はてなキーワード: ペットロスとは
これを読んで、少しうらやましくなってしまった。
https://anond.hatelabo.jp/20221024192822
かわいがっていた猫や犬を亡くした時、その現実を受け入れるまでの時間、方法は、人それぞれだと思う。
数日で受け入れられる人もいれば、何年もかかる人もいる。
ペット霊園の共同墓地で気の済む人もいれば、ずっと個別のお墓で供養したい人もいる。
死後の手続きが法で決まっている人間とは異なり、ペットの遺体や遺骨は、飼い主が納得するまで、好きなだけ手元に置いておける。
そうするほうが、多分、立ち直りは早いと思う。
私が愛猫を亡くした時、私が仕事に行って家にいない間に、母が勝手に市町村の清掃局に電話して、死体を引き渡してしまった。
私が知らない間に、猫の死体はゴミと一緒に焼却処分されて、遺骨すら手元に残らず、無になってしまった。
亡くなった翌日のことで、ほとんど別れを惜しむ間もなかった。
当時、すでに私は働いていたので、業者に頼んで個別に火葬をしたり、お墓を用意するお金はあった。
それなのに、私が家にいない間に、母が独断で勝手に死体を処分してしまった。
元増田のように、猫の死をゆっくり受け入れていく時間は奪われてしまった。
その喪失感からペットロスのような精神状態になり、何年も経ったいまだに引きずっている。
お別れするときに立ち会って、個別に火葬して、きちんと見送って、手元に遺骨が残っていれば、心の整理が出来たと思うし、その後の喪失感や悲しみも、もう少し違っていたと思う。
母は毒親とかではないとは思うけど、いまだ消化できない怒りを抱えて、たまに母本人にぶつけそうになるのをグッと堪えている。
なんで嫌なことばっかしてんだろう
わざわざ生き物なんて生まれてこなきゃいいのに
生老病死を味わうためにわざわざ無から生まれてきてまた無に還るってあまりにも虚しすぎる
強烈なペットロスで死後はまたあの子に会えるとか思い込もうとしたけどどうしても無だとしか思えない
もともと人生そのものがおもんなくて何もやる気が無いのにますます生きる意味がなくなった
なんの救いもない
無ってことはこんなこと考えることもなくなるんだから救いっちゃ救いなのかもだけど
死後の世界になんでも自分にとって都合よくうまくいく第二の人生みたいなのを求めてしまうんだよなあどうせ無なのに
死んでみなきゃ死後のことなんてわからないけどなんかがあったとしてもそんな都合のいいことなんてまず起こらないだろう
んでおそらくはなんかが起こるとかもなく死後ってこんな感じかぁ〜とか自分で認識することなんてなくただ無になるだけ
答え合わせの時間なんてこない
なんなのこれ
よい猫生だっただろうか。
答えは無い。
でも一年半前に亡くなった我が家の子は最後に半年間の猶予をくれたので、家族で出来る限り看病することが出来た。
本当に優しい子だったので、家で看取る為に病院から連れ帰ってから半年も頑張って我々に時間をくれたんだなと思っている。
自己満足でしか無いけど「やるだけやった」という感覚はペットロスを軽減してくれる
(勿論、亡くなる直前でも「また持ち直す」と思っていたのでショックは大きかったし、最期看取れなかったのも悔やまれる)
今まで何匹も見送ってきたけど、いつも後悔ばかりだった。
そして「次はもう立ち直れない」と思っていた。
でも、一番縁の深かった子をそうやって見守ってから送ることが出来たせいか、自分まで死にかかることは無かった。
