はてなキーワード: 賢者タイムとは
AV嬢になりたいというのと、風俗嬢になりたいというのはちょっと違うか。
話は違うけど、なんで日本はこんなに性風俗のマーケットが大きいのかね。
ちょっと検索すると3兆円規模~5兆円あるいは9兆円規模ともいわれる。9兆円ともなるとアパレル市場と同規模なんだそうだ。
AVだけでも、その製作本数は年間3万5千本、毎日100本以上の新作がでて、3000人が毎年デビューしているんだとも。
性風俗従事者いわゆる風俗嬢について正式な統計はないものの、経済学者の飯田泰之氏は30万人という推計を出していいる。
先ほども名前を出した飯田泰之さんは、全国の風俗店の推計稼働店舗数と、一店舗の推計在籍人数をもとに、風俗嬢と呼ばれる働き方をしている人は全国におよそ30万人いると推定しています。
30万人というと、沖縄県の那覇市や、三重県の四日市市などの人口と肩を並べる人数です。風俗嬢の年齢別ボリュームゾーンである20~29歳の女性に限った場合、20人に1人が関わっていてもおかしくない数値になります。
20代女性の20人に一人が風俗嬢? 性風俗業界が抱える「見えない孤独」 | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)
ほええ。。
風俗嬢って案外、30代40代が多いと思っているので、ボリュームゾーンの考え方はどうかなと思うけど、多いのは確か。
AVなら偶像化されたい願望とマッチするかもしれないし、偶像化を求めるのは、日本の昔からの文化的なバックグラウンドが大きいんだろう。
でも、風俗嬢は?自己肯定感への渇望だけでは風俗嬢にはならないよなあ。少なくとも30代40代の風俗嬢というのは。
職業に貴賤はないとかいうのも、売る側にとっても当事者たちが自分を納得させるのに都合がいいからそういうだけであって、
ユーザーサイドからすると、実際には、風俗でもパパ活でも、自分はユーザー側でありながら、風俗嬢に説教する、というタイプの男性が往々にしているように、
建前と本音を使い分けている。なぜだろう。なぜ堂々と、お父さん今からパチンコ行ってくるねくらいのノリで、抜いてくるねとは言えないのか。もしくはAV嬢の星を目指せと娘を応援する、そういうことがいえて初めて貴賤がないとガチで信じているといえるはずだ。でも、それってそういうひとって普段の人間関係何かぶっ壊れてないですかね。
わいせつの消費や性風俗の利用は、その行動が通常の社会関係や信頼(家族)を壊しかねないわけで、
そういう事柄をわいせつと再定義できるのかもしれないとふと思った。
逆に言うと、通常の社会関係を維持しようとすると、どうしてもわいせつなものは卑しいと言わざるを得なくなるし、抜いてもらってから賢者タイムで我にかえって、
こんな仕事しててケシカランみたいなことを説教しだしたりする、浮世の社会関係から切断する操作が必要になる、そういう確認作業が、心理的なメカニズムとしてあるんだろう。
自分は風俗に通っておきながら、風俗は賤しい仕事でなければ困るわけだ。家に帰れば普通のパパでいたいからね。風俗と割り切れれば割り切れるほど賤しい。スナックの女に手を出す、みたいなのはかならずしも割り切れないから、危険な遊びということになる。芸者遊びとかお妾さんとか枕営業いうのは、そういう意味では地続きだ。社会関係を壊さないという満ち満ちた自信と権力があれば、危険な遊びは、カネで買う必要がなくなって、いくらでも社会関係の同一線上で行うことができてしまう。ジャニーさんみたいにね。
だから、風俗が賤しいという認識は、歓楽街と家庭の間に結界をつくって、穢れを断ち切ることで安心して家庭に戻りたい、凡庸なユーザー(男性)の側の勝手な都合が大きく反映している。
無店舗型の風俗いわゆるデリヘルが風営法改正で2000年代に急速に広がり、供給が増えることで単価も下がっていった。
