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2024-07-18

7月18日

本日は、チャールズ・サンダース・パースプラグマティズム特にその認識論的基盤と論理学的側面に焦点を当てて考察を深めた。

パースプラグマティズムの核心は、彼の提唱した「プラグマティック格率」(pragmatic maxim)にある。この格率は、"Consider what effects, that might conceivably have practical bearings, we conceive the object of our conception to have. Then, our conception of these effects is the whole of our conception of the object."(我々の概念対象が持つと考えられる、実践的な影響を持ちうる効果考察せよ。そうすれば、これらの効果についての我々の概念が、その対象についての我々の概念の全体となる)というものだ。

この格率重要性は、その認識論的含意にある。パースは、概念意味をその実践帰結に求めることで、形而上学的な思弁を排し、経験的に検証可能知識の基盤を提供しようとした。これは、ウィーン学団論理実証主義に先駆けるものであり、20世紀科学哲学の発展に多大な影響を与えた。

パース論理学への貢献も看過できない。彼の提唱した「存在グラフ」(Existential Graphs)は、命題論理と述語論理視覚的に表現する革新的システムであり、現代計算機科学におけるグラフ理論の先駆けとなった。また、パースの「関係論理学」(Logic of Relations)は、フレーゲの述語論理と並んで、現代論理学の基礎を築いたと言える。

さらに、パースの「アブダクション」(abduction)の概念は、科学発見論理を解明する上で極めて重要だ。アブダクションは、演繹帰納とは異なり、新たな仮説を生成する推論形式であり、パースはこれを「驚くべき事実の観察から出発し、この事実説明しうる仮説を形成する」過程定義した。この概念は、後のハンソンの「発見論理」やクーンパラダイム論にも影響を与えている。

パース記号論(semiotics)も、彼のプラグマティズムと密接に関連している。特に、彼の提唱した記号三項関係記号対象解釈項)は、意味の生成過程理解する上で革新的視点提供した。パース記号を、"Something which stands to somebody for something in some respect or capacity"(ある観点能力において、誰かに対して何かを表すもの)と定義し、この定義現代記号論研究の基礎となっている。

また、パースの「連続主義」(synechism)の概念も注目に値する。これは、実在連続的なものとして捉える形而上学立場であり、量子力学における波動関数連続性や、現代複雑系科学における創発現象理解にも通じるものがある。

パースプラグマティズムは、後のジェイムズやデューイらによって発展させられたが、パース自身晩年自身思想を「プラグティシズム」(pragmaticism)と呼び直し、他のプラグマティストたちとの差異を強調した。特にパースは真理の客観性を重視し、単なる有用性や成功還元されない真理概念を追求した点で、ジェイムズらとは一線を画している。

今日考察を通じて、パースプラグマティズムが単なる哲学的学説にとどまらず、論理学記号論科学哲学認識論など、広範な領域に及ぶ包括的思想体系であることを改めて認識した。明日は、パース思想現代認知科学情報理論複雑系科学との接点について、さらに掘り下げて考察を進めたい。

ZFCの哲学

ZFC (Zermelo-Fraenkel set theory with the Axiom of Choice) の哲学は、数学基礎論における中心的な位置を占め、その含意は数理論理学モデル理論証明論にまで及ぶ。

ZFCの存在論的基盤は、von Neumann–Bernays–Gödel (NBG) 集合論との比較において明確になる。NBGがクラス概念を導入するのに対し、ZFCは純粋に集合のみを扱う。この違いは、大規模基数の存在に関する議論において重要意味を持つ。例えば、到達不能基数の存在は、ZFCでは公理として追加する必要があるが、NBGではより自然に扱える。

ZFCの哲学重要性は、その一階述語論理に基づく形式化にある。これにより、完全性定理適用可能となり、モデル理論手法を用いた相対的矛盾証明可能になる。特にゲーデルのL構造構成可能全体)とコーエン強制法は、ZFCの独立性結果を示す上で本質的役割を果たす。

ZFCの公理系、特に置換図式の導入は、フレーゲ論理主義崩壊後の数学基礎論の再構築において重要役割を果たした。置換図式は、ラッセルパラドックス回避しつつ、十分な数学対象存在保証する。

