はてなキーワード: 1円玉とは
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最後のパートだ。F君の真相を綴りたい。俺個人の想いだけど、結構長い。
F君が5年目になって、福祉課員の信頼をすっかり得た頃に飲みに行くことがあった。「そういえば俺、中学で一緒だったけど覚えてるよな?」と言ったら、「憶えてる。一緒に7円玉(※)作ったよな」と言ってた。サラッとした言い方だった。
2人ともあまりお酒は呑まなかったけど、でも、いろいろと聞けた。F君の人間性のタイプが見えてきた。
この時、話したことといえば、F君が高校生の時に親が離婚した話とか、家族の介護の話とか、結婚しようとしてたけど相手が亡くなったとか、重たい話もいろいろあった。
※7円玉……電車のレールに5円玉と1円玉を数枚乗せて、電車が通った時にプレスしてもらうと合体硬貨ができる。そういう遊びだ。違法なので絶対やらないように。F君は66円玉(硬貨4枚分)を作ろうと躍起になっていた。
彼は、仕事より大事なものがあるタイプの職員だった。実は、この飲みの前にそれが何なのかはわかっていた。
『イラスト』だ。ある日の残業中、F君が離席している時にパソコン画面を見てしまった。そこには、彼のpixivのアカウントがあって、ログインした後の画面だった。
「勤務中じゃん!」というツッコミはなしだ。当市では甲子園の時期になると、野球経験者が市が支給したパソコンで実況中継を見ている。勤務時間中だけど文句を言う人はいない。そういう文化だった。
F君はイラストを描くのが好きだった。実際、それに魂をかけていた。飲みの場でそれとなく聞いてみたのだが、彼が言うには、「公務員がお金を稼ぐための仕事だとしたら、それとは別に『たましいの仕事』と言えるものがある」「公務員は副業としてやってる」と言ってた。
そうか、だからだったんだな。職場の皆とのつながりを大事にしないのは。人間関係の優先順位が低いんだ。「税金で給料をもらってるのに」というツッコミはあるだろうが、F君だったらそんな倫理の壁は突破するだろう。
F君が初心者の頃、仕事で型通りでないやり方とか、強引なやり方とか、人に怒られそうなやり方をあえて選んだりしてたのは、高い評価を得たくない――昇進したくないからだ。
でも、仕事人としての意識はあるから、一般市民とか出入り業者とか、ほかのステークホルダーには誠心誠意対応する。窓口に来た市民とか、業者の人からクレームが出てなかったのは、あの人達がF君を直接査定する立場の人じゃなかったからだ。だから、素のF君のままで対応してた。
F君は、人生設計についての正しい行動を考え抜いてた。将来、自分がどんな人間になりたいのか? そこから逆算して職場を決めた。結果、彼は民間企業から地方公務員に転職しようと考えたし、どれだけみんなに嫌われようがどこ吹く風でやってこれた。信じるものがあったから。
自分にとっての『信仰』とでもいうのかな。そういうのだ。たぶん。俺はヤツのことを羨ましいと感じたことがあった。それはやっぱり、F君が自分の意志で自分のやりたいようにやろうとしてたからだ。戦ってたからだ。そういうスタイルって、普通の社会人は持てないだろ。だから羨ましかった。
これで合点がいった。数年来の疑問が解けた気分だった。
そんなF君だって、公務員の仕事を何年もやってれば好きになってくる。実際、F君は才能があったから、俺が市役所を辞めてフリマアプリの会社に転職する頃には高評価の人材になっていた。
福祉施設の維持管理がメイン業務だったけど、そういう守りの仕事を超えて、10年単位での施設管理計画を作ったりして、彼の上司もそのまま採用していた。
「F君がいい奴か?」と問われれば、そうじゃないと思う。公務員としては悪い奴だ。基本マイルールだし、法律や常識を気にしないし、「公務員は副業としてやってる」発言などは特に、地方公務員法にストレートに引っかかる(服務の宣誓)。
でも、俺はヤツが戦い続けてきたことを知ってる。「この仕事に向いてないんじゃないか」という葛藤を抱えながら、じわじわと仕事に取り組んで、結果を出せるように努力してきたのを知ってる。足掻き続けていた。
そういう姿を見ると、僅かばかりだが応援したくなる。直接ガンバレとはならないが、できることは協力してやりたくなる。
