はてなキーワード: まだ子とは
元増田です。的確なレスありがとうございます。
こういう話、相談する相手がなかなかおらず、ましてやはっきりとした物言いをしてくれる人もいなかったので、すごく嬉しいです。
やっぱり認識が甘いですよね…。何かあってからじゃ遅い、一番困るのは私のはずなのに。
相手が私をどう捉えているのか(舐めているのか、本当は遊びのつもりなのかなど)は、正直よく分かりません。
普段接している感じでは遊びの関係じゃないと信じていますが、私の一方的な思い込みと言われればそれまでです。
…馬鹿ですね。はい、馬鹿だと思います。相手のせいにしてもしょうがない。
金銭面の負担以外でも大人だな、と感じさせるシーンはこれまで何度もあって、
やっぱり学生はまだ子供で社会人は大人だ、となんとなく分け隔てた考えを持っていましたが、
私も大人でした。というかSEXする以上子供だろうが責任を持たなければ。
SEXするなら避妊は当然という考えが薄れてきていたのもあると思います。
運よく妊娠せずにこれていたため、徐々に危機感をなくしていたんだと思います。
ですが、おかげで改めて避妊に対する意識を持てたように思います。
やっぱり、避妊はしなきゃいけない。して当然のこと。
女子中学生を名乗るスパムメールが来て釣られてみるかと会いに行ったら本当に女子中学生だった話。あるいは日本の将来やばい。
ありのまま起こったことを話す。女子中学生を名乗るスパムメールが来て釣られてみるかと会いに行ったら本当に女子中学生だった。何を言っているかわからないと思うけれど、自分でも何が起こったのかよく分からない。とりあえず詳しい経過を書いてみる。
一昨日(9/23)の深夜、一通のスパムメールが来た。簡単に「友達になりませんか?」と。普通ならそこで削除して終わりなのだけれど、他のスパムメールと決定的に違うことがあった。送信者のアドレスが@docomo.ne.jpだったのである。
ほぼ釣りか巧妙なスパムだと思ってスルーしていたけれど、ふと「どちらさまですか」と返信してみるとすぐに「XXX(以下、仮にハルカとする)っていいます。中3です!!」と返事が来た。
99%釣りと思ったけれど、遊んでみるかとメールを続けてみた。全力で釣られるのが紳士の努めである・・・
こういったスパムの場合、考えられるのは次の3つのいずれかだろう。
おそらく 2. だと思われるが、綺麗に釣られることで盛り上がるかなあとそれなりにメールを続けてみた。すると、いろいろ不審な点がでてきて、3. が急浮上してきた。
まず、メールの書き方が拙い。もし釣りであれば、もっと話を膨らませようとしたり、こちらの墓穴を掘ろうとするだろう。自分から、「メル友になりませんか♡」と書いてきたのに、話を膨らませる気がなさそう、「部活はなにやってたの?」と聞くと「卓球をやってました。」と答えるだけ。普通、相手にも同じ質問を返すか、そこでの話をしようとすると思う。あと一部、文脈がない、質問してもそれに答えないこともあったり。マウンテン・ティムがブチギレるレベル。それでも、なんとかメールを返すとちゃんと返事をくれる。返事は早くチャット状態だった。
そしてやたら地名が生々しい。話の流れから愛知県に住んでることがわかったのだけど、そのあと、「いまはヒルズにいます」と言ってきた。六本木ヒルズのことで東京にいるのかと思い聞いてみると、ヒルズXXというローカルなショッピングセンターのことだった。
ここからおそらく、女子中学生かどうかはともかく、かなり本物と言うか素人的ななにかじゃないかという推測が立てられた。
このときは夜神月くんが偽物だろうと思いながらもデスノートを試してみたら本物だったとわかってしまったような心境。だったと思う。
その日の夜、友達と飲みながら話をしていたら、もっとメールしてみようということになって、いろいろ送ってみることにした。その中で、なんでこのアドレスにメールしたの?(どこかで見つけたの?)と質問するとはぐらかされてしまった。そのあとに文脈がわからないまま写メ見せてください☆と来て何人かで写っている写真を「この中のどれかだよ!XXXちゃんの写真も見たいな」と送ってみた。すると自分の送った写真にはなんのコメントもせずに3人で写っているプリクラを送ってきた。幼い、明らかに女子中学生・・・。念のため書いておくと自分はロリコンじゃない、けれどもし相手がこの写真に写っている1人なら、どういう経緯で自分にメールを送ってきたのか、中学生の間でなにが流行っているのか、すこし興味が湧いてきた。
そのあと、その3人で写っている中でどれが私だと思いますかと聞かれて、半ば適当に答えるとんぜか見事に正解、その流れと怖いもの見たさとお酒の勢いで「これは会いに行かないといけないな^^」とキモいメールを送るとむこうもまんざらじゃなさそう、「でも会わないほうがいいですよ」とも言ってきたり、なぜか身長と体重を聞かれたり、そのあとに年齢を聞かれて、話をしているうちに、ほんとに翌日会うことになってしまった。
会う場所は、名古屋駅にしようと連絡するとよくわからない、と来た。それもそうか、と思うと「あの...お母さんがヒルズXXXにしなさいって言ってるんですけど...大丈夫ですか?」と返信。お母さん現る・・・!?