選択公理 (AC) の哲学的含意は特に深い。ACは、トポロジーベクトル空間におけるハーン・バナッハの定理や、測度論におけるバナッハ・タルスキのパラドックスなど、数学の広範な領域に影響を及ぼす。ACの非構成性質は、直観主義数学構成数学との緊張関係を生む。

ZFCの哲学は、大規模基数公理研究と密接に関連する。イナクセシブル基数、マーロ基数、超コンパクト基数などの大規模基数の存在は、ZFCの無矛盾性を強化し、数学宇宙階層構造示唆する。これらの基数の存在は、プラトニズム的な数学観を支持するように見えるが、形式主義的解釈可能である

ゲーデル不完全性定理のZFCへの適用は、数学的真理の本質に関する深遠な問いを提起する。特に、第二不完全性定理は、ZFCがその自身の無矛盾性を証明できないことを示し、ヒルベルトプログラム限界を明らかにした。

ZFCの哲学的含意は、数学構造主義との関連でも重要であるブルバキ学派の構造主義的アプローチは、ZFCを基盤として数学構造定義し、分析する。一方、カテゴリー論的基礎づけは、ZFCに代わる代替的なアプローチ提供し、トポス概念を通じて数学宇宙多様性示唆する。

内部モデル理論特にゲーデルのL構造研究は、ZFCの哲学に新たな視点をもたらす。V=L(すべての集合が構成可能である)という仮定は、連続体仮説一般連続体仮説肯定するが、同時に多くの大規模基数の存在否定する。これは、数学宇宙の「薄さ」と「厚さ」の間の哲学的緊張を生む。

結論として、ZFCの哲学は、数学存在論認識論真理論交差点位置し、現代数学の基礎に関する最も深遠な問題を提起する。その影響は、数学哲学にとどまらず、論理学計算理論量子力学の基礎にまで及ぶ。ZFCの哲学探究は、数学知識本質限界に関する我々の理解を深化させ、数学哲学境界を絶えず再定義しているのである

2024-02-16

anond:20240216124331

感覚によらない「証明」をすることに価値を見出す人が数学をありがたがることがありますが、数学もまた根源的には感覚ありきの理解に基づいていると思うわけです。

この考えは間違っているでしょうか?そうであればどうして間違いなのか、どこがどう理解を誤っているのか知りたいので教えてください。


意味の心象説」

言葉意味とは何か」という問いが一般的であることが了解されたとき、それに対して与えられる解答として未だにしばしば出会ものがある。

それは、言葉意味を何らかの心的なイメージ(心象)であるとするものである。たとえば、「赤」という言葉意味とは、この言葉出会ったときに心の中に生ずる赤い(物体の)イメージである、といった具合である

こうした考え方を基礎とする「意味理論」は、その洗練度はさまざまであっても、どれも根本的に誤っている

言葉意味に対するこうした考え方(意味の心象説」とでも呼ぶことができよう)は、ウィトゲンシュタインが『哲学探究』のなかで徹底的に批判したものであり、その批判は決定的なものであるとみなすことができる。

そして、意味の心象説を批判するにあたって、ウィトゲンシュタインフレーゲに多くを負っていることは疑いが無い。


フレーゲが主として問題としたのは、数学哲学特に算術の基礎づけにおいて、心理的な要素を持ち込むという当時の風潮(心理主義)であった。

算術の基礎』においてフレーゲが出した問いのひとつは、「数詞、たとえば『5』、の意味は何か」というものである

言葉意味とは心的なイメージであるとする、フレーゲ以前伝統的であった答え(=意味の心象説)の弱点がもっとも鮮明に現れるのは、フレーゲが出したような問いに、その答を当てはめようとするときである

(言語哲学大全)


実証

さて、元増田は、"語の意味"は究極的には個人経験感覚から想起される心象に基礎づけられる、と主張しているのだから元増田は「意味の心象説」論者です。


意味の心象説論者は、以下のプロセスを経て、言葉意味理解します。

1.何らかの言語表現を(音、または視覚、触覚から)受け取る。

2.言語表現に紐づく心象を、こころの中に想起させる。(この時点では、言葉意味はまだ理解できていない)

3.こころに浮かんだ心象にたよることによって、言語表現が表そうとした"意味"を理解する。


では、元増田は「三角形」をご存じでしょうか?(三角形意味理解しているでしょうか?)