この日記は、お盆休みで地元に帰ってる時に書こうと思った。取り掛かりが遅くなってしまい、もう12月になっている。最後にちょっと推敲しようか。
帰省した時に聞いた情報だと、F君は何とかうまくやっているらしい。市役所の同期仲間と食事会をした時に聞いたのだが、なんでも県の本庁への出向を打診されたのだが……断ったらしい。普通だったら受ける人が多い。名誉なことだから。でも、F君の場合だと、出向したら生活リズムが狂うし、イラストの仕事も請けてるし、家族の介護もあるから難しいんだろうな。
かくいう俺は、転職して3年目になる。30代が板に付いている。
カスタマーサポート部門で働いてるけど、市役所にいた時の接客の経験が活きてる。コロナ禍の頃に転職したから、マスク騒動とかあっていきなり大変だった。
うん。まあ、最近は普通に苦しいんだけどさ。難しい課題が多くて。メンタルが弱って、腕に蕁麻疹とか出てる。やっぱり、民間企業は難しかったかな。でも、何とか挽回してみせるよ。
あの頃が懐かしくなってきた。今は実家に帰っている。たった今、当時の日記帳を閉じた。後は、パソコンをシャットダウンして床につくところだ。明日からは2024年だ。人生ってあっという間だな。
ただ単に1円玉扱いたくないだけやんけ
コインランドリーで働きはじめて3ヶ月ほど経ったが、もう1万年くらい働いているかのような面構えでいる。そんなに大変な仕事でもないので。
大変なところといったら、夏は意外と暑さがきついというところだろうか。特に当店は店の表が北を向いていて、勝手口が南にあるので、バックヤードに熱気が籠るし、勝手口を出てすぐのところにある浄化槽の掃除は、直射日光を浴びながらの作業なので、地味につらい。
あとは、お金の管理もしなければならない点は、人によっては辛いのかもしれない。私はコンビニのバイトも長くしているので、他人の金を預かっているという事に対する責任感が麻痺しちゃっていて、あまり苦に感じないのかもだけど。
私よりも半年と少し先に当ランドリーで働き始めた癖つよつよの先輩は、いまだに店のお金を管理するという重責に押し潰され僧で辛いらしいのだが、そのわりにはお金管理がへっぽこぴーで、集計作業をするととんでもない違算を出してしまう。責任感がぜんぜん仕事してない。
7月に、新人の私のために本部の経理担当者を呼んで集計研修が行われたが、その時はあり得んほど高額の違算が出てしまい、経理担当者が困惑・フリーズしたため、研修はまた後日に! という事になった。その日は経理担当者が当店の有り金全部を数え直し、計算し直し、それでも金額が合わなかった原因は解らなかった。しょうがないので、一旦ここでリセットする事になった。規定金額通りの両替・釣銭用のお金をまず両替機に入れて、残ったお金を売上金とし(データ上の売上金よりも数万円少なかった)、本部に送金する手筈を整えた。
8月の頭に、改めて集計研修が行われた。また来てくれた経理担当者がいうには、結局前回の集計で数万円もの違算が出た原因は解らず終いだったが、前回リセットしたし、前回からこの日までは両替機内の100円玉補充など、お金を動かすのを全面禁止していたので、違算は出ないはずとのことだった。実際、集計を行ってみると、現金とデータ上の売上等の金額はぴったり合っていた。よかった。
ただ、気になったのは、結局私たちは(というかほぼ私。癖つよ先輩は一切手を出さずに横で見てるだけだった)この時、経理担当者が一つ一つ教えてくれた通りにお金を数え、書類に記入しただけに過ぎなかったことだ。しかし、経理担当者によるレクチャーは店舗備え付けのマニュアルと一字一句違わないものだったから、いちいち教えてくれる人が着いていなくても、マニュアル通りに作業しさえすれば、失敗することはほとんどないはずではあった。
それから約十日後、私の出勤日が集計日と重なったので、私は初めて一人で集計業務にあたった。マニュアル片手に作業を一つ一つ確認しながら行ったので時間はかかったが、両替・釣銭用のお金を取り分けて両替機に仕舞うと、残ったお金の額はデータ上の売上額とぴったり一致した。
そのまた十日後、今度は癖つよ先輩が集計を担当したのだが、今回は前回と違い、集計日と集計日の間に問題が発生していた。というのも、両替機の中にストックされている100円玉が予想を遥かに上回るスピードで消費されてしまい、次の集計日の直前に100円玉が尽き果てそうになったのだ。
