はてなキーワード: 盲腸とは
大体、病気という生きるか死ぬかの問題を前にして「痛いのが嫌」だとかこいてるの、わがまますぎるんだよな
わがままで医療費を増やして、助からない命が出ても平気なのか?
開腹手術でもするときゃ、患者が暴れないように例外的に麻酔を許してもいいかもしれないが、メソポタミアでは麻酔なしで頭蓋骨に穴を開ける手術をしたらしいし、殆どの手術に麻酔は必要ないだろう
まして、出産の痛みで死ぬ女はいないのだから、無痛分娩も禁止していい
痛み止め、湿布なんかも、医療費を逼迫する一大要因だから廃止すべきだ
歯科医が医者でもないのに、鎮痛剤、麻酔を乱用していることは許されざる状況だ
コロナに全力投球するためにも、麻酔・痛み止め・湿布の3つは「欲しがりません勝つまでは」を標語に禁止していこう
生理痛ガーと、我儘言ってピルを飲むふしだらな女も多いが、こんなの禁止していい
ピルには血栓のリスクもあるし、「痛み」が嫌だからと言って血栓を作るような愚行を犯す権利を認めてはならない
バイアグラも同じだ
セックスがしたいと言う我儘のために心臓へ負担をかけ、病院通いになれば医療費が無駄になる
だいたいEDの治療など全くもって必要ないので、不妊治療以外の目的では禁止すべきだ
車椅子乗車拒否が話題だが、バリアフリーも、「障害があっても普通の人と同じように便利な生活が送りたい」という我儘から始まっている
そもそも「便利な生活を送る」必要はなく、そのようなわがままな要望は叶えられるべきではない
健常者が3メートル前後の高低差を上るのに使う「階段」と言うものがあるが、全ての駅に階段を作るコストは馬鹿にならない
「二階建てにするなら階段をつけなくてはならない」という決まりのせいで駅が潰れては元も子もない
せいぜいロープ一本下げておけば済む
楽をして歩かずに遠くにいきたいというのは我儘だろう
医療への協力ってなんだろうな?と思うわ。
死ぬまで思ってればいいのでは?
口にすりゃ誰かが回答する問題か?
現状わかってるか?
大切な人を守る為?自粛することで、その大切な人に2度と会えなくなるかもしれないのに?
どんなレアケース想定してるの?
おまえの大切な人はほぼ全員死にかけなの?
それは構わないんだな。
経済の困窮、職を失う、この自粛自粛で精神疾患を患う、店の時短で在宅時間が増え光熱費が払えず凍死、同じくDVの被害が増える、自宅で食事できない環境や疾患のある人が時短で食べることができなくなる
他にも色々と影響はあるだろうな。
おまえの言う通りにコロナ対策を放棄して感染が蔓延した場合の影響はどう思う?
思う思う言ってるんだから思えよ。なあ。
生きてるうちにあと何度も会えるか分からない人と会わないことで、もう一生会えなくなるケースもあるし
コロナのせいで死んで一生会えなくなるケースはどう思うんだ?
