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はてなキーワード: 恥の文化とは

2024-03-11

anond:20240311160225

デモしてる奴らってキモいのはみんな思っているんだよな

日本野党に足りないのは恥の文化

2023-04-01

何も逃げきれてないのを「逃げ切った」って外野が決めつける風潮

恥知らず放任してるだけだろ。

恥を勝手に周りが風化させてくれるんだから、恥なんか捨てたもん勝ち。

恥の文化」が聞いてあきれる。

無責任責任者にふさわしい無責任政治家ではあるなぁ。

2022-10-11

anond:20221011010653

お金の稼ぎ方」っていうのは元々理解してる

「人(の耳目)を集めること」これに尽きる

(そして一般的な腰弁にはそんなこと出来ない。判ってても出来ない。恥の文化に育まれてるから仕方ない)

今回マジラブと錦鯉カミングアウトした「月収」ってのは純粋に「事務所から貰った給料」だと思う

知名度個人的マネタイズした結果ではなく、事務所からもたらされた仕事をやった結果の報酬だろう

給料を貰う、いわばサラリーマンと同じ状態で月に四桁万円稼げるのってなかなか凄いじゃない。あんまり居ないよね?

年収」2千万ですら上位2%以下じゃなかったっけ?

そんな世界で月収で1千万稼ぎ出すて尋常じゃない

テレビで顔売ってブランド化した人は危ない橋渡って商売なんぞしなくても稼げるからテレビに出続けることに命をかけるだろうね

ある意味公務員的な生き方かもしれないけど

2022-10-01

日本人恥の文化から良いところ(自身を律する)まで失くしちゃったら、何でモラルを維持するんだろう?と、恥の概念がなさそうな政治家たちを見て思う。

2022-09-28

anond:20220928062304

恥の文化が前提で作られてるから昔のほうがよかったなんか書いて無くて

恥の文化が前提で作られてるけどそれはもう古いから逆手に取られてるよねって話しか書いてないよ

2022-09-15

anond:20220914090628

日本人宗教の代わりに、良くも悪くも恥の文化モラルを維持してきたと思うんだけど、その恥の意識もなくなってしまって、タガが外れまくってしまったなというかんじ。


これが気持ち悪くて仕方ない人とそうでない人がいるっていうのも興味深い。

2022-04-25

ネットの広まりによって「恥ずかしい」という概念が崩れた気がする

時代とともに恥の文化ってのは徐々に形態を変えてきたんだろうけど、ネットによって急速に変わったものの一つが「恥ずかしい」という概念なのかもしれない

俺はネット自分趣味年収家族のことを話すのはとてもためらうし、正直恥ずかしい

匿名であっても例えば「俺の親父は子供暴力を振るうようなクズ」や「年収3000万の父は自慢だった」みたいなことを話すつもりはない

たとえ中流で温和で読書趣味であっても、それをあえて公言することに意味はないし、恥ずかしいと思っている

けれどどうもネットというのは匿名性が確保されていればそういうことを書いてよくて、というか書くべきという風潮があるらしい

特に増田家庭内のことを赤裸々に書きつつ、ブコメも詳細を知りたがる人がちらほらいる。なんでそんなことを書くのか、また聞こうとするのか。

もちろん大部分はそんな人ではないのだが、むやみに突っ込みたがる人を見ると「ネットはそういうことを恥ずかしげもなく明かすのがデフォになったのか」と思わずにいられない


それが顕著なのはYoutuberかなと

彼らは自分たちの生活を切り売りするようなことをして、恥ずかしくないのだろうか

自分には無理だ

仮面を被ってもいえないことを彼らができるのはよくわからない

それとも、この恥ずかしいという感情は悪なのだろうか

2022-03-06

anond:20220306193925

すべったら、尾籠な話をしてスレ汚しっていまどきティーンでもしないんじゃないかな?

恥の文化って知ってる?

2022-02-03

偽装大国ニッポン!!!