供給の広がりはサービスの多様化も併せ持った。昔のようにソープ一択みたいな感じではなくなり、よりカジュアルな風俗が増えた。またインターネットの普及で、ネット予約が当たり前になったことで、風俗嬢にとってもユーザーにとっても風俗へのハードルが下がったこうした背景は間違いなくあるだろう。それがひとつ。
あともうひとつは、ユーザーのマインドとしても、バブル崩壊後の落ち込む日本経済を反映して、女性の貧困がますます浮き彫りになり、風俗への流入が進む一方で、男性は通常の社会関係を壊すような危ない遊びはしたがらなくなった、ということかな。
AVにしても、昔はポルノは映画館で暗闇でみるものだった。メディアがVHSのビデオになり、それからDVDへととってかわり、やがてネット配信の動画へと進化した。家で置き場に困り、ビデオデッキでガチャガチャっと音を立ててセットしなければいけない時代は遠く過ぎ去った。昔だったら、三本くらいのビデオを引き出しに隠し持っていたのがせいぜいだったのに、今では1000本くらいストックできるし、ストックする必要すらなくオンデマンドでどこでもいつでも視聴できる。エロの世界に浸るぞ、という仰々しさはどんどんなくなって、カジュアル化した。それが手軽にさくっと抜きたいユーザーニーズの多様化という需要にもマッチした結果なんだろう。
いつでもスマホでポルノ、みたいな手軽な時代になった、ということは、スマホでエロ動画をみながらも日ごろの俗世間の人間関係を簡単に維持できるということを意味する。江戸時代の吉原大門みたいな結界のあった時代と異なり、祝祭的な異空間から俗世間に戻ってくるような、ある種、宗教的ともいえる気持ちの切り替えの機会もない。
中井貴一がデビューしたての頃のドラマ「ふぞろいの林檎たち」(1983年放送)のなかで、抜いてもらったあげく風俗嬢に説教するシーンがあるが、そういう気持ちの整理は、俗世界での人間関係の葛藤とセットだった。それは世間体とよばれるものであったり、家督といわれる家中心の考え方だったりした。中井貴一が風俗嬢に向かってこんな賤しい仕事はやめろよ、というとき、その心の裏側にあるのはあるべき家族像であり、家族の価値であり日々の人間関係だからだ。それを無意識に確認し、再生産する儀式として風俗嬢への説教があるという見方もできる。
ということは、風俗嬢側も、ヌキ終わったらさっとネクタイを締めて部屋をでるサラリーマンをみて、それはある程度、差別される宿命を理解していたし、今もしているだろうと想像せざるを得ないのだけど、そういうものが性消費のカジュアル化とともに少しずつ希薄になってきているのかな。
昔に比べて風俗嬢が増えている、かどうかは知らないが、AV嬢は確実に増えていると思う。
それはひとつに、性サービスがカジュアルになった結果、さっきまで浸ってたエロ世界と俗世界を切断する、みたいなユーザーもそんな儀式はいらないし、AV嬢や風俗嬢側も、昔に比べて差別されているという感覚が希薄になっていったということが、相乗効果になっているのではないかとふと思った。
また、同時に昔に比べて、家族の価値や日々の人間関係も希薄になったのだろうと思う。それは風俗に関わっていることが日々の家族のなかで発覚してもそれほど大きなダメージはなくなっている、ということなのかもしれないし、あるいは、元増田のいうようなこと、つまり家族関係に、自己肯定感をはぐくむ場としての機能が失われつつあるということなのかもしれない。それが悪いのかどうかはわからないが。AVがこんなに蔓延しているひとつの考えるヒントではありそうだと思う。
便乗。
勃起自体は性的な刺激でも発生するが、元増田の書いてるように勃起事情も色々ある。
射精はチンコへの反復した摩擦刺激によって発生する単なる生理現象。
一部のエロ漫画等で「嫌なのに手コキで勃起しちゃう」→「嫌なのに射精しちゃう」という感じの展開があるが、あれはガチ。
適切にチンコに刺激を加えられると感情的にはどうあれ勃起するし射精する。
