はてなキーワード: 屋号とは
https://twitter.com/mmizui/status/1564628359304577025?s=21&t=rIWNriKpXcNVantccRrJ1w
> 十代の頃から園子温監督のアシスタントとして働き、『奇妙なサーカス』の現場以降西村喜廣氏(以下、氏は彼を指します)の元に移りました
当時、氏が代表を務める「西村映造」は有限会社ではなく、個人事業の屋号でした
そこから1年、私はノーギャラで特殊メイク・造型のアトリエで働きました
> アトリエではミスに対する体罰(拳骨)は至極普通の事でした
有限会社化に伴い、私の月給は5万円になりました
実家暮らしでしたが生活がままならないので、夜はキャバクラ等でバイトしていました
この頃から、氏と私(未成年)は肉体関係を持つ様になりました(合意の上です
https://jav-dl.tokyo/tag/%E6%B0%B4%E4%BA%95%E7%9C%9F%E5%B8%8C
まず、これから始まる文章を読んで「恋人がいるならそれで十分だろ」「人生が理解のある交際者さんで回ってて楽しそうっすね」みたいな気持ちを呼び起こす彼女無しオタクの皆さんはこのブラウザを閉じて入眠してください。私は以前、あなたたちでした。
【前章】
実家がかなり細いためちゃんと旅をしたことが無いのと、収鋲が好きなのと、そして大人になる前にたくさんの地域を理解して教養を積むために、大学を休み、小銭を稼ぎ、日本の色々な地域にちいさな旅に出る暮らしをしている
んだけど、如何せん小銭といえども大金なので、仕事場が風営法の世話になるような所ばかりだ
私には非常に優しい恋人がいて、1つの店舗については打ち明けた(Twitterアカウントを覗かれてバレてしまった)が、他の屋号はまだ伏せたままでいた
この前、恋人にバレたTwitter垢から出勤日を探られ、「働いている日なのにアカウントが動いてない」=「他と掛け持ちしている」と予想され、まあその通りなのですが、落ち込まれてしまった
具体的には、晩と朝でセックスを2回しようとするも、2回とも勃たなくなって終わるなど
恋人はこのとき「彼女なのに知らない人のように感じる」と言ってきた
他にも
当然かなり深刻な雰囲気になった、というか揉めた
・「大丈夫?」と聞いてきた恋人に向かって「これで他人呼ばわりすんねやったらサークルに勤しむうちも趣味やるうちも全部別人やろが、何都合ええこと言うとん」と冷たく当たってしまった
・恋人が怒って家(私の家ではなく彼の家だ)を出ていったので、鍵を閉めて踊った
などした
【本編】
その後もなんやかんやあり私が泣きながら布団の上に寝転がっていると、突然恋人が陰茎を屹立させながら迫ってきて、「え?なんなんこいつ…」みたいな気持ちになった 減るものでもないし嫌なものでもないが(ちゃんとセックスが上手だし)、とにかく「何?こわ…w」の感情
全く性的なシチュエーションでも気分でもないので「あとでがいい」と訴えるも[今、ここで]でないと嫌そうな素振り、「イヤなの?」と聞かれたため「嫌やないけどあんま濡れへんで」と答えたら特に前戯らしい前戯もなく挿入され、しばらくして発射された
いやいやいやカップルの喧嘩ルーティーンって①揉める→②仲直り→③セックスやろ、②と③を逆にする奴がどこにおん ①→③→②の人、チャート進められてないのに進んでると思って次の行動を始めるRTA走者や メガトンコイン持ったまま橋渡るbiim兄貴と一緒やねん
怪性交が終わってからしばらくして仲直り自体はできたものの、[自分の体が他人の精神の立て直しに使われ、その上金銭が発生しない]というこの状況に対してようやく腹が立ってきて、それを中々言語化できず涙をこぼし続けた
どうしてあんなことしたの?と恋人に聞いたところ、回答は「儀式のようなもの。あれが終わったとき、やっとあなたを恋人として見られる自分が戻ってきたように感じた。もしあそこで前述したような“疑念”に囚われていたら、一生抜け出せなかったと思う」とのこと
ふ〜ん儀式っすね〜 人の体つこてな これがなかったら恋人との関係が続かなかったんすね わしが耐えたらええ話やんな わかりました
【後章】
されて嫌なこととされて良しとすることとの間に、かなり広い“されてニュートラルなこと(あなたはそれで救われるでしょうけどね)”のゲージがあるのが嫌すぎる そういう行動は受けてから急に嫌になってしまうからな〜
あとやっぱり日頃優しくて何でも受け止めてくれて汚れ作業にも理解のある彼くんなだけに「こんな人間でも自分の膣使ってオナニーするんだな」という裏切られ/絶望感があって全く眠れていない あなたは地獄から救われたかもしれないが、私は修羅に落とされたようなものです
レイプされたんか?という質問 これは私が同意をしてしまったが為に確実にいいえなんだけれども、感情的には間違い無くその気持ちになってしまった
喧嘩の後恋人はものすごく私を慰めてくれて、「いつも仕事頑張っていてえらいね」「一緒にいろんなこと乗り越えようね」「大好き」という言葉もたくさんかけてくれた 一緒に焼肉ライクを食べた 肉の味がしてよかった 本当に“そのこと”だけが許せていない
私はあさって、新千歳行きのエコノミー席で、どうやって自分を騙したらよいのだろう?
