2016年11月18日の日記

2016-11-18

http://anond.hatelabo.jp/20161118191015

のらりくらり茶化すといいよ

 

大抵そういう会社には、のらりくらり上手くやるおっさんみたいな人が居ると思う(マネージャー層)

彼を真似するんだ

論理的すぎると自分も疲れるし相手も疲れる

ふざけたやつvsふてくされているやつ

結局どっちが勝つの

・ふざけたやつ

いとうせいこうピエール瀧星野源みうらじゅん

・ふてくされているやつ

田舎中学生、不当に給料下げられた人、トイレで紙が無い人

勝利:ふざけたやつ

みんなふざけたやつになろう

ブコメがたくさんついたことに対して追記で触れる馬鹿

仕事から帰ったらこんな内容の増田ホッテントリしてるわブコメ200超えてるわで嬉しいやら恥ずかしいやらです。たくさんのアドバイスありがとうございました!」

的なこと言ってるやつ猛省しろ

なに舞い上がってんだ!

文章書くときってのは誰でも、どんな内容でも自分世界に没頭しててつまり普段自分とは違う自分が書いてるんだよ!

それがお前の文章の力強さ、魅力に繋がってるんだよ!

そんで記事を書き終えた時点でお前の世界は完結してるんだよ!

そのあとまたのこのこ顔出して素のお前を見せるんじゃねー!

くぅ~疲れましたw これにて完結です!

に通じる寒さを覚える。

どうせ死ぬなら、大爆発して歴史に名を残したほうがいいか

仕事論理的な話し方を強いられるのが辛い

他人意思疎通を行うとき、話にロジック必要なのは分かっている。

いくら酒の場であっても論理的破綻している話を聞かされるのは苦痛だ。

それが仕事の場であれば、正確な意思疎通を行わなければならないし、

ロジックに基づいた話し方が求められるのは当然のことだ。それはわかる。

しかし、私がプライベートの際にロジック意識して話すかと言えば、そんなことはない。

かと言って論理が全く破綻した会話しているわけでもない。

要は、自然な会話ではある程度の論理のズレや飛躍を許容して話をするのである

聞き手が話の論理欠陥を補っていると言ってもいい。

この時、厳密に正確な意思疎通はできていない。

行き過ぎると、話が違うということになってしまうのだろう。

仕事では特に困るから話のロジックについて厳密であるべきだという話はわかる。

特に私の職場理系の人が多いから、そういう傾向が強いのかも知れない。

しかし私にとってはそれが苦痛だ。

頭を使うため、疲労感が半端ではない。

下手なことを言えない、と神経も使うからストレスたまる

頭が痛い。胃が痛い

雑談であっても適当なことを言うと、鋭い指摘がすぐ飛んでくる。

グチグチとしつこく話の論理的おかしさについて責められる。

本屋論理的な話し方みたいな本を見るだけで吐き気がする。

私は今年入社新入社員だが、こういった問題のため、会社に行くのがとても辛い。

追記

ストレス会社に行くのが辛いというよりかは

自分社会不適合性を直視してしまって辛いと言った方が正確かもしれない。

人が無意識でできることを私はできないのだから

ねこ、犬、うさぎに敗北

あんなにかわいいのは卑怯

おれは負けた

どうでもいいよ、もう

好きにしてくれ

働いても働かなくても同じ金貰えるならブラック企業なんてすぐなくなるだろ。

それで働いてる奴の中から一日一人くじで1億当たるようにしたらいい。

堅実に働かないか一か八かを狙って働くかを選べる良いシステムだ。

[]よくある質問

今回はリバイバル……リブートリメイク……まあ、他の人も明確に区別しているわけではないから、何でもいいか

真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。

Q.ポリコレ棍棒とはなんですか。

明確な元ネタは分からないが、はてなではとあるユーザーブコメによって大きく注目されたワードだな。

最初はそこまで注目された言葉ではなかったが、とあるユーザー間でのトラブルが、ここ匿名ダイアリーに書かれてホッテントリにまでなったことがあってな。

そのトラブルの発端となったブコメに「ポリコレ棍棒」というワードがあり、これが印象に残った人が多かったらしく、はてなではイメージが徐々に形成され、認知されていった模様。