100円玉が切れそうになった場合、応急措置として、洗濯機・乾燥機のコインボックスから100円玉を引き上げて数を記録の上、両替機に補充するということになっている。つまり、売上金の一部を使って両替用のお金を補填するということだ。だが、これは単にお金の在処が移動しただけのことで、店内のお金の総額は当然この作業で増減することはない。
この作業は私が行い、各洗濯機・乾燥機の売上金から両替機に移した金額をメモ用紙に書き出し、そのメモを写真にとって店のグループLINEに投稿の上、バックヤードの壁の所定の位置に貼っておいた。集計業務担当者は、集計の時に回収した売上金と、私の書いたメモの金額を足して書類に記入しなければならないということ。そんなに難しい作業でもない。売上データ上の金額と一致すればOKなのだから。
そして、癖つよ先輩の集計当番になった。癖つよ先輩がグループLINEに流した集計表を見たが、現金額と私のメモに書いてある金額を足した額とデータ上の金額は完全に一致していた。
ただちょっと気になったのは、集計表の端っこに送金する現金の枚数と合計額を1万円札~1円玉まで種類ごとに書き込む欄があるのだが、それが全く記入されていなかったことだ。実はこの欄は別に記入しなくても問題ないのだが、記入する際に改めて現金を数えることでダブルチェックの役目を果たすことになり、送金額を間違えるのを防ぐことが出来るのだ。よく計算を間違える癖つよ先輩にこそ使って欲しい欄だった。
そんな一部の空白が気になるものの、集計表の記入に誤りは一つもないし、売上金は間違いなく送金されたということで、めでたしめでたし……。
ところが次の集計日は合わなかったのだ!!
この日は9月最初の集計日、つまり棚卸しの日で、1ヶ月の集計日のなかで一番大切な日だった。一人でやって間違いが起きるといけないので、今月からは二人がかりで行うことになっていた。
作業は分担して行い……ていうか、私が出勤した時にはすでに出勤時間よりだいぶ早く出勤していた癖つよ先輩がすでに作業を始めていた……、癖つよ先輩が各機のコインボックスから売上金を回収し、私が回収金を数えて集計表に記入し、合計額を計算した。
回収金とデータ上の売上金は完全に一致した。今回は集計日と集計日の間に両替用の100玉を売上金から作る作業もなかったので、楽勝のはずだった。だが、私がマニュアル通りにまず店の両替機の中に常備している両替用の○十万を作ったときだった。
「これで両替機のホッパーの中の100円玉と経費を含めて○十万円になります。この金額は常に不変なので、両替目的以外では触っていけないことになっています。送金と混ざらないように両替袋に入れときますね」
「ないじゃん! 明らかにないじゃん!売上が、どう見ても表の数字に足りてないじゃん!」
はあ。書き疲れてきたので、続きはあとで書こー。
兎味ペロリナです。
嘘です。
あのさ、
お札両替したのに、
なんでバスの両替機みたいに全種の金種のコインが出てくるのかしら?
これ10円とか崩して出てきても使えないじゃん?って
不思議に思いながら、
そんでその時手に持っていたノートパソコンを両替機の上に置いたままにして
ふと思ってノートパソコン忘れた!って思い出して両替機のところに戻ってみたけど、
時すでにお鮨!
つー夢を見たの。
焦るでしょ?
私パチンコしたことなくって両替機の知っている映像の描画がバスの両替機だったってところが夢の限界でもあり自分で限界を決め手は行けないなって思うきっかけにもなり
もうさ、
夢の中ではと言え、
夢で良かったわってほっと撫で下ろしたところよ。
そんで、
パチンコもしたことないから私の中の夢を作る資料映像はライブラリーパチンコがないので、
なんかコンペイトウみたいなのが転がっていた感じがしたのを覚えているわ。
そんで、
場面が急展開して家に戻ったんだけど、
蚊に刺される夢見て
私の血でお腹を満たした丸々と太った蚊が私の目の前を重そうな身体つきで飛んで行ったの。
私は私の血の敵のジッちゃんの名にかけて!って叩き潰そうかと思ったけど、
こういう時の蚊って、
液体蚊取り線香のスイッチを入れるところでなんか目が覚めたのよね。
変な夢よね。
だって両替機の両替がバスの両替方式みたいに全部の金種の細かいところの突っ込みはノーサンキューのもちろん全種といっても5円玉と1円玉の旅ガラスは除く、
銀色と銅色の硬貨が出てきたときはなんか変だなぁって思っていたのよね!
