はてなキーワード: アインシュタインとは
それほど相対性理論は有名だけど、実は相対性理論には二つある。
最初に発表されたのは特殊相対性理論であることを知る人は案外少ない。
そしてこの二つの違いについても。
数式やらで解説しても分かり易いとは思われないであろうから、その違いを簡単に説明すると
特殊相対性理論はその名のとおり、特殊な状況下でなければ成立しない理論だ。
そうなのだ。
だからこそアインシュタインはこれを実際の場において応用・活用できるよう一般相対性理論を作ったわけだ。
これもあまり知られていない事実。尤も、それはあくまで彼は物理学者で、数学者じゃないというだけの話だけど。
でだ、増田を見ていると歪な主張が多い。
マルクスを個人崇拝しているのか? 俺が無知なだけかも知れないが、俺の知っている範囲ではマルクスの個人崇拝なんて見かけたこと無いんだが、本当に連中は皆そうなんか? マルクスの理論が正しいとかいう信念を持ってるというやつらなら何人か思い浮かぶが、それって物理学の世界でのアインシュタインの信奉者とか、昔の心理学の世界のフロイディアンとか、言語学の世界のチョムスキアンとかみたいなもんじゃないの?
あと、個人崇拝というとスターリンあたりの方が思い浮かぶが、スターリンて理論家というわけじゃないよね。あとは北朝鮮の金一族の個人崇拝もあるけど、あれって共産主義理論がどうのこうのじゃなくて只の金王朝じゃん。
でもアインシュタインには太陽風のシミュレーションはできないかもしれないじゃん
ワクチンに至ってはSRもGRも全く土台としてすら関わってなさそうだし
(法則として関わってないということじゃなくてその法則を無視してたり無理解であってもワクチンの開発には微塵の影響もないということ)
アインシュタインって科学者として一番賢いというかもっといえば最も頭がよくないとできない難しいことをしたみたいな人物像で定着してるじゃん?
でもそういう担保ってどうやって得てるわけ?
たとえば俺はテレビで太陽の磁気をプログラミングしてのシミュレーションから太陽風の予測する研究してる様子を見て、そういうプログラムってどうやってするんだろうととても難しそうな研究に見えたし、アインシュタインのした研究とどっちが難しいなんて素人目には判断つかないんだけど、この手の人間は各専門分野にいくらでもいるわけでなんでそれらの誰よりもアインシュタインのほうがすごいって言い切れるんだろうって思う。
mRNAワクチンの開発とかよりも相対性理論の構築の方がすごいのか?
こういった人たちから自分自身でアインシュタインの研究は自分には成し遂げられなかっただろうもはや言うことはないけどさ、全員がそう考えてると思う?
科学者に最も賢いことが要求される研究をしたと思う科学者をあげてもらって(それは多分アインシュタインだろうが)、さらに自分の次に賢い研究をしたと思う研究者をあげてもらうという六次のつながり的なことを繰り返していって、あるところで最も賢いと思う研究者と自分の次に賢い研究者が一致したという、アインシュタインを頂点とするトップダウン式の構図になったならば、確かにアインシュタインが科学者の間でも一番賢いという一定の担保にはなるだろう。
しかしどこかで今聞いている科学者から最も偉大な科学者や次に偉大な科学者として、スタート地点からその直前の科学者までの誰かの名前があがるという3すくみ型というかウロボロス型の構図になるかもわからない。
こうなってはもうアインシュタインが一番賢いという認識が嘘だったことになる。
別にアインシュタインじゃなくてノイマンとかでもいいけど、とにかく研究ってこれはこれより賢い人じゃないと出来ない研究だみたいな点で絶対的に優劣をつけられるようなものなのかと思う。
何の研究が難しいかって研究者との相性にもよるものだと思うから、たとえばアインシュタインの研究なら当時僕が生まれててもできたわけで今の自分のやってる研究の方が全然目が出ないから難しいと思うという人だっていると思うわけ。