Q.どういうときに使う言葉ですか。

使われるようになってから間もないこともあって、用法は明確に定義されているわけではない。

主な使われ方としては、政治的な正しさ(ポリコレ)による主張が過剰だったり、或いはズレているように見えた際、それを揶揄する意味合いで使われることが多いようだ。

そして、その主張がより過激に、攻撃的になった場合に「―で殴る」といったように表現するらしい。

Q.なぜ「棍棒」なのですか。

暴力的な」ものの例えとして、武器に例えたのだろう。

武器の中から棍棒」が選ばれたのは、原始的武器で野蛮なイメージがあるためとされている。

「主張は理知的に見えても本質は粗野である」みたいな皮肉が含まれているのかもしれない。

……いや、実際のところどうなのか私は知らんよ。

その言葉を使っている人たちに聞いてくれ。

それにしても、はてな村手斧といい、妙なもの武器にしたがるものだ。

私としては忍者が好きなので、手裏剣とかのほうがカッコイイと思うのだがなあ。

ちなみに私は手裏剣は「打つ」って表現したい派だが、「投げる」でも気にしないか安心したまえ。

設計について善し悪しを議論をするのは難しい

ブレストとかあるじゃん

あれって、非常に単純なアイディアに対する議論が主なんだよ

構造的になっているような、設計必要タイプの話は中々議論ができない

できるとしたら、その筋のプロ同士とか、デザインパターンが決まったものについてとか、天才同士とか、そのくらいだ

 

からブレストから始めると、構造的な問題に対する話が漏れ

結果「みんなで考える」より「ひとりを中心にして設計する」方がうまくいくケースが有る

そして、そういうケースは得てして非常に重要ものだったりする

(例:物語脚本組織づくり)

 

何かしらの設計に携わる人は、この件について知っていたりするものだが

多くの人は「みんなで知恵を出し合えば解決する」と勘違いしている

そういう風にして手詰まりになるシーンを何度か見たことがある

不幸が生む活力の期限、反動

不幸になると、3日ほど深く落ち込む。

そのあと、死にたくなるような衝動が襲う。

この衝動からうまく逃れることが肝心だ。

時間がたてば他の様々な出来事に遭遇し、不幸は縮小していく。

あの頃の悲しみを忘れ、新たな道を歩むときがくる。

しかし不幸時の衝動は大きなエネルギー源。

不幸は感受性を鋭敏にさせ想像力を沸かせるが、それだけが効用ではない。

不幸が生む活力は莫大だ。

不幸時の衝動というものは、これを他の事に活力を転嫁していても

衝動がやむことはないからだ。

すっかり納得しない限りは不幸は永遠に訪れる。永遠にエネルギー生まれる。

不幸を他のエネルギーに変換などしていたら納得のタイミングなどないのだ。

どんどんと不幸は現れ、エネルギーとなってくれる。まさに永久機関

しかしながら不幸エネルギー変換装置はそのうち何らかの異常をきたす。

その原因はわかっていない。もしかしたらエネルギーが産生されていても

エネルギー活用する機械が壊れていくのかもしれない。

そうして、衝動が去っていく。

喜べばいいのだが、不幸エネルギー変換に慣れ切った体は

適切な生き方というもの標準的な楽しみ方というのを忘れてしまっているし

理解が出来ない。

これを直すのは癒しであり、子どもを見守る優しい親のような

そんな安心できる箱の中で布団をかぶって寝て、起きて、ご飯食べて、寝る、そういうのしかない

そんな気はするのだが時間もかかるしだいたい人生なんて有限だし、

いままでの生き方全否定することになるし、

なにより突っ走っていくというのはとても景色が美しいものだ。

走って走って走り抜けることへのあこがれはなかなか拭えるものではない

休まないといけないが休んだらこれまでやってきたことがなんなんだ

あいつらが正しかったのか失うだけ失って中途半端に終わってしまうのか、

そんなのいやだ、いやだけど、どうすればいいのかなあ、めんどくさい、寝よう、とはならない。

こどもの算数宿題

こどもの算数宿題を見ていて、大人の私が混乱してしまった。

「みっちゃんは、くりひろいに としおくんと いきました。みっちゃんは 17こ としおくんは 24こ ひろいました。どちらが どれだけ たくさん とったでしょうか。」

こどもが、式はわかるが答え方で迷う、という。

式は当然「24-17=7」。で、答えは「としおくんが 7こ たくさんとった」になるだろう。

そこでふと、他の問題にどう答えたかを見てみると、「17本」「85円」「36人」などの簡潔な答えが並ぶ。

ん?ここだけ文章で答えるのか?しかし、テストでは「聞かれた言葉を用いて答える」が原則

あれ、なら、

「100円の けしゴム20円の いろがみと 15円の がようしを かいました。ぜんぶで いくら はらえば よいでしょうか」

という問題には、「85円」ではなく「85円はらえばよい」と答えるべきなのか?

