を育てていきたいかという視点も入っています。つまり採択する側としての視点だと思っていただければ。
今は私も既に化石化しつつあるので、元増田さんのように意欲があり、夢を持っている後輩が育っていくのは楽しみです。
人生は長いようで短く、特に10代というのはあっという間に過ぎてしまいます。高校時代というのは長い人生のうちたった3年です。その時に出会い経験したことは、基礎教養だけでなく、つまり学問以外のことでも、今の私を人格を形成していると感じます。
何かを生み出し、作り出すクリエイティブ魂というものは発し続ければ枯渇します。だからエネルギーを入れなくてはならない。それは学舎で学ぶ教養のみならず、趣味、娯楽の分野もエネルギー源になります。振り返れば、苦痛で眠かった授業も、友人と出かけてだらだらと過ごした時間も、期末試験の勉強が嫌で逃避のために漫画に読みふけったり、深夜放送を聞いているうちに眠ってしまったことも、推しのミュージシャンの二次創作同人誌を作ってコミケに売りに行ったことも、ただひたすら大浦食堂でくだらないゲイジツ話をしていたことも、今となってはお恥ずかしい恋愛経験も、失恋も、辛いことや、怒りを覚えたことも含め、全ては最終的にクリエイティブの肥やしになりました。あらゆる経験は肥やしになるのです。
高校時代というものもその経験の一つです。様々な人(楽しい友達やムカつく奴ら)との出会いや、そこで夢中になるものに無駄なものはありません。アニメも、漫画も、本も、音楽もどんどん吸収できる時です。大人になると億劫になるので楽しいはずのゲームすらクリアできなくなります。ウィザードリーで全てのスペルを覚えたLV99の忍者を作る情熱は今の私には既にありません。
若い時はとにかく生体エネルギーが異なりますし、脳の吸収力も違います。
クリエイターというのは作り出すための情熱だけでは、クリエイティブ魂が枯渇してしまいます。何かを伝えたいという思いの大きさが魂の大きさになります。その思いを育てるのは吸収した様々なことです。
あと具体的な受験のことについて知りたかったらいつでもまた増田で聞いてください。美術予備校で教えていたこともあるので、具体的なご相談に乗れると思います。なにかの一助になれば嬉しいかと思います。
昨今、芸大でもそういう騒動があったが、全くもって信じられん!!!!!!!!
自分というものをしっかりと見据えて「創作する」ということに対するプライドを育てるべし。
その為にも、表現力の向上(デッサンで養える)というのはとても重要なのであるが、それはまたのお話で・・・
以上。
元増田です。
ご回答ありがとうございます!
美大を卒業しゲーム会社にて勤務されている方から助言をいただけて嬉しいです。
確かに私大から任天堂に内定する例も多く見られ、任天堂デザイナーへのルートマップに多様性があることは頼もしいですね。
私も現段階では藝大専願ではありますが、追加で1浪を限度として尚も受験に失敗した場合は保険として私大(武蔵美・多摩美)受験も考えています。
その場合でも任天堂を目指せる前例と実績があるのはとてもありがたいことです。
藝大受験では立体は特に難しいと聞きますね…。私も、絵を描くことの方には自信がありますが、立体物となると自主制作の経験もほぼなく立体に対する教養に乏しいので、今から苦戦は必至だと感じています。藝大は他の美大芸大と違って実技受験の際の点数開示がされないと聞きますし、なおさら落ちた時の理由が分からないですよね…。
先日から数多くいただいたトラバやブコメを拝読し考えを改め、夜間高校や通信高校といった、予備校昼間部での勉強を阻害しない形での高校進学の形も検討してますので、その場合は絵以外のインプットもある程度確保できるかと思います。どの道、学科もしっかり勉強しないと藝大受験に落ちますからね!
筑波大には「総合科目」という、まぁ教養みたいな感じでさまざまな分野(他学類)の授業がとれる科目があるのだが、
その授業は割と甘めで、出席+簡単なレポートだけで取れてしまうものも多い。
しかも、総合科目は「必ずこれをとれ」という全学生に共通する講座はなく(「ほんの」一部は共通の必修がある)、選択式だ。そのため、割と自分が好きな科目で組めてしまう一面がある。
ほかの大学は知らないが、「歴史」や「古典」は雑学だからイラネ、みたいに切り捨てることができるわけで、これって教養の勉強にもならないのではないかと思った次第。
リベラルアーツ教育をガチでやらないと、いろいろとゆがんだ方面に行ってしまうのではと考えてしまう。そもそも、オウムの一件で「科学的な知識」だけで倫理をもたない危険性を反省して大学で教養科目の充実が図られた、みたいな話を聞いたことがあるので、もっとマジメに大学の教養を組んだほうがいいんじゃないか。
元増田です。
藝大デザイン科卒の大先輩からご回答をいただけまして大変嬉しいです!