逆説的に言うと射精するためには適切にチンコに刺激を与える必要がある。
脳内イキできるとか乳首イキできるとかアナルで等々な変態は除く。
まあ女で言うクリ周辺と思えばだいたい同じはず(だよな?)。具体的にどこが感じるねん! てのは個人差がかなりある。
これはオナニーによって形成される場合が多いと思われるが、チンコのどの辺をどんな流れでどの程度の強さで刺激すれば射精できるか、というお決まりの射精パターンには個人差あり。
なお余談として、セックス経験の少ない、オナニーメインの奴が実際にセックスするとなかなか射精できなくなりがちなのはこのせい。
手でやるお決まりのパターンを挿入で再現するのは意外と難しい。そもそもぶっちゃけ挿入→腰振りによる快感そのものはよっぽどの名器的な方を除いてはオナホやローション手コキより下なので、射精にいつも必要としてる刺激量まで到達させるのもけっこう大変なので。
余談の余談として、プロのお姉さんに聞いた話によると、挿入~射精が3分以上かかるとソープ基準で遅漏、5分以上だとガチ遅漏とのことで、彼氏が挿入してすぐ終わっちゃうんだよね的なお悩みをお持ちの女性がいたら、いやすぐ終わる方が実は普通なんだよと認識していただきたい。
射精後は何とも言えない満足感と射精による疲労感(特に実際のセックスはまあまあ疲れるからね)によって、男は「とりあえずしばらくダラっとしてよ~っと」て感じの虚脱状態になる。
その状態で女側への愛撫を再開したりピロートークをできる男はかなりの意志力でもってそうしているので労ってやってほしい。
注:長い&読みづらい
----
この方が本当に目指すのは、苦しさからの脱却だよね。それは「二十数年間女性と縁遠いことによる鬱憤」の解消、and / or 将来的に同様の鬱憤を溜めないということだと理解しているのだけど、それだと男性らしさからおりることのみで達成されるとは思えない。男性らしさというのがいささかはっきりしないのだけど、後述される1〜4を読むと、苦しんでいることは次の2つなのではないかと推察される。
(B)女性から異性的魅力(=セックス可能な魅力)の価値を認めてもらえない
(C)異性的魅力をべつの女性に期待してもまた(B)になり、この世の女性から(B)となるのではないかというのが怖い
ということだと思う。これを迂回するのに彼のあげる(1)〜(4)が最適解かというと、そうでもない気がする。(1)〜(4)を引用しておく。
❶ 暴力的な悩みと縁を切る。立ち向かえない弱さを反省するのは止め、強い相手からは逃げます。
❸ 女性にモテたいという願いを捨てます。心を許せる誰かがいない空虚さ、家族がいない寂しさにずっと耐えていましたが、諦めます。
❹ 女性を女性として扱う以前に、人間扱いするようにします。性別に関係なく、自分と同じただの人だと考えるようにします。美人だから緊張するとかおっぱいに目を向けるとかを一切止めるよう努力します。具体的には、美人、などという評価基準を捨て去るように反省します。僕は男性は別に美人だとか考えたことないのだから、シンプルに男女平等を適用すれば可能なはず。
おれの考える最適解は以下のようになる。
(イ)暴力的な定義を変える。真っ向に向かうことだけが暴力的ではない。<(A)の解決>
(ロ)性的にひとりで充足する。すなわち、性欲を肯定する。ただしペニスや射精による性欲を辞める。< (B) (C)の解決>
以下詳細。