悲嘆に暮れることは無いにしても、こうして時間が経った今もふとした拍子に思い出し泣いてしまうこともある。
猫が亡くなって一年半経つが、未だに納骨出来ない。
白い布で包まれた桐箱の中に彼は眠っている。
もうここには居ないけど。
昨年、飼い犬が天寿を全うした。
亡くなる2~3日前、家中をパトロールして普段は行かない所にも顔を出して念入りにチェックをしていた。
そして亡くなる直前、わたしの母親の顔をじっと見つめ、それからパタリと息を引き取ったそうだ。(私はその時、仕事で外に出ていて立ち会えなかった)
たくさん遊んで、美味しいものも食べて、後悔はない。
けれども、疲れた時に顔を舐めて慰めてくれるあの小さな犬がいないのだと思うと、ため息を止めることはできないのだ。
特にひとりでいる時。口からぼそっと弱音を吐いてしまう。大抵は「○○ちゃん、俺は疲れたよ……」という言葉だ。
そう言って倒れ込むと、あいつは一生懸命私の顔を舐めてくれたのだ。
それでここ最近はずっと「疲れた」とか「もう頑張れない」などと口にしてしまっている。
病は気からとか、心は持ちようとか言うが、まさにその通りであった。
zoomで会えば体面は繕えるが、ひとりでいる時の生産性は激落ちの一言だ。
クビにならずにやれていることが不思議でならないほどだが、抜け殻のように感じるこの身体は惰性か何かで頑張ってくれているのだろう。
Twitterのタイムラインに流れてくる、同じ思いをした飼い主たちの投稿にいいねを押すのが精一杯で、何かを書き込んであげることも出来ないのだ。
先日、又聞きだが犬の習性についての話を聞いた。
死期を悟ると、飼い主の心配をしてくれるのだそうだ。
顔をじっと見つめて、自分はもういなくなるけれど、大丈夫かと問うような仕草をするのだという。
そうか。家中をパトロールしていたのも、自分がいなくなった後を心配してくれていたのか。
母の心配をしてくれていたのか。
あの優しい犬のことだ。きっと家にいなかった家族みんなも心配してくれたであろう。
それに比べて俺のこの体たらくよ。
なんと嘆かわしいことか。
動物は死期を悟れるのだという。
だから私は、幽霊など信じない。そんなものにすがることはしない。
あの犬は、自分がいなくなることを知っていて、すべきことをしてくれたのだ。
私も、すべきことをしよう。
「○○ちゃん、俺、頑張るよ」
ペットロス中の仲間たちよ。
落胆に引きづられることなかれ。
もうアイツラはいないのだ。
そう胸を張って、生きて行こうではないか。
外ではこんなこと言うと変な人って思われそうだからここで書かせて
愛犬が亡くなって3年経つけど、たまに遊びに来てくれる
初めて来てくれたのは、亡くなって3ヶ月くらい経った時かな
ペットロスが激しくて、毎日泣いてばかりいて、辛くて立ち直れなかった
そしたら夢に愛犬が出てきて、なんか知らない場所だけど元気そうに走り回ってた
「あ、なんだ〜病気治ったんじゃん〜」とか思ってたら、私の顔見ながら飛び跳ねてくれて、走ってどっか行っちゃった
そこで目が覚めたんだけど、すごい泣いてた
どこかで元気そうにしているなら、私も頑張らなくちゃって
次に会いに来てくれたのは一周忌の時
実家にあの子が大好きだったご飯を持っていって、散歩コースを一人でぐるっとしてきた
その場所には景色とかなくて、白くて、私たち以外はモヤが掛かっているような
それからしばらくは来てくれなくて、元気に遊んでたから私のこと忘れたのかな