意味の心象説論者は、以下三つのプロセスを経て、言葉意味理解する、という主張に同意するでしょう。

1.『「三角形」をご存じでしょうか?』という言語表現を、視覚から(もしくは聴覚から)受け取る。

2.かつて、どこかで経験した「三角形と呼ばれたなにか」を、こころの中に想起させる。

3.こころに浮かんだ「三角形」を参照することによって、"三角形意味"を理解する。


三角形意味再確認」できましたね?では、あなたが想起させたその三角形は、どのような三角形でしょうか?

もしも、あなたこころに想起させた三角形が、正三角形だったとしましょう。

もしそうだとするならば、直角三角形三角形ではないということになります

なぜならば、

正三角形は直角三角形ではないし、

・「語の意味は個々人がこころに想起させたイメージである」と(『意味の心象説』論者が)主張するならば、

 こころに浮かんだ三角形(正三角形)と異なる図形(直角三角形)は、"意味が異なる"がゆえに、三角形ではないと主張しなければならないからです。


逆も同じです。直角三角形を想起させたのならば、正三角形三角形ではありません。また、「直角三角形であり、かつ、正三角形であるような三角形」は存在しません。

ところで、あなたこころに想起させた三角形とはどのような図形なのでしょう?

仮にどのような"三角形"であったとしても、「その図形と異なるにも関わらず三角形であるような図形」は、容易に示すことができるでしょう。


もしもあなたが「私は、あらゆる三角形を含む集合そのものと、集合に含まれひとつひとつの図形を想起させることができるがゆえに、三角形の正しい意味理解している」などと言い逃れしてみたとしましょう。

その時、私はこのように問うことができます。「あなたこころに想起させた図形の集合の中の、一つ一つの図形すべてが、"同じ"三角形であることをどのように知るのですか?」と。


意味の心象説」論者は、語の意味は個々人の心象に基礎づけられる、などと主張します。

しかし、三角形意味を心象に浮かぶ図形に求めるならば、異なる性質を持つ三角形を示されたときに"三角形意味"を説明することができず、

無限三角形連想できるなどとうそぶいた場合、「では、あなたの(無限の)心象にうかんだうちの、二つの"異なる三角形"が、"同じ三角形である"ことをどうやって知るのですか」と問うならば、

意味無限後退」に陥るのはむしろ意味の心象説」論者のほうであることになります

なぜなら、その人は三角形意味を心象に浮かぶ図形に求めたのだから、心象に浮かぶつの三角形が"同じ言葉(三角形)"に対応することを、またさらに心象に求めなければならないからです。

まりあなたが主張する「三角形意味」=「"三角形の集合"の心象」のなかに、実は四角形がまぎれこんではいないでしょうか?という疑いをどのように晴らすのでしょうか?

(この時あなたは、三角形形式的定義を利用して証明したい、と思うことでしょう。しかし、「三角形形式的定義」に含まれる語彙は、本来感覚によって基礎づけられると主張したのは『意味の心象説』論者自身です。)


ここで示された無限後退は、あくまでも意味の心象説」がもつ問題によるものであり、

言葉意味の厳密な定義を求める方法が、(ほかの)なんであるにせよ、「意味の心象説」がその役目を果たさないことだけは明らかです。

ゆえに、意味の心象説は、根本的に誤りといえるのです。



話を元に戻します。

どこまで突っ込まれても感覚に頼らない定義可能なんですかね?と思います

何をするにせよ、少なくとも、語の意味を(さら限定すると、数学的語彙の意味を)感覚、心象に基礎づけようとする方法が誤っていることだけは明らかでしょう。

2023-02-20

言語哲学大全

言語哲学大全という本を何度も読み返してる。

理由は単純で、何度もギブアップしてるからだ。

1巻だけなら多分2回くらいは通して読んだことがあるかもしれないが、

ちゃんと通して読もうと思うと大抵ギブアップする。

まえがきなんか20回は読んでいるが、それでもよくわからなかった。


だが今回、ようやく前書き部分が何を言おうとしているのかがなんとなくわかったので記録しておく。

これで、ようやく前書き部分は読み飛ばせるようになれたらいいなあ。


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1.ヴィジョンと論証

2.分析的道具の役割

3.哲学における進歩

4.哲学とその過去

5.「第一哲学」としての言語哲学


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1.哲学 -- "哲学観"を構成する、ヴィジョンと論証

2.哲学問題の難しさの特徴と、その論証の検証手段、そして検証手段(論理学)に対する誤解と、検証手段のものが(哲学の)部分的解決であること。

3.哲学問題の"進歩"の現状、進歩を阻む理由の二つと、それらの解決の糸口として、言語に対する基本的洞察重要であること。

4.哲学問題解決の営みとしての歴史研究をどうとらえるか、そしてある分野においてはごく近い過去に限られること、そして未解決であるがゆえに遠い過去の論証を研究しないといけない事態においても言語分析的道具が重要であること。

