はてなキーワード: しまとは
火を発見したことで人類は退化してしまったのではないだろうか?
今から火を禁止し、すべての肉を生で食べるようにすれば、数万年後にはいつでも美味しい鶏刺しが食べれるようになり、牛レバ刺しも解禁される日が来るだろう。
誰しも、なんてことは無いよ。アメリカでそういう統計あったけど一割強くらいだそう。すごく少ないわけではないから珍しいものでもないけどね。(そして増田の言うようにそういう時期があるだけで自然と折り合いをつけていく人がほとんどだけど、これを経過を見ずに手術や投薬で「治療」してしまえという動きがあって問題となっているのは、某イーロンさんの件でも話題になってたね。)
https://www.mhlw.go.jp/content/001299825.pdf
やる事も予算も引継ぎなんだけど、官民協働が強調されてるように
溜まるよね?
自分には持病があって毎日飲まなきゃいけないお薬が何種類もあるんだけど、薬局がそれぞれの薬を輪ゴムで束ねて出してくれる。
うちの薬箱の中は、薬を束ねていた輪ゴムですぐにいっぱいになってしまう。
いただいた輪ゴムだから私的流用するのも申し訳ないと思って最初のうちは使わずにとっておくようにしてたんだけど、すぐに6畳の和室が輪ゴムで一杯になってしまった。これじゃ和室じゃなくて輪室だ。
なので溜まった輪ゴムは処分していくことにしたんだけど、そのままゴミに出すのはちょっとよろしくない。
なぜなら、うちから出るゴミは公安が毎日全部チェックしているのだ。
彼らは私が気づいていることにまだ気づいていないだろうが、私が気づいていることに彼らが気づいていないことを私は気づいているのだ。ともかく、この輪ゴムをそのままゴミに出すと公安に要らぬ疑念を抱かせてしまいかねない。
ちなみに我が家の自治体の分別ルールでは、輪ゴムは「燃やせそうで燃やせない、少し燃やせるゴミ」に分類されている。
ともあれ、公安の目をかいくぐりながら輪ゴムを処分する方法を考えなくてはいけないが、私はリカちゃん人形のアクセサリーの材料として売りさばくことを思いついた。
ネックレスやブレスレット、ベルトなどの軸紐として輪ゴムを使うのだ。ビーズなどの飾りを輪ゴムに通してオシャレなアクセサリーに仕立てる。
輪ゴムとビーズはいずれもトポロジー的にはトーラス(円環)であるので、輪ゴムにビーズを通すのは物理学上は長い間不可能だと思われてきたが、実は輪ゴムに通す時に一度空間を反転させることでこれを可能にできる。ご家庭の台所でも簡単にできるので一度ためしてみてほしい。
こうして作ったアクセサリーは一部で高い人気を呼び、売れに売れた。
予想外の臨時収入に口座を監視していた公安も首をひねっただろうが、おかげで私は8畳の和室をもうひとつ増築することができたのである。
学歴コンプレックスで長らく悩み続け、いよいよ自殺をすることになった。
日本に安楽死制度が整備されているのであれば、今すぐにでも申請し、「一件落着」だが、残念なことに今の日本にそのような制度はないので仕方がない。
もちろん死ぬのは怖い。本当に怖い。
ただ、もはや自分の知能の低さを規定しているこのDNAが、それ故に生まれながらに高学歴を得られないことを決定づけているこの劣ったDNAが、それにより構成されているバカで劣等な自分自身の存在そのものが、生理的に気持ち悪くて仕方がない。
知的社会たる現代日本では高学歴を有さない者は、基本的に「人」そのものとして劣っているとみなされる。
卒業大学の名前がそのまま当人の知的能力の全てを、ともすると人間としての価値やランクをまるごと規定してしまう。
学歴は能力の指標にとどまらず、内面の繊細さや思慮の深遠さ、人としての毛並みや美しさまでもを規定する。
そのような地獄の知能カースト社会において、低学歴が人としての尊厳や誇りを持って生きられるはずもなく、したがって幸福に生きられるはずもない。
もし低学歴者が高学歴の連中の目に「幸福に生きている」ように映ったとすれば、「動物園ではしゃいでいる猿」に対する眼差しと同様のそれを向けられる。