相手のホームグラウンドに行くのは美人局的なリスクもあって恐怖もあったけれど、なんとかなるかと勢いを大事に約束を取り付けて、おやすみとメールをクローズ。
なお、自分の意志だけでなく、一緒に飲んでいた人の後押しとカンパがあったことも書き加えておく。
翌朝、いつもの仕事の時間より早く起きて新幹線に乗る。片道1万円以上、なかなか痛い出費だけど、取材費と割り切る。
ただ、約束の11時のまえ、2時間くらい前からメールをしてみたけれど返事がない。まだ寝ているのか、やはり知らない男の大人に会うのは怖くて切ったのか、と不安になる。ゆったり勉強しようと思っていた休日とお金を遣ってる分、なんとか会わないとと思いつつも会えなくてもそこを観光してその県で仕事をしている先輩とごはんを食べることが出来ればそれでいいかなと思えてくる。
待ち合わせの時間を過ぎても返事がなく、別に連絡をとっていた現地の子に連絡をとってお昼を食べることになり騙されちゃったよと言っていると急にメール「すいません汗汗 お母さんの買い物付き合っててもうすぐ帰るんですけど時間かかりそうです汗汗汗」
お母さん同伴!?
と思いつつ、まあここまで来たしお母さんと話してもよいかなあと(なぜか)思えて、一緒でもよいよと返信してみた。メールを続けるとハルカちゃんはお母さんに自分と会うことになったと言ってしまい、当然反対されたということ、でも抜けて会いにいける、となって会うことに。
わりといそうな、ちょっと日に焼けていて服装もそんな気を遣ってはいなさそうだけど伸ばした髪はちゃんと手入れしてそうな感じの子。顔つきは地味目で、そしてすごい痩せている。
まだ子ども。なんでこんなメールをしてきたのか気になるのでいろいろ話を聞いてみる。
まわりから援助交際を疑われるかも知れないけれど、手をつないだりするわけでないし親戚のお兄さんが遊びに来たように見える、はず。
ただ、これは間違い。あとから分かったのだけど、その田舎のショッピングセンターは地元の人が遊んでばかりで、知っている子もぱらぱらいたそう。知っている人、友だちに知らない大人の男と一緒にいるところを見られてもなんとも思わない、むしろ自慢する風でもあることにふとした空恐ろしさを感じる。
驚くべき内容が多くて衝撃を受けたのだけど、うまく表現できないので箇条書きしてみる。
で、このあとプリ機(プリクラのことらしい)でプリクラ撮って少し話して、ペットショップ見てそろそろさようならとしようかなと思っていた、けれど・・・
高1のお姉さんも、デートするのにはアピタかこのショッピングセンターしかないらしく、遭遇してしまった。
しかも男連れ。彼氏(?)はどうみて40歳くらい。なにが起こっているのかワケガワカラナイヨ。
ただ見た目はちょっと格好悪いおっちゃんだけど話してると地元の景気を憂いていたり、新しいプリ機とかわからないけれど高校生と一緒にいるといろいろ勉強になると語るなど意外とまとも。気まずくてちゃんと話せなかったけれどまた話みたい、かも・・。
お姉さんはモテてる、と聞いた割にそう顔立ちがいいわけでないし、かわいらい格好をしているわけでない、ただ、先ほどのハルカちゃんの話の影響からか色目を使われているような気がしてしんどかった。
そしてフードコートで美味しくない山盛りのフライドポテトを食べてだらだら話をした。さっきまですごくたくさん話してくれたハルカちゃんもお姉さんの前ではあまりしゃべらない。謎の空気が気まずくて話も盛り上がらない。そして4人でプリクラ撮って、自分の気力が萎えて解散。ああ、禍根を残してしまった・・・。
最後はなんかいきなりキスしたりエッチとかはありえないけどキスマくらいなら・・みたいなことを言われて衝撃。けれど正直、文脈も分からないし飽きてきたのでよくわからない。はいはいワロスワロスみたいな感じで聞いてさらっと別れた。たぶん、もう二度と会うことはないだろうな・・・
そうして傷心したまま、名古屋駅で麺や六三六を食べてシルバーウィーク最終日の激混み新幹線で帰宅。
ほんの少し前まで。
当時まだ子供だったけどニュースを見ながら ああここはもう当分住めない土地のはずだと思ってみてた。それでも暮らしてるらしい人たちのことを見て、放射能のことを何も知らないんだと思ってた。日本でもしもこんなことが起きたなら、それは的確な判断ができるだろうよくらいに思ってた。だって被爆国だもの。修学旅行にいけば 原爆の話を聞く国だもの。
戦後のこの日本で、民主主義のこの国で 知らされない出来事があるなんて思ってなかった。
完全検閲のある中国のことを 自由を求めてる人はいるだろうに監視されて可哀想だと同情してきた。結構本気で。
どうやらなんにも教えてもらえてない。
新聞とテレビしか見ない人と、ネットしかみない人と、テレビとネットの人では考え方に温度差が激しい。
新聞とテレビしか見ない人は、ネットは嘘だらけだといい、ネットしか見ない人は 政府は、マスコミは ほんとのことを何も教えないという。
今日見たYOUTUBEは、ドイツで放映されたドキュメンタリーだった。
http://www.youtube.com/watch?v=5n_3NK-tsOU
もう 外国のメディアを通してしか真実を知れないのか。そういうことなのか。
私が子供ころ思っていた「教えてもらえないなんて可哀想」な国なのか。この国は。
東電が値上げをするそうだが、普通の会社は 自分の会社が原因でなにごとかおきた場合 まず自分の会社が可能な限りの負担を負う。