5.現代哲学観が、"思考"についての理解をどのように変革させ、そして言語哲学がどのように重要な分野へと変化したか

そして、(12p18行目から)

言語哲学とは何か。言語哲学の特徴。そして言語哲学の基礎的仕事をなしたフレーゲラッセルについて。


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まず、哲学観の話をして、「分析哲学」が論証に重きをおき、ヴィジョン観点重要視していない点を強調する。

そのあと、2,3,4で言語哲学がどう重要なのかを説明し、

5で言語哲学が決定的に重要なんだと念押ししてからの、

5の後半部分(12p18行目以降)で、ようやく言語哲学の特徴と、この巻で論じるフレーゲラッセルについて簡単に紹介する、

という話。


それ以降は、まえがきで書かれている言語哲学がどう重要なのかという話は踏まえたうえでの説明になる。

2022-07-18

東浩紀さんが批判されてるけどさ・・・

東さんってデリダ好きだったよね、たしか

それでこれ思い出したわ。

でも,あれは本当のところ一種哲学貧民窟だね.ラッセルウィトゲンシュタインフレーゲ時代あんなゆるゆるな論理構成の本が書かれるなんて,耐えられないよ.あれでやってけるのは,相手にしてる読者が専門分野で有能な哲学者じゃないからじゃないかな.彼らは文学理論みたいな他分野の人たちに向けて話してることが多いよね.それに,哲学はいつもこんなふうに考える一派がいるんだ,「いや,ぼくらは自分たちの専門だけを狭くやるばかりじゃいけない.こういう他のアイディアにも開かれてなきゃね」って.新しいアイディアに開かれている方がいいってのは全面的に賛成だけど,まともで高度な哲学著作と,知的に許容できない著作との区別はしないとね.

このことは前にミシェル・フーコーに言ったことがある.デリダに対する彼 の敵対心ときたらぼくすら上回るくらいだけど,その彼が言うには,デリダは obscurantisme terroriste(テロリズム的蒙昧主義)って手法実践してるんだって.ぼくらはフランス語で会話してたんだ.で,ぼくはこう言った,「いったい そりゃなんのこと?」 で,フーコーが言うには,「デリダはすごくあやふやな 書き方をして,何を言ってるんだかわからなくするんだ.これが「蒙昧主義」の部分.で,人がじぶんを批判すると,『あなたは私を理解していないよ.あた まがわるいね』とくる――これがテロリズムの部分だよ.」 これが気に入ってね.脱構築について文章を書いたときに,ミシェルにその発言引用してもいいかなって訊いたら,「いいよ」って言ってくれたよ. フーコーしょっちゅうデリダと一括りにされてた.でも,それはフーコー に対してすごくアンフェアだよ.彼は思想家としてデリダとはまるで器がちがう.

https://blueeyedson.hatenablog.com/entry/20111201/1322730931

以下が背景ね。

ジャック・デリダによるサールへの最初攻撃は1971年行われた。サールはタイプ原稿9枚の感想を書いた。その後サールは発話行為自然な発展的研究主題として志向性研究に専念し、1983年『志向性』を公刊する。この書評はその直後であるデリダは、アメリカディコンストラクション派の無名雑誌ジラフ」に、サールの感想文を引用して解体たかのような長大文章掲載し、1993年サールに無視され続けたデリダは「討議倫理」に関するさらなる文章をつけて『有限責任会社』を1990年公刊する。日本ではこの版のみが知られ「サール=デリダ論争」というものがあったという神話法政大学出版局によって広められた(邦訳2003年刊、『ジョン・サールとの会話』にて詳述)。同年サールはNew York Review of Booksに”The Storm Over the University

