はてなキーワード: ねるねるねるねとは
クライアント様企業のわがままに付き合って労働をしていた結果、土/日/月と会社に缶詰になっていた。
豊洲の綺麗な夜景を照らす蛍族としての活動が終わり、ようやく家に帰れることになった。
いっときの開放感にワクワクするものの、このワクワク感を共有していた友達も今では少なくなってしまった。
具体的には他の企業に連れ去られたり、良さそうなベンチャー企業に逃げ込んだり、実家に帰って農家をしたりするようになってしまった。
こういう時に思考は良くない方向に転がり込むもので、ファミマで晩ご飯を選びながら
夏の日の思い出とか、そういうふんわりとした言葉にならないノスタルジックな気持ちでいっぱいになっていた。
しかし、よくよく考えると、夏の日の思い出とか甘酸っぱいエピソードとかそういうのは何一つ無いし、
サークルで合宿だのBBQをやっても後片付けばかりしていたし、未だに好きな女の子と手をつないだこともない。
「良かった」と振り返るだけの青春も自分の手元には残ってはいない。
となると、クライアント企業様にExcelを納品するために生まれてきたのか俺は...?
などと考えているうちに「あっ、もうだめ」と思った。
デブの特権としてアイスクリームコーナーに向かうと、なんとなく"ギャラクティカグレープフラッペ"の文字が目に入った。
2018年宇宙の味と書かれたそのタイトルを見ながら、そういえば、宇宙に関わる学問を自分が専攻していたことを思い出した。
リー群の表現だの共形場の理論だのAnti-de Sitter空間を触っても宇宙のことは何一つ分からなかった。
「よくよく考えても分からないことがある」という事が分かりました。 という感覚のまま大学を卒業して、
「よくよく分からないままExcelを納品する日々」が始まる。
俺は宇宙のことを何一つ分からないまま、何を生み出すかも分からないExcelを納品しながら日々を無意味に費やしている。
俺は気づけばギャラクティカグレープフラッペをレジに持っていっていた。
あのとき知りたかった宇宙のことが少しでも知れるかもしれない。という淡い期待をしている訳ではない。
俺はきっと変えたかったのだと思う。何も出来なかった自分を。何も出来ずにいる自分を。
蓋を開けて、マシンのボタンを押してミルクを入れる。かき混ぜる。
いざ、覚悟を決めて口にした。
宇宙の味は分からなかったが、夏の夜にちょうどいい、爽やかな味。
伝説の料理人関孫六プロデュースの継ぎ目のない包丁を投げる方が強いと思いますっ!
あのさ、
キャンペーンを告知したりして貼ってある
ちゃいちーなシールってあるじゃない、
私も昨日知ったわ。
で、もうちょっと詳しく言うと、
併設されてて缶ジュースのできあがりと同時に
だからちゃんとした言い方だと、
で、さらに
レッテレー率って言うよ。
低レッテレー率を誇る我が社のレッテラーでレッテルシール貼りませんか?
ってのが、
テーレッテレー!!!
ねるねるねるねのおばあさんにも
教えてあげたいわ。
うふふ。
うーん、
どう見てもこの海苔は誰が得をするのかしら?
と思ってしまうわ。
手を汚さずに食べられるのが
おにぎりの良いところの255個あるうちの1つじゃない。
ツベー&コベーを言わずに美味しく頂くわ。
ジャスミンティーって売ってたら買うのに
何故か売ってないのよね。
美味しいと思うんだけどなぁ、
すいすいすいようび~
今日も頑張ろー!
ことのいきさつはこうだ。
珍しく、私は昨日の晩イライラしていて
と、私はSTAP細胞はありまぁーすばりに店員さんにそれを求めた。
が、しかし、
「売り切れでーす」
「売り切れでーす」
「売り切れでーす」
行く先行く先の店、ここぞとばかりにすべての店で売り切れ!
まさになんて日だ、でしょ?
ひどくない?
そして4店舗目にして、
そういう店員さんはそれこそSTAP細胞ありまぁーすばりに言ってくれなかったけど、
んまぁ~い!!!
りんご味でもこのミカンパンチシリーズはどのフレーバーでも美味しいのだ!
ねるねるねるねのおばあさんがテーテッテレーって言うくらいに美味しかった。
おばあさんが言うことは本当だったのね。
私は、一気にジャンガジャンガしたかった気持ちを抑えることが出来帰路につくことができた。
まあ、こういうことよ。
ほんと、UHA味覚糖ビックリな、そのミカンパンチの売り切れっぷりには。
なんか、私だけが知らないと思ってる自分でこっそり好きなものが、
ちょっと淋しい感じね。
別に、私が育てた!って言うわけじゃないんだけど、
そんな感じ。
でも、
うふふ。
ほれみなさい、
これだけは欠かさない!
私の水分チャージ!