今思えばいいがかりに近いアメリカト○タのブレーキパッドうんぬんの件に関しての対処についてもそう。
あの件で役職以上賞与いまだに全カット という話も聞いた。
東電が。役職の賞与を全カットし、一般社員の給与も70%程度まで減額し それでもやっぱり足りないので値上げさせてくれといっているのならまだしも。そういう話は聞いたことがない。むしろあったら教えてください。
私は電気料金を決める際に 必要経費(もちろん社員の給与含む)分を確保したうえでかかるコスト分を上乗せしていくという計算の方法をテレビで見てからずっと「ちょっと待て」と思わずにはいられないのだ。
だって、東電社員の給与が減るのは当たり前でしょう?仕事ができなくて困ってる人は東電の社員の比ではないのだから。
会社というものは、どんな「もしもの事態」のことも想定して動くものだ。
それでリカバリできない事態が起きたとしても自分とこの商品についてとれるだけの責任を取るのはどんな仕事であれ当たり前のことだ。
電気をうちが一元管理している という自負があるならば どんなことがあっても電力に困る事態を起こさないのが 仕事をするものの
当然の心構えじゃないのか。
少なくとも、日本の会社はそれが当然じゃないのか?そういう常識のなかで皆、働いてるんじゃないのか?その徹底したプロ意識で日本の会社は国際的に認められているんじゃないのか。
どうして電力会社がそこを「いやうちは」といえるのかが不思議でしょうがない。そしてどうしてそこを責めないのかも不思議でしょうがない。
いつも通り家に帰ってきて、昼食にハンバーグとスパゲッティーを食べようとしていました
私は冷蔵庫の中のスパゲッティーを探していましたが見つからなかったので
母がトイレから戻ってきて部屋に入った瞬間 スパゲッティどこ?と聞きました
母は「何がっついてんのw○○(妹)みたいw」と笑って何度もそれを言ってきました
妹は帰るなりすぐ、ご飯何ー?まだー?ねぇ、まだー?と、ものすごく食い意地のはっている子です
一度なら笑って流せるのですが、何度も何度も本当○○みたいwなどと言ってきて
小学校は今日、学校はないので母と妹はすでに昼食を食べた後だったので
暖めなおしたハンバーグ等をもって、自分の部屋に行こうとすると
ここで食べなさい!と言って来たので、もう片方の手に持っているシャーペンを部屋に戻してから。と返事をし
部屋にペンを置いて、リビングに戻ろうとすると母がまた、ここで食べなさいっていってるでしょ と大声で言ってくるので
普段は絶対に聞こえないはずなのに、今日はリビングと廊下のどあが開いていたらしく、聞かれてしまいました
本当に、小さい声でつぶやいただけでした
私が悪いのは分かっていますが、まだまだ子供なので「ごめんなさい」とは言いましたが、不本意そうな言い方をしてしまい
母が アタシ何か悪いことした!?なんで今日、そんなに機嫌悪いの?出て行って!もう食べなくて良いと言って泣き出して部屋に戻って寝てしまいました
私も、学校で少し何かあっただけで泣きはしませんが、泣いてしまいそうになります
今まで、母と喧嘩するのが怖くて16年間一度も反抗せずに過ごしてきました
妹は年中反抗期でほっといて・うるさいなどのことを言っても普通に叱られています
今も変わらず同じ状況です
母に泣かれた直後、私も一人泣いてしまい
今は自分の部屋にいるので、分かりませんが
ずっと昔、まだ子供だった頃、私は自分が住む県に原子力発電所があることを知った。
「お父さん、原子力発電所って怖くないの?危なくないの?」
「安全ということにはなっているけどねえ・・・ホントのところはよくわからないかもしれないねえ」
「でも電気がなかったらテレビが見れないからぼくも困るしなあ・・・原子力発電所に反対している人は、電気がなくなっても困らないのかなあ」
「あそこで作っている電気は、全部東京のほうの人たちが使っているから、実はあの発電所がなくなっても、このあたりに住む人は困らないんだよ」
「ええっ、じゃあ自分たちが使えない電気のために、ぼくたちはちょっと怖くても危なくても我慢してるってこと?なんで?なんでぼくたち、我慢してるのに、あそこの電気使えないの?」
「東京のほうが人がたくさん住んでいるから、電気もたくさんいるんだよ。だから福島に発電所を作らせてくださいって、頼まれたんだ。あの発電所はそうやってできたんだよ」
「ふーん、頼まれただけで、怖くても我慢したんだ?」
「お金がなくて、働きたくても働けない人がたくさんいるような場所では、発電所ができれば、それだけみんな助かるんだよ。お金ももらえるし、働く場所ができるしね」
「なるほど、よくわかったよお父さん」
私は心から納得して、うなずいた。
そのことを私は、小学校に上がる頃には、もう学んでいたと思う。
私が住んでいたのはとにかくとんでもないど田舎で、地元の人間のほとんどは、ペンションとか民宿とか土産物屋とか、観光で飯を食っていた。
「えー嘘でしょ、このへんて民放が2局しか映らないんだ、ありえなくないー?」
「買い物行きたくても店がねえよ。よくこんなとこに住んでいる奴らがいるよな」
「夜まっくらだわマジで。おかげで星は綺麗だけど」
「あ、みてみて、子供だ、田舎の子供がいるよー、あの子とかほっぺた真っ赤だ!」
観光客というのは、そんな風に好き勝手なことを言ってこちらを指さして、けたたましく笑う人種で、正直いけ好かないと思ったことは何度も何度も何度もあったが、なにより彼らはありがたくも私達に金を落としてくれる存在だったので、にっこりと笑って愛想良く対応するのが地元の人間の義務なのだということを、私は小さい頃から叩き込まれて育った。