” 1990を掲載(未邦訳 http://www.ditext.com/searle/searle1.html )。ここで『社会的現実構成』に一部含まれポストモダニスト批判を展開した。1990年代社会生物学論争と「マーガレットミードサモア」による文化相対主義批判勝利さらに1994年アラン・ソーカルによる疑似論文投稿に始まるソーカル事件が起こり、以降フランス哲学者らの理論アメリカフレンチセオリー別称されるようになる。

https://freespeechact.wordpress.com/about/analyticphilosophy/searle/%E9%80%86%E3%81%95%E3%81%BE%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%9F%E8%A8%80%E8%91%89/

2022-01-19

[] そのひゃくはちじゅうに

フレーゲーッス

 

朝礼で言われてることって基本的今日作業の流れとか

どこどこの人が来るよ〜みたいな報告することとか

こういう作業してるんで注意事項とかなんですけど

まぁ各々方やることが違いますので寒いから気を付けてねとか健康に過ごしてねとしか言えないんですねぇ

まぁ夕方にやってる時点でそこまで重要性のあるものでもないですし、災害に気を付けて過ごしましょうって感じなんですよね

 

ということで本日は【冷静な思考いか】でいきたいと思います

冷静な思考いか!冷静な思考ヨシ!

 

それでは今日も一日、ご安全に!

2019-10-19

目の前の正しさにとらわれてそのロジックがどう敵に転用されるかを想像せずに雑に大言壮語を吐く人がインターネット有名人ともてはやされるの

本当フォーク准将フレーゲ男爵は偉大だわ。

2017-09-22

銀英伝をいまキャスティングするなら

って、やはり声優イレブンなみに盛り上がるやつだと思った。

ラインハルトヤンキルヒアイスは決まってるものとして、前回のアニメ化ときの配役はかぶらないようにしつつ。

帝国

ローエングラム公派

オーベルシュタイン諏訪部順一

ロイエンタール浪川大輔

ミッターマイヤー細谷佳正

ケンプ大塚芳忠

ビッテンフェルト中村悠一

レンネンカンプ稲田徹

ファーレンハイト木村良平

ミュラー:島﨑信長

ルッツ:神奈延年

ワーレン:梶裕貴

メックリンガー水島大宙

スラー緑川光

アイゼナッハ:古川登志夫

門閥貴族

ブラウンシュバイク公:若本規夫

リッテンハイム侯:森功至

フレーゲ男爵井上和彦

ランズベルク伯:佐々木望

マリーンドルフ伯:立木文彦

メルカッツ:大川透

その他

フリードリヒ四世:塩屋翼

リヒテンラーデ:速水奨

アンネローゼ:井上喜久子

ヒルガルド・マリーンドルフ;沢城みゆき

シルヴァベルヒ:置鮎龍太郎

同盟

ヤン一党

ユリアン小林裕介

フレデリカ坂本真綾

キャゼルヌ:鳥海浩輔

アッテンボロー岡本信彦

シェーンコップ:黒田崇矢

ムライ:藤原啓治

パトリチェフ:安元洋貴

バグダッシュ子安武人

ポプラン:小野大輔

コーネフ:福山潤

それ以外の軍人

シドニー・シトレ:池田秀一

ラザール・ロボス古谷徹

ドワイト・グリーンヒル三木眞一郎

アレクサンドル・ビュコック:石塚運昇

チュン・ウー・チェン神谷明

ウランフ:大塚明夫

ボロディン堀内賢雄

パエッタ:森川智之

アンドリュー・フォーク蒼月昇

政治家

ロイヤルサンフォード:銀河万丈

コーネリア・ウィンザー榊原良子

ヨブ・トリューニヒト:櫻井孝宏

ジョアン・レべロ:羽佐間道夫

ホアン・ルイ:中尾隆聖

ウォルターアイランズ山口勝平

フェザーン、その他

アドリアンルビンスキー杉田智和

ルパートケッセルリンク神谷浩史

地球大主教飛田展男

2008-06-27

http://anond.hatelabo.jp/20080627215801

知能が低いというより、話をいったん一般原理的なところに落とし込むのが

好きなだけじゃないのかな。

命題A:「人の目を見る人は失礼である」

命題B:「人の目を見ない人は失礼である」

これが別々の人間によって全称命題として提起されている場合、

矛盾する両方の全称命題を共に回避することは不可能である。

……ということなんだろう。

はてなってこういう形式論理立脚した理屈っぽい話が好きな人が多そうだし。

ラッセルとかフレーゲとかウィトゲンシュタインとか好きそうな人多そうだし。

 
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