はてなキーワード: スターウォーズとは
熱いファンの方々が熱く語り合っている中で真っ先に思った感想はよりによって
…いや、それっぽくない?
レイは女なんだから普通に男女の恋愛ものって言うんじゃねーのと言われそうだがなんか違うんだよなー。
BLっぽい。なんとなく。
スターウォーズと寅さん見て思うのは、人生の終焉であんな上っ面の皮相的介護ぜんとしたもんやられて嬉しいのかなっ思った。
人生の糧として血として生きがいとして生きてきた人たちに、こんな扱いで「これを待ってたんしょ」って差し出されても、
なにも嬉しくないわ。
「スカイウォーカーの夜明け」については、ほぼこの記事に同意。
【ネタバレレビュー・批評】『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』は何を終わらせたのか
では、続3部作は、何をしようとしていたのか。
今回、「スカイウォーカーの物語が完結」と、さかんに宣伝しているけど。
それはフェイク。
そもそもスターウォーズは、1983年にエピソード6の「ジェダイの帰還」で完結している。
だから、新三部作(プリクエル・トリロジー)は、前日譚を描いているわけで。
今回の続三部作は、「ジェダイの帰還」で終わっていなかったことにして始まっている。
ちょっと意匠を変えて悪の帝国を復活させて、レジスタンスは、まだレジスタンスのまま。
旧三部作と新三部作は、よくも悪くもスカイウォーカー家の物語でありすぎたからね。
スターウォーズ・ユニバースを拡張・発展させるためには、それを脱構築(?)する必要があった。
続三部作が作品として成功しようが失敗しようが、メッセージは明確だよね。
三部作ずつ描くというスタイルからも抜け出して、もともとの構想にあった連続活劇 - Wikipediaになったんだ。
続三部作の行き当たりばったり具合は、結局そこを目指していたんだ!
今回、スカイウォーカーの物語は区切りがついたので、「ハンソロ」みたいな中途半端なキャラの復活は必要ない。
いっそ、フォースも忘れ去られた、さらに数百年後とか描いて欲しい。
あれだけの科学技術があるんだから、もともとの素質と厳しい修行の必要なフォースは、機械仕掛けで置き換えて。
科学に裏打ちされた風の、超大作スペースオペラ連続活劇になるのだ。
ファンは、必ず観に行くよ!
(ネタバレ注意)
今日スターウォーズの最新作を見てきた。それはそれはひっどい代物で、シナリオに整合性や理由もあったものではなかった。あまりにひどかったので増田に意味不明だった点をざっとメモ書きしておく。
とまあこんな感じなのだが、そもそもSWやディズニーに限らず最近のハリウッド映画ってこの手の整合性皆無・見たその瞬間に気持ちよくなれればいいやって感じの映画が多い気がする。ローグワンやEp8も登場人物の行動原理が意味不明だったけどここ数年で一番支離滅裂だったのがファンタスティックビースト。ただそれ以上に驚いたのは、ここに挙げたどの映画もYahoo映画とかインターネット上のレビューサイトではどうも高評価を得ていること。ステマなのかなあ?