思うの得意だろう?思えよ。
老人だって自粛で痴呆発症したり骨が弱くなって骨折したり、そういう話も物凄くよく聞いた。入院しても面会できないから、入院中に痴呆になって回復せずそのまま…って話もよく聞く。
じゃあ面会解禁な。
おまえの言う通りなら老人も大歓迎だろうな。
ボクちんがイラついて事件を起こしそうだから世の中の方が譲歩しろってか。
すげえなお前。イケハヤでもそんなこと言わないぞ。
https://anond.hatelabo.jp/20210111000145
これだ。
クソのような世の中で生きることになる。
お前が行きたいと言ってる高級風俗は、健全な医療が維持されているから許される娯楽だ。
医者にかかれなければ梅毒に侵されて、お前は風俗に行くたびに「梅毒に感染ったらどうしよう……」とビビるわけだ。
で、実際に梅毒に感染して「ひぃいー梅毒が脳にまできたあああああああああ」と梅毒脳炎にかかって死ぬわけだ。
そういう悲劇を回避してくれているのが「医療が充実している状況」であり、このまま新型コロナウィルスが感染蔓延して医療崩壊したら、そういう医療体制そのものが破綻するんだよ。
俺の風俗嬢の医療は関係ないですよね、なんてことがあるわけない。
医療が崩壊するってことは「これまで対応してくれていたあらゆる病気があらゆる人間を攻撃して社会そのものが崩壊していく」場面に直面するってことだ。
つまり、江戸時代のように「流行病でコロコロ死ぬ」とか「盲腸で死ぬ」とかも覚悟しなければならない
つまり「でも、俺は罹っても問題ないんだよ。どうせ無症状でしょ。まぁ、運が悪ければ人工呼吸になるのかもしれないけど、それは相当運が悪かったって諦められる。」と思ってるお前は、社会を俯瞰して観ることができない大馬鹿だということだ。
誰もお前の話なんかしてねえんだよ。社会全体が医療崩壊したら、一気に破綻して、いま以上につまらねえ生活を送らなくちゃいけないって話をしてるんだよ。
医療が機能不全に陥ったら、俺もお前もうまい飯を食いながら「自粛はつまんねえなあ」と言ってる生活すらも破綻するんだよ。
それを得がないとか、誉めてくれとか、甘ったれてんじゃね―ぞ。
いいか? 得してる側なの。
だって、健康で「ここ10年でまともに病院行ったのなんて健康診断か歯医者ぐらいだから。」ってのは、医療と公衆衛生が発達して感染症を押さえてくれた結果だからな?
なのになぜ、自分は医療に関係ない健康体なのは医療のおかげだった、ありがとうと思えないんだ?
一般教養をどこにおいてきたんだ?
「なぜ民間病院は協力的でないのか」
他の病気でいっぱいいっぱいで、ここの数を減らせばとたんに文明レベルが下がる。
お前が健康でいられるのは、「他の人間が健康でいるように民間病院が頑張ってる」からだ。
そんなことはこの1年で、ずーっと情報発信されてきたが、結局自分しか見えていない。
その甘ったれた考えをまず直せ。
出た出た、「今それどころじゃない!」で批判封殺奴。あーあー聞こえなーいみたいな奴。おめーが匿名掲示板で未来を見据えてる(冷笑)つもりでもやもや(嘲笑)を解決したところでウイルスはいなくなんないんだが?
俺の足元もいつかはぐらつくが、それより先に飲食や観光のやつらの足元がおぼつかないようだな。こいつらは経営者だし二階を担ぎ上げていた自民党支持者が大半だろう。自己責任だよ?ざまあみろ。毎度言うが違うってやつは最初からそう言え。
ニーメラーの詩を知ってるか?俺はこのままじゃやばいって思ったからずっと自民不支持だった。安保法改正のころとか当然反自民だった。今声上げないとやばいってずっと思ってたし声上げてた。野党に投票もしてた。その結果が今だ。私、言いましたよね?って感じだわ。マジで。今更自民支持者のために声を上げようなんて思わないよ。トンキン医療崩壊おめでとう。救急車待ちながら盲腸で死ね。
過去を振り返ることも批判も大事だ。それでウイルスはなくならないかもしれないが、自分の投票行動を反省することはできる。お前を含むニホンジンはそれを怠ってきたよね?野党は批判ばかりとか言って野党を批判してたよね?