(イ)については、(1)の肯定でもある。強い相手は勝ちようがないのだから逃げれば良い。それが最適で合理的だ。しかし、だから弱いとか暴力的ではないと考えるのは早計だ。その場では逃げるという選択肢をとっただけで、別にあとから立ち向かっても良いし、そもそも立ち向かえないものに突っ込んでいくことは暴力ではなく単に無謀なだけだ。例えば目の前に理不尽に怒鳴る上司みたいなのに言い返せず頭が真っ白になる、というようなことで「自分は弱い」と考えているのだろうが、それはあなたの防御特性であったり思考回路や知能特性であり、またその場では何もできないというだけの話だ。たとえば後からムカついていれば、あなたは立派に暴力性をっもつことになり、法治国家において、この上司を後々階段から突き落とすことは自身への利益<損害という判断をしているだけにすぎない。階段から突き落とすのではなく、もっと合法的に合理的に復讐をできないのはあなたの考えが足らないだけの話だから、(1)とは関係ない。あとでゆっくり考えるべし。これを「陰湿」と思うかもしれないが、陰湿であろうがなかろうが暴力的であることに変わりはない。なにが言いたいのかと言えば、暴力性というのものはどんな形にせよあるものなので、「逃げる」ことで陰湿なことを実行しないのであればにならないのであれば十分倫理的じゃないかということである。
※ちなみに、わかりやすく抑止的な暴力性を発露したければ筋トレをして会社で認められる限り坊主にして眉を薄くすればよい。男は禿げるので「禿げてきた」という言い訳で坊主はいける。なんなら人為的に禿げさせていって最終的に坊主になれば良い。
(ロ)これは(2)(3)の否定でもあるんだけど、まずあなたが女性に異性的魅力を認めてもらうのは現在では無理なのだけど、それが気になって仕方ないでしょ?でも性的な充足感がないから気になるわけじゃん。これはもしろいんだけど、自慰行為をセックスの代替ではなく目的にするとここらへんはけっこうな勢いで解決する(ことが多い)。すごく端的にいうと、結局異性が性的対象なんでしょ?というの。そこに未練をなくそうぜという話。そこに特に具体性がなく「モテたい」という願望を捨てる、といってもそれは結局無理なので、今度は男としてというより「人として尊厳が低くなる」とかいう悩みに行きがちで、有効ではない。この面倒な性欲を満たすというところを具体的に処理しないといけない。なので自慰をするわけだ。薬で性欲を無くするのは特殊な事情でもない限りいまは無理だし、寺、修行、悟り系は時間がかかる上俗世と断ち切られてハードル高い。そこまでやっても実は性欲があったりするのでぜんぜん効率的ではない。現実的には自慰でより深い満足・肯定感を得る、自己充足方式が一番現実的である。
それは人それぞれ色々あるけれど、ペニスからの快楽を捨てることは必須になる。アナル、乳首、なんでも良いけど、ペニス以外の性感帯をつくり、ペニスに刺激を与えて射精をするという仕組みからさっさと脱却すること。一般的にいうメスイキってやつを身につけろってことね。これを丹念にやっていくと、わりと対象としての女性はどうでもよくなることが多い。ようは、性癖を拗らせろ、射精をやめろ!といってるわけだ。
うまく拗らせると目の前の女性は別に性的な立ち位置ではなくなるから、(3)(4)はどうでもよくなるのよ。
まあ人としての評価は得たいから、身だしなみには気をつけておく。これは社会人として仕事してればそうじゃん。男性らしさとか関係ない。服を洗え。髭を調えろ。鼻毛を切れ。髪を調えろ。しわくちゃの服を着ない。そういうやつだ。そこは機械的にやればよい。モテではなくマナーとかいうやつだから、別にオシャレである必要はない。で、髪を整えるのが面倒なので3〜5mmくらいの坊主をお勧めしている。
あと、性癖の方向性について注意したいのは、肉体的な快楽を追求することに専念することだ。
精神的な快楽、つまりシチュ萌えとかにいくと対象としての女性が概念的にも登場することになって結局(3)を克服できないからね。あなたがオタクなら完全にキャラ依存しても良いけれど、声優がいる場合はそこに意識が向きがちのでやめるべし。その場合は自分でオリキャラを作れ。いまは絵心なくても3Dカスタムでできるでしょ。
もしくは、純粋に肉体的な快楽を追求する。そうするとかなり無機的な性癖になっていく。いやいやそんなことないと思うだろうけど、男は切羽詰まれば羊にも突っ込むわけで、そこらへんはほんとうに何ともなるのよ。ちょい性欲トリガーを変えてやればいいだけの話で、残念ながら男はそこらへんちょっとしたことで変わりやすい。