現代日本において低知能に生まれた(私のような)低学歴者は、言わば戦前アメリカに生まれた黒人と同じなのだ。
そこに救いはない。
早く楽になりたい。苦しい、苦しい。
私は極めて難しいペーパーテストにより先天的に知能の高い者以外を(事実上)排除する、この国の上位大学の入試形態によって殺されたようなもの。
社会やメディア、ことにインターネットにおいて無秩序に猛威を振るう、アパルトヘイト級の学歴至上主義・学歴差別に殺されたようなもの。
「自分は被害を受け、苦痛だった」と感じること事を自分に許してやるのはどうだろう。
信頼できる友人とか、友人に負担をかけたくないならカウンセラーに協力を頼むのもいいと思う。特にカウンセラーは「話を聞いてもらう対価に金を払う」という構図になるので、相手の負担まで気にしてしまうような人間におすすめです。
自分が被害者の立場に拘っているような気持ちになってしまうなら、担当する患者のカルテを書くようなつもりで自身のの思考の流れを資料化して提出するのもよいと思います。
なんにせよ楽になれるといいですね
みんな、“心理的安全性”って知ってるかな? 心理的安全性というのはね、例えば、チームを非難するようなことを言うと、「気持ちがいい」とか、あるいは、仕事について忌憚なく意見を言うと、「気持ちがいい」といったことを“心理的安全性”というんだ。
良い子のみんなの心は、心臓にあるんだよ。そして、心臓とおしっこするところは、どちらが上かな? もちろん心臓の方が頭に近いから上だよね。体の下の部分に、心が集中するとね、その子は下の世界に生まれ変わるんだって。
嫌だねえ。そして、おしっこするところは、餓鬼の世界とつながってるんだって!
今、心理的安全性を行なっていない子は、これから心理的安全性をしないようにしようね。今、心理的安全性を行なっている良い子はやめようね。
そして、お父さん、お母さんを含めた、みんなを大好きになって、みんなのために生きようね。
のだめカンタービレの作者は夫が謎の事業の代表という形をとりつつも実質専業主夫で育児もほぼ一人でやっているという作者によるエッセイがあるので啓蒙のためにアニメ化ドラマ化しよう
作者は赤ちゃんが号泣してても起きられず爆睡してしまうタチで旦那がずっとミルクあげていた
子は幼児になってからはパパっ子で、癇癪起こした時は作者に抱き抱えられながら「パパじゃなきゃいやああああああ」って絶叫する
ネット上での惚気話は電気通信倫理規制法第28条違反に該当する。
当該書き込みは途中までほんわか、あるいは不幸話、あわよくば闇落ち転落話を想起させるような文体、プロットであり、読者を期待させ長文を読ませておきながらちゃっかりと最後に自慢話をぶっこむ悪質なものである。
確かにアレ?これヤバくね?ただのモテ自慢かと思わせる導入だが、絶妙な位置で下げ演出を行っている(5番目の彼女)、結局最後まで読み進めてしまう。
犯行の手口は巧妙であり、また反省の色はなく、再犯の恐れがある。
また、同様の投稿を繰り返しているという指摘もあり社会秩序や規範意識が低いことは明らかである。
今後は反省し、妻の浮気NTR、子供の障害、育児の困難、成績不振、不良化など
街コンに行くと、いつも何を話すべきか迷う。
人が集まる場だし、みんな軽い話題で盛り上がってるんだろうけど、俺はいつも違う。
女性たちは不思議そうな顔をしていたけど、そんなのはお構いなしだ。
だって、これは美の根本に関わる話なんだから。誰でも分かるだろう。いや、分からなきゃおかしい。
「たとえば、ピタゴラスの定理。a² + b² = c² なんて、中学生でも知ってるでしょ?でも、あの定理が持つ幾何学的な美しさ、理解してます?ただの数式じゃないんですよ、これは宇宙の秩序そのものを象徴してるんです。直角三角形の辺の比が、どうしてあんなに完璧に収まるのか、その背後にあるシンメトリーとバランス、これはただの計算じゃ説明できないんです。幾何学は、自然界に隠された美を可視化する手段なんです」