その日、私達は軍手をはめ、ゴミ袋を持って、ジャージ姿で地元の観光スポットに向かう。観光客のために用意された「豊かな自然に包まれて森林浴を楽しめる美しい散策コース」に転がっているゴミを拾わなくてはならないのだ。
空気も水も緑も、自然は確かに美しいが、そこに落ちているゴミは汚い。カラフルな空き缶や、菓子の空き箱なんかを拾うのは、それほど辛いことでもないが、べっとりと食べ残しがこびりついた弁当の空き箱やアイスクリームの容器や湿って黒い液がにじみ出ているタバコの吸殻は、軍手越しとはいえ、触るのも嫌だった。
一番気が滅入るのは、木々の間に白っぽいものが広範囲に撒き散らされているのに気づく時だ。白っぽいものというのは、つまり大量のティッシュで、その下にはたいてい、大便かゲロが隠されている。我慢してティッシュを拾ってもその下からゲロや糞が出てこない時があって、当時はずいぶんほっとしたものだが、数年経って初めてコンドームを見たとき、同じようなびろびろしたゴム製品をティッシュの下から拾ったことがあるのに気づいて、あれは青姦の跡だったんだと知った。
私はゴミ拾いが嫌いだった。嫌いだったけど、これは誰かがやらなくてはならないことだとも、思っていた。
そして、誰かがやらなきゃいけない汚れ仕事ををやる羽目になるのは、金がないほうの人間なんだということも、よくわかっていたのだ。
だってしょうがない、ゴミを捨てる奴らにはにっこり笑って愛想よく振舞って、ゴミを必死に拾い集めて、そうやってやっと、私達は金にありつけるんだから。
観光客(東京のほうからやってくる大事なお客さん達、というのが私の認識だった)は多分みんな、自分たちが撒き散らかしたゲロと糞と精液を、子供たちが始末することになったなんて知らないし、知りたくもないだろう。
彼らが覚えているのは、自分たちの楽しい旅行の思い出だけで、気軽に捨てたゴミのこと、指さして笑った田舎の子供たちのことなんて、綺麗に忘れてしまっているだろう。
糞を人任せにするというのは、そういうことだ。
だけど出した糞を任されたほうの人間は、決してそれを忘れない。少なくとも私は、自分が拾ったゲロと糞と精液のことをしっかりと覚えている。
だから私は、原子力発電所という、どうやら怖くて危ないらしいモノが福島にあると聞いたとき、ホントに心底納得したのだ。
金がないってのは、そういうことだよな。
本当なら近寄りたくもない、悪臭ぷんぷんの糞でも、金が貰えるなら拾い集めて握り締める。
多分それは[取引]だと言われる。もしかしたらその取引は不公平なものだったってことが、後になったらわかるかもしれないけど、その時は[お互い様]だったと思われるだけだろう。
私はそんなのはちっともお互い様とは言わないんじゃないかと子供の頃から思っていたし、今も思っているけど、それでもきっと、どうしようもないことなんだろう。
なんせ金がないんだから。
私の生まれた場所には、生まれる前から原子力発電所があって、正直それが嫌で嫌で仕方なかったけれど、でも多分、そうやって糞を拾い集めて金にありつかなければ、私は生まれることも育つこともできなかったのかもしれない。
ただ私は、他人の糞を任されて生きるのは嫌だった。
今私は、関東に住んでいる。
東京に憧れがあったわけじゃない。私の育った場所には金もなくて仕事もなかったからという、ただそれだけのことだ。
結婚もした。相手は関東の人間だ。友人のほとんども、関東に住んでいる。
震災の後、原発で事故が起きて、毎日何もかもどんどん悪化していくばかりで、だけど私はなんせ関東に住んでいるから、仕事も家もなくならなくて、普通に生きてる。
「もうダメだよ、宿泊の予約は全部なくなったよ」
「今年が終わる頃には、何人か首くくるんじゃないかなー。俺もね正直、ペンション建てるのに組んだローン、どうすればいいかわかんないしね」
なんでだ、と思う。あの原発で作られた電気を、お前は使っていなかったのに。
大学に行くために家を出て、それからずっと関東で過ごしていた私は、毎日毎日、電気を使いながら生きていた。
無駄遣いした電気も、たくさんあった。その電気がどこで作られているかなんてことを、私は考えもしなかった。
子供が生まれたら、私は時々、田舎に連れ帰るつもりだった。自分が遊んだ場所で、遊ばせてやりたいと思っていた、でもダメだ、もうできない。
私は未だに甲子園では福島の学校を応援する。だけどきっと私の子供が福島の学校を応援することはないだろう。
私はやっと、自分が糞を人任せにする人間になっていたことに気づいた。
だからたぶん、私の生活は変わらないんだ。家も仕事も家族も失わずに、生きているんだ。
涙が止まらない。
喜べばいいのかもしれない、もう私は他人の糞を握りしめて生きる側の人間じゃなくなったんだから。自分が他人に押し付けた糞のことなんて綺麗に忘れてしまえばいいのかもしれない。
ただ、涙が止まらない。