まずは、私のような若輩者に対して、ここまで親身になっていただき、藝大受験における詳細な体験描写も交え基礎教養や広い視野の重要性を説いてくださったことに本当に感謝申し上げます。
隅から隅まで拝読致しました。一文一文が私の琴線を強く打ち、全身を稲妻が走るような興奮と感動を覚えました。ありがとうございます!
高校で得られる基礎教養につきまして、私が軽視していたことは否めない事実です。高校というのは現代においては退屈な義務教育の延長であり、その授業内容というのもまた中学の内容の延長であり、あくまで大学入試のために設けられたノルマとしての学科であるから真剣に学ぶ必要のないものと勝手に決めつけていました。しかし、実は高校で学ぶ教養というのは人生において後々実り、視野を広げる重要なものであると、多様な学びの礎となるものだということを、トラバ主様のご指摘に加え、他のトラバを書かれた方やブクマを書かれた方からも数多くのご指摘を受け、これは軽々しく切り捨てていいものではないと気付かされた次第であります。貴重な内省の機会をいただきました。ありがとうございます。
他のトラバの方のご回答で、一切高校進学をしないのではなく夜間高校や通信高校という選択があるのではないか?というご指摘を受けたのもハッとさせられるものでした。完全に盲点でした。お恥ずかしい話ですが、学校というものは昼間通うもの(全日制)という既成概念に縛られていました。確かに、昼間は美大予備校で学び、夜間になれば夜間高校なり通信高校で高校教科をしっかり学ぶ・高校教科の教養を得るという選択肢も充分有り得るものです。高校の一切を切り捨てるのではなく、かといって美大予備校での学びの時間を減らすこともない、ハイブリッドな形態には魅力を感じました。
このハイブリッドな勉強形態を採択することで、トラバ主様や、他のトラバ、ブコメの方のご指摘に沿い高校教科による幅広い教養を得られるならばそれも良いものと感じます。この方向で、前日の無謀・蛮勇な計画をいささか見直そうと検討しています。
藝大浪人時代、そして、藝大学生時代の体験談。そして、任天堂に入社した同窓の方のお話。いずれも胸を打たれました。
同窓の方がブコメで指摘されているようにゼルダの青沼さんであるということで、そんな青沼さんが学生時代は実に多様な趣味を持ち、世界の幅広いことに対してアンテナを張っていたという事実。これは、藝大受験と戦おうとすることで知らぬ間に視野狭窄に陥っていた、私元来の知的好奇心を充分に奮い起こさせるものでした。今後は、受験勉強の最中であっても心にどこか余裕を持ち、幅広いことに対して興味を持ち見識を積み、創作の際に必要となる引き出しを四次元ポケット並に拡充するため学びと遊びを硬軟織り交ぜて経験していきたく思います。
トラバ主様の今回の貴重な投稿は即座にブクマさせていただきました。
今後も、何かあるたびにこのトラバ主様の投稿を読み直し、心を奮い立たせていきます。
ずっと生き残ってる優秀な人は他の人も言うようにやっぱり業務以外の知識が豊富でコミュニケーション能力も高い人が多いので
高校に行ってそういう経験や趣味・教養を身につけないのはもったいない気もするけど、中卒で大検受けて藝大は変人枠として一目置かれそうな気もする。
あとはあの業界狭いので、新卒で任天堂一本ではなくコンシューマをちゃんと作っている他社で少し経験を積んでから中途でというのが絶対に楽だし正攻法だと思う。
藝大までうまく行ってもラスボスの初恋の人に振られてしまってその挫折がもとで心折れちゃうなんてことのないように。
ただ、中途狙いの作戦でも今はコンシューマをまともにやっているところがあまり無いので難しそうだなと思うのと、元増田が挙げていた他社はサイゲは知らないけど、どれも辞めたほうが良いような気もする
(任天堂も含めてなんだけど、それぞれ仕事してみた私の経験上あまりお勧めしない。まぁ中学生なので何言っても聞かないだろうなというのも経験でわかるので好きなら止めないという感じ)