統計公文書も産地も品質データもなんでもかんでも偽装

ネトウヨ出て来いよw中国韓国未満の卑しい国。息を吐くように嘘をつくジャップ。恥ずかしくないの???

こんな国に誰がしたって?少なくとも俺ではないな。俺は反自民でずっと野党に入れ続けてきたから。

自民統計公文書偽装してて大した処罰もないかジャップ民もあ、ぼくたちもやっていいんだ!ってなったのが現在

から野党政権とらせて全部膿を洗い流す必要があったよね?どうせ野党政権なんて一年もすれば終わるのにビビッて何もしなかったジャップ人民まじカスだよね。しかもご自慢のアベノミクスすらGDP統計偽装してたっていうw好景気だけどくるちいおwくるちいか産地偽装したんでちゅか~w

民主時代とは経済が違うとか言うけどその経済も大したことないなら民主選ぶべきだったけどそれでも民主選ばなかったのはジャップの頭が腐ってたか

まあ岸田は今のところはある程度評価してるけどね。同じ自民じゃたかが知れてるだろう

ずっと安倍自民を支持してきたジャップのせいで中国から偽装大国呼ばわりされててワロタ政治の腐敗は国民の腐敗って本当だな、ジャップは腐ってやがる。ニホンジン名乗るなら恥ぐらい知れよw恥の文化とやらがあるんだろ?ん?

ジャップ民哀れすぎる。みすぼらしいみっともない国に成り下がったな。

ま、俺は関係ないけどねw

2021-11-10

anond:20211109132706

沢山書いたやで

 

実名主義

80年代末まで偽名でも銀行口座が開けた。だから複数社会的人格を持って経済活動する事ができた。

職場旧姓を使い続けても問題無かった。1986年米国マネロン規制法、その後1990年までに国際的取決め、日本もそれに倣い口座の実名証明必須になり社会でも実名主義が当然になった。

 

MDMAエクスタシー)の不使用

MDMA非合法化されたのは1991年頃(うろおぼえ)。クラブシーンやレイブパーティでは当たり前に使用されていた。

心臓発作を惹起する為に規制m.o.v.e.のmotsu所属していたMORE DEEPの曲には「エクスタシーをキメていた頃」というフレーズがある。

 

マリファナの不使用

90年代クラブではマリファナ普通に喫われており、自分は使わなくても中に居ると副流煙景色がとろけてくる、肉体遊離感が起きるというのは当たり前だった。また自衛隊員米兵経由で入手する者がおり、除隊後に北海道野生パカロロツアーとかアムステルダム飛びツアーなどを企てる人もいた。

 

・式場での結婚式

1970年代からブライダル産業が隆盛し一般化した。これ以前は神前式キリスト教教会一般的。

団塊世代ロマンチックラブイデオロギーのため。この以前、地方では婚姻自由憲法上の絵に描いた餅であり、親が決めた相手結婚して神前式を挙げるのが当たり前で共同体から排除されないための義務だった。

団塊世代はそこからの逃避の為にフォークソング等でキリスト教式を称揚し、そのニーズに答える産業が発展して定着した。

古い評論を読むと戦中派、戦前派が式場での披露宴に憤っている文章がよく出てくる。

 

公共空間でのマナー

1990年頃まで日本人の公共空間でのマナー先進国ぶっちぎりで最低であり、酔って吐く、道にゴミや噛んだガムを捨てる、タンを吐くなど当たり前であった。終点近くの長距離列車車内はぶん投げたゴミだらけだった。

1990年代に反省の機運が起こり急激にマナーが向上した。

 

外国で旅の恥をかき捨てない

かつて旅の恥はかき捨てで、特に海外での不行跡が酷く日本旅行者特に団体)は眉を顰められる存在だった。

遺跡名前を彫ったり、腹巻で目抜き通りを歩いたり、コンダクター痴漢行為をしたり、名跡で立ち小便したり、売春ツアーをしたり、現地女性に「ハウマッチ」と聞いたりもの凄かった。

これを西洋宗教倫理文化日本恥の文化共同体の外では恥の羈束力は働かないからだ、と説明されていた。

自省により90年代に急速に改善

 