甘さの中にもスッキリした味わい。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
俺は、スケジューリングがクソ下手だ。夏休みの宿題を計画的にやった試しがない。そもそも時間把握能力が末期的に低い。一週間が七日周期であることを実感できるようになったのはごく最近だし、一ヶ月がおおよそ四週間で構成されている実感にいたっては、三十代になった今でも依然ふわふわしている。多分調べれば何か名前のある症状なんではないか。少なくとも、俺自身は自分の時間把握能力の低さに、日々苦しんでいる。
もちろん、言葉にすればわかる。一ヶ月は四週間とちょっとだ。でも、その四週間というのは、つまり、その、つまるところ何週間なのだ? 大金すぎる金と一緒だ。俺は十億という金を具体的に想像できない。いったい、それはねるねるねるね何個分の金額だ? それはどのくらいすごいんだ? 同じように、一ヶ月という時間は、俺にとっては膨大すぎる。一年ともなれば、もはや天文学の世界だ。そのくせ、膨大な割に時間はあっという間になくなる。そんなところまで金に似ている。
何よりも恐ろしいのは、そんな俺が今や会社で億規模のプロジェクトの責任者であるということだ。かつ、俺のスケジュール回しへの評価が意外に高いことだ。冗談じゃない。ガントチャートに引かれた線への実感はいまだにない。二十人日がねるねるねるね何個分のすごさなのかは、今も闇の中だ。ただ、わからなくても、方法論は知っている。中国語の部屋の中で、規定されたプロセスに従って俺は反応する。人員の進捗状況がこうならこうする、ああならああする、そういうミクロなテクニックと、「なんか先にこれやっといた方がいい気がする」という理屈レスのおまじない的経験則の集合だ。その積み重ねで俺のプロジェクトは俺自身の理解を置いてきぼりにしたまま安全に進んでいく。
でも、俺は腑に落ちない。もっといえば、不安だ。ドーバー海峡を溺れながら渡りきったみたいな気分だ。本人が一番どうやって渡りきったのかわかってない。再現性があるか保障がないし、いつか崩れさりそうで怖い。仮に再現性があったとして、いつでもドーバー海峡を渡れる保障があるとして、「よーし、今からちょっと溺れながらドーバー海峡渡ろう」という気分にはなかなかなれない。溺れるのは、疲れるのだ。泳げる人がドーバーするべきだ。しかし、ドーバー海峡を渡れるのは俺だけだという。泳げる人間はドーバーを渡れず、渡れる人間は泳ぎ方を知らない。だから、仕方なく俺は今日もよくわからないままドーバーで溺れている。
あと、俺は喋りがクソ下手だ。トークがつまらないという意味ではなく(否定はしないが)、吃音症なのだ。若い頃、ちょっと働きすぎて職場でぶっ倒れて以来、舌がもつれるようになった。おかげで、客にしょっちゅう聞き返される。こんな俺が客前に出て次期案件とか取ってくるのだから、世も末感がある。もっと喋れる奴が前出てくれとよく思う。俺の喋りを100%漏れなく聞き取れるのは、俺の把握している限り、二歳離れた俺の妹だけだ。
とはいえ、不満があるかといえば、そんなにあるわけでもない。なんだかんだ会社は俺を評価してくれている。上長からの覚えもめでたく、現場の士気は高く、仕事はこう書くと嘘くさいがやりがいがあるし、なんだかんだ楽しい。給料は任されてる仕事に比べるとちょいと低めだが、あまり上がると責任もセットで追加されるので、悪くない塩梅だと思っている。悪目立ちするな、しない範囲で右肩上がれとおまじないをかけている。休日はバンドでボーカルしたり、同人描いたり、LT会に参加したり、友人と飲んだりしている。悪くない。全然悪くない人生だ。
ただ、そういう意味での不満はないが、思うのは、皆もそうなの?ということだ。ドーバーで溺れているのは俺ひとりなのか。意外にみんな一ヶ月は十億円と同義なのか。身体的ハンデと戦いながら、客前に立っているのか。あんなさりげない顔をして。みんなも実はそうなの? おまえは俺なの? もしおまえが俺の同族だとして、俺はこんなだるんだるんな俺がうまく立ち回っていられてる仕組みが全然わかんないんだよ。この惑星の公用語は、俺の言語帯と全然被さらないよ。被さらないまま、なんでか先頭を走っているこの状況の不思議さだよ。世界にかつがれてる気分だ。いつかハシゴが外されそうで怖い。
でも、そうなったら、少し安心する気もする。
「君の名は。」見てきた。よかった。
隣のアラサー仲良しグループが途中で笑っていた以外は最高によかった。
僕、26歳。男。独身。
「君の名は。」面白いと感じるかどうか、見に行くまでは不安だった。それは杞憂だった。
僕にとってはよかった。見てて鳥肌がたった映画は久しぶりだ。というかこんなに鳥肌がたった映画は初めてだったかもしれない。
それだけに、隣で、自分にとっては大事なシーンで、アラサー仲良し男女グループが笑っていたときは頭に血が上った。
こんな奴らにアドレナリンを分泌するだけ資源の無駄だと思って自分と映画の世界に集中しようとしたけど、ほんとに難しかった。
ただ、わかる。僕も結婚して、30過ぎてたらきっと今のような感覚で映画を見ることはできなかっただろう。