それとも私があの子をだんだん忘れていってるのかなって思ってた
けど最近、大きな病気してそこから不幸続きでメンタル弱って、インスタでペット動画ばっかり見てた
そしたらこの間また来てくれて、いつもの知らない場所でお腹撫でさせてくれた
でも起きた時に、手にはあの子の毛の感覚がハッキリ残ってて、やっぱり来てくれたんだなって
不眠続きだったのにその日はぐっすり眠れて、起きた時にすごく穏やかな気持だったことを覚えてる
犬を飼うって大変すぎた。
飼い主に従順なのがイッヌと言われているけど
幼い頃は色んなところでトイレしたり
他の犬と仲良く出来なかったし。
その中でも唯一仲良かった近所のダックスさんが
さすがに悲しい声を出してた。クゥクゥ鳴いてた。
でもその日から他の犬を見ると飛びかかるようになって
色んなところで酷く吠えるようになった。
そんなだから一人で留守番させた日には一日中吠えるので留守番させられなくなった。家族旅行なんか行けなくなった。
病気には何回もなった。
お尻に腫瘍が出来てオスなのに生理みたいに血垂れ流して手術受けたり、
目の上にデッカイ腫瘍が出来て爆発して手術したり。
なんなら目の上の腫瘍は悪性だったらしくて取ってなかったらやばかったらしい。
1回の手術で15万円なんか普通に越える。今までかかった金額はいくらになるのか。獣医儲かりまくり。
結局手術とかは保険適用外とかにされちゃっていつしか解約した。
何が嫌だったって私が実家を離れる度に
犬に異変が起こることだったな。
帰ってきたら皮膚がボロボロになってた。
原因は不明だけどフケが出てるみたいに皮膚がボロボロになっていつも痒そうだった。
その間はほんとに一気にキた。
一気に足腰が弱くなってトイレがうまく出来ないからオムツをする。ご飯を食べない。毎日死ぬほど要求されてた散歩にも行かない。1日寝たっきり。腎臓が悪くて毎日薬を4錠くらい飲まないといけなかった。
親からは「もうそろそろかもしれない。早く帰ってきてあげて」と言われてた。
1年経って帰ったとき、犬は衰弱してた。
言われてた通り、いつものお帰りの歓迎の挨拶はないし、何ならこっちが見えてないくらいの感じで。
寝たままの犬を撫でたら、あんだけデブ犬と言われてたのに、ガリガリになって骨が飛び出てた。
「耳がタン塩みたいやんw」
なんて冗談言って何でもないフリしたけど1年でこんなに衰弱するなんて正直悲しかった。
最後まで見届けてあげたいと思った。
極力ひとりで留守番はさせなかった。
夜のトイレとかにも対応出来るようにリビングに布団敷いて犬と一緒に寝た。
ひたすらに犬に尽くした。
ある日、寝てばっかりの犬を起こして
そしたら案外楽しそうにしてて久々にしっぽが立ってた。親に聞いたら2カ月ぶりの散歩だったらしい。
次の日、犬がソワソワしていた。
久々の散歩が楽しかったみたいでまた行こうと催促された。散歩に行くと「どうだ!僕はまだ歩けるんだぞ」と言わんばかりに毎日の散歩ルートをズンズン先に歩いて案内された。
犬用おっとっとをバクバク食べると、食欲が刺激されたのか普段食べなかった腎臓に良いエサやら缶詰もバクバク食べるようになった。
すると、散歩に行くほど足を使うからか、あんだけ弱かった足腰がちょっと強くなって、一人で立ってスタスタ歩けるようになった。
ご飯もバクバク食べるので体重が1キロほど増えてガリガリがマシになった。耳の毛も伸びてきて、タン塩に見えないようにトリミングのときも耳毛は残してもらった。