そういうわけで少なくとも上記のような手順を踏まえずアインシュタインとかの研究が絶対的に賢い研究だとみなしてるのは少なくとも科学的ではないと思う。
この論は一見弱者の味方をしているように見えるがそうではない。強者のための理論だ。優生学を否定する物も人間には優劣があるということを理解している。きっと、その人たちは北川景子や天海祐希を観れば美しいと思い、アインシュタイン稲田を見ればブサイクだと思う。東大や京大は駅弁大学より賢いと疑わない。(同時にごく一部の例外が居ることも否定しないだろうが)大谷翔平や藤井颯太が一般人よりも優れていることを否定できない。
ではなぜ多様性を否定するのか。ずばり、強者生存のために弱者が必要だからだ。弱者でももしかしたらパンデミックが発生したときに抵抗性を発揮してくれるかも知れないし、彼らがいる限り、自分たちが淘汰されるリスクを回避できる。仮定の話をしなくても、トラック運転手、土方といった底辺の仕事をするための奴隷として弱者は必要だ。そのために弱者が不幸な人生を歩もうが知ったことではない。
結局、優生学論者も否定論者も「人間社会は優れた物の幸せを守るためにある」という思想の本質は変わらない。前者は「強者の幸せのために弱者を淘汰する」のに対し、後者は「強者の幸せのために弱者を保護する」と手段が対照的なのだ。
人の見た目の話になるとすぐルッキズムだ!って言う人増えたじゃん?
そりゃあさ、本人にはどうしようもない先天的な部分で人をああだこうだ言うのはよくないと思うよ?
アインシュタイン稲田とか、こんなこと言っちゃあれだけど手の施しようがないブサイクだよ。
それを、あいつはブサイクだからダメ人間に決まってる!とか言い始めたらどうしようもない。
ただ、服装がダサいとか髪型が変とか、それは本人の考え方次第でどうにでもなるじゃん。
少なくとも、その場で必要とされる服装なり髪型なりを考える能力のない、劣った人であることは事実なわけよ。
そこでどっちの話もルッキズム!とか言われても、いや全然違う話だよね。
人の行動をルッキズムに基づくものだって言うのは、要はその人を差別主義者扱いしてるってことでしょ?
そういうこと言ってる人達が、人の見た目ってそもそもどういうものなの?ってのを日頃から考えてるようには思えないんだよな。
ろくに考えたことのない話題を使って人を差別主義者呼ばわりなんて、よくできるよ。
それとも俺の考えがおかしくて、人の見た目からは一切どんな情報も読み取れないはずなのに、俺が勘違いしてるってだけなのか?
もう何がなんだかわかんね〜
そだよ。
ただ大きく異なるのは、科学という宗教は、それ自体の中に改変の仕組みを持っている。
キリストの言葉は嘘になることはないが、アインシュタインやニュートンは嘘になり得る。
そこはやはり大きなアドバンテージなんだな。
新しい言語にはたいてい新しいアイディアが含まれてる。そういうのを知るのは楽しい。目からうろこが落ちるような経験が結構あった。おれも PHPer だったけど、以前、.NET の LINQ を学んだときは楽しかった。
まあ PHP はその「新しいアイディア」をどん欲に取り入れ続けている言語だから、けっこうそれだけで満足してしまう気持ちは解る。でも「今の自分の知識だけで、たいていのものは作れるからなあ」と思ってしまうと、たぶん勿体ない。あなたが将来、未知のプラクティスやデザインパターン、アルゴリズムを発明しないと断言できないのだから。
PHPer ならマニュアルの例文で散々お世話になっている「干し草の山」と「針」のたとえ話で言うと、次のような感じ。
https://kenbi.ti-da.net/e3637076.html
「博士とわたしたちその他大勢との違いはなんですか?」という質問を受け、
こう答えました。
「たとえば、干し草の山から針を探さなければならないとします。
ほとんどの方はたぶん、針が1本見つかるまで干し草の中を探すでしょう。
私は、針が全部見つかるまで探し続けると思います。」
※ PHP ですでに作られたものは膨大なので、そのメンテナンスも今後何十年は無くならない。仕事にあぶれることはないと思う。