そんで、
お札を両替しても使わない10円玉とかが増えて財布がパンパンになるし焦ったわ!って
その時はノートパソコンを両替機の上に置いたままだなんて忘れちゃってたから、
あとになって
本当にお財布の中が夢とはいえ10円玉でパンパンになったことには焦ったわ!って
もうノートパソコンの事に焦れよって思うけど、
気が付いたときは時すでにお鮨特上!
あちゃーって引く血の気が引いたわ。
ぞっとしたもん。
そんでさ、
話し変わるんだけど、
駅中の駅パスタの食券売機がこないだ新しくなったと思った矢先だったのに、
またリニューアルされて、
今度は以前のボタンに写真が入っていてどれを押したら良いか分かる、
ミートソースパスタとかナポリタンパスタとかをノールックで注文出来るタイプの食券機ってあるじゃない、
全面タッチパネルの食券機に代わって、
今まで私が学習した成果のAIよりしのぐノールックミートソースパスタとかナポリタンパスタ注文が出来無くなっちゃったのよね。
わかる?
全部リセットされた感じ!
そんでそれが昨日で
いつも好んで食べている活きの良い茹でっぷりが大好きで私の中で評判のざるパスタのボタンがどこにあるか分からなかったのよね。
同時に麺増し増しボタンも!
今朝確認したら
ちゃんと全麺あったから位置が変わっていて初めて見る食券機は高度に発達したタッチパネルと見間違えるのよ。
もうさああいうの困るわよね。
はなからタッチパネルだからって注文を諦めるご高齢の年配者にはなりたくないもの!
私は諦めない!
諦めないゆえのタッチパネルの全面の全麺をよくしっかり観察して、
ボタンの位置を発見しつつ覚えつつ押しつつ注文しつつ!みたいな!
あ!
それでその新しい食券機でお札入れて食券買ったときに
お釣りがじゃらじゃらとインドで一番大金持ち気取りになれるマハラジャを味わえるような感じでたくさん出てきたのが印象的だったんだわ!
なるほどー!って
まあ自分を納得させているけど、
新しくなった食券機には要注意だわ!
そんでさ
おすすめの欄のパスタとリゾットセットの定食をなんか渋々頼んでしまったのよね。
うーん、
麺だけでいい私の気持ちは全て全麺なんだけどね!って
もうどこに何が配置されているか分からない全面タッチパネルの画面を見ながらそう思ったわ。
あれ脳トレの一貫として都度都度ボタンの位置と写真が変われば鍛えられるわよね脳が。
頼めなければ一巻の終わりだけどね。
なんておあとがよろしいようだわ!
てけてんてんてけ!
って違う違う!もー
食券機が新しくリニュアルしてボタンの位置が分からなくなって初見困った!っていうお話でした。
うふふ。
なんかうとうとして夜中起きて色々変な夢見たもんだから、
でもまだ起きるには早いしって
まあその牛乳!って言いたいところだけど
家では炭酸レモンウォーラーに追いレモン果汁マジ搾りじゃないタイプの瓶のレモン果汁を加えて飲んできたわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
1990年1月の3位。わざとらしく東北弁を効かせたデュエットソング。90万枚の大ヒットだったらしい。
地方出身のアーティストが真面目に歌っている…というわけではなく一種のコミックソングの扱いだったようだ。
1990年2月の8位。90年代前半に活躍した女性アイドルグループらしい。
おニャン子とモー娘のあいだの「アイドル冬の時代」において気を吐いていたアイドルの一つという感じか。
パッと聴いた感じは徳永英明や稲垣潤一と似たような印象を受けた。
1990年3月の16位。ホコ天で人気のあったロックバンドらしい。
当時のヴィジュアル系ってだいたいメタルやパンク由来の「硬派」「尖ってる」感じを出してるイメージだけど、
このAURAは、ヘビメタ色の薄いコスプレ的な見た目、コミカルなほど明るい曲調など、後年のヴィジュアル系にかなり近いと思った。
いかにもプリプリの影響を受けて出てきましたという感じ。時代を感じる。
1990年8月の19位。CoCoと同じテレビ番組から登場したアイドルグループらしい。