犬は私に元気な姿を見せようと頑張ってくれてた。
私もそれに答えようとずっとそばで世話をした。
でも"それ"はこの前突然起こった。
寝ている犬がいきなり激しく痙攣し始めた。首が90度くらい上に向いて、足をバタバタもがいてる。目は白目を向いていた。
私は犬の名前を叫びながら犬を抱き締めて、大丈夫、大丈夫、ここにいるよー、大丈夫よー、と唱え続けた。自分に言い聞かせるように。
家族が集まって犬を囲んだ。白目を向いたままよだれを垂らしてひたすらに足をバタつかせてる。それを落ち着かせようと抱っこしながら抱き締めた。大丈夫だと言い聞かせた。
しかし父が「もしかして、もしかして………」といらん事を言ったせいで、ずっと耐えていた涙がこぼれて、
いや、死なないで、お願い、死なないでと泣きながら犬を抱き締めた。
痙攣が収まって静かになった。まだ生きている。
生きてはいるが様子がおかしい。ウロウロと歩いては壁に頭をゴツンとぶつけている。完全に前が見えてなかった。頭をぶつけるのを阻止するがひたすらに歩きたがる。
痙攣からくるパニックなのか興奮なのか、それが3時間くらい続き、犬は疲れ果てて寝た。次の日のお昼くらいまで爆睡してた。
「老犬だから色んなことが起こる。痙攣も原因は分からない。」みたいなことを言われた。
犬は16歳だった。人間年齢だと80歳を越えている。
2回目の痙攣は私が一人のときに起こった。
また首を90度くらいに曲げて白目を向いて足をバタつかせている。今回は息が出来ないのかしんどそうにハフハフ言いながらよだれを垂れ流していた。
大丈夫よ、と言いながら抱き締めていると、排泄物が垂れ流しで出ていた。とりあえずトレーナーで受け止めた。
犬は痙攣中、意識がないらしい。
なので痙攣が終わると脳がパニックになってウロウロと歩き回ったり、普段と違う行動を取るとか。
その日も3時間くらいウロウロしたあと、疲れ果てたのか寝てしまった。
今でも健気にご飯はバクバク食べているが、いつなんどき痙攣が起こるか分からず、一人にさせられない。
足腰はさらに弱くなってしまって一人で立てなくなったため、座り込んだら立たせてあげる。逆に一人で上手く座れないので座らせてあげる。水を飲むのもご飯を食べるのもうまくできないので食べさせてあげる。トイレするときは支えてあげる。こんな感じで介助が必要になった。
毎日の薬は増えて薬代だけで月に3万以上かかっている。定期的に行う血液検査で2万、その他もろもろでいくらかかってるのか分からない。
正直、幼いときより今が一番手がかかるし、お金もかかるし、トイレを失敗されたりするとノイローゼになったりする。
でも、どこかから帰ってくる度に熱烈な歓迎をしてくれる犬、寝るときは絶対腕枕で寝る犬、いびきをかく犬、水を飲むから手伝えとアピールしてくる犬、おやつくれとせがむ犬、全てが愛おしい。愛おしくてたまらない。
このままずっと一緒に居れたらいいのに。
別れを想像すると辛すぎて、ふと犬なんか飼わなければよかったと思う。
出会わなければこんな感情になることもなかったと、横でプープー寝息を鳴らしながら幸せそうに犬は寝てるのに、すでにペットロス気味な飼い主がここにいる。
調べもせずに書き殴った内容に対して、わざわざ調べてくれてありがとう。
これね https://www.sougiya.biz/kiji_detail.php?cid=1013
直接的な表現を避けることで死んでしまったことから目を背けられるから?