自民党とか森加計桜学術会議の時点でグダグダしてたよね?池沼作戦のごはん論法で国会空転させてさ。安倍が事実と異なる答弁した回数100回以上だぞ。そんなグッダグダでなあなあな自民党が行政担ってるんだから当然コロナ対策もグダグダになるよね。何の驚きもないよ。統計まで改ざんしてたけど、今の感染者数これ正しいの?しかも改ざんしてたの厚労省だったよね?もっと多いんじゃないの?不審死が結構出てるけど。
大震災の時菅直人でよかったわほんとに。自民とか今国会開いてないんだぜ。この緊急事態に。
始まった緊急事態宣言も前回の時と比べてスッカスカだし、しかも終わる期間まで決めてるわけじゃん。ナニコレ、意味あるの?俺はそう思ったね。でももう決まったことだからお前は文句言わないんだよな?「過去を振り返って文句言ってもウイルスいなくなんないから!!!」だっけ?決定した瞬間にもう過去になるもんねしかたないね。
批判の大切さを理解しろ。その批判が正当かどうかは別の問題だが、批判自体するなというのはクソ極まりない。ニホンジンはそこがクソ。そこがわからないくせに「選択肢がありませ~ん」「消去法で自民で~す」。あのね、本当にざまあって思ってるよ。自民支持者ども。棄権した奴も同罪な。飲食の経営者の自己責任論者は自分の人生に自分で責任つけろや。
物心ついた時にはもう、そういう傾向があったと思う。
幼稚園の頃には、絵本やアニメで出てくる病気のシーン、熱を出して水枕と氷嚢をあてられて赤い顔で息苦しそう…みたいなのにムラムラしていたのを覚えている。あと、病気じゃないけど、足を骨折してベッドで足を吊るされているやつも。
あのなんとなく無様というか、適度に苦しそうな雰囲気にムラムラしていた。なので生死に関わりそうな病気とか怪我ではなく、風邪をこじらせて寝込む、とかそうの。
小学生になると、熱に加えて下痢や嘔吐も萌え対象になった。排泄そのものや排泄物には興味ないんだけど、同級生の欠席理由で「お腹の風邪」とか「吐き下し」とか聞くたびに、なんとなくその様子を想像してムラっとしたりしていた。そのうち、世の中には浣腸や座薬という、お尻から入れる薬があると知り、俄然興味を持つようになる。当時から自分で使いたい(する方もされる方も)という欲望は一切なく、エピソードの断片から想像を膨らませるのが好きだった。手術する前には浣腸すると聞いて、盲腸で入院した同級生が浣腸される様子を想像したり、別の子が高熱で学校を休んだら、家で座薬を入れられている所を想像したり…。
中学生になる頃には、浣腸は便秘の薬としてだけではなくて、SMという趣味の世界でも使われていることを知ったけれど、それはなんかギラギラし過ぎて自分の好みとは違った。私の萌えポイントは「生死にかかわらない病気や怪我」で「恥ずかしがったり嫌がったりするけれど浣腸されてしまう」というものなので、自分から望んで浣腸されるSMは萌えの対象外。
専門のお店があったり、世の中に広く知られているSMと違って、自分の趣味は変わっていて、そんな人は他にはいないのだろうか…。
そう思っていたけれど、大学生になり、自分専用のパソコンで自由にインターネットをするようになると、SMではない病院での浣腸や恥ずかしい体験を集めたサイトがいくつもあるのを発見し、衝撃に震えながら夜な夜な徘徊しては夢中でむさぼり読んだ。
けれど、ある程度飢えが満たされると、なかなか自分の好みをうまく満たすものは少ないと気づく。
それは、私の萌えポイントがあくまで、病気や怪我で「嫌なのに浣腸されてしまう」というものなのに対して、サイトに体験を書き込む人は、主に「病院で浣腸されたい人」だったり「それっぽい話を体験談風に書きたい人」だからだった。現実離れした羞恥が強すぎる設定や、生々しすぎる描写、性的な描写が入るものも好きになれなかった。