女性たちは相変わらずポカンとしていたが、そんなことは全く気にしない。
「それに、円と黄金比ですよ。黄金比の美しさって聞いたことありますよね? φ(ファイ)という無理数、1:1.618...っていうあの比率は、自然界でも至るところに現れるんです。貝殻の螺旋や、ヒマワリの種の配置、果てはギリシャのパルテノン神殿まで。これらすべてが、幾何学的な美しさの証明なんですよ。建築家や芸術家たちは、何千年も前からこの黄金比に魅せられてきたんです。それが美の基準なんです。たとえば、あなたが好きな絵画も、おそらく黄金比に従って構図が決まっているはずですよ」
ここまで来ると、女性の一人が「へぇ〜、すごいですね…」と、曖昧な笑みを浮かべているのが目に入る。
だが、その目に理解の色はない。いや、むしろ遠ざかっているかもしれない。
それでも俺は一歩も引かない。だって、幾何学は俺の人生そのものなのだから。
「次はもっと複雑な話をしましょうか?ユークリッドの『原論』はご存知ですか?あれは古代ギリシャで書かれた数学書で、数千年の間、数学の基礎として使われてきたんです。『原論』の最初の定義は、点は幅を持たないもの、線は幅を持たず長さを持つもの。これをもとに、無限に広がる空間の中で幾何学的な図形を描くんです。そして、その空間の中に、あらゆる美が存在するんです。アポロニウスの円錐曲線における楕円の美しさなんか、誰でも感動するはずです」
彼女たちは完全に引いていたが、そんなことはもう気にしない。
「俺にとって幾何学は、ただの学問じゃないんです。これは美を追求する哲学であり、生き方なんです。人々がモナ・リザやアフロディーテ像に美を見出すように、俺はピタゴラスやユークリッドにその美を見出しているんです」
幾何学の美しさを語り終えた頃、ようやくふと我に返り、周囲の反応を確認してみた。
皆、頬に作り笑いを浮かべているが、目は明らかに遠く、何か別の世界に意識を飛ばしているかのようだった。
ひとりはスマホをチラッと確認し、もうひとりは、手元のグラスに注がれた水をいじっている。
こちらを見ている女性もいたが、彼女の表情はどう見ても「本当にこの人何を言っているの?」という困惑そのものだった。
「ええ、そうですね……幾何学って、すごいですね……」と、一人がようやく口を開いたが、その声には熱意も、理解も、ましてや感銘など微塵も感じられない。
表面的に場を繋ごうとするその言葉は、俺が夢中で語っていた美の真髄が、まるで真空の中に吸い込まれたかのように、何も響いていないのをはっきりと感じさせた。
もう一人が、さらに微妙な笑みを浮かべ、「あ、そうなんですか……それで、その定理って、なんでしたっけ……?」と、曖昧に質問してくる。
しかし、それは好奇心ではなく、ただ適当に話を引き延ばすための、無理やりな興味に過ぎないことは明白だった。
俺はその瞬間、すべてを理解した。
ああ、やっぱりこうなるのか、と。幾何学的美しさを解くことで、彼女たちの心を動かすことはできないんだと。
俺の語るピタゴラスの定理も、黄金比の神秘も、彼女たちにとってはただの退屈な講義に過ぎない。
彼女たちは、たぶん映画の話や、食べ物、旅行の話を楽しみにしていたのだろう。それが街コンで求められる「会話」なのだ。
「まあ、こういう話、ちょっと難しいですかね……」と自分から話を切り上げるが、内心、虚しさと諦念がこみ上げてくる。
俺は分かっているんだ。結局、幾何学の美を理解できる人間は、ここにはいない。
諦めが胸に染み渡り、俺はふと目の前のグラスを手に取る。
冷たい水が喉を通り、ほんの一瞬だけ現実感を取り戻すが、同時に心の中でつぶやいた。
俺は幾何学を愛している。それだけで十分だ。理解されなくてもいい。これが俺の誇りなのだから。
女性たちがどれだけ俺に興味を持ったかなんて、もうどうでもよかった。
最終的に、女性たちがどれだけ幾何学に興味を持ったかは知らない。
だが、俺の中では確信がある。