身近な人を亡くすのも同じくらいの悲しみがあるのに、直接的な表現をするのは何故なんだろう
それまでの私は、小学校で友達作りに悩み、習い事では虐められ、虐めていた本人が私から虐められていたと言われ習い事の偉い先生に怒られ、嘘をつく人が助けられる世界が憎かった。小学校の3階の窓から下を見て「ここから飛び降りたら」と考えた記憶は今でも鮮明に残っている。
中学の頃、何度か逃げた。電車に乗って終点まで行って、また電車に乗って知らない街を歩き、家に帰ると嘘をつく。そんな日を一年に何度か繰り返していた。私なりの、自分が壊れないための行動だったのかもしれない。
高校から女子校に入り、友達ができた。もう全然連絡を取っていないが、その当時の私は幸せだった。友達がいるってこんなにも楽しいのか、こんなにも幸せなんだと救われた気になった。
大学に入り、また友達が出来なかった。それでも、高校の友達とはまだ連絡を取り合っていたから寂しさとかもなかった。
でもその時から、漠然と自分は25歳ぐらいまでに死のうと思っていた。理由は今ではわからない。でもその時は、本気で思っていた。
どこで死のう、やっぱりふらっと何処かに行くのがいいのだろう、じゃあどこに行こう、やっぱり海かな。
冬の海に1人、下見に行ったこともあった。でもよく考えたら海にそのまま入って死ぬの難しくね?となり、やめた。
山がいいだろうかと何度か調べた。やっぱ富士山かなと思いながら、新幹線の車窓から見つめたこともあった。
絶対電車系はやめようとは思っていた。誰かに迷惑をかけてまで死にたくない。死ぬなら1人でひっそり。それが理想。
毎日毎日、あと一年だあと数ヶ月だと数えていた。どこに行くかプランは決めてなかったが、具体的な日付は決めていた。
その時、偶然実家の犬が虹を渡った。
最初に見つけたのが私で、悲しくて悲しくて泣いた。なんで私より先に死ぬんだと、少し恨んだ。
火葬した2週間後、ペットロスによって家族が消沈し、偶然知り合いにブリーダーがいたこともあり、新しい家族を迎える話になった。私が死のうと考えていた、1週間前のことだ。ブリーダーの元に行き、子犬を選ばせてもらった。私の掌の上で眠りながらしっかり呼吸をしている、今の愛犬の姿を見て、いつの間にか泣いていた。ブリーダーのおばさんがティシュで涙を拭ってくれた。
それでも、長年この日に死のうと思っていた決断が揺らいでいいものかと悩み出した、死ぬ3日前。
その日は大きな仕事の成果を発表する日。時間をかけて準備してきて、それが終わったら死のうとすら思っていた、大きなきっかけの日。この日、私は一度死んだ。
結果的には良くなかった。目標を達成出来たかと聞かれたら、首を捻るほど。しかし私の上司はその結果を踏まえた上で
「ちゃんとしてた、よかったよ」
と言ってくれた。他の人にも
「貴女の方がまともやった、何してるのって怒られちゃった」
と、私より結果が良かった人にも言われた。お世辞だったかもしれないが、それが嬉しかった。
そこで初めて、自分で何かを成し遂げたような気がした。
今まで友達作りに失敗し、何もかもから逃げて、いつ友達に嫌われるかビクビクしながら、自分の代わりなんていくらでもいると思い込み、私一人いなくなっても大丈夫だと思っていた。
でも、私が成し遂げたことを褒めてくれる人がいる、その人の期待にこれからも答えたいと思った。期待は時にプレッシャーだが、それでも乗り越えられるように強くなりたいと思った。
知らず知らずの内に私を生かしてくれた人たちのように、私も誰かを生かす人になろう。自分の為に生きながら、誰かの為に生きよう。そう思えるようになった。
新しく家族に迎えた愛犬を、最後まで絶対一緒に居ようと決めた。その瞬間まで愛してあげようと、誓った。
本当に苦しい人は、私なんかの悩みや考え方を温いと言うだろう。それもわかる、今の私もそう思うから。
でも、あの時諦めなかった命がここにある。それを噛み締めて踏み締めて、今を生きている。
年始めに入院し、危篤状態で我が家に帰ってきた猫(獣医に「このままだとここで息を引き取ることになります。連れて帰りますか?」と訊かれた為連れ帰った)
死に水ではないが、母がミルクを飲ませようとすると健気にペロペロしたと聞き、大急ぎで違う病院へ連れて行った。