固定電話を初期費用無しで引ける

電話には加入権というものがあり、契約時に設備負担金を払う必要があった。金額は7万円と高い。

この為に電話加入権を売買したり、質に入れるという商売があった。2003年から段階的に廃止された。

 

役所サイトが一日中閲覧できる

森内閣の「IT革命」まで自治体や省庁のホームページは夜には繋がらなかった。これは庁舎内のドメインコントローラWindowsNTサーバIISインターネットインフォメーションサーバー)サービスHP提供していたため。

終業時間になるとサーバルータの電源を落として帰っていた。サイト作成役人趣味みたいな感じで作っていた。

コードレッドワームなどが流行すると当然に全滅。

 

ネットワークプリンタ共有

1998年ごろまでLANを構築していないオフィスというのが結構あった。プリンタパラレルポートで繋がれていたので、このパラレルケーブルを切り替える「プリンター切り替え器」というKVMのような装置が使われていた。

 

・駅のトイレトイレットペーパーがある

駅のトイレにはトイレットペーパーが無く、入口100円の紙販売機があるのでそれを買っていた。

民営化したJRが紙の常置を始め、1990年代前半に他社も倣った。

 

路上駐車車両が無い

90年代中頃まで路上駐車は当たり前に見逃されており、国道などの最左端は駐車車両で埋まっていた。駅近くでは駐車車両タクシー客待ちで二重駐車になっていた。

90年代中ごろに警察取締りを強化して根絶。

 

・TIMESなど時間駐車場

2000年から増える。警察路上駐車取締強化してから10年ほど、駐車場が無いのに路上にとめると必ず検挙という無茶な状態が続いていた。

 

洋室だけの家やマンション

和室は必ず設定されており、末期には3畳の納戸だけが和室なんてケースもみられた。1990年代前半に無くなった風習

 

家電量販店での価格表示

家電量販店が増えて競合で出来るようになると消耗品以外の商品価格は隠され、店員交渉で決めるという風になった。この為に店員電卓を持ち歩き、電卓を叩いて値段を表示した。

客足が減る悪習なので1990年代頃に取りやめられた。

 

スリム自販機

バブル後の都の財政難の打破を喧伝して都知事になった石原慎太郎1999年~)は増収策として無断で道路にはみ出し設置されていた自販機建物看板道路使用徴収を持ち出した。これまで自販機は当たり前に道路にはみ出して置かれていた。

これに対応して既存機の撤去スリムタイプへの交換が進み、他県でもはみ出し設置にならないスリムタイプが標準となった。

 

日本109キーキーボード

以前は富士通系の親指シフト配列を好む人が居たり、電源のオンオフリセットなどの余計なキーが付いている配列があった(誤爆シャットダウン頻出)。

2000年くらいに今の配列に一本化された。

 

プチフリしないSSD

2006年ころに一世を風靡したネットブックSSD一般化したが、最初の数年の製品は数秒に一度ごと動作が止まるなど酷いものだった。

 

会社員就業時間中に中抜けしない

嘗ては電気電話水道など公共料金というのは各社の窓口か郵便局銀行で「公共料金振込用紙」に書いて振り込むものだった。

当然平日3時までしかやっていない銀行会社員が行けるわけがない。

そこで振り込みの為に仕事中抜けするというのが黙認されていた。自動引落設定、コンビニ払いが一般化した1990年代後半頃に消滅

 

飲酒は二十歳から

18才は未成年飲酒できないはずだが、大学生は成人したものと見做され飲酒は黙認されていた。

ゼミ飲み会普通に教授も参加して飲んでいた。警察も何も言わなかった。

 

線路を歩かない

都電ローカル線などでは近道の為に線路を歩いていく人が普通にいた。電車進来時に警笛を鳴らされるが線路わきに避けていればそれ以上の事は何も言われない。トンネルや鉄橋で出くわすと流石に怒鳴られるがそれだけ。ストの時は皆線路を歩いて行く。家の玄関線路に向いている家も普通にあった。引っ越し作業は大変。