算数」の問題は「数学」とすこし違い、文意を正しく読み取ることも見られている、と聞く。

(掛け算の順序問題などもこれに関わるとか。調べてみると非常に根深い…。)

なら、上の文具問題で聞かれているのは「ぜんぶで いくら」の部分。「はらう」「よい」など問としては末節、「85円」という答えで十分意味が通じる。「85円」という答えでいいだろう。

そして、くりひろい問題は、「~どちらが どれだけ たくさん とったでしょうか」である

聞かれているのは「どちらが どれだけ たくさん」の部分。

「としおくん 7こ」

意味は通じるがこりゃ変だ。

「としおくんが 7こ たくさん」

いや、「たくさん」はおかしい。「たくさん」は多い少ないといった量を表す言葉から

「としおくんが 7こ おおい」

だろう、と思った。

これだと「どうした → とった」という動詞がなくなるので「としおくんが 7こ おおく(い)食べた」可能性が出てきてしまうが、いや、それこそ「算数から、また「文意を読み取る」から遠くかけ離れた心配だろう。さっきの「85円」だって盗んだのかもしれないし。

「としおくんが 7こ おおい」でいいんじゃない?と、こどもに答えた。

次の日。

こどもが持って帰ってきた昨日の宿題プリントは、

「としおくんが 7こ おおい」→「としおくんが 7こ たくさんとった」

に赤で訂正されていた。採点としては「○」。(文具問題は「85円」で正解、「○」。)

そうだよな、テストなんだから確実に答えるなら問題文どおり「~たくさんとった」だよな。

いったい、自分が何に引っかかっていたのかわからなくなった。

はいだしょうこの絵からわかる事

以前も可能性として言っていた人もいたけど、今回のくまモンの絵でほぼ確定じゃないかって思う。

はいだしょうこさんって顔認識障がいだよね。

スプーにせよくまモンにせよ、1つ1つのパーツはきちんと描けてるのだが、そのパーツを配置する際に縮尺や位置が狂ってる。

これって顔の全体像認識が出来ないって事。

人物の顔にホクロがあるとか、二重まぶただとかはわかるのだが、顔のどの辺りにホクロがあるとか、目と目がどの位離れているかが判らない。

こう言う人は相貌失認失顔症と言われて昔から確認されてる脳障害

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E8%B2%8C%E5%A4%B1%E8%AA%8D

要するに、障がいをもつ人に出来ない事をやらせて、それを見世物にするのはどうなんだって話。

首吊りたいなあ。

いや、辛そうだからもっと楽な死に方がいい。

匿名からこそ書ける『この世界の片隅にチェックポイント

この映画日常アニメとしても評価されており、確かにそうと言える。

ほんわかした笑いの連続劇場空気は温かいし。戦時中舞台にしているというのに、声を出して笑える映画だ。

その一方で暮らし様式や知恵、戦艦飛行機、情勢、草、花、木、鳥、全てにおいてリアルに描かれている。

このアニメアニメだと思えないほどリアルだと感じられるのは、このせいである。

そういえば、8月公開の「君の名は。」でもこの問題については言われていた。

背景をリアルにすることで、実写を見る感覚に近づく話だ。

そこで気付いたのだ。

君の名は。」と「この世界の片隅に」の共通点を。

まずタイトルが変なとこで終わっているね。そんなことはどうでもいいんだ。

君の名は。話題になったのは音楽の使い方だった。これが凄く似ているんだ。

RADWIMPSコトリンゴ音楽で話を進める力を持つ。この世界の片隅に挿入歌も数曲あるので音響よろしいとこで見るとよろしい。

また「その日」にどうやって進むのかという焦燥感なども同じポイントだ。

ここまではツイッターにでも書けることだ。

問題はここから

君の名は。」で一番話題になったのは、なんだった?

RADWIMPS

リアル風景描写

展開?

うん、違うよね。

そうだね、おっぱいだね。

君の名は。公開当日は「おっぱい」でツイッター感想反響スレが埋まっていたほどだった。

三葉のおっぱいのシーンCMで見るたび、諸君はドキドキしたであろう。

おっぱいで感動させ、おっぱいで笑わせる。すごいおっぱい映画だったんだ。

更に追い打ちをかけるのが口噛み酒。これは新海監督の確信犯だ。酷い男だ。

え、なんでおっぱいの話をしてるのかって?

決まってるじゃないか

この世界の片隅に』のおっぱいシーンはみんな見るべきだろ…………!!!!!!