注意点として、自慰に時間を使いすぎないこと。とくに性癖チェンジ初期はそう。賢者タイムに後悔するリスクがあり、そうなった場合感情をフラットに戻しづらくなり、最悪今の自分を否定し始める。本当に面倒臭いので、性壁に堂々たる肯定感を得てから長くすること。あと長すぎる場合、社会的な信用を失う(タスクのdueを破るなど)ことにつながることもあるので、それも気をつける。このときはもう射精をしていないはずなので、そうすると下手すると延々時間を溶かすからね。15分くらいからはじめて、長くても1時間にとどめる。
これを達成しても(1)の暴力性は年収とかそういう社会的成功者としてのマウント欲が露になってきたりする。
自分が上ならマウントしたくなるし、下なら惨めになったりする。それを回避する方法を書くには余白が足りないともいうし、プロフ欄に→とかいうしかないし、正直にいえばこれの回避はまだおれもわからない。いや、マジでほんと色々欲望ってのは面倒だよね…
んでさあ白髪パーマメガネがロリコン仲間に10万ぐらいで売っぱらって4P捺せてるんだろうな絶対許せねえからビームで撃ち殺さないとと思ってニュース開いたのよ。
と思っちゃったわけよ。
なにが
なんだろうな?
想像してた最悪のレベルが最悪すぎて、現実がそこまで酷くないことに安堵してるわけだよ。
全然良くねえよな。
完全に性犯罪だよ。
下着なんて見せたからって減るもんじゃねえとかんなわけあるかって話だよ。
じゃあお前の性器がネットにばら撒かれて「この陰毛の縮れかたは病気持ってるわwwww◯◯は病気持ちwww」って勝手に言われたらどう思うのかだよ。
まあ極刑だな。
ビーム撃ち込んだほうが良いなやっぱ。
近隣住民を巻き込んでまで打ち込むほどじゃないから、1人でいる時に丁寧にビームだな。
芋づる式に皆捕まるのかな?
しかし驚いたねなんで現実の女児のパンツにそんな興味津々なんだろうね。
DLサイトでもいきゃ500円ぐらいでいくらでも最後までやってるロリコンゲームが見つかるだろうに。
リスクや倫理云々を抜きにしてもコソコソそうやって盗撮するの時間の無駄じゃね―か?
さっさと小銭払って本番やってるエロゲでシコシコして賢者タイムになればいいのに。
訳分からんわ。
オマエの賢者タイムってみっともないな
彫刻展にいって意図的に片目を閉じた状態で鑑賞して「遠近感の要素は排除して、平面として楽しむことに決めています」と言い張ってるようなものでは?
創作活動というものが「表現」である以上は、それについて作る側が「これは特定の何かを表現したものではありません」と宣言しない限りにおいては、そこには何らかの現実を表現していると考えるべきだと思うんだけど。
もののけ姫や平成狸合戦ぽんぽこで自然と人間が対立しているのに対して「現実において人間が自然を破壊したり、逆に人間が自然に脅かされることがあることを、作品とは一切切り離して考えさせていただきます」と宣言したレビューがあったらおかしいと俺は思うんだけど。
どの作品とは言わんけど、そういった感想を見かけることが多くてしんどいよ。
そりゃR-18のポルノビデオなんかでまで現実の何かを風刺してるって言われたら「サッサとシコって賢者タイムになったらその書き込み消して寝ろよ」って言いたくなるよ。
でもそういった特殊な事例を除いて、大部分の創作物は「現実をとして造り手が感じ取った内面の有象無象を、他者が受信できる形で現実に表現したもの」だと思うわけですよ。
まあ単に「こういうのカッコよくね?」「こういうイケメンってエロくね?」っていうポルノじみた物もありますけど、ある程度以上の物語性を有するもので本当に「勧善懲悪マジスッキリだよね」で終わるような作品って普通に少数派というか、現実に対して何らかの思いがあってそれを作品にぶつけてると思うんだよな。
