はてなキーワード: 古物商とは
古物商取引の資格って換金目的の盗みを防ぐためにあるんだよね。
メルカリは連絡受けたら「盗まれたとされた時間」より後に出品されたその写真集の取引は全部止めて、アクセス画面に『盗品捜査のため、一時取引停止』って出そ。
ボカァそんな画面がとっても見たいなぁ。
盗んでないのに一時取引停止にされて怒る人が出るかも知れないけど、メルカリは古物商としての責任を果たしただけで、盗んだ人が当たり前に悪いよね。そっちに怒るのが筋ですよ、うん。
犯人が見つかれば(警察はちゃんとその告知もしようね)取引再開できるようにしてね。
そういうの一般ユーザーの目にもちょいちょい入るようにして、「あ、やってる」て思わせることそのものが窃盗への抑止力になると思うんだ。
みんなも準備しておこう
主力の新幹線回数券も販売終了。逆風の金券ショップに"次 の一手"はあるのか!?
コロナ禍でイベントや旅行需要が激減、主力の新幹線回数券も販売終了でどうなる?
昨年の東北・上越方面に続き、東京~名古屋・新大阪など主要区間の新幹線回数券の販売が3月31日に終了。JR各社はチケットレスサービスの割引を充実させ、回数券ユーザーの移行を促している。
この影響で主力商品を失ったのが金券ショップ。そんなショップの今を取材した。
古物商許可を得て、新幹線チケットやデパート共通商品券をはじめ、映画鑑賞券にコンサートやスポーツイベントの入手困難なチケットに至るまで幅広いジャンルで販売・買い取りをする金券ショップへの逆風が止まらない。
近年は各業界でスマホやPCなどで予約・購入できるサービスが普及し、チケットレス化が進行。さらに2019年にはチケット不正転売禁止法が施行。イベントチケットの定価を超える額での取り扱いが不可に。
それに代わる収入の柱として始めた外貨両替も、コロナによる外国人観光客の減少で下火。そして3月末で、ビジネス客の利用が多かった新幹線回数券の大部分の販売が終了。
直近ではたわわな女子高生についてだし、これまでも何度も広告や漫画で表現の自由が話題になっている。
私はリバタリアンとして当然、表現の自由を擁護する側に立つが、
一方で表現の自由を重視する人たちの内の結構な数の人がその他の自由、例えば転売の自由を認めないことがとても不思議だ。
転売つまり自分の所有物をどう処分するかを決める権利は所有権や財産権という各種の人権の中でも根本に近い権利であり、
表現の自由を認めるなら転売の自由も認めるほうが自然なはずである。
予想される反論に予め答えておこう
・どんな表現も表現関係の法律に違反していないなら問題ない と主張するなら、
・どんな転売も転売関係の法律に違反していないなら問題ない と主張すべきである。
「きちんと利益を申告して納税し、また必要に応じて古物商免許を取っていればPS5だろうがガンプラだろうがいくらでも買っていいし転売しても良い」
と考えるならもちろん矛盾はない。
しかし、転売を批判する多くの人は転売という行為自体が倫理的に問題があるように考えているように見受けられる。
例えば法律に違反していないレベルのエッチな広告を見て快に思う人たちも不快に思う人たちも居る。
それらの人たちの厚生の合計は、仮に計算できたとしても、プラスかマイナスかは自明ではない。
また、「誰もが不快に思う表現こそ守らなければならない」と擁護するのは、
表現の自由が社会の厚生を上げるからではなく、その基本的人権としての価値を認めるからだろう。
同様に、転売を不快に思う人たちも快に思う人たちも居る。(例えば先着順販売に並ぶ時間がないなど転売がなければ買えない人は必ず居る)
それらの人たちの厚生の合計は、仮に計算できたとしても、プラスかマイナスかは自明ではない。
また所有権や財産権という基本的人権の価値を認めるなら、仮に社会の厚生を下げるとしても転売の自由を擁護すべきである。
※なお、ある財から得られる厚生が小さい人から転売によって大きい人へ移動するので、むしろ社会全体の厚生は転売がある方が高いとするのが経済学の主流
転売屋が儲けるのが嫌って"お気持ち"で規制するのも当然ダメ。
シェアハウスの内装工事してたらiPadProとApple Pencil紛失した。
…
【1日目】
スマホは会社支給だけどiPadはカタログ閲覧用で私物を現場で使ってた。工事を終え会社に戻って現場の資料を自分のデスクに置いた。その後家に帰る途中の電車でiPadが手元にないことに気がついた。
会社のデスクに置き忘れたと思ってたのでその日は「探す」を使用しなかった。
…
【2日目】
出社後会社のデスクや資料の隙間、昨日の作業ゴミ袋の中などあらゆるところを探したが無かった。
シェアハウスに置き忘れた可能性を思い出し、工事依頼主でもあるシェアハウス管理会社に問い合わせをした。確認や探してもらったが見つからなかった。
iPadと同じアカウントでログインしてる端末は家にあるiMacだけだったのと、会社PCブラウザからは2段階認証の関係でiCloudにログインできなかったから、日中は「探す」を使いたくても使えなかった。
仕事を終え帰宅し自宅で「探す」を使用したところ、シェアハウスに行った日の、自分がiPadを触っていないはずの時間で、位置情報は止まっていた。紛失モードにしようとしたが、端末がオフライン状態のため保留となってしまった。
できる限りのことをしようと思い、その場ですぐに交番へ行った。状況的に「盗難届」は出せないようで、「紛失届」を出すことになった。
…
【3日目】
シェアハウス管理会社の配慮でiPad紛失の旨をシェアハウスに掲示させてもらえることになった。拾得したであろう人が管理会社へiPad持っていくことは「私が盗みました」と言っているのと同然だと思い、管理会社を介さない「紛失届を出しましたので、拾得した場合は交番へ」という旨の書面を作成し掲示してもらった。
【4日目】