レイプ(いいえ)された後に食べる山岡家ってやっぱり臭いだけなのかな?
初めて見る小樽運河もドブに見えるのかな?
だったら困るな〜(笑)
私なんのために旅してるんだろう
自営業者があれもこれも領収書で節税(笑)、勤め人と違って自由(笑)とかね。
企業勤め人の政治団体たる連合が税の透明性をってインボイスを!ってやってるのよ
当面する税制改正に対する連合の考え方:https://www.cao.go.jp/zei-cho/history/2009-2012/gijiroku/zeicho/2012/__icsFiles/afieldfile/2012/10/24/24zen3kai12.pdf
なので、正直漫画文化が~とかいってる側はその企業勤め人がそれらのコンテンツ消費者だったわけでそれらに対してこのままじゃ・・・って言うのは違うだろ
別に全ての自営業者が脱税してるって訳じゃ無いけど節税っていって色々やったりした結果なので自業自得で
今までポッケに入ってたお金がとか言うけど、青色確定申告以上の確定申告やってる事業体(個人、法人含めて)なら
複式簿記でつけているはずで税抜き処理してるなら勘定項目に「仮受消費税」と「仮払消費税」があるはず。
免罪事業者だったから税込み処理していたんだろうけど、消費者側が支払った消費税をもらってしまってよかったっていう事がおかしい。
10%の課税がとか減額がって言われるなら適格事業者になっても言われるのであればそれは独禁法とかで訴えるべき事柄だろう。
後、ファンにばれる云々というが
国税庁説明資料:https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/zeimokubetsu/shohi/keigenzeiritsu/pdf/300416.pdf
② 取引年月日
④ 税率ごとに区分して合計した対価の額(税抜き又は税込み)及び適用税率
インボイス事業者公表サイト:https://www.invoice-kohyo.nta.go.jp/about-toroku/touroku_no_info.html
公表されるのが上記で、名称が恐らく法的に解釈すると法人格については名称、個人については本名だと思われる。
ペンネームでやっているのであれば別に本名をファンが知っているわけがないのであればわからないしファンに対して領収書を発行するようなのってあるの?ってお話しで
ばれるかもっていうのであればばれるかもっていうのは0ではないけど取引する相手に対して匿名性ある取引をしたい!っていうのはだめだと思うんだ
なんか解決したかった問題を無視して問題だ問題だ!だけ叫んでいて意味がわからないよ
おおざっぱに調べてみたメモ
6年間は経過措置により従来と同じ控除が受けられる(免税事業者に払った消費税が控除できる)
主な変化
・消費税課税事業者はインボイス登録をして事業者番号を取得しなくてはいけない
・課税事業者との取引ではインボイスの事業者番号を伝えないといけない
・政府のホームページで事業者番号・氏名・登録日が公表される(個人事業者は住所や屋号の公開は申請した場合のみ)
・免税事業者(フリーランスや小規模農家など)との取引が多いほど支払う必要がある消費税が増える
・免税事業者への支払いが消費税分値下げされる可能性が大きい。負担の転嫁
・免税事業者が課税事業者となりインボイスに登録すれば従来通りの支払いを受けられるが、仕入れや経費以外の部分の消費税の納税義務が発生するし、消費税の納税手続もしないといけない(簡易課税だと手間は軽い)
https://biz.moneyforward.com/tax_return/basic/52739/
元ですが別名義のあたりは全く考えてなかった
別名義(屋号)をつけると売り上げを本業副業で分けられてうんたら言ってるけども、インボイス始まると副業の処理が面倒くさくなるんだかを調べようとしたところで検索にうまくひっかからなかった
沢山書いたやで
・実名主義
80年代末まで偽名でも銀行口座が開けた。だから複数の社会的人格を持って経済活動する事ができた。
職場で旧姓を使い続けても問題無かった。1986年に米国でマネロン規制法、その後1990年までに国際的取決め、日本もそれに倣い口座の実名証明必須になり社会でも実名主義が当然になった。
MDMAが非合法化されたのは1991年頃(うろおぼえ)。クラブシーンやレイブパーティでは当たり前に使用されていた。
