2016-11-18

仕事論理的な話し方を強いられるのが辛い

他人意思疎通を行うとき、話にロジック必要なのは分かっている。

いくら酒の場であっても論理的破綻している話を聞かされるのは苦痛だ。

それが仕事の場であれば、正確な意思疎通を行わなければならないし、

ロジックに基づいた話し方が求められるのは当然のことだ。それはわかる。

しかし、私がプライベートの際にロジック意識して話すかと言えば、そんなことはない。

かと言って論理が全く破綻した会話しているわけでもない。

要は、自然な会話ではある程度の論理のズレや飛躍を許容して話をするのである

聞き手が話の論理欠陥を補っていると言ってもいい。

この時、厳密に正確な意思疎通はできていない。

行き過ぎると、話が違うということになってしまうのだろう。

仕事では特に困るから話のロジックについて厳密であるべきだという話はわかる。

特に私の職場理系の人が多いから、そういう傾向が強いのかも知れない。

しかし私にとってはそれが苦痛だ。

頭を使うため、疲労感が半端ではない。

下手なことを言えない、と神経も使うからストレスたまる

頭が痛い。胃が痛い

雑談であっても適当なことを言うと、鋭い指摘がすぐ飛んでくる。

グチグチとしつこく話の論理的おかしさについて責められる。

本屋論理的な話し方みたいな本を見るだけで吐き気がする。

私は今年入社新入社員だが、こういった問題のため、会社に行くのがとても辛い。

追記

ストレス会社に行くのが辛いというよりかは

自分社会不適合性を直視してしまって辛いと言った方が正確かもしれない。

人が無意識でできることを私はできないのだから

  • のらりくらり茶化すといいよ   大抵そういう会社には、のらりくらり上手くやるおっさんみたいな人が居ると思う 彼を真似するんだ 論理的すぎると自分も疲れるし相手も疲れる

  • チンパンジーが人間社会に入ると大変だよね

  • 論理的に話すのに 頭を使うため、疲労感が半端ではない。 って君大丈夫か? 適当な馬鹿話が許される気の合う友達との会話だけじゃなくて もう少し大人のコミュニケーションを学生...

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