iPadが中古買取店に売られた場合、シリアル番号で引っかからないかと考えた。検索で引っかかる約10社へ「iPadとApple Pencilを紛失した。シリアル番号を伝えるので、その番号のものがあったら通報してくれないか」という旨の連絡を問い合わせフォームなどから行った。半数が「古物商許可に則り、不正な商品は売れないので調べます。今後あったら通報します。」と返答があり、もう半数は「警察からの依頼でないと調べません」とのことだった。
…
数週間前の出来事で、現時点でなにも良い知らせはない。私物を仕事で使用するなどの認識の甘さの結果がこれだ。勉強代 約140,000円。
https://anond.hatelabo.jp/20210727115929
”事前販売” と言ってるからにはその期間は流通に流れないのだろうが、流通から総スカン食らっておしまいである。
転売対象になりやすいものの多くは販売開始直後が収益が大きく、時間が経てばリスクやコストが大きくなるであろうからこのような販売方法の商品は取り扱われないだろう。
転売の問題は「利益を得るため社会を非効率化する」ことである。
そういう意味では「嫌がらせを受けたくなければみかじめ料払え」というヤクザや総会屋などと同じである。
本来なら不要なはずのコストを払わされる消費者はもとより、消費者の購買力の理不尽な低下はメーカーや流通にとっても大打撃である。
社会活動は相互に依存しあってるわけで、メーカー流通にとっては売上は一緒だから問題ないということにはならない。
また、転売屋対策という本来なら不要なはずのコストがメーカーや流通、消費者にかかってしまう。
これも同じく、メーカーや流通にかかるコストは最終的に消費価格へと影響する。
他にもマスクのように緊急時の物資の入手が困難になるなどの問題がある。
オークションは確定した値付けの方法が無いものを扱うのに向いている。
一般の商品は生産や流通にかかるコストに常識的な利益を乗せることで定価という形で価格が決定してる。
オークションで扱われるものはそのような値付けの仕方に向いてない物が多く、そういうものへの価値決定システムとして働く。
似たものとして株式市場なんかも売買を繰り返すことで企業の価値が定まっていくシステムとなっている。
その商品に対し価値決定システムの必要性がどれだけあるかが、オークションを使うかどうかの判断となる。
オークションはすでにあるひとつひとつのモノを可能な限り高い値で売りたい場合には向いている。
しかし値付けのコントロールができないため、メーカーや流通が何かの理由で価格帯を決めたいときには使えない。
例えば家庭用ゲーム機のようにハードを安く売ってソフトで儲けるなど。
価格設定を踏まえた長期的な戦略による全体の効率化ということがやりにくいのである。
そういうわけでそもそも一般的な商品の流通としてはオークションは非効率な手法と言える。
例えば若者向けアーティストのライブチケットや商品を購入できるのが中高年ばかりになってしまうなど。
若いファンを長期的に育てたいという戦略を取るのが難しいのである。
時間経過とともに供給量が増えるからそのうち買えるようになるという話もあるが、ランダムなくじでの決定と違い資金差によって購入時期が必ず後回しになることがわかっているなら、そのジャンルにとどまりたいと思う人は少ないだろう。
経済学では「一番高い値を付けた人がその商品・サービスを一番欲している」と定義することがあるが実際には人ごとに資金の差が存在し、金がある人は「たいして必要だと思ってないがとりあえずキープする」などの行動が取れてしまう。
このような「必要としてる人」と「購入できる人」のギャップは至るところで発生しうる。
それ以前のはなしとして単純に、オークションは日常的な購買行為としてはかなりめんどくさい手法だと思う。
オープン価格ですら嫌われることが多いのに、一般の人にとって妥当な値段を決めなければいけないというのはかなり苦痛ではないか。
あとオークションは「多くの人に人気だから価値が高まる」ようなものの販売には向いてない気がする。
値付けが投機的?で難しく一般の人にとってリスクが高くなりすぎるかもしれない。
そもそも在庫が潤沢にあれば問題ない、という話があるがそれはメーカーや流通が今よりもリスクを負うということであり、結局消費者価格へと跳ね返ることになる。
というか十分な在庫がないものというのは在庫を持つリスクが高いものであることが多いわけで。
もしくは簡単に生産量を増やせない、そのための投資に大きなリスクが伴うということもあるかもしれない。
古物商許可を必要とさせろ、という話があるが古物営業法は盗品売買を防ぐための法律なので、法の目的外である転売対策に使用するのは好ましくない。
など。
完全でないもののカジュアルな転売を一定割合無くす方法が開発され広まっていく、というのが今の状況かなと。
転売が何故問題なのかが広く共有されれば、消費者の理解を得てるということでメーカーや流通ももっと大胆な手を取れるようになるかもしれない。
転売屋をなくすことが目的というより、社会の効率が妨げられないようにすることが目的。
例えば「供給を十分に増やす」か「需要が減少する」場合に転売屋はいなくなるが、大体の場合は供給を増やすのがそもそも難しいというのが前提にあるし、では需要を減少させればいいのかといえば当然それは誰も得しないやり方でしか無い。
需給がマッチするまで価格を上げるというのはこの需要を減らすというやり方に他ならない。
転売屋をなくす、ということばかりに注目すると別の大きな非効率を創り出すことに気づかないかもしれない。
対策を考える場合にはメーカー、流通、消費者それぞれにとって、その場だけでなく長期的にどうなのかを考える必要がある。
それぞれにとって(転売屋も居るがいくらかの対策もされてる)現在の状況と比べてどうなのか、その対策した流通方法の商品のほうが消費者に選ばれると思うのか。
そこが大事ではないだろうか。