そう思っていたけれど、小説投稿サイトを探すと、わりと自分の好みに近いものも見つかることに最近気づいた。
細かいことを言い出すと、ちょうど良いものは少ない(ほぼない)んだけど、これ以上となると自分で書くしかないのかもしれない。
小説サイトに投稿している人も、他人に読ませたい、評価されたいという欲望からではなく、自分の理想のシチュエーションでエロい話を書いて、自分を満足させたいというモチベーションがあったりするのだろうか。
9月12日(土)、俺は、全身麻酔下で行われる精索静脈瘤(グレード3)の手術を断ることにした。
精索静脈瘤のことは、男性不妊を受診した人なら良く知っていると思う。
精巣の周りの血の流れが滞ることで、玉袋の排熱がうまく機能しなくなり、
精子の運動力が弱ってしまうというものだ。ご存じの通り精子は熱に弱い。
精巣のエコーと触診の後、俺はこう告知された。
左:3.6mm。右:拡張が見られる。自覚症状は全くなかった。
完治を望める治療法は外科手術しかない。保険適用で自己負担は4万円。
命に係わるリスクなんて全くない、腹腔鏡による低侵襲な手術で、
盲腸切るよりもはるかにイージーだ。ひと眠りする間に治っている。
それで、俺の精子が元気になるなら、しない選択肢は無いと、理性ではそう感じている。
†
5chとTwitterで全身麻酔の体験談を読んでいて、本当に気が滅入ってしまった。
過呼吸とパニック気味になり、みっともなく妻の前で何度も泣いた。
「あっという間に落ちる」
「10数えようとして最後まで数え切らずに落ちた」
「一瞬で落ちて、次の瞬間ベッドの上に居る」
これを、苦痛の全くない素晴らしい治療と捉えるか、それとも……
俺は、これはとても怖いと感じた。
手術を受けている間の、無意識下の自分はどこに行ってしまったのか?
目覚めた後の自分は、本当に、目覚める前の自分と同一なのだろうか?
突然プツンと意識が途切れるのは一時的な遮断ではなく、死そのものでないか?
今ここにいる自分は死に、同じ意識をバックアップした他人が目を覚ましているのでは?
そういった、途方もないものを想像した時と同種の、金玉が縮こまる感覚が、ある
手術に対する恐怖心は、弟が大病をしたこともあり、子供の頃から人一倍あって、
手術になったらどうしようと夜一人でベッドで震えて眠れないこともあった。
幸いにして、大怪我一つもせずにこの歳まで生きてきた。
だから、この問いに対する結論は先延ばしにしていればよかった。
その先送りのツケを、今払わされている。
いまどき、ガン告知だって、もう少しあっけらかんとしているだろう。
いい歳して、そのくらい動揺してしまった。精神的に堪えられそうになかった。
精液検査の結果は悪いものではなかった。運動率は少々低かったが。
放置したところで、ガン化したり、命に別状のある病気でもない。
男性不妊以外では、積極的に治療されることは稀という事実も存在する。
言い訳だけはどんどん出てくる。
結局、手術は受けないことに決めた。
†
手術が怖いと訴える若者の存在自体は珍しくもないかもしれない。
幼い時から、気を失う、失神することへの恐怖が半端無く強い。
30年余りにわたり肥大し続けた認知の歪みは、ちょっとやそっとで打ち砕けるものじゃない。
そうはいうが、お前は毎日キッチリ5時間寝てるじゃないかといわれるかも知れない。
正直に答えよう。俺は、睡眠を取ることさえ、怖くなってしまうことが、よくある。
実際俺は、イヤホンでASMR音声を聞き続けていないと、不安のために寝落ちすることができない。
耳から入ってくる音声を頼りに、眠りにつく前の自分と、目覚めた後の自分の自意識が
ひとつながりになっていることを、毎日自分に言い聞かせ、それで漸く、おっかなびっくり
落ちていくことができるようになったのだ。全身麻酔ではそれができない。