冒頭の例の皇帝復活のところで笑ってしまったが、あとの部分を見ていくごとによくいわれるような「こういうのでいいんだよこういうので」的な感情が支配していくのを感じた。
ep8であからさまに冗長に感じたクリーチャー満載の惑星への寄り道も「こういうのがスターウォーズだよな!」って高揚してしまった。
「あっ、ここは本当はローズが活躍する場面だよな」みたいなところとか、「ルーク、おまえ死ぬ前と全然違うやんけ」とかはたくさんあった。
あと本来ep8までにこなしていかなければいけないイベントを消化しなかった関係なのかやや詰め込みすぎているようで、説明不足でわかりにくいシーンもあったかとおもう。
(ウェイパスファインダーのところとか、一緒に見に行った人は「あれ、なんで3つめがあるんだよ」みたいな反応だった。あとはたぶん意図的なんだろうけどラストシーンとか)
でもまあ見終わったおおよそ満足だったな。
と、終わっていればよかったのだけど、これ結局ep4-6のリメイクでしかなくない?そこのリメイクするんなら素直にリメイクとして作った方がよっぽど面白いのでは?とかビッグバジェットの有名作品でいちいちこんな焼き直しする意味とは?とか考えてしまってなんとも複雑な気持ちになった。40年以上にわたるサーガの終章がこれなの?ほんとこれでいいの?と。
長く続いているコンテンツに絶対現れる初代(旧作)信者がウザすぎる
最近だとスターウォーズ、ターミネーター、サクラ大戦、サクラ大戦、デジモン。あとはガンダム、ドラゴンボール、銀英伝、ラブライブとかな
初代信者にとって初代こそが完全無欠100点満点の至上な存在で、それ以外は初代基準の減点方式となる。
ゆえに彼らの中で100点を超えることは滅多に無い。路線やスタッフが変わった続編はその時点で駄作となり、リメイクやリブートも余計な手を加えられた偽物となってしまう。
もちろん道を切り拓いた原点は評価すべきだと思うが、神格化するあまり後発の作品を貶すだけの老害になっていないか?ノスタルジーに浸りすぎて正当な評価をくだせていないのではないか?
平易な文だが、わけがわからない。「バスの揺れ方で」「人生の意味がわかった」「日曜日」。それぞれの繋がりに全く論理性がない。
「運命の人」の冒頭部がわけがわからない?とは僕にとって驚愕である。各々解釈の揺れ(それが良い詩の証明だろう)こそあれど全くそのドラマを想定できないなんてことが日本語話者にあって良いものなのだろうか。こうやって個人の妄想でしかないものをもっともらしく解説者ぶって書き連ねるのは、作詞者である草野さんに対する不遜なのは重々承知している。僕自身あまり好きでない類だ。しかし全くわからないという人間を目にしてこの3日心のもやもやは晴れないままだった。心待ちにしたスターウォーズ鑑賞中も頭の中はスピッツだ。夜眠ろうにもはーしーるーはーるかーと頭の中でループする。
もういてもたってもいられない。ここに駄文を書き連ねる。
「バスの揺れ方」というのは不規則でとても強力なものだ。電車のような規則性はなく、タクシーのような微々たるものではない。乗客は常に見当もつかない方向から強い力で揺さぶられときにはその力でよろめく。
続く「人生の意味がわかった日曜日」は、逆説的に言って、日曜日でなければ気がつかなかったということを表している。多くの人にとって日曜日は休日である。つまり平日では行われないことがその日起こり、平日では気にとめなかっただろう些細なことがこの気づきをもたらしたのだ。
そして日曜日は週末である。日々の営みが7日で循環するよう設計された人間社会において、日曜日は一つの区切りになっている。労働や勉学に励む小市民ならば、7日間のうちに起こった悲喜交々はこの日を最後に一旦清算され、人々は次の1週間もまたひたむきに日々を過ごしていく。日曜日を意識するこの歌詞の主人公もまたそんな人間の一人だと言うことが読み取れる。
改めて一文を読むと「バスの揺れ方」が連用修飾語として「解った」に係り、「解った」は続く「日曜日」の連体修飾語になっているため、主人公がバスに揺られていたのは「人生の意味がわかった」のと同じ日であるといえる。それぞれが別の日であるなら、バスに揺られた日を示すためにさらに「バスの揺れ方」を修飾する必要がある。なお、バスの揺れかたはバス内部でなければ感じ取れないので、主人公が日曜日にバスに乗車しその日のうちに「人生の意味」に気がついたと断定できる。
ここで一旦まとめると「バスの揺れ方で人生の意味が 解かった日曜日」というのは、