90年代中頃に写真撮影する鉄オタの事故連続し、その後厳しくなっていった。

 

飲酒運転絶対ダメ

初代のスーパーカブの取扱説明書などには「ビールコップ一杯程度なら良いが、ウイスキー酩酊するからダメ」と書かれている。

 

・小銭を所持しないで外出

1000円札の読み取り装置一般化したのは1980年代中頃。それまでは鉄道券売機でもバスでも小銭しか使えなかった。

この為、小銭の所持数が足りないとお金が払えないというのが当たり前だった。売店でガムなどを買って両替するのが必要だった。万券を両替する為に少額商品を買うのは喧嘩を売るのに等しく勇気が居る行為だった。常に所持している券種と小銭額の把握は必要だった。

 

一円玉の使用

1989年消費税導入まで物の価格は全て10円刻みになっていて1円玉公共料金以外殆ど使われていなかった。

 

・個室

和風の家の部屋割りは個室という概念が無い為、都会を除いて1960年代までの日本人はプライバシー空間というものが無い生活をしていた。個人あての手紙は親が勝手に開けて読んでいた。

 

個人

家にプライバシーが無く、また会社もイエが準用される社会だった為に「社員プライバシー踏み込む」という感覚が余りなかった。

会社以外の自分」も大事だと言い始めた団塊世代は「個人主義」と罵倒され、80年代世代は「新人類」と宇宙人扱いされた。

オークマンは街で個人空間に浸るものだとして批判対象になった。個人主義はそれ自体罵倒文句だった。

 

大学生勉強する

全共闘運動はあらゆる権威攻撃し、大学の知の権威というもの破壊した。この為その後大学教授というのは学生に対して尊敬されない状態継続。やがて学生は脱政治化したが大学学問には敬意が持たれず、特に文系では学生が誰も勉強せずレジャーランド化した。

90年前後大学改革ICU上智比較文化など厳しいカリキュラムに注目が集まり学生勉強するという当たり前の状態が復活した。

この為に卒業1994年頃を境に知識やモノの考え方で極端な程の違いがある。

 

・様々な塩製品

塩は国家専売品だったので専売公社製造する塩以外の岩塩ミネラル入り塩、胡椒入り塩などは製造販売禁止だった。塩の小売りには国の許可標識の掲出が必要だった。

1985年自由化により今の状況になった。

 

・「メイド喫茶」などの語

メイド」は放送禁止用語だった。基本住込みで働く為、身分制階級制の象徴のような職業であって、戦後身分平等にそぐわないと見做された為。メイドは家政婦と言い換えられ、住込みでなく通勤一般的な「雇用」となった。

一周回ってメイド構造過去帳入りした為に「メイド喫茶」などで使うのが問題視される事が無くなった。2005年頃。

 

・キャノーラ

キャノーラ油の原料は菜種。

米国では菜種油を食用販売することが禁止されている。この菜種油の成分を調整して販売を認めさせたのがキャノーラ油。

米国生産量が増加した後に日本に入ってきたので、一般化したのは1990年代。

 

弁護士事務所広告

過払い金などの広告が出来るようになったのは弁護士法改正された2000年から。それまでは屋号や執務時間などの表示のみ。

但し「勝訴率〇%」のような広告は今でも禁止

 

・夜まで開いてるスーパーデパート

1991年大店法改正されるまではデパート閉店時間はPM6時、スーパー閉店時間はPM7~8時というのが相場だった。更に定休日もあった。

基本的地元商工会意見で決められていた(大店法の定めによる)。これの改正商店街の全滅に繋がった。

 

生ビール

ビール酵母菌により発酵するが、発酵が進みすぎて飲み頃を過ぎると酸っぱくなってしまう。飲み頃に提供するのが生の地ビール

この為ビン缶詰では熱で酵母を全て殺してから詰める必要がある。

1970年代末にサントリーフィルター酵母を除去する製法を開発。飲み屋への営業力を活かしてジョッキ生を広めた。この為初期は生=サントリーだった。後に各社が参入して生戦争が勃発。