ついに今日を迎えてしまった。それまでは心のどこかに「19だから、未成年だから」という意識が少なからずあった。いや、かなりあった。別に悪いことはしてないけど良いこともしなかった。何もしなかった。そのことを「まだ子供なんだから……」と慰めのような言葉で紛らわしていた。誰かに言ってもらうわけでもなく脳内で何度も繰り返した。気持ちの悪い自慰行為である。しかしカレンダーをめくるように今日で僕は社会的に成人となった。もうあのフレーズは使えない。僕みたいな人間が成人とみなされていいのかと自分のダメっぷりにはいつも嫌気がさしている。小学生の頃夢想していた大人に僕はなれなかった。あの頃の自分に申し訳ない気持ちさえする。ごめんねマジごめん。ぬるま湯に浸かりすぎた僕はいきなり熱湯に浸かることも冷水を浴びることもできない。かといって風呂場を出る気もない。日本にも通過儀礼的な行いがあればいいなと思う。同窓会となんら変わりのない成人式のようなものではなくてある程度心身に苦痛を伴うような行事が。ま持論だけど人が変わるというのは一日程度で変化するような劇的なものではなく火にかけた水が沸騰するような漸進的なものだしそういう外部的な機会に頼ろうとしている時点でやっぱり僕はまだまだガキだ。通過儀礼も国全体として緊張感のない日本で行ったところでただのイベントに成り下がる気がする。やっぱり通過儀礼なんかなくていいや。ふふっあーあどうしよう。なんだかなあ子供のころはプレゼントもらえたりでウキウキしていた誕生日が今は全然嬉しくないや。自分は大人だと納得できる日は何年後になるのだろうか。叱責されて「君はまだ子供だね」と言われる方がまだよっぽど心地が良い。
わたくしの息子は、妙に現実主義のところがありまして、女の子が空から降ってくるなどということは、微塵も信じていないようなのです。
そのかわり、このところの日照り続きのなかで、かえるさんと楽しく元気に遊んでいます。まだまだ子供なのだな、と微笑ましい気持ちで見守っております。
Re:http://anond.hatelabo.jp/20100902013402
何となくたどり着いた先はジャスコだった。クリスマスの近いジャスコは家族連れでごった返しているが、カップルは比較的少ないように思う。カップルはもっと雑誌に載っているようなこぎれいな場所に出かけてしまうに違いない、と僕は思う。高校生のカップルが目に余るほどいちゃいちゃして通り過ぎていくのは特に気にならない。若さは取り返せないから、あちらの世界は違う世界だと認識できるのだ。同年代のつつましいカップルが一番心をかき乱す。なぜ僕ではないんだろう。なぜ、僕にはないんだろう。そういう考えが頭に浮かぶのはあまり幸せなことではない。
ぶらぶらと歩きながら適当に服を見繕う。別にどこに行く当てもないけれど、良さそうな服があったら買っておくのだ。特に趣味のない僕にとってそれはささやかな散財だった。たまには甘いものとお酒でも買おうか、ということを僕は頭の片隅で考える。
クリスマスソングが流れる店内も、店内のきらきらとした飾り付けも、売り子が張り上げる声もすべて予定調和で心地よくすらある。エスカレーターのそばには大きなツリーが飾られていて、子供がその下を走り回っている。僕は肩からずり落ちてきたマフラーを外しながらぼんやりと巨大なツリーを見上げる。
けえきいかがですかぁという間延びした声に僕はなぜかびくりとして振り返った。売り子の女の子がプラカードのようなものを持って呼び込みをしている。この時期にしかみられないサンタクロースのコスプレをした、きれいな黒い髪の毛の女の子。高校生か大学生か、多分バイトなんだろうと僕は思いながら女の子を視線から外す。別に珍しくも何ともない光景だし、あんまりじろじろ見るのもなんだか変な気がしたのだ。
「けえき」
僕が横を通り過ぎるその瞬間に彼女はすぅ、と息をすってそういった。舌足らずな甲高い、売り子特有の耳障りな声の合間に人間らしい呼吸音が聞こえたことに僕は少し驚いた。思わず振り返ってしまって、彼女と目が合う。
言葉を言いかけたところで目が合ってしまった彼女は、その先の言葉を忘れてしまったみたいに目をしばたたかせた。そして、ちょっと照れくさそうにいかがですか、と小さな声で言う。
思わず振り返ってしまった僕も照れくさくなってちょっと笑う。
あまりの決まりが悪さに僕は、ください、と小声で言った。女の子はぱぁっと誰がどう見ても作り物ではない笑顔になってありがとうございます!と元気よくいう。僕は頭の中でちらりと一人で過ごすのにケーキを買ってるなんて寂しいやつだな、と思われたらどうしようと考える。
ご家族用ですか?と彼女はいった。僕は首を振ってこっちのを二つ、とショートケーキを指して嘘をつく。長年一緒に暮らしている彼女か、もしくは結婚してしばらくたってるけどまだ子供のいない夫婦のふりをして、彼女は忙しくているからささやかなお祝いでもするんだという顔をして、僕は嘘をつく。堂々としていればそういうものは相手に伝わらないんだ、と僕は思い込むことにしている。女の子は透き通った黒い目で僕を見て、にっこりと笑った。
この子は、と僕は頭の片隅で下世話なことを考える。彼氏とかいないんだろうか。カップルであるている同年代をどう思いながらケーキを売っているんだろうか。案外気にしていないのか、気にしないようにつとめているのか。それとも単にサンタのコスプレがしたかっただけなんだろうか。思い出の一つとして。
女の子は何も言わずにフォークを二つつけてケーキをひどく大事そうに箱の中にいれた。少しでも雑に扱うと爆発でもしてしまうのではないかと危ぶむほど丁寧な動作だった。なんてことはない、明日になったらたたき売られるだけのケーキだというのに、その動作は不自然にすら思える。僕はもう一度彼女をみる。
ただ僕が消費するだけのケーキをなんでこの子はこんなに丁寧に、大事そうに扱うんだろう。テレビを見ながら感慨もなく食べるだけなのに。
