直近ではたわわな女子高生についてだし、これまでも何度も広告や漫画で表現の自由が話題になっている。
私はリバタリアンとして当然、表現の自由を擁護する側に立つが、
一方で表現の自由を重視する人たちの内の結構な数の人がその他の自由、例えば転売の自由を認めないことがとても不思議だ。
転売つまり自分の所有物をどう処分するかを決める権利は所有権や財産権という各種の人権の中でも根本に近い権利であり、
表現の自由を認めるなら転売の自由も認めるほうが自然なはずである。
予想される反論に予め答えておこう
・どんな表現も表現関係の法律に違反していないなら問題ない と主張するなら、
・どんな転売も転売関係の法律に違反していないなら問題ない と主張すべきである。
「きちんと利益を申告して納税し、また必要に応じて古物商免許を取っていればPS5だろうがガンプラだろうがいくらでも買っていいし転売しても良い」
と考えるならもちろん矛盾はない。
しかし、転売を批判する多くの人は転売という行為自体が倫理的に問題があるように考えているように見受けられる。
例えば法律に違反していないレベルのエッチな広告を見て快に思う人たちも不快に思う人たちも居る。
それらの人たちの厚生の合計は、仮に計算できたとしても、プラスかマイナスかは自明ではない。
また、「誰もが不快に思う表現こそ守らなければならない」と擁護するのは、
表現の自由が社会の厚生を上げるからではなく、その基本的人権としての価値を認めるからだろう。
同様に、転売を不快に思う人たちも快に思う人たちも居る。(例えば先着順販売に並ぶ時間がないなど転売がなければ買えない人は必ず居る)
それらの人たちの厚生の合計は、仮に計算できたとしても、プラスかマイナスかは自明ではない。
また所有権や財産権という基本的人権の価値を認めるなら、仮に社会の厚生を下げるとしても転売の自由を擁護すべきである。
※なお、ある財から得られる厚生が小さい人から転売によって大きい人へ移動するので、むしろ社会全体の厚生は転売がある方が高いとするのが経済学の主流
転売屋が儲けるのが嫌って"お気持ち"で規制するのも当然ダメ。
ケチャップと血液の区別ついてなさそうな発言
「あれとこれはまったく違う(根拠も論理も提示せず)」 って規制派がよく使う言葉ですね。