から地ビールの生はずっと昔からあったが、全国流通製品生ビールサントリー生が1970年代末、その他の各社は1984年ごろから。因みにサントリー生より生じゃないキリンラガーの方がずっと美味い。

 

サービス残業

バブル期の好景気期に端緒。残業上限規制が導入され36協定があっても残業上限40(80かも)時間/月の行政指導が主に大手企業に行われた。

それまで残業代はフルチャージだったが計算上打ち切るという慣行が発生。それらの会社はタダ働きしてると奇異の目で見られた。

これが平成不況時に残業代は基本支払われずに長時間労働という慣行に変化していく。当初の指導対象外だった中小企業ではずっと残業代フルチャージだったがこれらにも悪習が伝播していった。

 

東京自動改札機

1990年から1970年代にも導入が試行されたことがあるが全く普及せず直ぐに撤去された。例えば地下鉄では1974年開業有楽町線池袋駅だけに自動改札機があり、同駅の入場だけにしか使われていなかった。これも後の1986年頃に一度撤去札幌地下鉄などでは当初より継続して使われていたのと対照的

 

あきたこまちひとめぼれ等の米

1995年以降。それまでササニシキが絶大な人気だったが、冷害に弱く1993年冷夏で全国的な米の不作が発生、大騒動になった。

冷害に強いコシヒカリ系の後継種、あきたこまちひとめぼれが席巻するようになった。

 

バイク駐車違反

駐車違反バイクと車の別はないが、バイク駐車違反2006年まで摘発されていなかった。摘発民間委託してインセンティブを付加し原付まで摘発するようになると店舗駐輪場が無い都心ではバイク移動が不可能になり、バイク市場が干上がる効果となった。

 

大学生の専攻無し

学部でも一部以外では専攻は必ず取るものだったが、1990年代初頭の教育学部ゼロ免課程の流行福祉大などの開学で専攻無しの学生が増加。1990年代後半から

2021-07-29

anond:20210728222911

きっと増田BLを嗜好している事を恥ずかしいって思ってるんだろうね

からその恥ずかしい事を恥じらいもせず大っぴらに堂々と公言出来る腐女子気持ち悪いと思っちゃうみたいな

作品性質BL過激描写が多いって事もあってどうしても大声で好きだと言いづらいって人の気持ちも分かる

BLは隠すべき物、恥ずかしい物、こっそりと嗜むべき物、って思ってる人は愛好してる人にも結構居るみたいね

それこそかつてのオタクがそうだし、中でもBLを嗜む女性オタクはその同類の男オタクからも目の敵にされて叩かれてきたし

BLを嗜んでいる事を知られたくない、恥の文化だと思っている人が居るのは正直勿体ないなと思うけど、そういう人を否定するのも違うんだろうなぁ

2021-07-23

結局、恥の文化なんだよな。日本は。

恥を知らない人は受けない。

2021-07-20

彼らに必要なのは、教導と愛情だろうと思う。?

田端さんが言っていた事は、ある部分では同感できて、

こう言う事を仕出かす人は、想像力がない。

ある才能には、秀でているが、ケーキを切れない部分があると思う。

周りのマネージャーがしっかりするか反省して

一皮向けた新しい音楽を作るしかない。

本物かどうかが問われる。?

他の音楽家にも失礼だなと思う?

彼らの「ら」には、一部の匿名で叩く人も含まれるが。。。

もう仕舞いにしたい。悲しい事は。他所様の事は。

罰でなく、恥の文化日本真骨頂と言えるが、

自分問題90年代世間がしっかりして欲しかったなと思う。

社会は、そんなまともだろうか。自分を助けてくれたか、くれるか

と、ふと考える。

逆にこう言う法によらない社会さらに悪い方向に行っているようにも思える。?