超真面目なアニメの中に数秒入り込む全裸シーン。大画面で見る横乳に、「あれ、どうして、こんなシーンが入ってるの…!?」と混乱すること間違いなしだ。

そのおっぱい主人公のすずさんのものでは無いんだけど(すずさん、あんなに乳なさそうだし)、これまた入浴しているすずさんに、おっぱいがかぶさっている絵というのが最高。

●RECがたくさんつきそうなシーンがあるのだ。

しかアニメ界でも尊敬される監督と、有能アニメ会社MAPPA」の作画でそれを見ることが出来る。

おっぱいあんまり、という稀有あなたにも薦めたいのだが、予告を見ていただいたら分かるとおりキスシーンがある。

もっというと「初夜シーン」がある。「事後」もある。

しかしこれがまた、真面目に丁寧に品よく作られていて、子供が見ても「?」となる具合。しか大人が見たら「うぉぉおおお」となる演出になっている。

さらにはNTR!?というシーンもアリ、しかも超作画で超セクシー。生々しくて、あの絵柄で(!)ドキドキするのだ。

主人公すずが「この子はもうまったく…」といったぼんやりした子なのだが、時々女の顔になる。その時の色気具合ったらありゃしない。

隙だらけの色気というのか…なんなのか。声も良いよね、リアルで…。

しか主人公を取り合うのが、二人とも最高レベルイケメンボイスを作っている細谷さんと小野Dなのだから、色気出しすぎてて男女ともにドキドキしてしまう。

さておっぱいの話に戻るけど、バスケシーンの三葉はノーブラである。流石にキャミソールくらいは着ているものと推測できる。

終戦前の庶民というと、ブラジャーはまだ無かった。乳バンドかいうのはあったようだけど、それもパッドがついているようなものではなく、帯だったようだ(暮らしの手帖より)

まり、「この世界の片隅に」で出てくる主人公すず(18歳~)、遊郭女性や、気の強い義理のお姉さん、近所の奥さん、妹といった魅力あふれる女性たちは、みんなノーブラということにになる。ちなみにロリまで出てくる。

いかがだろうか。この世界の片隅にを見に行かなければならない理由は、以上にある。

こんなことあの真面目な映画で長々文章にできるアカウントブログ存在する気配が無いのだが、正直みんな思っていることを代弁したまでだ。

後悔は無い。

ごめんなさい。

http://anond.hatelabo.jp/20161118180808

文脈理解できなくて何度も説明を求めてしまう」というのがアスペルガーの方の典型的な訴えでもありますまさかとは思いますが、この「担当者」は「空気読め」と求めてくるただの普通尊大おっさんにすぎないのではないでしょうか。もしそうだとすれば、あなた自身アスペルガー症候群であることにほぼ間違いないと思います

http://anond.hatelabo.jp/20161115110829

女子寮には変質者が群がってくるのは本当だよ。昔、フライトアテンダントが住む航空会社女子寮近くに住んでたが、物凄いガードと警備だった。

驚くほど高いフェンスが周囲を取り囲み、外門からオートロック各部屋の凄く小さな窓は全て嵌め殺し、しかも常にカーテンが引いてある。

洗濯物なんか当然干してあるのは見たことない。警備員駐在

侵入防止、覗き防止etc...の為だわな。

作りは立派で綺麗なマンション風だったけど、まるで鳥籠みたいで、ほんと可哀想な位だった。

こんな防犯重視の建物が出来たのは、それまでの女子寮にも性犯罪事件が沢山あったんだろうなあと怖くなった。

女子学生の多い寮も、似たような被害は多いのだと思う。こんなに厳重にガードして貰えないだろうし。

それでも周囲では、待ち合わせの彼氏というより、ストーカーっぽい車がとまってるのを見かけることが多々あった。

航空会社が景気よかった頃に建ったものだけど、経営が傾いてきて、廃止になった。警備だけでもお金かかるしな。

男による犯罪女性生活経済が実際に犠牲にされてるわけで、その分程度はフォローしないと、男性差別たあ言えないと思うね。

30歳から転職活動

もう下請けSEやめたい

人間じゃねぇーよこんなの

しわしわ名字をつける気持ちが解らない

キラキラを嫌うあまりに親の祖父世代昭和初期な名字子供につけるのをしわしわ名字と言うらしい

田中とか山田とか山中とか、私世代でもお気の毒な名字なのに子供世代となると本当に可哀想にと思う

キラキラを嫌ってるなら子供幸福を願って常識範囲の名付けをと思ってる筈なのに何でこうなっちゃうんだろ

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