ミルクを飲む力があるのなら助かるのではないか?とセカンドオピニオンした(以前通っていた病院だが)
ぐったりはしているものの、彼が家に居てくれるだけで幸せだった。
最初は毎日。次第に3日おき、一週間おき。最近では二週間おきで病院に通った。
獣医に「にゃあ!」と挨拶し、注射に「いてー!」と反抗する元気が出てきて安心していた。
日差しが強くなり気温が上がる頃には自力で家の中の快適な所へ勝手に出向いてドテンと転がっていることもしばしばだった。
うちには3匹猫が居るが、一番下の猫もとても心配して様子を見てくれていた。
容態が安定してから定期検査は2ヶ月に一回になっていた。次は9月の予定だった。
私は毎月検査して欲しいと思っていたが、獣医がそう言うなら良いかとも思った。
しかし先月末、突然療法食を食べなくなった。
猫缶は食べていたが、買っておいた腎臓病用のリキッドを飲ませてみようとした(飲まなかった)
検査すると内蔵全体が悪くなっていた。肺にも白い影がかかっていた。
各種数値は非常に悪い。
帰る時、猫の様子を見るといつも通りゴロゴロと喉を鳴らしていた。
がんばるんだよ。と声を掛け、後ろ髪を引かれる思いで帰宅。
どきどきしながら一晩過ごし、翌日仕事前に見舞いに行った。
その時、母の顔を見てニャー!と一声鳴いた。
こんなに苦しそうなのに、頑張れなどと声をかけることも出来ない。
そう思ったけれども、なんとか生き抜いて家に帰ってきて欲しいと願わずにはいられなかった。
また長く入院して苦しめることになるのかなあと思いながら。
仕事に行き、夕方の休憩時間にスマホを見ると母から着信が入っていた。
力が抜ける思いでLINEを開くと「息を引き取りました」とあった。
ぼんやりしながら仕事をこなし帰宅すると、氷に囲まれて冷え切って固くなった彼が横たわっていた。
冷たくて固いけど、見た目は寝ている様にしか見えない。
腹を撫でると毛並みがさざめいて息をしている様だ。
抱え上げると、病院に連れて行った時よりも重みを感じた。
入院する2日ほど前の夜、私の部屋にドタドタと駆け込んできて何やら沢山鳴いていた。
否、ここ半月程やたら鳴いて甘えていた。
「具合悪い!」と訴えていたのかもしれない。
具合が悪いから、いっぱいよしよししてくれと言っていたのかもしれない。
それなのに、あの日私は「うんうん。どうした?」と顔を覗き込んで頭を撫でるだけだった。
なんで膝に上げてやらなかったんだろう。
元々人の膝で寝るのが大好きな猫だった。
年老いて体が難儀なせいか、その体勢が辛い様であまり上がらなくなっていた。
こちらも気を使って抱え上げたりすることがなくなっていた。
あの温かく柔らかい重みをこの手に抱える最後のチャンスを捨ててしまったのが悔やまれてならない。
彼は本当に人間が大好きな猫だった。
そして何故か私の手を舐めまくるのが好きだった。
ひとしきり舐めさせて手を引っ込めようとすると、爪を出して押し止めるくらい。
美味しかったのだろうか?
他の人間の手を舐めることはなかったので、何かしら意味があったのだろう。
遺骸になった猫を撫で付けながらそんなことを思い出すと涙が止まらなかった。
このまま家の庭に埋葬するのはなんだかとても嫌だった。
部屋に寝かせている姿は以前のままだったから。
家まで来て貰い、家族みんなでお弔いをした。
炉に横たえた彼はやっぱり生前のままだった。
ツヤツヤの白い毛並みの大きな体は、2時間ほどで白い骨になった。
しっかりとした骨を桐の小箱に詰めていく。
股関節が悪くてドタドタ歩いてたけど、骨は立派なままだった。
でも不思議と落ち着いている。
酷いペットロスになるのではないかと思っていたが、何故か一区切りついた様な感覚だ。
亡くなった猫について人と話したり、こうして文章にしたりするとやっぱり涙が止まらないけれども。
前回倒れて奇跡的に回復し、この半年強という時間を与えられ、みんなで見守り続けて出来るだけのことをしたという感覚があるからだろうか。
思い返せば悔やまれることもあるけれども。
病院に居たせいで、家族の誰も看取ってやることが出来なかったのも辛いけれども。
今月7日で18歳になる筈だった彼。
苦しかっただろうに、7ヶ月以上も頑張って生きてくれた。
とても愛しく、大切な子だよ。
これまで傍に居てくれて本当にありがとう。