はてなキーワード: ウヨクとは
彼らは「本当の日本の姿」を保守しようとする。「いまは失われつつある、真の日本」というものがどこかに在ったのだと信じて疑わない。それはいわゆる「国体」というやつで、終戦と同時に去勢されたものであるとされている。自虐史観を植え付けられ、「偏向報道」を浴びて育った人たちが、「回れ右」して、そうした主張をするようになる、というのは九十年代の小林よしのりブーム以降、とくによく見られるものとなっている。そういった人びとは、その小林によって「純粋まっすぐ君」と形容される。
そうした人びとは、それまで大きく左に逸れていた自身のイデオロギーを修正し、遅れを取り戻そうとするように真逆に舵を切り、正統と思しき情報を収集する。こまごまとした情報のなかからピースを掻き集め、失われた「国体」というパズルを組み立てていく。この過程で、合いそうにないピースは選ばない。たとえば近世以前の歴史とか、かつての天皇のスキャンダラスな出来事とか。そういったことは本質ではない、語るに値しないものとされる。「ご先祖様の残してくれた」などというわりに、その先祖がどういった人びとだったのかはよく知らない。いや、知ること自体を避けているようだ。彼らはそれまでの欺瞞に満ちた現実から脱け出し、真実の世界にやってきた。自身に「知る権利(正確には「自分の知りたいことを知りたいように知る権利」)」があることを知った。朝日新聞読者を放り捨て、かつての正しい規範(としての国体)を取り戻すべきだと悟ったのだ。教育勅語から徴兵制から、よき「日本人」を規定するために使えそうなピースはすべて使おうとする。いじめも、格差、外交といった諸問題は、本来の日本人のパフォーマンスを発揮することで少なからず改善される。つまり日本人は「まだ本気出してないだけ」なのだ。
しかし、そんな継ぎ接ぎのグロテスクな「国体」は蘇生することはない。集めた肉片や骨片を継ぎ合わせて元通りにしたつもりになっても死体は生き返らないのと同じである。そして、そのことに彼ら自身も気づいているはずである。歯型やDNAの鑑定により死者を同定するような、そんな作業で自身の望まぬ結果が得られてしまう予感に恐れ慄いているのだ。彼らは気に入りの言説を批判的に検証し、点検し、解釈する能力を自ら放棄している。「思考停止」というのはそうした状態のことではないか。彼らは使命感を胸に、猛然と情報を収集し、彼ら自身の文脈にそれらをくまなくマッピングして論陣を張るが、そうした一見すると知的に見える営みにおいても「思考」は停止している。
暴力的なまでに純粋な彼らの心は、そうした営みによっては決して満たされることがない。ウヨクであるということと交換可能な機能的代替物は、見つけることができるかもしれない。それはアイドルであったり、ソープであったり、さまざまだろう。わが国は娯楽大国で、あらゆる「ガス抜き」装置がよりどりみどりである。去勢された彼らはこれからも喪失感に苛まれながら闇のなかを歩み続けることだろう。新たな男根が生え、思考がふたたびドライブし始める日まで。
コレ見て思ったこと書く。
反対派の理想ってのはまぁ、「戦争反対」やら「法治主義の徹底」あたりでしょうか。
戦争自体もう二度とやってはならんという意見や、憲法違反の法律を通したら政権のやりたい放題になる、という話。
一方賛成派は徹底して「現実的な対応」という主張を繰り返すが、コレも結局ある「理想」に基づいて主張されてるのは
賛成派の人たちは自覚してないんじゃないかと思う。
安保法案に関しては「憲法にそぐわない」というのは一部の人以外の共通認識としてあると思う。
そのうえで、「現実に対応するために仕方ないんだ」という賛成派の人がいるのは理解できなくはない。
中国なり、北朝鮮なりの勝手な行動に対応する策を用意しないといけないという点については賛同する人は多いと思う。
ただ、それが憲法違反な法案を通す理由としてホントに正しいものなのか?ってのはちゃんと考えないといけないと思う。
これを認めるって事は、「今後のすべての政権が必要だと判断したら国民の反発にあってもそれをゴリ押ししていい」っていう事を
認めることになるんです。
もはや「安倍政権がこの法案をどう扱うか」の範疇を超えた問題になるんです。
その辺ちゃんと考えて賛成してる人ってどれだけいるんだろう?