お持ち帰り時間はどれくらいですかぁと相変わらずの舌足らずな口調で彼女はマニュアル通り言った。僕は何となく30分くらいです、と答えた。30分もかからずに家には着くけれど、これだけごった返していると駐車場から出るので一苦労だろう。子供たちに配るためのプレゼントをたくさん載せた車が、さながらどこかの国から出発するサンタ便のように、たくさんたくさん行列をなして出口へと向かう。その中で、僕は待つ人のいない家へ食べる人のいないケーキを運搬する一人のトナカイなのだ。プレゼントを贈る相手がいないから、サンタクロースもいらない。トナカイのえさがありさえすればいい。でもたまにはトナカイだってケーキが食べたくなったり、その贈り物を自分のものにしたくなることだってある。僕はそういう不届きなトナカイでかまわない。そんなことを考えて僕は誰にもわからないように唇を緩める。
女の子はケーキと同じように釣り銭を丁寧に数えて、その硬貨が実は純金やダイヤなのではないかと錯覚するほどそうっと僕の掌の上にお釣りをのせた。そしてぴょこりと頭を下げてありがとうございましたぁ!とやたら元気のいい声で言う。その動きがあまりにも厳かだったものだから、僕は神聖な儀式に立ち会ってしまったようなある種の居心地の悪さを感じてもぞもぞとする。腕の中のケーキも何かとても特別なもののように思えてくる。僕は何事も起きないように大事に腕の中に抱えこんで、どうもと口の中で言った。箱はたった二つの小さなケーキしか入っていないはずなのにいやに重く感じられた。役目のないトナカイになぜかとても重大なミッションが課せられたような、そんな気がしたのだ。
ひっきりなしに開閉する自動扉のむこうにはちらちらと白い雪が降り始めていた。ぼんやりと口をあけて僕は空を仰いでいたけれど、忍び込んできた冷気に思わず身を縮める。白い息が鼻からゆらゆらと立ち昇っていく。ジャスコの中のざわめきは自動扉がしまると遠くなり、再びあくとまた耳に飛び込んできて、なぜかひどくさびしい気持ちになるから僕は片手をポケットに突っ込んで、もう片方の手で大事にケーキを抱えて、歩き出そうとした。また自動扉が開いて、そしてあの女の子の声が聞こえる。振り返った僕の目に、あの女の子は映らなかった。かわりにたくさんのトナカイが子供を追いかけたり、疲れた顔をしてベンチに座り込んでいたり、なぜかピリピリとした顔をして怒っているのが見えた。僕は少し笑った。クリスマスのジャスコにはトナカイがたくさんいる。そして、贈り物を待つ子供のために疲れたり悩んだり怒ったりしている。時間も体力もないトナカイのためにジャスコは今日も開いている。
雪はもう静かに積もり始めている。
※この話はフィクションです。実在の人物、団体、企業とは一切関係ありません。
※くそあついのに冬の話かよという苦情は受け付けておりません。
結婚に失敗したかもしれない。
いや、夫はイケメンだし、仕事もできるし、性格もいいし、背が高くてスタイルだって良い、正直、自分にはもったいないくらいの男性。
ただチンコが小さいんだ。
息子が産まれて5年たつんだけど、どうも短くて細いんだ。夫からの遺伝だろう。もちろんまだ子供だからそういう話はされたことはないんだけど、きっともっと大きくなれば悩むだろうな。
ひょんな事から同僚達と夫の話題になったんだけど、なんだかみんな旦那さん、でかいんだw え?なんでみんなそんなに大きい男と。。。?と聞いたら、やっぱ小さいと見映えしないし、自信なさげだし、産まれる子供だって大きい方がいいよねって考えれば、自然とそうなるでしょって感じだった。短くて細い旦那って私だけだったw
よく考えてみれば、金持ちの息子さんってなぜか自信いっぱいだよなあ。金持ちの息子が精力的なのは当然だと思うけど、チンコの事は思い付かなかった。
婚約者がいます。私はその人のことが好きで、この人と結婚できなかったら一生独身でも構わないと思うほど愛しています。
婚約者も私のことが好きで、生活に金銭的余裕ができたら子供を作ろう、とお互いに話し合っています。具体的な金額や貯金方法なども、まだ夢物語程度ですが、話題に出てきています。
婚約者(以下恋人)とは長年連れ添った夫婦のようです。このまま二人で生活し、老いて死ぬ。これ以上の幸福はありません。
ただ一つだけ、厄介なことがあります。
私が子供に苦手意識を持っていることです。犬も猫も好きじゃありません。特に中学年以下の子供には嫌悪感さえあります。幼児連れの家族を見ると、心の中で舌打ちをするほどです。
犬猫に何万もかける飼い主は理解できません。生産性のないただの愛玩動物である畜生に、手術代金で15万円を払う人がいるそうですが、私はとてもそのような「金銭をいとわない愛情」を注ぐことはできません。
さすがに自分の子供には手術をさせると思いますが、もしそのような状況になったとき、私はどういう気持ちでお金を稼ぐのでしょうか。純粋に子供に生き残ってもらいたいからでしょうか。子供を見捨てる鬼と後ろ指を指されないためでしょうか。はたまた、周りの抗いようのない雰囲気からでしょうか。
私は他人に無関心すぎるのです。ゆえに、弱者も強者も自己も十把一絡げにし、同じ偏差値で考えてしまう。そうすると、自然と弱者を「どうでもいいもの」と考え、ついには「邪魔者」と捉えてしまいます。
弱者は効率が悪い機関です。私も弱者側です(だから同属嫌悪が発動するのだと認識しています)。子供のかわいさはわかりますが、奇声を発したり走り回ったりするのは不快です。この行為は人生経験の浅さゆえだと十二分に理解していますが、やはり「分別のある大人」と「さわがしい子供」という、本来天秤にかけることさえできないものを同一の目線で語ってしまうのです。