心臓発作を惹起する為に規制。m.o.v.e.のmotsuが所属していたMORE DEEPの曲には「エクスタシーをキメていた頃」というフレーズがある。
90年代のクラブではマリファナは普通に喫われており、自分は使わなくても中に居ると副流煙で景色がとろけてくる、肉体遊離感が起きるというのは当たり前だった。また自衛隊員も米兵経由で入手する者がおり、除隊後に北海道野生パカロロツアーとかアムステルダム飛びツアーなどを企てる人もいた。
・式場での結婚式
1970年代からブライダル産業が隆盛し一般化した。これ以前は神前式、キリスト教教会一般的。
団塊世代のロマンチックラブイデオロギーのため。この以前、地方では婚姻の自由は憲法上の絵に描いた餅であり、親が決めた相手と結婚して神前式を挙げるのが当たり前で共同体から排除されないための義務だった。
団塊世代はそこからの逃避の為にフォークソング等でキリスト教式を称揚し、そのニーズに答える産業が発展して定着した。
古い評論を読むと戦中派、戦前派が式場での披露宴に憤っている文章がよく出てくる。
1990年頃まで日本人の公共空間でのマナーは先進国ぶっちぎりで最低であり、酔って吐く、道にゴミや噛んだガムを捨てる、タンを吐くなど当たり前であった。終点近くの長距離列車車内はぶん投げたゴミだらけだった。
・外国で旅の恥をかき捨てない
かつて旅の恥はかき捨てで、特に海外での不行跡が酷く日本人旅行者(特に団体)は眉を顰められる存在だった。
遺跡に名前を彫ったり、腹巻で目抜き通りを歩いたり、コンダクターに痴漢行為をしたり、名跡で立ち小便したり、売春ツアーをしたり、現地女性に「ハウマッチ」と聞いたりもの凄かった。
これを西洋は宗教倫理の文化で日本は恥の文化、共同体の外では恥の羈束力は働かないからだ、と説明されていた。
電話には加入権というものがあり、契約時に設備負担金を払う必要があった。金額は7万円と高い。
この為に電話加入権を売買したり、質に入れるという商売があった。2003年頃から段階的に廃止された。
森内閣の「IT革命」まで自治体や省庁のホームページは夜には繋がらなかった。これは庁舎内のドメインコントローラWindowsNTサーバのIIS(インターネットインフォメーションサーバー)サービスでHPを提供していたため。
終業時間になるとサーバとルータの電源を落として帰っていた。サイトの作成は役人の趣味みたいな感じで作っていた。
1998年ごろまでLANを構築していないオフィスというのが結構あった。プリンタはパラレルポートで繋がれていたので、このパラレルケーブルを切り替える「プリンター切り替え器」というKVMのような装置が使われていた。
駅のトイレにはトイレットペーパーが無く、入口に100円の紙販売機があるのでそれを買っていた。
民営化したJRが紙の常置を始め、1990年代前半に他社も倣った。
90年代中頃まで路上駐車は当たり前に見逃されており、国道などの最左端は駐車車両で埋まっていた。駅近くでは駐車車両とタクシーの客待ちで二重駐車になっていた。
2000年頃から増える。警察が路上駐車取締強化してから10年ほど、駐車場が無いのに路上にとめると必ず検挙という無茶な状態が続いていた。
和室は必ず設定されており、末期には3畳の納戸だけが和室なんてケースもみられた。1990年代前半に無くなった風習。
家電量販店が増えて競合で出来るようになると消耗品以外の商品価格は隠され、店員と交渉で決めるという風になった。この為に店員は電卓を持ち歩き、電卓を叩いて値段を表示した。
客足が減る悪習なので1990年代頃に取りやめられた。
バブル後の都の財政難の打破を喧伝して都知事になった石原慎太郎(1999年~)は増収策として無断で道路にはみ出し設置されていた自販機と建物袖看板の道路使用料徴収を持ち出した。これまで自販機は当たり前に道路にはみ出して置かれていた。
これに対応して既存機の撤去とスリムタイプへの交換が進み、他県でもはみ出し設置にならないスリムタイプが標準となった。
以前は富士通系の親指シフト配列を好む人が居たり、電源のオンオフ、リセットなどの余計なキーが付いている配列があった(誤爆シャットダウン頻出)。
2006年ころに一世を風靡したネットブックでSSDが一般化したが、最初の数年の製品は数秒に一度ごと動作が止まるなど酷いものだった。