ネタでないとすれば論旨から見て君は僕よりもずいぶん若いと思う。
そして、現在の君の分類法では僕は「ウヨク」ということになりそうだ。
なので当然、左翼団体諸党派でどういう教育や文化が実践されているのかはわからない。
それともサヨク的な人たちは何処かでそういったプロセス(違う論点→レッテル•否定→説明しないで蔑む)を体系的に学ぶのでしょうか?
今では俺も相手がこのプロセスに入ったら「俺、また勝っちゃったか」と思うことにしてにやにやするだけで返信をしないことが多い。だが、君はとても鋭いと思う。
昔は俺はこういうことをされると腹を立ててずらされた後のほうの論点に反論してしまい、結局、足元をすくわれることが度々あった。
結局、自分の力ではきみのように定式化できなかった。
が、あるとき、偶然見たページで疑問が氷解するように感じたことがある。
大衆や労働者の中に入って、政党や組合の組織を作ったり、その強化や拡大をはかったりすること(人)。[狭義では、共産主義のそれを指す]」(新明解国語辞典第三版)
と、字引には書いてある。
で、世の中には「オルグ学入門」という本がある。
内容がここで紹介されている。
http://psychodoc.eek.jp/abare/org.html
返答に窮した場合に論点をすり替えるテクニックが7つに類型化されて推奨されている。
中核派とか革マルとかは君も大学で見たことがあるかもしらんし、左翼系の政治家がああいう団体と関係のある(あった)といって時折叩かれているのは知っていると思う。
著者によれば、それまで勘や経験にのみに頼っていたオルグを体系化したものだそうで、こういう人々はもともとこういうテクニック・文化を持っていたのだと思う。
かれらのやっていることをみるとこの本、今でもひそかに彼らのなかで受け継がれているのではないかと想像する。
これまでのネットにおいては「左が世論を支配していて、それを右が攻撃する」という構図があった。
右のほうが攻めなので、サヨクをタイプで切り分けて「こういうサヨクはこう攻撃すればいい」「このサヨクならこうだ」とマニュアル化されていった。
また、極端な意見を持っている奴らが標的にされやすいので、ウヨクの中のサヨクはそういう極端なイメージで固まっていった。
っていう名残りがあって、右は左をステロタイプに捉えすぎていると思うよ。
サヨクだってもちろんネトウヨをステロタイプにとらえているけど、それは「何だかよく分からん奴らが出てきた」からの「こういう奴らなんじゃね?」というものなので、そのあたりちょっと違う。
これは伸びそうだな?と思ったらなるべく一桁台でブクマしてコメントしておく。
コメントの内容はありがちで大丈夫。暇人にしか出来ないが最重要かつ最強のテクニック。
思いつかない場合は被っても初めに浮かんだコメントでいいけど、
それは自分の実力ではないことを忘れてはならない。
昔なら「※イケメンに限る」とか、交通事故の記事なら「(理不尽に罰せられる)運転手が可哀想」とか。
使いすぎに注意。ネタが通じない人がいるので。
コメントの勢力図によって変わるけど、迎合したコメントは星もらえます。
それに気を良くすると戻れないかも。私は使用してない。
今流行のこれ
http://virates.com/society/1330845
これ全然正しくないと思うんだけど
「そーだそーだ!」
みたいになっちゃってる人が多くないか。
そもそも、戦争することになったとして
その後の作戦とかどうするのよ。
自分が前線に行かないから戦争やろうとしてる、っていう視点も結構間違ってて
前線にいない人が戦ってないわけじゃないと思うんだよね
日本が戦争したら100%負けるからやめといたほうがいいのは間違いないけど
逆に言えば戦ったら100%勝てる相手がいる、ということは