ちなみに政治家米子救いは、胡散臭い

もっとやる事、足元であるだろう。なら、その調子で全て取り組めよ。

少年よ世間は甘くないよ。都会は特に

がんばってな。

こういう偽善的な社会におじさんは、疲れているよ。

ロッキングオンて、早くに変貌してたんだなと思う。

創業メンバーがいなくなってから

音楽責任編集する?

(忘れた)

と言うポリシーで、高度な迫力ある文を読めたのは初めだけなのか。

創業メンバーは、そう言う事しないと思うけど。

何を伝えたかったのか。

2021-06-17

米国西海岸リベラリズムとはどういうものか?をわかりやす

日本リベラリストへ強い影響を持つ米国西海岸リベラリズム
これが一体どういうものか?と日本リベラリストへ問うと答えられる人はひと握りだろう。

ただ、答えられないことに恥を感じる必要はない。何故なら当の米国西海岸へ住むリベラリストですらリベラル史を背景に系統立って説明できる人は少ないからだ。
これは当然と言えば当然で、思想系の専門教育を受けていない一般人が答えられるわけがないだろう。
から恥ずべきことは何もないのだ。

しかし、説明できなくとも米国西海岸に住む左派政策を支持する人は口々に自身政治思想の寄りをリベラルと称するし、一般人には一般人なりに理解したリベラルの姿が存在する。
このエントリではそんな北米西海岸一般人理解するリベラルを大雑把に知るためのエントリだ。

3つの重要な決まりごと

米国西海岸リベラリストは総じて3つのまりごとを高く評価し、そしてこれをベースにモノを考える傾向がある。その決まりごととは以下の通りだ。

個人選択尊重

日本リベラリストにも理解やすお題目だ。
読んで字のごとく個人個人選択尊重し、その選択を極力妨害しないようにしようというもの

米国西海岸リベラリストの1派としてカテゴライズされがちな米国西海岸フェミニズムへも強く影響しており、日本フェミニズムも同様に強く影響し、これを失えばリベラルと名乗れ無くなるほど重要ものだ。

自己研鑽奨励

自己研鑽文化

最も日本人が理解しにくい部分、それが米国西海岸というよりかは米国全体が共有する自己研鑽奨励という文化だ。

自己研鑽については右も左も関係がなく、何なら米国内の共産主義者だろうがカルト宗教信者だろうが陰謀論者だろうが自己研鑽奨励については絶賛する。
日本は「恥の文化」などと称されるが、それに並び立て比較できるほど米国は「自己研鑽文化」なのである
この「自己研鑽奨励」という文化理解しなければ米国発の文化思想は何1つ理解できないと言って良いレベルのものと言って過言ではない。

最近日本では「努力教」などと言って不合理な努力をしたり、努力社会的圧力により強制されたりすることを嘲笑する向きがあるだろう。
意味がなく不合理な努力を続けるなんて非生産的であるし、私もまた同じ様に感じる。

しかし、米国自己研鑽努力をすることへ対して歩みを止めてはならない文化なのだ
まり努力の先がなければ努力できる先を自ら探し出し努力しろという意味であり、米国民の高い生産性はこの精神によって支えられている。

例えば日本労働者の一部には「KPI」という言葉アレルギー反応を起こす者は少なくないと察するが、このKPIをよく考えてみれば自己研鑽努力教臭いを感じないだろうか?

マッチョイズム

ステレオタイプ米国人のイメージにあるマッチョイズムも結局はこの自己研鑽奨励という米国文化が元になっているのだ。

まり米国には右派マッチョイズムや左派マッチョイズム、共産主義者マッチョイズム、カルト宗教信者マッチョイズム、陰謀論者のマッチョイズム、様々な思想に合わせたマッチョイズムがあって自己研鑽をしないという選択肢がない。