私はまだ子供です。身体も、考え方も、価値観も、まだなにも大人になりきれていません。ついさっきまでゲーセンで遊んでました。
こんな私が、人間の一生という、気の遠くなるような長い歳月の責任を、負うことができるのでしょうか。責任は歳月だけではありません。自分の子供が他人に及ぼす影響や、一緒に育てていく夫への負担の責任も負わなければなりません。もちろん、責任は家族と一緒に負うものです。しかし、割り振られた責任すら負いかねます。
産んだ人間にそんな末路をたどらせるなんて、私は怖くてできません。
子供の育て方・育ち方次第で、20年30年がいっぺんに「無駄なこと」になるのが、子育てです。そんなことに膨大な時間とお金をかけるなら、恋人と二人だけでずっと手を繋いでいたい。
恋人は、私と付き合う前から「安定した家庭を築いて子供を育てたい」と言っていました。私もそれは素晴らしいことで、もっともなことだと理解しています。世間の目にかないますし、親孝行にもなります。
当たり前のことができない。
「やればできる!」
できてしまうからこそ、こわい。
今からとても変なことを書くけど、増田だから気にしない。お目汚し御免。
シベリア特措法というのが成立した。戦後ソ連によってシベリアに抑留された人たちに対する保証金だとか。
http://sankei.jp.msn.com/world/europe/100621/erp1006210248000-n1.htm#
だからソ連はけしからんとか、その他諸々政治とかに関わる話もあるのだろうけど、以下すべて個人的な話。
ひとつ本件について感想を述べるならば、何を今更で、うちの祖父はシベリアに抑留されて、戦後15年目くらいに亡くなっている。それを戦後65年経ったところで給付されますといったところで遺族がもらえる訳でもないし、そもそも今更そんなものをもらったところで、祖父を亡くして一家の大黒柱を失った母の成人するまでの暮らしが楽になることもない。
それをけしからんというのもなんだかなあと思うし、もしうちの祖父が存命ならどう感じたかと思うとまた祖父のことを思い出す。
祖父のことを思い出すといっても、僕の生まれる遥か前に祖父は亡くなっていて、祖父の人となりはすべて写真からでしかわからない。だから、孫にとってどういう呼び方が相応しいのかわからない。おじいちゃんがいいのか、じいちゃんがいいのか、おじいさまがいいのかすら。
そして母はたまにしか祖父のことを語らず、しかし思い出話をするときの昔を懐かしむ眼差しは両親のそろった家庭に生まれ育った僕の伺い知ることのできない凄みと、祖父への親しみがあり、それはなんとなく覚えている。主に母にとって厳しい父親だったこと、小さいながらも家と仕事を持ってそれなりに幸せな家庭をもっていたこと、子供が生まれてから転勤の少ない職場へ転職したこと、猫が恐かったこと、数学がとてもできたこと、満州へわたった事情と、祖母とのなれそめとかとか。
そして祖父の人柄を自分の中で作るようになり、偶然かどうか、祖父と似たような仕事に就いた。もし生きていれば祖父は僕とどう接するのか、自分にとってどういう祖父なのか、きになれば尽きることはない。そういうことが年に数度。
だから祖父との思い出のあるやつはいいなあとか、後々思うようになった。子供の頃はそんなおっかないじいちゃんはいらないとおもってたものだけど。
そしてこのような戦争とか、シベリアについての話をニュースで聞くたびに思う。もし祖父が生きていたら今の世の中、戦争についてどういうか。それとも全て墓場まで持っていくか。人となりは母と祖母とその親戚の口からしか伝わらない。そして2人とも祖父は「海軍士官学校」にいたとかいう程度の認識しかない。ちょっと絶望的。
またこういうニュースを聞くたびにこう思う。軍人同士の付き合いで曾祖父が祖母と祖父を引き合わせて結婚した2人の間に母が生まれて、父とであって僕が生まれて、確かに戦争の記憶なんて僕にはないし、話をする人もそうそう多くはないけど、確実に僕の人生に何らかの影響を与えているって。なによりシベリアから帰ってきて、その後同胞を置いて帰ってきてどうせ拾った命と、魂削るまでして祖父が働かなければ早死にすることもなく僕は祖父と孫として会話ができてたかもしれない(祖父が残した数少ない記録のうちの1つである手記にそうあった)。
母の話を聞くたび、祖父の人格を補完していって、きっとこういう人だったのだと仮定して、そこから自分との会話を想像したりする。あのときああいう人ならこう言っただろうなあって。
そうして僕は祖父との思い出を作ってたまに他人を羨んだりする。あいたかったなあ。俺もじいちゃんと仕事の話とか、したかった。母も、和久井映見が演じるOLが友達と飲み屋で飲んでて、たまたまその父親が後から飲み屋であって、父親のツケで飲みまくるっていうCMを見て、私もああしてお父さんに甘えたかったとつぶやいた。幼い妹は、悪い娘だねといったけど、母は寂しそうな顔をして、僕はまだ子供でよくわからなかった。
僕もじいちゃんと酒飲んでみたかった。だから酒を好きじゃないけど、酒を飲んでみんなと酔っぱらうのが好きだったという祖父のお墓に酒を持って今年も墓参りに行こうと思う。
横
i)注意され、無視されたらぶん殴られて大けが・・・
ii)注意され、無視したらぶん殴られて大けが・・・
i)は、注意されたのは自分であるが、無視されたのは相手である。