最終的に日本が関わる戦争で犠牲を増やさないことに繋がるんじゃないかと思うんだけど
こういう考え方はウヨクなんだろうか
あと、軍隊ってさ、必要な時にパッと用意できないものだと思うんだよ。
最低10年くらいは訓練して、兵器の扱いや兵法にも慣れて、それでやっと「犠牲を出さない軍隊」が作れる
例えば今から自衛隊が軍隊として意識を改めて訓練しはじめても、仕上がるまでに最低3年くらいはかかると思うんだよ
その決断をズルズル引き伸ばすことは、有事の際に大惨事を起こす可能性を上げるだけだと思うんだよ
誰か反論してくれないか
まずはこれを見てほしい。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www3.nhk.or.jp/news/html/20140701/k10015658171000.html
「集団的自衛権行使容認 閣議決定 NHKニュース」へのコメントである。
そのどれもが正論だ。
当たり前の現実に目を向けた、どうすれば戦争しなくてすむかを *一切真剣に考えていない*
結局のところ、我々は真剣に考えてこなかった。
何度か9条の会に参加させて頂いた身でもあるが、あえて言わせてもらいたい。
本気か? 本気で「9条」を守ることで我々は戦争を避けられるのか?
「避けられる」と答えた人に問いたい。それは真剣に考えた結果なのか?
私は信じない。
と、いうか、こういう、私みたいな懐疑している人たちの意見に一切妥協しようとしない姿勢。
それこそ危ないんじゃないかな??
戦争を避けるためには、戦争にたいして真摯に向き合う必要があると思う。
戦争に対して真剣に向き合うためには、まず、人と人とはなぜ争うのかを考えたほうがいいだろう。
上のブコメを見てみよう。
幾つかは、 *一切歩み寄りの姿勢を見せないコメントだ* 。妥協点とか見いだせる気がしない。
気持ちはわかる。
でも、そこで考えるのをやめていいのか? 良くはない。
少なくとも、右も左も、 *不幸を願っているわけではないのだから* 。
不幸を願っているわけではない。
そこだ。不幸を願っているわけではないのであれば、我々は妥協できるはずだ。妥協点を探すのが大事なのだ。
2-3段すっ飛ばして結論だけ言えば、著者はサヨクが大嫌いだ。
ウヨクは現実と、理想へ近づけるために世論と妥協を探し続けてきた。
ところがどっこい。サヨクの、とくに原理主義に近い皆様はまったくもって妥協しようとしない。
これでは争いを止められない。
国内のウヨクとサヨクが仲良くできずに、他国とどうやって友好的になれというのか。
そもそも我々は戦争がしたいのか? いや、違う。避けられるなら戦争は避けたい。死にたくない。
この国が気に食わない? いや、違う。平和な国に誇りを抱いていた。
なめられたくない? いや、違う。平和を守りたいのだ。征服、されたくないだけだったはずなのだ。
そう、中国が、怖い。
そして、この感覚がサヨクと多分共有できていない。できない。なぜならあいつら妥協しない。
集団的自衛権は行使可能にしたかった。しかし、行使したかったわけではないのだ。
大多数の国民が「よくわからないけど日本は昔悪いことをしたよね」という共通認識を持ってた。
日本悪くないなんて言ったら右翼コワイとか言われて村八分だったよ。
良くも悪くもそれに風穴を開けたのが小林よしのりなので、
時代を分けるならやはり新ゴーマニズム宣言の4巻が発売された辺りだと思う。
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って元益田見たらそういう話じゃなくてネットと現実の剥離の話なのね。
とりあえず2002年のワールドカップの頃はまだウヨクウヨクと言われていたよ。
飯島愛のキムチ発言とか叩き潰されてたし、テレビと新聞を情報の中心としてた層は