手術室でもASMRを流してくれたら、それも可能かもしれない。
先日は、それすら堪えられなくなった。中間過程――睡眠によって4時間も5時間も、
途絶えてしまった自分の意識の屍――を想像してしまい、そのことがとてつもなく、恐ろしく
感じられたのだ。それは、死の時間そのものだ。横たわるベッドはさながら棺だ。
自分という存在が消滅してしまう恐怖を抱えて、どうして、赤子のように、
最近は、睡眠中1時間おきにアラームを鳴らすことで、これに対処するようにしている。
1時間の睡眠ならまだ「こちら」へ戻って来られるという感覚的なものが、自分の中にはある。
ウトウトしたかと思ったタイミングで、アラームが鳴る。現在の時刻をチェックする。
これを繰り返すことで、無意識を回避しつつ、朝までの時間をやり過ごす。
論理ではないのだ。
結局自分が納得できるかどうかが、恐怖を乗り越えるのに一番大事だと思わされる。
全身麻酔ではそれができない。
手術室でも1時間おきに覚醒させてもらえれば、それも可能かもしれない。
(思考実験をしてみたが、30分で完了する手術なら、躊躇なく受けていたと思う)
昏睡への恐怖を訴える患者に対して、麻酔科のWebページではこう説明されている。
今まで麻酔から目覚めなかった患者は存在しない。必ず覚醒している。だから大丈夫だ。
真っ当な説明だ、こちとら原理まで散々調べたからそれは承知している。
そう、それでも、絶対安全な「作り物の死」であっても堪えられないのだ。
思い出したが、俺はジェットコースターも楽しめない人間だが、それと同根な気もする。
ビビリの俺は、カリブの海賊からスモールステップで難易度を上げていかなければならない。
幸いにして精索静脈瘤には、自費負担にはなるが、日帰り局所麻酔による治療も
存在する(ナガオメソッドは良さげだがとても高額で、貯金を溜めておかないと払えそうにないが)。
どうしても自然な受精が困難であればこちらも選択肢に入れることにしよう。
†
これから20年30年生きていれば、体中にガタがどんどん見つかるはずだ。
脳ドッグを受ければ、脳動脈瘤が必ず1個や2個は見つかるだろう。
祖母は心臓が弱かった。心臓にカテーテルを挿入しないといけないかもしれない。
そのたびに、泣きわめいて何とか全身麻酔を回避する方法を探し求めるのか。
きっと俺みたいな臆病者がガン告知で取り乱し、代替療法にハマった挙句、
治るはずのステージをみすみす悪化させて、全身転移の末苦しんで死んだりするのだろう。
いや、それよりも何よりも、人生の終焉に待ち構えている大関門――死――、
死こそ、人知の及ばぬ、理性の制御できない最たる存在ではないか。
妻や、まだ見ぬ子と、どれだけ輝かしい日々を送ったとしても、それはいつか終わるのだ。
偽りの喜びでしかないのだ。
俺と、その家族が暮らしていた記憶は、いつの日かこの世界から消え去ってしまうのだ。
それに何の意味がある?
運よく在宅勤務で顔を見られることもない。
まさに今この時も、数秒後に脳卒中で誰にも気づかれず突然死してしまう妄念が頭から離れない。
大人になれば、こんなくだらない恐怖は薄れていくものと信じていた。それがどうか。成人して以降不安は強まるばかりだ。
まだ若いから、と一笑に付してきた最悪の可能性が、日に日に、無視できないほど大きくなっていく。
幼少期からの不安感が全く緩和されていないことに、絶望しか感じない。
死の数か月、数日、数時間前、俺は更に激しく動揺し、どれだけの絶望で染められているのだろうか。
どうして自分のことしか考えられない人間になってしまったのだろう。
誰よりも出産を希望していた妻に対して、本当に申し訳が立たない。
それとも、こんなにも死に怯え、生まれてこなければとさえ思っている男が、新たな命の親になろうだなんて、烏滸がましいということなのだろうか?