嘗ては電気電話水道など公共料金というのは各社の窓口か郵便局、銀行で「公共料金振込用紙」に書いて振り込むものだった。
当然平日3時までしかやっていない銀行に会社員が行けるわけがない。
そこで振り込みの為に仕事を中抜けするというのが黙認されていた。自動引落設定、コンビニ払いが一般化した1990年代後半頃に消滅。
18才は未成年で飲酒できないはずだが、大学生は成人したものと見做され飲酒は黙認されていた。
ゼミの飲み会で普通に教授も参加して飲んでいた。警察も何も言わなかった。
・線路を歩かない
都電やローカル線などでは近道の為に線路を歩いていく人が普通にいた。電車進来時に警笛を鳴らされるが線路わきに避けていればそれ以上の事は何も言われない。トンネルや鉄橋で出くわすと流石に怒鳴られるがそれだけ。ストの時は皆線路を歩いて行く。家の玄関が線路に向いている家も普通にあった。引っ越し作業は大変。
90年代中頃に写真撮影する鉄オタの事故が連続し、その後厳しくなっていった。
初代のスーパーカブの取扱説明書などには「ビールコップ一杯程度なら良いが、ウイスキーは酩酊するからダメ」と書かれている。
・小銭を所持しないで外出
1000円札の読み取り装置が一般化したのは1980年代中頃。それまでは鉄道の券売機でもバスでも小銭しか使えなかった。
この為、小銭の所持数が足りないとお金が払えないというのが当たり前だった。売店でガムなどを買って両替するのが必要だった。万券を両替する為に少額商品を買うのは喧嘩を売るのに等しく勇気が居る行為だった。常に所持している券種と小銭額の把握は必要だった。
1989年の消費税導入まで物の価格は全て10円刻みになっていて1円玉は公共料金以外殆ど使われていなかった。
・個室
和風の家の部屋割りは個室という概念が無い為、都会を除いて1960年代までの日本人はプライバシー空間というものが無い生活をしていた。個人あての手紙は親が勝手に開けて読んでいた。
・個人
家にプライバシーが無く、また会社もイエが準用される社会だった為に「社員のプライバシーに踏み込む」という感覚が余りなかった。
「会社以外の自分」も大事だと言い始めた団塊世代は「個人主義」と罵倒され、80年代世代は「新人類」と宇宙人扱いされた。
ウオークマンは街で個人的空間に浸るものだとして批判の対象になった。個人主義はそれ自体が罵倒文句だった。
全共闘運動はあらゆる権威を攻撃し、大学の知の権威というものも破壊した。この為その後大学教授というのは学生に対して尊敬されない状態が継続。やがて学生は脱政治化したが大学や学問には敬意が持たれず、特に文系では学生が誰も勉強せずレジャーランド化した。
90年前後の大学改革でICUや上智の比較文化など厳しいカリキュラムに注目が集まり、学生が勉強するという当たり前の状態が復活した。
この為に卒業年1994年頃を境に知識やモノの考え方で極端な程の違いがある。
・様々な塩製品
塩は国家専売品だったので専売公社の製造する塩以外の岩塩、ミネラル入り塩、胡椒入り塩などは製造販売禁止だった。塩の小売りには国の許可と標識の掲出が必要だった。
・「メイド喫茶」などの語
「メイド」は放送禁止用語だった。基本住込みで働く為、身分制や階級制の象徴のような職業であって、戦後の身分平等にそぐわないと見做された為。メイドは家政婦と言い換えられ、住込みでなく通勤が一般的な「雇用」となった。
一周回ってメイドの構造が過去帳入りした為に「メイド喫茶」などで使うのが問題視される事が無くなった。2005年頃。
・キャノーラ油
キャノーラ油の原料は菜種。
米国では菜種油を食用販売することが禁止されている。この菜種油の成分を調整して販売を認めさせたのがキャノーラ油。
米国で生産量が増加した後に日本に入ってきたので、一般化したのは1990年代。
過払い金などの広告が出来るようになったのは弁護士法が改正された2000年から。それまでは屋号や執務時間などの表示のみ。
1991年に大店法が改正されるまではデパートの閉店時間はPM6時、スーパーの閉店時間はPM7~8時というのが相場だった。更に定休日もあった。
基本的に地元の商工会の意見で決められていた(大店法の定めによる)。これの改正が商店街の全滅に繋がった。
・生ビール
ビールは酵母菌により発酵するが、発酵が進みすぎて飲み頃を過ぎると酸っぱくなってしまう。飲み頃に提供するのが生の地ビール。