1990年9月の18位。レベッカのNOKKOが、NORMA JEANの元ギタリストと組んで、レベッカの解散直前に一曲だけ出したもの。
ギタリストの人がNOKKOのヘアメイクを担当していた繋がりらしい。
1990年11月の19位。正統派な感じのヴィジュアル系ロックバンド。
Wikipediaによると「日本一下手なバンド」として有名だったらしい。
1990年11月の20位。テレビドラマ「スクールウォーズ2」の主題歌ということで、1の主題歌「ヒーロー」を意識した洋楽カバーにしたんだろうか。
他の曲を聴いてみると、もっと大人しいアイドル然とした曲を歌っていたようだ。
1991年1月の18位。NHK「みんなのうた」からヒットしたという演歌調の曲。歌手は当時16歳。
消費税導入で(端数を支払うための)1円玉に注目が集まっていたという背景もあるらしい。
学校に提出するぞうきんのことを歌った明るいユーモラスな曲。
先日亡くなった俳優・宝田明の娘らしいが、宝田明もあんまりピンと来ないな…。
1991年5月の6位。爽やかで癖のない男性シンガー。ビーイング系っぽい(ビーイングではない)。
1991年6月の13位。松任谷正隆のプロデュースでデビューした女性シンガーソングライター。
歌唱力で売っていた感じなんかな。ちょっと広瀬香美を思い出した(デビューは障子久美のほうが先)。
1991年8月の19位。楽曲を聴いただけではあんまり引っかかりのない普通の曲だという印象。
当時からいろんな歌手に楽曲提供して実績のあった人らしい。その中でいちばん有名なのは今井美樹の「PIECE OF MY WISH」か。
昨年亡くなったらしい。
1991年10月の7位。ヒップホップ系。まだヒップホップが広くは定着してない頃だよねたぶん。
テレビの企画「高校生制服対抗ダンス甲子園」で優勝してデビューしたらしい。
1991年10月の15位。何だと思ったらサザンオールスターズの桑田佳祐だった。
1991年10月の20位。何だと思ったらウッチャンナンチャンの南原清隆だった。
1991年12月の7位。ピアノを弾きながら歌ってる映像を見て「愛は勝つ」のKANかと思った。
ピアノ弾きながら歌う系男性シンガーがちょいちょい出ていた時代だったのかな。
1991年12月の16位。名前で女性かと思ったら男性シンガーだった。
「X'mas in the Blue」と「Christmas in the Blue」とがあって発売時期も違うみたいだが何が違うかよくわからない。
1992年2月の13位。声のいいおっちゃんが歌ってるソウルっぽい楽曲。
ZOOの「Choo Choo TRAIN」とブラックビスケッツの「Timing」の作曲者なのか。そう聞くとなんかすごい。
1992年2月の19位。アーティスト名も楽曲名も歌詞も英語で洋楽かと思った。
妖しげでトリップ感のあるサイケな楽曲。時代を感じさせない。個人的にいちばん気に入った。
1992年3月の12位。これは洋楽カバーなのか。ミュージカルっぽい発声…と言われたらそうかも。
エリート一家に生まれて英才教育を受けて子供の頃から現在まで芸歴を重ねているらしい。すごい(小並感)。
1992年7月の10位。性別不詳の歌手っていうコンセプトがすごいな。確かに見ても性別がわからん。
1992年7月の17位。当時としてもオールドスタイルだったのではないかと思われる正統派のロックバンドっぽい感じ。
1992年8月の8位。B'zの女性版として企画されたらしい。
ビジュアルはまさに女性版B'z。こういうタイプの女性デュオって他にあんまり思い浮かばないし新鮮だな。
でも楽曲はあんまりそれっぽくないな。VガンのEDテーマ歌ってる人なのか。そっちの曲は知ってた。
1992年8月の16位。じんのうちたいぞう。すごい名前だ。本名らしい。なんかネットリした歌い方をしてる。
当時、ユニコーンのメンバーが連続でソロシングルをリリースするという企画があったらしく、この曲はその一環ということのようで。
なぜこの曲だけランクインしたのだろう…。
1993年2月の11位。女性ロックシンガーの草分けとしていくつかのヒットを飛ばした人らしい。