それを意図的に排除して評価するって姿勢があってもいいけど、それはあくまで『捻くれた評価の仕方』をしているだけでしか無いと思うわけ。
えーと、私は女です。
私は小さい頃から「男の人に無理矢理エロいことをされる」のを妄想しまくってきました。
どの位かと言うと、幼稚園くらい。
セーラームーンのアニメを再放送で観た時「わたしがされたいのはこれだ!」と思ったのを覚えています。
具体的に言うと主人公のうさぎちゃんがタキシード仮面ではない男の人に目をかけられて着替えさせられ、無理矢理襲われそうになるというシーンでした。
(作中ではもちろん未遂です)
それ以来ずっと脳内で「自分が誰かに犯される」のを想像してました。もちろん具体的なことはわからんのでぼんやりとイヤらしいことってこんなだろうな〜〜とか妄想しました。もっと具体的に言うと自慰をしました。
少し大きくなってちゃおを買ってもらいました。
当時ミルモとかエンジェルハントとかたくさん面白い漫画が載ってたので楽しく読みました。ちょっとエッチなのもあってよかったのを覚えてます。
で、しばらくするとそこで不満が出始めるわけです。《エッチさが足りない》と。
するとどこからか(おそらく兄姉がいる家の子)から「少女コミックというのがやばいらしい」という情報が入ってきました。
私はいつも漫画を買うための小遣いを使って少女コミックを買いました。
当時は新條まゆ先生が「覇王アイレン」という漫画を連載していて、それがもうとんでもなくエロかったのですね。
私が買った号では、主人公の女の子が無理矢理お酒を飲まされてクンニされ最高に気持ち良く喘いでいるシーンが掲載されていました。
こう書くと下品の極みですが、当時の私はものすごく安心しました。
雑誌の中で女の子がエッチをしている、これは私がしたいことだ。
私は本当は誰かにこうされたい。
もちろん好きな相手とこれをしたい。
自分は小さい頃からずっとずっとこれをしたかったんだ…………!
自分は独りじゃなかったんだと。
自分と同じような考えの人はたくさんいるのだと。
さながらヘレン・ケラー女史が「Water」を理解したときのようでした。
しばらくして、この気持ちを「性欲」というのだと学校で教わりました。
セックスは誰とでもはしちゃいけない、自分の身体は大切にしなきゃいけない、ということも先生達に丁寧に教わりました。
そして現在
私は真面目な会社員になりました。
夜にはオナニーをしますし、時々彼氏とセックスもします。(私はムラムラした時しかしたくならないのであくまで時々です)
マッチングアプリで出会った相手と流れで……といったこともありませんし今のところ望まない妊娠もありません。学校で避妊は教わったので。
さて、私はこんな人間に育ちました。
これは少女漫画やアニメからの悪影響でこうなったのでしょうか。
本当に子供向けコンテンツの性的描写は一切NGなのでしょうか。私は疑問を覚えます。
子供は漫画やアニメが原因で変態になるのではなく、そもそも変態に産まれるのだと私は思うのです。
大丈夫。
なるようになるから。
「AVで知らない人の子を妊娠して、お腹が大きくなるまでを撮影し、堕胎するかどうかは当人が決めるという同人AV企画」
とんでもない企画があったもんだ。女性どころかお腹の中の子供も含めて愉悦のためのオカズにしようなんて…命を弄ぶってこういうこと言うのだろう。
無知で妊娠を中出しの結果としか見てないから知らんのだろうけど、お腹が大きくなる頃には正直堕胎なんて出来ない週数に入ってることが多い。
そういう意味ではこの企画はまず前提が間違えているので成立しない。だからまだ被害者は出てないと思いたいものだが……。
なんというか女も妊娠した子供も「モノ」だと思ってるんだろうな、これを楽しめる人間は。