この為ビン缶詰では熱で酵母を全て殺してから詰める必要がある。
1970年代末にサントリーがフィルターで酵母を除去する製法を開発。飲み屋への営業力を活かしてジョッキ生を広めた。この為初期は生=サントリーだった。後に各社が参入して生戦争が勃発。
だから地ビールの生はずっと昔からあったが、全国流通製品の生ビールはサントリー生が1970年代末、その他の各社は1984年ごろから。因みにサントリー生より生じゃないキリンラガーの方がずっと美味い。
バブル期の好景気期に端緒。残業上限規制が導入され36協定があっても残業上限40(80かも)時間/月の行政指導が主に大手企業に行われた。
それまで残業代はフルチャージだったが計算上打ち切るという慣行が発生。それらの会社はタダ働きしてると奇異の目で見られた。
これが平成不況時に残業代は基本支払われずに長時間労働という慣行に変化していく。当初の指導の対象外だった中小企業ではずっと残業代フルチャージだったがこれらにも悪習が伝播していった。
1990年から。1970年代にも導入が試行されたことがあるが全く普及せず直ぐに撤去された。例えば地下鉄では1974年開業の有楽町線池袋駅だけに自動改札機があり、同駅の入場だけにしか使われていなかった。これも後の1986年頃に一度撤去。札幌地下鉄などでは当初より継続して使われていたのと対照的。
1995年以降。それまでササニシキが絶大な人気だったが、冷害に弱く1993年冷夏で全国的な米の不作が発生、大騒動になった。
冷害に強いコシヒカリ系の後継種、あきたこまち、ひとめぼれが席巻するようになった。
駐車違反にバイクと車の別はないが、バイクの駐車違反は2006年まで摘発されていなかった。摘発を民間に委託してインセンティブを付加し原付まで摘発するようになると店舗に駐輪場が無い都心ではバイク移動が不可能になり、バイク市場が干上がる効果となった。
・大学生の専攻無し
学部でも一部以外では専攻は必ず取るものだったが、1990年代初頭の教育学部ゼロ免課程の流行や福祉大などの開学で専攻無しの学生が増加。1990年代後半から。
キューピーのユが大文字なのに書き方が間違っている!と指弾する人がいるので説明するが
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.j-cast.com/2021/09/15420359.html?p=all
「ュ」などの小書き仮名を捨て仮名というが、これは以前は登記に使えなかった。そもそも昭和63年までは法律、行政文書に捨て仮名を使うことができなかった。
時系列順に並べるとこんな感じ
明治:公文書でカタカナを使う事が決まる(平仮名は大量の変体仮名があったため)
↓
↓
法令、行政文書には小書きカナ不可、故に屋号、商号登記への小書きカナも不受理
この為小書きカナを大書きしたり、小書きを使用しない表記が一般化する(例:キューピー→キユーピー、ディーゼル→ヂーゼル)
↓
戦後昭和20年代後半くらいから擬音などで小書きを使うことが一般化していく
↓
末期には見出し:小書き仮名不使用表記、記事本文:小書き仮名使用という混在状態
↓
昭和63年(1988年):昭和63年7月20日 内閣法制局総発第125号 『法令における拗よう音及び促音に用いる「や・ゆ・よ・つ」の表記について』
「法令における拗よう音及び促音に用いる「や・ゆ・よ・つ」の表記については,(中略)昭和六十三年十二月に召集される通常国会に提出する法律(中略)から,小書きにする。」
これにより行政文書などにも準用されて小書き仮名が使用されるようになり登記も可能になる
↓
これ以前はローマ字をカナ書きした表記(例:YKK→ワイケイケイ)にしたり数字を漢数字にして登記する必要があった
こういう経緯なので昭和63年以前に登記した会社は「キュ」などの小書き仮名表記は商号登記に使えなかった。
だからそれが正式表記かというと法的制約によるものなのでちょっと違う。YKKの正式名称がワイケイケイかと言えばおかしさが判るだろうか?
キューピーの社名の元はキューピッドの子供読みで-yを付けた人形なので一般的な「キューピー」でいいはずだ。
登記上の制約で商号の一般認知と商号登記が違う、NHKと新聞だけが登記上の商号を使うという状態は嘗ては当たり前だったので、今も昔のままの商号を使う会社の「正式名称」に事更に拘るというのはナンセンスかと思われるよ。