雰囲気としては大黒摩季っぽいかもしれない(もちろん浜田麻里のほうがデビューは先である)。
なんか系譜を感じるな。もうちょっと後に相川七瀬とかが出てくるのか。
1993年3月の6位。出生率低下を受けた厚生省の「ウェルカムベビー」キャンペーンの一環として結成されたチャリティーグループらしい。
メンツは小田和正、チャゲアスの飛鳥、カールスモーキー石井、玉置浩二、徳永英明、浜田麻里、山本潤子となかなか豪華。
1993年4月の17位。こちらはチャゲアスのチャゲを中心としたユニットらしい。
1993年5月の13位。これはサッカーの「オーレーオレオレオレー」か。Jリーグ開幕だなあ。
1993年6月の3位。グループ名と曲名でビーイング系っぽいと思ったらビーイング系だった。
デビュー時は二人組、曲調はロック色が強い感じで、ちょっとB'z的なコンセプトだったのだろうか。
1993年6月の20位。ちょっと古くさいロックバンドという感じ。いまでもメンバー変わらず活動しているらしい。
1993年7月の6位。テレビドラマ「チャンス!」の企画として、久保田利伸の同名の曲を、主演の三上博史が役名でカバーしたもののようだ。
1993年9月の6位。サザンオールスターズ絡みの企画らしい。よくわからん。
1993年9月の17位。男性二人組ユニット。双子らしい。ちょっとフォークっぽい曲調。
1993年10月の13位。女性目線で男を扱き下ろす歌詞がおもしろい。ちゃんと本人の作詞なのも良い。
もともとZYYGのベースの人と二人で組む予定だったのが音楽性の違いにより決裂してソロユニットになったらしい。
ちなみにZYYGのベースの人は音楽性の違いによりZYYGからも早々に脱退しているらしい。
1993年12月の16位。ほのかに90年代後半っぽさが混じってきた気がする。
何も知らずに「実は小室ファミリーですよ」と言われたら信じるかもしれん。
1993年12月の19位。こっちはド昭和だなあ。分類としては演歌になるのか。
1994年2月の19位。爽やかな感じの男性シンガー。いかにも90年代っぽいバラード調の曲。
いまは「支那ソバ玉龍」というラーメン屋をやっているらしい。音楽情報とラーメン情報が入り交じるTwitterアカウントがおもしろい。
1994年3月の12位。松任谷正隆に見いだされて他のアーティストへの楽曲提供も多数。「第二のユーミン」という異名もあったらしい。
この曲は明るい前向きな感じだけど、他の曲を聴いてみると郷愁を誘うような独特な曲調でちょっとジブリっぽいかもしれない。
1994年3月の19位。80年代ぽさもある哀愁の漂う歌謡曲という感じ。
1994年3月の20位。しっとりとして高音が綺麗な曲。曲調だけならビーイング系のDEENとかFIELD OF VIEWっぽいかもしれない。
1994年4月の7位。楽曲としてはあまり癖のない感じ。ボーカルの岡田浩暉は俳優としてよく見かける(名前は知らなかったけど)。
1994年5月の12位。こういう氷菓子あったよな、と思ったらガチで森永の「ICE BOX」の企画で結成されたグループらしい。
しかもボーカルの女性以外のメンバーは、中西圭三・池田聡・(久宝留理子「男」を作曲した)伊秩弘将という、この記事で取り上げた人たちばかり。
点と点が線でつながった感覚やね。なんかこの曲の「令和バージョン」もあるらしいよ。
暗めの歌詞をパワフルに歌う女性シンガーっていうとあいみょんあたりの先祖なのかもしれんね。
1994年8月の17位。お笑い芸人のダウンタウンが白塗りで芸者のコスプレして歌うという企画らしい。作曲は坂本龍一。
見た目はかっこいいんだけど歌は意外にポップというか可愛らしい。ちょっとリンドバーグっぽいか。
少しまえに「家、ついて行ってイイですか?」に出演していたらしい。
1994年11月の18位。80年代から活躍しているアイドル(?)らしい。
この頃には30代半ばのはずだけどコロコロとした可愛らしい声だな。
Wikipediaによると「胸キュン」という言葉を最初に発した人物だとか。マジかよ。