ii)は、注意されたのは自分であり、無視したのも自分である。
さらにi)は、注意され(主)→無視された(客)→ぶん殴られて(主)、と主客が再度転倒していることにも注目したい。
これを取り立てて非文と断じたい気持ちも分からなくはないが、推測は容易に可能で、話し言葉がそのまま記述化する傾向のある増田においては、
わざわざ「誤用(笑)だ御用だ」とわめく必要はないだろう。
iii)怪我された方はたまったもんじゃないね
iii)の「怪我された方」は客体からの視点で、たいへんご自愛に満ちた精神でいらっしゃることがわかる。
iv)の「怪我させられた方」は主体からの視点で、これまたたいへんご自愛に満ちた(ry
iii)は意味上の流としては極めて不自然であるが、考えてみればアクシデントとは、主客双方巻き込まれればたまったもんじゃないので、考え方によってはどっちも正しい。
というか、人の言葉にいちいち難癖をつけるのは好きじゃない。あまりこういうことを書かせないでくれ。
いい歳して頭の中はまだ子供か・・・
作文見る限りじゃお前もな
投稿した者です。
身にしみる返信をありがとございます。
ただ、俺が何よりもどかしいのは、
友人がハマったものが恋人だったりスポーツだったり、バンドだったら。
俺、応援できるじゃないですか。
おれ自身が直接そのものに興味がなくても、何かしら参加する余地がある。
観戦したり、ライブ行ったり。
恋人だって、デートの邪魔をしない範囲で一緒に遊んだりできる。(と思う)
でも、ネトゲって直接参加するしか関わり方がないし。
なにより、家から出てこない。
それにパソコンを介してでないとネトゲは出来ないわけなので、友人と直接顔を合わせない状態じゃないと遊べない。
そんなこんなでもうそいつとは4ヶ月会ってないです。
それまでは毎月1回は時間作って遊んでたのに。
お互い社会人だからこそ、顔を合わせる時間って結構大事にしたかったりするんですけど。
でも、返信読んでちょっと奮起しました。
友人に直接「もう4ヶ月も会ってない。ネトゲのやつらにお前との時間をとられてる気がして面白くない」と伝えました。
なんか思うことあったみたいで、「リアルの友人にネトゲで遊んでるやつがかなうわけないだろ」って返事が来て、なんかちょっと自分の中の毒が抜けました。
友達に構って欲しいだけだったなんて、まだまだ子供です。
http://anond.hatelabo.jp/20100523201505
当たり前のように恋愛して、当たり前のように男に養われて、当たり前のように自分が出来る仕事で満足する、のが、専業主婦→パート主婦になる人間の意識。
正直言って「勉強すんのも就職すんのも仕事すんのも当たり前でしょ。で、仕事したらお金もらえるのが当たり前でしょ」って人は専業主婦には向かない。近所に共働きのご夫婦がいて、まだ子供はいないんだけどね。朝、6時に出勤して、帰ってくるのは夜の9時10時なわけよ。「ゴミ当番お願いします」って言ったら「えーーー? なんで、ただで作業しなくちゃいけないんですか? そんなの、ヒマな専業主婦でやってください」って、お断りされちゃいました。「じゃあ、ゴミ置き場、使わないでください」ってゴミの集積場使ってる世帯全員の意向で、ゴミ置き場を追い出したら、清掃所のほうから「しばらくは、個別に収集にうかがいますけども、特例なんで、ゴミを出させてくれる集積所を探してください」と念を押されたのだとか。
このように、専業主婦ってのは、家族からも行政からもご近所さんからも「タダで働いてくれる便利な人」なんでね。(なんで、私が、こんなくだらない仕事を)なんて考える人には向かない。
真面目な話、ほかの増田も言ってるように、会社にしがみついて、家庭生活は、適当に「ヒマな人」にやってもらって、作業レベルが低くても文句言わないってのが正解だと思うよ。
気持ちはわからんでもないですよ。
そもそも結婚したい!なんて思わなかったですもの。
んで結婚生活は予想の範疇だし、別になにも驚かなかった。
子供も欲しいというので、まだしばらく楽したかったけど作りました。
・・・んで、子供が出来た後の心境の変化ってのがまったくの予想外でした。
じわじわ気持ちが子供に向いていき、1年でメロメロになりました。
要するに、結婚を勧めてるというよりは、子供を持つことを勧めてる訳です。
ただこればっかりは、出来てみて嫌だったから止めたとは出来ません。
でもね、オススメしたい。
基地外DQNだったら勧めませんが、あなたが普通の常識のある人間なら、
子供がかわいいと感じ人生の大部分をつっこんでも構わないと考えると思います。
結婚をわざわざ勧めるなんてことはしなかっただろうと断言しておきます。
男には全く理解できないことかもしれないけれど、女には多かれ少なかれ理屈抜きで自分のために困り果てて消耗する男の態度を求める性質がある。(しかも、始末が悪いことに女本人はそのことに気がかない場合が多くて、そうゆう女は黙り込んだりする。気がついている人は悪女になったり賢女になったり。)そうゆう女心を知っていると対応の仕方も代わってくるんじゃないかな。
話はかわるけど、あなたの文章からは、[[彼女のことを楽しませようとがんばってるにもかかわらず、彼女の無言の「わかって欲しいのオーラ」が我慢できなくなってイライラしてしまう俺]はまだ子供っぽいよね]って自分を謙遜できる自分LOVE、みたい印象がする。自分のこと正しいと思うのは結構だけれど、あまりそれを彼女に押し付けちゃうとそのうち彼女、疲れちゃうかもよ。