もし米国内で自己研鑽を辞めてしまった場合どうなるか?
それはつまり米国社会からドロップアウトしたものとして理解されてしまう。

日本国内で恥を捨てた者が問答無用迷惑がられるように、米国国内では自己研鑽を捨てた者は迷惑で厄介な存在問答無用評価される。

ホームレス

様々な方面から米国西海岸ホームレスについての情報へ触れることがあるだろう。
そして決まってこのような表現が出現する。

米国西海岸金持ちホームレス無視している」

これは事実だ。ただし付け加えるのであれば金持ちがではなくホームレスではない下層民を含めた米国西海岸住民のほぼ全てがホームレス無視していると言って良い。
ここまで説明を読めば、この言葉だけで納得してもらえるはずだ。

ホームレス自己研鑽を辞めた者として評価されている」

自己研鑽のための環境

まれない者の自己研鑽

ホームレス自己研鑽を辞めた者だからと言っても、ホームレスだって子供は居るだろうし将来を担う子供を親の事情に巻き込むなんて米国だけでなく人間社会としておかしいだろう!

こういう指摘へ対し米国西海岸リベラリズムでは「環境により自己研鑽という行為不可能な者には自己研鑽可能環境を用意する」という方法解決手段として選択している。

例えば「米国では入学試験の点数が良いアジア人よりも白人黒人優遇して白人黒人合格にしている」と聞いたことはないだろうか?
これが自己研鑽のための環境を用意する米国西海岸リベラリズムの影響を受けた公正的な入学試験システムなのだ
私自身も少々理解に窮するが白人黒人アジア人よりも試験の点数を獲得できる環境に恵まれなかったという判定らしい。
意味不明だ、良い点数を獲得したアジア人自己研鑽評価は何処へ行った?と完全に理解できない日本人も多いだろうが、米国では上記のような解釈になっているので文句を言っても仕方がない。

ホームレスの子供へも同様に米国西海岸リベラリズム自己研鑽するための環境、例えば学費無償化やフードチケット(食料配給券)の配布などが貧困家庭の子供の権利として提唱されている(保障されているかどうかは州法・州制度による)。
貧困家庭の子供はこれらの制度を利用して生活自己研鑽するための時間を獲得することが望まれているのだ。

ちなみに一応言っておくが、自己研鑽できない者が自己研鑽をしないという選択肢は米国西海岸リベラリズムには用意されていない。
個人選択尊重と言いつつも自己研鑽については自己研鑽して当たり前だし、個人選択として自己研鑽しないような者に与えられるもの米国西海岸リベラリズムには何もない。

環境構築というチキンレース

米国西海岸社会保障政策は総じて自己研鑽するための環境を用意するという価値観で行われていることが多い。

例えばベーシックインカムなんかもこの部類の政策解釈されていて、プライベート時間が増えることで自己研鑽するための時間が増えて収入も上がり生活が向上すると米国人はマジで考えている。
根底にあるのが自己研鑽なので、もし自己研鑽しないものが居ればそれは制度へのフリーライドだと非難を浴びる結果となるだろう。
欧米リスペクトベーシックインカムを望んでいる人は米国西海岸方式だとプライベート時間も走り続けることが前提にあることを認識した方が良い。

これまでの説明を前提にすると犯罪者の釈放や$950以下は微罪扱い、死刑廃止なども理解できてくるだろう。
そして日本人の感覚では自己研鑽のための環境構築という政策チキンレースが始まってしまっていることも理解できるのではないか

米国西海岸一般人リベラリズムとはこのような解釈だし、これを知って日本一般人の皆がどう感じるか楽しみではある。

2021-02-14

日本人なんて世界に誇れない

恥の文化」に価値などまったくない。

ただ世間空気にひれ伏すことが誇りだなんて、外国人からすれば笑止千万だ。

自分を褒められない人間に、人から褒められる資格はない。

自己責任論など赦しの神への冒涜」。それがワールドスタンダード

2020-05-20

外国人実習生奴隷」を隠す気もなくなってきた日本

どこに恥の文化が残ってるの?

2020-05-09

生活保護叩いてた人たち、今どんな気持ちなんだろう

恥の文化が失われたとか、フルスペック人権を認めないとか言ってた

世耕片山と一緒に生活保護叩いてた人たちは今どんな気持ちなんだろうか

コロナ収入なくなったら、自殺するんだろうか

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