わかる。僕も映画の途中で、さすがにつっこみたくなった箇所もあった。速攻で意識の外に追い出したけど。
それまでの内容が、僕にそうさせてくれたのだけれど。
上映後駅までの道のりを歩いていると、30代40代のカップルもしくはグループできてる人たちには、同じように途中の展開につっこんだり、
笑ったりしている人たちがいた。
ただ、だからといってその自分たちの感想を上映中や帰り道に外に漏らすのはやめてくれ。
僕にとってはすごくよかったんだ。上映中や帰り道ぐらい、その余韻に浸っていたかった。
「感性が死んでしまっている」というのは強い言葉かもしれない。
ただ、そのこと自体に非難はない。(非難されるベきは、上映中に笑ったりしてること)
僕個人のことで言えば、もう子ども向けのアニメを楽しめる感性は死んでしまっているし、
「ねるねるねるね」に対する感性も死んでしまっている。(子どものうち、つまり感性が生きているうちに、1回ぐらいネルっときたかったというのは心残り)
僕個人のことで言えば、僕は「君の名は。」に対する自分の感性の旬を逃さなくてよかった。むしろ最高の時期に見れた感すらある。
高校のときだったら、割と擦れた感じだったから、上述のグループと表面上は同じように「なんやねんこれ」と思ってたと思う。
30過ぎてたら?「ふーん」ぐらいだったと思う。これは個人的観測に基づく個人的な予想でしかないけど。
今、26歳。よかった。
自分から遠すぎる物語でもなく、かといって近すぎる物語でもない。
よかった。もう語彙が無い人みたいになってるんだけど、よかった。
で、それ自体の話は一旦終わりで。
僕、過去、映画とかの帰り道に「つまんねー」とか言ってたことあった。
自分にとっては何ともないものであっても、他の人にとっては、その他の人の個人的背景やいろいろな要因にとって、とても大切なものであるかもしれない。
この歳までそういうことを学んでなかったのが恥ずかしいかもしれないが、学んだ。
ちゃんとした根拠はないけれど1990年前後を中心とした世代(20~30歳くらい)は若くありながら子供時代を懐かしむ世代なのではないか。
ノスタルジーに浸るなんてもっとおっさんになってからかと思っていたが、この辺の世代はすでに高校生くらいの時から子供時代を懐かしんでいた。
それはなぜか。インターネットの存在である。というか動画サイトである。
ニコニコ動画やYouTubeが出てきたのが2006~7あたり。
そこで「過去のコンテンツ」に触れることが容易になった(適法性はともかく)。
そこで「子供時代を懐かしむ」動画がよくアップロードされていたのだが、その動画のターゲットはほとんど1990年前後生まれであった。
振り返れば、初期ニコ動で人気のあったものってその当時から10年くらい前のコンテンツが多かった。
遊戯王、フタエノキワミ(るろ剣)とか、デジモンのOPで弾幕やったりとか。
MAD素材にされる懐かしいCMは、ねるねるねるねやらバトルドームやら、だいたい90年代後半~00年代前半のものであった。
動画を作れるくらいのヒマさとグレーゾーンでも遠慮なくやっちゃう馬鹿さがあるのが高校生・大学生であるのだし。
10代後半~20代の輩が数年前のものを「懐かしいいいいいいいい」って懐かしんでいたのである。
今では昔のコンテンツに触れるのなんて簡単で、ツイッターで画像貼って懐かしくなったらRTなんてうすら寒いことやってるのは頻繁に見るが、
当時はこれが新鮮なものであったんだろう。
なぜ今これを書いたかというと、この世代が子供のころに触れたコンテンツが今も続いていたり復活したりすることが多い、となんとなく思ったからである。
たぶん私のようなものの意見はもとめられてないとおもうけどおいときます
夏は水ようかんやゼリーにしてみたかったけどどうやったって手が汚れるし
冬はとりあえずホッカイロか水分…
食物はシャッター近く寒すぎで食べても喉に詰まる
かといってお茶でカフェインとるとトイレという最大手に並ぶはめになってこまる
正直あんまり食べ物のブランドに凝られても値段だけは高そうで困るし状況判断でいいのでは。
手紙はいつもらってもうれしいよ、ツイッターでつながってるから今さら書くことがないけど
紗々とかメルティキッスとかの凝ったお菓子は昔はなかったし
あと食事の代わりになる系お菓子も
昼食に出られんぼっち参加の頼もしいお昼
ただ自分の友達にも、院卒で外食産業に就職活動している人がいましたが、
ピペット土方の主な業務は次の3つに分類される。その1つが「ねるねるねるねの合成」である。
ねるねるねるねの合成。予め用意された各種「1ばんのこな」「2ばんのこな」「DHMO(軽量カップまでついている)」などを混ぜ合わせるだけでよい。
各種「こな」の内容は受精卵であったり、DNAやRNAの断片であったり、アミノ酸であったり、酵素であったり、サンポールであったり、ムトウh(検閲により削除)であったりするが、基本的には混ぜるだけなので問題はない。危険な薬品は使わないし。
きっと、この記事を読んでいるあなたにもできるだろう。
どんな分野でもマニュアルに沿うだけじゃないの?