「毎日つつがなく規則正しい生活を過ごしている主人公が、休日が故に起きた特別な出来事をきっかけに思慮にふける。彼はこの日乗車したバスの不規則な振動と、不意な出来事に翻弄されることもある社会の悲哀を重ね合わせた。そして『人生の意味』を悟る。」という内容であると推定される。
不可解な点がまだ残るが歌詞の次行に進みたい。
歌詞を読むに彼は「君」の手を握れるほどそばにいることがわかる。注目するのは「でもさ」という否定形の接続詞で、これにより主人公が「君」の手を強く握るという方法で「人生の意味」に抗う姿勢が示された。
話が戻るが日曜日という日は週末であり曜日の中でも特異な地点である。あくまで僕の考えであるが、歌詞の主人公からすれば日曜に思い巡らせたことは月曜にはリサイクルされてしまうので、「日曜日」に発見した「人生の意味」がこの主人公の行動に影響を与えるのはその「日曜日」に限定されるはずなのだ。そういう意味でもなければわざわざ日曜を指定する必然がない。月曜でも水曜でも歌詞は成立する。よって「強く手を握る」ことで「人生の意味」に抗うことが可能なのは「人生の意味がわかった」日と同日であると考えるのが自然ではないだろうか。
とすると彼はバスに揺られた日曜日に「君」と会って過ごしたということになる。おそらく彼と「君」は同じバスで揺られている。
そして「君」がバスの中でよろめいてその手を彼が支えるという場面があったのだろう。彼は「君」が人生に翻弄されてもずっと支え続けていこうと心に決めるのだ。
つまり「バスの揺れ方で〜」のまとめで述べた"特別な出来事"は、「君」と休日の行動を共にしていることなのではないだろうか。普段ならバスの揺れに不快な思いをしているはずなのに、君がいるときはなんだかそれを感じない、そのことが彼の日曜日を特別にしたんじゃなかろうか。
出だしの2行を僕なりにまとめると
「週末に『君』とのデートをとりつけ心が弾む主人公。普段なら不快なバスの揺れも『君』が側にいれば全然苦でない。そのことに気がついた彼は、小市民として淡々と日々を過ごしているはずの自分にも時々ハプニングが降りかかるその人生の理不尽さと不規則で激しいバスの振動を重ね合わせた。『生きていて辛いことがあっても傍らのこの人がいればそんなことは全然気にならない。』彼はそれを確信する。その時またバスは揺れて『君』が大きくよろめいた。すかさず『君』の手をキャッチした彼。彼自身はその揺さぶりに動じないとしても、この相手は『運命の人だから』挫けることがないように支えていかなければならないと決心する彼であった…」
なお直後3行目の「優しいだけじゃなく偉大な獣」は、この優しく相手を守り支える姿と、揺さぶりに翻弄されず過酷な環境であっても生きていける野獣のようなタフネスという二面性を集約した言葉だと考えて僕は納得した。
確かにこれらには何の確証も論理性もない。しかし聞き手の中にファンタジーを想像させられれば詩はそれでいいんだと思う。
まだまだ書き続けたいが時間がないので書き控える。
ちなみに僕が好きな歌い出しはBLANKEY JET CITYの「ガソリンの香りがしてる」だ。何もわからない。
余談だがスピッツの2ndアルバム「名前をつけてやる」にはその名も「日曜日」という曲が収録されている。「運命の人」が可愛く思えるほどに奇々怪々な歌詞で「晴れた空だ日曜日戦車は二人をのせて」と言葉で歌は始まり、サビで「蜂になろうよ」と相手を誘う。それから6年が経ちデートはちゃんとバスを使うようになり、蜂への変身願望から偉大な獣になる誓いをたてるまでに成長したんだと思うと、なんと立派になって…と親戚のおばさんのような気分にならないこともない。
スターウォーズ最新作みた。
8からよくここまでまとめた。
でも一言言いたい。
アニメとかでも明らかにきれいに終わってるのに「2期あるかな?」って言う人が必ずいてウンザリする、あるわけねーよみたいな。でウッカリ作って散々な結果になる。darker than black の2期のことなんだけど。黒と銀が恋仲?!はあーーーーー???ふたりは仕事上のバディだから良かったんだろうが!!!!あげくに一期のキャラをあっさりなんの躊躇もなく一話目で殺しちゃってさー、一期を見たひとショックっしょ掴みはこれでオーケーっすねみたいな殺しかた、はあーーーーー???一期のよいところの真逆だろ、一期は死んでしまうキャラにも慈しみがあったじゃないか!!!!スターウォーズには特に思い入れはないよ、沼で修行するシーンは覚えてる。