私自身は読み手の予想する通り女性だが、AVそのものを否定する気はない。男性には理性を保ちがたい性欲があるということは理解しているつもりであるし、犯罪に至る前にどこかに捌け口を求めることはなにも悪いことではない。むしろ女性が生理で苦しむのを薬で和らげるように、沸き上がる性欲で犯罪に手を染めたくない男性にも性欲を軽く抑制してくれる薬やら適切なタイミングで抜くためのオカズを処方するのが当たり前の世の中であってほしいくらいである。婦人科ならぬ紳士科だ。
賢者タイムを作り出すことで性犯罪が減るならそれに越したことはないし、男性も犯罪で捕まらず女性も被害に遭わない。Win-Winの関係になれる。
話は元にもどるが、これはある知人の男性の話。AVに出演している女性に個性があることを認識すると逆に人間の尊厳を奪っている感覚がするので抜けなくなるそうだ。
だからAVを見るときは「この女性はどんなときも気持ちよがっているし、性行為を嫌がりもしない。個性などない架空のモノである」と認識することで心地よく抜けるらしい。
逆にいえばモノ化しないと男性も辛いのだ。
だから女性に性欲をぶつけるときにモノ化することをいつの間にか肯定してしまうのだろう。モノ化せず快楽を得るために愛し合うという行為があるが皆がみなそういった相手にありつけるわけでもない。
そしてモノ化することが当たり前になってしまった方は、もはや手がつけられなくなってしまう。認知の歪みだ。
相手も同意していると勘違いをし愛し合ってるつもりになるか、相手はモノだからと勝手な妄想を自分に言い聞かせ人間を道具に変えるしか捌け口がなくなってしまう。
決して私は男性の性欲を簡単に制御できるものだとは思っていない。その強さに個性だってあるし、性癖も様々だ。だからこそ性欲に囚われて危うい行動をする男性にはAVや風俗を頼ってほしいと思うし、なんなら病院へいけ。犯罪に走るよりよっぽどマシなことはわかるはずだ。
更に話は最初に戻って、女性をモノ化した挙げ句お腹の子供まで性欲のためのモノ化するのは極めて危ない。さすがに、それは生命への冒涜だ。
現代社会は妊娠、出産を安全なものだと考えている。ちょっと痛い陣痛を我慢すればいいだけだと思っていないだろうか?(実際ちょっとどころでは済まない地獄の苦しみである)
日本の産科は優秀なので出産での死亡率は非常に少ない。だが、絶対安全でもない。
それは妊娠したときに女性は医師から告げられる。100%安全なお産はないのだと。
出産で死にかけたなんて話はそこらじゅうに転がっていて日本の医療がなければ助かっていない。そのことを気にかけた男性はたぶん少ないだろう。妊娠したら生んで貰えばいいや、いらなかったら赤ちゃんポストにでも投げときゃいいや。そんな程度に思ってはいないだろうか?
でも女性は死にかけたり腹をかっさばく覚悟を持って子供を産むのだ。まじに命懸けなのだ。
そして、運良く母も無事で子供が産まれたとしても、それが堕胎できなかっただけの望まれぬ子供だったとき企画者は責任はとれるのだろうか?それも全部女性に押し付けるのか?女性はひとりで子を育てる時間とお金をもっているだろうか?
生まれてきた子供はモノではない。どんなにモノ化したくてもそれは人間であり要らないからと簡単には捨てられない。たとえ捨てられたとしても女性にも子供を捨てたという消えない傷が残る。
奴隷にされているのと何が違うのだろう?人間の尊厳を踏みにじる行為そのものにしか思えない。
AVや風俗はあっても構わないが、賢者になれたのなら相手が人間だということをちょっとでも思い出してあげてほしい。あと出産までエンタメや性欲の捌け口にするのだけはやめろ。どうしてもそういう性癖の人は妄想や漫画などでどうにかしてくれとしか言いようがない。
AVの見すぎで勘違いしている男性も多いのだろうが、男性がちんこ握られただけで発情するように女性は乳首を弄られただけで快楽落ちしたりしない。エロいことされたら誰でも簡単に気持よくなるわけではない。
むしろ何しとんじゃワレェ!!と吐き気と怒りが沸いてくるのである。見た目などではない、その行為が最低なのでイケメンだろうが嫌われて当然だ。妄想は現実に持ち込んではならない。